Written by へっぽこ


―――目が覚めた。
いや、開ける目など無いので、正確にはただ意識が戻っただけのことであるのだが。

さて。
私にはもう眼球がない。だけでなく。耳も鼻も口もない。
だから今この瞬間、なぜか見える霞も。聞こえる微かな潮騒も。
香る浜の磯臭さ。風に乗る海水の塩み。流れる砂のざらつき。

そのすべてが。
有機的な感覚器官を亡くした私にとって。
そのすべてが、―――幻なんだ。

     /

ふと。
意識が浮上した。
パチンとスイッチを入れるかのごとく、起動した“わたし”という思考装置。

R.I.P.3、つまり“M”に閉じ込められた私の意識は、当然、機体とともにそのまま消失するのだろうと思っていた。
が、そう簡単にはいかなかったようで。
「なんで、生きているの?」
と、声を出したつもりでも、それを出力する外部装置はない。
スピーカーの一つも生きていれば、泣き叫ぶ事もできたろう。だけど、ない。
無線を飛ばそうにも、アンテナもない。

結局、脳――CCU(コア・コントロールユニット)――だけになってしまったみたいだ。
外へ向けて、何一つ干渉することができない私は、外から見ればただの機械に見えるのだろう。
壊れた機械。黒い箱。生き物ではなく、ただのモノ。
それでも、こうして、私と言う名の自意識を失わないでいられることが不思議でならない。
いや。待って。
そも、これって意識といって良い代物なのだろうか?
――なんて。
そう、自問自答するぐらいには、どうにも私は人らしい。

そんな私の肢体。すなわちMは、あの娘に敗れて瓦解したはず。
そして思考はリピートする。
「なんで、生きているの?」
ああ、ばか。
とっくに生きてなんていないのに。
心臓の鼓動も、体をめぐる血の温かさも、酸素を取り込もうと膨らむ肺も、何もない。何もないのに。
肉も骨もなく。電気だけが回路を駆け巡っている。
それでも、私は私を失っていない。
これは罰なのだろうか?
母からもらった肉体を、自分勝手に捨てた。これは罰なのだろうか?
私は負けたのだ。あの娘に。

「また負けた」
それは人生二度目の敗北。
今度こそ、言い訳もできない。
正真正銘、正々堂々、正面切っての一対一。

それでも勝てなかった。
どころか。私との戦闘後、続けて現れたスカベンジャーを、あの娘はいとも容易く破壊した。
蹴り飛ばし、踏みつけ、もがくスカベンジャーをいたぶるように。
彼女は暴風の六連チェーンソーで少しずつ。
少しずつ、すりつぶしていった。

その流麗な動き。
あの時、彼女は真にACとシンクロしていた。
私が肉体を捨てて、なお到達できなった領域に、彼女は踏み込んでいた。
鉄の指一本を一インチ動かす。
その難しさに彼女は気付いてすらいない。
そして当然のように。

ぎゅいんぎゅいん。
ざりざりざりざり。
その音、振動。
地面ごと、ざりざりざりざり、と。
激しい怒りを込めて。
彼女は。
残酷に、ぐちゃぐちゃに、敵(スカベンジャー)を、轢き潰した。

砂の混じった魂のノイズ。
油で焼けただれる精神の音。
遠ざかる意識の中で、覚えている最後の記憶は女の子の笑い声だ。
その高らかな笑い声。
聞くだに辛い叫び声。

痛感した実力の差。
私は彼女にとって、通過点以外の何物でもなかった。
踏み台以外の何物でもなかったんだ。

そうして彼女は私を倒し、更なる高みへと昇って行った。
もう誰も追いつくことはできない。
世界に乱立した塔を軽々飛び越す鳥がごとく。
もう誰も、彼女を捕まえることはできない。
彼女は超越した。この世界を。

ことここに至って分かる。
とどのつまり、私と言う存在は彼女を完成させるためだけにあったということ。
私は、主人公などでは全然なかったんだ。世界にとって。特別な存在じゃあなかったということ。
その事実に泣きたくなる。が、もちろん涙腺なんてない。
泣くことも喚くことも暴れることも自傷行為に走ることすら叶わない。
まったく水槽に浮かぶ脳みそは無力だ。

