Written by へっぽこ
どこか遠く。耳の奥で雷が鳴っている。
それはまるで大砲のような音だった。ともすれば真に砲撃の音なのかもしれない。
内より溢れ出た鉄の軍勢。
先へ進みたがる希望にあふれた自分に嫉妬して、そんな自分がちょっとつまずいたぐらいで、ここぞとばかり。
二度と立ち上がれないように、泥のようにこびりついて逃がそうとしない罪悪感の軍団。
ありえた可能性は今にも腐り落ちていく。
それでも残る唯一機。
道進むストレイド。
もう、あとは待つばかりなんだ。
君が現れるその瞬間を。
君が来てくれれば、全てが終わる。
そうすれば俺達の世界は君たちの未来と決別する。
足元に広がる大空。
遥か上空で下を向く時代は終わったのだ。
これからは前を向いて歩く。地に足つけて。
なんなら上を向いたっていい。未だ空には無数の人が浮かんでいる。
幾千の人を踏み台にして築きあげた大地から、幾億の幸せを仰ぎ見よう。
忘れていた感情を思い出す。
さしあたって、まず一人。
愛してみれば、今日を生きられる。プラス四人で、世界は愛しく輝いた。
死ぬまで続く、今日という日々。
ま、それは俺のものではないがね。
今更どれだけ俺が頑張ったところで、もはや別の物語だ。
その全ては夢のまた夢。
―――そう、首輪付きにとって、断頭台は遙か彼方なのだ。
/ →player
ラインアーク。そびえるツインタワーの、その合間からは絶え間なく鉄の憎悪が漏れ出てくる。
ぎちぎちに詰まって、大渋滞を起こすそこから―――
ノーマル部隊が、カブラカンの自立兵器が、グレートウォールのグレネード群が、アンサラーのレーザー束が、抜け出してくる。
もしかしてあれは蓋をしているつもりなのだろうか?これ以上、中に入ってこられないように、と。
あるいは、捕らえたものを逃がさないように、兵器の山でバリケードを張っているつもりなのだろうか。
ひたひたと終焉が近づいてくる。
かくしてホワイトグリントは彼ら側についた。
流れは傾き、今や彼らに追い風だ。が、限界も近かった。
この先に首輪付きがいるのは間違いない。
しかし時間の余裕もなく、ゲートは巨大な兵器群が大挙して、例え向こう側へ飛び込めても、膨大な知識と感情と記憶と無意識の海から首輪付きの核を取り戻して戻ってくるなどというのは、どう考えたって不可能だ。
それに深度が深まれば深まるほど、精神同調圧は高まる。
今はまだ外面だけ。
ちょっとした、キャラクター個々人にタグ付けられた小さい記憶とうわっつらの記録の共有だけで済んでいるが、この先はそうもいかない。
その領域は、もとより他人(敵)は入って来れないはずである。
一体誰が自分の頭の中身を、他人にまるまる見られたいと思うだろうか。
そんなのごめんだ。
例えば。
“どう思う” “どーでもいーよ”
“相性が良いみたいね” “このくらい普通でしょ”
“私だけでは、どうすることもできませんでした” “ほんとーにね”
“あなたには感謝している” “………”
とまあこのように、事実がどうあれ、心に渦巻く害悪感情は抑えきれず抽出しようと思えばとめどない。
むろんそれが僕の全てではない。ないが、人間だから仕方がない。
たった少しでも、欠片でも、こういうことって思ってしまうものだろ。
だから、これ以上入って来られるのは困るのだ。嫌われたくないから。みんなの事が好きだから。
それでも突入してくるのなら。戦争だ。
相手の意識に悟られる前に飲みこむしかない。
無論相手にとって飲みこまれるということは、戻ってこれなくなるということ。
戻って来れても、人格が変貌してしまうかもしれない。
あのゲートはやはり境界線で、あれより向こうはもはや共有などと言う生易しいものでなく、汚染区域なのだ。
もって1分。ダンなら5秒。
僕と彼らの関係性では、向こう側でクリーンなまま、自我を保てる許容時間はそのぐらいだろうと思う。
だから止めておけって、そう僕は諦めをもって忠告を……いや、どうせ僕の声など届きはしない。
