小説/長編

Written by 雨晴


彼が目覚めたのは、"あの日"から4日後のこと。
病床、幾らかの医療器具に繋がれ、意識の覚醒に時間がかかる。
覚醒した途端、半ば無意識で腕を振り上げようとした。

手枷。

声は出せない。喉が枯れていた。くぐもったうめき声を発しながら見渡せば、白衣の男が数人。ガラス越しに見下ろしている。
何かしらの言葉を交わす男たちを、憎悪を宿した視線で刺した。
思い切り力を込めて、枷を引き千切ってやろうと考えた。不可能だ。
ふと眼を向ければ、なぜかあのカメラがそこにあった。何のつもりか、思い、唇を噛む。
頭に過るのは、家族たちの死と、妹の最期。

殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久方ぶりのAMS接続は、彼の意によるものではなかった。あの日から、2か月後のこと。
眠らされ、強い刺激に目を覚ます。試験台の上、突然のAMS接続に呻いた。
仮想空間が頭に広がって、これまで受けた事もない情報量が頭蓋に降り注いだ。目眩と嘔吐。
聞いた事のない男の声で、"動かしてみろ"、指示を受ける。背く。何かしらの薬品を注入される。
身体が震えた。

異常な破壊衝動に駆られる。仮想空間に、かつての光景がなぜか重なる。
映し出されたノーマルを、5連装のガトリングガンで貫いていく。

殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
意のままに操れない奴隷に、白衣の男たちが冷めた目を向ける。あの日から、4か月後のこと。
日に日に身体が痛めつけられていく。日に日に精神が崩れていく。薬物投与は最早日課で、吐き気の収まらない日は無い。
その日のそれは、更に強いものだった。もろくなった心が、危険だと判断する。

今死んだって、どうにもならない。

唇を噛んで、屈服した。言う事を聞くモルモットと化す。
それは、彼の父が、或いは家族が嫌ったであろう行為。
"いつかのために"、そう言い聞かせて、従い始めた。

いつか殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
突然の来訪者に、半ば強引に連れ出された。あの日から、半年後のこと。
下手に出て願いを伝えれば、面倒くさそうに黒服の男が了解した。数分後、手元に懐かしい重み。壊れたカメラは、まだ此処にある。
およそ180日ぶりに外気に触れたが、淀んでいた。すぐにヘリへと乗せられる。

到着した先は、真白の壁の一室だった。どうやら、部屋をあてがわれたらしい。これまでの連中とは、所属が異なるらしい。
どうだって良い事だった。
いつの間にか、家族の事を口にするのは止めていた。
代わりに、妹の口調を真似ることにした。
話す相手は居なかったが、ただ妹との繋がりを求めた。
馬鹿げていると思いつつも、どこか心地よかった。

何にしても、本質は忘れてはならない。心に刻む。
いつか殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
胸の痛みに耐えきれず、しかし試験は継続させられた。あの日から、1年後のこと。
初めての実機のネクストは、彼にとって想像以上だった。新概念の実証機は、搭乗員の保身など考えられてはいなかった。
極端に軽い機体が、高出力のブースターに押し出される。対Gスーツの限界を超える。

彼らにとって、彼は人ではない。
彼も最早、自分を人だと思っていない。
ただ言われた事を、死なないために繰り返す。
たった一年で、人は変わるものだ。

だが、彼の中には彼女が居る。家族も居る。無理にでも笑っている事にした。彼ら家族が居た頃のように振舞うようにした。
彼らを思えば、耐えられた。耐えられた。耐えられた。耐えられた。

いつか殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
身体はもう限界で、それでも彼は立ち上がった。あの日から、3年後のこと。
いつの日か、実証試験への参加者からは"何でも屋"などと揶揄されるようになった。
言われる事は何だってしてきた。身体の殆どの骨は折れ、無理矢理治され、数日後にはまた折れた。
その姿を気味悪がる者も居た。それでも笑顔で居る彼は、いつしか大した理由のない暴力の捌け口にもなった。

どうだって良かった。

実証機に量産の目途が立ち、名が与えられた。「LAHIRE」、旧仏語であれば憤怒の意。たった一人で試験搭乗を務めた彼との差異に、皆嘲笑った。
彼にとって、それ以上に自身を表すに相応しい名は無いというのに。

