小説/長編

Written by 雨晴


 事態は混迷を極めていた。

 製菓において必要なものは、手際の良さと繊細さだと私は思う。
 彼女はそのどちらをも手にしておらず(失礼)、ただただ混沌と化していた。
 テーブルの上には恐ろしい数量のベイクド・チーズが展開されており、しかしそれらは贈り物としては成り立たない。
 あるものは塩辛く、あるものは極端に甘く、あるものは狐色というかどちらかというと紫で、異臭を放つ個体さえ存在する。

 どうして?疑問は尽きない。

 自分で言うのも何だが、家に居た頃に料理、製菓の腕ともに良く磨かれ、褒められてきた。勿論彼も褒めてくれるし、ああ、ところで大好きな人にお料理を振舞うというのは本当に幸せなことで、彼は心から喜んでくれるし、だから私はもっとお料理が巧くなれればなあと思って努力を欠かしません。先日お作りしたサーモンのムニエルなんて(以下省略
 話題は逸れたけれど、それなりの自信はあって、人をご指導するのも別に初めてじゃない。
 なのに彼女は、どうしたことか気付けば塩を大量に投入していたり、それは小麦粉ではないし、先刻手にしていたのはなぜかソイソースだったし、止めても入れてしまうし。

 事態は混迷を極めていた。
 
 
「・・・私には、やはり向いていないのだろうか」
「そ、そんなことありませんよウィン・D様、上達されていますから・・・ほら、タマゴを割るんです。そっとですよ」

 気付けば今日は、クリスマスイブ。3日掛かって、確かに上達の兆しはある。
 最初は巧く割ることさえ不可能だったタマゴが、ボウルに浮かぶ。きれいな黄身と白身。

「最初は誰も巧くは出来ませんが、少しずつ上達していくのですってちなみに今手にされているのはトマトビネガーですどこから出したんですか」
「あ、ああ、すまない」

 すんでのところで真紅のベイクド・チーズの精製を食い止め、混ぜるだけでいいんですよとご指導。かちゃかちゃと音が鳴る。

「良く混ぜてくださいね。混ぜ終わったら、牛乳を投入しますよ。30gです」
「あ、ああ」

 さて、次はクリーム・チーズの用意を―――

 思ったところで、ウィン・D様の手許から視線を外していることに気付いた。自分でも驚くほどのスピードで振り向く。
 1リットルの牛乳をボールにぶちまける彼女の姿が在った。

「・・・あー」

 事態は混迷を極めている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『ハァ・・・』

男ふたりの溜め息が見事に唱和し、目を見合わせて再び溜め息が唱和する。
ジェラルド・ジェンドリンはその光景に首を傾げ、両手一杯に抱かれた箱なり袋なりがガサリと鳴る。

「どうしたんだ、ずっとそんな調子だが」

ちらりとロイ・ザーランドの視線がジェラルドを捉え、しかし伏せられる。

「溜め息吐きたくもなる」
「おおむね同意しますが、ロイ、貴方にはその必要は無いですよ」
「だからその理由を教えろって言ってんじゃねえか」
「お断りします。リリウムとの約束なので」

ハイン・アマジーグの一際大きな溜め息が響き、更にジェラルドの首が傾げられる。

「ロイ・ザーランドがウィン・D・ファンションに愛想を尽かされたのは理解したが」
「されてねえ」
「なぜ君まで溜め息を吐く」

手にしていた大量の贈り物をテーブルに載せ、ジェラルドが腕を組み壁にもたれかかる。
それがですね、とハインが口を開く。

「ここ数日、リリウムが私の許を離れているんですよ。夜には帰ってくるのですけれど」

手のひらで顔を隠し、俯く。

「何だ、君まで愛想を尽かされたのか?」
「何を馬鹿な。ラブラブですよ」
「・・・ラブラブてお前」

何か?と真面目な表情がロイを向く。ツッコミも面倒なようで、いいや、とだけ言って溜め息。

「用事があるんですよ、リリウムには」
「リリウム・ウォルコットに、君以上に優先すべき用事が?それも、数日に渡って?」
「そうです。ああ、アルコール依存症の人間の気持ちがわかりますね」
「だがその分、夜には発散しているのだろう?」