彼らは、彼らなりの答えを持って、戦っているにすぎないのだから。
流氷に乗って、霧の向こうから現れたサイレントアバランチの長距離狙撃が、ヴェーロノークの背面スタビライザーを吹き飛ばす。
五つもの戦艦をかみ砕き、ギガベースの半分をガリガリと削って、その間にしこたま弾丸を、レーザーを浴びてなお突進を止めないスティグロがSoMの足を砕く。
その巨大なブレードで、無数のミサイルと六つの主砲撃を受けぐちゃぐちゃになりながら、それでもがむしゃらに、スティグロはSoMにくらいついた。
まるで、子供のようだ。
やめてどこにも行かないでって。大切な人がどこかへ行ってしまわないように、片足にしがみつく子供。
まあ、実際の光景はそんな生易しいものではなく。
ほら、思考をダンのいるSoMのコックピットに向けてみれば、ダンは片足からぶしゃぶしゃと多量に血を流している。
脛の骨が見えるほどの大けが。
あれだけの、巨大なものを動かすためには相応のラインが必要で、フィードバックは殊更激しい。
それでもダンは耐えている。このままでは失血死?否ここは夢の中。ことリンクスに至っては精神力が物を言う別次元だ。
特にダンはバカだから、心臓が止まる、脳が破壊される、そんな100%致死性だって言い切れる大けがでないと止まってくれない。
たぶん自分がケガを負っていることに気付いていないのだろう。
ダンは声を張り上げ、潰れた足をそれでも前へと踏み出すのだった。
そんな彼の姿に誰より心打たれているのはアブ・マーシュだった。
白い部屋で、無数のモニタレイヤを前に、ただ立ち、思考をフル回転で拳を握り、時折、肩を震わす。
あれだけ、この作戦に消極的であったというのに、今ではなんとかしてやり遂げたいと、ダンのために一心不乱なその姿は本物だった。本物のオペレータだった。
ミッションを遂行したいリンクスと、リンクスの目的を遂げさせるために全力で支援に走るオペレータの関係。
とても、懐かしい。とてもとても。
しかし、どうする?このままではじり貧もいいとこだよ。
それを分かっているから、アブ・マーシュは唇を噛んでいたのだ。
なんとかここまでやってきた。
だが、もう手詰まりだ。と、ここで悲観にくれる弱い人類はもういない。
全ては一人のイレギュラー。世界を変える、世界を壊す、イレギュラーなのだ。
この状況のどこまでを理解しているのか。全てを打破する策を提案したのは言うまでもない。
あのイレギュラー(ジョシュア)である。
≪私が飛ぼう。私が探そう。“彼”のいるところまで、君たちを連れていく≫
ジョシュアは言う。
≪私には分かる。彼が今どこで何をしているのか ≫
ホワイトグリントがこちらを見つめている。
うん。一度、彼には会っている。
だからだろうか、彼には僕が見えている。
彼だけが、僕を見ている。リンクしている。
想えば、始まりはあの喫茶店だった。
床に広がる血だまり。そこからこの夢は始まった。
それから少しのインターミッションとともに、彼らの到着とともに戦争のリバイバルが開始されたのだ。
僕が命をありったけ踏みつけにしてきた数々のミッションの再現。
ただそれだけが、ダンやメイやエイ、そしてウィンとの、今でも最も強い繋がりだった。
だから、彼らに僕を見付けることは、たぶんできない。
全ての起点はやはり、僕がリンクスとなったあの場だから。あの、最初のシュミレータであるのだから。
その場を知る者は、もうここにはいない。もう正攻法では立ち帰れない。
唯一、勝算があるとすればやはりジョシュアで。
彼にはゴールが見えているから。場所ではなく、僕自身が。僕がどこにいるのか。どうすることが、最善なのか。
人を助けるために、自分がどうすればいいのか、ジョシュアはもう分かっている。
彼は僕を助けようとしている。彼にしてみれば、僕なんてただの他人に過ぎないというのに。
≪私には分かる≫
ジョシュアが僕を見ている。
でも。
でも、足りない!
