Written by へっぽこ
冬は。
なんとなく気が滅入る。
北風の冷たさが、私の心まで冷やしてしまうからだろうか。
いや、ドーム状のこの街に外界の風がそのまま入り込んでくることはないので。
北風というのも実のところ、フィルター越しにしか味わえないのであるが。
なぞとポエミーな心情に、真面目な突っ込みをするちょっとめんどくさい自分は放っておいて。まずはホットなコーヒーで温まろう。
湯気と香ばしさが立ち上る、マグカップの柄は私お気に入りの百合の花。
それを両の手のひらでそっと持ち、かじかんだ手を温めながらに口元へと運ぶ。
一口。
こくりと喉を鳴らして。私は静かにほっとする。
もちろん、ブラック。
この、苦くて、ちょっとぐえぇっと来る感じにも、この一年でだいぶ慣れました。
ていうか。あれ?
なんか今日は一段と飲みやすい、ような。
そんな些細なレベルアップに私はひとりほっこりする。
あゝ、わたし。
なんだか少し、大人になったみたいです。
/
あの日以来、ウィンさんがチームに加わった。
とはいえ、私たちの中で誰よりも忙しい彼女が、喫茶店に現れることは少なく。
なかなか面直で話をできずにいる。
それでも、チーム“リリィ”の良心として。
特に最近は姦しさにかまけつつあった会の空気を、わびさび溢れる凛とした態度で引き締めてくれていた。
あ、ちなみにチーム・リリィとは、私が勝手に心の中でそう呼んでいるだけのことですが。
ともかく。
とにかく忙しいウィンさんは、テクノロジーを駆使して、時に声で、時にメッセージで。
時には、そう、今のようにホログラフィーで。私たちと戯れてくれる。
「一番残念なのは、コーヒーを自分で入れなければならない点かな。」
ウィンさんは言う。
今、この卓にはエイさん、メイさん、私がいて―――。ウィンさんはただの投影立像。
とうの本人は遠い彼の地にて、携帯端末をテーブルに置き、お茶しているに過ぎない。
むろん注文なぞしたところで、彼女のもとに届くのは最短でも明日。
料理を瞬間移動させることはさすがに今の世でもできはしない。
「豆は直接あいつに融通してもらったのだけどね。自分で淹れてみると、これがまた……。なかなかどうして物足りないんだ。水が違うのかな?」
マグカップを掲げてみせるウィン様。今日このお茶会において、現地には来られないことを彼女はわかっていた。
そのために準備を進めてくれていたのだ。
「んんんー。きっと物足りないのは、コーヒーを差し出す美人な給仕の笑顔じゃないかな? 私みたいな」
と、エイプーさん。
「いいえ。物足りないのはこういう時に、すっと角砂糖やミルクを渡してあげる、可愛い友人の気遣いね。私のように」
と、メイさん。
そんな、今日も今日とてぐいぐい来る二人を前にウィンさんは苦笑しながらも、
「エイ、今日も笑顔が素敵だね。メイ、いつも優しさをありがとう。でも今はブラックを飲みたい気分なんだ」
かようにイケメンっぷりを披露するのだった。
笑う。
皆、笑顔。
朗らかな表情。そう表情が本当にみんな、豊かなんだ。
ふと。
私はウィンさんに向けて手を伸ばした。
むろんホログラフなので、私の手はそのまま彼女の体に触れることなく透過するだけである。
「ん? どうした?」
そう、ウィンさんは微笑みながら言う。
「いえ。物足りないのは、触れようと思えば触れることができる、その距離感なのかと思いまして。」
思いがけず、そんな真面目なことをいう私。
「ああ、そうだね。離れていると、笑いながら肩をたたくことも、泣く人の涙をぬぐうことも、いとしい人の髪をかき分けることもできない。」
そういって彼女は私のほほに手を伸ばす。むろん、その手が私に触れることはない。
「私。またウィンさんと、直接会って話がしたいです。」
うん。
「リリウムはウィン様に会いたい。」
「ありがとう」
そういって、ウィン様は笑うのでした。
朗らかに、朗らかに。
/
日暮れが近づき、
「じゃあ、そろそろ任務に戻るよ」とウィンさん。
「しまった!今日は事務所に顔出す日だった!これにて!」エイプ―さん。
「私もちょっと買い物をする予定なので、ここらで失礼しますね」メイさん。
そうして、
一人、また一人と席を立ち。
「ええ、ごきげんよう皆さま。またお会いしましょう」
ついに私一人だ。
席を移る。
二人掛けの隅っこの席へ。
カバンから小説を取り出して、私はおひとり様モードに移行する。
