Written by 雨晴
クレイドル空域と呼ばれる高空を、黒が疾走する。背負われた高出力のブースターが、音速の二倍の速度を軽々と叩き出す。
『クレイドル21まで距離15000、VOB使用限界は95秒後になります』
「了解しました」
男がコンソールを操作すると、黒の持つ兵器に火が入る。弾丸が装填されていく。
『敵戦力はノーマル36機と飛行型ノーマル12機。最優先目標は、クレイドル21の防衛です』
「思いのほか大規模ですね。速やかに終わらせましょう」
『はい。・・・敵通信を傍受しました。聞かれますか?』
男が肯定する。数秒後、繋がれた。
『―――方より急速接近中!機数1、ネクスト反応!迎撃体勢急げ!』
雑音と共に、焦ったような声が聞こえてくる。男の表情は変わらず、口が開く。
「気付かれましたね」
『そのようです。進路上の敵飛行型ノーマル、こちらへ接近してきます』
望遠カメラで確認、真っ直ぐに向かってきている。
「迎撃しますか?」
『いえ、先にクレイドル上のノーマルを。VOB使用限界まで20秒、ご準備下さい』
オペレーターが言い終わるのと同時、黒が敵機と交差する。
『黒のアリーヤだ!』
再びの、焦ったような声。
『クソ、あの英雄気取りか!』
英雄気取り。そう呼ばれた男が苦笑を漏らす。まあ、あながち間違いでもない。そう思う。
だが、彼は彼の答えに従じているだけだ。
『VOB使用限界、パージします』
振動が来る。クレイドルは黒の直下、自由落下。
『戦闘を開始します。ハイン様、どうか無事の帰還を』
重力に引かれ落ち行く中、男が微笑む。その声は彼の助けたいもので、守りたいもので、一緒に生きていたい人の声。
息を吸い込む。
「勿論です」
直後、クレイドルへと接地する。直近のノーマルが後ずさり、独特の複眼がそれを捉えた。
『―――ストレイド・・・』
呟かれた敵の声を振り切って、ストレイドが突撃する。
放たれる弾幕を翻しながら、何十倍もの敵機の群れに襲い掛かった。
耐Gスーツから着替えた男が廊下へと出ると、そこに目当ての女性は居なかった。左右を確認し、肩を落とす。
非常に残念である。深い溜め息が吐いて出て、待とうか探そうかを迷う。迷った挙句、待つことに決める。
靴音。
「ハイン・アマジーグ」
声に反応すると、その先には知り合いが一人。歩いてくる人影に一礼。
「お久しぶりです、ジェラルド。カーパルス戦以来ですね」
「ああ」
立ち止まり、正対する。
「遅れたが、終戦の英雄に敬意を」
ジェラルドが頭を下げ、いえ、と男が返す。
「そんな大それたものではないのですが。それでも、有難う御座います」
男二人、深々と頭を下げ、同じタイミングで上がる。似たもの同士と言うべきか、しかしながら異様ではある。
「それと、おめでとう、で良いのだろうか」
「何がです?」
「現在、BFFのリリウム・ウォルコットと恋仲にあると聞いたが」
一瞬の無言。はぁ、と、わかっていないような声。
「誰からです?」
「ロイ・ザーランドだ」
ハインと呼ばれた男が首を傾げる。一拍置いて、口を開いた。
「恋仲、と言う括りが果たして合っているのかわかりませんが、大切なパートナーではありますね」
「パートナー?」
ええ、とハイン。
「ずっと一緒に居たい方です」
今度はジェラルドが首を傾げる。
「それを恋仲と言うのではないのか?」
「・・・そうなのですか?」
「いや、恋仲足るにはどうすべきか、というのを知らないのでな」
「私もです。どうなのでしょうね」
男二人、腕を組み、唸り、恋だの何だのと口に出しつつ考え始める。似たもの同士である。気味が悪い。
と、パタパタと軽い音。ハインの顔が左へ30度ほど向いた。追う様にジェラルドが身体を向けると、議題に上っていた女性の姿が有る。
目を疑った。
「ハイン様」
嬉しそうに駆け寄ってくるリリウム・ウォルコットの姿を見ながら、ジェラルドは思う。こんな女性だっただろうか。
彼の知っているリリウム・ウォルコットと言えば、会議の場での姿。王小龍の後に付き、飄々とした表情。
