Written by 雨晴
思えば、本当に沢山のものを失ってきた。
それらはもう二度と手にすることは出来なくて、それはとても悲しい事だ。
どれだけ悲しんだだろう。気付けば慣れてしまうくらい、悲しみ続けた。何も始まらないのに。
それを紛らわす為に、狂ったように強くあろうとしてきた。捌け口を企業へと選んで、いつか打倒する為に。
もう二度と、あんな幸せは手に入らないと勝手に思い込んできた。
あとは、大勢を巻き込んで死ぬだけだと思ってきた。
まるで、手の付けられない子供。
そんな私を受け入れてくれた彼女。彼女のおかげで、今の私が居る。幸せであろうと思える私が居る。
私は、彼女と生きていたい。何度も何度も繰り返して、刻み付ける。刻み付ける必要もなく、私の中には彼女だけだ。
ならば、私を幸せにしてくれた、ずっと一緒に居てくれると言ってくれた彼女にだって、幸せであってほしい。
それは私の我侭なのかもしれないけれど、それでも、本心だ。
だから、私は。
だからこそ、私は。
「―――プロポーズでもしようかと思いまして」
そういえば、と切り出されたのはそんな一言。瞬間、5人に沈黙が流れる。
その一瞬のち、ダン・モロは炭酸飲料を盛大に吹き出した。恐ろしい射程距離と精度を以って、正面に居たジェラルドを直撃する。
「ななななななな何を言っててててて」
「・・・大丈夫か、ジェラルド」
「おいダン・モロ、何よりも先に謝っとけ。消されるぞ、ローゼンタールの連中に」
「そ、そんなの後だ!おいアンタ、そりゃどう言う意味だ!」
バンバンと、テーブルを叩くダン・モロ。向けられる、刺すような視線には気付いていない。
その"アンタ"がどうぞ、とジェラルドにハンカチを手渡し、ジェラルドがすまない、と受け取る。びしょ濡れである。
「そんなに驚くようなことは無いではないですか」
事も無げにそう言って、ダン・モロに非難するような視線を半目で浴びせる。
「いや、こいつが驚くには十分過ぎると思うぜ?ちなみに、俺もかなり驚いている」
お前は?という目配せ。
「・・・ああ。突拍子ないな、君は」
ロイとウィン・Dの言葉に、そうなのですか?と疑問を抱く。ジェラルドが有難うとハンカチを返し、いえいえ、とハイン。
「ところで、ジェラルドはどうです?驚くような事ではありませんよね?」
ふむ、とハインの顔を見る。ああ、と一言。満足そうに頷くハイン。
「ほら見なさい」
「・・・いや、お前らが特殊なんだ」
「失敬な」
一つ、ロイの溜め息。
「それで、どうしてプロポーズなんだ」
ぎゃあぎゃあ騒ぐダン・モロを羽交い絞めにするロイを尻目に、ウィン・Dが尋ねる。ハインが拾う。
「先日お会いした際に、あんなことがあったではないですか」
あんなこと。ここに居る面子がハインから呼び出されたのはその侘びの為であって、わからない筈が無い。
「あの件は、私の本気が彼女に伝わっていないからこそ引き起こされた事態だと思うのですよ」
「ただの自業自得だろ」
鋭い指摘も、全く意に介さない。
「打開策として、あらゆる方法を鑑みてはみたのですが。やはり、それが最も的確かと判断しまして」
「・・・飛躍しすぎだ」
ロイが空いている右手でこめかみを押さえる。ちなみに、左腕はダン・モロの首を締め付け続けている。
いや、とジェラルド。
「その選択は、間違っているとは言い難い。むしろ正確に的を射ているだろう」
「・・・と、言うと?」
「思うに、愛し合う者同士、そう在るべきだと私は思う」
あー、と、ロイは突っ伏しそうになる。
「しかし」
ジェラルドから発せられた否定への入り方に、持ち直した。
「いくらBFFを離れているとは言え、彼女はウォルコット家の直系だろう。そこは、どうするんだ」
「ああ、そういえばそうだったな」
ロイは思う。忘れがちではあるが、リリウムはそんじょそこらのお嬢様とは訳が違う。"由緒正しき"を地で行くお姫様だ。
「まあ少なくとも、リリウム・ウォルコットに未練があれば、君と一緒に居ないか」
「その通りです」
自信満々に肯定。
「それにですね、あちら側へのアプローチの手段は考えているんです」
「アプローチ?」
「ええ。ですから、そちらは特に問題にはならないと思います」
しかし、問題は。そう言って、ハインの表情が真剣なものに変わる。
「私、プロポーズというファクターにおいて何が必要なのか、全く存じ上げません」
今度こそ、ロイがテーブルへと突っ伏す。勿論、ダン・モロも巻き添えである。ゴン、と鈍い音が響く。
「・・・知らないで言ってたのかよ」
「いえ、それこそ結婚へ向けた誓約の場である事は理解していますが。如何せん何をすればいいのか判りかねます」
