Written by 雨晴
企業の主力たるネクスト、及びその搭乗者であるリンクスを統括管理する団体、カラード。その本部施設は、現存する地上施設において有数の規模を誇っている。その巨大施設の地上一階にエントランスはあり、一人の男が佇んでいた。
白のテーラードジャケット、同じくスラックスに身を包み、右手には高級嗜好品となったスプレーバラをふんだんに用いたブーケ。
3時間も前からそこでそわそわしているその男の名は、ダン・モロ。
自身はキメているつもりだが、顔のニヤニヤが全てを台無しにしている。時刻は午前11時を回ろうというところ。
カラードの主役であるリンクスの顔は、多くの職員に知られている。勿論彼も同様で、道行く職員には、"おい見ろよえげつねえ罰ゲームだ"、"ああ腕だけでなくついに頭まで"、"あんなののために働いてると思うとゾッとする"などと、酷い言われようである。本人は気付いていない。人はきっと、それこそを幸せと呼ぶのだろう。
「おい」
そんなダン・モロに声が掛かる。彼が気色悪い行動を取るには理由があって、その理由こそが恐らくその声の主なのだ。
一瞬びくりとし、しかし平静を保つ。男たるもの、女性の前では紳士たるべきだ。咳払い一つ。振り返りながら、声を発する。
「やあ、突然お呼び立てして失礼し・・・」
振り返った先、1.5メートルほど先にいた女性は腕を組んでいた。背筋良く皺一つないスーツを着込み、大人の女性といった風格。
と言うか、知り合いだった。溜め息一つ。
「・・・なんだ、姐さんじゃないっすか」
「なんだとはなんだ、失礼な」
セレン・ヘイズの返事に、更にもう一つ溜め息を吐く。
「すんません、俺、待ち合わせ中なんすよ」
「奇遇だな、私もだ」
そうなんすか?と疑問をぶつける。ああ、と返事が来て、へぇ、と返す。
「まあハイン曰く、私の待ち合わせ相手はお前らしいんだけどな」
「ああ、そうなんすか。早く来るといいっすね」
言って、セレン・ヘイズから視線を外す。外したところで、疑問。
・・・ん?
不意に浮かんだそれに対処する。誰が早く来ればいいって?
「何だ、お前以外に居るのか?ダン・モロとか言う雑魚が」
「あ、ああ、ちょっと待って下さい?もしかして、姐さんが待ってんの、俺?」
「だからそうだと言ったろうが」
ハインの知り合いで+俺とも知り合いで+美人≒セレン・ヘイズ。
そんな計算(計算?)式がダン・モロの脳内に展開される。
「何だ、固まって」
「いいいいいいいいやねねねねね姐さん!?」
「不気味だからカタカタ震えるのはよせ」
グーで叩かれる。というよりも殴られる。割と良い音が響き、バラのブーケは右手から滑り落ち、ダン・モロに欠片ほどの理性が戻ってきた。
「いやちょっと待てあの野郎どういうこった!美人なのはわかるがこの人おば―――」
「それ以上言ってみろ、エグるぞ」
「何を!?」
いつの間にか背後に回っていたセレン・ヘイズと、気付けば喉許にひんやりとした感触。
・・・あー、これ刃物だー。
他人事のようにそう思い、何だこの師弟血の気多すぎんだろとか思う。
「・・・で?私を呼び出したからには、それなりの覚悟があるのだろうな?」
「―――!?」
呼び出したの俺じゃねえとか言う暇は与えられなかった。密着し、ナイフを突きつけられた状態で耳元にそう囁かれる。ダン・モロの耳を温かい吐息が撫でる。身体が震えた。
セレン・ヘイズがにやりとほくそ笑む。
「何だ?まさかとは思うが、この状況下で」
つつ、と指先がダン・モロに絡み、人差し指で背中をなぞる。
「ッ、ね、姐さん、そ・・・れ・・・っ!」
「ほう、全く。貴様、とんでもない変態だな・・・言葉にも反応するのか?年増は嫌そうにしていたではないか」
ククク、とセレン・ヘイズが喉を鳴らす。それでさえダン・モロの耳元で、身体は正直じゃないかとかなんとか言ってみちゃったりする。
「さあ、貴様の口から言ってみろ。色々教えてもらいたくはないか?この私に」
言いながら、背にあったセレンの腕と手のひらが腹部へと移る。
おほぅ・・・とかダン・モロが口にして、通りすがりの職員たちが細目を向ける。
ダン・モロからは数十秒前までは存在した、セレン=おば(検閲削除)なんて考えは消え失せていた。最早ここに居るのはちょっぴり悪戯好きな御姉様であり、王女様だ。ならば、ならば何を拒絶する理由があるというのか。何を失うというのか。いや、失ってみせる。彼は何を考えているのか。
「オ、俺・・・ね、姐さんに・・・」
「・・・私に?」
彼女が声を発するごとに耳元がむずむずする。素晴らしい感触である。何も考えられない。半ば自動的に声が再生される。
「そ、その・・・」
「ネクストの扱い方を・・・?」
「い、色々教えてもらいたいです・・・ん?」
そう言い切った瞬間、むんずと首根っこを掴まれた。
その体勢から何とか顔を見やれば、何と言うか、獲物を仕留めた狩人のような目。
「・・・え?ちょっと、姐さん?ネクストってなに?」
「貴様が今自分の口から言ったではないか」
ちょっと待って、え?何?あれがこうでチョメチョメでニャンニャンで気になるアノ子は女王様じゃないの?