最短距離で汚染区域を駆け抜け、そして僕を連れてここまで戻ってくる? それじゃあきっと間に合わない。
メインゲートに張り巡る濃霧の、わずかに見える向こう側には無数のミッションがひしめいている。
全てはラインアークへ到る道。
それを逆走するのはいい。ジョシュアなら文字通り首輪付きまで最短距離で駆けるだろう。
起点に立ち帰るのは良い。だが、首輪付きを拾ってしまえば、全てのミッションが今一度アクティブになる。
フリーに、好き勝手ミッションを選択できるのは終わった世界の特権だ。
だから物語のスタート位置に今一度主人公を連れていけば、抜け道は消え、もう一度全てのミッションを相手にしなくてはならなくなる。
NEW GAMEと言うやつだ。
そうなればラインアークまで。一つ一つミッションをこなすことになる。
むろんそんな余裕はとてもではないが、ない。
戻って来れない。クリアの問題ではない。
時間が無いのだ。そうこうするうちに、上層の上層、すなわち現実から声がかかっておしまいだ。
電力、あるいは冷却の問題かもしれないが、確実に訪れる物理的なタイムリミット。
だから。
≪だから、力を貸してくれ!≫
ジョシュアは言うのだ。周囲の仲間に向けて、呼び掛けるのだ。
言葉は、不要ではない。一人で背負いこむこともない。
≪私が彼のいる場所へ行く。
到着したら今持ちうる最大火力で私を狙え。あのゲート越しに、私までの世界に穴を開けるのだ≫
それは、つまるとこ索敵装置(リコン)の代替である。ホワイトグリントと言うネクスト大の索敵装置。
アブマーシュと最も強いラインがあり、かつ僕の位置が分かるジョシュアを、トレースし、撃つ。
弾丸はラインアークのゲートから何層かのミッションレイヤを破壊し、ジョシュアへ目掛け飛ぶだろう。
すなわち穴が開くということだ。首輪付きまでの、最短距離が。
≪そして開いたそこから首輪付きを引きずり出せ≫
しかし、そんなものは机上の空論。どこにそんな兵器がある?
≪しかしいくらなんでも火力が……≫と、アブ・マーシュは言い淀む。
あの砂漠で、未確認AFをぶった切ったブレードでも、SoMの六連大キャノン砲も、届くかと言われれば無理がある。
彼らの持ちうる全ての弾丸を一斉射撃しても、ネクスト大の穴がどこまで開くか、怪しいものだ。
だが、
「…ふん。面白い! ああ、面白いぞ!」
と、不遜なその声。
「道を作る良いものを私は持っている」
その声の主は、王小龍である。
まだ終わらない。
現実からの逆襲は続く。
夢が悲鳴をあげている。
胸が、ざわつく。
いまどき珍しい電動ではない車椅子が、きいきい音を立てつつアブ・マーシュの横に並ぶ。
意識の共有を許容し、アブ・マーシュの階層まで降りてきて姿を見せた王小龍。
そして、彼につき従うリリウム。
それから王小龍は一冊の本をアブマーシュに渡した。
いや、本ではなかった。それは設計書だ。
元来、空に穴を開けるために作られた究極兵器。
「これ、エーレンベルクの――」
「そうだ。エーレンベルグだ。もってこいだろう? なにせこの兵器は、もとより停滞した世界を砕くために作られたのだから」
≪イヤァ、待ってたぜ! そういうの! 出し惜しみやがってジジイが!≫
瞬間、反応する青二才。
≪オレに持たせろよアブちゃん!≫とダン。
≪では開いた穴には私が潜ろう。私が一番早い!≫とウィン・D。
≪だったら今から左舷と正面の敵(ザコ)は私に任せて!≫とメイ。
≪それでは今より右舷と正面の敵(ザコ)は私が引き受けます!≫とエイ。
一切の躊躇なく、皆が皆、自身の役割を判断し、理解する。
知恵と知識、技術と勇気。人間換算で8人分。
たったそれだけで、世界をこじ開けようとする彼らの行為に、僕はとても胸がいっぱいになった。
まったく、涙がこぼれるよ。
あとは、もう全部任せよう。
みんなの好きなように。
どうか。
どうかこの幻想に風穴を開けてくれ!