ふむ、とウィン・D。
「・・・そうだな。私も良くは判らないが、最も重要なのは指輪だろう」
指輪?と、ハイン。搾り出すように、ロイが補足する。
「・・・エンゲージリングだとか言われるヤツだ」
首を傾げる。
「交戦?何とですか」
「そのような意味ではない」
「・・・簡単に言えば、結婚するもの同士の証明、と言ったところだ」
はぁ、と頷きが来る。
「つまり、それが無ければ始まらないと言うことですか」
「ああ。だが、問題はサイズだな」
「サイズ?」
ジェラルドの指摘に、ハインの疑問。そうだ、とロイ。
「指のサイズにも色々あるからな。例えば、ウィンディーは女性の平均的なサイズより大―――」
ゴン、と再び鈍い音が響いた。テーブルへ叩きつけられた反動でようやくダン・モロが解放されるが、動く気配は無い。
後頭部を押さえつつ、ロイが復帰する。
「痛ぇ・・・」
「なぜお前が知っている」
そら、いつか作る機会があるかもしれないからな。
そう言い切る前に、再び叩きつけられる。
復帰を待たず、ふむ、とハイン。
「ちなみに、どの指のサイズが判ればよいのですか?」
ジェラルドが薬指だと解答し、そうですか、とハイン。
「恐らく、その問題は解決できるでしょう」
「・・・そうなのか?」
「ええ」
なにしろ、そう言って、自分の手をちらと見るハイン。ひらひらと全員に見せ付ける。
「毎日この手に握っている手ですからね。感触を頼りにすれば、何とかなります」
む、と場が沈黙し、騒ぐだろうダン・モロは泡を吹いていて、ハインが首を傾げる。
「どうしたんです?」
「いや。幸せにな」
ジェラルドだけがそう答えて、ロイが盛大な溜め息を吐いた。惚気に中てられた訳ではないが、羨ましい事限りない。それだけの事だ。
だとしても目の前の男が勝ち得たものならば、まあ、祝わなければ嘘だろう。そう思う。
何をするにも取り敢えず、例によってBFFの連中から重狙撃で殺されないよう、念入りに十字を切っておいた。
一呼吸。
「で、ウィンディー。お前は一体いつになったら俺のプロポーズを受け付けてくれるんだ?」
導かれた解答は、首根っこを左手で掴み直立させてからの、鳩尾への鋭い右フックだった。
執務室には初老とその部下二人しかおらず、部下は初老の傍で命令を待っていた。
本来であればそのポジションはリリウム・ウォルコットのものではあるが、彼女がBFFに居ない今、彼がその役職に就いている。
ここ最近ではオーメルにアルゼブラへの潜入と、諜報を主とした仕事を任されて来た彼にとってそれは不相応。
が、大人直々の辞令であれば拒む理由は無い。むしろ、あのリリウム・ウォルコットの代わりとして宛がわれたのであれば、それは誇るべき事だ。
初老の元で働く事には特に異論、反感を抱かない彼にとって、唯一つの目下の悩みとするならば、彼が宛がわれて以来ずっと機嫌が悪そうにしている初老の精神状態の事だろう。
部下に当たったりする人で無い事は知っているにしても、空気が悪い。まあ、そんな事を気にしていてはこの人の下では働けない。そう割り切っている。
と、黙々と端末へ向かっていた初老の手が止まる。その手がマグカップを持ち上げ、掲げられた。どうやら、飲み干したらしい。
「畏まりました」
カップを受け取り、少し離れた位置にあるコーヒーメーカーへと歩み寄る。
淹れ、再び初老の手許へ。
「どうぞ」
初老が無言で受け取り、浅く頷く。胸中で溜め息を吐いた。
まあ、社内でも"孫か娘か"と揶揄されていたような側近が失われたのだから、気持ちはわからなくも無い。部下はそう思う。
かと言って、それが悪いとも思わない。
リリウム・ウォルコットが先代の女帝に劣らない、素晴らしい戦績を長年収めてきたことは誰でも知っている。それも、文句一つ言わず。
娘をもつ彼にとっては、かつてのリリウム・ウォルコットの事が可哀想で仕方が無かった。自由の一つも許されず、ただ閉じられた檻の中での生活を娘にさせろと言われて、
反発を抱かない親は居ないだろう。
それが、ウォルコット家の娘だからと言う理由一つでまかり通ってしまうのである。可笑しな話だと思った。
だからこそあの男が連れ去ったと言う事実は彼にとって悪いものではなかったし、彼女はもう自由であるべきだとも彼は思う。
勿論、それは彼の口から言うべきではない。だからこそ彼は今も初老の傍で押し黙っているし、必要でない限り動きはしない。
それに、一介の職員が口を出す事でもない。
と、部屋にベルの音が響いた。電話だ。
失礼しますと初老の元を部下が離れ、受話器を目指す。と、パネルに表示されている文字列に疑問を抱いた。
―――直通回線?
