Written by へっぽこ


今日は学校へ行こうと思う。

と、言ってはみたものの、別段通うとかそういうわけではなくて。
ただちょっとお呼ばれしたので行って来ようと、まあそれだけの話だ。
事の起こりは一週間前。久々に僕らに届いた、たった6KBの依頼メールから始まる。
“話がしたい”との簡素で間抜けな依頼内容。差出人は世界で一番器用な人間。

正直言って悪し。
出来る事なら会いたくないし、関わりたくないというのが本音である。
なので別段強制力もないそのメールをうっちゃって、平和な日々にまた埋没するのも一興だったけれど、僕は少しだけ悩んでから、やはり受けることにした。

依頼人のその男には借りがある。
とてもとても大きな借りだ。
男のおかげで、僕はステージから降りられた。
今の生活があるのはこの男のおかげに他ならない。

“いいや、君にはもうネクストに乗ってもらいたくないのでね。この方が都合がいい。だから、これは私のためでもあるのだ。”
と、男はかつて言っていた。電話越しに。
が、だからと言って、はいそうですか、と、与えられた幸運をただただ享受して、勝手気ままに我関せずを気取れるほど、僕はわがままな人間では居られなかった。
またその男の一方的な恩着せというのも、なんだか癇に障る点である。

いくら僕が適当でなまくらな人間であろうとも、人として最低限の道義は無論守ろう。
要は“借りは返せよ、返せるうちに”ってこと。
そんなわけで、僕は重い腰を上げる。
やれやれだと嘆息し、浮かない気持ちで覚悟する。
面倒事は嫌いだ。
その男の事もいけ好かない。
だから本当に本音は行きたくないし、会いたくないんだ。
けれど筋は通そう。
今さらやってきた小さな借りを返す機会から逃げるつもりはない。
ささやかながら、義理を果たすのだ。

などと、なんだかちょっと偉そうな事を言っちゃったけれど、やる事はただ会って話をするだけで。
まあ、こんなことで全ての借りが返せるなんざ思ってないけどさ。

酸いも甘いも噛み分けようなどと達観するつもりはほとほとない。
詰まるとこ、僕はスイカには塩をふるタイプなのです。

     /

そんなわけでの登校であった。

付添い人にセレンさん。
呼ばれた自分一人ではないという点に、なんとも格好悪さが漂うけれど、セレンさんとしても、僕を一人差し出すというのは心もとなく有るようで。
並んで歩く。歩いて、ついには到着する。学校に。
僕ら二人、指定通りの時間と場所である。
学校というのはもっと騒がしいところだと、勝手に思っていたけれど、反して正門はとても静かだった。
そして佇む出迎えが一人。それは年端も行かない美麗白々なお譲さんだった。
彼女は極めて事務的に、「お初にお目にかかります。リリウム・ウォルコットです。」と二言で挨拶。
続けて「では、こちらへ」と、片手を上げて、付いてくるように促した。
僕らに名を名乗らせる事もなく、背を向け、彼女は黙々と歩きだす。

可愛い外見とは裏腹の、冷たい装いで表情もない。
口を衝きかけた挨拶を僕は飲み込む。
ちなみに彼女とは確かに初対面ではあるけれど、別段見知らぬ他人というわけでもない。だから、向こうにしてみれば名前をいまさら聞く必要もないのかもしれない。
こうして。
無言のままに案内されて通されたのは、会議室のごとき様相の、真ん中にぽつんと円卓の佇む広間だった。

そこには男が一人。
結構な老齢。彫りの深い無骨な顔立ち。刻まれた皺の濃さと、灰色めいた白髪が男の風格を後押しする。人としての年季の違いがありありと感じられた。
男の目つきは鋭く、睨まれ僕は委縮する。つーか普通に怖いのである。
今にも怒られてしまいそうな、そんな雰囲気。
まとう空気感だけでもかなりのものだが、しかし男の一番の特徴は別にあった。
男は車椅子に乗っていた。
老いの所為か、いつか怪我でもしたというのか、あるいは、もっと別の、職業的な理由なのかもしれない。
が、今ここでなぜと問うても仕方がない。答えてくれるとも到底思えない。
なにより、地雷かもしれないものを、興味本位に踏んで確かめるなどというのはバカのやる事だ。