いつか殺してやる。ただそれだけを望む。

叶わないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
爆発音に目を覚ました。銃声が鳴り響いている。あの日から、5年後のこと。
騒々しい。そう思う彼の表情は、張り付けたような笑顔。
扉が開いて、兵士が数人駆け込んできた。銃口を向けられる。殺意は感じられず、黙っていた。

「クリア!」

大声が耳に響いた。内心溜め息を零す。

「確保、確保、総員離脱するぞ!」

アラートがやかましく響く中、引かれるままについていく。本当に、どうだって良い。
彼らの腕章に、"Leone Meccanica"の文字。
また企業か。内心毒吐きながらも、それに従う。

いつか殺してやる。ただそれだけを望む。
 
叶おうとしていた。

叶わせることは無かった。

彼は今、生きている。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ACfA/in the end
The last episode of a series
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
"If you look up the sky,She exist there"
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふと気付けば、白い空間に居た。何となく、浮かぶような感覚。不思議なそれは、どこかで。

どこだろう、ここは。
見回してみる。
真白。

目が痛くなるような白に目を細めて、奥行きが果てしない。首が傾ぐ。

・・・そうだ。

彼は?
 
 
彼の名を呼ぶ。返事はなくて、もう一度、今度は大声。返らない。
どこなのでしょうか。
心細くなって、俯いた。
 
 
――――――あの。

不意に掛けられた声は背後から。女性のそれに身体を向けて、つい固まってしまう。
笑顔。
どこかで。

「はじめまして、リリウムさん」

初対面の定型にも、何も言い返せない。絶句。
彼と目許の良く似た、私よりも少し下くらいの女の子。

彼女の表情が、疑問のそれに変わる。

「もしかして、聞こえていませんか?」

いえ、聞こえています。聞こえていますけれど、それ以上に。

「・・・あ、もしかして、誰だか気付かれていないのでしょうか?」

少しばかり寂しそうな顔色に、意思が戻る。首を強く横に振って、息を吸い込む。

「――――ウィル様」
「ああ、良かった。気付いて頂けたんですね」

改めて、はじめまして。自然なお辞儀に、同じく自然に身体が反応する。
顔を上げれば、あの笑顔。

「いつも、兄がお世話になっています」
「い、いえ、そんな、こちらこそ」

お辞儀の直後というのに、ペコペコと頭を下げる。彼女はゆっくりと頭を下げて、上がる。
今度の表情は、彼の浮かべるそれに似ていた。ちょっとだけ意地悪な笑顔。彼女の眼が私を捉える。
全くもう。そんな切り出し。