ダン・モロが考える間にも、ずんずんと進んでいく。
「いやはや、さすが私の愛弟子だ。ハインには感謝をしなければ。それに、まだまだ私も捨てたもんじゃあない」
「ん?あれ?どういうこと?何これ良くわかんない」
「あれほど手に入れるのが難しかった素体が、こうも簡単に手に入ろうとは」
「え?どういうことっすか?もしかして俺、姐さんに・・・」
「ああ、私が貴様をリンクスにしてやろう。何、遠慮はいらんぞ。丁度私も暇だからな」
「いやいやいやちょっと待って!俺もうリンクス!リンクスだから!」
何を馬鹿な。そう言って、急に立ち止まる。セレン・ヘイズの顔がダン・モロの真正面にズイと来て、顔と顔の間は数センチ。ダン・モロが目を見開く。
「貴様など、リンクスと言えるものか。だから私が育ててやろうと言うのだ」
わかったか、この雑魚。その声色に、ちょっとした恐怖を得る。同時に、その整った顔立ちから発せられる罵声と艶やかな唇に目が行く。
―――あ、コレ悪くないかも。
罵られてどうこう時点で、最早変態である。そう思ったが最後、気付けばコクコクと首肯していた。しまったと思いつつも、もう遅い。
「わかれば良い」
言って、再びずんずんと歩み始める。あー、と引きずられていく。
ダン・モロから見て、現状のセレブリティ・アッシュの機体構成をぶつぶつと口に出すセレン・ヘイズはどこか楽しそうだ。
不意に思う。
―――もしかしてこの人、ハインの奴をひとり立ちさせて寂しかったりしたのか?
そこまで考えて、いや、まさかな。そう自身の思考を否定する。
でも彼女の表情は何度見てもどこか楽しそうで、その姿はかつて、ダン・モロが初めてハイン・アマジーグと出会ったときのものとは雲泥の差だ。あのときよりも、ずっと緩んでいる気がする。
「よし、貴様は回避優先のスタイルで行くぞ」
・・・まあ、強くなれるなら。
流されていることには薄々勘付きつつも、あえて知らん振りを決め込む。何かもう、いいや。
諦めというか、何と言うか、複雑な心境だ。軽く人生掛かってる気がするのも、やっぱり気付かない振りとする。
「取り敢えず、ライールを用意しよう。ブースターはアリーヤで固めて、背部と肩部の追加ブースターで機動力を確保だな」
「いやそれGで死ぬっす!俺死んじゃうっすよ姐さん!」
「ハインに倣ってモーターコブラでも装備させるか。左腕は一旦ライフルだな」
「いや聞けよ俺の命掛ってんだからさってああああああああ!そんなアパレル感覚で気軽に発注しないで下さい何でそんな嬉しそうなんすか端末しまって下さいお願いです姐さん!姐さん!!乗れないからそんなの乗れないからマジで死んじゃう!!」
化学反応でも起きそうな組み合わせが、カラードのネクストハンガーへと消えていく。
はたから見ていた職員達は、まるで珍妙な生物でも見るかのような目で見送っていた。
さて、ハイン・アマジーグは同日朝に呼び出しを受け、折りしも待ち合わせの場であるエントランスにて繰り広げられた一部始終を数メートル離れたところから冷めた目で見守り、特にダン・モロの変態的とも呼べるであろう行動と反応に今後の付き合い方を考慮していたところで相手の姿を確認した。
頭を下げる。
「すまん、遅れた」
「いえ、幸い暇潰しには困りませんでしたので」
数日ぶりですね、とハインが言うと、ああ、とロイ。
ハインが首を傾げ、元気がないようですが、と気遣う。大丈夫だ、とロイ。ふむ、とハイン。
「しかしながら、ロイから呼び出されるのは珍しい。何かあったので?」
ひとつ頷く。
「少し、相談に乗って欲しい」
「相談?」
私に?と疑問を重ねると、そうだ、と肯定。
「ちょっとばかり、困ったことになってな」