部屋まで案内するという役を務め終えたリリウムは、静々と男に歩み寄り、その背に付いた。
「わざわざ呼び出して済まないね。君とは一度、面と向かって話がしたかったんだ。」
言いながら男は片手を上げてリリウムに合図を送る。リリウムは何も言わず車椅子の男を円卓の一点へと運んだ。
「掛けたまえ。君の席は用意してある」
男が指をさす先、確かに用意されていた。
円卓の、男のちょうど真正面に当たる位置。装飾椅子が一つだけ。
用意は一つ。僕だけの椅子。

「……」
僕はその椅子を見詰めて、
「座りたまえ」と促す男の言葉にざわついた。
リリウムはその場で待機し、男は椅子を見詰める僕の、次の行動を待っている。
誰一人として動かない。そんな状況がほんの数秒、不審に思った男が口を開く。
「どうした? 君が座る椅子は一つだ。さあ、座りたまえ」
そう一つなんだ。椅子は。
縮こまっていた僕の心に火がともる。
カチンときたのだ。

まるで。
まるでセレンさんを僕の付き人扱い。
視界に入れてもまるで彼女を見ていない、気にもかけない男の姿勢にカチンときたのだ。
人の憧れを下に見て、あまつさえ僕をその上に置きやがった。
“君の席は用意してある”
ふうん。
それで、セレンさんの席は?
ないってわけ。
まったく、なっちゃいない。
第一、僕らを代名詞で語るのならば、“君たち”と括れよ老いぼれ。
とても、久しぶりだった。
怒り。
この感覚は、久しぶりだった。

血が上った頭が、何でもいいから噛みつく種を探している。
そして思い出す。僕たちが初対面である事。
名前も知っている。電話で声も聞いた。というか、プロフィールを持っている。それはお互いに。
だからリリウムは僕らに名乗らせる事もなくここまで案内したのだし、男も何も言わないのだ。
暗黙の了解。よほどの馬鹿じゃない限り、僕が誰か、男が誰か、知っている。

けれど初対面であることに間違いはない。だったら―――
「誰だよ、あんた! ていうか……」
ぽん、と、肩に手が置かれた。
語気を荒立て噛みついた僕を、添えられた手が制す。
「むぐ」と、僕は口をつぐむ。
「緊張するのも無理はないが。気後れして小物ぶるなよ。隣できゃんきゃん騒がれるのはかなわん。ガキ臭くて痛々しいぞ」
声の主はもちろんセレンさんで、聞くだけで不思議と落ち着く、懐かしき棘付きボイス。
言葉の内容は少々以上に痛烈だったのでスルーする。

ふと肩に置かれたままのセレンさんの手に片手を重ねてみれば、瞬間セレンさんは手を引っ込めた。
なるほど。と、僕は息を吸い。
なるほどなるほど。と息を吐く。
なんだ、緊張しているのはセレンさんも一緒なんですね、と心が和んだ。
さあ。落ち着いて。
僕は円卓に歩み寄り椅子を引いて、
「よいしょっと」
掛け声なぞを一つ。
ガタンと場所を一つ横にずらして座った。

今の円卓の位置関係を時計で表すならば、隣にリリウムが控える車椅子の男が十二時。
そして僕はちょうど五時のポジション。
角度にして三十度の屈折をもって対峙する。

心持一つで態度は変わる。
それはACで言うところのモード変更に近いのかもしれない。
戦闘モードや通常モード、それから索敵モード、その他諸々、モードは多種多様にあるけれど、今、この場合、僕は僕らしく、普段通りである事こそが一番の適正モードで、そもそも緊張とか、怒りとか、そんな普通じゃないモードは体も心も硬くなるからよろしくない。
アウェイで余裕なくイラつくなんて、それこそなっちゃいないのである。
こんな時こそ、自由気ままに適当であることが僕らしさであるならば、用意されたルートにただただ沿うのは楽しくない。

この、椅子の配置換えはある意味スイッチ。反逆の。
相手の流れに寄り添わず、自分勝手な“らしい”行動をきっかけに、この場の流れに不意打ちをかけるのだ。
相手が何を考えているのかさっぱり分からない、長年の経験と強大な権力とを持つ者ならば、気持ちの上で相応の準備はしてしかるべきだ。
当たって砕ける気なんざ、さらさらないのよ。
そういうのは、そも余裕なんてあること自体が普通じゃない、いつだって切羽詰まっておたおたしてばかりいる人間のやることだ。たとえば、ダンとかね。

