Written by 雨晴
「セレン」
掛けられた声に、セレン・へイズは振り向いた。そこには男が居て、その男こそ、彼女の見出したリンクスである。
「お会いする事が出来て良かった。何分急な話でしたから、もうお会い出来ないかのと思いましたよ」
「さすがに何も言わず出て行く筈が無いだろう。荷造りが忙しいだけだ」
「いえ、貴女ならやりかねませんから」
その言葉の後、二人が軽く笑みを浮かべる。別離に対する悲しみなど感じさせず、ただ静かな廊下で会話を交わす。
「引き止めても、無駄なのでしょう?」
「ああ」
簡単に頷く。やはり、長年の付き合いに対する感情などは見出せない。
だが、きっとそれで良いのだろう。
「どうしてかと尋ねても?」
疑問に、そうだな、と返す。無言の間が流れ、男も急かさない。
「世話の焼けた男がようやく、私が居ずとも生きていけるようだから。と、言ったところか」
「誰のことです?」
「誰のことだと思う?」
言って、再び互いに笑みを交わす。男が目を閉じ、開け、切り替えた。
「これから、貴女はどうするのですか?」
それは、男にとって最も気になることだ。セレン・ヘイズは間違いなく恩人であるのだから。
ふむ、と考えるような仕草。
「まあ、またリンクスを育てるか。或いは、静かに余生を過ごすさ」
「では、今生の別れとはいかないのですね」
良かった、と零れたのをセレンが拾う。
「お互い、生きていればいつでも会えるだろう。お前は死なないだろうしな」
「それもそうですね」
「・・・ああ、そういえば、だ」
今度はセレンが切り替えた。セレンの無表情に、男も表情を変える。
「お前の指導者か、或いはオペレーターとして、最後の忠告をしといてやる」
頷く。
「伺います」
「お前の新しいパートナーだが、ああいうタイプは押しに弱いが繊細だから気をつけろ」
「・・・は?」
「それに、怒らせるなよ。ああいう女は普段怒らない分、性質が悪いからな」
男の真面目な表情が崩れた。セレンが表情を軽い笑みに戻し、雰囲気が数十秒前のそれに戻る。
「貴女からそのような指導を賜るとは」
「意外か?」
ええ、と肯定が返る。いくらかの沈黙が流れ、セレンが男の名を呼んだところでそれが途切れた。
「お前は、今のお前自身に満足しているか?」
それは、男にとっては唐突と言える質問だ。それでも考える。過去と現在を照らし、目を伏せ、答えを探る。
「満足、という括りで表現できるかと言うと、疑問です」
そう言って、視線をセレンに合わせる。それは真っ直ぐに彼女へと伸びて、それを彼女も受け止めた。
「ですが少なくとも、今の私は幸せです。本当に、誰よりも、そうである自信が有りますから」
「―――そうか」
視線を受け止めていたセレンの目が閉じられる。噛み締めるような表情の後には、いつもの表情が戻っていた。
「少し、そこで待っていろ」
言い終わるよりも早く男に背を向け、彼女が廊下の奥へと進んでいく。
自身の部屋へと進んだ彼女が男の所へ戻った時には、左手に小さめの紙袋を携えていた。突き出す。
「受け取れ」
短く言って、無理矢理に手渡す。中身を伺った男の表情が途端、驚きへと変わる。
それは、男にとっては無くしてしまった筈の物。傷だらけで、けれど原型はそこに在る。
どうして。そんな疑問が浮かぶ。
「ハイン」
呼びかけに、ハインと呼ばれた男が顔を上げた。見ると、セレン・ヘイズが踵を返すところだ。
「成就しろよ、お前の答えを」
その言葉は、いつか耳にした。クラニアム戦開始以前、彼女の口から漏れた言葉だ。目を見開く。
あの時とは、少しだけ意味が違うのだろう。
彼の右手に携えられた紙袋が揺れる。その重みは、久しぶりに感じるものだ。
ハインが頭を深々と下げるのを、きっと彼女は見てはいない。それでも届いているであろうそれを、彼は長く長く続けていた。
「ハイン様」
声を掛け、近寄っていく。シミュレータールームから出てきた彼を迎え入れ、お疲れ様でしたと労う。
「有難う御座います。問題はありませんか?」
問い掛けに肯定、大丈夫ですと返す。柔和な笑顔。それよりも。
「その、どうでしたでしょうか・・・」
その疑問は先のシミュレーションに対するもの。彼が、そうですね、と考えるような表情をして、すぐに向き直る。
「セレンとは全く別物のオペレーションで、最初は戸惑いましたね」
戸惑い、その言葉に落ち込みかける。かけたところで、でも、と否定が入った。
「慣れてきてからは、的確な指示や戦力分析でとても戦い易かったですよ。勿論、世辞抜きで。さすがです、リリウム」
彼のてのひらが頭に載り、撫でられる。認めて頂けた嬉しさと、その心地よさから頬が緩んだ。
「しかし、私には贅沢ですよ。貴女にオペレートして頂けるのはとても嬉しいのですが」
「そんな事ありません。私だってハイン様が無事で居られるように、出来ることはしたいのです」
セレン様の代わりになれるかどうかは心配だが、彼がそうであるように、私も私に出来ることがしたい。
彼のオペレートもそうだし、必要であればアンビエントだって駆り出したって良い。
私たちは、お互いに生きていなければならないのだから。
「ですから、贅沢だなんて思わないで下さい。私だって、貴方の隣に居られるなんて、これ以上の贅沢は無いんですよ?」
自分の言動に少し恥ずかしくなって、けれど視線は逸らさない。本心なのだから。
彼の手が、私の頭の上に置かれたまま止まる。視線が交わり、会話が途切れる。
・・・あれ?これ、実は"良い雰囲気"と呼ばれるものなのでしょうか?