ハインが再び首を傾げる。数拍。
「・・・ああ、クリスマス・イブのお相手をお誘いしたら断られたのですね?先日は抜かりないとか何とか、そんな事を言っていたではないですか」
「・・・お前、たまに妙に鋭いよな。普段は天然の癖に、このうっかりサドめ」
「失敬な。先日も言いましたが、私はノーマルです。あと、ロイがそこまで落ち込むのはウィン・Dに関わることくらいでしょうに」
言われ、それもそうだな、とロイの苦笑い。
「誘ってみたら、"断る"とだけ言って避けられた。・・・このままだと、まずいことになる」
「何がです?」
「イブを過ごす相手が居ない。かと言って、俺はウィンディー一筋だからな・・・それに、ダン・モロと同類と言うのも気に食わん」
「そのダン・モロなら、今さっき素敵なお相手に引きずられて行きましたが」
間、3秒。
「―――何だと?」
心のそこからそんな馬鹿なと言いたげな視線を、ハインがふいと受け流す。
「―――まあ、趣味は人それぞれですよ。特に、性癖に関しては」
「・・・何があったんだよ。その遠い目は何だ」
いえ別に。そう答えたときにはロイを向きなおしている。しかし、と切り出す。
「ロイならば、この手の相談ならば私よりも適任である方とお知り合いかと思いましたが」
「基本的に、インテリオルの人間か独立傭兵としか絡みはないからな。エイ・プールにでも頼めれば良かったんだが」
「エイ・プールというと、インテリオルのリンクスですね。適任ではないですか、ウィン・Dとも近そうだ」
「この時期、彼女は忙しい」
そうなのですか?その疑問に、ふう、と溜め息で応える。
「年末は掻き入れ時らしくてな」
はあ、とハイン。
「この時期の各企業は、大した作戦を組まないのでは?インテリオルは違うのですか?」
「いや、リンクスとしての仕事でなく、バイトがあるらしい」
「バイト?・・・失礼ですが、バイトとは?」
その言葉自体を知らないハインに、大体の意味をかいつまんでロイが説明する。みるみる怪訝そうな顔になっていく。
「・・・企業付きのリンクスで、生活に困窮するほど待遇が悪いのですか?」
「いや、十分すぎるほどの報酬はあるんだ。それでも彼女の場合、全て弾薬費として消える。それなりの生活費も支給されてはいるが」
「トリガーハッピー?」
「見方次第ではそうだ。インテリオルとしても必要以上には彼女に経費を注ごうとしない。リンクス同士の不和に繋がるってな」
まあ確かに不公平にはなりますけれどね。そう言って、一拍。
「しかし、インテリオルの実弾兵装というと、ASミサイルですか?」
「ああ。その上恐ろしいことに、彼女はそれを"垂れ流す"」
眉間に皺が寄る。
「もしも協働の機会があれば、つつしんでお断りさせて頂きましょう」
「賢明だな」
「・・・武装を変更すると言う選択肢は?」
「無いらしい。まあ、それも一種の愛だと思うぜ―――っと、そんなこと話に来たんじゃないぞ俺は」
ああそうでした、とハイン。
「それでは、いかにしてウィン・Dをクリスマス・イブに誘いますか。今こそ、いつかの借りを返しましょう」
「ああ、お前が頼りだ」
了解。そう頷いて、腕を組む。
「まずは、ウィン・Dがなぜロイの誘いを断ったか、ですね」
うーむ、そうふたりで悩む。ハインにいくつか候補が挙がり、言ってみろとロイが促す。では、とハイン。
「まずは、そもそもクリスマス・イブを共にするほどにはロイに興味が無い」
「ちょっと待ってくれ、まさか、そう見えるのか?」
素で焦り始めたロイに、冗談ですよと笑顔で返す。
「まあ、さすがにそれは無いでしょうね。特にああいった女性だ。興味の無い男性にまとわり付かれたら、まずその時点で拒否しているでしょう」