そこには、誰も居ないような。
「リリウム。待っていて良かった。すれ違いになってしまうところでしたね」
「申し訳御座いません、少し用事を済ませていましたので」
つい走ってきてしまいました、などと笑みを零す彼女は確かにリリウム・ウォルコットの外見をしていて、と言うか、完全に蚊帳の外である。
仲睦まじく会話を交わす二人に、つい咳払い。あ、とリリウムから声が掛かる。眼中にも無かったらしく、割と落ち込みかけた。
「ジェラルド・ジェンドリン様、お久しぶりです。・・・あの、お二人はお知り合いなのですか?」
「対ORCA、カーパルス防衛戦で協働した。久しぶりだ、リリウム・ウォルコット。その様子だと君にも、おめでとうで良さそうだ」
「はい?」
首を傾げるような仕草。それも、ジェラルドにとっては新鮮なもの。しかしながら、人は変わるものだ。そうも思う。
「ハイン・アマジーグとの関係は良好と見える。おめでとうで良いのだろう?」
ぴくりと肩が動いた。驚いたらしい。
「え、あの、その・・・」
指摘されると恥ずかしいらしく、しどろもどろ。みるみる顔が紅潮していく。
「あ、有難う御座います・・・」
搾り出したような声の語尾は聞き取り辛い。言い終わるより、俯くほうが先だった。
ジェラルドの目が細まる。
「・・・存外に可愛らしいな」
「そうでしょう。決して誰にも渡しませんけれどね」
では。そう切り出し、ハインの目がジェラルドへと移る。
「そろそろ私達は戻ります。また、機会があれば」
「そうか」
ではな。そう言って別れる。数歩進んだ後、ふと振り返った。
極自然に繋がれたその手。他愛の無い会話に、二人の幸せそうな表情。あれで恋仲でないのならば、何だというのだろう。
ただ、とても辛い過去を歩んできた者と、自身の生き方さえ縛られていた者。ああいった人間こそ、幸せたるべきだ。
二人を見送り、影が見えなくなる。ジェラルドは、自身が笑みを浮かべていることに気付いてはいなかった。
「ところで、用事とは何だったのですか?」
ゆったりとしたペースで、彼の隣を歩く。
「いえ、先日お願いしていた荷物の受け取りをしていただけですよ」
そうでしたか、と彼。目指すは彼の自室。
このスピードは、彼が合わせてくれるもの。丁度良いペース。私から彼に合わせようとした時にも、彼はこのスピードを貫いてくれる。
そんな気遣いさえも嬉しくて、それを享受出来る私は幸せで。
「何だか嬉しそうですね、リリウム」
そう気付いてくれる彼のことがとても大切に思えて、向けてくれる笑顔のために私は、きっと何だってするだろう。
「今日は、ハイン様にして差し上げたいことがありまして」
「ほう。それが何なのかは、教えて下さらないのですね?」
「はい、秘密です」
ただ、彼に料理を振舞おうとしているだけだ。何でしょうね、と彼が悩む。さあ、何でしょうね。とぼけてみる。
顔を向かい合わせて、笑み。
「意地悪ですね、リリウム」
「ええ。ハイン様を見習いましたので」
そうだ。彼は少しだけ意地悪だ。物凄く優しいけれど、少しだけ。わたしはきっと、そんなところも。だから。
ところで、と彼が話題を切り替える。
「先ほどジェラルドと、私と貴女との話をしていたんです。その中でひとつだけ気になっているのですが、尋ねても?」
「え、はい」
何だろう、そう思う。どう話せば良いやら、そう苦笑が来る。すぐに真剣に悩むような表情になって、そのまま口を開かれた。
「ロイ曰く、私たちは恋仲らしいのですが、リリウムはどう思います?」
どう思うって、何がでしょう。恋仲かどうか、と言う事でしょうか。
「・・・え?」
恋仲?誰と、誰が?
「いや、ジェラルドとも議論を交わしたのですが、如何せん私も彼も、その正確な定義を知り得なくてですね」
「い、いえ、ちょ、ちょっと、ちょっと待って下さい」
必死で整理する。恋仲?ハイン様と、ロイ様が?いえ、確かに仲は良いようですが、話の流れからしてそう言う事では有りませんよね?