「兄さんも隅に置けませんねぇ」

へぇ、だとか。ほぉ、だとか。そんなことを言っている彼女を見つめる。
"どうして"。それしか考えられないでいた。彼女と視線が交わって、少しだけ固まる。

「どうしましたか?」
「な、なんでもありません」

ジェスチャーを絡めて伝えれば、彼女の首を傾げる仕草。
似てる。そんな事も考えた。

「あ、あの」
「はい」
「・・・あの、ウィル様、なのですか?」

ともすれば失礼にもなりかねない疑問にも、笑顔で頷いてくれる。

「はい。ハインの妹、ウィルと申します」

よろしくお願いします。柔和な笑みが、本当に崩れない。

「男の子みたいな名前でしょう?」
「い、いえ、とても良いお名前です」

本心を伝えれば、嬉しそうに一言。"ありがとうございます"。やっぱり、どこか似ていた。

では、早速ですけれど。一度目を閉じる彼女。
また頭を下げられた。今度は、深い。

「兄さんのこと、助けて頂いて。有難うございました」

目をぱちくり。何を言われているのか気付いたのは数秒のち。

「そ、そんな、ウィル様、おやめ下さい」

ゆっくりと彼女の頭が上がる。いいえ、と首が振られる。

「わたしは、貴女にお礼をしなければなりません」
「お礼なんて、そんな」

慌てて止めて頂くように手振り。彼女の苦笑いに、何も言えなくなってしまった。

「貴女に会う前の兄さん、本当に怖い人になってしまっていたんです」

少しばかり、表情が陰る。え、と私の口から漏れて、視線が交わる。

「あの人が私を、私たちのことを、本当に想ってくれていることは知っています。けれど、私は悲しかった」

"私の知っている兄さんは、居ませんでしたから"。

その言葉に、彼の過去を思い返す。それはきっと、すぐに拭えるものではない。
いつか大人に向けたあの表情は、彼の一部なのだろう。

でも。陰った表情を振り切って、そう言って、笑顔に戻る。

「でも、今の兄さんなら、私は胸を張って言えます。あの人こそ、私の兄だと」

手を握られる。そこに感覚は無かったけれど、それでも確かに声は聞こえた。

「少しだけ悔しいけれど、全部貴女のおかげです。・・・あ、否定しないでくださいね」

釘を刺されて何も言えなくなる。彼女は続ける。

「だから、勝手ですけれど、今後も兄をお願いします。貴女でなければ、あの人は駄目なのですから」
 

何を言おうとしたのだろう。
 
何か言おうとした瞬間、強い風が吹いた。何かが舞い上がって、視界が薄れていく。

「残念、もう時間切れです」

繋がれていた手が離れる。
なぜか、焦る事の出来ない自分が居た。

「―――貴女は」
「はい」

だんだんと無くなっていく視界の中で、あの写真の中の笑顔が映える。神秘的、そう思えた。

「ウィル様は、それで良いのですか?」

"それ"、とは何なのだろう。考える時間はそれほどなくて。
彼のこと?私のこと?私たちのこと?ウィル様ご自身のこと?

全部?

「当然です」

漠然とした質問にも、断固として頷いた。
答えが来る。

「私は、あの人の妹なのですから」
 
 
 
 
――――兄さんが、幸せで居て下さるなら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
消えていく視覚に眼を覚ませば、そこに彼が居た。心配そうな目を向けられている事に気付くのには、いくらか時間がかかった。

「・・・おはようございます」
「ええ。・・・夢見が?」

少し汗をかいていたらしく、指で拭われる。触れられている感覚は確かにあって、けれどいつもとは違って、心細くなる。
なら、あの夢での彼女は、そこには、やっぱり。

「どうしました?」

その視線に気づいて、指を絡める。そのまま頭を彼の胸に押しつける。
泣きそうではあったけれど、涙は出なかった。

「―――ウィル様に、お会いしました」

彼の空いている方の手が、優しく髪を撫でてくれる。
先を促されているようで、目を閉じる。

「ほんの少しだけでしたけれど、お話をしてきました」

お話と言うよりは、何だか違った気がしたけれど。彼が一つ頷く気配を感じて、呟くように。

「・・・どんな子でしたか、あの子は。貴女から見て」

顔を上げて彼を覗けば、あの夢と同じ表情。
自然に思い返される。また、顔を伏せる。

「・・・笑顔がとても良く似合う、可愛らしい方でした」
「そうでしょう、自慢の可愛い妹ですからね・・・って痛い、痛いですリリウム、つねらないで下さい、ウィルにやきもち焼いてどうするんです、妹ですよ」
「・・・もう」

もっと強く押しつけて、離さないように。彼も撫でるのをやめて、両手で包んでくれる。

「ウィル様から」
「・・・はい」
「貴方の事をお願いします、と」

話の流れなんて考えられずに、伝えるべきを一言で。きっと、もっと彼に伝えなければならなかっただろうけれど、一番強いイメージはそれだった。かすんでしまう前に。
あれは、彼女の決別だったのだろうか。

少しだけ沈黙が流れて、先に口を開いたのは、彼。何か言おうとして、口を開いて、一度閉じて、言葉を選んで。

「そうでしたか」

たった一言だけ、噛み締めるように呟いて。
今日も、朝が来た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
"There's a healing calling from the wind"
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昼の日差しが照り込み、空調が勢いよく稼働している。給仕は忙しなく、それでもその空間だけは、のんびりとした雰囲気が流れている。
 
