Written by 雨晴
その日の朝、リリウム・ウォルコットはウィン・D・ファンションに呼び出しを受けて出掛けて行った。
夕食までには戻りますから。
そう彼女が発してから夕食まで、およそ10時間。彼にとって、それは地獄と同義。彼女が居ないとなると、途端手持ち無沙汰となるハイン・アマジーグに行く宛てはなく、カラードの食堂で黙々とカフェ・オレを消費している。
彼についたウェイトレスがそれを見守り、たまに注文を受け付ける。
珍しく無表情で、注文するときだけは普段通りの笑顔。時間はのんびりと過ぎていく。カフェ・オレが消費されていく。
本当に、何でもない午後2時のティータイム。
しかしまあ、暇である。
取り立ててすることもなく、改めて自身のリリウムへの依存っぷりに取り敢えず驚いておいた。
無論、治すつもりは毛頭ない。なぜ治す必要があるのか。必要性の無い問題に取り組むのは可笑しいだろう。
数日振りの実機訓練を終え、機体の整備も万全であるし、ダン・モロの見舞いも済ませてきた。
ああ、肋骨が数本逝った程度で入院なんて必要だろうか、そんなもので彼女の指導について行けるのだろうか。
取り留めない思考。
「すみません、オーダーを」
「あ、かしこまりました」
クリスマス・イブ以降、リリウムは私に、これまで以上に甘えてくれるようになった。
プレゼントしたヴェールを一日に何度も眺め、嬉しそうな表情を見せてくれる。贈った甲斐があったなんてものじゃない。
素晴らしいことだ。今なら、仏様とやらを信じてやってもいい。
目を閉じ、今朝の出来事を思い出す。彼女曰く、それは"おはようのチュー"と言うらしい。ああ何てことだ、最高と言っても過言ではない。その行為自体何とも形容し難いものがあるが、何と言っても目が合ったときの恥じらいがまた素晴らしいな。本当に危なかった、もう少しで押し倒すところだった。
「何度も失礼、カフェ・オレをひとつお願いします」
あれは、ロイから教わったと言っていたか。全くロイめ、ナイスワーク。本当に有難う御座いましたと言わざるを得ない。
・・・ちょっと待て?おはようのチューとやらが存在するのであれば、いってらっしゃいのチューも存在するのでは?
「・・・あの、あまり飲まれすぎてもお身体に障られるかと」
その考えで行くと、おやすみなさいのチューも存在するな。いや、それは既にこれでもかと言うくらいしているか。
いただきますのチュー、ごちそうさまのチュー、ただいまのチュー、・・・と、別にそこまでの線引きは必要ないな。
「いえ、とても美味しく頂いていますから。気分も、悪くないですし」
そうだな。線引きをし過ぎると堅苦しくなりがちか。そこを行くと、やはりおはようのチューはライン取りが完璧だと言える。
一日の始まりを、彼女の赤らめた表情で始められるのだ。なんと至福な事か。なんと贅沢なことか。
「あ、で、出すぎた真似を、申し訳御座いません・・・ただ、先ほどから少しばかり、顔色が・・・」
ああ、しかし、こちらから仕掛けるというのもまた一興だ。目覚めた瞬間に真っ赤になってくれるだろうか。甘えてくれるだろうか。
と言うか、あのリリウムの可愛らしさはなんなのだろう。昨日の夜中に"んみゅ"とか何とか口にされたときには意識が吹き飛ぶかと思った。
「少し考え事をしているだけですよ、お気遣い有難う御座います。お優しいですね」
「い、い、いえ!そんな!」
夜のリリウムの何が可愛らしいって、やはり寝ぼけているリリウムだろう。夜1時ごろまで起きているときなど、もうたまらないな。
そういうときの彼女はどこか子供っぽくなってしまう。"あう"とか、"えへへ"、とか貴女は蹂躙兵器かという話・・・と、カフェ・オレが来ていない。
「失礼、カフェ・オレを―――」
「・・・ほう、悪くないな」
「世辞は嫌いなんだが」
「お世辞などではなく、本当に美味しく出来ていますよ、ウィン・D様」
ウィン・D・ファンションの自室で、3人の女性がテーブルを囲む。中央には、ベイクド・チーズ。
ウィン・D・ファンションと、リリウム・ウォルコットと、セレン・ヘイズ。