車椅子の男は横にずれた僕を見て、眉間に皺を寄せて組んだ両手を机に置きながら口を開いた。
「正面は嫌か? 意外と臆病なのだな」
低いトーン。威圧感が膨れ、年季と貫禄が音の波に乗る。
にやりとゆがむ口角とは裏腹に、その目はちっとも笑っていない。
けれど無駄です。
いくら凄んでみたところで、それは三十度の角度を持って僕の心を掠めるばかりだ。
ふふん。
僕はちちちと人差し指を振り、答えた。
「リリウムさんを正面に見ていたかっ――」
ぽかっと頭を叩かれる。
いひゃい。
舌を噛んだ。

「緊張をほぐすための冗談ですよ、もう」
僕は口をとがらせ、座ったままに首を回してセレンさんに斜め下からじとっと流し目を送る。
「知ってるさ。これはアレだ。突っ込み。緊張をほぐすためのな」
腕組み口元をわずかに釣り上げながらセレンさんは言う。
緊張をほぐすために暴力に走るとは。まったく。これだからセレンさんは。
「あ、お前、今とても失礼なことを考えたね?」
セレンさんは僕にだけ聞こえるぎりぎりの声量で、だけど存分に気持ちの籠った言葉を発した。
ちなみに籠っていたのは殺気でした。怖くて後ろ向けない。

いかん!
こういうときのセレンさんの勘には勝ち目がない。
ので。
そろそろ目の前の勝ち組二人に焦点を合わせる。

彼らと僕ら。
構図的には二対二。けれどえらく温度差を感じた。
それが僕らの先んずる漫才のせいなのかどうかは分かり兼ねるが。
「ごほん。本日はお招きいただきまして……。あーっと、早速ですけど僕に話って何です?」
会って最初の、一瞬口を付きかけた失態を包み隠すためにも、僕は名乗らない。

そんな口火に、男は大きく息を吐いて。
「いやなに。ちょっとした世間話をしようと思ってな」
ただそれだけ。拍子抜け。若干薄れる、男の凄み。
「はあ。年ですか?」
さらっと口をつく、そんな失言。うっかりうっかり。が、男はそれを聞き流す。
「かもな。だからこそ、言いたい事も、聞きたい事もあるのだよ。――今のうちにな」
うん、よくわかりませんね。
何を考えているのか、何が目的なのか、何がしたいのか。ああ、会話がしたいのか。
で、何を?

「外してくれないか。ここからは二人で話がしたい」
リリウムはそれに黙礼し、スタスタと男から離れて円卓の円周上に沿う形で半円を描きつつセレンさんの元へ歩み寄ると、涼しい顔でじっと見つめて、無言のうちにセレンさんに御同行を願っている。
それにセレンさんは応じて――。うげ!つまり僕は男と二人きりになる。
それはちょっと勘弁してほしいかな、と思った僕の頭をくしゃっと一撫で。
見上げた先でセレンさんは無言でくるりと背を向けた。
髪先が肩甲骨を撫でる。そのピンと伸びた背筋が美しいセレンさんは凛として、なぜか僕は“大丈夫だよ”と背中を押された気がした。

僕は二人の背中を、扉が閉まって見えなくなるまで眺めて、それから向き直った。
男はリリウムが消えても依然として変化なく、ただ僕だけを見据えて言い放った。
「そう硬くなる必要はないぞ。これは世間話だ。言いたい事を言い合う。それでいいじゃないか」
組んだ両手を解く男。
まったくもって嫌な予感しかしないのだった。
とても気の置けない話をする雰囲気じゃない。ていうか、顔怖いし。
そんなわけで、僕は心も体もいつもの調子で斜に構える。

それに、言いたい事なんて僕にはないよ。
ん、いや、一つあるかな。
「言いたい事。それだったら、」
せっかくなので先手必勝決め込んで。
椅子をずずっと下げて、体の向きを男に向け直して。
「その節は本当にありがとうございました。」
僕は頭を下げたのだった。

     ◇

それはORCA事変後の僕の処遇。
どこの企業にも属さず、どころか、傾倒すらせず。
使用するパーツは節操なく、機体構成もころころと変わる。
そのくせ戦果は確実で、依頼された仕事の達成率は実に120%。当初予定にないターゲットにすら対応する。
そんなスタイルからも明らかだが、僕はまさしく、完全で完璧で独立した中立に位置しながらも最強クラスの、扱いやすいようで扱いに困る、そんな存在だった――というのが、どうも企業連あたりの共通認識のようで、そんな彼らのそのまた一部の人間が呈した提案が、僕をカラードのトップに据える事であった。