本来であれば交換室を経由してくるはずのそれが、どうして。訝しげに思いつつ、受話器を取る。
はい、と様子を伺い、聞こえてくる相手の名。次の瞬間には目を見開いた。
「・・・失礼ですが、今なんと」
『ハイン・アマジーグと申しますが、王大人を』
その名を知らない筈が無い。件の男だ。彼が電話口で固まっていると、王小龍が端末から顔を上げた。誰だと尋ねられ、判断に困る。
少々お待ちを、と部下。
「ご用件は」
『リリウム・ウォルコットの件で。そちらにとっても有益な話だと思うのですがね』
それはそうだ。この男がBFFに、特に大人に用があるとすれば、それはリリウム・ウォルコットに関わるものくらいだろう。
その程度は想像できる。ならば、聞きたいのはその先だ。いえ、と続ける。
「貴方が此方に連絡してきた理由はわかります。何のために、なのかが知りたいのです。貴方を大人へと繋ぐに値するのかどうかを計るために」
『リリウムには幸せになってもらう為に、頼りたくもないあなた方を頼ろうと思いまして』
間髪いれずに返ってきたのはそんな返答で、一瞬押し黙る。よくよく考えれば、解答として機能していない気もしないでもない。
だが、まあ、合格である。合格云々など彼に判断する権限も無いが、それでもそう思う。
少々お待ちをと伝え、王小龍へと歩み寄り、お電話ですと差し出した。
受話器を差し出してきた部下に誰からだ、と問うても問題ありませんとしか答えない。手に取ると、定位置から一歩下がる。
いつもは言わずとも必要な情報を並べる、優秀と呼べる男が珍しい事だ。思い、耳に当てる。
「王小龍だ」
『お久しぶりですね、王大人』
向こうから聞こえてきた声には覚えがある。忘れるわけも無い。眉間に皺が寄るのを自覚し、手で押さえた。
「何の用だ」
『せっかちですね、色々あるでしょう。リリウムの様子はどうだ、ですとか』
「用件は何だ」
溜め息が聞こえてくる。更に深く刻まれたらしい眉間の皺に諦めを抱いたところで、では、と続きが来た。
『ウォルコット家の方と私たちが、じっくりお話の出来る機会を設けて頂きたい』
「・・・何?」
『いえ、彼女と結婚しようかと思いましてね―――あ、切らないで下さいよ?まだお話の途中です』
察したらしいハイン・アマジーグの声に受話器を耳へと戻し、溜め息をひとつ。
「・・・わざわざ家を介さんでも、どうせリリウムは貴様に攫われた身だ」
『けじめは必要だと思うのですよ。彼女にとっては、特に』
「ウォルコット家を通したところで、あれは断じて貴様を認めんだろう」
『それは、かの家がBFFと深い繋がりがあるからですね』
なら簡単です、とハイン・アマジーグ。何が簡単なのか問う前に、先んじられる。
『王大人、口添えして頂けますか。この件に関して、BFFに気を遣う必要は無いと』
「断る」
そんな義理がどこにある。思い、受話器を戻そうとする。が、再び呼び止められた。
『いつか、貴方にお話しましたね。私が企業連へと手を貸すのは、ギブ・アンド・テイクのためであると。今でこそ違いますが』
「ああ」
『今現在、BFFのネクスト戦力はGAに頼りがちですね』
さっさと話を切り上げて受話器を戻そうとしていた手が止まる。
「―――ほう。ならば、貴様がBFFにつくと?」
『いえ、残念ながらそこまでは』
ですがという否定に耳を傾ける。眉間の皺は、気付けば消えていた。
『もしBFFが他企業から大規模な侵攻を受けるような事があれば、その時には手を貸しましょう』
「・・・防衛だけか?」
『無意味な殺人はしないと誓いましたので。リリウムの故郷を守る為には戦いますが、それ以上はありません』
どうでしょう、とハイン・アマジーグ。少し待てと相手を制し、考える。
まあ、悪い話ではない。奴の名を借るだけでも、その抑止力は大きいだろう。
正直、この男に頼るのは癪ではあるが、それはおそらく向こうも同じだ。上辺だけ見れば、それこそ悪い話ではない。
だが、しかし。
「一つ、質問がある」
『なんでしょうか』
「貴様が裏切らないという保障はどこにある」
企業の主力がアームズフォートへと傾いたように、ネクストは一個人が持つ力としては強大すぎる。
言ってしまえば防衛と称して我々の懐へ潜り込んだ途端、手のひらを返してBFFを攻略してしまう事だって出来る。
特に、この男ならば。
『ありませんよ、そんなものは』
一瞬考えるような間を取り、返答はそんなもの。まあ、そうだろうと思う。
「では、貴様のような危険人物をどう運用しろと言うのか」
