Written by へっぽこ
僕はネクストを降りたリンクスです。
言うまでもないがここでの“降りた”は職業的な意味であり、早い話、今の僕は無職という事だ。
だから正確には元リンクスという事になる。
いや、無職に関しては不可抗力なところが多分にあって、別に好きでごろごろしているわけではない。
なぜなら僕は、ここのところずっと、家の中でのいわゆる軟禁状態であったから。
しかしそれも仕方のない事だろうと反感反面納得はする。
いくら企業にも属さない独立勢力だろうが、いちリンクス。
そうそう自由は認められないのが世の中で、重ねて僕は“やらかした”リンクスであるのだから尚更で、ORCA事変後の混沌した社会が安定を取り戻すまでのしばらく、僕は某組織の監視下に置かれ、そんなわけでの軟禁生活なのだった。
そこに自由は確かに無かったけれど、だからと言って何か不自由していたわけでもなくて。
それはまるでヒモのように。ごろごろごろごろ。時間を持て余す日々は続く。
なんて退屈。
これが平和なのか?
これが平和なのだ。きっと。
そうして退屈な平和が世を包み、この街ができて早一年。
社会が一様の安定を見せ、僕の軟禁が解かれた今も、その在りようはあまり変わっていない。が、だからといって、どうするという事もない。
ただ、誰かさんへの心苦しさは常にある。
ずっとずっと。その気持ちは募るばかりだ。いつか恩返ししたい。
ともかく。
リンクスを止めてからの2LDK普通マンションレオパルス一室での生活は、不自由ないとは言ってもそれはそれは退屈なもので、おかげでこんな事ばかり上手くなってしまった。
チン―――と後ろで響く鈴の音。
ふわり立ち込めるバターと砂糖のこの香り。
オーブン開ければなお強く、甘くて柔らかい香りがより一層広がって。よしよし、とばかりに僕は鍋掴みを両手に装備し、中から鉄板を取り出した。
黒のあつあつ鉄板にはこんがり茶色に焼き上がった、一口大に練り上げられた小麦の塊が等間隔で鎮座する。所謂クッキー。
見た目の出来は上々、香りもよろし、これならきっと、味の方だって申し分ないだろう。
とまあそんなわけで僕は、気が付けば何処に出ても恥ずかしくない一介の主夫と化していた。
その気になれば、ケーキだって作れるよ?
さて、と。
僕はエプロンを付けたそのままの格好で、適当な皿にひょいひょいクッキーを移し、キッチンを後にする。
ダイニングテーブルの上になんとなく気分でハンカチを敷いて、その上に皿を置く――さく。
そんでもってテーブル上に置かれた今日の朝刊を手に取りつつ席に着く――さくさく。
さくく、と焼き立てクッキーを齧りながら新聞を眺めるが、大した記事もないのでほっぽって、代わりにテレビのリモコンをいじってみる。
ぼけーっと、カチカチチャンネルを変えていると―――
「げ!」
信じられねー野郎の顔が映ったので勢いで電源をオフに。
ふー。やれやれ、せっかくの怠惰なこの日和に、最弱ヒーローの溶岩並みに熱いサクセスストーリーを語るつもりは毛頭ない。
ないが一つだけ。彼は頑張っている。それは今でも。
僕と違って、これからも頑張る事だろう。
それは事実。それが事実だ。
僕は、ただ応援するだけだ。
みんなに囲まれ賑やかで、華々しい世界を駆ける彼を、僕は遠巻きに眺めて「頑張れヒーロー」と静かに拍手を送るのだ。
僕は席を立ってキッチンへと舞い戻る。
出来上がったクッキーは甘めであるから、こうなると紅茶が欲しくなるのが人情だ。
棚から薬缶を引き出して、水をはって火にかける事約3分、中略、晴れて紅茶の完成と相成りました。
出来上がった紅茶を持って再びダイニングで腰を落ち着ける。
取り敢えず一口、とそんな感じで紅茶をすすりほっと一息。
ふと見た時計の針は午後四時ちょうどを示して。
ふむ、まだしばらくは一人の時間が続きそうである。
