Written by ウィル


 ――三日前、午前十一時三十五分。高空プラットフォーム、《クレイドル01》にあるGA本社にて。

 遠くに廃墟の群れを望む、広大な灰色の砂漠。そこで、左脚から火花を散らした緑色の重量二脚型ネクストと、だらりと左腕をぶら下げた砂色の中量二脚型ネクストが対峙している。
 両者の優勢は、一見して明らかだった。少なくないダメージを負ってはいるものの、全ての武器が使用可能な状態にある緑色のネクストに対し、砂色のネクストはほぼ大破したも同然という状態だった。傷だらけの装甲も、火花を散らす駆動系も活動限界すれすれといった有様で、辛うじて繋がっているだけの左腕に取り付けられたレーザーブレードを始め、背部の武装も失い、使用可能なのは右腕のレーザーライフルだけ。もはやこれまでか、と映像を見る誰もがそう思ったに違いなかった。だが、
『……す、……す、……す』
 緑色の重量二脚型ネクストが両腕の銃器を構え、砂色のネクストに狙いを定めたその直後に、何を言っているのか聞き取れない、うわ言めいた声が聞こえてくる。掠れてはいるが、まだ若い男の声――少年と言ってもいい年頃のものだな、と何とはなしに彼が思った直後に、異変は訪れた。砂色のネクストの半壊したカメラアイが真っ赤に輝き、背部や肩のブースターから巨大な噴射炎が吐き出されていったのだ。
『……え? ……なっ!?』
 緑色のネクストのリンクス、まだ年若い少女が声を上げる。訝しむ声と、その直後に上げられた、驚愕の叫び。
 無理もなかった。もはや満足に動けないと思われていた砂色のネクストが、先程のそれをすら上回る、凄まじいとしか言いようのない速度で動き始めたのだから。機体の倍はあろうかという巨大な噴射炎を肩から、背中から噴き出し、炎と一体となったぼやけた影と化した機体の中で、複眼型のカメラアイから発する禍々しい赤い光の軌跡だけが残像めいて見える。
 それは緑色のネクストの周囲を縦横無尽に飛び回り、青白いプラズマの炎と、それをすら圧する赤色の光跡を残していく。圧倒的な機動としか形容しようのないその動きに、とっさに距離を取った緑色のネクストが、両腕の銃器を左右に巡らせ、赤い光の軌跡を追おうとするが、それはこの敵を前にしては如何にも遅すぎる動きだった。そうして、
『何なの、これは……!? ……っ!』
 少女が戸惑った声を上げた刹那、緑色のネクストに向かって右方向に移動した影から、強烈なオレンジ色の光条が伸びてきた。それはプライマル・アーマーをあっさりと貫通すると、とっさにそちらに向けられた緑色のネクストの右腕のライフルを直撃し、長大な砲身の半ばと、大型のボックスマガジンを焼き貫いていた。砲身やフレームが熱した飴のように溶け落ち、膨大な熱量に晒された大量の弾薬が余さず引火していく。危険を察した緑色のネクストがとっさにそれを手放した次の瞬間、ライフルだった残骸は空中で爆発し、周囲に爆炎と破片とをまき散らしていった。
 大量の金属片がプライマル・アーマーをさざめかせる。緑色のネクストが慌てて機体を急速後退させ、被害半径から離脱していく。砂地に二本の轍を残しながら何とか態勢を立て直した機体が、残った無反動砲を前方に向けて構えるものの、蹴り散らされた砂塵と青白いプラズマだけを残して、赤い光跡は既にその場を離れていた。尋常でない加速とスピードだった。
『だ、ダブルアクセル!? しかも、こんな連続で……!?』
 その速度の正体を看破した少女の声を、それがどうしたと嘲笑うかのように、赤い軌跡は周囲を動き回りながら、右腕のレーザーライフルを次々と撃ち込んでいく。元々プライマル・アーマーは貫通力の高いレーザー兵器に弱く、さらに実弾防御に偏重したGA機は、その代償としてエネルギー兵器を苦手としている。緑色の燐光の幕がオレンジ色の光条によって吹き散らされ、重装甲を誇るはずの緑色のネクストの装甲に、無数の黒い焦げ跡が穿たれていく。
 刻々と位置を変えていく赤い光跡。その輪の中に完全に閉じ込められた緑色のネクストは、もはや満足な機動もままならなかった。何しろ、緑色のネクストが前後左右にクイックブーストで動こうとも、砂色のネクストは完全にそれを上回る動きで先回りし、的確にレーザーを撃ち込んでくるのである。完全に相手を捕捉した向こうとは対照的に、左腕の大口径無反動砲は虚空を右往左往するばかりで、ロックオンすら満足にできずにいた。
『ろ、ロックオンが……間に合わな……、……っ!?』
 はっとした声を上げた時には、既に懐に入り込まれていた。至近距離まで踏み込んだ砂色のネクストが、レーザーライフルからオレンジ色の光条を連続で照射しながら、右腕を横に振るう。その結果は驚くべきものだった。もはや即席のレーザーブレードと化したそれが、緑色のネクストの左腕に装備された大口径無反動砲の太い砲身と、それを保持した左腕を焼き貫き、断ち切ったのだ。
『嘘でしょ!?』
 驚愕の叫びとともに、焼き切られた砲身と弾倉が至近距離で暴発し、緑色のネクストの左半身を焼き焦がしていく。あっという間に両腕の火器を失った緑色のネクストは、もはや至近距離戦に対応する術を失っていたが、それでも何とか反撃しようと、後退しながら両肩の連動ミサイルポッドを展開しようとして――
『きゃああああああああああああっ!』
 少女の悲痛な叫びが響く。離脱しようとした敵機を追うべく地を蹴り、爆発的な勢いで急加速した砂色のネクストが、その勢いのまま、あろうことか緑色のネクストの腹部めがけて、強烈な蹴りを喰らわせてきたのだ。
 破滅的な衝撃に耐え切れずに吹き飛ばされた緑色のネクストは、まるでキューに突かれた手玉のようだった。砂丘を抉り、砂塵を巻き上げながらもんどりうって後ろに倒れ込む緑色のネクスト。そこに、
『うう……こんな……うあぁっ!?』
 いつの間に追ってきたのか、至近距離まで踏み込んだ砂色のネクストが、倒れ伏した緑色のネクストの胴体を抑え込むかのように、全体重を乗せた左足でもって踏みつけにかかったのだ。二百トン近い荷重に耐えきれず、ぶ厚い装甲に覆われた胴体部が、みしみしと音を立てて歪んでいく。
『は、反撃を……!』
 それでもなお、少女の声は諦めてはいなかった。緑色のネクストが身を捩りながら、両肩のミサイルポッドの発射口を上に向けようとして――
 その時、ごつん、という音がした。緑色のネクストのコックピットがある腹部に、砂色のネクストがレーザーライフルの銃口を突きつけたのだ。そうして、
『ちょ……、待っ……』
 制止の声を無視し、ゼロ距離から次々と照射されていく膨大な熱量を持った光条が、緑色のネクストの腹部を焼き抉っていく。ぶ厚いはずの装甲板が真っ赤に赤熱し、溶融した金属がクレーター状に焼き抉られ――そうして数秒も経たないうちに、緑色のネクストはその活動を停止していた。コックピットごとリンクスを焼き潰されたと、シミュレーターに判断されたのだ。
『……負け、た……? こんな……こんな事が……』
 戸惑う少女の声に答える者はいない。あお向けに倒れ伏し、もはやぴくりとも動かなくなった緑色のネクストを睥睨しながら、砂色のネクストもまたその活動をしていき――

「……こいつは酷いな」
 巨大な円卓が置かれた、薄暗い会議室。その一角を占める大型モニターに映し出された戦闘記録を眺め、暗褐色のスーツに身を包んだ大柄な壮年の男性――GA最高位のリンクスであるローディーは、苦渋に満ちた声で呟いていた。
 昨日、カラード本部で行われた、ある非公式試合の映像。初めて見せられたその映像を見終わって最初に彼が感じたのは、まさにその第一声のままの感情だった。すなわち、緑色のネクストを倒した砂色のネクストに対する怒りと、それを知らなかった自分自身に対する後悔である。
 これではまるで、なぶり殺しだ。昨日の晩、欧州から戻ってきた彼女がひどく落ち込んでいたのは、このせいだったのか。知らなかったとはいえ、もう少し強く励ましてやるべきだったか、とローディーは深く自省し、頭を垂れた。当然、その隣の席に座っていたベージュ色のスーツを着た中南米系の男性が、またか、とばかりに嘆息したのは彼にとって知る由もなかった。
 そんなローディーの事などお構いなしで、大型モニターの横に立った、金糸で龍の刺繍が施された黒い支那服に身を包んだ白髪の老人――BFFの重鎮にして最高レベルのリンクスの一人でもある王小龍は、ローディーのいる方へ向けて鷹揚に両手を広げると、
「さて……現役のリンクスとして、何か感想はありますかな、お二方?」
 その質問に片手を上げたのは、ローディーではなかった。ローディーの何席か隣に座っていた、黒髪を後ろになでつけ、アジア系らしからぬ大柄でがっしりとした体格を黒いスーツ姿に押し込めた、厳つい顔の壮年の男性――GAグループの一翼である有澤重工の社長にして、現役のリンクスでもある有澤隆文が、ゆっくりとした動作で立ち上がると、巌めいた声で答える。
「……見事、としか言いようがないな。凄まじい機動性ばかりに目が行きがちだが、その機動性をあのリンクスはよく乗りこなしている。反応も早く、判断も的確だ。私も長い事戦場に身を置いてきたが、あんなレーザーライフルの使い方は見た事がなかった。彼女には悪いが、勝ち目は――薄かったと言わざるを得んだろうな」
 最後の方は、ちらり、とローディーの方を見て、慎重に言葉を選びながらといった風の発言だった。彼はローディーとも、そして彼女とも浅からぬ親交がある。それを慮ってのものだったのだが、そんな有澤隆文の物言いに、黒衣の老人は薄い笑みすら浮かべ、
「ほう。では、仮にこれが貴方であれば如何か、有澤氏?」
 挑発するかのように聞いてくる。その陰湿な物言いに、当の有澤隆文は厳つい面相に浮かべた不快感を隠そうともせずに、
「ふん、並み以上の相手だろうと撃ち負けはせんよ。……当たるのであれば、だがな」
 その答えに、ローディーはかすかに眉をひそめた。基本的には剛直かつ豪放、自分の腕や自社の兵器に対する自信に満ちたこの男が、このような保険めいた言い回しをするのは珍しい。つまりはそれだけ、あのリンクスを脅威だと認識した証左か、とローディーは思った。
「グリンフィールド氏はどうですかな? 何やら思うところがおありのようですが」
 そうして有澤隆文から視線を外した王小龍は、本命とばかりにこちらを名指しで尋ねてくる。ご丁寧に姓――ローガン・D・グリンフィールドというのがローディーの本名だ――で呼んできた黒衣の老人に、ローディーは立ち上がって相対すると、慎重に言葉を選びながら答えていく。
「基本的には有澤隆文氏と同意見だ。あの尋常でない動きに高い攻撃性は、間違いなくカラードランク一桁台に相当するだろうな。中量級の《タイプ・ランセル》で、それもあんな状態の機体で、よくもまああそこまで動けたものだと、感心するより他にない」
 それは、ローディーの率直な感想だった。《タイプ・ランセル》は中量二脚型ネクストの中では軽量の部類であり、なおかつあの機体はブースターをより高出力のものに換装しているようだが、それを加味してもあの機動性は驚嘆に値するものだった。あの地面を蹴る動きとダブルアクセルを併用した結果なのだろうが、それを考慮したとしても異常としか言いようがない。感心するより他にないという言葉は、ローディーの偽らざる本音だったのだ。
「ここにいるお歴々には、我が社のリンクスが苦もなく捻られたように見えたかもしれないが、私はそうは思わない。むしろあんなものを相手に、あそこまで食い下がった彼女をこそ褒めてやるべきではないかと、私は思う」
 そう続けたローディーの言葉に歩調を合わせるように、隣に座っていた中南米系の男性――GA社作戦本部部長であるエンリケ・エルカーノが手を上げて発言していく。
「それについては、ネクスト開発部門の責任者である私からも申し上げたい。戦闘記録からではあの凄まじい機動ばかりが目につくが、そもそも動きが変わる前からして、あのネクストの動きは一般的なネクスト戦力のそれを凌駕していたと言える。この直前の試合では、あの赤目の状態……と言っていいのかはともかく、あれを使わない状態でカーネル大尉の《ワンダフルボディ》を圧倒していたのだから。それを彼女はあそこまで抑え込み、一時は撃破寸前まで追い詰めたのだ。我が社のネクスト開発力も、そしてリンクスの質も、決して他社に劣るものではないと断言できる。これは技術者としてだけではなく、元リンクスとしての見解でもある」
 その発言を受けてか、会議室を満たしていた緊迫した空気が少しだけ和らぐ。モニターの傍らに立つ王小龍が面白くなさそうに顎髭を撫で、一番奥の席に座った白いスーツに身を包んだ白人系の老婦人がこちらの顔を見て頷いてくる。それに手ごたえを感じたローディーは、黒衣の老人の顔を真正面から見据えて、
「そうだ、あんなものを相手に、だ。貴様にも分かるだろうが、あれは尋常な相手ではない。あの凄まじいとしか言いようのない機動性に、獣を思わせる激しく荒々しい動き。そしてあのエンブレムは、まるで――」
「まるで? ほう、グリンフィールド氏には何か思い当たる節がおありのようで」
 こちらの言葉尻を捉えて、にたり、と黒衣の老人が口元を歪める。その言葉を受けてか、白いスーツの老婦人がわずかに眉根を寄せたのを見て、ローディーは小さく舌打ちをした。我が意を得たり、と言わんばかりの陰湿な笑み。あの賢しい老リンクスの事だ、こちらが何か感づいているのを最初から知っていたのだろう。あるいは、だからこそわざわざ自分に意見を促してきたのか。
 だが、王小龍だけならいざ知らず、この会議室に居並ぶ面々――すなわちGAとその系列企業の役員、ならびに軍部の重鎮たちにその事を知られるわけにはいかない。そうなれば、不穏分子は叩き潰すものと承知している彼らの事、過剰な反応に出た挙句に面倒な事態を招いてしまうのは、火を見るよりも明らかだったからだ。それはローディーの望むものではなかった。
「そう、だな……エンブレム云々は私の思い違いとしても、地面を蹴って加速するあの動きは、かつて“レイヴン”と呼ばれていた連中に特有のものだった。そして、およそ手段を選ばぬ苛烈な攻撃性に、自己の負担というものを顧みない、過酷極まりない戦闘マニューバ。これらはどれも、かつてGAを勝利に導いたあの男――往年の“アナトリアの傭兵”を連想させるものだ。おそらく、あのリンクスもそのような手合いなのだろう」
 訝しげに見つめてくる白いスーツの老婦人を見据え、今度こそ内容を慎重に選びながら、ローディーはゆっくりと言葉を紡いでいく。それに、白いスーツの老婦人は何やら得心がいったとばかりに頷く一方で、モニターの脇の黒衣の老人はいやらしい笑みを崩さぬまま、「なるほど……グリンフィールド氏がそう言うのであれば、そういう事にしておきましょう」と、ぬけぬけと言い放ってくる。相変わらず、いちいち一言多い男だ。不快感を顔の奥に隠したままで、そうローディーは吐き捨てた。
「……まさか。いや、そんな事は……」
「冗談はよしてくれ……あんなものが、そうそういてたまるものか……」
「いやしかし、グリンフィールド大佐がそうまで言うからには……」
 そうこうしているうちに、ローディーの発言を受けてか、会議室のあちらこちらでどよめきの声が上がっていく。あの砂色のネクストの恐ろしさは同じリンクスにしか分からなかっただろうが、それでもあの男の名を出した意味は理解できたらしい。
 この会議室に座る面々が不安げにささやいていくのを尻目に、ローディーはなおも薄ら笑いを浮かべている黒衣の老人に視線を移し、言葉を続ける。
「あの男の残したものがどのようなものであったか、ここにいる皆が知っているはずだ。レオーネを退け、BFFを潰し、数多のリンクスを屠り、そしてレイレナードをも――そうして、あの時は我らGA側の勝利になったわけだが、もしも何かが違っていたら、もしもあの男がレイレナード陣営についていたとしたら、あるいは我々がこうしてここにいる事すらなかったかもしれないのだ。あのリンクスがそういった存在ではないと、王小龍、貴様にそう言い切れるのか?」
 ローディーの射貫くような視線が王小龍を真正面から見据える。しかし、黒衣の老人は余裕綽々といった笑みを崩さぬまま、「なるほど。仮にあのネクストが敵に回れば、我らGA陣営にとって脅威になりうるのは間違いない、と?」と言葉を返してくる。それに、
「エルカーノ作戦部長が言うところの、赤目の状態……あれがいつまでも続くようなら、な。もしもあの異常な戦闘力があのリンクスの常なのだとしたなら、《スピリット・オブ・マザーウィル》が敗れたのも当然と思える。いや、《マザーウィル》だけではない。この私やリリウム嬢とて、あのリンクスが相手ではどうなるか分かったものではないのだ。それは……王小龍、貴様とて理解しているはずだが?」
 真っ向から突き付けられたローディーの言葉に、しかし王小龍はにたり、と不気味な笑みを浮かべた。だがそれも一瞬の事。一転して沈鬱そうな表情へと変わり、
「――然り。確かに、《マザーウィル》の件は我らBFFにとっても大きな痛手であります。我々は偉大なる母を打ち砕かれただけでなく、同時に数多の兵を失いました。かく言う私自身も、長年の友だった男を。その怒り、憎しみ、恨みがどれほどのものか、貴方がたに想像がつくでしょうか?」
 しわがれた声を震わせ、黒衣の老人は朗々と語っていく。
「しかし、怨恨を晴らそうとするだけでは世の中は回っていきませぬ。前へ進むためには、時には恨みを捨て去る事も必要なのです。昨日の敵は今日の友、ということわざもある。全ては考え方次第なのですよ」
 そうして、峻厳なリアス式海岸に築かれた軍事施設の映像が映し出されたモニターを背に、片手を上げて、
「たとえ凄腕であろうとも、所詮相手は金次第でいくらでも転ぶ独立傭兵。ローゼンタールの支援を受けたという話とて、形だけのものに過ぎませぬ。正当な評価を下し、相応の対価を払えば……ほら、この通り。心強い味方にもなってくれるというものです」
 得意げな笑みを浮かべる王小龍の背後で、モニターの映像が切り替わり、先程の戦闘記録にあった砂色のネクスト――《ストレイド》の姿とともに、依頼受諾、の文字が浮かんでいた。円卓に座る役員や軍属たちの間から、「おお!」という歓声が上がっていく。それに、ローディーは口元を押さえた手の中で、苦々しく口元をしかめていた。
 それは向こうが依頼を受けてくれるうちだからこそ、だ。そして貴様のその陰険なやり方では、それがいつまでも続くものか、と内心で毒づく。
 そんな時だった。ローディーの斜め向かいに座っていた、モスグリーンの軍服に身を包んだ、中年と言っていい年頃の男性――GA欧州方面軍のトップであるヴォルフ中将が手を上げたのだ。
「……しかし、何故ミミル軍港なのです? 確かにミミル軍港は、我々GAヨーロッパにとって、北米本土との連携を阻む厄介な拠点ではあります。だが、あそこは件の傭兵に依頼を出したオーメルではなく、今回の件とは無関係であるインテリオルの拠点だ。《マザーウィル》への攻撃に対する報復を行うのならば、オーメル陣営にとって戦略的価値が大きいもの――例えば、《カブラカン》あたりを狙うのが筋というものでは?」
 リアリストで知られるヴォルフ中将らしい、もっともな発言だった。そもそも、この会議の発端となった《スピリット・オブ・マザーウィル》の撃破を《ストレイド》に依頼したのは、オーメル・サイエンスだ。にもかかわらず、そのオーメルを狙わずに、今回の件に関しては全く関係のないインテリオルの拠点をあえて狙うという矛盾。それを突こうとローディーが口を開きかけたところで、
「報復などとは、古い視点で物を考えておられるようですな、ヴォルフ中将」
 と、王小龍が呆れたような口調で返していた。それに「む……」と鼻白んだヴォルフ中将を尻目に、黒衣の老人は「よろしいですかな」と前置きをしてから、
「《スピリット・オブ・マザーウィル》の撃破によって生まれた軍事的空白は、もはや埋めようがない。あれは桁外れの長射程と制圧力も然る事ながら、圧倒的な規模の大軍を運用可能な、巨大な軍事拠点でもあったわけですから。それがそっくり失われた以上、オーメル陣営にとっての虎の子とはいえ、たかだか無人兵器の輸送用に過ぎない《カブラカン》を破壊したところで、焼け石に水というものです。貴方たちGAが開発したという新型アームズフォートである《グレートウォール》……あれがどこまで使い物になるかにもかかっておりましょうが、いずれにせよ、極東戦線は大幅な後退を余儀なくされるでしょうな」
 その発言に、居並んだ役員や軍属たちからどよめきが上がる。無理もない。地図上での版図の押し合いに血道を上げる彼らにとって、王小龍の発言は敗北宣言に等しいものだったからだ。「おいおい。王のジジイめ、正気か?」と小声で呟いたのはエンリケだった。そうして案の定、
「王小龍! 貴様、我らGA極東方面軍を愚弄するか! 偉大なる母だか何だか知らないが、あんな古くてデカいだけの鉄塊など、もはや我らには必要ない!」
「そうだ! そもそもあれは造りが古すぎて、我々通常軍としても扱いに困っていたくらいだったのだ! むしろ解体費用が浮いて、せいせいしたくらいだ!」
「あんな骨董品と一緒にするな! 我々兵器開発部の最先端技術の結晶である《グレートウォール》は、地上最大にして地上最強! たとえ相手が“天才”であれ“ブラス・メイデン”であれ、ネクスト風情に後れを取るものでは……!」
「そうだそうだ! それに、極東にあるのは《グレートウォール》だけではないぞ! 《ランドクラブ》や《ギガベース》も、それぞれ十数隻が配備済みだ! これだけの数のアームズフォートを極東に揃えてみせるなど、オーメルやインテリオルにできるわけがなかろう!」
「新型機である《ギガベース》の増産、および《ランドクラブ》の大規模近代化改修は、我々開発部によって現在も進行中だ! これらの数をもっと増やした暁には、オーメルやアルゼブラの軍勢なぞ、あっという間に蹴散らしてくれる……!」
 GA通常軍・極東方面軍のトップや将校たちに加え、兵器開発部の役員たちまでもが次々と噛みついていく。だが、その剣幕も馬耳東風とばかりに聞き流すと、王小龍は小さくため息をついて、
「……そうして増やした機体をおめおめと拿捕されるようでは、勝てるものも勝てませんがな?」
「む、ぐ……っ!」
 予想だにしなかった反論に、極東軍のトップが顔を真っ赤にして押し黙る。隣で吠えていた兵器開発部のトップも、居並ぶ将校や役員たちも、更なる反撃を恐れて黙り込むばかりだった。その無様な姿を横目で眺め、ローディーは小さくため息をついた。
 返す刀で斬られる、とはこの事か。王小龍がどこでその情報を嗅ぎつけたのかは定かではないが、身内の恥をこのような場で晒されては、いかに強硬派の軍属や役員とて黙り込まざるを得ない。そもそもローディー自身、数週間前のリッチランドでの戦いの後で、二機のアームズフォートを拿捕された大本である極東軍に怒鳴り込んでいった経緯がある。そんな彼としても黒衣の老人の物言いは、もっともだ、としか言いようのないものだったのだ。
 そうして、皆が沈黙したのを確認してから、王小龍は「よろしいですかな?」と前置きして、まるで子供たちに言い聞かせるジュニアスクールの教師のような口調で、朗々と語っていく。
「私が言いたいのは、広大かつ峻厳な中国大陸を制するのは、並大抵ではないという事です。かつての世界大戦の折、飛ぶ鳥を落とす勢いだった旧日本軍が、この地を制圧するのにどれだけの時間を、どれほどの大軍を必要としたのか……そうまでしてなお、完全に支配するまでには至らなかったという歴史的事実。そして、数に劣るはずのアルゼブラとオーメルの軍勢を、GAは未だ極東から追い払えていないという確固たる現実。よもや、お忘れではありますまいな?」
 その言葉に「むう……」と唸ったのは有澤隆文だった。今はもうなくなってしまったとはいえ、自分が生まれ育った母国を揶揄されるのは、あまり面白いものではなかったのだろう。
「逆に、です。仮にオーメル陣営が中国大陸の支配権を手にしたとしても、そこまでです。あそこはもはや人的有利性の失せた、商業的価値も軍事的価値もない荒野に過ぎませんし、拠点となるような都市ももう数えるほどしか存在しません。アムールやエチナといった地下資源が豊富な場所もありはしますが、それとて他所で代替できるものでしかない。それにどの道、海軍力に劣るオーメル陣営では、海を隔てた日本列島や沖縄、台湾にまでは手の出しようがないのです。むしろあの列島に有澤重工が、そしてGAの強大な海軍力があるうちは、彼らも太平洋にまでは進出しようとしないでしょう。いやはや、実によくできた要衝だ。“不沈空母”とまで呼ばれたのは伊達ではありませんな。あそこを抑えているうちは、GAの太平洋圏における支配は盤石でありましょう」
 王小龍の演説めいた物言いに、ローディーは言いようのない不信感を覚えた。
 ……何なのだろう、この不可解な物言いは。まるで中国大陸には何の戦略的価値もないのだと、そう皆に喧伝するかのような、この論調は。まるであの地をGAに放棄させたいとでも言わんばかりの、基本的にはGAグループの意向には唯々諾々と従ってきたこの老人には似つかわしくない、何か下心を感じさせる発言は――
 しかし、その思考はモニターの画面をどん、と叩いた音によって中断させられた。
「今、我らが目を向けるべきは欧州。数多の他企業がひしめくヨーロッパこそ、我らGAグループが狙うべき地なのです」
 とっさに顔を上げれば、画面はいつの間にか欧州の地図に切り替わっており、そのモニターの一角に、枯れ枝を思わせる掌が叩きつけられたところだった。
「幸いにして、我々のヨーロッパにおける備えは万全だ。既に多数の《ランドクラブ》や《ギガベース》が配置されておりますし、GAヨーロッパとBFFを合わせた通常軍の規模も、配備されたネクストの数も、GAの本拠地である北米本土を除けば、他の支配地域のそれを上回っている。それに、何といってもあれもある。あのGAに譲渡された、《マザーウィル》級二番艦の……ええと、何と言いましたかな?」
「……《エンタープライズ》だ、王小龍」
 その名をローディーが答える。かつての世界大戦の折に活躍した浮沈艦の名を冠した、GAのユーラシア大陸における要石である最強最古のアームズフォート――
「これは失敬。この歳になると、物覚えが悪くなっていけませんな」
 それに、王小龍がぴしゃり、と自分の額を叩いてみせる。如何にもわざとらしいその仕草に、タヌキジジイが、とローディーは再び内心で毒づいた。もっとも、彼はタヌキという生き物がどういう生き物かは知らなかったのだが。
 そんなローディーの内心などお構いなしで、王小龍は悠然とした動作でもって両腕を広げ、居並ぶ役員たちを睥睨すると、
「ともあれ、欧州に存在する敵対企業など、我々がその気になればいつでも揉み潰せるのです。世界最大の軍事力と生産力を誇る貴方たちGAと、精鋭である我らBFFの総力を合わせれば、いつでも。その戦力的優位を、今は外に向けるべきではない。むしろ我々の支配領域の内にある目障りな楔をこそ、優先して消し去るべきなのです」
 そう一息に語った後で、意味ありげに笑う。「そして何よりも……この作戦の目的は、ただ敵の拠点を陥とすだけではありませんぞ」と続けた黒衣の老人は、これ見よがしに手元の端末をモニターに向けて、
「これは……」
 ローディーが呻く。モニターの画像がまたしても切り替わり、中年から老齢の域にある複数の男女の顔写真が表示されたのだ。ニュースなどで見知った顔だ。インテリオル・ユニオンを実質支配する、旧レオーネ・メカニカ時代からの重鎮たち――
「情報源を明かす事はできませんが、このミミル軍港で近々大規模な演習が行われ、それをインテリオルの首脳陣が視察に訪れるという情報があります。この作戦の真の狙いはそれです。リンクス戦争で大打撃を受け、求心力を失ったインテリオルをまとめ上げ、欧州第一位のメガコングロマリットにまで成長させた首脳陣の壊滅――それが彼らにとってどれだけ大きな打撃となるか、想像は容易でありましょう?」
 黒衣の老人の言葉に、居並ぶ役員や軍属たちの間で再度どよめきが起こる。思い思いに視線を巡らせ、囁きあう彼らの脳裏では、きっとリンクス戦争の時の記憶――本社である《クイーンズランス》が沈められた際の、旧BFFの混乱と崩壊の顛末が思い浮かんでいるのだろう。
 高い技術力と政治力を有するとはいえ、勢力としては第三位に過ぎないオーメル陣営よりも、第二位のインテリオル陣営に大きな政治的混乱を与えた方が、より大きな見返りを期待できる。仮に失敗したとしても、失うチップは見知らぬ独立傭兵の命だけ――この場にいる首脳陣に浮かんだであろう皮算用に、ローディーは頭を抱えたくなる思いだった。
「……今の話、どう思いますか、ローガン?」
 その時、今まで沈黙を貫いていた、一番奥の席に座った白いスーツの老婦人が声を上げていた。その問いに、ローディーはすぐさま手を上げて、
「この作戦、私としては賛成できかねます、代表」
 GAという世界最大のメガコングロマリットを統べる女傑に対して、臆する事なく答える。それに、王小龍はさも意外そうな顔をすると、
「ふむ、何が問題なのか分かりませんな。得られるリターンは多大、それに対して予想されるリスクは些少。ならば、考える余地はないように思えますが?」
 こちらを小馬鹿にしたような物言いに、ローディーは沸き立つ不快感を呑み込み、答える。
「この作戦で得られるメリットに関しては、なるほど、了解した。毒をもって毒を制する、という貴様の趣味の悪い考えもな。だがな、そうして首脳陣を失った旧BFFが、そしてその盟友だったレイレナードが、その後にどういう行動に出たか、貴様とて知っているはずだ。王小龍、貴様が行おうとしている行為は、延々と続く企業間戦闘をさらに激しく、過酷なものにしていくだけの行為だ。過去のものとなったはずの絶滅戦争を再び呼び起こすだけの、危険極まりない行為に他ならないのだ。それを一番分かっているはずの貴様が、何故今頃になってそんな真似をやろうというのだ!」
 最後の部分は、ほとんど叫び声に近かった。気がつけば、あれだけ騒がしかった円卓の面々が押し黙り、いつの間にか立ち上がっていたエンリケが、「落ち着け、ローガン! これ以上はまずい!」と腕を引いてくる。白いスーツの老婦人も有澤隆文も、固唾を呑んでこちらを見つめていた。
 しかし、ローディーが息を荒げているのとは対照的に、黒衣の老人はまっすぐに立ったまま、黙ってこちらを見据えていた。これまでの冷笑や嘲笑ではなく、平静そのものの無表情で、顎髭に指を這わせ、
「……だから?」
 ただそれだけを口にしてくる。その一言で、ローディーはこの老人の説得を諦めざるを得なかった。どのような言葉を、情理を尽くしても、黒衣の老人の心には何一つ届かないのだと。そもそもこの男に、情などというものはないのだと、そう思い知ったのだ。
 だが、それでもなお、ここで止まるわけにはいかない。ローディーは決意を新たにすると、再び口を開いた。
「……問題はまだある。そもそも、この作戦が本当に可能なのか、という点だ。ミミル軍港は北米におけるインテリオル最大の軍事拠点だ。ただでさえ激しい抵抗が予想されるというのに、ましてや要人を招いての大規模演習の最中にだと? それを攻め落とせるのなら、あそこはとうに我々GAのものになっていたはずだ」
 その物言いに、王小龍は平静な表情のまま頷くと、
「確かに、頑強な抵抗が予想されますな。だが、お忘れかな? 件のリンクスは、今まで不可能だとされていた《マザーウィル》の撃破をやってのけた男なのですよ? それに、地の理もある。数週間前のミミル軍港への強行偵察、あれを引き受けたのは誰か、知らないとは言わせませんぞ」
「……確かに。あのリンクスの腕であれば、不可能な任務ではないかもしれない。だがな、決して百パーセントではないぞ。貴様の立てた作戦には、作戦に臨むリンクスそのものに対するリスクというものが抜け落ちている。現状では、到底賛成できるものではない」
 ローディーがそこまで言い切ったところで、黒衣の老人の表情が変わった。これまでの平静そのもののそれから、悪意に満ちた笑みへと。悟られたか、とローディーの背筋を悪寒が走った、その直後に、
「……おやおや。名も知れぬ独立傭兵の身を案じるとは、随分とお優しい事で。それとも、“粗製”と呼ばれていた頃の自分を思い出しましたかな?」
 見透かし、あざ笑うかのような表情と声色で、王小龍がぬけぬけと言い放ってくる。
 ……以前からそうだろうと思っていたが、今ので確信した。この老人は、確実に自分を見下している。口では丁寧な物言いをしようが、その腐りきった性根まで隠し通せるものではない。ならば、俺もこの男を決して好きになどなってやるまい――そう決意したローディーは、その内心を押し殺しながら、王小龍が見透かしたであろう自身の本音を口にした。彼にとっては何よりも重要であり、到底看過できない重大な疑問を。
「そして何よりも不審に思っているのは、その独立傭兵の僚機として選ばれたリンクスの事だ。何故、よりにもよって彼女なのだ? このミッションの重要度と難度を考えれば、この私かそこにいる有澤隆文氏、もしくはここにはいないリリウム・ウォルコット嬢をこそ僚機として当たらせるべきだろう? 何なら、貴様自身という選択もあり得る。それとも、無闇に戦力を温存していたずらに各個撃破される愚を犯すつもりか?」
 それに対して王小龍は、やれやれ、と言わんばかりに首を横に振ると、
「その様子ではお聞きになっていないと思いますが、リリウムはあの《マザーウィル》撃破の報を受けて以来、体調が優れませんでな。《マザーウィル》の艦長があれの親族であるという話は聞き及んでおられるでしょう? それ以来、たびたび床に伏せるようになってしまいましてな。まだ幼い身空だというのに、無残な事で……」
 わざとらしく目頭を押さえ、沈鬱そうに言う。それに、周囲から「おお、それは……」だの「可哀そうに……」だの、無責任な憐みの言葉が飛び交っていく。
 ……なるほど。だから、この場にリリウム・ウォルコットを連れて来なかったのか、この老人は。彼女の体調悪化を周囲に印象づけ、他の役員たちの同情を買うために。
 実際にリリウム・ウォルコットが体調を崩しているかどうかは問題ではない。少なくともローディーが知るかぎり、いくらか思い当たる点はあったとしても、彼女は表面上は変わらず過ごしていたように見受けられた。たとえそれが、あの娘の健気さからくる虚勢だったとしても。
 元々、己というものを極端に押し殺す性質のリリウムの事だ。おそらくこの場にいれば、多少の体調不良があろうが、本人にとって望まぬ出撃だろうが、出られる、と即答しただろう。だが同時に、王小龍から出るなと言われれば、リリウムは決して出撃しようとはしなかったはずだ。
 仮に体調不良が本当であったとしても、真に命に関わる事柄だったとしても、この老人に命じられれば自身の命を考慮せずに動いてしまうのがリリウム・ウォルコットというリンクスであり、それを許してしまうのがBFFという組織だった。“王女”などと呼ばれ、BFF軍部から強い支持を受けてはいるものの、実際にはリリウムという存在は後見人である王小龍の完全なコントロール下にあり、彼の意のままに動くだけの駒に過ぎなかったのだ。
 ……つまり、王小龍としては、自分たちは動くつもりはない。作戦を立ててやりはするが、後はお前たちで好きにしろ、とこう言いたいのだろう。陰謀屋と呼ばれる男に相応しい、傲慢で陰険なやり口だった。
「グリンフィールド氏や有澤氏を選ばなかったのは、純軍事的な観点によるものです。短期決戦志向の武器腕機を駆るお二人では、大量の敵機と交戦した上での敵地制圧を主目的とする、今回の作戦には向かない――そう判断したまでの事。であるならば、その次席である彼女の名が挙がるのは、ごくごく自然な話というものです。決して他意はありませんとも」
 滔々と、理路整然と語っていく黒衣の老人に、ローディーは退路が塞がれていくのを感じていた。極めてまずい状況だ。このままでは――
「そして何よりも彼女には、あのリンクスとの協働の実績がある。何と言っていましたかな……そうそう、「相性がいいみたいね、あなたとは」でしたかな? 実に若者らしい、微笑ましい発言ではありませんか。ならば、若者は若者同士、相性がいい者同士、一緒に頑張ってもらうのも一興というものでは?」
「むう……」
 いったいどこからネクストの交戦記録など入手したのか。相手の用意周到さに、ローディーはもはや唸るしかなかった。それを、王小龍は勝ち誇ったように見下ろすと、
「……それとも、自分の愛娘を危険な戦場には出せない、とでも? それこそ今更というものでしょう。彼女がこれまで何回戦場に出て、どれだけの血でもってその手を染めていると思っているのです? そう考えるのはむしろ、貴方を慕って戦いに臨む者に対する冒涜というものではありませんかな?」
「……王小龍、貴様ぁ……!」
 もはやその衝動を抑えるような理性は存在しない。完全に我慢の限界に達したローディーは、我知らず席を離れ、黒衣の老人に向かって歩き出していた。
 自分は最大の手駒であるリリウムを伏せておきながら、この物言い。彼女に対する自分の深い愛情を理解しておきながら、それでもなお利用して恥じぬ厚顔。そして何よりも彼女の命を懸けた献身を揶揄し、嘲笑せずにはいられない醜悪さ。こいつだけは許せない。手元に銃があれば今すぐに、いや、この老人だけはこの手で殴り殺さねば気が済まない――!
 そうして、それを実行しようとした時だった。いつの間にか駆け寄っていたエンリケが「落ち着け、ローガン!」と言ってこちらの腕を押さえ込み、有澤隆文の巨体がこちらを制止するべく立ち上がる。場の空気が一変し、壁際に立っていたSPたちが慌てて動こうとしたところで、
「――その辺りでいいでしょう、二人とも」
 一番奥の席にいた、GAのトップである白いスーツの老婦人が制止の声を上げていた。彼女はまず王小龍に、歳を感じさせぬ鋭い視線を向けて、
「王小龍、彼女は彼にとって大切な家族です。それを揶揄する事は、この私が許しません」
「……御意に」
 その叱責に、黒衣の老人はまるで執事めいた、深々とした礼を返した。続けてこちらに鋭い視線を向けた老婦人は、諭すような、しかし断固たる決意を込めた口調で、
「ローガン、彼女を思う貴方の気持ちは分らないでもありませんが、今回は急を要する事態です。他の役員たちの手前もあります。今回ばかりは、私の決定に従ってもらいますよ」
「は……申し訳ありませんでした、タイレル代表」
 なおも沸き立つ憤懣を必死で押し殺し、ローディーもまた白いスーツの老婦人に深々と頭を下げた。彼にとってこの老婦人は単なる上司というだけではない。リンクスという才能あっての事とはいえ、ただの無頼に過ぎなかった自分を引き上げてくれた恩師であり、理解者でもあった。それにそもそも、老婦人の提案や助力がなければ、彼女と本当の意味で家族になる事はできなかった。そういう意味においては実の両親以上に頭が上がらない存在であり、それに逆らうという選択はローディーには存在しなかったのだ。
「…………」
 深い諦観とともに感情を落ち着かせたローディーは、ため息とともに視線を上げ、もう一度大型モニターを見やる。
 そこには、緑色のスマイリーマークのエンブレムとともに、GAのサンドカラーの軍服に身を包み、柔らかい笑みを浮かべた十代後半の金髪の少女――メイ・グリンフィールドの顔写真が映し出されていた。