途端、憂いを帯びていたハインの表情が一変する。一点の陰り無い、とびきりの笑顔。弾かれたようにジェラルドを向く。

「聞かれますか?」
「遠慮する」

即答したジェラルドにそうですか、と再び俯いて、はぁ、と溜め息。
ところで、とロイ。

「お前、その荷物は?」
「プレゼントだが」
「贈る側か?贈られた側か?」
「後者だ」
「ダン・モロだったら殴ってる」
「そうか、すまないな」

大して思ってもいないような謝罪ののち、ハイン・アマジーグの視線を捉える。何だ、とジェラルド。

「いえ、やはりリリウムにも、形あるものをプレゼントすべきだとも思いましてね」
「・・・何だお前、結局何も買ってやらなかったのか」

それがですね、と、また例によって真顔になる。

「彼女が言うには、欲しいものは別にあるそうで」
「と、言うと?」

ああ、聞くなよ・・・ロイは思い、それがですね、と重々しく頷くハイン。

「先日夕食時に何が欲しいですかと尋ねたら、最初は何も要らないと仰ったんですよ」
「ほう」
「あ、ちなみにそのときの夕食はサーモンのムニエルだったんですけどね、大変に美味でした。さすがは私の嫁」
「ふむ」
「しかし、やはり私としても何かを贈らせて貰いたいと。そう言った訳ですが」
「ああ」
「そうしたら、そりゃあもう真っ赤な顔で一言」
 
 
 
―――――でしたら、イブにはたくさんのキスを下さい・・・
 
 
  
「ですって!そんなこと言われたら貴方、ねえ!私だって押し倒させて頂きますって話ですよ!って聞いてますか、ロイ!」
「ダン・モロでなくてもぶん殴る」
「はっはっは。危ないですよ、ロイ」

繰り出された右拳を受け止めつつ、そのまま続ける。

「しかしまあ、やはり何か贈ることにしましょう。あ、勿論彼女の望みは叶えた上で」
「ああ、良いんじゃないだろうか」
「・・・だが、今からか?間に合うのか?」
「ええ。目星は付けていましたからね、クリスマス・イブとは別に。少しばかり良いことを思いつきましたし」

それはそうとして。言って、また溜め息。

「ロイは、何か考えておかなくて良いので?」
「俺の場合、もうどう足掻いても無駄だからな」
「何だ、やはり愛想を尽かされたのではないか」

されてねえ。そう言おうとした口が止まる。もしかして、そうなのか。落ち込む。

「ですから落ち込む必要は無いと、何度言わせるのです?」
「同情はよしてくれ、ヘコむから」
「まあ、どう捉えようと構いませんが。しかし、少なくとも覚悟はしておくべきです」

何のだ、ジェラルドが尋ねる。そうですね、とハイン。

「彼女を受け入れること、或いは幸せにすること。あとは、胃袋あたりの覚悟と申しましょうか」
「・・・胃袋?」

そのロイからの質問と同時、ハインの端末が大きな音を立てた。

「ああ、来ましたね」
「何がだ?」
「ようやくリリウムを取り返せるということですよ、ジェラルド」

メールのようで、端末を操作するハイン。では行きましょうかとロイを促す。
どこへだ?とロイ。良い所ですよ、とハイン。

「貴方も来られますか?」

尋ねれば、首を横に振るジェラルド。視線を、プレゼントの山に。

「これを持ち歩くのは、少し骨が折れる」 
「了解。では、良い夜を」
「ああ、君もな。あと、ロイ・ザーランドもだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「―――どうだろうか」

一体何枚目だろう。数え切れないほどの試行錯誤を終え、試行錯誤の成果は冷蔵庫に収まり、テーブル上に一枚。見た目、良し。
彼女がひとつ切り分け、中身が顔を出す。こちらも、見た目良し。香り、良し。
つい、目を瞑ってしまう。これまでの混迷っぷりが脳裏を過ぎっていった。
しかし今回は、特に大きなミスは無かったように思える。

「―――頂きます」

口の中へ。チーズ独特の風味と、丁度良い甘さ。なめらかな口触り、後味、良し。
・・・あれ?