「まとわり付くって表現はやめてくれ」
「それは失礼。では次に、何か用事がある」
「いや、それは無いはずだ。少なくとも、作戦で1日潰されるなんて事は無い。俺のところに情報が来てないからな、むしろ暇の筈だ」
そうなのですか。そう言って、顎に指を持っていって考える仕草。数秒で、人差し指を立てる。
「では最後。恥ずかしい、或いは照れている」
提案に一瞬真顔で反応し、あー、という顔をするロイ。
「それも無いな。なんせ、あのウィンディーだ」
肩を落とす。いや、わかりませんよ。そう言うハインに、顔をあげる。
「いつか恋人云々についてジェラルドと討論したときに、彼からとある女性の性格パターンについて聞き及びました」
「・・・何だそれ」
―――それはですね。
そう言った矢先、ハインが真剣な表情を作り出す。そのまま、重々しく口を開いた。
「ジェラルド曰くこの世界には、ツンデレなる性格を持つ女性が存在しているらしいのです」
それは、ロイ様とウィン・D様への恩返しの為らしい。勿論ふたつ返事で了承した。私にも必要なことだったし、ロイ様の頼みなのだ。
ハイン様曰く、"私は貴女以外の女性の機微に疎いので、ウィン・Dがどうしてロイの誘いを断ったのか聞き出す、或いは彼のかわりに約束を取り付けてあげてほしい"。
正直、私もあまり人の機微に敏感とはいえない。けれど、きっと同性だからこそ尋ねやすいこともあるのでしょう。そう思い、指定された場へと急ぐ。発見。
「ウィン・D様」
声を掛けると、スーツ姿の彼女がこちらを向いた。改めて、綺麗な方だと思う。どことなくセレン様を思い出す。
「リリウム・ウォルコット。何だ、君だけか?ハイン・アマジーグも一緒かと思ったが」
「え・・・っと、ハイン様から、ウィン・D様とお話をしてくるように頼まれましたもので」
何だそれは、と軽い苦笑が来る。
「まあ、いいさ。私も当分、年が明けるまでは時間がある」
そう口にされ、では行くか、と踵を返される。あの、どこへ?問うと、立ち話もなんだろう、と歩みを強められる。
到着したのは、彼女の自室だった。
「コーヒーで構わないか?」
「あ、いえ、お構いなく」
少しばかり緊張し、気にするなとカップを差し出される。有難う御座いますと言うと、好きに使ってくれ、そうテーブル上の砂糖とミルクを指される。軽く息を吐きながら、真向かいに座られた。
頂きますと断って一口。きっと気を遣ってくれたのだろう、心地良い温かさ。それで、と彼女。
「ハイン・アマジーグとは、仲良くやっているのか?」
「っえ!?」
自分の発した奇声に少しばかり恥ずかしくなりながらも、人様の前で噴き出さなかった事実に感謝する。
ウィン・D様は軽く笑っている。
「そんなに驚かなくてもいいだろうに」
「も、申し訳御座いません・・・その、ウィン・D様からそのような質問をされるとは思わなかったので・・・」
「誰でも気になるだろうさ。何せランク2と、あのランク9との交際だからな」
「―――私も彼も、ここ最近は殆ど出撃していませんから。もう、きっとカラードのランクは関係ないかと思います」
「そうかな。少なくとも、今の君たちふたりを敵に回したいなどという物好きは居ないようだが」
言って、ウィン・D様が砂糖に手を伸ばす。スティックのそれを、5本ほど。凝視していたらしく、気付かれる。
「ああ、あまり苦いのは苦手なんだ」
「そ、そうなのですか」
一気に封を切り、そのままひっくり返す。
それ、混ざるのでしょうか。そんな疑問が浮かぶ。
「大方、ロイに頼まれて来たのだろう?」
「―――ッ!?」
カップに口をつける前でよかった。何とか踏みとどまるが、あれ?ばれてます?