最大限にして最孤高の、全企業に対するわけ隔てのない抑止力。
それは既にその組織体系を変化させつつあったカラードと、ひいては世界を変えるためにも必要だ、と、そんな話であったのだ。
いや、無理だろ。
と、僕は青い顔で首をぶんぶん振り辞退した。
謙遜ではなく。
本当に無理だから、辞退した。

僕には円卓をまとめる事など出来やしない。
器じゃないのだ。
力も心も信念も、何もかも、あるいは、何かあるものが。絶対的に足りていない。
足りていないと言うより欠けている。
持ち合わせは、きっと運だけで、それだけの僕は、世界規模のホワイトグリントには、どうやってもなれはしない。
だから降りると決めたのだ。

そうして、ネクストを降りるとカラードに伝えた後の話。
晴れて一方的ながら一般人になり果てた僕を、それでも面倒を見てくれたのはカラードで、廻り廻れば、今目の前にいるこの男のおかげだったりする。
一度も。戦場ですらも会わなかったけれど、全てを手配し道を作ってくれたのはこの男だった。
それが僕の借りであり、感謝だ。
受けて、男は返答する。
「本当にそう思っているのならば、カラードに戻れ。世界は既に次の時代へ推移しつつある。お前が戻れば、なお盤石。更なる調和を創り出せる。」
それはもう終わった話。そんなことは彼自身も分かったうえで、チクリと言葉を投げてくる。投げやりな物言いではあれど、それでも僕は困ってしまう。
「ごめんなさい。絶対に出来ない相談です。僕はもうリンクスではありませんから」
断固拒否する僕である。

「勝手だとは思わないか? あれだけのことをして、“もうネクストに乗らない”で済ますというのは。」
「そう言われると、心が痛いです」
「嘘をつけ。少しも痛んでいないのだろう?」
「あはは」
僕は笑った。

だってそれは、本当にその通りで、だけど仕方がないじゃないか。
出来ない事をやれと言われてもどうしようもない。
みんな持ち上げすぎるんだ。本当に大袈裟だ。
僕なんて、何かの手違いで上り詰めちゃっただけで、大番狂わせの連続と思ってもらって構わない。

それは例えば。
百回同じ人生を繰り返せるとする。
すると僕は九十七回、道半ばで死ぬだろう。
そして、二回ぐらいは別の結末を進む事になるかもしれない。
そうして、最後に残った百分の一、それが今現在の世界である。
それを僕はただ最初の一回で引き当てたってだけ。
これはそういう話です。
当時の僕はそれでも調子に乗っていたけれど、最後の最後で思い知った。

クラニアム。
いまわのきわ、無念とだけ呟いて四散したリンクスに、僕は確かに屈服した。
恐怖で全てが瞬間冷えた。血とか、心臓とか、意識とか、魂とか。
冷えて、氷のように冷たく硝子のように脆い心を露呈して。とどめとなったのは遥かな高み、影も踏めないほど遠く、高く、早く。激しくランデブーする二人の―――。

パキン、と、心に罅の入る音を僕は聞いた。
そうして気付いて、思い知らされた僕は、せめて分相応に戻りたくて、投げだした。
投げ出して、とぼとぼ歩く凡人の僕の前に現れたのは、それまで考えたこともない、世間一般の夢だった。
勝手だと言われても、今はもう譲れない。
それにすがって没頭するしか、僕は生きていけないから。

「一人の命を想う、それをあなたは愚かだと思いますか?」
「愚かだ。――と、昔の私なら思っただろうな。」
まるで、今は違うというような口ぶり。
眉間の皺が薄くなる。
表情が少しだけ軽くなり、一瞬の頬笑み。あるいは憂いとも取れる表情。

ああそうか、と僕は今更ながらに思い知る。
男もまた、大戦を生き抜いたリンクスで、それも僕とは比較にならないほど多くの戦場を駆け抜けたであろう彼は、もはや伝説と付けても不足はない老兵なのだ。
早々に舞台を降りた僕は、彼にはどう映っているのだろうか?
僕は顔を伏せる。
その答えは聞けそうにない。
怖くて怖くて。

“何が怖いの?”