『・・・中々に用心深い方ですね。まあ、当然でしょうが』
そうだ、当然だ。いつか、そこの部下と話した事を思い出す。"触らぬ神に祟り無し"。だからこそ、この男の直接利用は避けてきた。
そうですね、とハイン・アマジーグ。
『自分で言うのもなんですが。これでも義理堅い方なんですよ、私は』
「何だ、それは」
『お聞き下さい。ローディーから伺いましたが、貴方はリリウムが攫われるのを全力で止めようとしなかったそうですね』
「・・・知った事か」
言葉に詰まり、しかし搾り出す。ローディーめ、いらん事を。そうですか、とハイン・アマジーグ。
『まあそれを聞いて、私としては多少の罪悪感も感じないでもなかったんですよ。貴方の愛娘を横取りするようで』
「なら返すがいい。今すぐに」
『お断りします』
断固として告げた声に、つい溜め息が漏れる。最近、本当に多くなったと思う。仕方のないことだとも。
『兎に角ですね。この上貴方に力添えを頂くような事があれば、私としては貴方に対して裏切り云々など、微塵も考えられないでしょう』
「・・・」
『BFFの為に動くのは御免被りますが。先程も言った通り、リリウムの故郷を守る為に、或いは彼女の師である貴方の為にならば』
どうです?その問い掛けに、目を瞑る。
「―――薄っぺらな根拠だな」
『私もそう思います。あとは、貴方がそれを信用するか否か』
「信用など、するわけがあるまい」
『でしょうね』
だが。
「・・・必要な場合には、カラード経由で呼び出す」
『おや、折れましたか』
「黙れ。誰のせいで折れなければならない状況に陥ったと思っている」
『失礼。ただ、こちらとしてはあくまで"協力してやる"立場だと言う事をお忘れなく』
つい舌打ちが漏れる。面白くない話だ。柄にも無く、リリウムはこんな男のどこが良いんだなどと考えた。
「・・・ウォルコット家の件、確定し次第連絡してやる」
『わかりました。急ぎではないので、お時間のあるときに』
「ふん」
長く続いた電話越しの会話も、ようやく終わるようだ。
結果としては大人が折れた形になったのを見れば、やはりあの男、ただ者ではない。そう、彼は思う。
秘書のような立場にある彼が、仕える主の電話を盗み聞きなどというのはあまり褒められたものでは無い。無いが、聞こえてくるものは仕方ないのだ。
『それでは、王大人。宜しくお願いしますね』
「―――ハイン・アマジーグ」
『何でしょう』
珍しく電話口で人を呼び止めたと思えば、またしても珍しく歯切れの悪い王小龍。何だ、と部下が思う。
不意に、主が軽く顔を伏せた。それさえも、珍しい。
「・・・いや、何でもない」
言って、ではな、と今度こそ電話を置こうとする。それは、何かを振り切るような。
『王大人』
再びの声に、その手が止まる。続いたのは数拍の無言。のち、受話器越しにも伝わる柔らかな声質。
『リリウムは元気にしていますよ』
唐突とも言えるその話題提供に初老の目が閉じられ、開く。何か言おうとして口が開き、しかしそのまま受話器を戻してしまう。
素直じゃない人だ。そう思い、苦笑い。
途端静かになった執務室には二人しかおらず、王小龍は何事も無かったかのように端末へと目を向けた。先までの続きだ。
それを横目で伺いながらの部下の溜め息。勿論胸中で、態度に出しはしない。
多少なりとも王小龍に変化があればと思ったが、失敗だったろうか。
と、王小龍がカップを口につけようとしたところで少し渋い顔をする。
おい、と低い声が掛かった。先のお咎めだろうかと身構える。は、と短い返事。
中身の入ったカップを掲げる初老と、その渋い表情は変わらない。
「冷めた。淹れなおせ」
その言葉に一瞬きょとんとして、すぐに軽く顔が綻ぶ。今回の軽い溜め息は、別に胸中に仕舞う必要も無い。
「畏まりました」
言って、再びコーヒーメーカーへと足を運ぶ。何となく件の男に感謝しながら、彼は真っ黒の液体を注ぎ始めた。
稀にではあるけれど、ここ最近、一人にされることがある。
一息。読み終わった小説の最初のページに栞を挟み、そのままソファに倒れ込んだ。行儀が悪いなあと思い、脚は揃える。
そのままの体勢で部屋を見渡してみた。最初は殺風景だった彼の部屋が、少しずつ色付いてきているのが見て取れる。
茶器や食器、料理器具、衣服。全部、私がここに来てから増えていったもの。
居候させて頂いている身分で申し訳ないな、なんて思いが半分。
もう半分は、彼の元に私が居るんだという証のようで嬉しい。そんな思い。
首を真横に捻ると、意識がローボードへと移る。写真立てがふたつ。片方は、私がここへと来てからずっとそこにある。