生き地獄は続くのです。

いや、死に地獄か。生きてなどいないのだから。
この状況。私がかつて真っ当に人間していた頃の有機物、有体に肉や細胞は、今はもう何も残っていない。
きっと有るのは、合成高分子化合物と金属で作られたナニカ。
“これが私です”と、胸を張って掴み上げれるモノはない。
ともすれば、今の私は言わば幽霊と相違ないのかもしれない。
いわゆる残留思念。そんな概念に近しいのかもしれない。

うん。
私は亡霊なのです。

しかし不思議と。
そう、本当に不思議なのだけど。
未練はなかった。
怨霊となるほどの未練が、私にはなかった。
あるのは後悔だけ。
残っているのは一遍の。優しく、郷愁に満ちた後悔です。

負けたこと。それはもうあきらめがついた。
だから、この後悔は勝敗の外にある。
戦いの外にあるんだ。

それは日常。人としての生活。
決して仲が良かったわけではないが、それでも、ささやかながらに皆で笑い、泣き、怒り、語りあった、ある日。
虹色に輝き、生に満ち満ちたあの日々。
もう、手も足も、涙さえ流せない私だけれど、それでも、私の中には思い出が詰まっているのです。

ぽたり、と、雫が落ちるイメージが頭をよぎる。
それを私は涙と想った。

    ◇

“あれから”どれだけの時間がたっただろうか?

私という主体が意識の中で、さながら鬱病に罹患し、部屋の隅で膝を抱える女学生がごとく丸くなっていると。
カチリと、何かが繋がった。
キン、という耳を劈く音に、一瞬“痛み”を感じて―――って、アレ?
《よいしょ!》
そんな、困惑する私の意識はどこ吹く風。外から絶え間ないノイズの白波。
ていうか。
いま、何か聞こえた?

がちゃん。と。繋がれる新たな端末に、無い首筋が悪寒を生み出す。
幻が消え、眩い光が視覚を覆い。
そして視界が開けた。

何かが目の前に在って、それは動いていて、カラフルな色のうねりが暴れているのを感じる。
光の信号を変換する何か、インターフェースからの情報を上手く処理できないでいる。
瞼などないはずだが、“目を閉じよう”とすれば、カチンと視界がブラックアウトする。

カチン、カチン、カチン―――
《落ち着いて》と何かが声を掛ける。
落ち着く。
ああ、落ち着くということか。
言葉の意味がようやく分かる。
すなわち聴覚は復帰したということ。

それから私はゆっくりと。集中して、音と視界に集中して。目を凝らした。
視覚情報の波をより分け、選別し、画像を認識する。
動きあるモノの輪郭。そうでない風景。モノの形。色見。
かつては生(なま)の眼球と脳で、その後はカメラとユニットで、十二分にできていたこと。
それに今更戸惑ってしまうという事は、どうもそれなりの年数、私は眠っていたようである。

カチン。

私の目の前でうごめいているモノは人。
人間であり、少女である。
そのふっくらした頬はうっすら桃色で、癖なく短めの髪は亜麻色をしている。
―――よし。
映像の処理が整ってきた。

そして目の前の少女はぱちりとその大きく見開いた眼を一度閉じると改めて。
「あなたの体。頑張って作ってみたんだけど、足りないところもたくさんあると思うから。許して。これからもっと頑張るから!」
そう、決意を込めるがごとく、拳をぐっと握ってみせた。
そんな少女と相対する私の視界は低く、目の前の女の子は屈んで同じ目線にあわせてくれている。

“作ってみた”とは、まぁ可愛らしいことで。
Mであった自分からすると、またなんと低い視線であることか。
まるで地を這うようだ。
ああ、でも、これは。
とても。
とても人間的な高さだ、と、私は思った。
私の等身大。
一時それは5mにまで膨れ上がった。
それが今は――、50cmくらい?