「それで、どうなんだ、最近は」
「どうも何も、幸せに過ごせていますよ」

師弟の再会は、おおよそ2年振りのこと。特に用があった訳ではなく、各々マイペースで食事が進む。

「何事も無かったのか?」
「ダン・モロから聞いていませんか?何不自由無く。身体も完調ですよ、お互いに」

この通り。言いながら、彼が腕を広げて見せる。ふむ、と彼女。

「お前はどうだ、リリウム・ウォルコット」

話題を振られた彼女も、良く噛んで飲み込んでから言葉を探る。そうですね、一言添えてから、恥ずかしそうにはにかむ。

「私も、幸せです。毎日彼と居られて」

はにかみから、にへらにへらとした笑みに変えつつそう伝えれば、セレン・ヘイズが一つ頷く。

「そうか、変わらんな」

どことなく満足そうな表情で、紅茶を手に取った。
弟子の視線。

「そう言うセレンは、なんでしょう、お疲れですか?その、幾らか皺が」
「黙れ」
「失礼」

殺されそうな視線を受け流し、トーストに口を付ける。リリウムからのお小言に、少しばかり困った笑み。

こうして見れば、ただの男だ。
どこにでも居るような。

軽く笑みが浮かぶ。

「変わったよ。少なくとも、お前は特に」

言えば、一瞬の間ののち、首をかしげる仕草が返ってくる。

「そのようなつもりは毛頭ありませんがね。良い方向にですか?」
「ああ。当人や四六時中一緒に居るだろうリリウム・ウォルコットには、わからんだろうけれどな」

眼を閉じ、今度こそ紅茶に口を付ける。また眼を開ければ、顔を軽く赤らめたリリウムが居て、やはり指摘されるのはまだ恥が残るらしい。
初々しいものだ、そう思う。この娘は変わらんな、そうも思う。まあ、変わるべくも無い。この娘は。

「正直今のお前からは、もう思い出せんよ」
「・・・唐突に。何のお話ですか、セレン」

この変化はきっと、彼女がこの男から離れる少し前ほどから始まっていたのだろう。改めて観察して気付いただけで、あの頃にはとうに変化していたのかもしれない。
数年前セレン・ヘイズと初めて対面したこの男は、危うかったのを覚えている。不安定で、何を見ていたのか。

「セレン様?」

かつてのこの男に、多少の同情が無かったかと言えば嘘になる。男を育てると決めたのは彼女であるし、この変化を望んでいたかどうかは不明だが。

「―――いや、独り言だ」
「・・・過度の独り言は、老化の現れであると」

まあ、弟子の成長を喜ばん師も居ないだろう。思い、かつてのように拳を叩きこんだ。

割と良い音が響く、ランチタイム。
気持ちを切り替える。
ふと、疑問が浮かんだ。
 
 
 
「それで、いつなんだ」
「はい?」

セレン・ヘイズに倣い、二人が各々の飲み物へと手を伸ばしていた。二人の首が、仲良く傾ぐ。

「隠さんでも良いだろう」
「何がです?・・・ああ、式ですか?」

彼の言葉に、弾かれたようにリリウムが顔を向ける。その期待の込められた眼差しを横目で見ていたセレンが、何だ、まだ決まっていないのか。内心そう思う。

「まあ、それもあるがな。もう二年だ、子供のひとりは出来ただろ―――と、なんだ、大丈夫かリリウム・ウォルコット」

カップに注がれたカプチーノを零すことなく、器用に突っ伏すリリウム・ウォルコット。ぷるぷる震えている。ああ、とハイン。

「残念ながら、まだ先ですね」

苦笑いをたずさて口を開いた彼に、セレンの無表情。

「何だ貴様、初夜がどうこう気にする性質でもあるまい」
「まあ、毎週日曜日の夜―――」
「うわあああああああああちょっとハイン様一体何を!」

リリウムがビクンと飛び起きて、飛びつく。あっはっはとか何とか、爽やかな笑い声。

「何って、別に構わないでしょうセレンになら」
「構いますよ!構いますよお!」
「構いませんよね、セレン」
「ああ」
「わ、た、し、が、構うんです!人前でそういう事言わないでくださいって何度言えばわかってくれるんですか!」