「美味し、い・・・?」

なぜ疑問系なのか。自分でも理解する前に、本当か!?と詰め寄られる。は、はい。肯定。

「ま、まさか、これで成功なのだろうか・・・?」

成功。その一言に理解する。
・・・ああ、長かった・・・

「ええ、ええ。美味しく出来ていますよ。おめでとう御座います、ウィン・D様」

言いながら、こそこそと端末を操作する。用意していたメールを送信し、有難う、有難うとウィン・D様。いえそんな、と返す。
味見の一切れをふたりで分け、食す。やっぱり、とても美味しい。ぺろりと消化してしまった。

では、切り分けましょう。言うと、そうだな、と嬉々としてナイフを入れていく。6等分されて、ひとつは私が頂いたから、あと5つ。
お皿に分け、ケーキがふた切れテーブルに並ぶ。

「ところでウィン・D様、お忘れになられてはいけません。最も重要なことが残っていますよ」
「・・・わかってる」

はい、そう頷くと、端末に着信音。良いタイミングです、ハイン様、ロイ様。
荷物をまとめ、席を立つ。

「では、どうか良いクリスマス・イブを。ウィン・D様」
「なんだ、もう帰ってしまうのか?これだけ付き合わせてしまったのだから、もう少し礼を―――」
「いえ、それよりもウィン・D様にはなすべきことが」
 
 
言って、お部屋の入り口の扉を開く。そこに居たロイ様に向けた彼女の表情を、私は決して忘れないだろうと思う。
 
 
「ロイ様、あちらのケーキはウィン・D様の手作りですよ。貴方への贈り物です」

私がそう言い切っても、ロイ様は固まっていた。何も発しない。あれ、と思う。
ロイ様の真横にいたハイン様の溜め息。

「・・・ロイ、いつまでも突っ立ってないでお入りなさいな。貴方はウィン・Dと、今夜を共にしたいのでしょう?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、状況が掴めん」
「だから、覚悟をしておけと忠告してあげたでしょうに」

ほら。そう言って、ドンと背中を押しやる。うお、とロイ様が彼女のお部屋の中へ。そのまま、扉を閉めてしまう。

もう、この奥がどうなっているかはわからない。
 
 
「おかえりなさい、リリウム。お疲れ様でした」
「はい。ちょっとだけ、疲れました」

苦笑いの私に彼の手が伸び、頭へ。やっぱり、彼に撫でられるのは心地よい。目が細まる。

「・・・では、帰りましょう。ずっと待っていたのですからね」

その手が私の前に差し出され、載せる。絡める。

「―――はい」

いつの間にか自然に出来るようになったそれも、彼だけだ。彼だから。
歩き出してすぐ、ふと振り返る。同じく振り返っていた彼と目が合って、どちらからともなく笑ってしまう。

「行きましょう。もう、クリスマス・イブの半分を使ってしまっています」
「わかりました」

彼の微笑みを受けながら、ウィン・D様とロイ様の仲が進展するように祈る。祈ってすぐ、切り替えた。
私も、今日は頑張らないと。

まずは、クリームの準備だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そ、そんなところに立ってないで、す、すわったらどうだ」
「お、おう」

・・・誰だ、こいつ。
そんな考えが浮かび、しかし目の前に居るのはどう見てもウィンディーだ。

「こ、コーヒーを淹れる」

だが、雰囲気がいつもと全く違う。服装も、いつもの私服ではない。ウィンディーのスカート姿なんて、初めて見たかもしれない。
首を傾げる。

「なあ、ウィンディー」

声を掛ければ、びくりと電気でも走ったかのような驚きっぷりだ。な、何だ、と振り返ったその顔は、やはり赤い。

「お前、どうかしたのか?調子が悪いのか?」
「いや、いや、何でもないぞ、何でも」

どう見ても何でもないようには見えないが、必死に否定するその姿。そうか、とだけ答える。
テーブル上に目をやると、ケーキがふた切れ。
リリウムが言うには、ウィンディーが作ったらしい。らしいが、コイツの料理センスは知っている。

「ウィンディー、これなんだが」
「あ、ああ、リリウム・ウォルコットに教えてもらったんだって違うぞ!変な意味で作ったんじゃないからな!」
「変な意味って何だよ」

苦笑い。こんなコイツと話すのは初めてで、ペースが掴めない。掴めないでいるうちに、フォークを渡される。

「これまでの礼とか、そんなのだ!」
「礼、ね」

では、いただきます。一言告げて、フォークを一刺し。と、視線に気付く。伺うと、熱心にこちらを凝視するウィンディーが居た。

「・・・食べていいのか?」
「あ、ああ、すまん、食べてくれ」

それだけ言って、再びその視線が来る。まあ気にしても仕方ないので、口に放り込む。うむ、美味。
・・・美味?