最後のひとりは、別に呼び出しを受けた訳ではない。リリウムがダン・モロの見舞いで彼の病室を訪ねたときに偶然出会い、ここに居る。
「しかし、何と言うか。一度作り方を覚えてしまえば、何とかなるものだ」
「でしたら、もっとレパートリーを増やされますか?」
口へフォークを運ぶ動作が一瞬止まり、考える。誰のことを考えているかは、決まっているだろう。
「・・・そ、そうだな・・・そのときは、また宜しく頼む」
ウィン・Dの頬に赤みが差し、セレン・ヘイズが首を傾げる。
「ウィン・D、お前、そんなヤツだったか?」
「恋をすると、女性は変わるものなのです」
「・・・恋?」
セレンがわからん、といった表情で尋ね、そうです、とリリウムがにこやかに肯定する。
わー、わー、とウィン・D。
「言わんでいい、言わんでいいぞリリウム・ウォルコット!」
「何だ、否定はしないのか」
「ち、違うぞ!断じてだ!」
「その様子ですと、どうやら順調であるようですね」
だから違うと言っている!そう叫ぶウィン・Dは、やはり真っ赤だ。
セレンがケーキのふた切れ目に手を伸ばし、ひとつ息を吐く。
「別に隠すことでもあるまいに。やましいことがある訳でもないだろう?」
「ある訳無いだろう!大体ロイは、何だかんだ言ってもそういうヤツでは―――」
あ、とウィン・D。ロイ?とセレン。リリウムがニコニコしている。
「あ、あ、あ、ち、違うんだ、違うぞ!」
「ロイ・ザーランドか、成る程。ウィン・D・ファンションも、結局は一人の女だと言うことだ」
「だから違うと―――!」
騒がしいウィン・Dを横目に、リリウムが最後の一切れを口に運ぶ。ご馳走様でした、と一言。
「っと、まだ食べるか?」
「いえ、お構いなく。このあとすぐに夕御飯ですし」
本当に美味しかったです。そう言って、淹れられていたコーヒーを頂く。美味。
「ところで、リリウム・ウォルコット」
セレンがそう切り出す。ウィン・Dを弄くるのは飽きたらしい。リリウムがコーヒーカップを手にしたまま、首を傾げる。
「なんでしょう」
「それは、アイツからの贈り物か?」
指を差して尋ねる。左手の薬指。理解したようで、少しばかり恥ずかしそうに笑顔を見せる。
「はい」
「クリスマスのプレゼントか?」
「いえ、セレン様。その、これは―――」
「・・・エンゲージリングだ、セレン・ヘイズ」
ようやく持ち直したウィン・Dがそう伝え、気付かなかったな、と続ける。セレン・ヘイズが首を傾げる。
「何とだ?」
「弟子が弟子なら師も師だな」
「何の話だ」
「・・・えっと、婚約指輪、です」
顔を赤らめながらそう答え、コーヒーカップをテーブルへと下ろす。
空いた左手を見詰め、顔の締まりが更に緩んでいく。
「ほう。やるな、あいつも」
「いつか、"プロポーズでもしようかと思いまして"などと言っていたが。・・・実行していたのか」
「・・・羨ましいのか?」
「そそそそそんなわけがないだろう!」
左手のそれを、右手で包む。ふたりの言い合いをぼんやりと聞きながら、目を閉じる。
改めて、その存在を噛み締めていた。
大量のカフェ・オレを摂取したハイン・アマジーグは、結局のところ大変暇なのである。
かと言ってあまり飲みすぎたところで身体に悪いと席を立ってから、幾らか時間は経過している。
ふらふらと辿りついたその先は、本日二度目のダン・モロの病室だった。呼び鈴を鳴らし、了解を得てから入室する。
「聞いて下さい、ダン・モロ。リリウムが―――っと、ロイ!ロイではないですか!」
おう、とロイが手を挙げ、座っていた丸椅子から立ち上がり出迎える。早足に近付き、無言で手を差し出すハイン。
握り返され、真顔で対応する。
「―――最高だ」
搾り出されたその声に、だろう?とロイの笑み。
「何、クリスマスの礼だ。返し足りねえよ」
「いや待て、全然わっかんねえ」
現状部屋の主であるダン・モロに顔を向け、ああ、ダン・モロ。表情を微笑みに戻しながら、そう口に出す。
「ロイのおかげで"おはようのチュー"とやらを経験出来ま」