「リリウム・・・」
「は、はい!?」
声が上ずる。ああもうどうしてこういう状況への対応パターンを学習してこなかったのでしょう。
どうして良いものか分からず、取り敢えず脳内で今後予測される事象をシミュレート。いつか読んだ小説の、一連の流れが浮かぶ。
・・・あ、わかりました、目を閉じれば良いんですね。いえちょっと待って下さいここは往来の真中ですよ?
「あーやだやだ。目に毒だから、そうゆうの余所でやってくれないですか?お二人さん」
脳内のシミュレーションが、良く知っている男性の声に遮られた。後ろに1歩飛び退く。声を出して驚いてしまった。
「ロ、ロイ様にウィン・D様、いえ、これは、違うんです」
「何がだよ。どっからどう見てもアレじゃないか」
「ロイ。ウィン・Dを連れて後ろを向いて、速やかに今来た道を戻って下さい。今現在、とても重要な局面にありまして」
とても重要な局面って何ですか。と言うか、何を言っているんですか。うるせえよ、とロイ様。笑っている。
「君達が何をしようが構わないが、頼むから人気の無いところでやってくれ。精神衛生上、あまり芳しくない」
ウィン・D様に真顔で反応され、ハイン様は渋々と肯定する。どうして渋々としているんですか。
「そ、それよりもお二人とも、お疲れ様でした」
頭を下げ、上げる。おう、とロイ様。
「わかってはいたが、歯が立たないな。やっぱり強いわ」
「まあ、我々にとっても良い経験になるのは確かだ。また誘ってくれ」
お二人に対して有難う御座いますと返したハイン様が、そういえば、と辺りを見渡す。
「ダン・モロはご一緒ではないのですか?」
ダン・モロ様。彼も、私たちの恩人である。ハイン様と私との模擬戦闘に、二人と共に快く応じてくれたのだ。
「ああ、今頃自信喪失して燃えカスみたいになってるところだ」
「はぁ」
どうして、といった表情のハイン様に、ウィン・D様が補足する。
「接敵十数秒で戦闘不能にされたら、誰でもそうなる」
「そういうものなのですか」
「そういうもんだ」
ふむ、と考え込む仕草をしていた彼が、顔を上げる。ところで、と切り出した。
「先日のお礼を、まだ面と向かってはしていませんでした」
有難う御座います、と深々と頭を下げる彼。彼にならって、私も同じ動作。気にするな、とウィン・D様。
「これで貸し借りは無しだ」
「俺もこれで返したぜ。クラニアムについて行けなかった分、な」
顔を上げる。
「余るくらいですよ、本当に。今度は私があなた方の為に、何かしなければ」
「なら、次は俺とウィン・Dをくっつける方向で頼ッ!」
ロイ様が言い終わるよりも早く、彼のわき腹へとウィン・D様の右拳が注がれた。呻いている。
「ロ、ロイ様、大丈夫ですか?」
「滅多なことを言うんじゃない」
「そ、そんな全力で殴らんでも・・・」
ロイ様の抗議に、知らん、とウィン・D様。
「照れ隠しですよ。良かったですね、ロイ」
「こんな照れ隠しあってたまるか・・・ほとんど暴力だこれ」
ああ畜生、とロイ様が直立する。まだ痛いようで、わき腹は押さえたままだ。
「やっぱりウィンディーにもリリウムくらいの可愛らしさが欲しいぜ」
「悪かったな」
そう言うウィン・D様がどこか拗ねているようにも見えたけれど、言わないでおく。
「なんだウィンディー、拗ねてるのか?」
言わないでおいたのに、ロイ様自ら口にしていた。今度は左、鋭く振りぬいて、ロイ様がうずくまる。
「照れ隠しで決定ではないですか。おめでとう御座います、ロイ」
「君も、滅多なことを言わないでくれ」
「了解」
うずくまるロイ様にハイン様が手を貸し、引き起こす。ロイ様が大事無さそうなのを確認すると、不意に笑みが零れた。
無意識の笑み。自分自身が笑っていることに気付いて、理由を探る。
きっとこんな輪の中に、当たり前のように居られることが嬉しいんだろう。箱入りだった頃の私では、もう無いのだから。
「では、私たちはそろそろ」