そもそも、"私と貴女"って仰っていませんでしたか?・・・つまり私と?・・・私!?
「どうしたんです、固まって。・・・ああ。ジェラルドとの議論で、貴女との過ごし方を事細かには説明していませんよ。少しだけです」
「い、いえ、そういうことではなくですね、・・・彼に何話したんですか!?」
「何って、そうですね・・・例えば、最近ようやくリリウムの方から―――」
「う、わ!」
背の高い彼へ手を伸ばし、必死で口を押さえる。口先へ触れていることに心臓が高鳴り、しかしそれどころではない。誰かに聞かれる訳にはいかない。
いや、誰も居ないが。
もごもご言いながら視線を向けてくる彼を尻目に、ここ最近の事を考える。よくよく思えば、そんな気がした。
いつか読んだ小説の主人公も、今の私と似たような体験をしていた気がする。それに、これだけいつも一緒に居るのだから。
恋仲。そんな響きを、こんな身近で聞くことになるなんて。自分自身のことなんて。それにしても、全く気付かなかった。
改めて私の置かれている状況を理解すると物凄く幸せなようで、しかしながら照れが勝る。
きっと、顔は真っ赤なことだろう。どこか第三者的な立場でそう考えつつ、ただ一つ、足りないものが浮かんだ。
「それで、どうなのでしょうか」
気付けば彼の口から私の手は外れていて、彼の顔を直視できない私が居る。数秒黙り込んでから、声に出す。
「そ、その・・・」
「はい」
彼の顔がどこまでも真剣で、なんだか私一人空回りしている気がする。けれど、どうしようもない。
「こ、恋仲に限りなく近い・・・気がします・・・」
私は何を言ってるんだろう。心からそう思う。
ふむ、と彼。
「では、恋仲の定義とは何なのでしょうか。限りなく近い、と言うことは、きっと私たちは違うのですね?」
「・・・その、きっと、誓約みたいなものが必要なのだと思います」
「誓約、ですか」
誓約。あの小説と、今の私たちを比べると、足りないのはそれだ。
"いつまでも一緒に居たい"、彼の言葉がそうであるのならば別だけれど。けれどその言葉は、本当にそのままの意味だ。
何を伝えればいいのか迷う。彼が呼びかけてくれ、顔は見ずとも返事する。
「リリウムは、その誓約を立ててみたいですか?」
弾かれるように彼を向く。やっぱり彼の顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには全く見えない。
わ、私にそれを言えと・・・?
頭の中でそう思考し、けれど私だって、自分の掴みたいものは自分で掴みたい。物凄く恥ずかしいが、それでも。
「わ、私は・・・」
「はい」
言いなさい、私。憧れていた情景がそこに有るのだから、掴まなければ。
「その・・・」
私は、貴方と。
「こ、恋仲でありたい、です・・・」
精一杯声を張り上げたつもりなのに、掠れたような声しか出なかった。けれど彼には聞こえたようで、わかったのかわからないのか微妙な顔つきをしている。
「・・・それが、誓約なのですか?」
「そ、そうです・・・」
成る程、と彼。つい俯いてしまう。
「私はそういった事柄に疎くて、正直良くわかっていないのですが」
「は、はい・・・」
「とても嬉しくて幸せだと思うのは確かですね」
顔を上げると、満面の笑みを浮かべる彼。
「有難う御座います、リリウム。でしたら、そう在りましょう」
一瞬、その言葉の意味が理解できなくて、理解した頃には抱き留められていた。
「ハ、ハイン様!?」
これで二度目だ。彼の育ったあの場所以来。正面を向き合ってのものは初めてで、すぐそこに彼が居る。
手のやり場に困って、何を考えていいかわからない。混乱を極める思考回路は焼き付きそう。
けれど暴れてしまったら、彼の腕は解かれてしまいそうで。それは嫌で、そう思うと自然と力を抜くことが出来た。
結局のところ、私もこうしていたいんだ。
ようやくそんな解答へと落ち着き、彼の胸へ身をゆだねてみる。腕を回し、彼を掴む。離したくないな。
おぼろげにそう思いながら、先程まで以上の幸せを感じながら、髪を梳く彼の手が心地よくて。
気付けば私は、目を閉じていた。
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