「ブッ殺す!」
「怪我人は安静にしていなければいけませんよ?」
笑いながら、暴れるダン・モロの両手を押さえつける。数秒後に手を離し、ダン・モロの両手はロープでベッドに括り付けられていた。
「ちょ、何で!?」
「何となくです。そういったのが、お好きなのでしょう?」
身振りで何かを振り下ろすようなジェスチャー。
「何情報だよ!」
「私個人による観察と検証ですかね、実施日時は、先月21日は11時ほどの」
「見てたなら止めろよっつうかそんなキャラ付けイヤだ!」
「大丈夫ですよ、ダン・モロ。私は人の性癖を否定する気はありません」
「嘘付けよ何だよその蔑むような目は!」
いえ別に。ぷいとそっぽを向き、その先にロイ。
改めて、有難う御座いました。そう伝えると、首を傾げている。つられるように首を傾げる。
「どうしました?」
「いや。リリウムからは、まだ"おはようのチュー"だけなのか?」
再び、ハインの表情が一瞬で真顔へとシフトする。
「―――まだ、だと?」
低い声。いつか、王小龍に向けたような。
ロイの、そうか、という一言。ニヤリとした笑み。
「・・・まあ、乞うご期待とだけ言っておこうか」
眉間に皺が寄る。
「・・・何、まさか。アレ以上、とでも?」
「目じゃねえな」
目を見開き、驚愕。そのまま目を閉じ数回、ゆっくりと首を横に振る。
開けば、鋭い眼光がそこにあった。
「―――私に死ねとでも言うのか・・・!」
「だが、本望だろう?」
ロイが更に口許を歪め、肩に手を置く。重々しく頷くハイン。
「ああ、ロイ。心から感謝する。私は神になど興味を持たんが、事ここに至っては信用せざるを得んな!」
「他所でやって下さいませんでしょうかお願いします」
「ああ、それはお断りします」
一瞬で素に戻ったハインがロープを解く。ダン・モロは疲れたのか、深い溜め息。
「で、ロイ。ウィン・Dとは上手くいったそうですね?」
「ああ、おかげ様でな」
「ほら見なさい。やはり"ツンデレ"だったではないですか」
む、とロイ。
ツンデレ。普段はツンツン、たまにデレデレ。ロイは思う。ジェラルド曰く、そう言うことらしい。
頭に浮かべ、ウィン・Dと照らし合わせる。
「いや、ああいったヤツの事をツンデレと言うのか?」
「逆に数日前と比べたところで、"デレ"ではないのですか?」
顎に指を当て、考えてみる。これまで見たことも無かった、イブの、或いはクリスマスのあの姿。あの表情。あの仕草。
どれを取ってもロイに向けられたもので、特別なものだと思う。それまで見せなかった、女性、或いは女の子のような。
うむ。
「デレてるわ」
「でしょう?」
「マジどっか別のとこでやって下さい本当にお願いします」
「いいから聞けよ。あのウィン・Dが、手握って欲しいとか真っ赤になって言い出すんだぞ?」
「ほう、それはまた可愛らしい」
「クソ、クソ・・・消えろ、消えろ、消えろ・・・ぅぅっ・・・ひっく・・・」
泣き始めたダン・モロをハインがなだめつつ、ロイによる、現在のウィン・Dがいかに可愛らしいかの講義が始まった。たまにハインによるリリウムとの比較とかも入っちゃったりしちゃって、ダン・モロにとっては地獄でしかない。
あと、色々想像しちゃったりして不貞寝どころでもなかった。
そんな彼の、午後4時30分。そろそろ、日の沈む頃だ。
明日の朝一、セレンによる対ネクスト総合戦闘演習なるものが組み込まれていることなど、彼が知る由も無い。
「それで、結局あいつからのクリスマス・プレゼントは何だったんだ?」
こてんぱんにやっつけられたウィン・Dが、ソファへうつ伏せに身を委ねている。顔は真っ赤で、ぷるぷる震えている。
そりゃあ、ロイとのクリスマスの一部始終を暴露させられれば、そうなる。半分は自爆だが。
矛先がリリウムへと向いて、一瞬ぴくりとする。だが、いつものように狼狽はしない。
なぜなら指輪のくだりを思い返して以来、顔は緩みっぱなしだからだ。その質問に、えへへ、とか口に出してみちゃったりする。
「ヴェールを頂きました」
「・・・ヴェール?」