ぶるんぶるん顔を横に振って、最近では中々見ないほど動揺する彼女を見て、少しばかり彼が渋い顔をする。おそらく、何か勘違いをしている。

「・・・まさか、まさか私は貴女に途方も無い苦痛を強いているのでしょうか」
「急に何の話ですか!?」
「"週に一度"では"構う"のでしょう?なのに私はなんて事を、私は、私は・・・!」
「違・・・ッ!それについては嬉しいといいますかですねむしろもっ―――って何を私は!?ちょ、何で!?セレン様何で傍観者と化してるのですか!?」
「いや、昨今中々こうも愉快な見世物もだな」
「う、うわ、うわ!違うんです、これは、違うんです!」
「リリウム、"もっ"というのは何ですか、"もっ"とは」
「ちょっとハイン様、ちょっと喋らないで!弁解を!私に弁解の機会を!セレン様!」
 
 
いや、弁解もなにも。思い、ちらと時計を見る。
午後1時。まだまだランチタイム。まったく、もう少し静かに出来んのかとか思う。焚きつけといて、酷い思いようであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「もう!本当に信じられません!」
「いや、それについては申し訳なく思っていますよ、本当に」

大層ご立腹であるリリウム・ウォルコットが、彼を置いて先に行く。苦笑いの彼が後に続き、謝罪の言葉を口にする。
痴話喧嘩である。数分続いている。
珍しい。

「嘘です!私が何で怒っているのかも分からない癖に!」
「いや、わかってますよ?先の会話の中での―――」
「言わなくて結構ですからね!」
「・・・失礼」
「もう!」

ずんずんと進まれて、彼が困った顔をする。まあ、引き金を引いたのは彼であって、報いを受けるべきも彼だ。
分かっていないだけで。

「だから、何度も何度も言ったじゃないですか!人前でそういう話はしないで下さいって!」
「いや、私にはいかんせんその線引きが―――」
「普通に考えたらわかるでしょう!」
「・・・すみません」

と、突然振りむいた彼女の切れ味鋭い眼に、彼がたじろぐ。立ち止まって、溜め息。
怒っている。相当に。瞬時にそう判断した彼が、言い訳の羅列を脳内で数パターン用意し始めた。無言、数秒。
すぐに一転。憂いを帯びたような表情をされて、彼が更にたじろぐ。一歩引く。

「・・・ふたりだけの秘密にしておきたかったのに」

恨みがましそうなその表情に、薄らと赤みが差している。
いやきっと怒られているんだろうと判断しつつも、その新鮮な表情に眼が行く。

卑怯と言わざるを得ない。

「何でそんな簡単に言ってしまうんですかぁ・・・」

・・・・どうしましょうこれ。抱きしめても良いんですかね。
俯き加減の彼女を見て、彼が決めかねる。泣かせかけている矢先、考え方によっては最悪の思考と言える。まあ、それで万事丸く収まると言えばそうなのだが。

「うお、ハインのヤツがリリウム泣かせてる」

手を伸ばして、と言ったところで、彼の視覚が友人の顔を捉えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
珍しい光景につい声を掛けてしまった事に軽く後悔する。

「ウィン・D様聞いて下さいあの人全然分かってくれないんですよもう本当何なんですかぁ!」
「落ち着いてくれリリウム・ウォルコット。伸びる、襟が伸びる」

そこそこ背の高い相方が、そこそこちっこいのに圧倒されている。何だ、怒ってるのか。
マズった。

「・・・今日も良い日ですね、ロイ」

少しばかり残念そうな男の表情を観察しつつ、視線を奥に向ける。何やら耳打ちされる、ウィンディー。

「・・・何したの、お前」
「いえ、少しばかり失言をば」
「ウソつけ」

"少し"の割には、相方の眉間にみるみる皺が寄って行く。耳打ちしているリリウムの顔の赤さから察するに、また公開処刑に近い何某かをしてやられたのだろう。

「お前な、あの娘を好きすぎるのは良いし、自慢するのも自由だが、時と場合をだな」
「ただですね、怒っているリリウムもまた可愛いんですよ」
「・・・だからってな」
「わかってますよ。怒らせてしまった事には後悔していますしね、以後気をつけようとも」