「あ、あの、ウィン・D様・・・」
「今ので確信した。全くあいつは、人を巻き込むほどの事でもないだろうに」
溜め息。面倒に巻き込んだな、とお詫びがくる。必死で否定。そうか、と微笑まれる。
何を言おうか迷い、あの、と口に出してみた。
「その・・・ロイ様は、クリスマス・イブをどうしてもウィン・D様と共に過ごされたいそうなのです」
「ああ。昨日の夜に、そう申し込まれた」
「でも、断られたのですね」
ああ。そう簡単な返事が来る。
「あの・・・失礼かとは思いますが、お二人は、えっと」
「君たち程ではないが、確かに私とロイは共に居ることは多い。けれどそれは、君たちのそれとは理由が違う」
「・・・ですが、ロイ様は」
「わかっている。ロイが私に対して冗談ではない、本物の好意を向けていることくらい。自惚れではなく、な」
でしたら。そう言おうとした先を視線で遮られる。少し、憂いを帯びたような。
「だが、私もロイも、一線のリンクスだ」
「・・・え?」
「もしかしたら、私は明日死ぬかもしれない。ロイも同じだ。そういう人種だ」
砂糖を沢山注いだコーヒーに視線を落とし、その表情は、どことなく寂しそう。
「自分のリンクスとしての能力に疑問があるわけではない。あいつも、素晴らしいリンクスだと世辞抜きに思う。それでも」
―――戦場では、何が起こるかわからない。
「だから私には、あいつを受け入れられる自信がない。お互いの死を、君たちのような立場から受け入れられるかと言えば、無理だろう」
目が閉じられる。
「私は、それが怖いんだ」
恥ずかしい話だがな。自嘲めいた微笑が来て、受け止めきれずに俯いてしまう。
けれど。
「けれど、ロイ様をお慕いしてはおられるのですね?」
少し無理をして前を向く。驚いたような表情がそこにある。すぐに、先の自嘲めいた微笑み。
「どうかな」
鼻を鳴らして、そう呟かれる。
「少なくとも、ロイ様はウィン・D様と共に在りたいと願われています」
それは、彼の日ごろの行動や彼女への付き合い方を見ていれば明らかだ。
「・・・リリウム・ウォルコット、君が何を言いたいのかはわかる」
「はい」
目が伏せられる。
「だが先も言ったが、怖いんだ。私は」
「なら、ロイ様にそうお話すべきです。彼はきっと、その恐怖を拭ってくださいますから」
「・・・だろうな」
ですから。そう言って、彼女の手を取る。かつて私の籠でそうして下さったように。
無理矢理だって良い。勝手だと思われても良い。けれど、確かに互いの死は怖いかもしれないけれど、それでも。
「恐怖に囚われては得られない幸せを、きっとロイ様は与えて下さいます。怖いのであれば、互いに乗り越えられるよう努力すべきです」
「・・・いや、だが」
「だが、じゃありません!」
つい大声を上げてしまう。急に沸き立ったそれは、止まらなかった。
「もう!ウィン・D様はロイ様からどれほど愛されているか、考えたことはあるのですか!」
「え、い、いや、無いが」
「例えば!あんなに強く殴打されても蹴り上げられても、それでも平然と隣に居ようとしてくれるじゃないですか!」
「あ、あの、待ってくれ、あれは大分加減して・・・」
「してません!あれはもう暴力です!普通の方なら裁判沙汰です!」
「え?そ、そうなのか・・・」
「もっとあります!例えば―――」
次に進もうとしたところで、シュンと俯かれる。彼女のそんな姿を見たのは初めてで、あ、あれ・・・?私何を・・・!?
