Written by へっぽこ
あなたは知っているだろうか?
某旅団から世界の平和を守ったのは何を隠そうウィンディさん。――と、なんとびっくり僕なのだった、まる。
などとくだけて告げる大事件のその顛末は、けれど僕にとってはたった四十字程度のものでしかなく、そこにはきっとたくさんの人と想いが詰まっているのだろうけれど、僕にはそれを解きほぐす事はできないし、またしない。
ていうか、したくないというのが本音だろうか。
ともかく。
だからここは、まるで何事もなかったかのように話を進める。が。けれどそうは言ったって、あとがたるにはその前身が必要で、ただし神話に至るまで遡る事に意味はなく。
若造がしたり顔で語る昔話ほど、退屈なものはないのである。
そんなわけで。
ここはひとつ簡潔に。
僕がクラニアムで誰と何をどうした、その結果からを垂れ流そう。
こほんと咳払いを一つ。
かくして、クレイドルは今この瞬間も空を漂い、企業は旅団の破壊活動からの復興に手を焼きつつ、同時に汚染された地上の復興にも着手し始めた、――というのが現在の世界情勢。
そうして、地上復興の名の下、極東の地に新造された都市こそ僕らの住まう都、各企業合作の中立非武装実験都市ハーモニカである。
先の動乱により、AFやネクストなどなど、各企業の主力戦力はそれぞれわけ隔てのない打撃を被ったわけだが、しかし力を失いかけた企業はそれでもクレイドルの維持を最優先事項と決め込んで、砕けた軍事を立て直す手間を捨て置いた。
英断である。
この水面下での政治交渉は間違いなく歴史に刻まれるべき偉業だったろう。
そう、僕の知らないところでも、ちゃんと世界は廻っていて、僕なんかが居なくたって、ちゃんと世界は良くなっている。
そうして世界が、着実に、誰にとってもいい方向へと歩みを進める、そんな、ある種の隙間に降って湧いた思想、幻想こそ、この共同の地上都市建設案だった。
その目的は力に頼らない抑止を主とした拮抗状態を作り出すこと。
そういう場の提供である。
企業が独自のコンセプトに基づいて個別に作り上げた街をグループ別に重ねて区とし、できた三つの区を組み合わせて都市とした。
しかし都市のエネルギー源は三区共同。
メガリス型の急備えではあるが建造された発電施設で賄われ、送電線で日夜電力が送られている。
都市だけを見ればまるでちぐはぐにスリーピースに均等されたピザって感じの様相なのだが、このピザにはもれなく天井が付く。
透明度の高い薄幕ドームの天井と周囲一帯をぐるり取り囲む堅牢な壁は、地上がいかに汚染されているかという現実を否応なく感じてしまう。
けれどいいんだ。そんな心苦しさも地に足が付いている事の喜びには遠く及ばない、と僕はそう感じている。
空を飛ぶという事は、同時に墜ちるかもしれないというリスクを伴う。
僕がいっぱしの人間である以上、大地に自らの足で立つという事はそれだけで安息だったりするのだ。
これだけのものをたった数年でこさえるのだから、やれやれ企業は恐ろしい。
話が逸れたが、ともかく、こうして企業間の溝は物理的に縮められ、互いが互いを監視しながら、今もクレイドル施設の100%復興に着手している―――らしい。
都市のブレインは企業連だ。たぶん。
複数個の企業が寄り合いグループとなり、その連帯が企業連の全容だが、ここにカラードなる組織が登場する。
カラードも言ってしまえば企業連になるのだが、例えるならば、この都市が本社、代表取締役会が企業連、監査役会がカラード、と、こういう関係性であるのだろうと僕は理解してる。
ORCA事変後もっとも変化が見られたのは、おそらくこのカラードの存在体系だろうと思う。――のだが、細かい事は知りません。わかりません。
らしいとか、知らないとか、たぶんとか。
曖昧模糊で申し訳ないけれど、結局内々の事情は実のところあまりよくわからないのだ。
それは一市民となり果てた僕の知り得る範疇ではなく、また悪戯に暴いていい事柄ではない。
清麗な大地と堅い安寧があれば、僕ら一般人はそれだけで良しとできる。
それは十分すぎるほど。
まだ企業間の溝が完全に埋まったわけではないけれど、同じ心臓を共有しているこの街では、少なくとも直接的な武力衝突はあり得ない。
そんなものは自殺行為に等しい。
カラードだって黙っていない。
ウィン・Dだって黙っていない。
僕だって、黙ってられない。
そんなわけで、かくして企業は各々、自らの核をひた隠しにしつつ、一方で敵対企業に探りを入れては技術開発に尽力する。
ここは共存の場であり、また競争の場でもあるのだ。だから成り立つ拮抗状態。
長年にわたって殺し殺されしてきた間柄。そうそう手を取り合う事など出来はしない。が、それでもここまで進歩した。
世界は変わる。いや、変わった。
誰かの夢は、こうして、ついに現実のものとなりだした。
◇
さてさて。
堅苦しい、退屈な説明台詞が続いているここらで大きく伸びをひとつ。
まあ、こんなことを改まって言うのは僕としても気恥ずかしいというか、どことなく落ち着かない心持になるけれど。
ともかく事実は事実で嘘偽りなく、しかし僕が一介の人間である以上は多少の主観が含まれてしまうけれど、ここは一つなるべく簡素にできうる限り簡潔に述べるに限ると思うのだ。
じゃないと始まらないのだ、何も。
これはある種の通過儀礼だ。
あるいは決まり文句であり一プロローグと言って過言でない。
これから始まる物語は、既に完結した物語のアフターデイズであり、詰まるところなんの変哲もない後日談。
そこに血湧き肉躍るドラマティックはない。
平凡な日常の垂れ流し。
そうなることを僕は切に願う。
何の変哲もない、ある時代、どこか誰かの日常をつづった、短くて小さいクロニクル。
楔を打つ。一つだけ。
これから語る僕の物語はすなわち、今となってはどこにでもいる一般人の日常に相違ない。
何かありそうで何もなく、何も無さそうで、やっぱり何もない、そんな自堕落で退屈な日々に果たして紡ぐだけの価値はあるのか、と、自問して、無いと答えを出しつつ裏腹に話しを進めよう。
これは日記だ。
そんなわけで。
今日のところはひとつだけ。“今”を綴って封をする。
それじゃあまた、いつかのある日に会いましょう。
―――今日も世界は平和である。
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