 
 

 ACfA Smiley Sunshine
 Episode7: Overture

 
 

 二日前、午然九時二十分。旧フランス領北西部、軍港都市ブレストにて。

「――よう、暴力女」
 開口一番、そいつはそんなコトを言ってきた。
「ぼっ……!」
 あまりといえばあまりの物言いに、思わず怒鳴り返そうとしてしまう。だが、それをとっさのところで押し留めたわたしは、目を閉じて深く深呼吸をした。……落ち着け、落ち着けわたし。素数だ、素数を数えて落ち着くんだ……二、三、五、七、十三……よし!
 そうして目を開けると、わたしはできるだけにこやかな笑みを浮かべながら、
「あら、誰かと間違えてないかしら? わたしには何のコトやら……」
「間違いなくおまえの事だ、この暴力女。おかげでこっちは五針も縫う羽目になったんだぞ。全く……あの夜といいこの間といい、同じ人間に二度も殴りかかられるとは思わなかったな」
 白い包帯が巻かれた右のこめかみのあたりを指し示し、隻眼の少年が憮然とした声で言ってくる。あのオーダーマッチから、まだ二日。未だ癒えない、言い逃れしようのない物的証拠に、わたしは「うぐっ……!」と呻き声を上げるしかなかった。
 ……しかもご丁寧に、誰にも知られてないあの夜の事まで言ってくるし。わたしの横にいるフランさんが、「何の事なの?」とでも言いたげな視線を向けてきて、わたしは冷たい汗が背中を流れていくのを感じていた。
「あ……あの時は悪かったわよ……。こっちだって、反省、してるし……」
 若干視線を逸らし、嫌々ながらも詫びを入れる。それに隻眼の少年が露骨に舌打ちをし、その隣に立った、ピンク色のスーツを着た黒髪の女性が、やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめてくる。そうして、初っ端から最悪になった空気の中で、
「先日のオーダーマッチの一件は、私も聞き及んでおります。我がGA社のリンクスが失礼を致しました。以後気をつけさせていただきますので、何卒ご容赦くださいませ」
 と、わたしに代わって頭を下げながら、相変わらずの流暢なクイーンズ・イングリッシュで、フランさんが丁寧な詫びの言葉を入れていた。すると、訝しげに右目を細めた隻眼の少年の前に出るようにして、黒髪の女性が「そうしてくれ」と憮然とした声で返してくる。その鋭い眼光は、何故かわたしではなくフランさんの方に向けられていた。そうして、黒髪の女性と数秒に渡って視線の応酬を交わした後で、フランさんはにっこりと笑ってから、
「初めまして。今回も《メリーゲート》のオペレーターを務めさせていただきます、GA社作戦部所属、フランシス・コードウェルと申します。短い間ですが、どうぞよろしくお願いいたしますね」
 ……一見すると、温和かつ丁寧に自己紹介をしているように見えるが、実際は、短い間ですが、の部分を殊更に強調して言っている。うわぁ、何があるのかは知らないけど、フランさんってば完全にケンカ腰だ。
「フランシス、な……。ふん……」
 それに、黒髪の女性は何やら鼻で笑うような仕草を見せてから、フランさんとは対照的な、挑発的な笑みを浮かべて、
「《ストレイド》のオペレーターのセレン・ヘイズだ。それ以上の自己紹介は不要だろうよ。お互いに、な」
 自己紹介になってない自己紹介をしてくる。それに、フランさんはにこやかな笑みを崩さぬまま、黒縁眼鏡の奥で目を細めていき――そんなぎすぎすした雰囲気の中、耐えきれずに視線を逸らしたわたしは、ついでに周囲を見回してみた。
 ――旧フランス領北西部にある、歴史ある港湾都市、ブレスト。
 海上の権益を巡る国家間の戦いの舞台として幾度となく名が挙げられるこの軍港は、支配者が国家から企業に成り代わった現代になっても、その立ち位置を変えていなかった。
 かつてはGAのヨーロッパ法人である旧GAEの支配下にあったが、そのGAEがGAグループを離脱した事によって、一時期はレイレナード陣営の支配下となっていた。そうしてリンクス戦争でレイレナードが滅んだ後は、旧フランス領に拠点を構えるローゼンタールのものとなっていたのだが、戦後何年か経ってGAとオーメルが決別した事によって、情勢は一変した。GAによって再建された現GAEと、新たにGA傘下となったBFFとの共同侵攻によって、周辺の地域もろともローゼンタールから奪還されたのだ。
 そうして現在は、GA本社の監督の元でGAEが統治しているのだが、当然ながら奪還を諦めていないローゼンタールを擁するオーメル陣営と、支配地域のさらなる拡大を狙うインテリオル・ユニオンの両者によって虎視眈々と狙われ続け、実際に幾度となく敵の攻撃に晒されているという、複雑極まる立ち位置となっている。
 そしてここは、そのブレストの沿岸部に建造された、GAE所有の海軍基地の一角。VTOL機用の広大なヘリポートや耐コジマ仕様の巨大な倉庫などが立ち並ぶ、ネクスト戦力の運用のために建造された特別区域だった。とはいえ、この手の施設の常としてコジマ粒子の管理は徹底されているし、区画そのものの洗浄も運用の度に行われているため、こうして防護服なしでも平気で立っていられるわけなのだが。
 ヘリポートがあるだけあって視界は開けていて、陸の方を見れば無数の建物や倉庫の向こうに、一際大きく見える基地司令部の建物があり、その向こうの丘陵にはブレストの古い街並みが広がっている。視線を巡らせて海の方を見れば、巨大なガントリークレーンや倉庫群の向こうにいくつもの灰色に塗られた艦艇と、その中にあって異常な巨体を誇る《ギガベース》の威容が見て取れた。文字通り山のような大きさの、双胴船めいた機体を彩る濃いモスグリーンと、青空と入道雲との対比がマッチしているようなしてないような。
 で、見上げればそれらの頭上を、甲高いジェットエンジンの唸り声を上げて飛んでいく無数の影があった。上空を編隊を組んで飛んでいく、スカイグレーに塗られ、大きな翼を背負った細身の人型。その姿には見覚えがあった。最近になって通常軍の間で配備が始まったという最新鋭の飛行型ノーマル、《ソーラーフレア》というやつだ。
 飛行性能に特化したノーマルという特異なコンセプトから、ベストセラーとなったオーメルの《タイプ・アージン》。その向こうを張ってGAが造った機体で、背部に背負った大型の主翼と高出力ジェットエンジンでもって、軽快に空を飛ぶノーマルというコンセプトも全く同じ。装甲を重視した分だけ機動性は若干下回るものの、火力を重視するGAらしく、右腕に装備したガトリングガンと翼部にぶら下げたミサイルランチャーによって、《タイプ・アージン》を上回る火力を有しているという触れ込みなのだとか。
 とはいえ、基本はコンセプト丸パクりのコピーキャット。空力特性を意識した優美なフォルムの《タイプ・アージン》とは異なり、《ソーラーウィンド》をそのままスマートにしたかのような角ばった細身の機体は、お世辞にもあまり強そうには見えなかった。
(あ~あ、何でまた、こんなヤツと顔を合わせなきゃならないんだか……)
 あらぬ方向へと彷徨わせていた視線を下ろし、無言でこちらを睨みつけてくる隻眼の少年を、ちらりと横目で見て、小さくため息をつく。
 昨日の夕方、いつものように学校でダン相手に愚痴っていたところに急な招集を受け、黒塗りのリムジンに拉致同然に乗せられてから、早十五時間。夜の便でネクストもろとも北米はグリフォンから東に一路、欧州のここブレストへ移動させられたわたしとフランさんは、そのまま見知らぬ宿舎で一夜を過ごす羽目になった。で、早朝になってこの区画へ車で移動させられ、ネクスト専用の大型輸送ヘリに乗ってやって来た客人――すなわち《ストレイド》のリンクスとそのオペレーターを出迎えて、途端にこの有様というワケだ。
 ……もっとも、《ストレイド》のリンクスの目線で考えてみれば、実は向こうが怒るのも無理はなかったりする。向こうが試合を終えた後にいきなり乱入してきて、勝ったと思ったら自分のシミュレーターにまで怒鳴りこんできて、何でか取っ組み合いになった挙げ句に、いきなりぶん殴られて気絶する羽目になったのだから。こっちからすればほとんどパニック状態に陥った末の行動であり、決して悪気はなかったのだが、そんなのは向こうからすれば知った事じゃないだろうし。気絶した彼を見たセレン・ヘイズが、必死でこちらを引き剥がそうとしたのも、当然と言えば当然の話だったのだ。
 で、それから二日しか経っていないのに、何の因果かこうして再び顔を合わせる羽目になったのだから、全くもって、気まずいったらありゃしない。ありゃしないのだが――とはいえ、このままこうしていても埒が明かないのには変わりがないので、
「久しぶり……というわけでもないけど。こうやって面と向かって話すのは、あの夜以来かしらね」
 なおも睨み合いを続けるフランさんとセレン・ヘイズから視線を逸らしながら、とりあえず同じく手持ち無沙汰っぽい隻眼の少年に向かって話しかけてみる。ちなみに、わたしは仕事で来ているので、いつもの学校の制服ではなくGA支給のサンドカラーの軍服を。隻眼の少年はあの夜と同じ、黒のジャンバーとGパン、それに牙をあしらった首飾りというラフな格好をしている。
「……そうだな」
 すると、ちょっと意外な事に、隻眼の少年は普通に返事をしてきた。もっとも、会話のキャッチボールを拒否するかのような素っ気ない口調なのは相変わらずだが。
「まさか、あの《ストレイド》のリンクスの正体が、あなただったなんてね。わたしがリンクスだった事も知っていたのかしら?」
「いや、知ったのは二日前だ。でなけりゃ、誰がリンクスなんぞ助け起こしたりなんかするものか。しかも、いきなり殴りかかってくるような相手を」
「む……」
 過ぎた事をなおもねちこち言ってくる隻眼の少年に、返す言葉が詰まる。
 ……ええい、意外としつこいヤツだ。それに淡々とした物言いや態度の割に、結構執念深い。オーダーマッチの時のこちらをいたぶるような戦い方といい、こう見えて根は陰険で陰湿なヤツなのかもしれなかった。
(……ん? でも、待てよ……)
 今の口振りだと、リンクスだと助けなかった――つまり、こいつはリンクスが嫌いだという事になる。そしてそれは、二日前に聞いた、あの憎しみに満ちた言葉と符合するものだった。
(……でも、こいつ自身もリンクスなのよね……)
 リンクスを嫌いな人間は、別に珍しくもない。リンクスとは超兵器にして環境破壊兵器であるネクストを駆る者であり、それは現代においては死神と同義だった。その死神に殺されかけた者や、身内や大事な人を殺された者、そして住処を追われた者。そんな人たちが何を思うのか、わたしはよく知っている。……そして、そんな人たちが実際にリンクスという存在に出会えば、いったい何をしようとするのか、何をしてしまうのかという事も。
 で、一方のリンクスの方はどうなのかと思えば、これまた性質が悪い事に、強烈な自己愛や過剰なまでのエリート意識、そして自分以外の人間への蔑視に満ちた人間が多かったりする。リンクスという存在それ自体が極めて珍しく、希少な才能であるためで、ネクストがあってこそとはいえ、簡単に他者を滅ぼすだけの力を持っているのと相まって、まるで自分が人間を超えた存在であるかのように錯覚してしまうのだ。若い時にリンクスになった者ほど顕著に表れる特徴だが、ある程度歳を取ってからリンクスになった者であっても、まるで人が変わったようになってしまうケースもある。
 実際、異常なまでの自己顕示欲と暴力性、そして選民思想から来る身に過ぎた権力欲でもって周囲に危険視されるようなリンクスは珍しくもなく、アームズフォートという兵器が開発される遠因にもなっている。ダンのようなヘタレ……もとい、温和で大人しい性質のリンクスは、実は少数派なのだ。
 だから、リンクスがリンクスを嫌うという事自体は珍しくも何ともないのだが、それはあくまでも特別な自分というものを害する存在だからに過ぎず、リンクスという存在そのものを憎むようなリンクスは極めて稀だった。それは、リンクスである自分自身の否定にも繋がるものだから。
 ……にもかかわらず、この隻眼の少年は、リンクスという存在そのものを強く憎んでいるように見える。敵対するリンクスも、一緒に戦ったこのわたしも、そして多分、自分自身も。
「何で……? 何でそこまで……?」
「……何だと?」
 ……おっと。気がつけば、思った事が口に出ていたようだ。怪訝な顔でこちらを見やる隻眼の少年に、思わず口元を押さえ、「何でもないわ、何でも」と答えておく。そうして顔を横に向けながらも、ちらりと横目で彼の方を見やる。
 わたしに向けられた焦げ茶色の瞳に浮かぶ、怒りと憎しみの色を見れば分かる。この少年はリンクスという存在を激しく憎悪している。そしてそれが、あの無茶苦茶な戦いぶりにも表れている。それは間違いないように思える。
 でも同時に、それだけの人間であるようにも思えなかった。リンクスであれば助けなかったとは言うが、それは裏を返せばリンクスでさえなければ助けるのはやぶさかではなかったという事でもある。この人心が荒廃しきった末法の世の中で、だ。それに――
(……まあ、何ていうの? 礼儀作法とかは全然なってないんだけど、結構優しかったように思えたのよね、あの時のコイツ……)
 今でも、あの引っ張り上げられた時の、彼の掌の感触と温かさを覚えている。ごつごつと節くれだった掌の感触と力強さは、あの病室で握られた大きな掌にも似て。そしてその掌に帯びた真摯な熱は、遠い昔のおとうさんやおかあさんのそれのようで――
 そうして、我知らず目を閉じ、掌に感じていた温もりを握り締めていた時だった。
「――イ、メイ? 聞いているの?」
 唐突に、横合いから声がかけられていた。
「ふぇっ!? ふ、フランさん? いったいどうしたの?」
 慌てて目を開くと、いつの間にかフランさんとセレン・ヘイズ、そしてさっきまで話していたはずの隻眼の少年までもが少し離れた場所にいて、三人揃ってこちらを見ていた。フランさんとセレン・ヘイズは、その顔に呆れたような色を見せて、
「どうしたのじゃないでしょう? 早く基地司令部に挨拶に行かないと。今回の作戦は、ここの部隊の協力を仰がないといけないのよ。忘れたの?」
「はっ、よもやこっちの目の前で居眠りとはな。GAのリンクスもずいぶんと図太くなったものだ」
 そんなコトを口々に言ってくる。そうして、顔を真っ赤にして俯いたところに、
「……ふん、何をやっているんだか」
 という言葉を、最後に残った隻眼の少年にまで呟かれては、わたしの立つ瀬がないというものだ。まさに、リンクスとして不甲斐なし。穴があったら入りたいという心境だった。
「うう……」
 呻きながらも駆け出し、三人の後をついていく。そうしてヘリポートを抜け、倉庫の間を縫うように歩き、街路樹が植えられた歩道を進んでいく。欧州の気候は北米のそれと似ているようで微妙に違う。北米がカラッとしたおおらかな感じであるとすれば、欧州のはどこか繊細で、涼やかで、穏やかな感じだった。……うん、これはこれで悪くない。
 潮風になびくフランさんの淡い金色の髪と、セレン・ヘイズの長い黒髪。姿勢よく歩きながらも意外と速いそれらを、履き慣れぬヒールに苦闘しつつ追いかけて、基地の奥へと進んでいき――その途中で、
「……ん? あれは……」
 ふと視線を向けた先で、意外なものを見つけたわたしは、思わず声を上げていた。右斜め前方、街路樹と鉄条網の向こう側で、逆脚MT《デブリスメーカー》やミサイル車両《アルバレスター》、そして旧式戦車の《エイブラムス》といった旧来の兵器に混じって威圧的に周囲を睥睨する、一機の《ニューサンシャイン》の姿が見えたのだ。
 やや歩調を落としながら、こちら側に正面を向けた巨体を見上げていく。グレー系の都市迷彩に塗られたその《ニューサンシャイン》は、腕部に重ガトリングガンとハンドミサイルランチャーを、背部と両肩に箱形のミサイルランチャーを装備した、一見して支援機と判別できる機体だった。その左肩には、サメめいた灰色の頭部と稲妻を図案化したエンブレムが描かれている。
 都市迷彩の《ニューサンシャイン》は待機状態にあるのか、プライマル・アーマーは展開していないようだった。……もっとも、こんなところでそんなものを展開されたら、足元にいる兵士たちも、少し離れた距離にいるわたしたちもただでは済まないのだから、当然と言えば当然だが。
 そうこうしているうちに、少し前を歩いていた隻眼の少年も都市迷彩の《ニューサンシャイン》に気づいたのか、頭を右側に向け、怪訝そうな声を上げていた。
「……見ない機体だ。カラードにいるヤツじゃないのか?」
「あの都市迷彩の《ニューサンシャイン》のコト? ああ、あれはGA欧州軍所属のネクストね」
 隻眼の少年の声に、わたしはあっけらかんと答えていく。都市迷彩の《ニューサンシャイン》はわたしにとっても見覚えのない機体ではあったが、それでもああしてこの基地にいる以上、その所属と素性は明らかだったからだ。……ただ、あのサメっぽいエンブレム、何処かで似たようなものを見かけた事があるような。ていうか、鼻先にガトリング砲っぽいものが描かれてるし、サメじゃないのかな? ……まあ、いいや。
「カラードの機体じゃないのか、って言われれば、答えはノーね。GAに属する機体である以上、あの機体とリンクスも当然、カラードに所属しているわよ。ただ、わたしたちと違ってオーダーマッチには登録されていないだけで」
「……カラードのネクストなのに、オーダーマッチに登録されていない? どういう事だ?」
 わたしの説明に、隻眼の少年が訝しげな声を上げていく。それに、わたしは口に人差し指を当てて考えながら、説明を続けた。
「ん~、何て言えばいいのかしらね……いわゆる、ランク外のネクストなのよ、あの機体は。ほら、あなただって最初のミッションをクリアしてカラードに認められるまで、オーダーマッチには登録されてなかったでしょう? つまりは、そういうコトよ」
「……ランク外? つまり、おれたちよりも弱いリンクスって事か?」
「身も蓋もない言い方をすると、ね。もっとも、全く実戦経験がないってわけでもないだろうし、彼らの中には軍属の出身も多いはずなんだけど……」
 隻眼の少年の率直な物言いに、わたしは苦笑いを浮かべながら一応のフォローをしておく。
 ……あまり大きな声では言えないのだが、GAが社運をかけて推進中である“ニューサンシャイン・プロジェクト”は、実際のところ、あまり上手くいっていない。
 旧来の機体よりも構造を単純化させる事で、操作難度や情報処理量を緩和させ、精神負荷を軽減した新型ネクストの構築という点まではまあ良かったのだが、問題だったのはリンクスの質である。低AMS適正者――いわゆる粗製リンクスでの運用を前提とした《ニューサンシャイン》をもってしても、十分とは言い難いAMS適性のリンクスしか揃えられていないのだ。結果、“ニューサンシャイン・プロジェクト”関係のリンクスの中で、カラードのオーダーマッチに登録できるだけの力量を持った者は、元々実戦経験豊富だったドンただ一人という有様となっており、それ以外の大多数の粗製リンクスはオーダーマッチに登録すらされずに、各地の戦線で便利屋じみた扱いに甘んじているのだとか。
 もっとも、それはインテリオルやオーメルなどの他企業にも言える事で、どこもかしこも高AMS適正者の確保には苦労していると聞く。だからこそ、アスピナ機関に代表される怪しげなリンクス研究機関が幅を利かせたりしているわけで。ただ、GAは最初期にネクスト開発で出遅れた事もあって、それらの研究機関とのパイプが弱く、そのせいで優秀な人材があまり来ないのだとも言われている。
 ともあれ、そういった事情から、現在のGAのリンクスの中でAMS適性が高いと言われているのは、わたしと有澤社長、そしてBFFのリリウム・ウォルコットくらいのものであり、実戦経験豊富な義父は別格としても、大半は低レベルのAMS適性しか持たないリンクスによって占められていた。そんなGAとしては、こういった粗製リンクスを騙し騙し使わざるを得ないというのが実情であり、その結果として、一般人でも制御可能な新兵器アームズフォートに戦力の中心を移す事になったのだった。……まあ、こんなコトは外部の人間には口が裂けても言えないけど。
「ふん、カラードのリンクスだけじゃなく、そんな連中までいたのか……。これじゃ、いくら倒してもキリがないな……」
 前方に視線を移し、何やら凄まじく物騒なコトを呟いた隻眼の少年はさておき。わたしは再び歩みの速度を速めながら、もう一度だけ都市迷彩の《ニューサンシャイン》を見上げて――その頭部がわずかに下に傾き、バイザーの奥の単眼がこちらに向けられていたのに気がついた。
「……げ」
 思わず呻き声が出る。生の肉眼と巨大な機械の眼球とが、十数メートルの距離を隔てて見つめ合う。ヤバい。今の話、聞かれたか、と思ったのも一瞬、都市迷彩の《ニューサンシャイン》が動き出した。ハンドミサイルランチャーを装備した左腕をおもむろに持ち上げると、ぴんと伸ばした掌を頭部の前に運び、こちらに向けて鮮やかな敬礼をしてみせたのだ。
「ど、どうもっ!」
 半ば反射的に直立し、都市迷彩の《ニューサンシャイン》に向けて敬礼を返す。それを聞きつけたのだろう、隻眼の少年は足を止めてこちらに振り向いて、
「……何だ? 結局、知り合いだったのか?」
「……じゃないと思うけど。この基地に来たのはわたしも初めてだし。多分、この軍服のせいじゃないかしら?」
 その問いに、わたしは首を傾げながらそう答えるしかなかった。そうこうしているうちに、都市迷彩の《ニューサンシャイン》は頭部を傾けて頷くような動作をしてくる。そうして、わたしたちから視線を外すとその巨体を振り向かせ、奥の方へとゆっくりと歩いていった。二百トンもの重量が強化コンクリートを揺るがし、重々しい足音が耳朶に響く。そうして、灰色に彩られた機体が倉庫の影に隠れて見えなくなった頃になって、