え?
僕は顔を上げた。いま、何か聞こえた?
いや、気のせいか。

男は言った。
「今は幸せかね?」
「……あ。ええ、とても」
視線を外して僕は答えた。
「過去の事を投げだして、のうのうと暮らす事に、罪悪感はないのか?」
男の視線が痛かった。
「投げたつもりはありません。」
僕は頭を振る。ゆっくりと。
「隠したのです。」
全部、ひっくるめてなにもかも、見ないように、想わないように、気が付かないように。
僕の中に眠る、“あの時代”に丸々蓋をしたのです。

“だったら、怖くないよね”
「そうです。だから怖くないのです。」

でも駄目なのは分かっているんだ。
心(そこ)には罅が入っているから。
どうあっても漏れ出してきちゃうんだ。

だから、きっといつか僕は過去に殺されることになる。
少しづつ少しづつ。漏れ出したそれが抑えきれなくなって、暴発して。
そのとき僕の罅の入った心は音を立てて散々に瓦解するだろう。
それもそう遠くない未来の話だ。
何時になるかは、かろうじて分からないけれど。
見えないところで、もうカウントダウンは始まっている。

「器用な男だな、お前は。」と、男は言う。
「あなたがそれを言いますか?」と、僕は言う。
「私は自分をひどく不器用な男だと、そう思っているよ」
「それはどうして?」
単純な疑問だった。
男は車椅子の背にどっかりと体を預け、天井を見上げるように視線を上げながら大きく深呼吸した。
ほんの一瞬のインターバル。ほどなく。ある老兵の独白が始まった。

それは、とてもとても、おもい御話。

     ◇

男が一人。

とても正義感の強い男で、同時に曲がった事が大嫌いな男であった。
男の父はさる企業の管理職で、地位としては高い方。けれども、不相応な、至極不当な扱いを受けていた。
男はそれが不満だった。自分の尊敬する父が軽んじられている。
男の父親は誰よりも有能だった。と同時に、誰よりも貴い志を持っていた。
“世界平和”
そんな、父の息子たる男自身、鼻で笑ってしまうほどに馬鹿げた夢を、信じられないくらいの純情で追い求めていた。
その背は眩しく、扱いこそ不当なものであったが、決して折れない父の姿に、とても多くの事を学び、いつしか、その背を抜き去ることが人生の目標となっていた。

きっと。
私が父を抜き去る頃には、昇り詰めた父と共に、成就した世界平和を見下ろすことになるのだろう、と、そんな未来を夢に見ていた。

しかし、平和がやってくることはなく。
男の父親が歴史の表舞台に立つことはなく。どころか少しも出世することもなく。
ある日、ひっそりと父は亡くなった。
ただの事故で。平凡な単独の交通事故で。ニュースにすら成らない。我が最愛のヒーローは、世界の片隅で果てたのだ。

果たして、父が誰よりも優秀でありながら、それでも上へあがれなかった理由を、男はその企業に入って初めて知る。
答えは一つ。
男の父がアジア系モンゴロイドの人種であったからだ。
詰まる所、その企業は旧ヨーロッパを起源とする、極度の民族主義だった。
人種というたったそれだけの違いで、父は虐げられ果てたのかと思い知った男は、その事実を恨めしがる。
若者特融の青臭く、短絡的な考えが頭をよぎる。
復讐だ。

この時点で、道は二つに絞られていた。
簡単なのは壊すこと。外から。
難しいのは変えること。内から。
男が選んだ道は後者。
企業を。
ひいては世界を変えてやろうと、復讐の先に父の背を見たのである。

男を突き動かす原動力には父親に無いモノが混じっていた。
世界平和という純情可憐な献身に、いつか純粋な怒りが混じっていた。
あさましい人間どもへの怒り。
不条理な世の中に対する怒り。
叩き潰す為の、ハンマーが欲しい。男にとっての、悪の概念を徹底的に叩き潰す為のハンマーが。

そうして、男は必然、ある力に引き寄せられていく。
“アーマード・コア ネクスト”
誰もが一目置く圧倒的なその力が欲しかった。そう考えてからは早かった。
すぐさまAMSの適正試験を受けて、男は神に祈るのだ。柄にもなくね。
どうか私に才覚を。他者を屠る力を下さい。
今思えばおろかしい。
何がって“神に祈る”行為がだよ。

なぜなら神などいないのだから。

     /

ある夜のこと。
ふと、何かの気配に目が覚めた。

眠気を払う違和感の先を目で追う。
すると枕元に何者かが立っている。
亡霊である。

亡霊は何をするでもなく、言うでもなく、私をじっと、見詰めていた。

亡霊がくるりと背を向けた。
その背を見て、初めてそれが、誰の霊魂なのかを知った。
父だ。

待て。と、言おうにも口は動かない。
手も足も出ない。金縛り。

それでも私は、

     /

さて。
翌日知らされた適性試験の結果は極めて良好。
こうして男は、ネクストという力の化身を手に入れたのであった。
それが、男には父からのギフトであると感じられた。
その時、男は悟った。
追い抜くのではなく、バトンを受け取る。
正しく継承するのだ。
何を? 意思を!
父の、純情可憐な善なる夢を!
そこに復讐に燃える怒りは必要ない。
“アーマード・コア ネクスト”これは世界を平和にするための力。