ああ、それにしても、とあたりを見回す。
テレビもステレオもついていない部屋というのはなかなかどうして静かなもので、さくさくというクッキー砕く音だけが頭蓋に響く。
もう一口、紅茶を啜って背もたれに体を預けた。
じわじわ胃から全身に広がる心地よい熱に、半ばまどろみ、それから僕は目を閉じる。
まるで、起動前のネクストに乗っているような感覚だ、とそう思った。
そう、こんな感じて、深呼吸とかして、目を閉じて、精神を飛ばすのだ。
ぽん、と慣れてしまえばそれは簡単。
自分の意識が体から離れて、どこか別の場所に飛ばされていく錯覚。ちょっとした夢見心地。
少しだけ懐かしく、そして湧き起こるある種の感傷と憂慮は、駆け抜けた戦場を徒に想起させた。
結局のところ、僕は一体何がしたかったのだろう、とノスタルジックに昔の自分を反芻する。
勢い任せで主体性なく、依頼されたミッションをただこなし、戦場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して。
気付くと、勝利者の一人としてそこにいた。
ずっとずっと蚊帳の外だったはずなんだ。僕は。
どこか特定の企業に肩入れするでもなく。
舞い込む依頼を、どれにしようかな、なぞと神頼み。
ORCAに加わるチャンスもあったけれど、結局、答えを出さないうちに彼らは動き出してしまって、そうして、カラードでもORCAでもない、囲いの外をただぶらつきながら投げて寄こされる餌を待つ野良ネコ状態。
果たして戦いの先に答えはなかった。
聞こえてきたのはテルミドールの呪い染みた遺言と、ウィン・Dの遣る瀬も無い買い言葉。
半壊しかけた機体内で思い知った自分の実に薄っぺらな存在は、戦場に佇む鉄と銃で武装した案山子(かかし)を連想した。
――案山子の頭に白いカラスがとまってカアと啼く。
“考えて下さい。”
リフレインする、いつか誰かから投げ掛けられた言葉。
“――何の為に戦うのか。”
……僕は、ネクストを降りることにした。
以来僕は、今でも答えを探して彷徨っている。
あるいは、答えを探す事をすら放棄して、逃げただけなのかもしれない。
口から洩れる小さな溜息を隠すように、クッキーを放り込む。再びさくさくと口の中。
と、その時。ふいに玄関からカチャリと音がした。
突発的ではあったがタイミング的にはちょうど良かった。
僕はその音をきっかけに、うたかたの過去へと時間旅行していた意識を現実に引き戻す。
もう、何もかも過ぎた事だ、と、諦めをもってけじめとし、けれど気にしない程度には心に留めて、僕は静かに蓋をする。
一度、その場で大きく伸びして深呼吸。
クッキーの粉が気管に入ってコホコホ咽た。
ふぅと落ち着きを取り戻したところで冷めてしまった紅茶を一気飲み、心のリセットを完了する。
宵闇のような負の感情は、真夜中を迎える前に空元気でふっ飛ばす。
僕はそそっと席を立ち、ダイニングから玄関まで一直線に伸びる廊下に顔だけ出して確認、それから出迎えた。
◇
「おかえりー!」
「ただいま」
というまるでテンプレートな挨拶を交わして、御帰宅のセレンさんは廊下の途中、自分の部屋の扉を開けて、ハンドバッグをぽんと放った。
雑過ぎるとは思うけど、それはいつもの事なので気にしない。
片手にA4サイズの少々厚みある状袋を携えて、ダイニングにやって来たセレンさんは訝しげにあたりを見回して、
「―――なんだか甘い匂いがするな」
と呟きつつ脇に抱えた状袋をテーブルに置いた。
「これですこれ! じゃーん、クッキー焼いてみましたー」
言いながらクッキーを咥えてほれほれとその口をつきだす。
が、セレンさんはそのクッキーを普通に手で受け取るとさっくり一口で口に入れた。
軽くあしらわれた。ちょっとだけ敗北感を覚える。
