小説/長編

Written by 雨晴


数メートルはあるだろうか。巨大な二脚兵器が、アスファルトを踏みしめて前進する。

小さなコロニーを行く機に、かつて描かれたであろう国旗は無い。駆るのも同じく軍人ではない。
住民たちが畏怖を抱いて見つめ、見上げ、見下ろしていた。実弾の込められた銃火器。
勿論発砲されることは無く、哨戒と呼ぶにはあまりに粗末な直進。そのまま街を後にする。

安堵した人々が溜め息を吐き、野次を浴びせ、しかしその中、一人の少年が無表情に去りゆく二脚を見つめ続けている。
何分か、ずっとそうして微動だにせず、呼吸だけ。もう、数百メートル先。

彼にとってそれは仕事で、生きていくためには必要な仕事で、そして対戦車地雷が爆発する。脚を吹かれて崩れ落ち、ざわめく周囲。
喧噪の中、ひとつ息を吐いた。背を向けて走りだした。今日はもう一件の仕事が残っている。
齢10歳程度。彼と、彼の妹が生きていくためには必要な仕事が残っている。
 
 
 
  
ACfa/in the end
The Journey of Past

He has not known anything yet
 
 
 
 
数分前に呼び出した少年が、もうやってきた。
そのフットワークの軽さは見習うべきだと素直に思い、少し待てと声を掛ける。

「ほら、今月の分だ」

カードと紙切れを差し出され、その紙切れに目を通す。頷き、軽い笑み。

「ありがとう」
「すまんな、もう少しくらい用意出来れば良かったんだが」

首を横に振り、大丈夫、そう一言。そうか、と呟いておく。

「最近は企業連中が特にやかましいから、物買うときは注意しろよ?」
「わかった」
「・・・まあ、いらん世話とは思うが」

言って、自然に目が細まる。少年は、どう見ても良いとこの坊ちゃんだ。誰も、一日に数機のMT吹き飛ばせるガキとは思わないだろう。

「身なりには気をつけろって言ったのは貴方だよ」
「それは確かに」

苦笑。

この子供とその妹が初めてこの地に訪れたとき、纏っていたのはダウンサイジングされた野戦服。
何てガキだと思ったが、もうとうに受け入れられた。時間が経つのは、本当に早い。本当に。

「しかし、これでもう3度目か」
「・・・お給料?」
「ああ。きょう日少年兵なんて、すぐ駄目になると思ったが」

む、と拗ねた顔をする。仕草だけを見れば、ただの子供だ。

「邪魔なら出て行くよ?」
「・・・邪魔になったら、行く宛探してから追い出してやる」

無造作に手を伸ばし、少年の頭に載せる。撫でる。拗ね顔が戻り、笑み。

「ウエルバには、1カ月も居られなかったから」
「そりゃあ恵まれなかったな」

最早国境に意味はなく、しかしその地名はかつてのスペイン領。ノッティンガムからは掛け離れている。
よくもまあ、二人だけで辿り着いたものだ。人間の生命力と言うべきか。
まだ、何も知らないでいて可笑しくない歳だと言うのに。それでも妹とふたり、生き続けている。

「とにかく、妹を泣かせない程度に気張ってくれ」
「はい―――あ、お家賃」
「少ない給金の詫びだ、飯代にでもしてくれ」

意味が汲めなかったか、ん、と首を傾げられる。また苦笑が漏れる。
本当に、ただの子供。

「いらないって事だ」
「・・・いいの?」

ああ。意識的に笑みを作る。

「その代わり、また次も頼む。もうお前の陽動は欠かせないからな」
「あんなことで良ければいつでもやるよ」
「それはそれは、心強いこったな」

じゃあ、帰る。ありがとう。
唐突にそれだけ言って振り返り、数メートル先の玄関口へと歩いていく。つい、呼び止めてしまった。

「ハイン」

無垢な子供の顔がこちらを向く。しかし、特に伝えるべきも、伝えられるべきも無い。
迷った挙句、いや、と口に出す。

「頑張れよ」

一瞬どう答えるか迷い、うん、とだけ返ってくる。じゃあな、軽く手を振ると、軽く振り返された。
扉が閉まる。
 
 
 