さあ、始めようか戦争を。

男はこの時より歩み始める。それはひたすらに長く厳しい道程だ。
リンクスとしての地位を手に入れ、企業内でのし上がる切っ掛けを手にした男に待っていたものは戦場の慟哭。
むろん覚悟の上である。
企業のために、戦って戦って、それはひいては己が野心のため。
その道の果てに渾然と輝く世界の平和を目指して、戦い続けた。

ふと見下げた足元に、赤くつぶれた何かがあった。

ふと横を見る。
崩落しかけた廃ビルの、仄暗く奥の見えない窓枠から、ぎょろりとこちらを睨む無数の目玉を見た。

珍しくもない戦災孤児の集団。
それに気が付けたのは、男が戦場に慣れてきた証拠であった。
それほどになるまで戦った見返りは有った。
戦いに余裕が生まれた頃、男は企業内で、ある程度の地位まで上り詰めていた。
男は蓄えた力を、今こそ行使すべきだと決意し、彼らを企業に向かい入れることを決める。
だが、上層部はそんな面倒は背負い込むなと一蹴。
つくづく腐敗した彼らに、それでも頭を下げ続け、結局孤児たちは研究所(ラボ)送りとして手打ちとなった。
AMSの実験体としてなら孤児を迎えよう、と、そういう話。

己が理想のために子を助け、また背き、企業に仕える。
リンクスの被験者という立場の孤児たち、その面倒をみるとはそういう事になるのだろう。
研究所に送られた最初の子供たちは軒並み不遇の最後を迎えた。
“助けて”と、施設の白壁には血で書かれていた。
1stクラス最後の一人。その子の遺言である。

まだ、足りないらしい。人を救うには全然。力が足りない。
なのに、一方で殺してばかりいる。
戦場で大勢。たくさんたくさん。

まだ終わらないよ戦争は。

耳鳴りがする。
“助けて”
時折聞こえる悲鳴。それが幻聴なのかすら、分からないほど、ズキズキと頭が痛む。
誰かの声が消えてくれない。
以来、男の戦闘スタイルは少しずつ変化する。
戦場を遠く離れるようになり、遠距離戦に徹するようになる。

自分は生き残らなくてはいけない。
今もどこかで疲弊する子供たちの為にも。
ならば、これこそ最も自分に合ったスタイルだ、と自身を納得させた。
けれど本当は少しでも戦場から離れたかっただけで、足元にこびりつく肉の塊を見たくなくて、そのうわべをのみ取り繕った内心を見透かすかのように、耳に沁みついた阿鼻叫喚は鳴り響いた。
“いやだ”
“いたい”
“たすけて”
それでも男は戦い続けた。
絶対にステージからは降りなかった。
いつか必ず平和な日が来るからと、心の中で謝りつつ孤児を拾っては研究所へ送り、再び戦場へと赴いた。
“いやだ”
“いたい”
“たすけて”

やがて月日は流れ、リンクス戦争。
多くのリンクスが倒れ、ついには企業まで崩壊する中、生き残る事に主眼を置いた男の戦い方は身を結ぶ。
男は生き残った。
犠牲は多大にあった、が、男はその多くの出来事を抱えて、飲み込んで、更なる上を目指した。

しかし。
ようやく、ある種の兆しが見えてきた頃、それは起こった。
緩やかだが同時に着実に上り詰めていた男の足は、突如出現した壁に阻まれる。
壁は鉄でできていた。
重厚長大の。
数千の、あるいは万にも及ぶ人の手でやっと動く鉄の塊。
ネクストとは対極の存在。
人はそれをAF(アームズ・フォート)と呼ぶ。

「考えても見なさい。
 そもそも企業がなぜAFを作ったか。――それは我々リンクスの排斥だ。
 他企業どうしが争うのと同じ、企業内にも闘争はある。
 企業の根源に居座り続ける民族主義などという腐った考えを持つ輩は、その考えから私を事あるごとに虐げた。
 リンクス風情が政(まつりごと)に口を出すなと釘を刺された。
 耐えたさ。
 所詮彼らに出来ることなど私を罵倒する程度。すでに私は企業の大事な戦力なのだからね。
 どれだけ邪魔でも切る事は出来ない。そのジレンマがAFを形作った。他企業のそれも同様であろう。」