≪鍵はセレンなんだウィン・D。今の彼女を連れかえれば、我々の勝利だ≫
≪了解≫
ジョシュアのそんな助言に、ウィンはふっと笑って。
≪ああ、なんて不思議なの? あなたと戦えたこと、私は誇りに思うよホワイトグリント。幸運を≫
かつて時代に楔を打った最高傑作のネクストがリコン代わり。
ゲートをふさぐGW内部へと侵入を開始したホワイトグリントの、マップ上の緑点がみるみる遠ざかっていく。
「「――――不明なユニットが接続されました。」」
そして転送され来るエーレンベルグとSoMのドッキングが開始する。
そんなSoMの護衛に回るネクストが二機。
合間、レイテルパラッシュはSoMのカタパルトにセット、背にVOBを装着する。
「「――――システムが深刻なダメージを受けています」」
急速にSoMが、天をも穿つ巨大な砲を組み上げていく。
狙いはラインアークのツインタワー。本来直上を向くはずのエーレンベルクのレールがハイウェイと並行する。
SoMの6本ある主砲からはまるでボイラーのガス抜きパイプのように、砲口から緑色の光子を噴出していく。
後は、
飛ぶだけ、
打ち抜くだけ、
守るだけ、
連れて帰るだけ。
―――ホワイトグリントは単騎で世界を駆け抜けていく。かつて彼がそうであったように。
アンサラーの下を、
グレートウォールの内部を、
カブラカンの横を、
それからランドクラブを潜り抜け、
イクリプスを踏みつけ、
クレイドル飛ぶ大空を飛翔し、
スフィア施設を跨ぎ、
ドルニエ採掘基地を横切り、
B7を進み、
そして、もう一度、ラインアークのハイウェイを。
その全てを。
その全ての軌跡を、捕捉し、
全てのステージを圧縮し、
全ての始点と終点に線を引き、
全ての座標を揃え、全ての自由度を事細かに調整し、
その全てを、嵌め込む。
全ては一直線に。
今も、ホワイトグリントが通った道を束ねていく。
何枚も何枚もレイヤを重ねて。
傍らSoMはエーレンベルクを構え、ひたすらにエネルギーを蓄積していく。
超高高濃度のコジマ粒子。砲塔はすでに溶けだし、今や腐食しきった鉄パイプのようだ。
それでもエーレンベルクの矛先は微動だにせず、SoMはひたすらにエネルギーをかき集めていく。
そんなただただ狙いをつけ、撃つその瞬間だけのため、銃となり発射台となるSoMのその姿勢を崩されないよう、二機が護衛に飛ぶ。
右と左と、共だって正面を、カバーし、もはや自身が生き残ることを一切考えない特攻を仕掛けていく。
自機を守る暇があったら殴る蹴る。踏みつぶし、瓦礫で押しつぶし、無論銃も使えばミサイルも使う。
今の今まで生き残ることを考え、APを減らさないことを第一に戦闘してきたその二機が、今やその全てを、攻撃に費やしていく。
みるみる減る両機のAPはしかし、同時に津波のように押し寄せる敵の群体をこれ以上なく圧倒していた。
今こそ、全てを投げ打つ時。そう判断したのは、むろんエイとメイだけではない。
唯一、カタパルトのみをシールドし、溶ける端から、またシールドを重ね、その道を守る。それ以外は、力の一切をエーレンベルクの駆動に費やすSoM。
その指令室、すなわちダンの繋がれたコックピットは、もはや逆流どころか、いたるところから光が噴き出している。
ダンの髪は逆立ち、あるいは頭皮ごと溶け頭蓋をさらして、右目は瞼を亡くし頬の肉には穴が開く。
胸はアバラ骨がむき出しに、肺のふくらみが見える。隙間の心臓は止まる端から、電流でバチバチと強制駆動している。
鉄の意志でも持って、鉄の精神で持って、ぐつぐつ煮に立った鉄の魂でもって、SoMを操り、エーレンベルクの引き金を引き絞る。
瞼の無い眼はどんなに乾こうが閉じることはなく、標準が赤くなるその瞬間を見定める。