苦笑い交じりにそう言って、そのままの表情でリリウムにひとつ頭を下げる。
ぷいとそっぽを向かれて、あら、と呟いた。

「少しばかり、切なくなりますね」
「今回は俺も何も言ってやれんな。罰だと思って受け入れろ」
「むう」
 
大きなため息が漏れる。

「それで」
「はい?」
「お前ら式は―――って何だ、何だその顔」

怪訝なそれを向けられる。

「・・・いえ、軽くデジャヴをば」
「デジャヴ?」
「それは良いとして。まだ決めかねていますけれどね、今でも十分幸せなので、満喫しています」

相手怒らせてんのに幸せです、とか何とかあっけからんと答えられる男に、多少畏敬の念を抱く。

「まあ、幸せそうで何より」
「敢えて言うなら、貴方がた二人に先を越されたのは予想外でしたけれどね」
「羨ましいだろう。正真正銘の結婚指輪だぜ?」

これでもかと薬指を見せつけてやる。刹那、その首元を20センチ大の物体が掠めて行った。
豪速球とも言えた。
おそらく、ヒール。

軽い恐怖。

「・・・ほら、ウチの奥さん、恥ずかしがり屋でさ」
「・・・ほう。多少腕力が強いのは愛嬌ですか」
「愛嬌で殺されかけたけどな」

靴を拾い上げ、手渡しする為に彼女らへ歩み寄る。寄った途端、全力で殴られた。

「・・・痛え」
「やはり変わりませんね、ウィン・D」
「その男がいつまで経っても馬鹿だからな」

酷い言われようである。ハインに手を借りて立ち上がる。立ち上がりつつリリウムを見れば、大分落ち着いたように見える。やはり、誰かに聞いてもらうだけでスッキリするものだ。
まだ拗ねているようではあるが。
ウィン・Dの後ろに縮こまって、裾を掴んで、ハインを睨んでいる。
もう、姉妹にしか見えない。

「む、リリウム?私の前に出てきてくれはしないのですか?」
「・・・」
「リリウム?」
「君は、もう少し女の機微という物を勉強した方が良い」

口を開いたのは、壁役である我が相方だった。ハインを見れば、まさかウィンディーからお叱りを受けるとは思っていなかったらしく、呆然としている。

「だが」
「え?」

否定から入りつつ、リリウムの後ろに回り込んだ。
肩を抑えて、諭すように。

「君も歩み寄らなければ、リリウム・ウォルコット。もう十分怒っただろう」
「で、ですが」
「君はもう反省しているだろう?ハイン・アマジーグ」

唐突の質問に、答えられないでいる。
仕方ないヤツだ。

「おいハイン、反省してんだろ?」
「え、あ、はい、勿論ですよ」
「で、リリウムもいい加減、コイツの傍に戻りたいだろ」
「そんなの当然で―――って、うわ!ロイ様まで!」
「ほら、なら戻れって」

目配せすれば、頷いたウィン・Dが少し強めにリリウムの肩を押しやった。狙ったように隣に居たハインの懐に潜り込む。
か細い声が聞こえた。
もう大丈夫だろう。

「本当お前ら、世話が焼けるな」
「・・・いつぞやの貴方達にそのままお返ししますよ」
「少しばかりお節介だった部分含めてな。また食いにでも誘ってくれ」

言って、立ち去ることとする。
おそらく、これ以上此処に居ると胸ヤケするだろう展開が見てとれるからだ。

「行こうぜ、ウィンディー」
「ああ」

彼女を促して、部屋へ向かう。あいつらが幸せなように、俺たちも幸せだというところを見せつけてやらなければならない。
特に、この暴力的な相方には。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ、大切なもの全てを守るために生きてきた筈なのに
 
 
ただ、奪われたものの復讐のために生きてきた筈なのに
 
 
ただ、あの日を思うだけのために生きてきた筈なのに
 
 
それでも私は、此処に居る
 
 
あの子はもう、居ないのに
 
 
それでも、私は
 
 
私は
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
"Please,please,please hear my voice"
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふと気付けば、白い空間に居た。何となく、浮かぶような感覚。不思議なそれは、どこかで。

どこだ、ここは。
見回してみる。
真白。

目が痛くなるような白に目を細めて、奥行きが果てしない。

首が傾ぐ。
・・・そうだ。

彼女は?
 