手を伸ばすけれど、届かない。何となくムッとして、一杯に伸ばす。
「う、わ!」
ソファから滑り落ちた。痛い。・・・横着はいけませんね。
立ち上がり、ふたつの写真立ての元へ。片方は私、片方は彼の大事な人。そこで笑っていて、手に取る。
きっとウィル様が、私を彼の許へと導いてくれたんだと思う。この写真は、私と彼の架け橋だ。
少しだけ慌てているような素振りのある、彼と目元が良く似た、可愛らしい笑顔。
いつか彼は、私とウィル様がどことなく似ていると言っていたことを思い出した。不意に、ウィル様と私、どちらがより大切なのだろうなんて考えてしまい、振り払うように頭を振る。
どちらがより、なんて考えは間違いだ。彼は私のことを、とても大切にしてくれる。ウィル様のことも、とても大切に考えている。
それはずっとわかっていた事なのだから、気にする必要は全く無い。ネガティブに考えてしまうのは、なぜだろう。
そんな疑問を抱いて、悩んで、数秒で導き出した。
寂しいからだなぁ。
大きな溜め息一つ。しかしまあ、たったの数時間会えないだけで酷い有様である。
もっとこう、凛としているべきだろうと自分に言い聞かせるけれど、気付いてしまってはもう遅い。写真立てを戻し、ベッドに寝転がる。
彼はいつ帰ってくるんだろう。ご飯を作って待っていても良いけれど、折角だ、出来上がりの温かいものを食べてもらいたい。
なら、何かお菓子でも作ってみよう。以前作ったチーズタルトが気に入ってもらえたのだから、甘いものが駄目と言う訳でも無さそう。
―――ああ、でも、もうすぐ夕御飯の時間ですしね。
でしたらお掃除―――は、さっきしました。お洗濯も、今日は大丈夫。
「・・・むぅ」
もう一つ、大きな溜め息。どうやら彼が戻ってくるまで気を紛らわすような事も無く、寂しさを持て余しながらベッドを転がる。
行儀が悪いけれど、仕方が無い。仕方が無いのだ。つい、うう、とか口にしてしまう。数ヶ月前の自分に見せてやりたい。
彼が戻ってきたら、それはもう甘えさせてもらいましょう。・・・ああ、でも迷惑でしょうか。
そんなことを考えていたら、いつの間にかうとうとし始めていた。少し遅めのお昼寝。
決して不貞寝では無いですよ、なんて誰にするでもない弁解をしながら、意識は遠のいていった。
かつては誰に言うでもなく呟いていた"ただいま"も、今は伝える相手が居る。自動の扉が開き、それを口にしつつ入室する。反応は無い。
少しばかり"おかえりなさい"を期待していたためか軽く落ち込みかけ、しかしその理由はすぐそこにある。彼女の寝息。覗き込む。
鍵も掛けず、無防備な事この上無い。もし貴女に何かあったらどうするんですか、などと胸中で思う。
まあ、もし何かしようとする輩が居たとしたら、誰であろうと全力で打ち倒しに向かいますが。そうも思う。
彼女の許を離れる。テーブルにようやく手に入れた贈り物を載せ、水を一杯注いだ。飲み干す。まだ喉が渇いているようで、もう一杯。
どうやら、緊張しているらしい。
緊張したところで何も変わらない。言い聞かせ、彼女の許へ再び歩み寄る。極力起こさないように、彼女の隣に腰掛けた。
と、妹と目が合う。いつもの、可愛らしい笑顔。何となく、見守られているよう。
「―――お前が、ここに連れてきてくれたんだな」
返事は無い。無いに決まっているけれど、それで良い。見守っていてくれるなら、そこに居てくれる筈なのだから。
視線をリリウムへと向けると、気持ちよさそうに眠っている。
小さな手を握り、長い髪を梳かす。くすぐったそうにする動作さえ愛らしく思い、自然に顔が綻ぶ。
準備は良い。あとは、それを口にするだけだ。思い、声を掛けた。
彼女の目が、薄らと開く。
「おはようございます、リリウム」
大分寝ていたようで、頭がぼんやりとしている。
「・・・あ、はい、おはようございます」
状況、彼が近い。というか、彼が帰ってきたらしい。
・・・そうか、待っていたら寝てしまったんだ。
「お帰りなさい、ハイン様」
「ええ。ただいま、リリウム」
ようやく聞けた"ただいま"を、本当に嬉しく思う。いつの間にか繋がれていた手を握り締めた。そのまま引き起こされ、彼の横に座る。
「もう。待っていたんですよ?」
軽く拗ねてみた。苦笑いと、すみませんと言う謝罪に笑顔で返して、彼の肩へと頭を載せる。
「いいえ。ちゃんと帰ってきて下さったので、許してあげます」
「有難う御座います」
「でも、あまりひとりにしないで下さいね」