「・・・塩味も変な触感も異臭も無い、だと・・・?」
「・・・それはどういう意味だ」

いやどう言うも何も。言おうとしてウィンディーを向くと、拗ねた表情の彼女が居る。
・・・こんな奴だったか?何も言えなくなり、ぽかんとする。

「・・・美味しくは、ないのだろうか」

今度は悲しそうな表情で尋ねられ、焦るような感覚を覚える。味覚が戻ってきた。

「い、いや、・・・美味い」
「世辞は嫌いだ」
「世辞抜きで、美味いぜ」

嘘を言う必要も無く、確かにここにあるのはチーズケーキだ。それも、格別の。

「・・・そうか」

ウィンディーの表情がまた変わる。本当に嬉しそうな、ほっとしたような。しかしそんな表情は見たことなく、つい視線をそらしてしまう。
こいつに対して、可愛らしいなんて感想を得たのは初めてだ。どうした、と尋ねられるが、何でもないと返しておく。

―――そうか。

もう一度そう言って、ウィンディーが席を立った。冷蔵庫へ向かっていく。

「では、ロイ。私はお前に、いくつか話さなければならないことがある」
「・・・何だ、それ」

見れば、冷蔵庫一杯に広がるのは大量のチーズケーキらしき物体の数々だ。紫っぽい個体もあるが、あれは、何なのだろうか。

「だがその前に、これらを食べてしまわなければな。この世界は食べ物を処分出来るほど、甘くはないのだから」
「ちょっと待て、お前は何を言っているんだ」

何を言っているのか。考えて、ハインの言っていた覚悟がどうとか言う話を思い出す。

―――胃袋!

点と点が線で結ばれ、テーブルが円盤で埋まっていく。異臭を放つ個体も確認し、意識が遠のきそうになった。

「これを食べ終えてから、ゆっくり話そう」
 
それを聞くのは明日の朝か、或いは一生聞けないだろうな。
いつの間にか先ほどの可愛らしいウィンディーは姿を消していて、黙々とチーズケーキの消費を開始している。
後に続き、チーズケーキなのに驚異的な塩分摂取量を誇るだろう個体の処理に取り掛かった。大変なイブだな、そう思う。溜め息一つ。
 
 
まあ、しかし、なんだ。

この地獄のあとに聞いた“話したいこと”とやらのおかげで、彼女との距離は狭まったんだ。良しとしておこうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いや、本当に美味しかったですよ、リリウム」
「それは良かったです、準備した甲斐がありました」

クリスマスのプレゼントとして振舞ったケーキ。少しだけ手間を掛けたショート・ケーキ。
ウィン・D様の隣で少しばかり準備させて頂いたもの。先刻彼の外出に合わせて完成させて、凄い勢いで消費していく彼の姿に苦労が報われた気がした。

「ハイン様、本当に甘いものがお好きなんですね」
「確かに甘いものは好きですが、強いて言うなら貴女の手によるもの全て好物です。それを踏まえて、今日のケーキはまた格別でした」

直球が飛んでくる。そんなことを言われて嬉しくない筈が無いので、少しばかり顔がニヤけてしまう。

「―――ん・・・」

唐突なそれを受け止める。イブのプレゼントとして彼に望んだことで、今も望んでいることだから。
数秒で離れて、無意識に指が唇をなぞる。

「・・・甘い、です」
「同感ですね。生クリームの妙でしょう」

首筋に、軽くひとつ。くすぐったい。

「もう少し、様子を見ましょうか」
「は、い・・・」

ソファの上で、彼にもっと寄り掛かった。心音が心地よくて、そのまま身を委ねる。
と、勢いで唇が外れてしまって、すこし残念。

「・・・ぁ」

逃がしませんと言わんばかりに捕らえられて、半分なすがまま。手のやり場に困ってしまう。
けれど、それで構わない。ずっとそうしていたかった。手は、彼が握ってくれた。指が絡んで、温かい。
 
 
「・・・、どうです、満足頂けまし―――」

不意に彼が離れていってしまったので、捕まえる。ついばむ。
まだです、たくさん下さいって言ったじゃないですか。
目で訴えると、一度彼が離れてしまう。一息。

「今日は、一段と甘えてくれますね」

微笑みとともに頬に感触を得て、当たり前ですと返事する。正対して、彼のおでこに。

「―――だって、今日はクリスマス・イブなのですから」

自分でも良く判らない返事だと思う。けれど彼は笑ってくれて、では、と彼の返事がくる。数十分は、そうしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
で、一息つくとやっぱり恥ずかしくなった。
先までの姿を彼には冷やかされるし、何か言おうにも口を塞がれてしまって何も言えなくなる。むぅ。