 
彼女の名を呼ぶ。返事はない。もう一度、今度は大声。返らない。
何だ、これは。
違和感に、目を細めた。
 
 
――――――お久しぶりです、兄さん。

不意に掛けられた声は背後から。彼がその声を忘れる筈もなく、取り敢えずは一瞬で状況を理解する。
表情を微笑みに戻しながら、振り返りながら、その名前を呼んだ。

そこには、"彼女"。

「もう少し、こう、驚いてくれたって良いじゃないですか」

拗ねた顔。

「うん、それは悪かった」

悪びれる素振りのない謝罪に溜め息一つ。
笑顔が戻る。

「大人になったね、兄さん」
「・・・当然ですよ。私も、もう良い歳ですからね」
「あはは、似合いませんよ、兄さん」

お互いの笑い声が響いて消えた。そのまま、いつもの微笑みに戻る。いつもの雰囲気が戻る。

「でも、本当に久しぶり。きっと、十年ほどでしょうか」
「―――十年」

一言呟いて、顔を伏せる。懐かしいそれを噛み締める。

「その十年間、おまえを忘れる日は無かったよ」
「辛かったですか?」

間髪入れず、微笑みながら発せられた意地の悪い質問。苦笑いを返す。
どうかな、なんて曖昧に告げて、顔を上げる。

「けれど、確かにおまえに支えられてた」
「当然です。兄さんを支えるのは、私の役目でしたから」

過去形。
やはり、知っているらしい。
当然か。

「そうか」
「そうです」
「ずっと見ていてくれたんだな」

言えば、頷かれる。深く、深く。噛み締めるように。

「―――勿論。貴方の妹ですから」
「・・・本当に、僕には勿体ないね」

手を伸ばした。触れている筈なのに、感触は無い。
仕方の無いことだ。

「・・・改めて会っても、中々言葉が出てこない。話したい事なんて、山ほどあるのに」

少しばかり、自分の浅はかさを嘆く。横に振られる、懐かしい表情。

「大丈夫ですよ、兄さん。伝わっていますから」
「・・・例えば?」

そうですね。悩む表情へと移り、そのままジト目へと移行する。
軽く指を差された。

「例えば、兄さんがリリウムさんを心から愛してらっしゃることですとか」

直球で来られ、たじろいだ。いや、それは、うろたえてしまう。
自分でも珍しいと思う。
よよよ、とか何とか自身の口から発する彼女に、ようやくブラフと気付く。
余裕が生まれる。

「酷い、兄さん・・・私を置いて浮気だなんて・・・!」
「・・・いや、ウィル、そんなつもりは毛頭無いよ」
「うん、知っています」

あっけからんと微笑みが戻る。全く、出来た妹だと思う。

「だって、リリウムさんと同じくらい、私たちを愛して下さっていることだって、知っていますもの」
「・・・そうか、お見通しか」
「そうです、お見通しです。・・・私の、兄さんですから」

一呼吸。
何もない空間で、少しばかりの沈黙が生まれる。
彼女の声しか聞こえない。気配や、鼓動はそこにはない。風が吹いた。その感覚には覚えがあって、一歩踏み出す。

抱き留めた。

「ウィル」
「はい」

強い風が吹いて、いつかの光景が広がる。それは、あの写真の光景のようで、けれど彼もそこに居る。

「私は、幸せだ」

絞り出すように一言。少しばかり驚いた表情の彼女が、すぐに柔和な笑みを戻す。

「うん」
「本当に、幸せなんだ」

感触は無くて、それでも構わない。

「ずっと伝えたかった。お前に聞いてほしかった」
「―――うん、兄さん」

彼女の腕に、力がこもった気がした。
気がするだけだ。
勝手な妄想だ。そこに彼女は居ないし、けれど、それでも、別に構わない。

「本当に遠回りだったけれど、辛かったけれど、多くの罪を犯してきたけれど」
思い返す。彼女を喪ってからの記憶は、世辞にも良いものばかりとは言えないが。
それでも。

「それでも、私は」

言おうとした瞬間、更に強い風が吹いた。何かが舞い上がって、視界が薄れていく。

「―――そうですか」

身体が離れる。望んでいないのに。
数歩先。
あの頃と何も変わらない、その表情。

「ねえ、兄さん」

すぐそこで、ずっと会いたかった彼女が話しているのに。

「私も、幸せでした」

何も言い返せない。

「兄さんが幸せなら、私だって本当に、本当に、幸せなんですよ?」

ああ、そうか。これは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
――――だから頑張ってね、兄さん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
消えていく視覚に眼を覚ませば、そこに彼女が居た。心配そうな目を向けられている事に気付くのには、いくらか時間がかかった。