苦笑いが、意地悪な笑みに変わる。
「おや、寂しかったですか」
・・・む。
「―――当然です」
正確に当てられて悔しかったからつい、ぷいとそっぽを向いてみる。今度の拗ねは、ちょっとだけ本物だ。
すみませんでしたね、と彼。
「けれど、それも今日で終わりです。最近ひとりにさせることが多くて悪かったのですが、もう大丈夫ですから」
「・・・本当ですか?」
横目で伺うと、笑顔で頷かれる。
「私だって、貴女と長く離れているのは苦痛なんですから。嘘なんて吐く筈無いでしょう」
「・・・っ」
相変わらずの天然っぷりに、思わず顔が赤くなるのがわかる。
と、少しだけ強引に抱き寄せられた。ほぼ同時に一瞬だけ、額に柔らかい感触。
「―――!」
その一瞬で心臓が煩いくらいに高鳴って、彼の顔を直視出来なくなる。うわー、とか思う。
「信じて頂けましたか?」
問いに、こくこくと頷く事しか出来ない。それはよかった、と彼。
「で、でも、ひ、卑怯です、ハイン様」
何とか声を絞り出して、抗議を試みる。抱かれたままの体勢は崩されずにそのままで、彼がすぐそこで笑っている。少し後、軽い溜め息。
「・・・何だか、騙されている気がします」
「そんなつもりは無いのですが。では、すみません、で宜しいのでしょうか?」
そう言う彼には悪びれる様子は無い。なら、あれもきっと、天然の産物なのだろう。
「・・・駄目です、許しません」
何を許さないのだろう。自分でも良く判らない。けれど、彼は拾ってくれる。
「でしたら、どうすれば許して頂けますか?」
先の意地悪な笑みは消え失せて、代わりにあるのは穏やかな、柔らかな笑顔。私の、大好きな。
眠ってしまう前に、思い切り甘えさせてもらおうと考えていた事を思い出す。今がきっと、そのときの筈。言い聞かせて、口を開いた。
「・・・その」
「はい」
「―――もう一回、ちゃんとして下さったら・・・」
言いたい事を言い終わるよりも早く、ベッドへと押し倒された。
「・・・や、やりすぎです、ハイン様」
「いや、リリウムがあまりに可愛らしくてつい、うっかり」
状況から解放されたのはたっぷり時間が経過してからで、嬉しくないと言えば嘘だが、如何せん恥ずかしすぎる。頭を下げられた。
「すみませんでした、リリウム」
「こ、今度からは、その、出来れば心の準備をさせて頂けると・・・」
「善処します」
あくまで善処らしい。今まで以上にバクバクと煩い心臓をなんとか落ち着けようと、深呼吸。不意に彼が立ち上がって、歩いていく。
取り残されたようで、少しだけ寂しい。
「どうかされましたか?」
「いえ、特には」
何だろう。そう思い、寝転んだまま視線を向けてみた。テーブルの上に、小さな紙袋がひとつ。
「・・・それは?」
私の視線が紙袋へ向いている事を確認してから、ええ、と一言。
「貴女へのプレゼントです」
「プレゼント、ですか?」
「はい」
何のだろうか。今日は、特に贈り物を頂くような記念日ではない。彼が紙袋を手に戻ってきて、ベッドに腰掛ける。何となく、安心感。
「リリウム、明後日は出掛けても大丈夫ですか?」
その問い掛けに、ますます贈り物の意味がわからなくなる。取り敢えず頭の中に明後日の予定を考えて、特に用が無い事に思い至る。
「えっと、大丈夫です。ちなみに、どちらへ?」
「ウォルコット家へ、重要なお話をする為に」
一瞬、ウォルコット家ってどこだろう、なんて考えてしまう。勿論、すぐに思い出すが。思い出して、彼の口から発せられる事に違和感。
「・・・え?」
「どうして、って顔をしていますよ」
彼の指が顔に触れたところで、少しばかり飛んでいた意思が舞い戻ってきた。飛び起きる。嫌な想像が頭をよぎったからだ。
「あの、もしかして、私に何か至らないところが・・・」
「ああ、いえ。そう言った類の話ではないので安心して下さい」
話が前後してしまいましたね、と彼の苦笑。
「・・・では、どうして」
「先日、貴女に言ったでしょう。貴女の憂いを取り除いて見せますから、数日待って下さいね、なんて」
「言われました」
「あの後、色々考えたんですよ。どうすれば、私の本気が貴女に伝わるか」
言いながら、紙袋に手を伸ばす。中から出てきたのは、小箱。手渡され、開けてみてくださいと声が掛かる。手を掛ける。
開いて、絶句した。
と言うよりも、脳の解析が追いつかない。これは、何でしょう。そんな思考がループする。
「結婚しましょう、リリウム」
「・・・え!?」
その言葉で、解析が終了する。何ですか、これは、一組の指輪、と、言う事は、つまり、つまり?