管理できない一人の英雄より、管理できる有象無象の集合体を重視した。
「AFとは、そういった大企業の上部に巣食う矮小な連中どもの、醜く膨れ上がった鉄の腫瘍に他ならない。
 それも悪性だ。早々に切除したかった。
 AFを推進し、私と対立する彼らが邪魔で邪魔で仕方なかったんだ。
 
 そこにお前がやってきた。

 我々の敗北は、同時に私の勝利を約束した。
 AF、SoM(スピリット・オブ・マザーウィル)という最後の暴力を失った彼らに発言権はもはやない。
 おかげで今はこの通り、晴れてBFFは私のものだ。
 この学校はね、私がBFFのCEOに就任した最初の年に始めたものなのだよ。
 始めたと言っても、最初は研究施設の一角を間借りしてのものだったがね。
 実験体としてではなく。人として、育てるために学校を始めたのだ。

 ―――そうだ、やっと、ようやく、私は彼らを救う事が出来た。
 しかし。そこまで来るのにどれだけの人間を犠牲にしたか分からない。
 メアリー。そしてウォルコット。
 ここにいる子どもたちもまた、その多くが傷を持っている。
 もちろん、あの娘。リリウムもまた、例外ではない」
 手離しでは喜べないと、男は口を噤んだ。

はたして男は立派だった。
恐ろしいほどの人格者であった。少なくとも今日の僕とは比較にならないほど。
志も、努力も、才覚も、神に愛されているかのごとく、けれどその一方で終ぞ矛盾を孕みつづけたこの男の精神と肉体は、一体どれだけ摩耗したのだろう。
開放された今でも、救う事の出来た人の幸せを願い、また犠牲にしてしまった人に対して贖罪する。
その生きざまの果て、行きつく約束の地はゴルゴダの丘なのかもしれない。

「それでも、ここまでやって来たのはあなたの力でしょう。それに、今の世界がかくあるのはあなたのおかげじゃないですか」
リンクス、企業、カラード、すべてに精通する男は、ここまで蓄えた力を文字通り平和に充てたのだ。
そうして、出来上がったのが今の世界。

平和は実現した。

随分と簡単な物言いではあるが、そうとしか言いようがなく、男の苦労は結局彼自身にしか知りえない事柄で、僕には到底測り兼ねる。
「そうだな。確かにそうだよ。けれどね、気がかりな事まだまだ多い。そしてその一つ、私の心を占める最も大きい存在に私はどう対処していいのかわからんのだ。
正直に言おう。お前にはそれの助けになって欲しい。それが今日、お前を呼んだ最たる理由だよ」

はい?と耳を疑った。
会話したくて呼んだんじゃなかったのか?
ここへ来てまさかの手のひら返しに僕はたじろぐ。
今までの世間話はプロローグだったってことなのか? あんなに重い自分語りが?
「悪いな、回りくどくて。元来の性分、いや、年のせいもあるのだろう。許せ。それにだ、どうしてだろうね。お前には話しておかなければならない気がしたのだ。」
男の生きざま。理想の為には犠牲もやむなし。
けれど犠牲者の事は忘れない。そうして掴んだ夢の裾野。
男の歩みは未だ続いている。
「はあ、なかなか聞きごたえのあるお話で。でも、今の僕に出来る事なんて何もないですよ」
これだけの話をされて、なおネガティブに首を振る。
「それは分からんさ。お前はあの娘に一番近い。境遇や立場。それは今でこそ大きく違うかもしれん。だが、それでも共有できる部分は大きいと、私はそう思っている。」

ええっと、つまりどうすればいい?
僕は顎に手を当てて首を傾げる。そんな僕を王小龍は横目に見つつ、かくして本題を話し始めた。
「私はリリウムが好きだ。溺愛していると言っていい。血は繋がっていなくとも、彼女は私の娘だよ。愛娘だ。だから、私はあの娘には誰よりも幸せになってもらいたい。そのためなら何でもするだろう。今となっては、命だって惜しくはない。」
つまりそれは、一つの命を想うこと。

「あの娘も孤児だった。その当時の仲間は皆死んでしまってな。いつの間にか笑わなくなっていた彼女に、私は気付きもしなかった。言い訳するつもりはないが、私も必死でね。時にはひどい命令もしたさ。死ねと道義の言葉も吐いた。
あの娘は、私を恨んでいるのかもしれない。」
王小龍は目を閉じていた。その瞼にはきっと過去の自分が映っている。大義のために、自分を殺し、他人を殺し、道を進む。
そして、その過去に嫌悪しながらも、後悔はないとしばし黙した。