家に帰ると、明日の準備とか、そういうことを考えてしまって、いよいよ今日が終わってしまう気がして。
まだ何となく今日を続けたくて。私は居残ることにした。
そうして私はページを繰りつ、すでに2時間はいるこの喫茶店に居残ることにしたのだった。
おっと、読書モードのその前に。
私はマグカップをもってカウンターへ。
「ますたぁ。コーヒーのおかわりをちょうだいな」
ってね。
/
気が付けば、
楽しく語らいだその喧噪も、今となっては夢のよう。
入店はとんとなくなり、ひとりまたひとりと退店していく盛りを過ぎた宵の喫茶店は、その寡黙さがちょっと寂しい。
ページを一つ読み進める。
目線は物語を追いかけ、傍らでマグカップを手探る。
口元へもってきてようやく、空であることに気が付いた。
私は開いたページをそのままに、本を伏せ、マグカップを持って立ち上がった。
エイさんが今日早めに上がったことは知っている。
だから、おかわりは自身のカップを持ってカウンターへ、と。
そう思い、立ち上がって気が付いた。
ドキリとするシチュエーション。
いつの間にか店内にはお客が二人。一人は私で、もう一人は―――。
私はちらちらと目線だけで、もう一人のお客を気にかけながら、マグカップをカウンターに差し出した。
「おかわりを、くださいな」
そうして、コーヒーが出てくるまで、カウンターにもたれつつも横をちらちら。
もう一人のお客さんを盗み見る。
しばらくして、コーヒーの香りが一層深くなったかと思えば、
「はい、どうぞ」
新たな一杯の出来上がりであった。
「ありがとうございます」
と受け取った私にマスターが言う。
「ちょっと倉庫に行ってくるから、追加で注文があったら少し待ってもらえるかな?」
「ええ分かりました。でも今は、このコーヒーがあれば十分です」
私は並々注がれたマグカップを主張して微笑む。
マスターはにこやかに頷いて、奥に引っ込んでいった。
まさか。
まさかまさか!
こんな機会が巡ってくるなんて。
いや、それはある種当たり前のことだった。
だって私がこの喫茶店に入り浸るのは、もとよりそれが始まりであったから。
あの人に会える。
それが一つ、モチベーションだったんだ。
そして今、図らずも店内で二人きり。
私と、あの人。
二人きり。
私の席とは、対局に位置する、店のカウンターの、隅っこに。あの人が。ぽつんと。
私の憧れ。
想い人。
そう。
―――セレン様がおりました。
セレン様はノートパソコンを前に、キーをカタカタ叩きながら、その表情はころころ変わる。
むーと口をへの字に、眉間にしわ。かと思うと、にっと破顔し、キーの音がカッタカッタと心なしリズムが刻まれて、次の瞬間にはぽーっとうっとり、頬を桃色に染めたりなんかして。
ステキなその百面相に私は心奪われ、いつまでも見ていたい衝動に駆られるのであるが。―――あるが。
どうしよう。
ちょっと話しかけてみようか。
いや、しかし。
でも。
うん。
今、マスターはいない。
いつだってあの二人は二人でいる。
たとえ一人客のセレン様と、一人の喫茶店マスターであろうとも。
互いが互いを――それは本当に些細なものだけど――気にかけている様子がある。
その、どこか入り込みにくい何かがいつもある。
だから、今は本当にチャンスなんだと、私は思ったのでした。
よし、と小さく手にグッと力を入れて、カチコチの足をギクシャク動かして、セレン様の元へ向かう。それから。
「あの、こんばんは――」
そのなんとも頼りない声掛けに、「うん?」と一瞬にしてシャッキリ凛々しいセレン様。
「あ、久しぶりだね。こんばんは」
挨拶とそれからセレン様は私のマグカップを見やり、
「そこ座っていいよ」
と、親しげな表情とともに隣の席を促すのでした。
そんな彼女につい見惚れてしまうリリウム。
ふいにあたりを見回して、セレン様は顔をこちらに寄せ小声にて。
「あぁその。サイン会だけど。来てくれてありがとう」
そう少しだけ照れ臭そうに口にする、やさしいやさしい感謝の言葉にキュンキュンする。
「……ないしょ、だからな? 特にあいつには」
肩をすくめて人差し指を立てるセレン様。
そのままマスター不在のカウンター向こう側をちらちら見遣る彼女に私は。
「彼は知らないのですか?」
「ああ、知らせてない。私が作家をやっていることを、あいつには知らせていないんだ。」
え。どうして?