さながらゾンビのごとく。
さながら、あの機械男(オールドキング)のごとく。
いや、真逆だ。
外面を硬く鉄で塗り固めたオールドキングとは全く逆を行く、真に熱い内側。鋼の精神力が、蕩ける肉体を凌駕する。
気付いているか。なあ気付いているのかダン。
君が、今日この世界で最初にビビって喰われた存在に、お前は確かに肉薄して、―――いや、もう超越しているよ。
これも一つ。
人の成長。それは、僕が忘れていた彼らの武器だった。
そんな、彼らの夢がついに結実する。
≪届いたぞ! 撃て、ダン!≫
もはや声も聞こえぬほど遠く、シグナルのみを寄こすジョシュアの、その合図をアブマーシュが伝う。
≪いっけぇええええええええええええええええええええええ≫
もはや音ではない、何か別のものを震わすダンの咆哮。
二対のメインタワーごと、そこにひしめく数多の負感情ごと、何枚も重ねパッケージ化された世界を、エーレンベルクは打ち砕いていく。
≪あとは任せたぞ。ウィン・D≫
≪ああ、任せろ!≫
そいて射出されるレイテルパラッシュ。
いつかのような、破れかぶれの片道切符ではない。
往路である。
勝利へ向けて、ウィン・Dはダイブした。
/
――――と、まあ“入口”でそんなことが起きてるなどと、てんでお構いなしに、その時俺たちは俺たちで最後のミッションを遂行中なのだった。
さあ、いよいよ最終幕。これで全てが終わるのだ。
覚悟はいい?
では。その扉を開くといいよ。
/ →第∞階層に 俺たち はログインしています。
何もかもが反転しただけの、一枚の鏡の前で佇むがごとく。
裏っ返せばまったく同一存在のストレイド。対ネクスト戦用ストレイド。
裏っ返せばまったく同じフレーム。
裏っ返せばまったく同じチューニング。
裏っ返せばまったく同じ武器。
裏っ返せばまったく同じ戦法。
裏っ返せばまったく同じ挙動。
裏っ返せばまったく同じ戦闘思考。
裏っ返せばまったく同じ軌跡を描く弾丸。
裏っ返せばまったく同じ軌跡を残すブースター。
とどのつまり表裏一体。
どれだけ撃っても、弾丸が相手に届くことはなく、どれだけ動いても、相手の側面にすら廻り込めず、ずっと同じ点対称。
そんな、いつまでも続くと思われた不毛な戦闘は、しかし次の瞬間、崩壊した。
「ほら見ろよ、アレ」
オレは銃口でもってそれを指し示す。初めて、重ならないその動作。
銃口の先。それは一枚の扉。いつの間にか出現していた扉だった。
ただただ立ち尽くす、変哲ないその扉を特異点が静かに押し開いた。
姿を現す、一人の女性。
その人の名は言うまでもない。
息を切らして、動かない足を引きずって、半ば這い蹲るように、扉にすがる彼女(セレン・ヘイズ)。
それでも、ここまでたどり着いた君を。
ペタンとその場に座り込んで、こちらを眺める君を。
首輪付きは欲したんだ。
本物のセレン・ヘイズを。
だから頼んだんだ。オールドキングに。
攫ってもらったんだ。
その後、彼女がどうなったのかは知らない。
この場に来る道程は分からない。
もしかすると、もう僕に出会っているのかもしれない。
しかしどうあれ彼女は辿り着いた。
決して立ち止まらず、挫けず、折れず、辿り着いてくれたのだ。
そのことに俺は感謝する。本当に。
ああ、セレン。
ああ、セレンさん。
俺。いや。なんていうか。
ずっと、待ってたんだ。
この瞬間をこそ、ずっと待っていたんだ。
「はは」
笑みがこぼれる。
―――ありがとう。
本当に、ありがとう。
これで俺の勝利が確定した。
「アハハ」
まったく、涙がこぼれそうだ。
俺は、ゆっくりと銃口を向ける。他でもない彼女へ向けて。
それを見てうろたえる首輪付きが一人。
「な! どうして」
……そうだよな。分からないよな!