「えっ、そっ、そのっ、これっ、もっ、もしかして・・・」
「落ち着いてください。ほら、深呼吸して」
言われた通りに深呼吸。落ち着く筈も無く、未だに脳内は混乱している。あまりに唐突すぎて、何が何だか。
「・・・私では、不足でしょうか」
少しだけ自信の無さそうな声色に、ほんの少しだけ落ち着けた。全力で首を横に振る。そんな訳が無い。そんな筈が無い。
「有難う御座います」
彼が言って、手が頬を触れる。ふと、いつかの病室を思い出す。あの時もそうだった。
もう少しだけ落ち着く事が出来て、彼の顔を覗き込む。心なしか赤くて、これも、あの時と同じ。
「私を受け入れてくれた貴女のおかげで、今の私が居る。幸せであろうと思える私が居るんです」
真摯な視線を逸らせずに、ただ彼の声を聞く。
「私は、貴女とずっと一緒に生きていたいんです。私には、貴女だけなのですから」
その表情は真剣で、彼の想いが伝わってくる。幸せだなあなんて、場違いにそう思う。
「だから、私を幸せにしてくれた、ずっと一緒に居ると言ってくれた貴女にだって、幸せであってほしい」
抱き締められた。身を委ねて、言葉を待つ。
「それは私の我侭なのかもしれないけれど、それでも本心です。貴女を幸せにしてみせますから」
だから、どうか。
「結婚して下さいませんか、リリウム・ウォルコット」
そこまで言って、黙ってしまう。私はと言えば、幸せすぎて何が何だか理解しきれていない。多分、泣いている。それさえ判らない。
抱き締められて数分間、そうしていた。彼は何も言わないで受け止めてくれていて、私は答えなければいけない。その言葉に。
けれど、これだけは。これだけは、伝えておかなければ。
「・・・とても、嬉しいのですが」
言えば少しだけ、腕の力が強くなる。苦しい事はないので、大丈夫。
「・・・リリウム・ウォルコットと貴方に呼ばれるのは、嫌です」
と、腕の力が今度は緩んだ。きっと真っ赤になっているであろう顔を覗かれ、彼の笑顔。
「わかりました、リリウム」
彼が言い終わるより早く、今度は私から抱き締める。強く掴んで、決して離さないように。
私だって、何度も繰り返してきた。貴方と一緒に生きていたい。貴方のおかげで、私は此処に居る。
だから、だから。
ずっと一緒に居て下さるなら。貴方が幸せで居て下さるなら。
「―――喜んで、貴方の妻になります」
それが私の、一番の幸せなのだから。
私が握り締めていた指輪の小箱を、彼がローボードの上に置く。そこには写真立て、大切な人。彼の顔が、こちらを向く。
彼女に見守られながら誓うんだと思うと、少しだけ恥ずかしくもあるけれど。
それでも私は、そっと目を閉じる。その感触を刻みつけて、一生忘れないように。
end
以下、非常にどうでも良い後書き的なお話
~なぜなに?ハインさん!~
「こんにちは、ハインです」
「こんにちは、リリウムです」
「何ですか、これは」
「作者が何かの長編書き終わる度に書く定番です。自作自演の質問形式で、本編の補填なりをしていくそうですよ」
「後のせで至らなかった部分の補完活動ですか。おめでたいですね。誰にも求められていないのに」
「・・・怒ってるんですか?」
「いいえ?」
その1・ストレイドの背部兵装は?