「どうしてですか? 彼なら全力で。」
うん。すごく癪だけど。
「彼なら全力で応援してくれると思いますよ。なんでしたら今日、私からお伝えしても……」
「それはダメだ」
と、彼女は自分の正体がばれるのを拒んだ。
「でも、いつかはバレてしまうと思いますよ?」
「うん。いつかはね。ちゃんと言うつもりではあるんだ。でも、なんだか言いそびれてしまって。それに。」
「それに?」
「その。はづかしくて。物語の内容が内容だし、イメージじゃないっていうか。あいつの、ほら、なんていうか、私のイメージって。さ。クール系っていうか、な? 分かるだろ?」
所在無さげに両手の指先をもてあそびながら、セレン様は顔を赤くした。
え。
え、え、え。
いやいや待って待って。
可愛すぎるでしょそのしぐさ!
反則です。はんそく。
ちらっと一瞬。流し目、上目遣いがちにこちらを伺うセレン様。
ああ。
あゝ、もうダメ。
ダメだってば!
私。私ほんとうに好きなんだ。その可愛いしぐさが。思考が。お姿が。
そのくせ、凛として、まっすぐで、冷静で、大人な一面もあって。
でも傍ら柔らかい絵本書いたり。やりたいことにてらいがなくて。
そんな彼女の在り方、考え方、感じ方が。
そのどれもこれもが。
なんだかとってもいとおしい。
ほんとうに本当に私は好きなんだ。
「わかる……よね?」
とか。そんな念押し。
ちょっと止めてよセレン様。
もう私。
好きがあふれて、もう!心臓ばっくんばっくんで。
そしてついに。
「す――」
「す?」
小首をかしげるセレン様。
ダムはこうして決壊するのだ。
「好きです。私、大好きなんです。」
あなたのことが、と、本当は続けたかったけれど、
「―――あなたの物語」
結局、そう落ち着いた。
照れくさそうに頬をかき、セレン様はぽんと私の頭を撫でました。
「ありがとう。リリウム。」
その。至極大人で。柔らかい表情で。優しい声音で。
そして私は。
そしてわたしはぁ!
全力で彼女に抱き着いたのであった。
ひし!と、しばし。
そして、
「何、やってんの?」
と、どこかおずおずとしたマスターの声を聞いた。
ぴーぴーぴー、ぼぼぼぼぼ
/
その日の夜。
ああもう、私ったら。
「ばかばか」
とベッドで枕を抱っこして、ごろごろ転げてついでに足をばたばたさせる。
「なんでうまくいかないのかしら」
あの場で真実、つまりリリウムがセレン様を好いていることを告げたとして。確かにその瞬間、“私も”とか、“じゃあ付き合おう”とか。
そうはならないことぐらいリリウムだってわかってる。
別にセレン様とあいつの関係を壊すつもりは毛頭ないんだ。
野郎とセレン様の関係性はこれ以上ないくらい知っているんだ。
だからこそ、嫉妬しちゃうし、なんだったらあこがれてしまうところでもある。
けれど、ともかく、私としては。
リリウムとしてはただちょっと振り向いてほしい。ただそれだけなんだ。
や、そういう意味では最後の抱っこちゃんはある意味良かったのかもしれない。
まあ、次につながることはないけれどね。
伝えないデメリットなんて、何もないはずなのに。
「恋とはそういうものです。どれ、今日は私が添い寝してあげましょう」
ロッキングチェアで絵本を眺めるメイドの冥ちゃんは、ふいに立ち上がって、メイド服そのままに私のベッドにもぐりこんできた。
「むむむ」
ああ、不本意ながらも、こうして誰かの腕の中で丸まるのは心地良い。
これがあの人の腕の中ならもっと。と、そう思ってしまう私は割かし欲張りな人間なのかもしれない。
ごろごろ。
/
そうして、また次の季節がやってくる。
春。
今日も今日とていい天気。
さて、と。
私は、とある喫茶店の扉を開いて―――
私の物語は続いていく。
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