俺が何をするつもりなのか、首輪の付いたあんたには理解できないさ。
今の今まで、寸分違わぬ行動をしていたわけだが、その不文律はいとも容易く途切れて消えた。
この、なんと罪深い行いは人類種の天敵と言われた俺にしかできない、首輪付き(あいつ)には絶対できない芸当だ。
それは心を壊す試み。
かつて俺は、そうやって首輪付き(じぶん)を殺したんだ。
対首輪付き専用、必殺技。
―――セレン殺し。
アレだけ続いた死闘は、こうして、彼女の登壇によって、あっけなく終わりを告げる。
首輪付きはセレンを守るために文字通り盾となって、彼女の前に立ち塞がり、俺は俺で淡々と、上下に左右に飛び回り、敵の攻撃を自由気ままに避けながらセレンを狙い続けた。
ただただセレンだけを狙い続けた。
それを首輪付き(あいつ)は良しとしない、好きでもないのに見過ごせない。
弾丸と弾丸が空中で正面衝突、なんて奇跡はもう起きない。
見ているものが違うのだ。
あいつは俺を狙っているが、俺はあいつを狙っていない。
アサルトライフルは規則正しくタンタンとリズムを刻み、放たれた弾丸の、その一切はセレンへ向けて飛翔する。
けれど打ち出された弾丸がセレンに届くことは無く、全てを、あいつの機体(ストレイド)が一身に受け止めた。
それこそ、足で膝で腰で腹で胸で肩で腕で首で頭で。
粉となる指。
弾ける眼球(メインカメラ)。
オイルが首から滴り落ちて、胸の穴へと流れていく。
ギシギシと異音を発する腰。
砕けた膝はもはや支えていられないほど。
今ここに鏡は砕けた。
立ち塞がるあいつの機体(ストレイド)に穴がみるみる増えていく。
節々からバチバチと火花が散ちった。
後方の彼女を慮って、プライマルアーマーは展開すらしない。
馬鹿だ。たかが夢の世界で汚染を気にするなんてどーかしてる。と、俺は笑うが。彼は心底大まじめだった。
大真面目に、首輪付きはセレンを守っている。身をていして。
大いなる献身。それを愛と言うなら聞こえはいい。いいが、なあ、まだ分からないのかよ。
その執着が首輪付きを殺すんだ。殺したんだよ。
こうして。
ものの数秒。
あいつのストレイドはもはや反撃もできないほどにぼろぼろで、すでにその複眼は半分が光を失い、左手は垂れて半壊。
右手のライフルも盾代わりに弾を受けたせいで、銃身がひしゃげてしまっている。
さあ、幕引きだ。
タン―――。と最後の一発を撃ち終える俺のストレイド。
むろん弾切れなのは直感でヤツもわかるだろう。
だから俺は背中のオーバードブーストを吹かすのだ。
ヤツのストレイドはもはや動けないから。
俺がヤツに向かっていかなければならない。
俺もお前も、現実にはいらないんだよ。
そうして。
そうして俺は、そして奴は、ともに役立たずとなったライフルを、相対するストレイドに向け突き立てた。
がしゃり、と。装甲を突き刺さるアサルトライフル(マーヴ)。
引き抜けば黒い油が霧のように噴出して、そして彼のストレイドは終に膝をつきかけ、けれどひしゃげた右膝は耐え切れず、緩慢に崩れ落ちていった。
無様に倒れたストレイドを見れば、ちゃんとコアに大きな穴が開いている。
これで、よし。これで、セレンが、彼に会える。
ぼろぼろのコア這い出てきた首輪付き。
左手はぶらんとして、ただ肩から垂れ下がって、筋肉は伸びきっている。
右腕も、かろうじて動く程度のようで、彼は邪魔な瓦礫を背中でもって押し上げて。
コアから転げるように地に落ちた。そんな彼の右足に足先は無く。