「いい子、いい子」
言いながら、女の子が私の頭を撫で撫でする。
ぞわぞわとした感覚。
そうして気が付いた。
触覚があるのである。
と。ひとたび気付いてしまえば、足の裏には床の感触。
フカフカのカーペットは温かな橙色。私は裸足で立っている。
触れられ、触れている、それらが分かる。

私は自分の腕と思しき何かを持ち上げて見た。
ちょうど人間で言うところの上腕前腕肘関節もろもろの筋肉を伸縮させる、かつての要領で。
むにゃむにゃと動く腕。
手のひらを自身の鼻へと持っていくが、匂いは感じない。
そうか、嗅覚は無いのか。と感じ、そもそも空気すら取り込めない事に気が付いた。
口が無いのである。
と言うことは、しゃべれない?
顔はもふもふと柔らかく。
私は女の子を見上げた。

女の子はにっこりと笑い、私の手を引いて姿見の前へと誘って。
「じゃん!」
と、私の肩に手を置く鏡の中の少女は誰かを思い出す容姿で、小さく可愛らしく、青いツナギの上半身を脱ぎ、腰でその袖を縛ったTシャツ姿。
そして、彼女の前、両肩に手を添えられ、支えてもらいながら立ち尽くすソレ。

ふいに、スピーカーが音を――否、私の声を、発する。
「これが、わたし?」
声帯がなくとも、スピーカーが内蔵された、それは、ネコのような、クマのような、ぬいぐるみだった。
正確には、ぬいぐるみの皮を被った機械仕掛けのナニカ。

私は少女の手を離れて、一歩二歩。ひょっこひょっこと歩いてみれば、ぽてん、と、すぐに倒れてしまう。
ううん、頭が重い。
そして私は起き上がろうとして、
「ひゃぁ! 起き上がれない!」
カーペットの上でバタバタするのである。
情けない声がスピーカーから漏れている。
口がない分、下手なことを思うと、それがそのまま出力されてしまうようで。

「そっか、倒れると起き上がれないんだねぇ。失敗失敗!」
テヘへ、と上から覗き込みながら「ごめんね」と舌を出す女の子は心底楽しそうで。
「んー。やっぱり重量バランスが良く無いのかな。手足の長さに対して胴体が丸っこすぎるのもマイナスだよね。でも、これ以上、おなかのもち綿は減らしたくないし……」
と、少女は私をひょいと持ち上げながら、独り言をぶつぶつと。して。
「えい!」
ぎゅーといきなり抱きついてきた。
もちもち、むぎゅ。

その温かさ。
人の肌の柔らかさ。

少女の肩越しに周囲を眺めてみれば。
この部屋は明るく、その主は幼く、壁のコルクボードに張られたレトロな写真は、家族愛と友情に満ちている。
耳を澄ませば心臓の音。
どくん、どくん、と規則正しく。落ち着く音色。懐かしい音。
そのすべてが。
そのすべてが、私が失ったものであり。
この少女はまぎれもなく、人間であった。
かつての私と同じ、人間であった。

「ねえ。あなたはいったい何者なの?」
少女が言う。
「普通の、介護とか、運転とか、その他生活支援系の一般的なAIじゃないよね?」
「私は」
「まるでヒトの脳みたいだったよ!」
少女が言う。目をキラキラと輝かせて。
しかし私は。

「私は」

私は。何なのだろう?
今の私とは。一体なんだ?
答えられないでいると、女の子は。
「ねえ、あなた。名前は有るの?」
名前。
M。
マグノリア・カーチス。
マギー。

私は静かに首を振った。
「そうなの?」
肉体を亡くし、名前を捨て、私は一体どうしようというのだろう?
「もしかして何も記録されてないの?」
――分からない。
「それとも、話したくない?」
――分からない。

私は、私が何をしたいのか、分からないでいる。
それはマグノリアには無かった感覚だった。
分からない、なんてものは無かった。いつだって、悩みこそすれ、理解できないことなんて何一つなく、決断してきた。たった一人で。
分からない。
そんなモノはマギーには無かったと思う。
でも、なぜだろう?
この、モコモコとした感覚を、気色悪く感じる自分も確かにいるのだが、傍らで、何かこの新しい現実にときめく自分がいて。

何にもできそうにないこの小さく非力で柔らかな体なのに、なんでもできそうな気がしてくる。
いや違う。
なんでもやってみたいんだ。
これから、たくさん、いろんなことをやってみたい。
一から。
いや零から。
そして。
盛大に失敗しちゃえばいいんだ。
何度だって負けちゃえばいいんだよ。