「……なるほど。ここにいるネクストは、あいつだけじゃなかったって事か」
 ぽつり、と隻眼の少年が呟く。それに、「ん? どういうコト?」と返すと、彼は左手の親指でもって自分の後ろをくいくい、と指し示す。つられてそちらへと視線を向けて、
「……ああ、なるほど、ね」
 得心がいった、とばかりに呟く。わたしたちの後方、つまり歩いてきた歩道に向かって、左側。そこは航空機や大型ヘリが整然と並ぶ広大な滑走路になっており、その中程辺りに、武器腕型無反動砲を装備した暗緑色の《ニューサンシャイン》と、両腕に長砲身のライフルを装備し、脚部を重四脚型脚部に換装したアンブッシュ迷彩の《ニューサンシャイン》が並んで立っていたのだ。二機のネクストのすぐ前では、ネクストの大きさをしてもシャチのように見える巨体――ネクスト用の大型輸送ヘリである《バラクーダⅣ》が、横腹のハッチを開け放った状態で駐機している。その足下で作業車や兵士たちがうろうろしているのを見るに、ネクストの積み込み作業が行われている最中らしかった。
 さらに視線を巡らせてみれば、左側の遠方、今歩いている道の奥にある大きな基地司令部の建物の前には、衛兵代わりなのだろうか、大口径榴弾砲を両腕に装備し、背部と両肩を長距離分裂ミサイルランチャーで固めたタンク型ネクスト、《霧積》の城郭めいた巨体が鎮座していた。搭乗者の趣味なのか、やや古めかしい三色迷彩で全身の装甲を彩っており、角ばったフォルムの重厚な機体が陽光を受けて輝いている。
「結構な数だな……」
「ふふん、こうやって見ると壮観でしょ?」
 遠くにあってもなお目立つ《霧積》の巨体を眺め、隻眼の少年が漏らした声に、わたしはちょっと得意げに返す。
「この間行ったサセボの基地には、こんな風にネクストは置いてなかったと思うが……他所の基地もこんな感じなのか?」
「そうね。ここはGAの拠点の中では、割と立派な方よ。他の方面軍や他企業の基地なんかは、基地所属のネクストを置いてないところも多いんじゃないかしら」
 他の企業の事情についてはあまり詳しくはないが、インテリオルやオーメルなどにも、こういったランク外のリンクスはそれなりの数がいるらしい。もう何年も前に義父にくっついて視察に訪れたアルテリア施設では、カラードで見かけた事のない《タイプ・ホロフェルネス》が防衛の任に就いていたし、旧来機である《テルス》や《ソーラ》を駆るランク外のリンクスたちとは、実際に矛を交えた事だってあった。
 全リンクスの名簿なんてものはカラードが公表していないため、こうしたランク外のリンクスが全部で何人いるのか、少なくともリンクスの側からでは把握は難しい。だから、この隻眼の少年みたいにリンクスが全部で三十人程度しかいないと思っているリンクスは、案外多いんじゃないかと思う。だが、実際にはそれを遥かに上回る数のリンクスが、世界各地で活動しているのだ。そうでなければ、ネクスト用パーツの市場なんてものが成り立つわけもないわけで。
「……あなたみたいな凄腕ならともかく、今はネクストもアームズフォートも、数で圧してなんぼの時代よ。特にうちは、リンクスの質があまり良くないから、余計に、ね……」
「そうか……おれにはよく分からないが、そっちはそっちでいろいろと大変なんだな……」
「そうそう。こう見えていろいろと大変なんだから……」
 そんな取り留めのない会話を交わしながら、再び歩みを進めていく。先程よりも随分と小さくなったフランさんたちの背中を追い、早足で歩いていって――そうして二人に追いつき、目的地である基地司令部が目前に見えたという頃になって、
「――止めた」
 唐突にそんなコトを言って、セレン・ヘイズが足を止めていた。彼女はこちらに振り向くと、端正な顔立ちに露骨な渋面を作って、
「ここの司令は、あのヴォルフだろう? 旧GAEの軍事顧問だった、元レイヴンの。知らん顔ではないのでな、できれば会いたくはない。どの道、オペレーターまで会う予定はなかったはずだ。ならば、行くのはリンクスの二人だけでいいだろう?」
 そう言い訳めいた言葉を吐いてくる。そうして、並んで立ったわたしたちに意味深な視線を向けると、言い聞かせるような口調で、
「お前たちだけで、挨拶でも何でもしてくるといい。こっちはこっちでオペレーター同士、積もる話というものがある。別に知らぬ仲でもない事だしな?」
 そう言ってから、ちらり、とフランさんの方に視線を向ける。それに彼女は、冷淡そのものの態度で返していた。
「あら? 私としては、お話しする事など何もありませんが?」
「おいおい、そんなつれない事を言うなよ。こっちはまるで、死んだと思っていた旧友に再会したような気分なんだ。機嫌が悪いわけないだろう?」
「…………!」
 どこか挑発的な笑みを浮かべながら、何やら思わせぶりな台詞を口にするセレン・ヘイズ。それに、フランさんは責めるような鋭い一瞥を向けるものの、それ以上の反論を言うつもりはないようだった。まるで、やぶ蛇になるのを危惧しているかのように。
 ……ひょっとすると、あの二人、以前からの知り合いなのだろうか? そういえば、リッチランドの時もフランさんはセレン・ヘイズという名前に反応を示していたし、この二人の間には何か因縁めいたものがあるのかもしれなかった。
 ……そういえば、フランさんがわたしの教育係になる前は、どんな肩書で、何処で何をしていたのか、わたしってば何にも知らないや。
 そんな風に一抹の寂しさを感じているうちに、隻眼の少年は、はあ、と大仰にため息をつくと、
「……行くぞ」
 こちらの返事を待つ事なく、フランさんとセレン・ヘイズを追い越し、基地司令部へと向かっていく。思ったよりも早く遠ざかる、その小柄な背中に、
「ち、ちょっと! 待ちなさいよ、ねえ!」
 慌てた声を投げかけながら、わたしもその後を追っていったのだった。

****

「――はじめまして、かな、メイ・グリンフィールド少尉。そして君が、あの《マザーウィル》を撃破したというリンクスか」
 結局、二人だけで訪れた基地司令部の、受付の軍人さんに案内された最上階の、そのまた一番奥にある一室で。広い部屋の奥にある立派な造りのデスクに腰掛けたその人物は、ドアを開けて入ってきたわたしたちを見るなり、立ち上がりながらそう言って出迎えてくれていた。
 通常のものとは違う、モスグリーンの軍服に身を包んだ中年と言っていい年頃の男性。七三に分けた白髪混じりのダークブラウンの髪に、深々としわが刻まれた顔立ち。その立ち姿はスマートで品があり、深い知性が宿ったブラウンの瞳が印象的な、ナイスミドルとしか言いようのない男性だった。軍服の胸元には数多の略章とともに、中将の地位にある事を示す階級章が縫い付けられている。
 わたしと隻眼の少年はまっすぐにデスクの前まで歩いていくと、片や背筋を伸ばして敬礼をし、片やポケットに手を突っ込んだままで、
「はじめまして。GA北米軍所属、メイ・グリンフィールド少尉です」
「……名乗るような名はない。機体名でも何でも、好きなように呼べばいい」
 片やきりっとした軍隊式の挨拶をし、片やもはや挨拶とすら言えない、気だるげな声を上げていた。……って、いきなりなんてコトしてくれてるのよ、こいつ……!
「ちょっと……! あなた、いい加減に……!」
 すかさず横を向いて、未だポケットに手を突っ込んだままの隻眼の少年に食ってかかる。しかし当の本人はと言えば、涼しげな顔をして中年男性の後ろの壁に貼られた世界地図や、高級感漂う部屋の調度、そしてデスクの傍らに立つ、ジャングル迷彩の戦闘服を着た黒人系の男性軍人に視線を向けていた。社会的地位があり、おまけに自分よりもずっと年上であろう相手を目の前にして、だ。これがまともな大人なら問答無用でアウトを出されるような、とんでもない行為だったが、
「ははは、いや、結構。若者のうちは、そのくらいの反骨心がなければな」
 それを目の当たりにした中年男性自身が、むしろその態度を気に入ったとばかりに笑い飛ばしてしまっては、注意したわたしの立つ瀬がないというものだった。恥ずかしさに顔を赤くして俯いたわたしに、「何、気にする事はない」とフォローめいた一言を向けてから、中年男性はテーブルに身を乗り出し、こちらの方に右手を差し出してきた。薄い口髭を生やした口元に柔和な笑みを浮かべ、
「ヴォルフだ。GA通常軍、欧州方面軍を預かっている。短い間だがよろしく頼むよ、メイ・グリンフィールド少尉」
「は、はいっ!」
 手の甲に古傷が刻まれた、節くれだった手を取る。紳士的な見た目通りの柔らかな仕草の握手を終えると、中年男性――ヴォルフ中将は執務室の隅にあった革張りのソファーを指し示し、そちらに座るように促してきた。
 このヴォルフ中将、かつては腕利きの“レイヴン”だったとも噂される歴戦の猛者だ。元々は欧州を中心に国家軍の傭兵として活動していた彼は、国家解体戦争においては時流を読んで手勢とともにいち早く企業側について、自分の地位を確固たるものにした。その後は自分たちを雇った企業、すなわち旧GAEの軍人として活動していたのだが、この時点ではただの雇われ軍人に過ぎなかったという。
 そんな彼がGAに重用される契機となったのは、国家解体戦争の四年後に起こった旧GAEの離反騒動だった。敵対陣営だったアクアビットと秘密裏に提携を交わし、グループから強引に離脱した旧GAEを早々に見限ったヴォルフ中将は、GA本社からの離反に反発していた旧GAE所属の部隊や技術者たちをその手腕でまとめ上げ、彼らもろとも本社側についたのだ。そうして、GA本社による軍事的制裁やその後の企業間直接戦闘に前線部隊の指揮官として関わっていったヴォルフ中将は、それらの争いの果てに起こった、レイレナード陣営による中枢攻撃に端を発する企業間全面戦争――いわゆるリンクス戦争にも参加し、GAが率いたオーメル陣営の勝利に、多大な貢献をする事になった。嘘か本当かは知らないが、彼の指揮下にあった部隊がレイレナード陣営のネクストを撃破した、なんて話もあるのだとか。
 そうしてリンクス戦争が終わった後で、GA本社直々にその功績が認められたヴォルフ中将は、各企業がしのぎを削る欧州における軍部のトップに任ぜられ――そうして十年もの間、その重責を全うしてきた。言ってしまえば叩き上げ軍人の代表選手のような存在であり、常に慎重かつ用心深くありながらも、時に大胆さを見せる指揮能力の高さから、本社取締役会の役員たちのみならず、前線兵からの信頼も篤いという。身内に対して割と厳しいあの義父ですら、彼を悪く言ったのを見た事がないという、そのような凄い人物だったのだ。
「ほら、行くよ。こっちに座って」
 隻眼の少年のジャンパーの袖を引いて歩き、一緒に部屋の入り口側に配置されたソファーに座る。少し遅れてヴォルフ中将が反対側のソファーに座り、次いでデスクの傍らに立っていた黒人系の男性軍人がその後ろに立って、こちらに体を向けてくる。ヴォルフ中将と同じくらいの年頃であり、真っ黒い肌に年齢を感じさせない筋骨隆々の体格、厳つい顔つきと見事なアフロヘア―が印象的で、剣呑な光を帯びた鋭い目がまっすぐにこちらに向けられている。階級は大佐。おそらくはヴォルフ中将の腹心の部下なのだろうが、あからさまに戦場の臭いがする男だった。
「そうして手を引いていると、随分と仲が良く見えるな。人種が違うとはいえ、まるで姉と弟のよう……ああ、いや、気を悪くせんでくれ」
 何やらからかうようなコトを言ってきたヴォルフ中将が、途中で言葉を止め、ごまかすような言葉を口にしてくる。多分、わたしたちのどちらもが、心底イヤそうな顔をしていたからなのだろう。そうして彼は、こほん、と咳払いをすると、「実のところ、少尉の事はこの作戦が決まる以前から知っていてな」と前置きをして、
「君のお義父上――ローガン・D・グリンフィールド大佐には、昔から戦場で幾度となく世話になっている。戦場での話とはいえ、彼とは何度か酒を酌み交わした事もあってな。そういった経緯もあって、英雄の娘である少尉の話も、幾度となく耳にしているという訳だ」
 英雄の娘――その辺りまで話したところで、隻眼の少年の眉がぴくり、と動く。おや、と怪訝に思ったのも一瞬。ヴォルフ中将がしまった、とでも言いたげに額を叩いて、
「……おっと、君たちが親子である事は社外秘だったな。つい口が滑ってな。済まなかった」
 そんな詫びの言葉とともに、頭を下げてくる。いくらリンクスとはいえ、階級が遥かに下の人間――しかも、下手をすれば孫くらいに年が離れた小娘相手に、だ。逆にこちらが申し訳なく思えて体を縮こませていると、ヴォルフ中将はさも愉快げに笑って、「いや、済まん。かえって恐縮させてしまったようだ」と言ってくる。そうして、
「実のところ、グリンフィールド大佐の娘だからというだけでもないんだ、少尉。君自身の戦い振りも幾度となく聞いているよ。戦場にあっては常に前に出て、味方の盾役を買って出るうら若き女傑。君に命を助けられた前線兵は数知れずで、ついたあだ名は“スマイリー”、“ファイティング・メリー”、そして“聖女の再来”。GA通常軍の中では、かのBFFの“王女”に劣らぬほどの人気でな。私のところでも、君の写真を持っている兵を数えきれないくらい見てきたほどだよ」
「聖女の再来だなんて……いや、そんな……わたしは……」
 ますます顔を茹でダコにして俯くわたし。“スマイリー”はカラードの紹介文にも書かれるくらいだから当然知っていたが、他のあだ名は聞いた事もなかった。そんなものがあるなんて、ドンもフランさんも一言も教えてくれなかったし。挙げ句に、かつてのGAの最高位リンクスである“聖女”メノ・ルーと同一視されるなんて、気恥ずかしいったらありゃしない。
 ……しかし、ちょっと待て。わたしの写真が兵士たちの間で広まっている、ですって? 何時だ? 何時の間に撮られた!? そんなもの!
 そんなわたしの反応が面白かったのか、ヴォルフ中将はますます破顔すると、
「はは、まるでアイドル扱いだな、少尉。見目麗しい戦乙女、しかもここまで若いとなれば、当然の話ではあるのだが。少尉さえよければ、後で兵たちに握手なりサインなりしてやってくれると助かる」
 そうして、「私も、後で一枚所望しておこうかな?」と冗談めかして言ってから、隣に座る隻眼の少年の方を向いて、
「……そして当然、君の噂も耳に入っているぞ、《ストレイド》のリンクス。登録されたばかりの新人でありながら、第八艦隊の《ギガベース》や極東戦線で鹵獲された《ランドクラブ》を撃破し、果てはあの《スピリット・オブ・マザーウィル》までも仕留めた凄腕のリンクス。よもや、こんな年若い少年だったとはな」
 値踏みするような、挑発するような鋭い視線を向ける。殺気めいたものすら籠もったそれを真正面から受けて、隻眼の少年の右目が細まっていき、
「《マザーウィル》の艦長だったウィリアム・ウォルコット中将とは、それなりの付き合いでな。常に親族であるリリウム嬢の身を案じる、身内思いの男だった。彼と、数千もの将兵の命が失われた事は残念だったが……全ては時の運と巡り合わせによるもの。恨みはすまい。いずれはそういった機会があろうが、な。ただ、今はその時ではないという事だ」
「そうか……おれは別に、今からでも構わないんだがな」
「ほう? 確かに只者ではないな……なるほど、これは面白くなってきた……」
 淡々と、そして着実に宣戦布告めいた言葉のやり取りがなされていく。いや、別に当人たちは軽いジャブの応酬のつもりなんだろうけど、傍から見ている分には、とてもじゃないけど平然としていられるようなものじゃない。わたしは半ば慌てるように、横合いから口を挟んでいた。
「……あの! 今回の作戦に当たって、欧州方面軍から新型機を出していただけるという話を伺っているんです、けど……」
 後半はほとんど消え入るようなわたしの声に、ヴォルフ中将はあっさりと視線の応酬を止めると、こちらの方を向いて、
「ああ、その事か。今回の作戦に当たって、我がGAEで開発した水陸両用機の最新型を二個小隊、出撃させる。加えて欧州方面軍からは四個小隊規模のノーマル部隊と工作部隊、それに君たちの母艦兼砲撃支援として、《ギガベース》を一隻出す。それには私も搭乗するつもりだ」
 ……ぱっと聞いて、少ないな、と感じた。仮にも敵の一大拠点を攻めようというのに、せいぜい中隊規模のノーマル部隊しか寄こさないなんて。《ギガベース》を出してもらうのはありがたいが、これではまともな制圧作戦なんてできる訳が――
「それと、これは私としても意外だったのだが、BFFからもノーマル部隊を出す事になっている。“サイレント・アバランチ”に最新の四脚型ノーマルだそうだ。こちらは我々の工作部隊とともに偽装輸送船に乗り込み、数日前に出発している。我々の攻撃を待って展開し、撹乱に徹する予定となっているな。……王小龍め、通常戦力であれば割と気前よく出すらしい」
 続けてつけ加えられた説明は、その不安を払拭するどころか、助長するものでしかなかった。BFFが戦力を出すというのは事前に聞いていたが、ネクストではなくノーマルって。
 そんな落胆が顔に出ていたのだろう。ヴォルフ中将は深いしわが刻まれた顔に苦笑を浮かべると、
「少尉の言いたい事は分かるよ。作戦の規模にしては少なすぎる、というのだろう?」
 そう言って、ソファーに深々と身を沈める。そうして、自嘲するかのような口振りで、
「本社の役員連中の腰が、思いの外重くてな。侵攻作戦に自分たちの部隊を出そうとはしなかったんだ。ネクストを二機も投入すればそれで十分だろう、その後の制圧はこちらでやる、とな。あるいは、あの陰謀屋に何か吹き込まれたか……。その結果として、本来は外様であるはずの我々にお鉢が回ってくる有様と、こういうわけだ。先程説明した数も、私が本社にかけあって何とか絞り出した、精一杯の戦力というところでな。これ以上の数は出せなかった」
 あ、制圧部隊は別にいるのか。それなら納得……って、そうじゃない! というコトは、わたしたちはただの露払い、掃除役か? 何それ、ふざけてるの――!
 内心で怒りに震えるわたしに、しかし、ヴォルフ中将は不敵な笑みを浮かべて、
「……だがな、少尉。そう馬鹿にしたものでもないぞ? 確かに数は不十分だが、その分だけ精鋭を揃えたつもりだし、武装も赤字覚悟で充実させている。特に、さっき話した新型の水陸両用機――あれは、ちょっと凄いぞ。本格的な戦闘に出すのはこれが初めてだが、必ずや役に立ってくれるはずだ」
 と言われても、はい、不安じゃなくなりました、なんてコトになるわけもなく。
「はぁ……あの、ありがとうございます……」
 歯切れ悪くそう答えるのが精一杯で、それにヴォルフ中将は気を悪くした風もなく、ソファーから身を起こすと、
「さて、今後の予定だが……君たちには二時間半後に出港する《ギガベース》に搭乗してもらい、そのまま近海まで移動。こちらの部隊が攻撃を開始した後、オーバードブーストで一気に軍港内に突入してもらうという手筈になっている。到着までおよそ二日かかる見込みだが、それまでの時間は艦内でゆるりと過ごしていてくれ。豪華客船のスイート並みとはいかんがな」
 そんな説明を聞きながら、わたしもつられて立ち上がりかけ――なおも座り続ける隻眼の少年の肩を叩き、一緒に立ち上がらせる。
 ……いちいち手間がかかるな、こいつ。誰かがしなきゃならない役回りとはいえ、こいつと姉弟みたいだなんて冗談じゃない。
 そんなわたしたちを見て、ヴォルフ中将はさも面白そうに笑うと、先程座っていたデスクに移動する。デスクの上に置かれた通信機を操作して、「アドヴァン中尉を呼んでくれ」と呼びかけて――そうして、ものの数分も経たないうちに、「失礼します」という声とともに部屋のドアが開けられていた。
「お呼びでしょうか、司令」
 丁寧な仕草でドアを閉めてからそう言ってきたのは、三十くらいの大柄な男性だった。短く刈られた黒髪に、ラテン系の浅黒い肌。サンドカラーの軍服に包まれた鍛え抜かれた体躯に、薄く無精髭を生やした精悍な顔立ち。澄んだ青い瞳からは、確固たる知性と理性が窺い知れた。
 男性軍人の問いかけに、ヴォルフ中将は鷹揚に頷くと、わたしたちをちらり、と横目で見て、
「うむ。この客人たちを《イントレピッド》まで案内してほしい」
「イエス、サー!」
 それに張りのある声と見事な敬礼で返した男性軍人は、そのままわたしたちに向き直ると、上司に向けていたそれと全く変わらぬ真摯な態度で自己紹介をしてきた。
「はじめまして。GA欧州方面軍所属、リカルド・フェデリコ・アドヴァン中尉です」
「は、はじめまして。メイ・グリンフィールド少尉です」
「ふん……」
 それに、わたしは慌てて敬礼を返す。一方で、隻眼の少年は相変わらずの態度だったが、男性軍人はそれに気を悪くした風もなく、「それでは、案内いたします。こちらへ」と言って、ホテルのボーイさながらの丁寧さで部屋のドアを開けてくる。それに一度頭を下げてから、再度ヴォルフ中将の方へ向き直り、隻眼の少年の一緒に深々と一礼をする。
 ……ん? 何でこいつが素直に礼をしたのかって? それはもちろん、わたしがこいつの頭に手をやって、ぐい、と強引に頭を下げさせたからに決まっている。
 そんなわたしたちの姿が面白く見えたのか、ヴォルフ中将は再び破顔すると、
「今夜は本場の欧州料理をご馳走しよう。君たちの舌に合うといいのだが」
 そう言って、右手を斜め前に持ち上げる。もう行っていいぞ、という合図なのだろう。
「はい、ありがとうございます。では、わたしたちはこれで……」
「ちっ……」
「だから、そういうの止めなさいって!」
 そうして、そんな言い争いをしながら。わたしと隻眼の少年は執務室を後にして――