「大丈夫ですか、ハイン様―――わ」

思い切り抱き留めた。多分泣いている。そう思う。隠そうとした訳では無くて。

「リリウム」
「は、はい」

彼女がここに居る。居てくれる。
改めて思う。
私は、幸せだ。
何度言えば良い。
何度だって言ってやる。
だから、離れないでほしい。
ここに居てほしい。
貴女が居ないと駄目だ。
私は、駄目だ。
だから、本当の意味での家族に。
私の勝手だ。離れたくない。
改めてそう思った。
それだけだ。
 
 
「挙げましょう」
 
 
ああ。
この娘も望んでくれていれば、良いのだけれど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あの日から、5年後のこと。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夕暮れ時の空が澄んでいる。汚染の無い、穏やかな空間。夜が来る前の赤。
静かな静かな世界の中で、ただ時間が過ぎていく。

「旦那様」

彼を呼ぶ声が聞こえて、眼を開ける。向ける。最愛の女性がそこに居て、笑顔が濃くなる。

「此方でしたか」

穏やかに彼女が伝えれば、彼が身体を起こした。

「ええ。どうしました?」
「お夕飯ですよ。もう、良い時間です」
「ふむ。時間が過ぎるのは早いですね」

時折強く吹く風が砂を吹き上げ、視界を遮る。

「一日眠ってらっしゃったんですもの。お早いに決まっています」

苦笑いの彼女。彼も少しばかり驚いた表情をする。

「そうでしたか。どおりで、もう夕方な訳です」
「ほら、寒くなる前に戻りましょう?」

腕を絡め、ふたり、歩みを進める。風はそこまで強く無かったけれど、それでも間に隙間は無い。

「―――幸せですね」

彼の口から漏れる。言い聞かせる訳ではなく、最早単に口癖となっているそれを、彼女がくつくつ笑いながら受け止める。

「私も、幸せですよ」

彼女が足を止めて、ねだる仕草。唇が触れる。
少し風が強くなる。抱き留める。

二人を呼ぶ声が聞こえた。

「おや、お昼寝では無かったので?」
「私が出てくるときに、起こしてしまったかもしれませんね」

抱擁を解く前に、ひと撫でするのを忘れない。
ふたりで笑いながら、声の元に、ふたりで急ぐ。

「むう、両親の仲睦まじいところを見せつけてやるのも一興かと思うのですがね」
「十分に見せつけているので、これ以上はよろしいかと思いますよ」
「では、親子水入らずでのんびりすることとしましょうか」
「はい、旦那様」

ぱたぱたとふたり、駆け足。
彼らの居場所のすぐ前で、彼らの守るべきものが両手を振って待っている。
 
彼らの家族が、そこで待っている。
 
 
彼は今、確かに生きている。
 
 
幸せに生きている。
 
 
 
 
fin
 
 
 
 
 
 
 
 
 


+  主要登場人物考察 9/12更新

あとがき

半年ぶりです。雨晴です。ハインくんとリリウムさんのお話、いかがだったでしょうか。思えば足掛け1年以上、まあ半分は死んでいたわけですが。
色々書きたいことはあるんですが、何よりも何よりも、読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!
登場人物のところにも書きましたが、こんな設定だらけの主人公作ったのも初めて、こんな長いのも初めて、こんな甘いのも初めてで何が何やらでしたが、一応完結までこぎつけました。長かった・・・
・・・あれ?一杯言いたい事あったのに出てこない・・・出てきたら、ここでなぜなにでもやります。
では、またいつかお会いできることを祈って・・・有難うございました!


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