しがらみは消えた。
マグノリアとして、紡いだ糸の全ては、すでに断たれている。
「だから」
私は言う。
「だから?」
「私の名前は君が決めてくれると嬉しい」

私は今日、生まれ変わる。
どことも知れぬこの場所で、誰とも知らぬ少女の前で。
遙かなる未知の現実。
それは生まれ落ちた赤ん坊の世界に等しい。

私は今日、生まれ変わる。
負けて、落ちて、眠って、それから、生まれ変わるんだ。

     /

「でね。そしたらスミカってば、何したと思う? “それはできない相談ね”とか言ってさ! いきなり殴りかかるんだもん。びっくりしちゃったよ! もー、クラス中騒然としちゃってさ―――」

それから1カ月が過ぎた。

今日も今日とて、彼女の駄話につきあい、人生相談という名の恋愛話を聞き。
びっくりするほど平和な、頭がおかしくなりそうなほど、女の子女の子した生活を送る私である。
まるで不思議の国に迷い込んでしまったかのようだ、と、私は今でもそう感じている。

「こらぁ、いつまで喋ってんの? もう時間ですからねー」
と部屋の外から声がする。それは少女のお母さん。
“時間”というのは、私と彼女の会話時間。
私の脳はどうにも電力消費が激しいらしく、稼働時間は一日二時間と限定されているのだった。
「ふぁーい」
と気のない返事の少女。いつもの事であるが。ちょっぴり残念そうに話を切り上げると。
「じゃ、また明日ね!」
少女は私を抱えて、ベッド――という名の充電スタンドへ。

あ。待って。
「明日の約束、忘れないでね?」
私は眠りにつく前に念を押した。
「うん、大丈夫。おやすみなさい」

     ◇

約束はこう。

「そういえば、今週末に彗星が来るってね?」
と何げなく少女。答えて私。
「見たい」
「お! じゃあ見に行きますかぁ!」
と、そういうわけでね。

想えばこの一カ月、私はずっと部屋の中で、一重に外の風景が見たかった。
とても待ち遠しかった。久々に外の世界を知ることが。

そして。約束の日。
夕食が終わり、彼女が部屋に戻ってくる。
彼女は学園指定のセーラー服姿そのままで、私を小脇にかかえると、
「ほんじゃ、ちょっくら天体観測してくるぜ!」
と。居間で茶をすする両親に勇ましく敬礼し、スカートをはためかせた。
それはそれは柔らかく、ふんわりと広がるミニスカート。
「あんまり遅くなるんじゃないわよー」
という母の声を背に聞きながら、自転車のかごの中へぽてっと放り込まれる私。

それから。
キコキコと公園までの道を行く。
そよ風のなんと気持ちの良いことか。
小さくて新しい私の身体はとても軽かった。
そう、まるで重力が薄まってしまったみたいに。
心が、解放感で満ち満ちている。

「あ、ほうき星!」
少女がふいに声を上げる。

つられて見上げた夜空。
立ち並ぶ異常に綺麗な家屋には弾痕一つなく。
その隙間からは光の筋がすっと走った、それはそれは見事なほうき星が覗いている。
だけれど、そんな彗星を差し置いて、私の目を捉えて離さないモノがそこにはあった。

一際大きく、輝きを放つ球体(スフィア)。
それは見知った月などではなく。
なんて、綺麗な瑠璃色。

そこに浮かんでいたものは、美しき青色をした惑星だった。

ああ、どおりで。

ファンタジーと思うのも無理はない。
だって、ここは完全に別の世界なのだから。
私が元いた世界ではなかったんだ。

私はきっと迷い込んだのだ。文字通りの異世界に。
それでも。
私の世界は続いていく。
また別の物語を紡ぐのだ。

私は笑った。心から。
まさかまさかのワンダーランドなセカンドライフ。
そんな神様のいたずらを、私は心底可笑しく思った。
マグノリア(かつて)の悩みは、人の夜の夢。
遙か彼方。真空の河の向こう側の物語だ。

ありがとう。
ファットマン。
みんな。
J。
そして、あなた。
もう、二度と会うことは無いでしょう。
例え天国へ行ったとしてもね。
さようなら。
Requiescat In Pace.

見上げた夜空は雲一つなく。
眩いばかりの星星に埋め尽くされている。

私は今日も生きている。

さあて。
これから先、何をしよう。

ほんと、わくわくするよね?


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