時に、最近気が付いたのだが、セレンさんはクールとキュートのステータスを、どうやら反比例の関係に設定されているらしく、今はもっぱらクールスタイルで、それは確かにセレンさんらしいといえばらしいのだけど、僕としてはちょっぴり味気なく、また物足りなかったりする。
まあだからと言って、人的性格メモリをキュート度にのみ振り分けられても、それはそれで、もはやセレンさんじゃないとは思うけれど、しかし正直なところ今のは頬を赤らめつつも直接口で受け取るのがベストだと思うんだがどうか。
今度ポッキーゲームとかしてみよう。
なぞと画策しつつ僕は、一方で「お味はいかほど?」と素朴に直球を放るのだ。
対してセレンさんは「甘い」とそれを一言でもって打ち返した。
「えー、この甘いのがいいのに! わかってなーい」
僕は駄々をこねこね、早とちる。
「いや、別に甘すぎるとは言ってない。 ――そうだな。好きだよ、この甘さ」
言いながらセレンさんは、また一枚皿から拾うとさくさく口に頬張った。
あ、あっぶ! 嬉しさのあまり危うく落ちるところだった、恋に。
ていうか純情本音口撃は本来僕の武器であって、これでは立場が逆ではないか。
まあ、けれど嬉しかったのは本当で、だからここはそれを逆手に反撃することにした。
「でしょでしょ? ほら仕事で疲れた時は甘いものがいい、なんて言うじゃないですか!」
「ん、確かにな」
肯定し頷くセレン女史に僕は突貫する。
「forせれんwithらぶ――みたいな!」
ってこれ、軽く諸刃の剣だけど、反撃にはこれぐらいの思い切りが必要だろうと思ふ。
特に防戦一方の時は被弾覚悟でとっついた方が案外うまくいったりするもので、ほら、さっそくセレンさんは僕の台詞を聞き軽くフリーズして。
それから、くくっと含み笑いをした。
やば、恥ずかしくなってきた。
セレンさんはそのまま可笑しそうに肩を小刻みに上下させつつ、
「それは嘘だ」
見透かしたようにそう言った。実際見透かしているのだろうと思う。何かしらを、あるいは何でも。
「馬鹿な! なぜばれた!」
演技でもなんでもない、素のレスポンスで僕はたじろぐ。
「普段の私がこの時間、ここにいるわけない事をお前も知っているだろう」
「ぐぬぬ」
しくじった。
そうだ、いつもならセレンさんの帰宅はもっと遅い時間なのに。不覚。
セレンさんのターンは続く。
「まあ、嘘でもいいさ。 可愛かったぞ、滑稽で。」
華麗すぎるとどめだった。
ぐあーー。と頭抱えてそこらへんをのた打ち回りたい衝動にかられるが、けれど立ち上がる気力無く、パタンと僕はダイニングテーブルに突っ伏した。
意気消沈。心が折れるほどの完全敗北。
何故だか妙な清々しさもあるけれど、そんな事を口にしてセレンさんをつけ上がらせる事は当然しない。
「あ。ていうか、なんで今日はこんなに早いんです?」
むしろ聞くならこっちだ。僕は依然机の上にだらけながらも顔だけを上げて尋ねた。
「単純に仕事が早く上がっただけだよ。それから――」
言いながらセレンさんは机の上の状袋を滑らせて、僕の目の前に動かした。
「なんすか? これ」
「友人に頼まれてな。タイトルが決まらなくて悩んでいるそうだ」
僕はおもむろに状袋の封を切る。と、中から出てきたのは一冊の絵本だった。
きちんと製本された、けれど無題の絵本。
表紙に描かれているのは首輪をつけた白いけもの(ネコみたいな何か)と並んで桜色の傘を差す女の子。
シャープさ皆無の、ひたすらやこいタッチは可愛げがある、というか可愛げしかない。
和む和む。
「へー、それで?」
僕は表紙絵に和みつつ、セレンさんに続きを促した。
「それで、お前の意見を聞こうと思って持ってきた。」
「でも頼まれたのはセレンさんなんですよね。それならセレンさんが考えるのが筋なんじゃ?」
「いや、まあそれは確かにそうなのだが、私は……ほら、そういうのは苦手だからな。代わりに力になってくれると助かる」
そういうのって、どういうのだ?