静かになったワンルームの中、チェアに身を委ねれば背もたれがギシリと鳴る。
冗談じゃない。
デスクの抽斗には、先日送られてきたあの子供とその妹の診断書がある。
本当に、冗談じゃない。

最初はコジマ汚染のレベルを疑っていただけだ。知り合いの、それもゲリラ繋がりの医者から返ってきたのは、そんなものではなかった。
どうしてこれまで気付かれなかったのか。捨て子とはいえ、なぜここまで。
このままでは、下手をすれば人身売買にまで手を染めることになる。冗談じゃない。あれはまだ子供じゃないか。
それに、誰が企業になど伝えてやるものか。数千、数億の金になろうと知ったことか。許されるものか。
 
 
だが。こんな小規模の活動団体で匿えるほど、世界は甘くない。
 
 
溜め息一つ。
思うに、世界は驚くほどにまで腐りきっている。無論、私も含めて。あの兄妹も含めて。
先の歳相応の笑みを頭に浮かべながら、電話を手に取った。
 
 
願わくばこの選択が、彼らにとっての不都合足り得ぬように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ただいま」

声に、背を向けていたウィルが反応する。手を止め、微笑んでくれる。

「おかえりなさい、兄さん」
「うん、ただいま」

少し背の高い椅子に腰掛ければ、火を止め、近寄ってくる。

「何を作ってるの?」

指を差し尋ねれば、えっとですね、と考える仕草。

「今は、ゆで卵ですね」
「火傷しないようにね」

そんなことしないですよ、と笑う。
どうだか、おとといはフライパンを触って泣きかけてたじゃないか。勿論、言わない。そうだ、と切り出した。

「はい、お給料」

差し出す。笑顔が掻き消える。むぅ、と渋い顔。
毎回そうだ、素直に受け取ってくれない。

「・・・もっと嬉しそうにしてくれたって良いじゃないか」
「だって、また危ないコトしてきたんでしょう?」

ジト目が来て、逸らす。もう、とウィル。
危ないコト。ここに来てからは、何をしているのか伝えていない。

「兄さんは優しいんですから、戦争なんてすべきじゃないんですよ」
「いや、うん。でもさ、ここに来てからは家もあるし、お給料もずっと良いし」
「けれど兄さんが居なくなってしまうのは嫌です、絶対に」

わかりますか、兄さん。そう強く迫られて、少し引いてしまう。
でも、多分ウィルも、僕らが生きていく為にそうしなければいけない事をわかってる。わかってるけれど、言わずにはいられないのだと思う。
僕だって、逆の立場ならそうだろうから、取り敢えず始まってしまった説教に頷くことしか出来ない。

「聞いてますか!?」
「あ、うん、聞いてるよ」

それでウィルの気が済むのなら、まあ、良いかなあなんて思う。
夕食のサンドウィッチがテーブルに並んだのは、2時間後のことだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・ごめんなさい、兄さん」
「いいよ。僕ももう少し、安全そうなやり方を考えてみる」

ふたりでサンドウィッチを齧りながら、兄妹喧嘩、というか一方的な説教への反省会。
僕らにはもうお馴染みの光景で、どちらからともなく笑ってしまう。

「けれど、本当に兄さんが死んでしまったら、私は生きていけません」
「そんなの、僕もだ」

言って、ウィルの居ない生活を想像しようとする。やっぱり、無理だった。
ひとつ息をついて、或いは目を閉じて、話題が変わる。

「でも、ここに来てから3回目ですね」
「早いね、もう3ヶ月」
「ですね」

どうぞ、とタマゴサンドを差し出される。ありがとうとだけ言って、受け取る。

「でも、見つかりませんでしたね」

口に運ぶ動作を止め、妹を見た。窓の外、どこを見ているんだろう。

「・・・父さんと母さん?」
「うん。きっと故郷に近いから、と思いましたけれど」
「そうだね。会いたいのなら、探してみる?」

え、と驚いたような声。少し悲しげな視線が来て、それを受け止める。すぐに、いつもの微笑みに戻る。

「ううん、兄さんが居てくれれば、それ以上の贅沢は言いません」
「けどさ」
「良いんですよ。それに、会えたところで顔を覚えていませんから」

絶対にわかりませんよ。そう笑う妹は、このやりとりも3度目だと言うことに気付いてないのだろう。
彼女は、きっと親を欲している。兄の僕にそれを叶える術は無くて、つられて笑うことしか出来ない。