****

 ――そうして、あの二人が出ていってから数分後。ヴォルフ中将はデスクの椅子に深々と身を沈めると、傍らに立っていた黒人系の男性軍人に視線を向けた。
「……どう思う、大佐? あのリンクスについて」
 どちらかは言うまでもない。あの隻眼の少年――《ストレイド》のリンクスについてだ。その質問に、大佐と呼ばれた黒人系の男性軍人は、「……猟犬ですな」と言葉少なに答えていた。それにヴォルフは鷹揚に頷くと、再び視線をドアに向ける。先程までの柔和な笑顔は見る影もなく、陰惨な戦争屋の顔がそこにあった。
「だろうな。しかも、その中でもとびっきりの狂犬だ。戦う事以外には何の関心もない、そう言っているような目だった」
 あのリンクスの一つしかない瞳の色を思い出す。血の混じった汚泥を思わせる、茶色く濁った瞳。その内側に無限に続く地獄を内包したような、底知れぬ怒りと憎悪に満ちた眼光。
 まだ十代も半ばという小僧っ子であろうに、それがどのような人生を送れば、どのような地獄を潜れば、あのような目になってしまうのか――
「あの少尉もだ。この世の地獄を見て、そこが地獄と知りながら、それでも戦場に舞い戻ってきたような、そんな目をしていた。本来ならば無邪気に学校に行って、恋愛話に花を咲かせているような、そんな歳でだ」
 ため息混じりの言葉を吐く。メイ・グリンフィールドの来歴にはざっと目を通してはいるが、十年前に目の前で母親を失っているらしい。そうして、紆余曲折を経てGA本社に引き取られ、リンクス養成学校での訓練と兵器開発のためのテストパイロットを経て、たったの十四歳で正規のリンクスになったのだという。
 少年兵というにもあまりにも若すぎる軍歴と、エメラルドグリーンの瞳の中に宿った悲しみと怒り、そして決意の色とが重なり合い――やりきれんな、と胸の裡で呟いたヴォルフは、相も変わらず直立不動の鉄面皮を押し通す自身の腹心を見やった。
「……全く、気が滅入るな、大佐。あのような子供たちを見ると、そうなるような世の中にしてしまった大人としては」
 自嘲めいた言葉に、大佐は「は……」と言葉短に答える。色黒の鉄面皮は微動だにしなかったが、鋭い眼光がわずかに憂いの色を帯びたのを、ヴォルフは確かに見た。
 そうして、再びため息をつく。紛争地帯で生まれ、少年と言える年頃から戦場に身を置き、この地位に就くまでに、多くの兵を、仲間を失ってきた。親代わりだった老兵も、友と呼んだ兵士たちも、恋人だった女傭兵も。それも戦場の習いだと諦観し、男も女も、老いも若きも平等に死んでいくものだと思っていたが――ある時からそれが、自分よりも年下の者ばかりになったと気づいたのだ。
 そう、年を経た彼が指揮官として才覚を表し、人の上に立つようになった時から。己のような子供を増やしたくはない、そんな一心で戦ってきたはずだというのに、気がつけば老いさばらえた自分だけが、こうしてぬくぬくと生き残っている――
「かつて相見えたリンクスたち――ローディーもテレジアも、シェリングもミヒャエルも、そして“アナトリアの傭兵”も、あの二人のような目をしていた。……全く、レイヴンもリンクスも変わらんな。上に行く者は常に、あのような目をした者ばかりだ……」
 あんな目をした連中だけが。この世を地獄だと認識し、それに適応できた者たちだけが生き残っていく。そうでない目――人間として真っ当な目をした連中は、早々に命を奪われるか、あるいは生き延びたとしても一生癒えない傷を負うか、常にその二択だった。
 それでも、ある程度の歳を経た者であれば、自己責任と言い切れよう。己の考えや信念、都合によって戦場に赴き、己の判断に、実力に、運によってもたらされた結果なのだから、その結果には責任を持つべきだ。
 ……だが、年端もいかぬ子供たちが、あのような目をしていい道理がない。子供というものはもっと無邪気に、純粋に、希望に満ちた目でもって世の中を見ているべきなのだ。
 いずれは、この世が地獄だと知るとしても。綿々と命繋いだその先に、何も変わらない絶望だけが待っているとしても。悪意に満ちた大地に種を撒く行為に、意味などないと知る事になるのだとしても、それでも――
「本来であれば我々のような歳を取った大人こそが率先して矢面に立つべきなのに、実際に矢面に立つのはいつもあのような若者たちだ。我々にできる事と言えば、わずかな護衛をつけてやる事だけ……。寒い時代だとは思わんか……」
 自嘲の言葉に、答える者はいない。朝の眩い太陽の輝きが、暗闇に慣れた目に痛かった。

****

「……着きました。あれが、今回の作戦の母艦――《ギガベース》級アームズフォートの十一番艦、《イントレピッド》です」
 この軍港基地の西端。数多の軍艦が停泊している船着き場を目の前にして、わたしたちが乗ったゴツい軍用エレカは停車していた。
「うわぁ……やっぱり、近くで見ると大きいわねぇ……」
「ほう……」
 エレカから降りて、岸壁にそびえる巨体を感嘆の言葉とともに見上げる。反対側に降り立った隻眼の少年もまた、感慨深そうな声を上げた。
 目の前に広がる岸壁の中央。隣に停泊する戦艦や巡洋艦の巨体を圧倒的なスケールの差でもって従えながら、その《ギガベース》は文字通り桁外れの巨躯を、船着き場に停泊させていた。接岸中で機体の下部が隠れているとはいえ、それでも双胴船めいたボディの高さは三百メートル近く。モスグリーンに塗られ、“11”のハルナンバーが書かれた舷側装甲板は、視界全体を埋め尽くす文字通りの断崖絶壁であり、胴体部の上端を見上げようと思ったら首が痛くなってくる。その上にそびえているはずの艦橋と主砲は、大きくせり出したボディに隠れて、ここからでは伺えなかった。
 ……ここに来る前に資料で見たところ、この《イントレピッド》と呼ばれた機体は、《ギガベース》級アームズフォートの中では中期型に分類されるものらしい。すなわち、初期型の性能を維持したままノーマル部隊の運用能力を付加されたタイプであり、だからこそ今回の作戦の母艦として選ばれたのだろう。……これがノーマルの搭載を考慮していない初期のタイプだったりすると、露天駐機とかする羽目になっていたはずだから、そうでなくてとりあえず一安心、といったところか。
「ええと、リカルド・フェデリ、コ……え~と、アドヴァン中尉?」
 振り返り、運転席から降り立った男性軍人に呼びかける。わたしのたどたどしい呼びかけに、アドヴァン中尉と呼ばれていた男性軍人は気にした風もなく、柔らかい笑みを浮かべると、
「リカルド、で結構です。何なら、仲間内ではアドヴァン・ジュニアと呼ばれておりますので、そちらでも」
 そんな言葉を投げかけてくる。そうして、「行きましょう。こちらへどうぞ」と言って、《ギガベース》の巨体に向かって歩き始めた。その広い背中を追って、わたしと隻眼の少年もまた歩き始める。
(フランさんもどっかに行っちゃったし、最初はどうなるかと思ったけど……話しやすい人で良かったなぁ……)
 先導するアドヴァン中尉……もとい、リカルドさんについていきながら、内心でそんなコトを考えていく。ここに来るまでに何回か言葉を交わし、簡単な自己紹介も受けたけど、それは第一印象だった知的で物静かな雰囲気を裏切る事はなく、むしろある種の安心すら感じさせるものだった。
(正直、ラテン系の優男ってだけでちょっと警戒してたけど……むしろ、そういうイメージとは真逆の、誠実な人じゃない。やっぱり、人間は見た目だけじゃ分からないものよね……反省しなきゃ……)
 ラテン系はノリが軽くて軟派男なイメージがあったけど、この中尉さんはそんな事もなく、いたって真面目かつ紳士的な言動だった。人当たりも良く、謙虚で優しくて、イケメンだし……正直言って、隣のコイツとは天と地ほどの差があった。こいつはこいつでよくよく見ればそれなりの顔をしているが、いくらなんでも態度が悪すぎる。どちらが女の子にモテるかといえば、間違いなくリカルドさんの方だろう。実際、彼の左手の薬指には指輪が嵌められていたりするし。
 だからなのだろうか、隻眼の少年はまるで羨ましがるかのように、リカルドさんの後ろ頭に向かって鋭い視線を向け続けていて――
「……あんた、リンクスだな」
 唐突に、ぼそり、と冷たい声で呟いていた。それに、「え……?」と呆気に取られた声を上げたわたしにはお構いなしで、隻眼の少年はポケットに手を突っ込んだまま、しかし油断ならない隙の無さで、背中を向けて立ち止まったリカルドさんの方に体を向けて、
「商売柄、相手の首の後ろは見るようにしていてな。……襟で隠したつもりだろうが、よく見れば分かる」
 ……言われてみれば。ぴんと立てた軍服の襟元で半ば隠れてはいるが、リカルドさんの首の後ろの皮膚に、色こそそっくりだが若干質感が違うもの――肌色に着色されたバイオプラスチック製のカバーが装着されているのが見えた。本来は義肢などの表面に用いられる素材だが、わたしたちのような人種にとっては別の意味を持つものでもある。首筋に埋め込まれたAMS接続用のジャックを覆い隠す、保護材の素材でもあるのだ。それをつけているという事は、つまり目の前の人物は――
「はは、もう気づかれましたか。やはり本職のリンクスは違いますな。できればもう少し伏せて、驚かせようと思っていたのですが」
 隻眼の少年の指摘に、しかしリカルドさんは慌てる事も、取り繕うような事もなく、それをあっさりと肯定してみせた。
「確かに、あなたのおっしゃる通り、私はリンクスです。ですが、これまでお話しした私の素性に、何一つ偽りはありませんよ? ……ほら、この通り」
 そうして、リカルドさんはこちらに向き直ると、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら、左手で鮮やかな敬礼をしてみせた。……いや、軍の教本さながらの模範的な姿勢の良さなのは分かるけど、何で左手で……って、あ……!
「……ひょっとしてあなた、外にいた都市迷彩の《ニューサンシャイン》の……!?」
 わたしの言葉に、リカルドさんは浮かべた笑みを深めると、まるであの時の都市迷彩の《ニューサンシャイン》のように小さく頷いてみせる。
「そういう事です。私の乗機は右腕が重いもので、搭乗中はつい左腕でやってしまう癖がついてしまいまして」
 そう言って苦笑するリカルドさんに、わたしは驚くやら、呆れるやらで、開いた口が塞がらなかった。
 ……そりゃそうだ。あの重ガトリングガンは、本来は重量級ネクストを想定して設計されたもの。中量級の《ニューサンシャイン》には若干荷が重い代物であり、そんな重量物をぶら下げたまま敬礼なんてしたら、下手すればバランスを崩して転倒してしまいかねない。……ていうか、そんな状態なのにわざわざ敬礼なんてしなくてもいいと思うのだが。
 そうして、わたしがぽかんと口を開けている傍らで、隻眼の少年はポケットに手を突っ込んだままで、リカルドさんに向けて一歩踏み込む。それこそ返答次第では、すぐさま襲いかかりかねない――そんな剣呑な表情で、彼の顔を見上げて、
「……つまり、あんたはGAのリンクスで、だから今回の作戦の間は味方だと、そう言いたいのか?」
「その通りです。……ああ、もちろん背中から撃つつもりはありませんよ。私の腕でそんな事をしたら、あなた相手ではすぐにやられてしまいますからね。しかし、噂通りの油断の無さですな。戦場でない場所ですら、これなのですから」
 その問いかけに、リカルドさんは一歩も下がる事なく、柔和な笑顔のまま答えていく。それをどう受け取ったのか、隻眼の少年は露骨に舌打ちをすると、如何にも渋々といった緩慢な動作で、ポケットに突っ込んでいた両手を引っこ抜いていく。ポケットから手を出したその一瞬、その中に黒光りするナイフのようなものがちらりと、しかし確かに見えていて……って、おい。こいつってば、何てところに何てものを持ち込んでるのよ……!
 呆れるわたしを尻目に、隻眼の少年は両手をだらりとぶら下げたまま、吐き捨てるような口調で、
「――ふん。この世界なんて、何処もかしこも戦場みたいなものだろう?」
 それは静かで、素っ気なく、しかし確かな怒りと憎しみに満ちた声色だった。それを真正面から受け止めたリカルドさんは、柔和な笑みを困ったような苦笑に変えて、
「はは、確かに。しかし、あなたほどの年若さでそのように言われると、大人の立場としては複雑な気分になってしまいますね」
 その言葉に、もう一度舌打ちをすると、隻眼の少年は彼に対して興味を失ったのか、ぷい、とそっぽを向いていった。それをたしなめようとして――しかし、その前にはっきりとさせておきたい事があって、わたしは再度リカルドさんに向き直った。
「……っていう事は、あなた、少なくともわたしの事は事前に知っていたってコト……?」
 あの時、ネクストに乗った彼は、確かにわたしの顔を見て敬礼してきた。という事は、事前にわたしの顔を知っていたという事になる。しかし、それはおかしいのだ。何しろ、顔写真を含むリンクスの個人情報は、企業の役員ですらそう簡単にアクセスできない、重度の機密情報である。それはリンクスであるわたしたちとて例外ではない。現に、わたしはリカルドさんを初めとした、ランク外のリンクスたちの顔や名前すらも知らなかったのだから。
 わたしの詰問に、リカルドさんは再度柔和な笑みを浮かべると、「はい。少尉が今日ここに来られるのは、基地司令部から聞いておりましたから。ですから、外の見張りに立って、待ち受けていた次第です」と平然と答えてくる。
「少尉はそのご活躍から、通常軍では有名人ですし、兵たちに人気もあります。一部では顔写真も出回っているようですから、顔を知っている兵は少なくないかと思います。……ですが、私の場合はそれだけではありません。四年前のあの時から、少尉の事はよく存じ上げております」
 そう言って、リカルドさんは唐突に軍服の前ボタンを外し、脱ぎ始めた。ていうか、何で脱ぐの!? そう言いかけたところで、言葉に詰まった。はだけられた上着の内側、タンクトップを着た鍛え上げられた上半身の、その右側から肩口にかけての広い範囲にわたって、古い火傷の跡があるのが見えたのだ。爛れたまま治癒した皮膚は、それがかなり酷い火傷だったのが見て取れ、さらに肩の辺りにはかなり大きな銃創のようなものまであった。
 呆気に取られたわたしに、リカルドさんは不思議な熱の籠った視線を向けて、
「四年前、通常軍にいた頃に南欧で負った傷です。乗機のコックピットを貫通した弾が肩に当たり、機体も炎上。一時的に操縦不能になったのですが……そこで、任務中だった少尉の機体に助けられました」
「へ……? 四年前? 南欧で? 言われてみれば、確かにそんなコトもあったとは思うけれど……」
 そうそう、思い出した。わたしがまだまだ駆け出しだった頃。南欧辺りで展開中の通常軍が、ネクストを含むインテリオルの大部隊と遭遇戦になって、それを義父と一緒に救援しに行ったんだっけ。でもその時は、任務が終わったらすぐにネクストごと輸送ヘリに戻ったはずだから、生身の兵士と会った、なんてコトはなかったと思うのだが。
 そうして首を捻るわたしの顔を真っ直ぐに見つめ、リカルドさんはこう続けた。
「その時の私の乗機は、《A-10》。被弾し、墜落寸前だったそれの前に割って入り、敵弾からの盾になってくれた少尉の機体の後ろ姿は、今でもはっきりと覚えています。そして、その時に通信ウィンドウに表示された、まだ幼さの残る、美しい顔立ちもまた」
「……《A-10》? それって確か、対地攻撃機の……あ! だから、あのエンブレム……!」
 そうして思い出した光景に、わたしは素っ頓狂な声を上げた。都市迷彩の機体の左肩に描かれた、魚めいた灰色の頭部にサメを模した目と口のペイント、そして鼻先のガトリング砲という姿形は、言われてみれば《A-10》――旧合衆国時代から用いられてきた対地攻撃機、《サンダーボルトⅡ》の機首と一致する。
 ……そういえばその任務中に、味方とはぐれて墜落寸前になっていた《A-10》を助けたような記憶がある。確かその時は、相手がヘルメットを被っていたので顔は分からなかったけど、映像付きの通信回線で安否の確認をしていたような気もする。という事は、リカルドさんはその時のパイロットで、その後にわたしと同じリンクスになって、こうしてわたしと再会した、と。……全く、何ていう巡り合わせだろうか。
 そうして、その時の事を思い出して唖然とするわたしの前で、リカルドさんははだけた上着を戻しながら、言葉を続けていく。
「……敵軍の急襲を受け、友軍からも見放され、愛機とともに死を待つのみだった私にとって、あの日のあなたは女神のように思えたものです。たとえそれが、四年の年月を経て成長したとしても、見間違えるはずがありません。……改めて、申し上げます。あの時は、ありがとうございました」
 そう言って、軍服を整えたリカルドさんは、こちらに向かって深々と頭を下げてくる。それを前にして、わたしはどう答えたものか分からずに、ただおろおろとしていた。隣にいた隻眼の少年までもが、余計な口を挟む事なく、黙ってその様子を見守っている。そうこうしているうちに、リカルドさんは下げていた頭を上げて、
「私は残念ながら基地への攻撃には参加できませんが、私の乗機である《サンダーボルトⅢ》も、直援としてこの《イントレピッド》に積み込む予定になっています。粗製リンクス故に大した事はできませんが、せめて少尉たちの帰る場所くらいは護らせてもらいたいと思い、志願いたしました」
 生真面目そのものの口調で、そんな事を言ってくる。……いや、まあ。その心遣いは大変ありがたいけど。でも、自分のネクストにまでそんな名前をつけるなんて、どんだけ《A-10》が好きなんだ、この人。
 そんな思考が目に出ていたのだろう。リカルドさんはどこか遠い目をして、
「私の曽祖父は、第二次大戦時に《サンダーボルト》という戦闘機に乗って、ナチと死闘を繰り広げたそうです。そして旧合衆国の兵士だった父も、その名を受け継いだ《A-10》に乗って、中東やウクライナなどで独裁者たちの軍勢と戦ったと聞いております。子供の頃は、そんな自慢話ばかりを聞いて育ったものです。……だからですかね、私があの機体に強い憧れを抱くようになったのは。それは、実際に乗る事になった四年前も、リンクスになった今も変わる事はありません」
 そう言って、照れ臭そうに笑った。それはまるで、幼い少年のような純朴な笑顔で――ああ、何か良いな、こういうの。女のわたしには、よく分からないけど。
 そうして、わたしたちが向かい合って立っていたところに、
「――アドヴァン中尉。彼らが、今回の作戦に参加するリンクスかね?」
 横合いから、こちらに向かってかけられた声があった。そちらを振り向いてみれば、《ギガベース》の舷側装甲の一角に設けられたハッチが開き、桟橋に繋がる足場になっていて、そちらから三人の男性軍人が歩み寄ってくるところだった。リカルドさんはそちらに振り向いて、「はっ、艦長。例の客人をお連れしました」と張りのある声で答える。
「そうか」
 そう短く返事をし、先頭にいた男性軍人が立ち止まる。年の頃は四十過ぎ。軍服に包まれた体は痩せぎすで、如何にも陰気そうな顔に銀縁眼鏡をかけた、神経質そうな軍人だった。行儀よく被ったキャップには、金字で“GFS-11 Intrepid”と刺繍されていた。
 後ろの大柄な二人もまた立ち止まり、両手を後ろで構える中で、先頭にいた男性軍人が、リカルドさんに勝るとも劣らない綺麗な姿勢の敬礼をしてくる。彼はその鉄面皮に、少しの笑みさえも浮かべる事もなく、
「……ようこそ、《イントレピッド》へ。メイ・グリンフィールド少尉、そして、《ストレイド》のリンクス。当艦への搭乗を、歓迎いたします」
 陰鬱な声でそう言って、わたしたち二人を出迎えたのだった。

 

 