「う、うわ、うわ!すみませんでしたウィン・D様!」
そうか、そうなのか・・・俯いたままぶつぶつと何か呟かれるウィン・D様に弁解を試みる。
が、聞こえてないようだ。冷や汗。
―――これは、まずいですね・・・
取り敢えず、永遠と謝罪し続けることと決定する。実行。
謝るのは得意ですからね、とか何とか思ったのちに、いやそれもどうなのですかと自分で疑問に思ったりした。
「リリウム・ウォルコット」
そう声が掛かったのは通算113回目の申し訳御座いませんを発した後のことで、下げていた頭をぐいと上げる。
一月分くらいは"申し訳御座いません"を連呼した気がします。
ウィン・D様の雰囲気が、いつもとはどことなく違う。
「その、なんだ。やはり私には、どう足掻こうが大切な人間が突然居なくなるというのにはきっと、耐えられないと思う」
「―――ぁ・・・そう、ですか・・・」
「ああ。これまでずっとそう考えて、あいつとの距離は一定を保ってきたんだ。そうそう簡単には、変えられないとも思う」
今度はこちらが俯きそうになる。なる前に、だが、と否定が掛かって持ち直す。
その次の言葉が、なかなか来ない。
ウィン・D様を伺えば、珍しく視線が定まらない様子。良く観察すれば、その顔には赤みが差しているような。
「その、だな。あいつが、その、私からの暴力に耐えてまで、そこまでの好意を向け続けてくれていたなら・・・その・・・」
・・・え?そこですか?起点は暴力なんですか?
・・・ほかにもいくらでもありますのに。
「いや、何と言うか。す、少し、あいつの話を聞いてみても良い気がして、な・・・」
ふと、ウィン・D様の指がもじもじしていることに気付く。スーツ姿とはアンバランスだが、真っ赤な顔と相まって非常に可愛らしい。いや、年上の女性に抱く感想としては間違っている気もしないでもないが。
わたわたと誰にするでもなく弁解する姿に、初々しいですねぇ、なんて感想を得る。何様でしょうか、私は。胸中で謝罪。ウィン・D様の咳払い。
「と、兎に角、参考になった」
「い、いえ、申し訳御座いませんでした、勝手なことばかり言ってしまって」
「いや・・・その、何だ。私もあまり逃げてばかりではいけない、な」
あいつとも、一度ちゃんと向き合ってみよう。
そう言って立ち上がったウィン・D様が冷蔵庫へ足を運び、開ける。なんだろうと思っていると、振り返ったその手には円盤状の何か。
「べ、別に他意は無かったのだが・・・く、クリスマスも近いからな」
ケーキ。シンプルな、チーズケーキだろうか。
「その、この手のものはあまり作らないから、ためしに作ってみたのだが・・・自信が無いんだ、少し味を見てもらえないか」
手作り。・・・何で?
顔に出ていたらしく、いや、違うぞ!と焦ったように返される。
「そういう意味を持って作ったわけでは無いんだ!決してだ!」
「・・・はあ」
「だ、だが、これまでの礼と侘びくらいにならくれてやっても、と!」
言いながら、いそいそと切り分けられる。数分間の彼女からは想像できないほどのその姿に、つい首を傾げる。
少し考え、大体理解できた。まあつまるところ、ロイ様への贈り物の試作品らしい。
・・・ここまでするなら、素直にロイ様のお誘いを了承されれば良かったのでは。もちろん、言わないでおく。
あと、どうやら恥ずかしいらしい。その気持ちはよくわかります。わかりますが、ウィン・D様、貴女、そんな方でしたっけ?
「・・・食べてみてくれ」
お皿をフォークとともに差し出され、有難うございますと受け取ってみる。美味しそうな狐色。きっと、ベイクドチーズ。
フォークを刺す手に、ウィン・D様の熱心な視線が注がれる。
少しだけ苦笑い。本当に頑張って、あるいは心を込めてお作りになったらしい。
愛されていますね、ロイ様。いつかの彼の軽口を思い浮かべ、苦笑いが笑みになる。
きっと、現状で私以外にこの味見という任務を遂行できる方はいらっしゃらないでしょう。
―――では私もこのケーキを、誠意を以って評価しなければなりませんね。
思い、ケーキの欠片を口に含む。瞬間、味覚が甘さを捉える。
筈だった。それより早く、強烈な塩味が口いっぱいに広がっていく。
あと、良く分からない何かがガリッって言いました。
さすがにむせました。
凄く謝られました。
なぜかケーキの作り方のレクチャーを頼まれました。
そんなこんなでクリスマスイブまで、あと3日です。
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