アサルトライフルの弾丸による連撃か、それともダメ押しの一撃によって押し潰されたのか。
なあ、見ろよ。伝説だろうが英雄だろうが、こんなもんなんだよ。
人はとかくに脆い生き物なんだ。と、しみじみ思った。
ふいにセレンが立ち上がった。
今の今まで、ストレイドの陰で下半身をへたらせていた彼女。
半ば呆然と、俺たちの戦争を見届けてから。
セレンは、はっと気がついて。
セレンは、すっくと立ち上がって。
そして彼に駆け寄ると、崩れ落ちる彼を抱きあげた。
そして俺はちょっと嫉妬し、ストレイドとのリンクを断って一息。外へと降りるのである。
「どうして。どうしてだよ。僕は、君を――」と、腕の中で弱音を吐く首輪付き。
それは彼女がここに来たことに対してか、あるいは、もっと別の後悔だろうか。
俺には分からなかった。伝わらなかった。この後悔は、この無念は、彼だけのものらしい。
「ごめんね。私は、あなたが思っているほど強くはないのよ。
だから。
―――もう、待ってなんていられなかった」
気付けなかった事を罪と思う。
それは翠色の光子に体をみるみる蝕まれていくセレンに、気付くことのできなかった首輪付きであり。
それは泣くことすらできぬほどに病んだ首輪付きの、その心に気付くことのできなかったセレン・ヘイズである。
この二人は別世界(ルート)でありながら、ずっと同一線上にいた似たものどどうし。
そして交わることは、二度とない。たとえ夢の世界であろうとも。
彼の横にいていいのは、気付いて欲しいと願った彼女で。
裏っ返せば、今の彼女のそばにいていいのは、……ほら、分かるだろ?
ごほッと首輪付きが黒い血を吐く。
首輪付きは。
「一緒に生きていきたかったんだ」
セレンは。
「本当にごめんなさい。」
……そんなふうに謝らないでくれよ。
首輪付きは。
「セレン。君が好きなんだ」
でもセレンは。
「そうね。私も好きだった」
――でも、“セレン”は。
「けれど、もう、好きじゃない」
静かに、終わってしまった首輪付きとの関係を断ち切った。
うん。これでいい。これでいいんだ。
死ななくてよかった。殺さなくて本当によかった。
いいや、殺さなけりゃよかったって、ホントはそう後悔すべきなのだろうがね。
ここに、長らく伸びていた別世界、とある首輪付きの後日談は幕を下ろす。
「そうか。振られてしまった」
思えばずっと、彼はこの世に未練を持っていた。
助けられなかった“セレン”をいつまでも追いかけていた。
さながら鎖で繋がれた獣のごとく。ベッドで横たわるセレンに囚われ続けた。
そうしてそれは、今やっと。まったく馬鹿みたいだけど。
まっとうに、人並みに失恋して。
いつまでも保留にしていた大事な大事な宝物のような一つの青春を清算した。
大人になったと言い換えてもいいかもしれない。
それから、まるで何か肩の荷が下りたかのように、ふっと、目を閉じて。
「ありがとう“セレンさん”。……ああ、これで。やっと」
宇宙へいけるよ。
と、最後に感謝の言葉を残して、跡形なく。彼は煙のように四散した。
やがてセレンは立ち上がる。
次は俺。彼女の前に立つ。
数分前まで、ずっと、赤く点ったロックカーソルの中央に据え、狙い続けた女である。
セレンは言った。今にも泣きそうな、震える声で。
「あなたは、私のことを、いつでも、殴ってくれて構わなかったんだ。
思い切り、殴ってくれて構わなかったんだ。」
そして笑った。
これは分かった。
俺には分かった。
それは大戦時代のことだろう?