ハイン様がそう伝えると、ロイ様が反応する。
「なんだ、用事か?食事にでもと思ったが」
「食事は後日、改めてこちらからお誘いしますよ。ですが今日は、リリウムを連れて行きたいところがありまして」
あー、はいはい。ロイ様がそう言って、わざとらしく肩を竦める。
「羨ましいことで」
「羨ましいでしょう。誰であろうと渡しませんけどね」
そんな彼の言葉が、嬉しくも恥ずかしい。ロイ様がニヤニヤしている。
行きましょう、リリウム。促されて、歩き出す。お二人に挨拶を済ませ、彼の隣につく。
ごゆっくりー。そう冷やかしてくるロイ様の声は、聞こえない振りをした。多分、顔は真っ赤だろうけれど。
まず向かった先は、彼の自室。それを知った途端、心拍数が最高速をマークした。え、何ですか、まさか。
どうしよう、どうしようなんて考えているうちに、少し待っていて下さいと声を掛けられた。・・・え、待つんですか?
言われた通りにしていると、すぐに彼が出てくる。右手に紙袋、それ以外の変化は見られない。
「行きましょうか」
何事も無かったかのように告げられ、歩いていってしまう。
どっと疲れたような気がした。彼を追う。残念だと思うのもきっと気のせいだ。本当に、何を考えているのだろう。
結局連れて行かれたのは、航空機の発着施設だった。
「それで、どちらへ向かうのですか?」
「到着したら、お話しますよ」
チャーター機から降り、駐機されていたヘリコプターへと足を運び、乗り込んだ。
「まさか、航空機を使うほどの遠方とは思いませんでした」
どこかへ行く、と言うことは聞いていて、けれどそれ以上のことは何も知らなかった。彼が教えてくれなかったのだ。
「今更ですが、遠出は嫌でしたか?」
「まさか。むしろ嬉しいです」
本心からそう思う。ヘリコプターが上昇していき、加速。
会話が途切れ、彼を向く。彼の眼は、外へと向いていた。
「ところで、それは何なのですか?」
彼の大事そうに抱える紙袋。こちらを向いてくれ、これですか、と彼。
「そうですね、到着したらお見せしますよ」
彼が、再び視線を外へと移す。その感慨深げな目は、何を見ているんだろう。
ヘリコプターへと乗ってから、彼の口数が少なくなってきている。彼を真似て、外を向いた。
ここは、どこなのだろう。
「申請頂いた座標はこちらですが、よろしいのですか?」
「ええ、間違いありません。汚染区域ではありませんね?」
接地したと同時に、そんなやりとり。パイロットもきっと、ここで良いのだろうかと迷ったのだろう。
「コジマ汚染は確認されていません。ドアのロックを解除しますので、そのままお待ち下さい」
音を立ててドアが開く。少し強い風が入り込んだ。砂ぼこりに、少しだけ目を細める。
「有難う御座います。では、一時間後に」
降りましょう。そう促され、先に足をつける。続いて彼。数メートル歩いたところで、ヘリコプターが飛び立った。大きな音。
強い風に身をかがめて目をつむる。細目で何とか伺えば、その風の中でも直立を続ける彼がいる。
視線はまっすぐ先へと延びて、表情は柔らかい。弧を描いていた口が動いた。その声は聞こえなかったけれど。
"懐かしいな"と、そう刻んでいるように見えた。
目を凝らした先、砂ぼこりの向こう、集落のような何かが在る。ようやく理解出来た。
―――ここが。
手を握られ、どこかぼぅっとしていた意識が戻ってきた。行きましょう、と彼。頷いて、歩き出す。もう、声は聞こえる。
「今更訪れても、もしかしたら何の意味も無いのかもしれませんが」
彼の歩みに続き、その声に耳を傾ける。あるのは風切の音。彼の声。
「それでも、もう一度来てみたかった。貴女と一緒に、家族達に報告をしたかった」
おかしなことに付き合わせてしまいましたね。謝罪が来る。首を振る。
「私も、貴方の見てきた風景を辿ってみたいと思っていましたから」
有難う御座いますと伝えられ、こちらこそと返す。笑顔。