 二日前、午後九時十五分。大西洋を航行中の《ギガベース》級アームズフォート、《イントレピッド》の右舷上部甲板にて。

「いや~、食べた食べた!」
 そんなコトを呟きながら、わたしは《ギガベース》の上部甲板を、一人で歩いていた。
 ……あの後、この《ギガベース》の艦内を案内され、士官たちによる歓待を受けたわたしたちは、割り当てられた部屋に案内された頃になって、出航の時を迎える事になった。で、それから数時間ほど休んだ後で士官用の食堂に行ったわたしとフランさんは、ヴォルフ中将やここの艦長を始めとしたお偉いさんたちと一緒に、つい先程まで夕食を食べていたのだった。とはいえ、《ストレイド》一行の方は当然のようにその場に来なかったのだが。
 で、一足先にお風呂に入りに行ったフランさんと別れたわたしは、本来であればそのまま自室として割り当てられた部屋に戻るつもりだったのだが、途中でふと思い立ち、寄り道をする事にしたのだった。
「う~ん、やっぱり食後のちょっとした散歩は格別よね~。火照った体に、冷たい夜風がまあ気持ちがいい事、気持ちがいい事!」
 早足で甲板を歩きながら、う~ん、と伸びをする。満腹になったおなかが伸びをする事で活性化し、ごろごろと鳴っていく。温かい料理を食べてぽかぽかと火照った体が、夜風に当たる事でいい感じに冷めていく。それがまた、心地が良くて。
「久しぶりに食べたけど、美味しかったな~、フランス料理。あのソースの使い方に、しっかりと熟成された食材、そして手間暇かけてじっくりと火を通した料理の数々。盛りつけも綺麗だったし、さすが本場欧州のシェフの味! ……まあ、量が足りないのがちょっと不満だけど、ね。だから、ちょっとくらいおかわりしたって、いいじゃないっていうのよ。フランさんってば、そういうところは相変わらずうるさいんだから~!」
 ぶ厚いというレベルではない鋼板で覆われた上部甲板を歩きながら、吹きつける夜風に負けない声量で、腹の中に溜まったものを吐き出していく。
 ……たまにはこうやって大きな声を出したり、当てもなく散歩したりするのも、実はストレス解消の秘訣だったりする。住み慣れた場所を離れ、遠く離れた地に赴いた時には、そういった些細な事の積み重ねが体調やメンタルを大きく左右したりするのだ。リンクスなんて過酷な仕事をしていると、特に。
「うひゃ~! 間近で見るとやっぱりでっかいわね、これは」
 早足で歩きながら左右に視線を巡らせ、そんなありふれた感想を漏らす。広大な上部甲板の上にはネクストほどのサイズはあろうかという巨大な高射砲が立ち並び、そのずっと奥には、胴体部の端に設置された大型の副砲が海の向こうを睨んでいる。視線を斜め上に向ければ、巨大としか言いようのない二つの主砲を両脇に接合し、上部に巨大な多連装ミサイルランチャーを備えた、これまた巨大としか言いようのない大型の艦橋が、夜空の星々を背景に静かに佇んでいた。
 真ん中に巨大な艦橋がそびえ立つ双胴船といった趣の《ギガベース》は、アームズフォートとしては小柄な部類ではあるが、それでも水底に沈んだ無限軌道までを含めた全高は四百メートル以上もあり、その全長もまた一キロは下らない。今歩いている上部甲板は、二つに分かれた胴体の半分ほどの長さだが、それでも並みの公園よりはよほど広い。障害物が多いのや潮風に濡れた鋼板が若干滑りやすいのさえなければ、運動会だって開けそうなくらいだ。
(う~ん、海風が気持ちいいし、いっそこのまま駆け出しちゃおうかしら? ……うん、それもいいかな。食後の運動にだってなるし、何よりスカッとするし。……よ~し、行くぞ~!)
 そうしていったん立ち止まると、深々と深呼吸をして、それから腰を沈めて下半身に力を籠める。浅く曲げた両脚がバネのように跳ね、弓なりになった体が勢いよく駆け出して――
「――何だか騒々しいと思ったら、おまえか。暴力女」
「……~~っ!?」
 その直後、横合いからいきなり声をかけられたわたしは、勢い余って、その場でつんのめるようにして転んでしまっていた。
「いたたた……」
 上部甲板に腹ばいになりながら、恨みがましい目を声がした方に向ける。近くにあった高射砲の影。そこに、砲塔基部に背中を預け、腕組みをしながらこちらを見下ろしている隻眼の少年がいて。憮然とこちらを見つめる右目と、わたしの見上げる視線とが真正面からぶつかり合って、
「何で、あなたがここにいるのよ……」
「……おまえと同じだろう、暴力女。体を冷ますために、夜の風に当たっていただけだ」
 こちらの問いかけに、不機嫌そうにそんなコトを言ってくる隻眼の少年。その焦げ茶色の瞳には、またおれの邪魔をしに来たのか、とありありと書いてあって。それにカチンときたわたしは身を起こしがてら、もう一度睨み返して、
「……もう何度目かだけどさ。いいかげんその、“暴力女”ってのは止めてくれない?」
 それこそ最初に出会った頃から、ずっと言いたかったコトを口にしていた。右の人差し指を隻眼の少年に向け、ずい、と顔を近づけて、
「いい? わたしには、メイ・グリンフィールドっていう、ちゃんとした名前が――」
 そう言い放とうとしたところで、不意に「……それは、本名なのか?」と質問を返されて、思わずきょとんとなってしまう。
「え? そうよ、本名よ。……一応、ね」
「リンクスネームに本名を使うなんて、随分と不用心なんだな。このご時世、どこから弾が飛んでくるかも分からないのに」
「な、なかなかに鋭いコト言ってくるわね、あなた……」
 隻眼の少年の呆れたような言葉に、思わず頬を引きつらせてしまう。言われてみれば、その通りだ。リンクスなんていう、それこそ人の恨みを買いまくるような仕事をしているというのに。今更ながら不用心だったかと思う反面、ダンやドンを始めとした、本名でリンクスをやっているいくつもの顔が脳裏をよぎり、どっちが正しいのか分からなくなったわたしは、半ばヤケクソめいた気分で、
「……まあ、何ていうの? こう見えて、この名前には誇りを持ってます、か、ら! ……まあ、借り物みたいな誇りだけどさ」
 そんな言葉を口にしていた。それに、隻眼の少年はきょとんとした目をして「……借り物?」と呟いてくる。……ああ、しまった。そんな言い方をすれば、当然のように相手はそこを気にするはずなのに。でも、こいつの焦げ茶色の瞳に見つめられていると、不思議と嘘やごまかしをする気にはなれず――数秒の逡巡の後、結局、正直に言う事にした。
「……養子なの、わたし。厳密には微妙に時期が違うけど、リンクス戦争で母親を亡くしてね。それで、その……いろいろあって、今のお義父さんに引き取られた、ってワケ」
 ……そう、いろいろあった。本当に、いろいろと。我知らず体をぎゅっと抱きしめたのは、冷えた海風のせいだけではなかった。
 そんなわたしを見て、さすがの傍若無人な隻眼の少年も、心持ち神妙な顔をして、
「……そうか。今時、珍しい話ではないな」
「~~っ! まあ、そうなんだけどね!」
 あまりと言えばあまりな物言いに、私は半分以上キレながら、怒鳴るように返していた。
 前言撤回。やっぱりこいつはどうしようもないヤツだ。人の心というものを持っていないに違いない――そう結論づけて、踵を返そうとした時だった。
「……だから、気にする事はない。おれも、おまえと似たようなものだからな……」
 そんな言葉が、背中に投げかけられていた。今までと違った、どこか気遣いとか優しさとかを感じさせる口調で。
「え……?」
 振り返って、隻眼の少年の顔をまじまじと見やる。昼までは、こうすると思いっきり嫌がってたくせに、今は黙ってこちらに見られるがままになっている。表情も今までのむやみやたらに不機嫌そうな顔ではなく、笑顔とまではいかないけど、どこか柔らかさを感じさせるもので。
 ……ひょっとして、励ましてるつもり……なのかな? 思いっきり不器用で、失礼で、分かりにくい物言いだけど、こいつなりに頑張って。……ていうか、今さらりと、こいつのプライベートな情報らしきものを言っていたような……。
「今のって、ひょっとして……わたしの事、励まして……?」
 恐る恐るそう尋ねてみると、隻眼の少年はどこか照れくさそうに顔をあらぬ方へと向けて、
「……何だ? おれがそういう事言っちゃいけないのか?」
 憮然とした声で、そんなコトを言ってくる。けれど、こちらの視線からあからさまに顔を逸らしながらでは、いまいち格好がついていないというか。
(……何だ。そうだったんだ、こいつ……)
 思わず口元が緩んでしまう。歳の割に達観したような物言いをしているから、てっきりいろいろと世間慣れしていると思ってたら、実はそんなコトもなくて――何というか、すっごい不器用で、まっすぐなヤツだ。それこそ、わたしなんて目じゃないくらいに。本当に励ましたいと思ったのなら、そうでなくても女の子というものを相手にするのなら、他にいくらでも言い方というものがあるだろうに。そう思って、内心で苦笑していると、
「……メイ・グリンフィールド」
「え……?」
 その時、隻眼の少年は唐突にわたしの名を呼んできた。それに戸惑っていると、
「だから、メイ・グリンフィールドなんだろう、おまえの名前。今度からはそう呼べばいいのか?」
 そう、率直に聞いてくる。それに、「う、うん」と答えると、彼はわずかに姿勢を正して、
「分かった……メイ・グリンフィールド。……これでいいのか?」
「うん……」
 その問いに、そう答えた。そうして、それで言う事はなくなったのか、しばしの沈黙が二人の間に流れていった。こっちは向こうを見つめて、向こうは明後日の方向を向いてはいるけど、それでも昼間やさっきまでのぎすぎすした空気はなくて、
(そっか……こいつ、素直な物言いだとこんな感じになるのか……)
 無口で不愛想でぶっきらぼうなのは相変わらずだけど、それでもこちらを慮るような感じは確かにあって――我知らず、口元がふっと緩むのを感じる。
 だからなのだろうか、こちらも素直にならなきゃ、と思ったのは。居住まいを直し、ふう、と深呼吸をして、
「あのっ! あのね……二日前の、その……オーダーマッチの後の事なん、だけど……」
 若干尻すぼみになりながらも、何とか言葉を絞り出す。そうして、きょとんとした顔でこちらを振り向いた隻眼の少年に向かって、深々と頭を下げながら、
「その……あの時は、本当にごめんなさいっ!」
 朝言わなきゃいけなかった事、本当に言いたかった事を告げた。
「ホントはもっと早く言わなきゃいけなかったんだけど、言う機会はいくらでもあったはずなんだけど……! ホントは、あんなコトするはずじゃなかったんだけど、本当に、本当にごめんなさい、ごめんなさい……!」
 肺の中が、頭の中がからっぽになるまで、思いつく限りの謝罪の言葉を吐き出していく。それを、隻眼の少年は反論も罵倒の言葉もなく、黙って聞いていた。そうして、わたしがひとしきり思いの丈を吐き出したところで、あっさりと「気にするな」と言ってきた。
「確かに怪我はしたが、別にそれで怒ってたってわけじゃない」
 隻眼の少年は腕を組んだまま、右の親指で自分の顔――傷で塞がれた左目の辺りを指し示し、
「こめかみの皮一枚切っただけで、骨や脳には特に影響はなかったからな。こんななりだ、今さら傷がひとつ増えたぐらい、どうって事はないさ」
 さらりと、何とも男らしい言葉を言ってのけてくる。もっとも、「次はないがな」と鋭い目をしてつけ加えるのも忘れなかったが。その、思ったよりもあっけらかんとした態度に、
「あの……本当に、怒ってないの?」
 おずおずとそう訊ねてみる。すると、隻眼の少年は憮然とした表情で「何だ、怒ってほしいのか?」と返してきて、それに慌てて首を横に振るう。すると、
「詫びの言葉はちゃんと今聞いたし、元々、わざとじゃないってのは分かってたからな」
 そう言って、彼はどこか遠慮がちに目線を伏せると、
「……事情は知らないが、おまえにも何か事情があったんだろう? いきなりあんな風に我を失ってしまうような、何かが……」
 どこか遠慮がちに、そんな気遣うような言葉を口にしてくる。それでわたしは、あの時、自分がしでかしてしまった事の本当の意味を、ようやく気づかされたのだった。
 ……ああ、そっか。こいつ、あの時のわたしの顔、見てたんだった。それでいろいろと察せられたのだろう。どんなふうに見えたんだろう? きっと、酷い顔だったんだろうな……。
「あの……今更だけど、本当にごめんなさい! あの時は、わたし……わたし……!」
 もう一度頭を下げたわたしに、隻眼の少年は「……だから、気にするな、と言った」と素っ気ない口調で繰り返すと、
「別にそこまで踏み込むつもりはないし、他言するつもりもない。こっちは作戦中に足を引っ張られさえしなければそれでいいんだ。……好きにやればいいさ、お互いに、な」
「……うん。ありがとう」
 そう続けた言葉に、わたしは感謝の言葉を返していく。海風が二人の間を通り抜け、穏やかな沈黙が夜の闇を満たしていく。そうして、数十秒ほど経って、
「……隣、いいかな?」
「……好きにしろ」
 素っ気ない返事を受けて、わたしは隻眼の少年の左側、一メートルばかり離れたところに陣取ると、彼と同じように高射砲の基部に背中をもたれかからせる。
「…………」
「…………」
 どこか心地よい沈黙が、二人の間にたゆたっていく。ただ黙って立っているだけなのに、それが何故か安らかに感じられて、数分ほどそうやって黙って立っていた。
 こうやって並んで立っていると、互いの身長がよく分かる。だいたい頭半分くらいの身長差だろうか。肌や髪の色といった部分を除けば、歳の差もそんな感じだし、確かにぱっと見では姉弟か何かのように見えるのかもしれない。ぶっきらぼうで口が悪くて険がある顔で、反抗期真っ盛りで手がかかるけど、芯には優しげな何かを秘めた弟、か――いやいや、そんなのないない。
 苦笑して首を横に振りながら、夜空を見上げれば、そこには満天の星空。周囲に邪魔になるような光源がなく、汚染源となるような施設もないからだろう。まあ、海のど真ん中なんだから当たり前だけど。いつもよりも大きく見える三日月が輝く星空の中心には、数えきれないほどの星々が寄り集まっていて、まるで白い河の流れのようにも見える。三日月の欠けた部分が、そこだけぽっかりと暗闇めいて見えるほどだ。ミルキーウェイ――“天の川”とはよく言ったものだ。
「……星、綺麗だね……」
 ぽつり、と呟いたわたしの言葉につられて、隻眼の少年が顔を上げる。そうして、
「そうか? おれが昔故郷で見た時よりは、だいぶ霞んで見えるがな。きっと、この辺の空も大分汚れていて――」
 とムードもへったくれもない言葉を吐いてくる。それに、わたしは苦笑を返して、
「そういう時は、嘘でもいいから「そうだね」って言うものよ? 女性相手なら、ね」
 諭すような口調で言ってやる。すると、隻眼の少年はこっちを向いて、何やら考え込むような仕草を見せてから、
「そういうものか?」
「そういうものよ」
「そうか……難しいな……」
 そうして、腕を組んで深く考え込んでいく。その姿が何だか可愛く思えて、しばらく見守っていた。吹き抜ける海風が、白髪混じりのぼさぼさの黒髪を撫でるようにして――そうして数十秒後、ようやく納得したのか、こくこくと一人頷いたのを待ってから、
「……そういえば、さ。今まで、どこで何をやってたの? 食事の時も姿を見なかったけど……艦内観光でもしてたの?」
 とりあえず、気になっていた事を訊いてみる。すると、隻眼の少年は事もなげに、
「ここじゃ何もする事がないからな。割り当てられた部屋でずっと筋トレをしていた」
「……ぶっ!」
 思わず吹き出す。わたしたちに割り当てられた部屋は士官用の個室で、多段ベッドに相席が当然な一般兵士用のものよりは個人スペースは広いが、それでも決して十分な広さとは言えない。そんな狭いところで、出港から夜になるまでずっと筋トレを? 道理で、今まで一度も姿を見なかったわけだ。
「それじゃあ、普段は? いつもはどんなコトして過ごしてるの?」
「だいたい同じだ。筋トレして、シミュレーターで訓練して、ネクストのマニュアルや戦術書を読んで……英語のやつは字が読めないから、少し苦労するがな」
「うわぁ……」
 それは、真面目というか、暗いというか……そりゃあ、わたしだって日々のトレーニングとか勉強とかはもちろんやっているけど、こいつの場合はちょっと異常なレベルだった。リンクスの中には、暇さえあればずっとムービーディスクとか見ているヤツだっているというのに。
 ……でもまあ、その辺りが強いリンクスと弱いリンクスの差なのかもしれなかった。お~い、分かってる? 君のコトだよ、ダン。
「あ、そうなんだ……。い、良いんじゃない、かな? あはは……」
 とりあえずお愛想めいた答えを返してみるも、隻眼の少年は何だか不満げな顔をして、
「そうか? 何だか馬鹿にされてるような気がするんだが……」
「気のせいよ、気のせい。……それよりも、さ」
 話をごまかしがてら、わたしはずっと気になっていた話題を振ってみる事にした。
「午前中の話だけど……ほら、ヴォルフ中将がわたしに向けて言っていた、英雄の娘、って言葉なんだけど。あの時、あなた、ちょっと反応してたでしょう? 何に反応してたの? 英雄って言葉? それとも娘って部分?」
「英雄の娘? ……ああ、あの会見の時の事か。よく覚えてたな、そんな事……」
 呆れたような声に、「ふふん、まあね」と胸を張ってから、続ける。
「話の中にあったローガン・D・グリンフィールド大佐っていうのが、わたしの義理の父親でね。あまり詳しくは言えないんだけど、実はあの――」
「おまえのプライベートに興味はない」
 わたしの話に、ぴしゃり、という感じで返してくるが、朝の時のような拒絶感めいたものは感じない。そうして、
「まあ、そう言うと思ったけどさ。でも、そのタイミングで眉が動いたの、わたしはしっかり見てたんだからね。なんて思ったの? ほれほれ、お姉さんに言ってみなさいって」
「……誰が、お姉さん、だ。調子に乗るな」
「何言ってるの。どう見てもわたしの方が年上で、お姉さんでしょうが。ほらほら、そっちは年下なんだから、大人しく全部吐いちゃいなさいよ~」
 それをいい事に、ぐいぐいと押しの一手を試みる。すると、向こうの方が先に根負けしたのか、隻眼の少年は、はあ、とため息をついてから、
「……英雄という言葉に、聞き覚えがあっただけだ」
 ぽつり、と漏らした声。どこか遠い、失われたものを語るような、そんな響きで。
「かつて、英雄と呼ばれていた人間を一人だけ知っている。おれの……そうだな、大事な人だった。だからだろうな、つい反応してしまったというのは」
 顔を上げ、星々を見上げながら、自嘲するように言ってくる。こっちからでは傷で塞がれた左目の方しか見えないため、その表情は窺い知る事ができない。つっけんどんで傍若無人な態度を取り続けている隻眼の少年にはあまり似つかわしくない、でもどこか穏やかな声色は、ここにはない遠い何かを見ているようで――つられて夜空を見上げれば、天の川の中に一際強く輝く一等星と、十字架状に並んだ五つの星が見えた。
 一等星デネブを中心としたそれは、夏の星座の代表格として有名なはくちょう座。さらにその周りを見てみれば、同じくらい強い輝きを持った星が二つ、天の川を挟んで輝いていて、ちょうど三角形を描くように見える。いわゆる夏の大三角形で、それを構成する一等星を中心とした星座は、アルタイルを中心にしたわし座と、ベガを中心にしたこと座として知られている。
 ……そういえば、昔おかあさんに聞いた事があった。おかあさんの故郷では、アルタイルとベガという二つの星にまつわる、古い恋物語があったって。天の川で遮られた二つの星。一年に一日しか逢えない、悲劇の恋人たちを表す星々。あれらを、おかあさんは何と呼んでいたのだったか――ん? 名前?
「……そういえば、あなたの名前って、何ていうの?」
 そうして、星の名前を思い出そうとしているうちに、ふと思いついた事を口にする。何で今まで思いつかなかったのか不思議なくらい、それは大事な事だった。
「わたしはあなたの事、どう呼べばいいのよ? “Unknown”のままじゃあイマイチ呼びにくいし……そういうの、不便だと思わないの?」
 わたしの質問に、しかし隻眼の少年は腕を組んだまま、「思わないな」とにべもない返事をしてきた。
「じゃあ、何て呼べばいいのよ?」
「おれの名前まで、おまえに教える義理はない。それこそ、おまえの好きなように呼べばいいだろう?」
「ん~……じゃあ、ボブ! ボブって呼ぶ事にするわ! だってあなた、何となくボブって感じだから!」
 とっさに閃いたアイデアに、しかし隻眼の少年は思いっきり脱力して、
「……そんなわけあるか。何なんだ、ボブって……。だいたい、おれが中東系な事くらい、おまえにだって分かるだろうが。アブラハムとはハサンとか、そっち系の名前ならいろいろとあるだろうに……」
「え~? そんなのつまらないわよ。今からでもいいわ、ボブにしましょう、ボブに!」
「……断固、辞退する」
「え~!? ちょっとぐらい、良いじゃないのよ~!」
 ……むう。冗談はともかくとして、ちょっとくらいは打ち解けてくれたかと思っていたのに。こういうお堅い反応が返ってくるっていうコトは、わたしも踏み込みがまだまだだったか。けど、だからといってそのままにしておけるような問題でもない。何せ、その人をどう呼ぶかというのは、コミュニケーションにおいて基本中の基本だからだ。わたしはなおも食い下がって、
「じゃあ、あなたの名前はボブに決まった、ってのはとりあえず置いておくとして……」
「置いておくな」
「置いておくとして……仮によ? 作戦中に何か、名前を呼ぶような事態に陥ったとしたら? 例えば、どっちかが不利になって、助けを呼ばなきゃいけない時とか。そういう時、お互いに名前を知らないってのは、ちょっと困るんじゃないの?」
「困らないな。そういう時は機体名で呼べばいい。前の時と同じにな」
「い~え、困るわ! だって、ちゃんと「助けて」って言ってくれないと、あなたのコト助けに行けないじゃないの!」
 その言葉に、隻眼の少年の右目が丸くなった。固く閉じていた口を半開きにして、ぽかんとした表情でこちらを見て、
「……おまえが? おれを? 助ける、だって?」
「そうよ。リッチランドの時だってそうだったでしょう? あの、最後の《ランドクラブ》にあなたが突っかかっていって、危なかった時の!」
 わたしの返しに、彼は憮然とした表情で「危なくなんかなってない」と反論してくる。そうして、
「仮にそうだったとしても、だ。そのすぐ後に、逆にこっちに助けられていただろうが。それで、その時の借りは返したはずだが?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……」
 今度は、こっちが言葉に詰まる番だった。もたれかかっていた体を起こして隻眼の少年に相対しながら、何とか頭を絞って、
「……でも、いいじゃない。助けたいと思ったから助ける。それがわたしなりの戦い方ってやつなんだからさ。きっと、あなたと一緒の時だって、それでいいと思うんだけど――」
「思わない」
 その言葉をばっさりと切り捨てながら、向こうも身を起こして正面からこちらに視線を向けてくる。そうして、
「……それに、おまえがおれを助ける、だって? ふん、出来もしない事を、よくもまあ」
「あ、今鼻で笑った!? ほんっと、腹立つガキよね~!」
「そりゃあ、笑うだろう? だって、おまえよりもおれの方が強いんだから。あのオーダーマッチの結果で分かっただろう?」
 勝ち誇ったように言ってくる言葉に、悔しさのあまりぎりぎりと歯を食いしばって、
「んぎぎぎっ……! ああ言えばこう言う……!」
「ああ、言ってやるとも。だいたい、元はと言えばおまえが勝手に始めた事だろうが」
 こうなればもう売り言葉に買い言葉。隻眼の少年の言葉に、わたしはむしろ胸を張って、
「ええ、そうよ!? それが悪いっての!?」
「悪い。弱いヤツにうろちょろされてると、こっちが迷惑する」
「う、うろちょろですってぇ!? 仮にも助けられといて、そういうコト言う!?」
「ああ、迷惑だ。それで万が一にでも死なれたら、こっちの目覚めが悪くなるだろうが」
「ああ、そう!? 目覚めが悪く……ん? 目覚めが悪いって、それどういう……って!?」
「……? 何だ……、……っ!?」
 気がつけば、いつの間にか顔を寄せ合って睨み合っていた。お互いの鼻先が、触れ合いそうなほどに近い。それに気づいたわたしたちは、どちらからともなくそそくさと距離を取っていく。離れた二人の間を夜風が通り抜け、明らかに赤面していると感じられる顔を冷やしていった。
「…………」
「…………」
 そうして互いに沈黙したまま、数十秒ほど経った頃。わたしは軽く咳払いをした後で、さっきよりも少し離れたところにいる隻眼の少年の顔をびしり、と指さして、
「い、いい!? み、見てなさいよ! 今度の作戦で絶対に、あなたのコト助けてやるんだから! そんでもって、あなたに絶対ぎゃふんと言わせてやるんだからねっ!」
 すると、再び売り言葉に買い言葉とばかりに、向こうもこちらを睨んで、
「あ、ああ、やれるもんならやってみろ」
「絶対よ! 絶対なんだからねっ! その時は、ぎゃふん、っていうだけじゃ済まさないからね! 何かこっちの言う事聞いてもらうからねっ!」
「ふん、嫌だね。そんな一方的な約束事なんぞ。第一、もしもそうならなかったら? こっちが助ける側に回ったら、どうするんだ? 逆にこっちの言う事でも聞くってのか?」
 その言葉に、わたしはぎり、と唇を噛んだ。内心の笑みを、悟られないために。
「え、ええ、いいわよ。体触らせろ、とかじゃなければね」
「誰がそんな事するか。……だが、その約束とやらで、おまえを黙らせられるってのは、悪くないかもな」
「じゃあ決まりね! もしも今度の作戦で、本当にわたしがあなたを助けるような事態になって、それで両方とも生きて帰れたとしたら、その時はあなたの名前、しっかりと聞かせてもらうからねっ!」
「何だ、そんな事か。いいだろう。もしもそうなったら、の話だが――、……っ!?」
 そこまで言い切ったところでようやく気づいたのか、隻眼の少年が口元を押さえる。が、既に後の祭り。わたしはにんまりと笑うと、
「あら、そう? 名前、教えてくれるんだ? そうよねぇ、そんな事か、程度のコトだもんねぇ?」
「おまえ……! おれを嵌めやがったな……!」
 ぎり、と奥歯を噛みしめ、睨んでくる隻眼の少年の視線を真っ向から受け止め、わたしは余裕の笑みを浮かべながら見つめ返してやる。
 何だかんだで単純かつ直情的なこいつの事だ。挑発的な言葉でもって水を向けてやれば、そのうち食いついてくると思っていたのだ。あとはこちらで選択肢を用意してやって、相手が引っ掛かるのを待つだけ、というわけだ。
 へへ~ん、見たか。亀の甲より年の功。あまり年上を舐めるなよ、クソガキ。
 そうして、十数秒ほど視線を交錯させた後で。彼は苛立たしげに髪の毛を掻くと、はあ、とため息をついて、
「分かったよ……くそっ」
 諦めの表情とともに、そんな言葉を口にする。それに、わたしは内心で、おお、と感嘆の声を上げていた。
 性格を読んでの嵌め込みはこちらとて承知の上。それで相手が鼻を曲げて、そんな口約束は無効だ、とでも言い出せば全てご破算だったのだが。やっぱりこいつ、これでけっこう義理堅い性格のようだ。……こんなシーンでは、間が抜けたようにしか見えないけど。
「ただし、もしもおまえが言ったのと逆の事態になったら……その時は、覚悟しておくんだな」
「ええ、分かってるわよ? もちろん、そうならないようにせいぜい頑張らせてもらうけどね」
 再び視線を真っ向からぶつけ合う。怒気と決意に満ちた焦げ茶色の瞳を、内心で冷や汗を流しながらも表面上は柳に風とばかりに受け流し――そうして、数十秒もの間、たっぷりとガンをつけ合った後で、
「じゃあ、話も済んだコトだし、わたしはそろそろ行くね」
 余裕の笑みを装いつつ、ふい、と体全体を元来た方へと向ける。さっと腕時計で確認すると、もう十時近い。話し込んでいるうちに随分と時間が経ってしまったようだ。あんまり戻るのが遅いと、フランさんにいらぬ心配をかけてしまうかもしれないし。
「そうか。じゃあ、さっさと行け」
 と、最後までつっけんどんな返事を返してきた隻眼の少年に、ひらひらと手を振りながら歩みを進め――そうして、数メートルばかり離れたところで振り返って、「……それと!」と海風に負けない声を投げかけた。
「……何だよ、まだ何かあるのか?」
 苛立たしげに声を上げながら、半眼でこちらを見やる隻眼の少年。それにわたしは、笑顔を向けて、言った。いつもの社交辞令的な微笑みではなく、思ったままの感情を籠めた、とびっきりの笑顔で。
「今日はこうやって話せて、楽しかったわ。また明日ね!」
 そうして、憮然とした表情から、徐々にぽかんとした表情になっていく隻眼の少年の顔は最後まで見なかった。あまりにも照れくさくて、正面から直視できなかったからだ。「じ、じゃあね!」と言い放つのが精一杯で、言ったそばから赤面していく顔を隠すように素早く振り返って、一目散に歩き出していく。
(うひゃ~! こうやって真正面から言うと、何だか気恥ずかしいったら!)
 茹でダコめいて赤くなった顔を、ひたすらに熱暴走していく頭を、夜の風が優しく撫でていく。微笑むように見下ろしてくる下弦の月が、今はひたすらに眩しかった。