「恥ずかしがらずとも、私たち以外には誰も居ませんよ?」
「ひ、人が居る、居ないの問題ではないのですけれど・・・」

そういうものでしょうか。言いながら、額に。

「では、少し休憩しますか」
「・・・ぁ」

言って、彼が立ち上がってしまう。
ずっと隣に居てくれた彼が離れていってしまうのが嫌で、上着の裾を無意識に掴む。すぐに気付き、すみませんと一言。
でも、離したくないな。

「謝らなくても大丈夫ですよ。けれど、すぐに戻ってきますから、少しだけ我慢してくださいね」

屈んで、頬に。
くすぐったくて恥ずかしくて、やっぱり目が細まる。感触は一瞬で、髪を撫でてくれる。

「我慢できますか?」
「・・・はい」

微笑みと一緒に、良い子ですねと声を掛けられる。その言われ様も恥ずかしいが、正直悪い気はしない。
 
 
 
彼の行先はクローゼットで、開けて、すぐに閉める。
振り返った彼の手に、ラッピングを施された箱状の何か。

「貴女は形に残るものでなくても構わないと言って下さいましたが、どうか受け取って頂けませんか?」

きっと、クリスマスプレゼントだ。

「ハイン様・・・本当に、構いませんでしたのに・・・」

彼が戻ってきて、苦笑い。すみません、そう一言。

「い、いえ、そんな!凄く、凄く嬉しいです」
「それは良かった。開けてみてくださいますか?」

こくこくと首肯。静かに微笑む彼に、では、と一言。
こういった形でクリスマスプレゼントなるものを頂くのは生まれて初めてで、少しばかり緊張しながらラッピングペーパーを解いていく。

「破いてしまえば良いのに」
「駄目です!折角の、ハイン様からのプレゼントなのですから」

そうですか、と彼。ようやく白の紙箱へと辿りついた。
開けますよ、と確認を取る。どうぞ、と声が掛かり、幾ばくかの緊張とともに中身を確認する。

「・・・?」

中身は、折りたたまれた薄い生地。何だろう、首が自然に傾げられる。

「まあ、本来はそれだけを贈るというのは可笑しいんでしょうけどね。仕立て屋に無理を言ってしまいましたが」

何となく触ることが出来ないでいると、広げてみてくださいと彼。端を掴んで、広げる。・・・これ、どこかで。

「まだ幾つか贈らなければならない小物がありますからね、記念日などに少しずつ、プレゼントしていきましょう」
「―――あ、これ、もしかして・・・」

写真でしか見たことはないが、この特徴的なシースルーと、シルエット。

「・・・ヴェール?」
「ああ、良かった。伝わらなかったら私、恥ずかしくて身投げも辞さなかったので」

冗談めかしている彼に構うほど余裕はなく、うわー、とか言いながら広げたり裏返してしまったりする。実物を見るのは初めてだ。

「実は既に、貴女のためにドレスも用意してあるのですが」

驚いて彼を向く。・・・そんな素振りは見せなかったのに。

「い、いつの間に・・・」
「内緒です。ですが、ドレスはもう少しあとにしましょう。何せ人生一度きりだ、リハーサルはしなければ」

握っていたヴェールが、彼の手に渡る。形を整えてから、頭に載せられた。視界に少しだけ入る装飾に、どきりとした。

「あの、これ、ちょっと緊張しますね」
「同感です」

立ってみましょうか。そう言われて立ち上がり、対面し、彼を見上げる格好になる。
綺麗ですよなんて言われて、直視できずに目を逸らしてしまう。彼の手のひらが頬に触れて、薄い布がふわりと揺れる。

彼が屈んでくれて、近付いてくる。私も、つま先立ちで受け入れる。もう本当に、彼には敵わないと思う。幸せすぎる。

でも内心は、リハーサルです、リハーサルですからと、バクバクと煩い心音を抑えるのに必死だった。
彼が離れ、少しばかりの沈黙。もっと落ち着いておけばなぁ、なんて欲に駆られた。
だから、だから。
もう一回お願いします、なんてねだってしまったのも、仕方のない事だったと思う。
そんなやりとりを数十回と続けてしまったのだって、仕方のない事でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かつて殺風景だったその部屋が色付いて、どのくらい経っただろうか。
部屋の主は確かな幸せを手に入れて、その幸せの姿が、彼の腕の中で嬉しそうに純白を抱きしめている。