「ま、セレンさんがそこまで言うなら、別に構わないですけど」
美人に頼られるなんて、男冥利に尽きるよね。
「ああ、頼むよ。」
セレンさんはそれだけ告げると、キッチンに向かった。
そしてカウンターキッチン越しにお声が掛かる。
「なあ、お前も要るか? お茶」
ちなみにセレンさんの言うお茶とは基本的に緑茶のことで、僕はテーブルの上の、先に自分で入れた紅茶ポットを一度見遣り答えた。
「お願いします!」
言って半ばぬるくなった紅茶をポットのままに、ぐぐーっと一気飲みした。
「ん? 何だ紅茶があったのか?」
「いいえ。空っぽですよ!」
ふう、セーフ。
そうそうセレンさんが僕にお茶を淹れてくれる事など無い、ので、チャンスがあれば逃しません。
僕はセレンさんのお茶を楽しみにしつつふと絵本のページを捲り―――
「おおー」
と図らずも感嘆の声を上げた。
目の前に広がったのは、ひたすらにファンシーでラブリーな、見開きA3サイズのワンダーランドだった。
◇
そうして、件の絵本を読み終えて僕はパタンと最後の一ページを翻す。
ワンダーランドは元のA4サイズに折り畳まれて消えた。
本の内容は良くも悪くも一本気な、女の子と白いけものの出会い寄り添うお話で、それがどこかポエムめいたですます調で綴られる牧歌的趣向。
絵の味わい込みで最高にチャーミングだった。
僕は裏表紙を眺めつつ、絵本の余韻に浸りながらお茶を啜った。
なんというか、とっても甘々な、それは僕のクッキーが霞むほどで、僕はダイニングテーブルを挟んで対面の席でお茶を啜りつつ、四分の一サイズに畳んだ新聞を読み耽るセレンさんを見詰めて、思うところあって席を立つ。
そのままそっと、セレンさんの後ろに回り込み、彼女がお茶を机に置いたのを確認し行動開始である。
理詰めな人は突発的許容範囲外な事柄にはめっぽう弱い、というのが僕の持論で、裏付けにそれはセレンさんとて例外ではなく、だからこそ、僕はいきなりに、なんの前触れも断りも無しに、その瞬間まで気配すら殺す勢いで、ただ突然にぎゅぅと後ろから抱き締めるのである。セレンさんを。
「―――ゎッ」
セレンさんは口元に手を当てて、ううんと咳払いをしてごまかすが、確かに聞こえた小さな悲鳴と確かに感じたぴくっという体の振動。
「……なんだ、急に」
「いや、ちょっと」
「あつくるしいぞ」
「我慢して下さい」
「ん、ところで」
「絵本ですか? 考えまとめ中」
「そう。」
あつくるしい、と言いつつもセレンさんは特に身じろぐ事なく至極平静で、そんなわけで僕は暫しの間抱き締め状態をキープする。
「いやはや、何とも人恋しくなる本ですねぇ」
と呟き呟き体を離してそのまま近くの壁に背をもたれた。
「そうだな」
同意というよりか受け流すに近い反応のセレンさん。その背中に僕は更なる感想を投げかける。
「流石の僕も、セレンさんにハグしたくなるほどの甘味っぷりには脱帽です。あと、なんつっても絵がいいですよね、その和み絵が」
セレンさんは新聞を机に置くと椅子を斜めに引いて、横向きの態勢でこちらに顔を向けた。
「伝えておくよ。きっと、著者も喜ぶだろうから。」
ちょっと照れ臭そうだった。
著者は友人との事だけど、かなり近しい間柄なのだろう。
そのはにかみに素直に見惚れつつ、僕は感想を一度差し置いて、頼まれ事の方へと話向ける。
「それで、タイトルですけど、」
「ああ、そうだったな。思いついたのか?」
「まあ一応、その…さくらねこ、とか良くないですか? ほら、可愛い感じがピッタリだし」
なんだか、言ってて自分でもちょっと適当な感じがしなくもないけど、なかなかどうして、白いけものとピンクの少女と、淡いピンクと、桜の木がこう、ね。
言葉にできないアンサンブルがあると感じたのだもの。
タイトルとして申し分ないと僕は思うが、しかしセレンさんはそうでもないのか、あるいは何か気にかかる部分があるのか、俯き加減に小さく口を動かして微かに「さくらねこ」と口にしつつ思案した。
「他には?」
と、更なるアイディアの要求に僕は首を左右に振る。
「これが限界です。あと、これ以上見合ったタイトルもないと思います!」
極めて短絡的な素人考えだけど。
「大きく出たな。しかし、その、なんだ」
セレンさんはあまり乗る気じゃない御様子で、少々つれない感じに口籠り、
「ちょっと可愛い、な。それ」
放たれた強烈なキラーパスは僕の胸を滞りなく打ち抜いた。
「な」