「これは、贖罪。いや、ただの老いぼれの自己満足に過ぎないのかもしれん。
私は言った。もう、私に仕える必要はないと、好きに生きていいと。」
「ほう。それでそれで?」
「けれど彼女は変わらなかった。何も。それどころか、最近のあの娘はまるで元気がないようにも思える。
だから、お前に頼みたい。
せめてもの頼み、あの娘の友達になってやってはくれないか。 あの娘には、きっと誰かそういう存在が必要なのだろう。」
そこまで聞いて、僕ははあと溜息を吐いた。
「べつに構わないですけど、やれやれあなたは不器用だ。」

あーあ、なんだか面倒臭くなってきた。
僕は頬杖を付き、大きくあくびをした。

「じゃあこうしましょうか。今日この後、あなたはリリウムに自分がどう思っているかをありったけ伝えて下さい。そうすれば、その依頼、お受けしますよ。」
王小龍は下げた頭を上げた。その顔は苦虫をかみつぶしたような表情だった。
まったく、この人は本当に良い人だけど、それを伝えるのが心底苦手で、そんなところがやっぱり人間なんだと安心する。
そんなわけで善は急げ。
僕は立ち上がって、たたたっと駆け足で王小龍の後ろに回る。
「さあて、では二人を迎えに行きますか。」
車椅子のロックを外して取っ手を握る。
「おい、止めないか!」
「止めません」
僕はそのまま王小龍を伴って、すたこらさっさと円卓の会議室を後にした。

長い渡り廊下を時速十キロメーターほどで突き進む。
その途中、中庭へと続く道の向こう。
幾種類もの鮮やかな花の植えられた花壇の傍で、佇む二人を見付けた。
そして、その姿にほんの少し見惚れて、立ち止まる。
唐突に、王小龍が口を開いた。
「――一つだけ、訊き忘れた事がある。」
「何ですか?」
「SoMを破った時、何を感じた?」
「何も」
「アレには数千の人間がいたのだぞ」
「残念でしたね」
「それだけか」
「他に言いようがないです。」
「――そうか、いや、意地悪な事を言って悪かった。」
王小龍はそれだけを呟いて、口を閉じた。

暫しの沈黙の中、僕は思案する。
人を殺すのは、いけないコト。それは普通の人間、誰もが思う共通の認識。
では、それを犯す時、僕らに必要なものはなんだろうか?
王小龍には常に大義があった。
その戦いぶりは、時として蔑みの対象にされたが、それでも彼は貫き通した。
貫き通して、生き延びて、そして今、彼は多くの人々を救った。大安の世は彼無しではありえなかっただろう。
正解かどうかは分からないし、そもそもそんなものはないのだろう世の中に。
しかし、それでも王小龍の生き方は正しいと言える気がする。

けれど僕の場合は問題だ。
だって、何もないから。
人を殺すのに矜持は要らない。大義名分も必要ない。
ただちょっとだけ鈍感であればいい。それは心構えの話。
幸いにして、僕の戦場はひどく大きく雑多だった。

例えば、鉄の箱。
ふと耳を向ければその箱の中からたくさんの声が聞こえたり、聞こえなかったり。
中に何が入っているのかは知らないけれど、取り敢えず邪魔だから踏みつぶそう。
車輪の付いたその箱は道路をちょろちょろと走る。
そんなわけで、ひと思いにぐしゃっと、僕は足を振りおろす。
足の先がちょっと痛んだが、それでも歩く事に支障はない。
そして僕は、再び道を進むのだ。
依然として変わりなく。

僕はそう言う類の人間だ。
みんながみんな言う通り、僕に本当に力があったとしたら、一歩間違えば世界は取り返しのつかない事になっていたのかもしれない。
だったらやっぱり、僕は表の舞台から消えるべきなのだろう。
僕は自分が歪んでいる事を自覚している。
「あの、僕も一つ、いいですか?」
ふと浮かんだ疑問。せっかくなので尋ねる事にした。
「なんだね」
「僕は、死んだら天国に行けるでしょうか」

「難しい質問だな、それは」
遠くの二人がこちらに気付く。
リリウムは駆け足で、その後ろをセレンさんはゆっくりこちらに向かってくる。
僕は、少しだけ考えて、それから、二人に向かって大きく手を振った。
元気よく。

心を切り替える。
―――それでは、また。夢の続きを。


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