****

 ――そうして、足早に去り行く金髪の少女の後ろ姿を、隻眼の少年は呆然と見送っていた。
 その背中が高射砲の影に隠れ、足音が潮騒の音にかき消されていってもなお、金髪の少女が去っていった方を見つめ続けて――そうやって数分ほど経って、彼女がこの《ギガベース》の上部甲板から完全にいなくなった頃になってようやく、隻眼の少年はため息とともに瞼を閉じていた。
 我知らず額を押さえる。自分に呆れて物が言えないとはこの事だ。本当であれば無碍もなく突っぱねて、それで終わりだったはずだ。それがついつい相手の話を聞いてしまって、自分の個人情報まで漏らして、そうして挙句の果てに妙な口約束までしてしまって。
「全く……調子が狂うな……」
 自嘲めいて呟く。それもこれも、あの女のせいだ。
 たかが一時の協働に過ぎない相手だろうに、妙に絡んでくる変な女。
 強引に、無遠慮に、しかし親しみをもってこちらの内側に踏み込んできた変な女。
 勝手に騒いで、勝手に怒って、勝手に喜んで、勝手に話して、そうして勝手に笑っていった、変な――
「……変な女」
 再度のため息とともに、呟く。その言葉は、呆れているようでいて、どこか穏やかな響きだった。

 

 

 一日前、午後二時三十分。《イントレピッド》艦内、右舷舷側に設けられた第一格納庫にて。

「機体の重量バランスが右に偏り過ぎね。コア下部の左側にスタビライザーを増設しておいてください」
 タブレット端末に表示された機体の各種情報を見やり、傍らに立った整備員に指示を出す。わたしよりもずっと年上の整備員は、しかしこちらの指示に嫌な顔一つせず、生真面目とも言える顔で頷いていた。
「了解しました。大型タイプのものでよろしいでしょうか?」
「お任せします。後で重量バランスをもう一度確認しますので、完了したら呼んでくださいね」
「はっ!」
 整備員は短く答え、ハンガーに固定された《メリーゲート》の方に駆け寄っていく。
「コア用のスタビライザーを持ってこい! CLSの一番、左用だ!」
「了解です! クレーン動かします!」
「おい、そっちじゃねえ、左用だ! 何年やってんだ、このスットコドッコイ!」
 緑色の機体に取りついた整備員たちが声を張り上げ、ハンガー上部に設けられたクレーンに、円筒を束ねた形状のスタビライザーが吊り上げられていく。それを少し離れた場所で見守っていると、隣に立っていたフランさんが声をかけてきた。
「まさか、これを《メリーゲート》に実際に積み込む事になるとは、ね」
 どこか感慨深そうな声に、わたしは《メリーゲート》の重厚な巨体を見上げ――その右背部に接続されている、大型のミサイルランチャーを見た。
 全長こそ左背部の十六連式VLS(垂直発射装置)よりも短いものの、太鼓めいて見える太さはそれの比ではない。十六連式VLSはネクスト用のミサイルランチャーとしては重量級の部類ではあるが、右背部に装備されたミサイルランチャーのボリュームは、それを大きく上回っていた。
 如何にも頑丈そうに見える四本のフレームに覆われた巨大なランチャー本体に、しかし発射口は正面の一つしか存在しない。今は開け放たれているハッチの中の巨大な空洞は、そのまま中に搭載した弾頭の大きさを物語っている。まるで爆撃機用の大型爆弾をそのままミサイルに押し込めたような、荒唐無稽としか言いようのない大量破壊兵器――
「……そうね。大型ミサイルランチャー、《BIGSIOUX(ビッグスー)》。小型の核弾頭も搭載可能な、ネクストとしては最大級の広域破壊型誘導弾、か……」
 フランさんの声に答えるようにして、そのミサイルランチャーの名前を呼ぶ。かつてのGAのトップリンクスであった“聖女”メノ・ルー。その乗機である《プリミティブライト》に搭載され、他社のネクストと比してすら圧倒的な火力でもって彼女をナンバー十の地位にまで押し上げたとされる、GAというメガコングロマリットの力の象徴とも言える超重火器。国家解体戦争の折、熱核ナパーム弾頭を搭載したこの大型ミサイルは、その一発でもって一つの街ごと、並み居る国家軍を吹き飛ばしたという話だった。
「まあ、実際に核弾頭を使ったのは国家解体戦争の時くらいだそうだけれど、ね。それでも、あまり気分の良いものじゃないのは確かね」
「…………」
 そのままわたしの内心を表していたフランさんの言葉に、沈黙で返す。
 実際、この大型ミサイルはあまりにも凄まじい破壊力と、本来抑止力として扱われるべき核兵器をよりにもよって戦略兵器であるネクストに積み込むという観点から、リンクス戦争後に、本来の熱核ナパーム弾頭から通常の高性能火薬を用いた弾頭に改悪されてしまったという逸話がある。
 しかし、それでもこの弾頭の大きさである。その威力と被害半径は、有澤重工の大型グレネードキャノンをも遥かに上回り、ネクストが搭載できる火器としてはおよそ最大級のものと言えた。ネクストの圧倒的な機動性をもってしても、敵はおろか味方すらも巻き込みかねない、一個の機動兵器に搭載するにはあまりにも過ぎた威力の兵器だとして、普段は兵器庫で厳重に管理されている類の武装だった。実際、わたしとて今まで実戦でこれを使った事はなく、せいぜいシミュレーターの中で訓練してきただけだったりする。
(まあ、こういう大軍相手の戦いには、もってこいのものなのかもしれないけどね……)
 使用の是非があるものとはいえ、停泊中とはいえ密集した敵を、それも強固な艦艇を攻撃するものとしては最上の武器であるのは間違いない。ある意味、GAも本気モードという事なのだろうか。
「……でも、ホント、よくエンリケ部長が許可したものよね。あの人って、こういうのあまり好きじゃないでしょう? てっきり有澤のグレネードキャノンを積む事になるかと思って、ちょっと頭の中でシミュレーションもやってみていたんだけど……」
 ため息混じりに話した言葉に、フランさんはくすり、と微笑んで、
「あら、そうなの? それなら今度会った時に、有澤社長の前でそう言ってみればいいんじゃないかしら? きっと喜ぶわよ、あの人も」
「え~、それは流石にマズいよ。あの人相手にそんなコト言ったら、あの超大型グレネードキャノンを押しつけられる羽目になりかねないしさ」
 有澤社長の乗機であるタンク型ネクスト、《雷電》。その重厚な巨体をもってすらオーバースペックと思える、幾重にも折り畳まれた重厚長大な砲身を思い出し、思わず身震いする。重量と安定性に勝るタンク型ならいざ知らず、あんなものを二脚型で撃った日には、ネクストごとひっくり返って大怪我をしかねないと思ったのだ。
「それもそうね。あの人、自社の製品の普及が趣味みたいなところあるから」
 そう、冗談めかして笑ってみせるフランさん。そうして《メリーゲート》を見上げながら、ここではない何処かを見るような、遠い目をして、
「……でもね、上が「やれ」と言えば、エンリケだって従わざるを得ないわ。好むと好まないとにかかわらず、ね。そういうものよ、組織というものは。今も、昔も……本当は、貴女にはそうなってほしくはないのだけれど、ね」
 そう語るフランさんの声は、不思議な重みがあって。その言葉はおそらくは真実に違いなく、そして彼女はそれで何か大切なものを失ったのだろうな、と何故か思えてしまっていた。そして、最後の言葉に籠められた真摯な願いも、また。
 その言葉にわたしは答える言葉を持たず――そうして、数十秒ほど沈黙してから、ふと思い出したように、フランさんが口を開いていた。
「そういえば、彼氏の方はどうなったのかしらね?」
「……彼氏? 何それ、誰の事?」
「決まってるじゃない、貴女の相棒さんよ」
 当然のようにそう言って。フランさんは右腕を上げると、《メリーゲート》の隣のハンガーに固定された《ストレイド》を指差した。
 その指先につられて、GA機とは異なった直線的なフォルムの、どこか中世の騎士を思わせる砂色の機体を見上げたわたしは、その中に籠っているであろう隻眼の少年の顔を思い出し、ついでに昨夜から今日ここに至るまでの経緯までも蘇ってきて、
(昨日は昨日でいろいろとあったけど……今日は今日で、結構大変だったなぁ……)
 フランさんに聞かれないよう、こっそりとため息をつく。
 ――昨日の夜、隻眼の少年と別れてから。わたしは部屋に戻ってしばし身悶えた後で、お風呂に入って、すぐに寝て。それで朝早く起きて、軽く運動をして、軍艦名物のバイキング形式の朝食をお腹いっぱい食べて。それから昼近くまで、艦内の会議室で、わたしとフランさん、そしてあいつの三人でもって、ずっと作戦の説明を受けていたのだった。
 ……そう。意外な事に、ちゃんと作戦の説明を受けに来たのである。以前の任務ではほとんどオペレーター任せで、依頼主の前にろくに姿を現さなかったというのに。とはいえ、あいつはあいつで、ああ見えて結構生真面目なところがあるみたいだから、実はそう意外でもなかったのかもしれない。むしろ、この段になってもいっこうにお偉いさんの前に姿を表そうとしないセレン・ヘイズの方が問題であり、居並んだ幕僚たちの中には、それについて嫌味を言う者もいたりしたのだが。
 で、肝心のヴォルフ中将が立てたという作戦なのだが、こういった計画立案に疎いわたしから見ても、控えめに言って荒唐無稽にしか思えないもので――フランさんや並み居る幕僚から、質問や異論が相次いでいた。あの無口な隻眼の少年ですら、言葉少なとはいえ質問を投げかけていたほどだ。それらの意見について、ヴォルフ中将は理路整然と答えていったものだったが、今にして思えば、いい感じに煙に巻かれたような感じがしないでもなかった。うう……今更だけど、何だか不安になってきた……。
 そうやってひとしきり議論が躍った後で、昼頃になって作戦会議は解散。その後は、それぞれ思い思いに昼食を取って、しばし休憩した後、作戦に応じて機体のアセンブリを見直していって――そうして、今に至るというワケなのだが、
「……どうしたの? いきなりぼ~っとして」
 唐突に横合いから声をかけられて、「ふぇっ!? な、何、どうしたの!?」と慌てて取り繕った声を出す。それに、フランさんは心配そうにこちらの顔を覗き込んで、
「本当に大丈夫? 昨日の夜から、ちょっと様子がおかしいわよ? 意味もなく黙り込んで、いきなり赤面したり……体調が悪いなら、早めに医務室に行った方がいいわ」
「だ、大丈夫だって! ちょっと、思い出して恥ずかしくなったりしただけだから……!」
「……恥ずかしい? 思い出して? ……ごめんなさい、ちょっと意味が分からないわ」
 わたしの言い訳を聞いて、訳が分からないといった感じで首を横に振ってくる。それに、わたしは言い訳にもならない言い訳を重ねていって――そうこうしているうちに、頭上から甲高い空気音がした。つられてそちらを見れば、《ストレイド》のコアの正面装甲が前方にスライドし、そこから圧縮空気が漏れ出るところだった。頭部や四肢と異なり、曲線で構成された正面装甲がゆっくりと跳ね上がり、その中から、今やすっかり見慣れた小柄な人影が姿を見せていって、
「あっ……お~い!」
 先程までの恥ずかしい思いは何処へやら。わたしは考えるよりも先に、大声を上げて手を振っていた。周囲にいた整備員たちや、《ストレイド》正面のキャットウォーク上に立っていたセレン・ヘイズが何事かと振り返る中、それに数秒ほど遅れて、コックピットから這い出た隻眼の少年がこちらに視線を向けて――
「……げ」
「あ、ちょっと! げ、って何よ! げ、って!」
 如何にもイヤそうな反応に、ついつい食ってかかっていた。それに、隻眼の少年は顔をしかめながらもキャットウォークの上に立つと、こちらに向けて身を乗り出して、
「いいだろう、別に。……で? 何か用なのか?」
「ううん、別に! たまたまあなたを見かけたから、声をかけただけ!」
 あっけらかんと言い放ったこちらの言葉に、盛大にため息をつく。そうして、
「……じゃあ、後にしてくれ。夜になったら、また無駄話に付き合ってやるから」
「そう? じゃあ、また後で! 絶対なんだからね!」
 わたしの返事に軽く頷くそぶりを見せてから、隻眼の少年は踵を返し、再びコックピットの中へと引っ込んでいく。その傍らで様子を見守っていたセレン・ヘイズが、こちらに何やらいわくありげな視線を向けてくるも、それも数秒の事。再びコックピットの方に向き直り、何やら話し出していくのを尻目に、わたしはもう一度、ハンガーに固定された砂色の機体を見上げた。
 《メリーゲート》と同様に、《ストレイド》の方も武装の変更が行われているようで、右腕に装備していたレーザーライフルを、以前使用していたアルゼブラの機動戦用ライフルに変更していた。また、左背部に装備したチェインガンは、今まさにアルドラ製の軽量型グレネードキャノンに換装されている最中だった。
 インテリオル製の機体は総じてエネルギー兵器に強く、実弾兵器に弱い。また、大量の敵が出てくると予想される今回のミッションにおいて、威力は高くとも弾数の少ないレーザーライフルでは弾切れの恐れもある。それを考えての措置なのだろう。左背部のグレネードキャノンは、《メリーゲート》の大型ミサイルと同様、密集した艦艇への攻撃を考慮したものと言えた。一方で、左腕の高出力レーザーブレードと右背部の散布型ミサイルランチャー、両肩のフレア・ディスペンサーはそのままだが、何が出てくるか分からないミッションにおいて、武装の総取り換えはリスクが伴う。元々が汎用性を重視した武装を施されていた事もあり、使い慣れた武装を選択するのも、まあ致し方なしといったところだろうか。
(ふ~ん……猪武者は猪武者なりに、考えてはいる、か……)
 それなりに状況判断ができていると思しき機体構成に、口の端に笑みが浮かぶ。
 任務の内容に応じて機体構成を変更するのは、ネクストやノーマル問わず、AC(アーマードコア)という兵器を運用する上での基本である。千差万別に変化する戦場に対応して、機体の武装や内装を変更する程度の事は、リンクスにとっては日常茶飯事だった。
 しかし、これが機体のメインフレームの換装となると、パーツ同士の相性やAMSの性質等もあってなかなか難しい話になってしまう。例えば、自分の脚がいきなり二本から四本に変わったり、腕が大砲になったりしたら。そうでなくとも、体が急に重くなったり急に足が速くなったりしたら、誰だってその変化に戸惑うだろう。ましてや、そんな状態で戦場に出され、極めて高い負荷に晒されなければならないとしたら。その辺が、機体制御の大半がコンピューター任せであるノーマルと、圧倒的な機体性能と引き換えに機体制御のほぼ全てをリンクス自身が賄わなければいけないネクストの違いであり、ネクストがノーマルに劣る数少ない点の一つでもあった。
 また、ネクストのパーツはハードポイント自体の互換性こそあるものの、基本的には異なる企業のパーツの使用を想定していない造りになっている。だからこそネクストは単一の企業、あるいは同じ陣営の企業のフレームで構成されるのが常であり、異なる企業間のパーツをすり合わせるために、アーキテクトと呼ばれる機体設計の専門家がいるくらいだ。わたしの場合はエンリケ部長がその役目を担っているし、《ストレイド》の場合は、おそらくはあのセレン・ヘイズがそうなのだろう。
 とはいえ、そんなフレーム単位の換装をしての出撃という荒業を平然とやってのける猛者も確実に存在していて、少なくともリンクス戦争の時の“彼”はそうだったのだと聞いている。目の前の若きリンクスがそこまでいくかどうかはともかくとして、少なくとも自身が使っている兵器の性質を理解し、効果的に利用しているのだけは確かなようで。一緒に戦場に出て、一緒に戦う身としてはなかなかに頼もしい話ではあり――
「あらあら? いつの間にか、随分と仲良くなったみたいね?」
「ぴゃあ!?」
 そこで、いきなり背後から話しかけられ、妙な悲鳴を上げてしまう。慌てて振り返ると、どこか意地の悪そうな笑みを浮かべたフランさんがいて、
「二人とも、昨日のツンツンした態度とは大違いよ。カーネル大尉がここにいれば、また「ストロベリってる」とか言うのかしらね?」
「だ、だから! ダンの時も言ったけど、わたしたちはそんなんじゃ――」
 ない、と続けようとして、ふと言葉に詰まった。
 本当に? 本当にそんなんじゃないの? 昨夜の、こいつであれば何でも話せるんじゃないかという感覚と、隣にいて感じた、あの何とも言えない安心感めいたもの。二言三言と言葉を交わしただけだったが、それでも昨日の午前よりは確実に距離が縮まっているような、この感じは。そして、それを確かに嬉しく思っている、このあたたかな気持ちはいったい――
(そういえば、わたし……何であの時……)
 腕を組んで考え込む。そもそも、何でわたしはあのリッチランドの時、「相性がいい」なんて言ってしまったのだったか。ただのリップサービスというわけではない。こんなコト誰にでもいうものじゃないし、実際、言ったのは彼との協働の時が初めてだ。
 それなりにこちらの意を汲んでくれるダンやドン、そして何よりも、この世の誰よりも通じ合っていると思える義父とも、また違う感じ。単純に呼吸が合うとか馬が合うとかとその時は思っていたが、実際にはもっと近しいものだったような気がする。もしも兄弟か何かがいればそう思えたのかもしれない、まるで心の奥底に共通するものがあるかのような、あの不思議な感覚は――
「ふふっ……」
 そんなわたしを見つめて、フランさんがさも楽しそうにと微笑んでくる。ひょっとしたら、彼女に聞いてみたらこの感情の正体が分かるのかもしれないけれど、それを尋ねてみるのも何となく気が引けて、
「そ、それよりもっ! あっちに並んでるのが先遣隊の機体なのよね!?」
 《メリーゲート》の奥にずらりと並んだ機体の群れを指さし、尋ねる。我ながら露骨なごまかしに、しかしフランさんはむしろそれを面白がるように微笑みながら、「そうよ」と答えてくる。そうしてそちらの方に歩みを進めたわたしたちは、“それ”を足元から見上げる事になった。
 まず、左側に三機並んでいるのは、まるで《メリーゲート》を大幅に簡略化し、シェイプアップしたかのような、角ばった太いシルエットをした人型の機体。わたしにとっては見慣れたそれは、GAの主力ノーマルである《ソーラーウィンド》なのだが、武装は通常仕様ではなく特務仕様の物々しい装備だった。
 右腕に装備した標準武装の無反動砲に加えて、左腕に小型のシールドや近接格闘用のヒートパイルを追加。また、通常は片方だけのミサイルランチャーを両背部に装備しており、特に中央の機体には、通常配備ではまず使用されない、大型の特殊弾頭を搭載したタイプが装備されている。それによる重量増加を補うためなのだろうか、胴体や脚部に外付け式の追加ブースターが取り付けられていて、ただでさえゴツいシルエットをより大柄に見せていた。
 一方、“それ”を挟んで右側に同じく三機並んだ機体は、大きく印象を異にする機体だった。角ばってはいるものの細身でソリッドな上半身は、BFFの主力ノーマル《044AC》のものだが、下半身はそれとは大きく異なる、双胴船めいた異形のシルエットの脚部に換装されていたのだ。
 この機体は《047AC-F》という形式番号で呼ばれる機体で、末尾のFは“フロート”を意味する。あの双胴船めいた脚部は水上移動用のフローティング・ユニットであり、水上限定ではあるが並みのノーマルを上回る高速ホバリング機動を実現した機体だった。こちらも《ソーラーウィンド》同様の通常配備ではありえない重装備であり、右腕のスナイパーライフルに加え左腕にアサルトライフル、背部にミサイルランチャーと長距離レーダーを装備している。
 まあ、この二機種はいい。これらは装備こそ通常とは違えど、幅広く配備された機体なのだから。だが、“それ”――わたしたちの目の前に鎮座した三機の機体は、わたしが今まで見た事もないような機体だった。
「これは……?」
 暗い赤褐色に塗装された見慣れぬ機体を見やり、疑問の声を上げる。ノーマル用の格納スペースから半ばはみ出るようにして鎮座し、最終調整を受けている機体は、重量級にカテゴライズされる《ソーラーウィンド》よりも、なお二回りも三回りも大きな機体だった。
 GA機らしからぬ丸みを帯びたフォルム。頭部がない代わりに胴体部前面に無数のカメラアイが配置された、前後に長いずんぐりとした胴体。胴体の斜め上からは展開式のミサイルランチャーと思しきものが生え、耳めいて見える。そんな異形としか言いようのないボディと繋がっているのは、もはやヒトのシルエットから逸脱した、甲殻類を思わせる末端肥大気味の四肢。脛部は巨大な一枚板の装甲板に覆われ、関節部は厳重にシーリングがされている。ゴリラめいた太い腕の先端にマニピュレーターはなく、短い砲身がいくつも生えていて、それ自体が指のように見えるという不格好さだった。
 およそ互換性というものがない、人型ですらないそれは、おそらく分類上はノーマルではなくMT(マッスルトレーサー)に分類されるべき機体に思える。だが、同時にMTのマイナスイメージでもある低廉さを全く感じさせない、スペシャルな機体としか言いようのない独特の存在感――
「……これが、ヴォルフ中将が言っていた新型機?」
「……らしいわね。正直、こんな機体は今まで見た事もないけれど……」
 漠然としたわたしの問いに、フランさんも歯切れの悪い口調で答える。実際、この機体は今まで見てきたどの企業の、どの機体とも異なるものだった。ヴォルフ中将の話では、現GAEが独自に開発した水陸両用の機体だそうなのだが、およそGAの機体とは思えないというのが、わたしが抱いた第一印象だった。
(……まあ、あの《ソルディオス》を作ったような連中だし。こういうヘンなのも作れるのかもしれないけどねぇ……)
 独特の設計思想による優れた開発力を持ちながら、敵対関係にあるはずのアクアビットと結んで、最悪の巨大兵器《ソルディオス》を秘密裏に開発。そしてそれが発覚するや否や、即座にGAを裏切ってレイレナード陣営につき、世界各地を巨大兵器で蹂躙していった旧GAE。
 しかし、実際にそこにいた全員がその動きに賛同していたかというとそうでもなく、少なくない数の技術者や研究者、軍人たちが旧GAEを離反して、GA本社についている。ヴォルフ中将がその代表格だが、彼らの中には単純な打算だけでなく、技術者の良心やGAへの忠誠心に従った人たちも大勢いたのだ。そういった人たちは戦後にGAによって再雇用され、軍人たちはヴォルフ中将率いる欧州方面軍へ、技術者や研究者たちはGA本社のみならず各地の支社や下請け企業に移転し、そこで新たな研究や開発に関与していった。彼らは後に“ニューサンシャイン・プロジェクト”と呼ばれる事になる新型ネクスト開発計画や、アームズフォートと呼ばれる兵器群の建造に関与し、戦後の発展の大いなる一助となったのだが、その中には旧GAEの独自路線をそのまま継承したような、“変態技術者”としか言いようのない技術者たちが結構いたのだという。
 そんな技術者たちが開発した兵器群は、独特の開発思想からなる、有用ながらも珍妙な性能を持つ事で知られていた。その代表とも言えるのが、クーガー社が独自開発したVOB(ヴァンガード・オーバード・ブースト)や、電子レンジがバカ売れした逸話で名高いMSAC社の新型分裂ミサイルランチャー《SALINE05》であり、目の前の機体もそのうちの一つというワケなのだろう。
「この機体でもってノーマル部隊を曳航していって、明日の作戦開始の前に、軍港内に潜入するという話らしいわ。おそらくだけど、今夜中には出撃していく予定なんじゃないかしら?」
 フランさんがそんな事を呟いてくる。そう言われると、ますます分からない。抵抗の多い水の中で、他の機体を引っ張っていくような強大な推進力を持った機体――
「このガタイで曳航、ねえ。どうやってやるのかしら? 潜入ってコトは水中から……まさか、変形なんてしちゃったりして?」
「あらあら、そんなわけないでしょう? それこそ、アニメの見過ぎというものよ」
 わたしの鋭い推論に、フランさんが呆れたような口調で言ってくる。それに、
「あ~、フランさん、変形の良さってものを分かってないよ。あの有名なアニメ見てないの? 飛行形態から一気に人間形態になって斬りかかってくるナインボール=セラフの格好良さっていったら、もう筆舌に尽くしがたいものがあるんだから!」
 身振り手振りを加え、力説していくわたし。もしもここにダンがいたら迷わず頷いてくれたであろう言葉に、しかしフランさんは「そ、そうなの……?」と戸惑うような言葉を返すだけだった。
「あの一粒で二度おいしい機体性能! そして歪な飛行機型のシルエットが数秒でバラけていって、人型に再構築されていくあのカルタシス! くぅ~っ、もうたまらないったら!」
「はいはい。ちょっとダンくんに毒されすぎよ、貴女」
「え~、理解してくれないの~? フランさんってばつまんないなー、ぶーぶー」
 なおもぶうたれるわたしを尻目に、フランさんは自分の腕時計を見て、
「もうすぐ三時だし、そろそろ午後の紅茶にしましょう? あの時の茶葉、こっちに持って来ておいてあるの。楽しみにしててね」
「はーい」
 そう言って踵を返す彼女に返事をし、わたしは後について行って――途中で立ち止まり、赤褐色の機体を見上げた。ふと、誰かに見られていたような気がしたのだ。とはいえ、目の前の機体にかじりついている技術者たちは、揃いも揃って自分の仕事に没頭していて、わたしの方に視線を向けている者は一人もいなかった。
「ん~、気のせいか……」
 赤褐色の機体から視線を外し、さらに奥にあるハンガーを見やった。奥のハンガーには通常仕様の《ソーラーウィンド》や《044AC》などが並んでいる。突入作戦に使われる機体の数は決まっているはずだから、おそらくは直掩用の機体なのだろう。確か、リカルドさんのネクストも直掩として積み込まれているって話だったし。作戦に参加する予定のない機体をわざわざ独断で持っていく辺り、ヴォルフ中将の用心深い性格が伺えた。
「何してるの? 置いていくわよ」
「あ、ごめーん!」
 離れたところで声をかけてくるフランさんに、慌てて駆け寄る。その途中で、もう一度立ち並ぶノーマルやMTたちを見やった。
 技術者たちに囲まれながら出撃の時を待ち続ける、異形の機体。
 物言わぬそれらが整然と立ち並ぶさまは、さながら偶像の神殿のようだった。