「そう言えば、ミサイルについては本編中に明示していなかったですね」
「出すタイミングが難しかったらしいですよ」
「左背部のグレネードはOGOTO、右背部のミサイルは・・・何だったんでしょうね」
「さあ。でも、弾薬が中途半端な余り方をしていましたから、連続射出系のミサイルでは無いですよね」
「では、分裂ミサイルですかね。ホワイト・グリントの」
「作者はただ漠然と、"ミサイル"としか考えていなかったようですよ」
その2・主人公について
「欧州出身とは書いていましたね。一応、ドイツとかイギリスとか、北欧人なんだそうです」
「後のせ感が凄まじいですね・・・」
「名前については、作者オリジナルの主人公が外人だったときに使う名前だそうで」
「知りませんよ・・・ところで、おいくつなんですか?」
「設定では23~4歳程度のつもりだったそうですが、リンクス戦争あたりの年齢だとかで矛盾が出そうで言わなかったらしいですよ」
「Picture Garageに投稿されていた年表を見て戦々恐々としていたらしいですね」
「あとは、口調ですね」
「ウィル様との共通点ですね」
「いや、作者の趣味だそうです。共通点云々の方が後付けですって」
「台無しですね」
「ええ」
その3・リリウムについて
「4話で私とロイの唇がどうとか、猫耳がどうとか言ってましたが」
「私に変なキャラ付けしようとした名残みたいですよ。それ以降、無かったことにされてますね」
「あとは、リリウムの年齢ですね」
「良く言われている16歳程度を基準に書いていたそうですよ」
「成る程」
「・・・あれ?でしたらハイン様、場合によってはロリコ―――」
その4・超機動について
「私だけ1.15です」
「・・・えー」
「嘘です。でも、それくらいのつもりで書いていたそうですよ」
「周りの方々は?」
「1.30」
「・・・」
その5・他のキャラについて
「ロイと王小龍は割と登場していましたね」
「ロイ様はキャラ立てがし易かったのと、大人はわかりやすい敵キャラとして立てやすかったらしいです。ダン・モロ様は?」
「彼、全部良いところ持って行くから、実際扱い辛かったみたいですね」
「後日談じゃ叫んでるか白目剥いてるかどちらかでしたしね」
「ウィン・D様は後半になるにつれて主要キャラ固定でした。ロイ様一人より二人の方が書きやすかったのでしょう」
「あの二人、出来てますよね」
「出来てますよね」
「ジェラルドは、作者の趣味で書いたは良いけれど良いところ無しでしたね」
「天使砲が描写し辛かったそうで。腕もライフルにブレードですし」
「後日談では登場していましたけれど」
「ボケ担当としてですけれどね。4話でのロイ様の、"どっちかというとジェラルド"発言の伏線回収ですね」
「ローディーの立場は、最終的には橋渡し役に納まっていました」
「最初は敵キャラのつもりだったらしいんですが、これも作者の趣味で最後には良い所をもっていかれましたね」
「セレンは最初厳しかったのですが、だんだんとデレて行きました」
「厳しく書きすぎても収拾付かないからでしょうね。カメラ云々の部分とか、もっと書きたかったようなのですが」
「・・・登場キャラ、少なくないですか?」
「捌ききれなかったからでしょう」
その6・タイトルについて
「in the endって、『結局』って意味なんですよね」
「『終わりの中で』って意味合いで使ったらしいですよ」
「でも、『結局』なんですよね」
「とあるバンドの有名曲から頂いたそうですよ。私はfaintが好きです」
その7・番外編について
「ノリノリでしたね」
「まあ、私の性格設定や過去がそっち向きでしたからね」
「私、殺されましたけど」
「愛してますよ、リリウム」
「殺されましたけど」
「まあ、ifストーリーですから。本来はリリウムが私を殺す、なんて展開で書くつもりだったらしいですが、如何せん、ほら」
「ハイン様無双してましたもんね。あんなところで設定に泣くとは思っていなかったでしょうね」
その8・その他諸々
「一話一話、文量が安定せずにすみませんでした」
「その癖、無駄に長くなってすみませんでした」
「テキストファイル換算で、全話約250kbだったそうですよ」
「wordによると総文字数13万文字以上、原稿用紙350枚以上だとか」
「こんなぐだぐだ長いSSにお付き合いいただいた皆様、本当に有難う御座いました」
「作者自身、こんなに長くなるとは思いもしなかったみたいですね」
「良い経験になったそうですよ」
「本当はもっと、ハイン様の企業蹂躙編を長く書きたかったり、過去のお話を掘り下げたりしたかったみたいですけれど」
「ただでさえだらだら続けていたのに、これ以上したら残念にも程がありますからね」
「あと、作者がアクション物のSSなんて書くのが久しぶりで、至らない部分が多々あったと思います。すみませんでした」
「いつも書いてるのはもっと大人しい作品群ですから。でも、楽しかったそうですよ」
「しかも、全話合計したら5万ヒット以上の閲覧数に大量の感想コメントですよ。本当に有難い以外言葉にし辛いですね」
「励みになりまくっていましたから」
「そうですね。クリスマスやバレンタインですとか、イベントに合わせてのオマケ短編でも出せたら、その時はまたお楽しみ頂けたら幸いです」
「では、この辺りでそろそろ締めましょうか」
「改めて、お付き合い頂き本当に有難う御座いました」
「有難う御座いました」
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