けれど、ウィルが僕を必要としてくれているのは事実だろうし、僕にだってウィルは必要だ。たった一人の、血の繋がった妹だ。
お互いに、そう信じて生きてきた。僕にはウィルしか居ない。ウィルが居てくれるから、生きていられる。生きていける。
広大な欧州を渡り歩けたのは、この子が傍に居てくれたからだ。ずっと笑っていてくれたからだ。誰より大切な、僕の妹。
だから僕に出来ることは、ただただウィルとの生活を守ることだけ。そのために生きてきた。そのために生きていく。

「ねえ、ウィル」
「なに?」

これからもずっと、そこで笑っていてほしい。僕はまだまだ子供で、捨て子だから、父さんと母さんとの生活は守れなかったけれど。

「―――これ、美味しい」
「え、本当ですか?・・・嬉しいです」

ウィルひとりくらい、絶対に守ってみせる。
それはきっと、誰に向けるでもない。ただ自分の未来へ向けた宣誓だったのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『・・・確かなのか?』

秘匿回線の先、少しばかり訛った言語で尋ねられる。

「昔アクアビットに勤めていた医者だから、その手の件に関しては間違いないだろうと考える」
『成る程』
「かといって、どこから情報が漏れるともしれん」
『どうせ漏れるなら、漏れても問題の無い場所に隔離する、か?』

隔離。その言葉に、眉間の皺を自覚する。舌打ちを抑える。

「いずれにしても、我々の大将はあっちだ」
『確かにな。あちらさん、喜んで手を挙げるだろう』
「そうでなくては困る」
『しかし、いっそレイレナードあたりに売り飛ばせばいいではないか。当面の活動資金には困らん』

提案を鼻で笑う。あちらが言うのはきっと、ただの冗談だ。

「そう言うのは、下衆のやることだ」
『貴様も私も大概じゃないか。巷では、活動者はテロリストと呼ばれるらしいぞ』
「資本主義の拡大解釈に腐った世間なんて、断じて認めるものか」
『だが、その兄妹まで巻き込む』

突然の的確な切り替えしに、息を呑みかける。やはり浮かぶのは、あの笑顔。

『既に片足突っ込んでるようだが、あんなところに入ってみろ、全身どっぷりだ』
「・・・確かにな」
『まあ、今更貴様が"無かったことに"出来る話でもない』
「だが少なくとも、企業飼いよりは夢があるとは思わんか。一生実験動物よりは」

まるで、免罪符。

『そうかな。まあこのご時世、強い者勝ち、弱い者負けだ』
「前回は国が敗れたが」
『もしかしたら、その兄妹が時代を変えるのかもしれん。そんなもの、野放しにしておけるか?特に、我々が』

我々が、何だ。

「―――それでも、伝えてほしい。どうかあの兄妹を・・・」

あの兄妹を、何だ?
沈黙に、後が続かない。相手の軽い笑い声が来る。

『たったの3ヶ月だろう?何をそんなに入れ込んでるんだ』
「・・・お前も一度見てみるが良い。結局あれが、今現在の歪みだ」
『見飽きたな、そんなものは。また連絡する』

一方的に会話を切られ、数秒受話器を握り締めていた。堪えていた舌打ちをひとつ。

まだあの少年には伝えていない。伝えられない。
こんなもの、大人の勝手だと思う。結局は、人身売買と同じことなのかもしれない。
ただ私が思うのは、ひとつだけ。AMS適正なんて馬鹿げた才能を抱くふたりが、企業に蹂躙されるのだけは許されざると言うことだけ。

―――だがそれも、テロリストの勝手な言い分だ。

浮かんだ思考に、無意識に伸びていた手。無造作に電話の親機を掴む。衝動的に投げつけたそれが、床に叩きつけられた。
正常な正誤判断など、とうの昔に出来なくなっている。握りしめたその拳で、壁をぶち抜いた。


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