 

 

 一日前、午後七時三十分。《イントレピッド》艦内の兵員食堂にて。

「ええと……わたしに用、ですか?」
 その青年士官が声をかけてきたのは、出撃する兵士たちの壮行会を兼ねた夕食会が始まって、三十分ほど経った頃だった。
 サンドカラーのGAの軍服に身を包んだ、まだ二十歳そこそこであろう東アジア系の青年士官で、胸元を飾る階級章は少尉。いかにも生真面目そうな顔立ちで、軍服を着ていなければ普通の学生にしか見えないような、そんな感じの男性だった。
「はっ! じ、自分はGA欧州方面軍所属、アレン・コジマ少尉と申します! 今回の突入作戦において、少尉殿のお供を仰せつかっております! あ、あの、例の新型機のパイロットでして……!」
 アレン少尉と名乗った青年士官は、真面目そうな見た目に違わぬ張りのある、しかし緊張のあまりややどもった声で自己紹介をしてくる。その後ろでは、おそらくは同じ突入部隊のパイロットなのだろう、数人の男女が何やらはやし立てるような事を口々に言っていたりする。
「ああ……格納庫にあった、あの水陸両用機の。聞けば、今夜のうちに出撃されるそうで。危険な任務ですが、お互い頑張りましょうね」
「は、はっ! あ、ありがとうございます!」
 とりあえずビジネス用の微笑を浮かべながら、当たり障りのない言葉でアレン少尉に答えていく。企業の専属リンクスなんて商売をやっていると、彼のような一般の軍人や社員から声をかけられる事も多い。たとえ十代後半の小娘といえども、数年間もそんな事が続けば、流石に慣れてくるというものだった。
 ……ちなみに、何故アレン少尉が同じ少尉のわたしに敬語を使っているのかというと、軍属のリンクスは基本的に二階級上の階位として扱われるからだった。一騎当千の兵器であるネクストは、それのみで戦局を左右する事も多いため、現場においては相応の地位が求められる。かといってあまりにも高い階級を与えてしまうと、それはそれで面倒な事態にもなり得るため、このようになっているのだとか。実際、どこかの企業にはあまりにも上昇志向が強いリンクスがいて、企業側は運用に苦労する羽目になった、なんて話も聞いた事があるし。
 よって、わたしの少尉という階級は通常軍における大尉に相当し、平均的な中隊規模の部隊長に指示を出せる立場にある。あまりにも若すぎるせいで、これ以上はなかなか出世させてもらえないが。ついでに言うと、わたしの義父の階級である大佐は、リンクスとしてはほぼ最高位で、実質的には中将――これは各方面隊の総司令官の階級に匹敵するか、あるいは上回るものとなっている。
「あ、あの! それで、ですね……」
 わたしの言葉が終わってもなお、アレン少尉はこの場を離れようとしなかった。何か言いたげに口ごもると、数秒ほど押し黙り、それから意を決したようにしてこちらを見やって、
「た、大変恐縮なのですが……こ、これを……」
 そうして、一葉の写真を差し出してくる。何の気なしにそれを受け取り――それに映っているものを見た瞬間、わたしの体はぴしり、と音を立てて凍りついていた。
 訓練か何かの直後なのだろう、ベンチに座って足を組み、顔の汗をタオルで拭いている十代半ばくらいの少女の写真。白のタンクトップにサンドカラーの軍用ズボンといういで立ちで、整った顔立ちと豊満なバストが目立つ体をこちらに向けてはいるが、その目線は横から声でもかかったのか、あらぬ方向を向いている。ぼかんと開いた口が童顔めいた印象をよけいに強調し、ほどいた長い金髪が風になびいてきらきらと光って。そして、その手元に握られているのは、如何にも子供っぽい、緑色のスマイリーマークの髪飾りで――
「……って、えぇええええええええええええっ!?」
 思わず立ち上がり、素っ頓狂な声を上げる。被写体であるこの少女は、どこからどう見てもこのわたし、メイ・グリンフィールドだった。しかも胸の大きさや髪の伸び加減からして、ここ二、三年の。
「な……な、なな……ななななななな……!」
 写真を両手で持ち、まじまじと見る。タンクトップなぞ着ているおかげで肩もお腹も剥き出しになって、おへそまでも見えていて。大きく開いた胸元のせいで、丸みを帯びた豊かな双丘やくっきりとした谷間が、はっきりと映ってしまっていて。挙句の果てに、汗で濡れたタンクトップが体のラインにぴったりと貼りつき、その下に着たスポーツブラはおろか、先端の突起のカタチまでも透けて見えてしまいそうで――
「ちょっと! タンマタンマ! 何なの、この写真!? 何時の間に撮ったのよぉっ!?」
「は……はっ! い、以前北米の基地を訪れた際に、訓練中の少尉殿をお見かけしまして! その……悪いとは思ったのですが、たまたま持っていたカメラで、つ、つい……」
「……って、それ盗撮じゃないのっ!? もうやだぁ、信じられない! わたしの知らないうちに、こんな恥ずかしい写真撮られてただなんて……!」
 言い訳めいたアレン少尉の言葉は、火に油を注ぐだけだった。「こ、こんなもの……!」という言葉とともに、写真を掴んだ指先に力が籠もる。アレン少尉が慌てて制止しようとするのもお構いなしで、怒りと恥ずかしさのままにそれを破り捨てようとして、
「ああ、自分も持っとるんですわ、その写真」
 横から割って入ったその声に、直前で制止させられた。ぎぎぎ、と音が出そうな感じでゆっくりとそちらに振り向くと、アレン少尉の少し後ろに、彼とよく似た、しかしいくらか年上で恰幅のいい軍服姿の男性の姿があって。その男性は胸元のポケットから、わたしが手に持っているものと全く同じように見える写真を取り出しながら、
「いや、申し訳ありませんね、グリンフィールド少尉。こいつは以前から少尉殿の大ファンでして。あ、自分はこいつの兄のトニィ・コジマ中尉です。同じく新型機のパイロットを務めております。明日の出撃では、どうぞよろしく」
 にこやかに右手を差し出してくる。柔和な笑みに怒気を抜かれ、思わず差し出された手を握り返してしまう。それをアレン少尉や周囲で見守る男たちがどこか羨ましそうに見る中で、トニィ中尉と名乗った男性は右手を離すと、隣にいたアレン少尉を見やり、
「ほれ、アレン。お前も、だそうだ」
「あ、ああっ! ありがとうございます!」
 反応する間もなく、アレン少尉が両手でわたしの右手を掴んでくる。そうして、ただひたすらに熱を帯びた掌が右手を包み込む中、完全に毒気を抜かれたわたしは、
「あの、その……それで、この写真は……?」
 と尋ねるのが精一杯だった。すると、アレン少尉は思い出したようにこちらの手を離すと、直立不動の姿勢を取って、
「は、はっ! できれば、その……この写真に、少尉殿のサインをいただきたく……!」
 と、とんでもないコトを言ってきた。
「はぁ!? さ、サイン!? こ、これに……!?」
 よりにもよってこんな恥ずかしい写真に、サインをくれ、と? わたしが躊躇しているうちに、「お、お願いします! 少尉殿!」とアレン少尉が頭を下げてきて、さらにそれに重ねるように、
「兄の自分からもお願いしますよ。遠い日本の親元を離れ、恋人も女友達すらもおらず、ただ少尉殿の写真を眺めるのだけが楽しみみたいなヤツでして。しかも、ようやく実物に会えると思ったら、ろくに顔を合わせる暇もなく出撃ときた。……ね、かわいそうなヤツでしょう? 少尉殿の“お守り”とまではいきませんが、どうか一筆、書いてやっちゃくれませんかねぇ?」
 と、トニィ中尉が言ってくる。弟を憐れむように目頭を押さえ、体を震わせてはいるが、よく見ると涙は一滴も流れていなかったりする。
「う~ん……」
 考え込むような振りをしながら、フランさんに目で助けを求めてみるが、彼女はにこにこと笑うだけで否定も制止もしてはくれなかった。どうもこの事態を楽しんでいるみたいだ。次に、食堂の奥の方にいたヴォルフ中将も見てみるが、こちらも同様に面白がるような視線を向けてくるだけで、兵士たちを制止する気はないようだった。ええい、どいつもこいつも、薄情なっ!
 ……ところで、わたしのお守りって何の事だろう? ニッポンのジンジャとかで売ってる小袋みたいなものならわたしも持ってるけど、どうも違うものみたいだし……。
「ほれ、何をやっている、アレン。お前からも、もう一度お頼み申し上げるんだ」
「わ、分かってるさ、兄貴! お、お願いします、少尉殿! ご、後生ですから、ぜひ!」
 兄に背中を押されるようにして、再度必死に頭を下げてくるアレン少尉。在学していれば大学生といった年頃の彼が、高校生に過ぎない年頃のわたし相手にがちがちに緊張して、どもった敬語を使っているのが、何だかおかし……もとい、可哀そうになってきて。そうして、
「はいはい、分かりました。そこまで言うのなら、書きましょう」
 わたしはつい、そんなコトを言ってしまっていた。しまった、と思ったのも一瞬、アレン少尉がぱあっと顔を輝かせ、トニィ中尉がしてやったりとばかりにガッツポーズを取る。周囲にどよめきが拡がっていき、兵士たちがわあわあとはやし立てる中で、
「あ、ありがとうございます! ええと、サインペンはこちらに!」
 アレン少尉が頭を下げながらサインペンを差し出してくる。それを仕方なく受け取って、周囲がはやし立てるままテーブルの上に写真を乗せていき――う~ん、本当はサインなんてしたコトないんだけど。
「ええと……頑張ってください、メイ・グリンフィールド……っと」
 できるだけ可愛らしい文字を意識して書く。そうしてそれをアレン少尉に差し出して、
「はい、どうぞ。でも、もう本人の許可なく隠し撮りなんかしちゃダメですよ?」
「あ……ありがとうございます! 一生大事にします!」
 にっこりと笑って言ってやる。それに頭を下げて、満面の笑みで写真を受け取るアレン少尉。そうして、そのままつつがなく場が収まると思っていたところに、
「ああ、せっかくですんで自分の分もお願いしますよ、少尉殿」
 兄のトニィ中尉の方が、全く同じ写真をずい、と突き出して図々しくもそんなコトを言ってくる。そして、それを皮切りに、
「ああっ! ずるいぞ、トニィ!」
「少尉殿、自分も! 自分もサインお願いします!」
「俺も、俺も! 写真あります、ほら!」
「ぼ、僕は色紙に! 色紙にサインお願いします!」
「あら、じゃああたしも貰っとこうかなー、ふふ」
「ふざけんな、馬鹿野郎! 俺が先に並んでたんだ!」
 こちらに向かって差し出される無数の手、手、手。その手には写真や色紙、私物らしきものなどが握られていて……正直言って、ゾンビ映画みたいで、ちょっと引いた。
「おい! ちょっと待て貴様ら!」
 さすがに見かねたのか、事態を見守っていた兵士の一人――大尉の階級章をつけた壮年の男性が立ち上がって、群がる兵士たちに一喝をくれて、
「貴様らは子供か! 少尉殿が困惑しておられるだろうが! サインが欲しければちゃんと整列して待っていろ!」
 ……って、いつの間にかわたしがサインするのが前提になってる!?
 本気で戸惑うわたしを尻目に、群がっていた兵士たちがぞろぞろと列を作っていく。それだけではない。食堂にいた兵士たちの中からかなりの数が立ち上がって、列に加わっていく。見える範囲だけでも数十人はいるだろうか。若いのも中年も、男も女すらも並んでいく兵士たち。その中に、子供のようなうきうき顔で並ぶ、見知った精悍な顔立ちを見つけて、わたしは膝が崩れていくかような心境を味わっていた。り、リカルドさん……あなたは……あなただけは、信じていたのに……っ!
 とはいえ、流石にこれは予想外だったと見え、先程の大尉が、「止まれ、数が多すぎだ! これから敵基地に出撃するものだけでいい!」と制止の声を張り上げていく。すると、新たに列に加わっていた何人かが、怒号めいて抗議の声を上げていた。
「何を! 出るのはお前らだけじゃない! 俺たちだって直掩で出るんだぞ!」
「俺たち対空要員もだ! 誰のおかげでお前らが帰ってこられると思っていやがる!」
「砲手の俺は除外だってのか!? んなコトばっか言ってると、テメェらの尻に砲弾を叩き込んでやるぞ!」
「そうだそうだ! 横暴だ! こういうのは平等にやるべきだろうが!」
 もはや掴みかからんばかりの勢いで抗議する彼らに、
「え、ええい……! と、止まらんか、貴様ら! 少尉殿が迷惑しておられるだろうが!」
 大尉が後ずさりをしながら、負けじと声を張り上げていく。そこに、背後からぽん、と肩を叩いた者があった。
「まあまあ。そこまでにしておきたまえ、大尉」
「ええい、今は……って、ヴォルフ中将!?」
 大尉が叫んだ名に、周囲にいた兵士たちが大人しくなっていく。この場で誰よりも偉い人の登場である。さしもの荒くれ兵士たちも騒ぎを止めて、次々と直立不動の姿勢を取っていく。あれだけ騒いでいたのに誰も異論を唱えない辺りに、欧州方面軍の規律の高さが伺えた。
 そうして、ある種の諦観を伴ってその場が沈静化していく。それに大尉が安堵の息を吐いたところで、ヴォルフ中将はどこか茶目っ気のある笑みを浮かべると、
「さて、少尉のサインを貰うには、列の最後尾に並べばいいのだったな? では、今のうちに私も並んでおくとしようか」
「ち、中将~!?」
 抗議の声を上げる大尉にお構いなしで、ヴォルフ中将は悠然と兵士たちの列に並んでいく。それに、その場にいた兵士たち――列に並んでいた者たちだけでなく、食堂に座っていた者たちも、何事か起きたのと出入り口から様子を窺っていた者たちまでもが、さっき以上の歓声を一斉に上げていった。その音量は前のそれを遥かに上回り、まるでこの《ギガベース》の巨体をも揺るがしていくように思えて、
(ま、まずい……!)
 呆然と事態の推移を見守っているうちに、いつの間にかとんでもないコトになっている。サインそれ自体に抵抗があるわけではないし、兵士たちの気持ちに応えてあげるつもりもないではないが、この人数と熱気は想定外もいいところだ。どうしようか思案しながら、広大な食堂を見回していって――その時、兵士たちの行列を避けるようにしてこちらを通り過ぎようとしていた《ストレイド》一行と目が合った。
「あ、ちょっと……!」
 とっさに声をかける。律儀に足を止めた隻眼の少年と、それに構わずにすたすたと歩いていくセレン・ヘイズ。去り行くピンク色のスーツの背中には、「こんな馬鹿げた騒ぎに付き合っていられるか」と明確に書いてあって――そうして、彼女はパートナーであるべき少年を置き去りにして、甲高いヒールの音を響かせながら、悠然と歩き去っていく。その後ろ姿を、ヴォルフ中将が横目で追っているのが、少しだけ気にかかった。
「え、ええと……」
 そして、衆人環視の中、隻眼の少年と至近距離で向き合う。こちらを見つめる焦げ茶色の瞳に、何か言おうとするよりも早く、「……人気者は大変だな」と言ってきて、
「おれの事は気にするな。どうせ、こっちから話すような事もないしな」
 その言葉に、思わず表情が輝く。昼間の約束、ちゃんと覚えてくれて――そう口に出そうとするも、そういう時に限って何故か言葉にはできなくて。結局、口をついて出たのは、顔を曇らせなければいけないような言葉だった。
「でも……せっかく話をするって約束したのに……」
「話なら、明日、任務が終わった後でもできるだろう」
 わたしの言葉を、しかし隻眼の少年は否定しなかった。そうして、
「やれるのなら、やってやればいいじゃないか。そうやって誰かの求める声に応じるのも、きっと“英雄”ってやつの務めなんだろうからな」
「英雄の、務め……?」
 その言葉をオウム返しに呟く。英雄? わたしが? いつも守ってもらってばかりのわたしが? どこか釈然としないものはあったものの、それでも悪い気はしなくて、
「そうなの? ……じゃあ、話すのはまた後で。絶対だからね?」
 思わず、そう答えていた。それに、隻眼の少年は口の端をほんのわずかに動かすと、
「……じゃあな。また明日」
「うん。また明日ね」
 互いにそう言い合った後で、彼は今まさに食堂を出ようとするところだったセレン・ヘイズに小さく舌打ちをして、早足で歩き去っていく。そうやって去り行く背中を数秒ほど見送ってから、わたしはふと、ある事に気がついていた。
「あれ……今……?」
 気のせいかもしれないけど、あいつ。ほんの少し、口の端辺りがほんのわずかだけど、確かに――
「笑ってたわね、彼」
「ひゃあっ!?」
 背後からの声に、素っ頓狂な悲鳴を上げる。その場で振り返ると、いつの間に背後に忍び寄られたのか、楽しそうな笑顔を浮かべたフランさんが立っていて。
「……本当、随分と仲がよろしいのねぇ。この短期間でもう若いツバメを捕まえるなんて、羨ましいわぁ」
「だ、だからっ! わたしとあいつはそんなんじゃ……!」
 慌てて言い訳をしようとしたわたしに「いいからいいから」と返してから、フランさんはおもむろに真顔になって訊いてきた。
「それで、結局のところどうするの、サイン? 明日の出撃を考えれば、ほどほどにしておいたほうがいいと思うけど?」
「ええと……う~ん、どうしようか?」
「止めたいのならばそう言えばいいわ。こっちで泥は被ってあげるから。……元はと言えば、さっきの少尉さんの時に止めなかった私にも責任がある話だしね」
「いや、それは……」
 思わず口ごもる。最初こそ面食らったものの、今は別にやりたくないというわけでもないし。ここまで来てやらない、なんて事になったらそれこそ暴動でも起きそうな気配だし。せっかく盛り上がってる兵士たちの士気に、気分がどうの体調がどうので水を差すのも悪いと思うし。それに、断るにしてもフランさんに頼るのは何か違う気がするし、ここまでの騒ぎになった以上、義父の名に傷がつく恐れだってあるし。
(……それにあいつが、やってやればいいじゃないか、って言うんだもの……)
 そして何よりも、あいつにそうまで言われちゃあ仕方がない。英雄の務め云々は置いとくとしても、ここで引き下がるのは女が廃るっていうものだ。
 よし、覚悟は決まった。わたしは大きく頷くと、
「……ううん、やるわ」
「そうね。その方が……って、え?」
 何か言おうとしたフランさんを手で制しつつ、前に出る。そうして、すう、と深呼吸した後、わたしは事態の推移を見守っていた兵士たちに向かって大声で宣言した。
「よ~し! 上等じゃないの! 全員まとめて相手してあげるんだからっ!」
 その途端、広い食堂を喝采の声が埋め尽くした。
「うおおおおおおおっ! や、やったー!」
「さっすが~、少尉殿は話が分かるッ!」
「他の奴らも呼んでこい! みんな喜ぶぞ!」
 騒ぎ立てる兵士たちを尻目に、てきぱきとテーブルの上を片付けていく。フランさんもため息をつきつつ手伝ってくれて、そうして空いたテーブルに陣取ると、
「「「それでは少尉殿! お願いします!」」」
 こちらに差し出される無数の写真や色紙。それを順々に受け取ると、
「うりゃああああああああああああああっ!!」
 さっきと同じ要領で、次々とサインを書いていく。いつにも増して冴えわたるペン捌き。あっという間にサインを終えた写真や色紙が積み重なっていく。しかし、
「こっちもお願いします、少尉殿!」
「こっちもこっちも! あと、できれば握手も!」
「はあ!? ええい、やってやろうじゃないの……!」
 立ち並ぶ兵士たちはぜんぜん減らない。それもそのはずで、騒ぎを聞きつけて他所からやって来た兵士たちが、次から次へと列に加わっていくからだ。もう何人にサインしたかも覚えてなくて、右手の感覚が少しずつなくなっていくが、それに構わずにひたすらに右腕を動かし続けた。
 ――やれるのなら、やってやればいいじゃないか。
 隻眼の少年が残した言葉が、わたしを奮い立たせていく。あいつにそうまで言われたからには、途中で投げ出すような無様はできない。頬を叩いて気合を入れ直したわたしは、求められるがままに右手を差し出していって――

 ――そうして結局、夜が更けて日が変わるまで、即席のサイン会は続いたのだった。

 

 