なんですかその、まるで絵本中に描かれてる女の子見たいな反応は。ほとほと反則だ。
乗り気がないのではなく、こっ恥ずかしいのだ。セレンちゃんは。
僕は呆気にとられて壁にもたれるどころか、背中全体で張り付き目を丸くきょとんとして口をあぐあぐ。
傍から見たらかなりアホっぽいだろうが仕方ない。それほどの衝撃だったのだ。
「いや、何でもない。意見、助かるよ。それでいこう。あ、いや、ごほん。伝えておこう。」
ふいと視線を横に外してセレンさんは言う。
その語気は既にいつも通りで、だから顔が赤く見えるのはきっと、窓から差し込む夕日のせいなのだろうけど、僕の脳内ではそれが勝手な解釈に置き換わる。
ところで理性はついさっき消えました。
具体的には、伏し目がちにちらちらとこちらを覗くような上目遣いを見せるセレンちゃんが放ったキラーパスが僕の耳に届いた瞬間、ハートを打ち抜かれたその衝撃で理性は見事に霧散した。
そうして理性が消えてしまえば、あとに残るのは感性で、たとえそれによる思考の矛先が人としてちょいとずれていたとしても、歯止めは利かないのである。
そんなわけで、僕は再びセレンさんの元へとじりじりと歩み寄り、ハグしようと両手を広げて――――ズバン、と丸めた新聞紙のカウンターをおでこにくらうのだった。
「あう」
体がぐらりよろめいて、そのまま背中から床へ着地、こう、すてーん、と。
そして目を開ければ天井が見える。
ぶっちゃけ真っ二つにされたかと思ったけど、うむ生きてる。と間抜けに生を噛みしめながら、果たしてセレンさんは何故に僕に面打ちしたのかを軽く考察し、単純に嫌だったからという身も蓋もない結論を一も二もなく握りつぶす。
たぶんセレンさんなりの照れ隠しだろうと、無難で誰も傷つかない落とし所を見付けて、その通り型に嵌める事とした。
そうして早速、もう照れ屋さんなんだから、と内々で脳内処理――ていうか、ある種の妄想(実に健全)――していると、
「さっさと起きろよ。邪魔だから」
なんて、死ぬほど痛烈なお言葉と共に、ふいに視界にフェードインする、丸めた新聞紙を肩に担ぎ高圧的に見下ろすクールビューティ、もといセレン様はとても残念なことにスラックス姿であった。スカートだったら最高のアングルだったのに。畜生。
しっかし、セレンさんももう少しでいいからたおやいで欲しいものだぜ、とそう内心で悪態を吐きつつ、僕は体を起こそうとして、ふと止めた。
半ば起こした体を再びごろり横たえて大の字。
寝転がったまま、両手をセレンさんへ差し出して「おこしてくれー」とのたまう。
まあ、ちょっとした気紛れっていうか、なんていうか。突っ込んだら負けですよ?
対して、はーとこれ見よがしに溜息を吐くセレンさんは「仕方ないな」と一言呟き、片手の新聞を机に置いた。と、そこまでは良かったのだけど。
代わりにお茶の入ったコップを持ちだし、僕のちょうど顔の上、約百センチの中空へ据えるのはどう考えてもよろしくない。
そして響くセレンさんの最後通告。
「三秒待つ。三、二、」
「あ、起きます起きます」
流石に緑茶のシャワーは御免蒙る。やれやれ今日のセレンさん、いろいろと本気で手強い。
僕は立ち上がってぱんぱんと埃を払いながら何事もなかったかのように席に戻り、元凶たる絵本をペラペラ捲って、最後のページ、著者の項でその手を止めた。
スミカ・ユーティライネンというペンネーム。
どうやら新人さんらしいが、いやはやどんな人なのだろうと気紛れに空想する。
こんな角砂糖みたいな絵本を作る人なんだ、きっと、華のように可憐でおしとやかな美少女に違いない。
なんて、益体もない事をひたすら考えつつ、僕は、いつの間にか最後の一枚になっていたクッキーを手に取って
「セレンさんセレンさん、クッキーをどうぞ!」
と、口に咥えて顔を近づける。
「ああ貰おう」
と、セレンさんは手を伸ばして、僕はひょいとそれをかわす。
それから、ちっちと人差し指を左右に振って、
「ただし、受け取るのに手は使わない事!」
と、取って付けたような裏ルールを告げた。
みるみる下がるセレンさんのクール度と、代わりに鰻登るキュート度。
そして、
「………バカ」
僕は、なかなかどうしてセレンさんも乙女だよなあ、と、そんな事を思った。
クッキー、やっぱりちょっと甘すぎだったかも。
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