「ウェディングドレスの、あの、帽子のような薄い布です」
ふむ。そう言って、セレンが考え込む。理解出来なかったようで端末をいじり、画像を見つけ、ようやく理解する。
「ほう、安易に人形などには逃げなかったか」
「これからも少しずつ、必要なアクセサリー類をプレゼントして下さるそうなのですよ」
これでもかと言うくらいニヤケ顔のリリウムを、真顔のセレンが見詰める。ウィン・Dは悶絶している。
「あと、たくさんキスをして頂きました」
「それは、ウィン・Dと変わらな」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!」
復帰し、しかし真っ赤な顔はそのままでセレンのスーツの襟元を掴んで揺さぶる。
その姿には、最早かつての面影は無い。
「結婚式のリハーサルと称して、ヴェールを載せたままたくさんしてしまいましたし」
「ほう」
さすがに恥ずかしいのか軽く赤らめつつ、しかし珍しく饒舌に、にへらにへらしながら先へ進む。
「彼が求めてくださるのが嬉しくて、ついこちらからしてしまったりですとか・・・」
「ほう」
「実は私もケーキを作ったんですが、"貴女の手によるもの全て好物です"なんて言われてしまって、もう、もう!」
思い返しているのか、右手を頬に当て、左手で机をばんばんと叩きながら突き抜けて幸せそうな笑顔を絶やさない。
「何だ、やっぱり羨ましいんじゃないか」
「そそそそそんなわけがないだろう!」
「姿勢が前のめりになっているぞ」
指摘され、そんな事無い!とか言いながら直立に戻るウィン・D。その大声に、永遠と状況を語っていたリリウムの口が止まる。
咳払い一つ。軽い微笑へと戻す。
「―――失礼しました、少々取り乱しました」
「別に私は構わんのだが、ウィン・Dにはまだ早い」
言って、足を組みなおす。二人の視線が来て、何だ、とセレン。
「セレン様は、クリスマスはどうだったのですか?」
その質問に、ああ、と返す。
「むしろ与えてやったほうだな、私は。ダン・モロにネクストをプレゼントした」
へえ、とリリウム。頷くセレン。
「ダン・モロ様も、早速愛されていますね」
「そうだろう?自分でも甘くなったとは思うが、悪くはないな」
「・・・だが、入院しているそうではないか。どんな機体なんだ」
ウィン・Dが尋ねて、うむ、とセレン。
「ライールにフルチューンのアリーヤブースターと背部及び肩部の追加ブースターをだな」
「死ぬぞ?」
即答に、セレンが首を振る。
「何、あいつは死なんさ。何せ、ギャグキャラ補正とやらが掛かっているそうだ」
むしろその苦痛が気持ち良いらしい、とはセレンの言。
きっと教えたのは彼だろうと予想し、コーヒーを啜る。冷めていた。
リリウムがふと時計を見れば、17時半。そろそろ夕御飯の時間ですね。胸中で頷き、あの、と切り出した。
今日は、ハンバーグを作ってみよう。
そう思いつつ、頭の片隅でレシピを開き、彼女のパートナーの好みの味付けを模索し始めた。彼女が見たいのは、彼の嬉しそうな表情だ。
「いや、違うな。あれだけ気の強い女が俺の前でだけ緩むんだぞ?」
「成る程。確かにそこに、普段とのギャップの重要性は確立出来ますね」
「つまり、それこそが"ツンデレ"たる構成要素ということだろうか」
「待て、二人とも。俗に呼称される"ツンデレ"というのはそもそも―――」
「ホントもうそろそろ退院出来るんで帰ってくださいお願いしますジェラルドさんいつの間に来てはったんすか・・・」
午後5時30分。もうだいぶ日は沈んだ頃だ。結局終わりの見えない、しかも相手の居ない者にとっては不毛でしかない議論に涙は枯れた。
明後日の朝一、一対高練度大隊規模戦力戦闘演習なるものが組み込まれていることなど、彼は知る由も無い。
そして2日後、再び入院する彼の姿が目撃されている。そんなダン・モロの病室には、面会謝絶のプレートが掲げられていた。
彼の朝は、まだ来ない。
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