 一日前、午後十一時十五分。《イントレピッド》艦内の特別乗務員室にて。

「九十、九十一、九十二……」
 狭い室内に、荒い息遣いとともに数を数えていく声が響く。折り畳み式のベッドと小さな物置棚、あとは壁掛け式のテーブルとパイプ椅子しかないような殺風景な部屋の中心で、彼は一心不乱に腕立て伏せをしていく。
 浅黒い肌を汗が伝い、剝き出しになった両腕は無数の傷跡が目立つ。一つしかない目が一心不乱に床を睨み、しなやかな筋肉に覆われた細身の体躯は、数時間もの激しい運動を経ながら、しかしいっこうに動きを鈍らせていない。
「九十八、九十九……百……っ!」
 そうして、既定の数を数え終わった彼――《ストレイド》のリンクスは、そのままゆっくりと立ち上がると、ベッドにかけていたタオルを手に取り、首元の汗を拭き取っていく。リノリウム張りの床は流れ落ちた汗でじっとりと濡れているが、それを気にする様子はない。どうせ借り物の部屋だからだ。そもそも、多少部屋が汗臭かろうが、それを不快に思うだけの神経を彼は持ち合わせていなかった。
「……まだやっているのか」
 薄い壁を経て伝わってくる歓声に、不快そうに眉根を寄せる。食堂で繰り広げられていた乱痴気騒ぎの事だ。あのGAの女リンクスによる、即席のサイン会。彼女には口でああいったものの、さりとて自分がそれに付き合う気があるかと言われればきっぱりと否であり、さっさと自分に割り当てられた部屋に戻るなり、こうしてひたすらに筋トレに励んでいたというのが、《ストレイド》のリンクスのこれまでの行動だった。
 ……もっとも、彼女の行動を彼が不快に思う謂れはない。所詮は他人事である。どうでもいい、と自分でもそう思っているのに、何故こうして不快に思わなければならないのか、そもそもいったい何を不快と捉えているのか――それを彼は自分で説明できずにいたし、だからこそトレーニングに没頭していた、というのが実情でもあったのだが。
 そんなこんなで、狭い室内でもできるものとはいえ、腕立てや腹筋背筋などの各種筋トレをそれぞれ百回ずつ。一通り終われば、また最初からやり直して、ひたすらに繰り返すという事を、隻眼の少年はこの数時間、ほぼ休みなしで続けていた。
 基本的に筋力トレーニングというものは、本当に効くようなやり方でやれば、数十回ほどが最適と言われている。それ以上は体を壊す恐れがあるからだ。よって、彼のそれはプロのスポーツ選手も顔負けの運動量であり、いっそ苦行の域とすら言えたが、それに肉体が悲鳴を上げる事はない。彼の体は、そのようになっているからだ。
 故に、時間があればこうして体を痛めつけるのが彼の日課ではあったのだが、今回に関してはいつもよりもだいぶ熱が入ってしまっていた。彼自身は単純に気分が乗っているだけだと無理やり解釈していたが、実際には自分でも正体不明の、漠然とした苛立たしさのせいだった。無論、それが何に、誰に対しての苛立ちなのか、自分自身でも気づいていないのは言うまでもない。
「英雄の務め、か……」
 数時間前、あの女――メイ・グリンフィールドに言った言葉を反芻する。
 今にして思い起こせば。あんな児戯めいたものではなかったが、自分の父もまた、あのような熱狂に囲まれていたような気もする。老いも若きも、男も女も、皆が敬意と熱意と希望が籠った声で父の名を呼んでいたし、父の方もまたそれに応えようとして、無理を重ねていった。そして、そんな父の姿を傍らで見ていた自分もまた、子供心ながらに、誇らしいと、自分もそうなりたいと、確かにそう思っていたのだ。
 ……遠い、遠い記憶だ。父も、そして部族の皆も、今はそのどちらも失われて久しい。
 らしくもない懐古の念に舌打ちをした彼は、その発端でもある金髪の少女の顔を思い浮かべた。快活な笑みを浮かべた整った顔立ちが、こちらの奥底まで見通すようなエメラルドグリーンの瞳が、今もなお脳裏に鮮明に浮かび上がり――それを、首を横に振る事で打ち消していく。
 あまり、あの女に気を許しすぎるな。一度協働した仲とはいえ、所詮は傭兵同士の馴れ合いに過ぎず、今回の依頼で彼女を派遣してきたGAの意図とて知れたものではない。実際、自身のオペレーターであるセレン・ヘイズからも、あの騒ぎの後に「あまり深入りはするなよ」と忠告を受けてもいた。
「そんなもの、あんたに言われなくても分かっているさ……」
 そう、独り呟く。所詮、あの女もリンクスであり、自身の“敵”だ。何を考え、何を企んでいるか知れたものではない。あのリッチランドの時のその身を盾にした行動も、この間のオーダーマッチでの突然の乱入にしたって、一定の打算によるものだろうし、それこそ雇い主であるGAに命じられての行動である可能性だってあるのだから。
 あの突然の乱入の後の、嘘とは思えない突然の取り乱しよう。そして何よりもその直前の、こちらを強く案じる真摯な眼差しを見ていなければ、そもそもあんな女など初めから相手にもしなかったというのが実際のところだったのだ。そうでなければ、あの女が関わっていると事前に知らされていなければ、こんなあからさまに危険で怪しい依頼など、どれだけ報酬が高かろうが受けはしなかったというのに。
 そのような経緯を経てからの、あれである。流石に向こうも最初のうちは警戒してはいたようだが、昨日の夜のあの会話以降、一転して打ち解けたように快活に、こちらに好意的に振舞ってくれてはいる。昼間や先程の、こちらと話したがっていたかのような態度も嘘ではないのだろう。もちろん、その裏で何を考えているか分かったものではないし、それこそ“女”を使ったやり口だという可能性だってある。無論、何事も疑えばきりがないというのは承知してはいるが、見たまま、ありのままを素直に受け入れるには、自分はあまりにもうしろ暗い世界で生きてきたのだ。
 ――理解はしている。あの女との、これ以上の余計な馴れ合いは危険だ。これ以上慣れ合っていては、長い年月を経て研ぎ澄ましてきたものが鈍りかねない。それは自分にとっては命を失うよりも致命的な事だ。だからこそ、どこかで遠ざけなければならない。
 たとえ、ころころと感情豊かに変わっていく表情が、見ていて飽きないものだとしても。
 誰かを守るために戦うのだというその在り様が、自分にとって輝かしく、羨ましいものだと思えたとしても。
 眩しくもどこか儚く見える笑顔が、意識を失っていく中で感じた柔らかなぬくもりが、記憶にある母親のそれを思い起こさせるものだったとしても。
「……そう言うあんたの方も、な。いったい何を考えているのやら……」
 そういう意味においては、自身のオペレーターであるセレン・ヘイズも同様だ。
 かつて戦場で相対した自分を捕らえ、インテリオルという名の檻に閉じ込めた女。それから何年も経ってから、自分のビジネスのためにそこから引きずり出した女。そして、かつての自分たち――在りし日の父と母、そして幼かった自分を知っているとのたまった女。
 いったい何を考え、何のためにネクストを用意し、何のために自分を戦わせているのか。
 直接訊いてみても、“答え”がどうのこうのとはぐらかされるばかりだった。こちらにとって核心的な質問には沈黙し、常に高圧的で、命令口調で振る舞いながらも、それでいて肝心の依頼の選定はこちらにやらせ、ネクストのアセンブリにも口を出さずにいる。こちらをイカレ野郎だの単純馬鹿だのと平然と罵り、頭ごなしに否定してみせる割に、その相手を手ずから鍛え上げ、それこそ自身の身内であるかのように扱ってみせる。依頼で稼いだ多額の報酬は「借金の返済があってな」と言って一手に握り、こちらには僅かばかりのはした金しか寄こさないでいるが、かといって機体のパーツ購入にかかる膨大な費用は惜しまない。
 そういった、ある意味において矛盾した経緯から、本当の意味でセレンに気を許した事など一度もなかったし、そんな相手に従っているのにしたって、それが自身の“目的”を果たす上で唯一の道であるからに他ならない。実際、それは向こうとて同じだろう。所詮は彼女も、元とはいえリンクスであるのは間違いないのだから。
 ――リンクスなんて連中の存在を、おれは許さない。どれだけ時間がかかろうが、必ず根絶やしにしてやる。
 自分を連れてインテリオルを抜け出したあの日。リンクスになれと言ってきたセレンの前で、自分はそう宣言した。その時の彼女の、呆気に取られたような、それでいてわずかに悲しげな表情を覚えている。そして、そのすぐ後に不敵な笑みを浮かべて言い放った、「……上等だ。そのくらいでなければ、使いこなす価値もない」という言葉も、また。
 あの表情は、いったいどういう意味だったのか。どういうつもりで、自分をリンクスとして働かせているのか。もし本当に、幼き日の自分を知っているというのなら、それはどういう経緯で、どういった形だったのか――
「……いや、そんな事はいい。それよりも、あの女の事だ」
 思考が逸れた。セレンの事は、今はいい。それよりもあの女だ。あの女をどうするか、どうやって遠ざけるべきか――
「まあ、いいさ。明日のミッションで、こっちが結果を出せばいい。そうして例の約束とやらで、あいつを遠ざけるように言ってやれば、それでいい」
 自分にこれ以上近づくな、興味を持とうとするな、と。
 そうして、その後はGAの依頼など受けないようにすればいい。向こうは企業専属で、こちらは独立傭兵。依頼以外での接点など、無いに等しいはずなのだから。
 だから、それで全て元通り。口うるさく、お節介で、無駄に快活で、それでいてどこか居心地のいい優しさを見せるあの女とは、それっきり縁が切れ、ただの他人に戻れる。そうすればもう、これ以上引っ掻き回される事も、これ以上余計な煩わしさを感じる事も、これ以上鈍るような事もなく――
 そう思考してため息を吐くと、窓代わりに設けられたモニターから夜の海を見やる。昨夜と同じような満天の星の海と、その中でなお燦然と輝く欠けた月。それとは対照的に、漆黒に染まった夜の海には一片の光さえも見つけ出せず、だからこそ、今の自分に相応しい気がした。
 ――忘れるな、思い出せ。見つけ出せ、叩き潰せ、牙を突き立てろ。
 おれは地獄からやって来た。リンクスどもが生み出した地獄から。
 おれは独りでやってきた。あの日からずっと。今までも、そしてこれからも。
「…………」
 首元にぶら下げていた首飾りを手に取り、見つめる。色とりどりの天然石と、中央に動物の牙をあしらった、革紐の首飾り。
 薄っすらと黄ばんだ、三日月のようにも東洋の刃のようにも見えるそれは、自身の故郷であるホワイトアフリカに住まう、野生の狼のものだったと聞いている。白人(フランク)たちの乱獲と戦争による環境破壊によって絶滅した生き物の、それがまだ存続していた頃の最後の名残。
 かつて父と母が存命だった頃、自分のために用意してくれたもの。強く、賢く、優しく、名前の如く在れと。そう願い、祈り、作られたもの。かつての自分を示す唯一無二のもので、小さな体で地面を這いつくばっていた頃も、ぼろぼろのノーマルを駆って戦場にいた頃も、インテリオルの実験台として終わらぬ苦悶の中にあった頃でさえも手放さずにおいたものだ。
 それを見ていると、否が応にも思い出す。忘れようのない、否、既に自身の全てといっても過言ではない記憶が、心を内側から焼き焦がし、責め苛み、塗り潰していく。
 赤銅色の機体の胴体からはみ出た、かつて父だった血塗れの腕。
 燃え盛るコンビナート跡で繰り広げられた、“便所”めいた地獄絵図。
 眼前でなぶり殺しにされながら、それでも微笑みを浮かべていた母の姿。
「……っ!」
 ぎり、と奥歯を噛みしめる。モニターに映った自身の顔が醜く歪み、歯が割れんばかりに噛みしめた口元から、一筋の血が流れ落ちていくのが見える。
 ――全ては、あの男のせいだ。漆黒の鴉のエンブレムを左肩に描いた、黒い《アリーヤ》のリンクス。今や“アナトリアの傭兵”と呼ばれて恐れられている、あの男の。
 同胞たちを焼いた炎の中、傲然と立つあの機体を見上げた時から、自分は終生戦い続ける事を宿命づけられた。同胞を殺し、父を殺し、大事な人たちをこの世の地獄へと追いやったあの男に、あの日のツケを支払わせる、ただそれだけのために生きてきたのだ。
 十一年の時を経てなお強く身を焼く怒りと、マグマの如く煮えたぎった憎悪。もはや狂気の範疇と言ってもいい、底なし沼めいたどす黒い衝動。己の内に深く焼きついたそれは、もはや何をもってしても鎮められない、たとえ目的を果たしたとしても決して晴れようのないものだと分かっているのに。失われた大事なもの――かつての自分を取り巻いていた笑顔を、両親を始めとした大切な人たちを、あの貧しくとも幸せだった日々を取り戻す事は、未来永劫あり得ないのだと理解しているというのに。
 幼かったあの頃、両親とともに毎日のように唱えていた聖句を口ずさむ。
「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)、か……」
 かつての信仰の名残が、冷えた空気をひと揺れさせる。クソ食らえ、だ。《ストレイド》のリンクスは乱暴にベッドに身を投げ、右目を閉じて視界に浮かぶ光を闇の外へと追いやった。

 

 

 ――作戦当日、午前九時。北米、ミミル軍港から五十キロ離れた洋上を移動中の《イントレピッド》の上部甲板にて。

「いっ……!」
 その瞬間、わたしはいつものようにくぐもった悲鳴を上げた。
 AMS接続端子による、機体との物理的な接続。神経と金属とが擦れ合い、脳髄と機械とが一体になっていく独特の感覚。何度やっても、この瞬間だけは慣れそうにない。そう、この手に染みついた血の臭いに、指先にこびりついたトリガーの感触に、いつまで経っても体が慣れてくれないのと同じように――
 そうして、いつものように体の感覚が薄くなり、同時に全高十メートルの巨体を、緑色に燃える心臓と鋼鉄の肌を自らのものと認識するようになっていって、
『システム、オールグリーン。メインシステム、戦闘モード、起動します』
 統合制御システムの宣言の後、完全にわたしと一体になった《メリーゲート》のカメラアイが緑色に輝く。コアの粒子発生口から大量のコジマ粒子が噴出し、空中で球状に滞留し、瞬く間に機体全面を覆うプライマル・アーマーとなって展開していった。
「ふう……」
 機体との接続を終え、大きなため息を吐いたわたしは、頭部を巡らせ、周囲を見渡していく。
 《メリーゲート》は《ギガベース》の右舷にある上部甲板の、ちょうど中ほどのところにいた。左前方には巨大な艦橋がそびえ立ち、機体の周囲にはネクストと同じくらいある高射砲が立ち並んでいる。足元の甲板には前方に向けられたレールのようなもの――埋め込み式のリニアカタパルトがあり、艦載機が発艦する時にはこれを使って急加速するというわけだ。
 そういえば、と傍らに立つ高射砲を見て思い出す。一昨日の夜、二人で語らったのは、ちょうどこの辺りだったっけ――
「いよいよ、ね……」
 カタパルトに向けて機体を一歩踏み込ませ、呟く。後方には、今やすっかり見慣れた砂色の機体。まだAMSに接続はしていないらしく、その動きはどこかぎこちない。おそらくはマニュアル操作なのだろう《ストレイド》は、そのぎこちなさを残した動きのまま、《メリーゲート》の斜め後ろまで歩いてくる。騎士の兜を思わせる頭部を巡らせ、バイザーに覆われたピンク色の複眼がこちらに向けられて、
『……例の約束、忘れるなよ』
 そう、釘を刺すような口調で言ってくる。
「え? 一昨日の? もちろん忘れてないけど……」
 そういえば、そんな約束をしていた。もしもこいつをわたしが助けるような事があれば、こいつの名前を教えてもらう。そして、もしもそうならなければ、わたしがこいつの言う事を一つだけ聞くという約束だったのだが、具体的に何をさせるつもりなのかは聞いていなかったはずだ。
「何をさせるか決まったの? 何、何なの? わたしにも教えてよ」
『……結果が出たら、な』
「一昨日も言ったけど、体触らせろ、とかはダメだからね? それ以上のコトとかはもっとダメなんだからね? わたしのお義父さんが許さないんだからね?」
『……だから、そんなコトはおまえに言われなくてもしないって……』
「え~、そうなの? それはそれで何か傷つくわね……」
『おまえな……』
 と、軽口の応酬めいたやり取りをしていると、セレン・ヘイズの呆れたような声が割り込んできた。
『……無駄口はそこまでにしておけ。こっちや艦橋の方にも漏れているんだぞ』
 そうして、『GAの女リンクスはともかくとして、お前まで付き合うんじゃあない』と小言めいた事を言ってから、
『そんな事より、そろそろ動きがありそうだ。《ストレイド》、こちらもAMS接続を開始しろ』
 それに、『……了解』と短く返してから、《ストレイド》が前を向く。そして、そのまま一分ほど経ってから、
『……、……っ!』
 苦悶めいた吐息を漏らしながら、《ストレイド》のカメラアイが強く輝き、プライマル・アーマーを展開していく。ようやくAMS接続が完了したらしく、通信回線には押し殺した、しかし確かに荒く聞こえる息づかいが漏れてくる。心なしか、機体の立ち姿までもがぐったりとしているように見えてしまうような。
 ……リッチランドの時も思ったが、機体と接続するのに随分と時間をかける。こちらがものの十秒で終わらせるとしたら、《ストレイド》の方はたっぷり一分はかかっている。ただ接続するだけで疲労困憊になるような仕草といい、まるで義父やドンみたいだ、なんてコトをぼんやりと思った時、
『――それでは、作戦の概要を確認します。本作戦の目的は、インテリオル・ユニオンの北米における一大拠点、ミミル軍港の制圧です』
 《ギガベース》の艦橋にいるフランさんから通信が来た。いつも作戦開始の直前に行っている最終ブリーフィングで、今回はわたしだけでなく《ストレイド》の方にも送られている。どこか他人行儀に聞こえる口調はそのためだろう。
『ミミル軍港は浸食海岸を利用した天然の要害で、旧レイレナード時代からの軍事拠点でした。戦後になってインテリオルによって接収され、長らく北大西洋におけるGAおよびBFFの軍事活動の障害となってきたのです』
 視界内に展開したウィンドウにミミル軍港の概略図が表示される。高く切り立った崖に挟まれるようにして、ひどく屈折した水路が無数に枝分かれしながら伸びている。その途中にいくつも見える瘤のような不自然な膨らみの中には、港湾機能を持たされたと思しき人工的な地形が見える。おそらく、艦艇の停泊所として人工的に拡張された部分なのだろう。最奥部には明らかに人の手で作られたと見える巨大な空洞があり、そこに巨大な港湾施設が存在しているという話なのだが――
『敵の主戦力は軍港内の艦艇、およびノーマルとMTによる混成部隊です。重量級ノーマル《ゲッペルト》と飛行型ノーマル《タイプ・アージン》、それに逆脚MT《マムルーク》を始めとした旧型のMT群の配備が確認されています。停泊中の艦艇の中には戦艦級も確認されており、閉所ではありますが敵の攻撃は苛烈を極めるものと思われます』
 フランさんの言葉とともに、軍港内に展開していると思われる敵戦力のCG画像が表示される。イージス巡洋艦にステルス駆逐艦、三胴式のステルス戦艦、ノーマル搭載型の航空母艦や強襲揚陸艦、それに攻撃型潜水艦などなど。タンカーや輸送船などの補助艦艇も含めれば、まさに現代艦艇の見本市といったところで、世界第二位の海軍力を誇るインテリオル・ユニオンの底力を示すものでもあった。
 一方で防衛部隊の顔ぶれはいつもの面子といった感じで、これといって脅威になるものではない。MTの配備状況に“Unknown”と表示されているのは気になるが、要はデータすら揃わないほどに旧型という事なのだろう。ネクストの二機がかりであれば、特に問題になるとは思えなかった。だが、
『……なお、未確認情報ではありますが、軍港内には新型の水上型アームズフォート《スティグロ》が配備され、調整中との情報もあります』
 フランさんが続けて言った言葉に、意識を引き締める。いるだろうという事前情報はもらっていたが、やはり出たか、アームズフォート。それも新型とくれば、かなり手強い相手になるのは間違いなかった。
『詳細は不明ですが、水上での高機動戦闘に特化したタイプの機体と推測されています。ただ、《ストレイド》が行った前回の襲撃の時とは異なり、何らかの武装が追加されているようです。閉所のため十全に性能を発揮できるとは思えませんが、十分に注意してください』
 前回の襲撃の時に撮ったのであろう、無数の写真が表示される。ジェットフォイル状の脚でもって海上に浮かぶ流線型の機体で、前面には有機的にも見える複眼型のカメラアイとともに無数の砲口が覗き、翼にも見える巨大なエア・スタビライザーが印象的な後方には、機体投影面積の大半を占める大型ジェットエンジンのノズル群が見える。総体としては、水面を滑る巨大な海獣といった趣で、いかにも高速性に優れたデザインというのが、わたしが抱いた第一印象だった。
 機体各所に設置された砲口やハッチ、そしてインテリオル製というところから察するに、追加された何らかの武装というのはレーザー砲やAS(自動追尾)ミサイルあたりか。レーザー砲はエネルギー防御が弱いGA機にとっては十分脅威となるが、一方でアームズフォートにしては軽武装で、装甲も比較的薄いようにも見える。おそらくは最大の持ち味であろうスピードが狭い地形に殺されている点から考えても、ネクストであっても十分に対処が可能に思えた。
 ……もっとも、その圧倒的な積載量によって、いかなる大型の兵器であっても搭載可能というのが、アームズフォートという兵器の特徴でもある。どんな隠し玉を持っているのか分からないという点では現状でも十分に脅威であり、元々兵器としての地力においてはネクストよりも遥かに勝る相手でもあるため、先入観による決めつけや油断は禁物なのだが。そうして、覚悟を新たにしようとした時だった。
『……なお、ミミル軍港にはちょうどインテリオルの首脳陣が視察に訪れており、彼らの排除が今回の作戦における最重要目標となっています。首脳陣の搭乗艦と目されている艦は、三隻。イージス巡洋艦《ティターン》、ステルス戦艦《キュクロプス》、そして航空母艦《ヘカトンケイル》――これらの艦艇が今回のミッションにおける最重要撃破対象です。確実に撃破してください』
 フランさんの説明に、思わずげんなりとした表情になる。要するに、敵拠点の制圧作戦とは名ばかりで、実質はその首脳陣とやらの暗殺が目的か。道理で、制圧作戦にしてはこちらの戦力が少なかったわけだ。
『…………』
 《ストレイド》の方は相変わらず無言だったが、セレン・ヘイズの方はそれに気づいたようで、『ふん、なるほどな……』と露骨に悪態をつく声が聞こえてくる。仲介役のオニールさんからどんな情報を聞かされていたのかは知らないが、こちらも初耳だったようだ。
『……そちらの言いたい事も分からないではありませんが、これはGA社取締役会直々の通達でもあります。これが果たされなければ、ミッション失敗と見なされる可能性もあるという点は、十分に考慮してください』
 そう脅しめいた言葉を付け加えてくるフランさんは、しかし言葉とは裏腹に何かを押し殺したような声色だった。彼女自身もまた、この作戦に納得しておらず、しかしそれでもなお組織に属する立場上、そう言わざるを得ない。そういう事なのだろうか。
 ――そういうものよ、組織というのは。今も、昔も……。
 昨日、格納庫で聞いた言葉が脳裏に蘇り、あれはそういう事だったのかと得心する一方で、ならばやってやろうじゃないの、というGAという組織そのものに対する反骨心が燃え上がり、それを敏感に感じ取った《メリーゲート》が、ぎしり、と身じろぎをする。
『…………』
 それを、《ストレイド》のカメラアイが見つめていた。見られた気恥ずかしさに「な、何よ」と返すも、向こうからの応答はなく、素っ気なく視線を戻した《ストレイド》にやきもきした思いを感じながら視線を前に戻して、
『軍港内にはこちらの部隊が既に侵入しており、こちらの攻撃を待って戦闘を開始する手筈になっています。彼らと協働し、敵勢力を徹底的に撃滅してください』
 続けたフランさんの言葉に、メインカメラを望遠モードに切り替える。水平線の彼方、五十キロ先にあるミミル軍港は、ここからではわずかにはみ出た灰色の崖にしか見えない。
 昨日の夜、向けられた笑顔や掌を思い出す。アレン少尉を始めとした、何十人かの兵士たち。何十分と待たされても不平不満も言わず、そうしてわたしのサインを受け取るや否や、まるで子供のように喜んでくれていた、気のいい人たちだったのを覚えている。あの後、彼らは真夜中のうちにこの《ギガベース》から出撃し、今もああやって頑張っているのだろう。
 彼らのうち、果たして何人生きて帰れるか――否、そんな考え方ではダメだ。上層部の思惑が何だろうが関係ない。わたしも、《ストレイド》のリンクスも、そしてあそこにいる彼らも。全員生きて帰る。生きて帰らせる。それが、今わたしがやるべき事だ。
 そうして、確たる決意でもって前方を睨みつけた、その時だった。
『レーダー手より各員へ! 敵航空戦力の接近を確認!』
 通信回線に、甲高い男の声が割り込んできたのだ。その声にかぶせるようにして、
『速度からして、敵機は飛行型ノーマルと推測! 機数、四……いや、五! 二十分後に本艦に到達します!』
『軍港内に動きあり! 戦艦級と思しき大型艦艇がこちらに向かっています! 護衛のノーマルも多数接近!』
『潜伏中の味方部隊より報告! 軍港深部より敵の航空部隊が続々と発進中! ただちに攻撃を行われたし、との事です!』
 次々と送られてくる報告に、再度、ミミル軍港のほうを見やる。ゴマ粒大の影が五つ、飛行機雲の尾を引きながらこちらに向かってくるのが見え、まずはこいつらを片付けるのが先か、と身構える。だが、次の瞬間、別の声が通信回線に割り込んできた。
『構わん! 敵が射線軸上にある今が好機だ! レールガン、発射準備急げ!』
 それがヴォルフ中将の声だと気づいた時には、『り、了解! MHD(電磁流体誘導)推進、停止! 超大型レールガン、展開します!』とさらに別の声が通信回線でがなり立てていた。そうして、次の瞬間には低い可動音を伴って、《ギガベース》の巨体に驚くべき変化が起こった。
 《ギガベース》の双胴船型の胴体の間にそびえ立つ巨大な艦橋が、レールに沿って基部ごと左側へスライドしていく。そうして左舷側に艦橋が乗っかった、偏ったシルエットになったと思ったのも数秒、機体全体を揺るがす振動とともに、それをも上回る変化が《ギガベース》の巨体に起こっていた。
 双胴になった機体の中央部を満たしていた海水が、水しぶきを上げながら流れ落ちていく。海中に沈んでいた巨大な推進装置がゆっくりと持ち上がり、数十秒後には、それは全長五百メートルもの長大なユニットとなってせり上がっていった。ガントリークレーンめいた基部に、ごてごてと飾り立てられた鉄骨の群れといった形状の棒状のユニットが、海水を流し落としながらその全貌を露わにすると、ゆっくりと旋回して鎌首をミミル軍港の方に向ける。だが、変化はそれだけで終わらなかった。旋回を終えた次の瞬間、棒状のユニットが割り箸めいて上下に分かれ、馬鹿みたいに巨大なレールガン(電磁加速砲)の砲身となって展開していったのだ。重厚長大としか言いようのない二本のレールがゆっくりと帯電していき、その隙間に青白い電光が幾重にも奔っていく。
「よりにもよって海上で、これを使うなんて……!」
 稲光めいた強い輝きに防眩フィルターを作動させながら、わたしは驚きの声を上げた。それくらい、目の前の光景はこちらの常識を外れた光景だったのだ。
 通常は《ギガベース》の胴体部の間に格納され、その強大な電磁誘導装置でもって主推進力に利用されている超大型レールガンは、このように艦橋を横に動かし、基部ごとユニット全体が持ち上がる事で初めて発射形態となる。これだけ巨大な見た目に違わず、その威力も射程も折り紙付きであり、あの《スピリット・オブ・マザーウィル》の主兵装だった八百ミリ多薬室砲にも匹敵するとされている。だが一方で、そのあまりの威力ゆえに反動もエネルギー消費量も絶大であり、本来は地上にいる時しか使えないとされているのだ。
 そんなものをよりにもよって海上で、それも敵拠点を目の前にして使おうだなんて。あまりの反動で有効な射撃ができない可能性もさる事ながら、海上での主推進力を失った《ギガベース》は、このままではまともに航行できなくなってしまうというのに。
 およそ、真っ当な指揮官が考えつく作戦とは思えなかった。だが、だからこそ敵にとっても予測不可能な攻撃になる可能性が高く、何よりもその絶大な攻撃力は、如何な天然の要害であっても有効打になり得る……!
 そうこうしているうちに、再度《ギガベース》から通信が入ってきた。
『《イントレピッド》より二機のネクストへ。予定通り、君たちにはこれよりオーバードブーストでミミル軍港に突入してもらう。こちらに接近中の敵機は無視して構わない。君たちの発艦を確認次第、本艦は軍港内への砲撃支援を開始する。射線上に割り込まないように注意しろ』
 迫り来る敵を前にしても落ち着き払ったヴォルフ中将の声は、最後に『――では、な。君たちの幸運を祈るとしよう』とつけ加えて終わった。その後に繋げるようにして、
『それでは、ミッション開始。二人とも、無事の帰還を……』
 そのフランさんの言葉が、出撃の合図となった。まず先陣を切る予定の《ストレイド》が上部甲板をのしのしと歩いていき、眼前に設けられたリニアカタパルトに両脚を乗せると、胴体背部の装甲を展開した。リニアカタパルト後部の甲板が起き上がっていく中、大型のブースターノズルが徐々に膨らんでいく緑色の噴射炎を吐き出していき――そうして、オーバードブーストが起動直前になったタイミングで、
『《ストレイド》、出るぞ!』
 セレン・ヘイズの宣言とともに、甲高いモーター音を立ててリニアカタパルトが起動。全高十メートル、百数十トンもの巨体を、コンマ数秒で時速五百キロ超にまで増速・投射された砂色の機体が、投げ出された勢いのまま空中でオーバードブーストを完全起動。一時的に音速を突破した事によるショックウェーブをまき散らしながら、あっという間に小さくなっていく。
 そうして《ストレイド》の姿が水平線に吸い込まれていく頃には、こちらもカタパルトへの接続を完了していた。同じように背面の装甲を展開し、左右一対の大型ブースターノズルが緑色の噴射炎を吐き出していく。
『カタパルト射出まで十、九、八……』
 発進の秒読みがなされていく中、ヘルメット越しに、側頭部につけていた髪飾りに手を添える。今はもういない両親が残した、たった一つの大切な――
(おかあさん、行くよ……)
 目を閉じて、内なる存在に語りかける。記憶の中にあるおかあさんが、かつてのように優しげな微笑みを浮かべながら振り返る。グローブに包まれた掌に、ほんのわずかな、しかし確かにあたたかいものが宿ったのを感じて、
『三、二、一……カタパルト射出準備よし!』
「メイ・グリンフィールド、《メリーゲート》、行きます!」
 目を見開き、宣言とともにオーバードブーストを起動する。コジマ粒子を用いた加速度緩和装置をもってしても相殺しきれない殺人的なGが総身に叩きつけられ、《ギガベース》の巨体があっという間に後ろに流れ去っていく。巡行モードのオーバードブーストを咆哮させ、一時的に音速にまで加速された《メリーゲート》の巨体が大空を舞う。脳を、体を震わせる振動と轟音の中、見渡すばかりの二色の青で構成された世界が視界を埋めつくしていって――

 ――そうして、わたしにとっても未だ経験した事のない、長く過酷な戦いが、幕を開けたのだった。


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