「あまり強い力をかけてはいけないそうですよ」
「あ、そうなのですか?わかりました」

ソファの上、彼の膝の上に彼女が居る。そこは彼女だけの居場所、誰にも譲りたくないその場所だ。

「まあ、もし破れてしまっても別のものを用意すれば済む事ですけれど」
「それは駄目です!これでないと駄目なのですから!」

強い語気で否定する彼女。彼がわかりました、と優しく撫でる。もう、と一言。すぐに笑顔へと戻る。
彼女の目が心地良さそうに細まり、振り返って見上げ、目で訴える。彼が応え、互いの口が塞がれた。
数秒ごとに息継ぎ、その度に、視線を交わす。幸せそうな表情は崩れないで、ずっとそこにある。
 
 
「・・・こんなに幸せで良いのでしょうか」
「少なくとも、咎める者は居ませんよ」

言いながら、少しだけ強く彼女を包んだ。彼女も受け入れて、密着する。

「これからも、いくらでも幸せであって下さい」

彼女がぴくりと動き、彼が腕の力を緩める。
途端、今度は彼女のほうから口を塞いだ。長い沈黙。離れる。

「・・・貴方も、ですよ。私だけでは不公平じゃないですか」

拗ねる表情に彼が苦笑する。

「―――勿論。断る理由もない」
「約束ですよ?」
「誓いますとも」

額同士を擦り合わせ、ふたりで微笑む。

「―――でしたら、どうか、先程の続きを」

顔を赤らめ、しかし視線は外さず発する彼女に、彼が思考する。
先の言葉を思い出す。
―――だって、今日はクリスマス・イブなのですから。

「・・・了解しました、望むところです」

一言伝えて、彼は今日何度目かもわからないその行動を開始する。
まだ、クリスマス・イブの夜は始まったばかりだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『畜生!何でだよ、何で!』
「うるさいぞ、いい加減諦めろ」

カラードが管理する巨大な砂漠は、ネクストの演習場として機能する。平時は兵装テストや慣熟訓練に用いられるそこも、今日は静かだ。
まあ何せ世間はクリスマスイブで、そんな一日に演習場を使うような物好きは中々存在せず、しかし一機の真新しいネクストが直立している。

『普通ネクストの納期なんて数カ月かかるんじゃねえのかよ!何で数日で来るんだよしかも全部入りかよオーメルどんだけやる気満々だよ!』
「ああそうだ、ソイツの機体名を考えてなかったな」
『良いっすよ機体名なんて!嫌だ、こんなの嘘だ!ハインのヤツなんて絶対今頃リリウムとイチャイチャイチャイチャちゅっちゅちゅっちゅだぜ馬鹿野郎が!』
「ああ、ハインの奴には猫だったからな。なら犬だ、"underdog"」
『ヤダよそれ負け犬じゃねえか!』

ぎゃあぎゃあ五月蠅いリンクスからの通信音量を下げながら、指揮車内のセレン・ヘイズがコンソールを操作する。
"Training Mode"、"Auto Pilot"。軽快に叩かれるエンターキー。

『え、なに?なんか鳴ってる!?オートパイロットって何!?ジェネレーターが動いてるっすよ姐さん!』
「まずは、ライールの機動に慣れてもらおう」
『ひ!?』
「AIにはハインの機動パターンを書き込んであるが、なに、死にはしないさ。・・・多分な」
『何でmaybeだよ!つうか俺貴重なリンクスじゃねえの!?』

アリーヤブースターに換装されたそれ、或いは背部の追加ブースターが極端に軽い機体を押し上げる。ダン・モロの悲鳴。

「まあ、楽しんでこい。私からのクリスマスプレゼントだ」
『イヤだ!何なのこの×ゲームってあ、あ、あ、あ、何このカウントダウン!?』
「幸運を祈る」

それだけ言って通信を切り、目をモニタに向ける。ライールがデモを開始するところだ。一瞬で音速を突破する。
再現度は低いが、その機動からはかすかに、彼女の弟子の動きが垣間見られた。
あいつは、もっと速かったが。思い、微笑み。

まずは、あの程度の機動を自分でこなせる様に指導してやらねば。

コーヒーを片手に、縦横無尽の3次元機動を見守る。
穏やかな彼女の姿には、どこか楽しんでいるような雰囲気も含まれていた。


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