歩みを進めるうち、集落の姿がしっかりと目に映るようになる。朽ちたノーマルやMT、崩れた鉄骨。
「まさかここまでとは。時間の経過というのは、残酷ですね」
彼の表情を伺えば、苦笑を浮かべていた。
それがどこか悲しそうにも見えて、辛そうで、握られていた彼の手を強く握り返す。気付いた彼の顔が正面に来て、いつもの笑み。
「大丈夫ですよ。気持ちの整理は出来ていますから」
その声も無理しているように聞こえて、彼の腕を取った。距離が縮まって、影も重なる。
どうか、私の事も頼って下さい。そんな意図は伝わっただろうか。彼が一瞬目を閉じる。すぐに開かれた。
「やっぱり、優しいですね。リリウム」
立ち止まる。いつの間にか、目的地は目の前だ。風が吹いて、砂ぼこり。
「ようやく、ここへと帰ることが出来ました」
長かった、と彼。朽ちたノーマルやMT、崩れた鉄骨。近くから見ても、それは変わらない。
強い風が止んで、視界が更に開ける。立ち止まったまま、動かない。
「ただいま」
彼を向き、見上げる。いつもの優しげな表情で、そう呟いた。迎える人は居ない。けれど彼はきっと、それでもいいのだろう。
彼が辛ければ、悲しければ、私が守ってみせる。彼がそうしてくれるように、私だって。
取った腕を、もう少しだけ強く握りしめた。
どれだけそうしていただろう。今でも思い出せる光景を照らし合わせて、懐かしさを噛み締める。
もしかしたら悲しくなってしまいそうな、辛くなってしまいそうなそれでさえ、この娘の存在がそうさせない。
私は、幸せだ。
何度繰り返したかも判らないその言葉が、頭に浮かんだ。本当に、幸せだ。
強い風が来て、抱き寄せる。少し身体がこわばったけれど、すぐに柔らかなものになる。受け入れてくれるのは、幸せだ。
覗き込めば、その顔は真っ赤になっている。全くもって可愛らしい人である。
そうだ。
紙袋を漁り、取り出す。彼女がそれを捉えて、首を傾げた。
「これは?」
「―――ウィルを写したカメラです」
かつて喪った、けれど、それがここに在る。興味深そうに見詰める彼女。
「本当はフィルム以外、壊れてしまって原型を留めないほどだったのですが」
「それが、どうして?」
「壊れたカメラごと手渡して、あの写真の現像をお願いしたのがセレンだったんですよ」
オーメルの実験施設に居た頃、唯一手にしていた私物がこれだった。あれからもう、どれだけ経ったのだろう。
「では、セレン様が」
「ええ。きっと、彼女なりの祝いの品なのでしょう」
セレンが写真を手渡してくれたとき、カメラのことは何も言っていなかった。
彼女が私を認められるようになるまで、ずっと待っていてくれたのだろうか。ならこれは、証だ。
「でしたら、折角ですから何か撮ってみたいですね」
その一言に、つい驚いてしまった。どうしましたか、と尋ねられる。
"でも折角だから、何か撮ってみたいですね"。
光景が重なっていく。良く見ていた夢が思い出されて、それは妹の言葉の筈で、けれど、それもここに在る。
呆けていたのだろうか、腕の中で何かが動く感触に意識を送る。心配そうに私を見上げる、彼女の顔。
かつての光景と切り離されたようで、或いは重なっているようで、不思議な感覚を覚える。
笑みを向け、息を吸い込んだ。
「では、貴女を撮りましょうか」
その一言に、わ、私ですか、と必要以上に驚く彼女から離れる。数歩進んだところで、キャンプを背に彼女を向く。
ファインダーを覗き、風は止んでいて、視界は良好。
あの時もそうだった。妹の、慌てていてぎこちない、可愛らしい笑顔がそこにあった。
彼女の姿を捉えて、ピントを合わせる。浮かび上がったのは、砂漠を背景にしても褪せない様な、可愛らしい笑顔。
少しだけぎこちないそれを、私はもう、二度と手放さない。
それが、私の答えなのだから。
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