ああ、セレン。
お願いだから。
そんなことを言わないでくれよ。
「そんなこと、できるわけないじゃないか。君は俺の憧れなんだからさ」
「うん。……白々しいね。私を殺しておいて、良くそんなことが言えるわね」
確かに、と、俺とセレンは泣き笑う。向かい合って。面と向かって。俺は言う。
「なあセレン。人生なんて、そんなものだよ」
こうして、俺は。
/* →第∞階層にセレン・ヘイズはログインしています。
それから。
彼もまた煙のように姿を消した。
一人、残された私であるが。私は、もう一人ではなかった。
どこからともなく現れた、白いカラスがかあと鳴く。
そして私は世界が砕ける音を聞いた。
カラスがとまったガラクタと化していたストレイドを、もろともまるまる吹き飛ばす閃光に目がくらむ。
一瞬目をつぶった次の瞬間には目の前に大きな穴が開いていた。
何もない空間にぽっかりと。穿たれた穴。まるで氷の張った湖の、湖面に穴を開けて釣りをするかのよう。
飛び込んできた釣針はネクストの形をしていた。
私も知っている、レイテルパラッシュ。
私の目の前に膝を付いたレイテルパラッシュの緊急ハッチが開き、簡易式の昇降ペダルが延びる。
「乗れ!早く!」
ひょこっと顔だけを出して、いつでも凛々しいウィンが私を呼んだ。
ああ、そうだ。帰らなくては。
胸の高鳴り。確かな感情。彼は、今私の中に居る。
見付けたんだ。取り戻したんだ。あとは、私が。
彼を、私の世界へ、みんなの世界へ、現実の世界へと連れて行こう。
もう一度、手をつないで。
幻想は崩壊を始めている。
いたる空間にヒビが入り、メキメキとねじれ、崩れ、ありえない別世界(ルート)の記録がかき消えていく。
帰らなくては。
痛みある現実へ。
歩むべき未来へ。
皆がいる、輝かしい日々。
すなわち生きるということだ。
私はウィンの手を取った。
さまよう魂は、こうして―――。
/
―――――――――セレン・ヘイズと再リンクしました。
/* →Natural enemy
こうして、俺は。
こうして、俺は懺悔する。
セレンの足元に跪き、下腹部に顔を押し付けて。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
セレンは、俺の頭をぎゅっと抑えて、ありがとうと言った。
言ったと思う。言っててくれたら嬉しい。
ぽろぽろと涙を流しながらのセレン。
そっと頭をなでられて。僕は嬉しいと尻尾を振るのだ。
「セレンさん」
あんなに赤かった世界は、今や白く、眩しい。霞む。
もう、何も見えない。もう、何も聞こえない。
けれど。
俺は――。
僕は、こうして人に戻ることができました。
光の中でごめんなさいともう一度だけ呟いた。
それは、もちろん、僕の、かつて愛し、そして殺した―――。
白いカラスがやってきて、声高にかあと鳴く。
「さよなら」
さよなら未来のセレンさん。
俺はこうして消えました。
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