Written by へっぽこ
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残された私たちに対しての、突然の電話。
手に取った黒電話の受話器を耳に当て、そしてメイは固まった。
どうやら相当に予想外の人物からの電話らしい。
ん?
いやいや、ただ彼女の知らない人間であるだけかぁも。
ともかく。
メイのそのとぼけた横顔がおかしくて、私はケセラセラ笑う。
メイは「はい」と電話の出掛けに答えたばかりで、もしもしに続く二の句も告げずに、耳から受話器をそっと外した。
それからゆっくりと振り返り。
「えっと。あなたにって」
片手に受話器を差し出した。
「えー、だあれ?」と、聞くも、彼女黙って首をふるふる。
私は受取った受話器を耳に、螺旋状にみょんと伸びる線をくるくる人差し指に巻きつけながら。
「はいはーい。お電話変わりました。エイちゃんっす。どちらさまぁ?」
などと砕けた返事をしたりして。
そして。
『――私のことを、君はまだ覚えてくれているだろうか?』
そして私は思い出すのである。
私自身が、何者であるか。何者であったのか。
おっと。
なんと。
まにまに「とても、懐かしい声ね」とか、言ってみる。
『そうだな、本当に。私は昨日のことのように覚えているが。君はそうではないのだな』
昨日のことのように。あるいは、文字通り彼にとっては昨日のことなのかもしれないけれど。
例えるならそう、十年の昏睡を経て目を覚ました皇子さま。
彼にとっての昨日とはすなわち。いや、もう、時などという概念がこそ無用の長物なのだ。この場において。
過去も今も未来もすべて、私は私のものであって。
その一瞬だって分けてやんない。私はとっても強欲なのだ。
ほら、時は金なりって言うでしょ?
私は思いそぞろに「まあねー」とか、相槌して見る。
あなたとは別段親しくも無かったし。長い付き合いでもなかった。
一度だけだ。
たった一度だけ、共に戦ったことがあった。
それは、かの傭兵や、首輪付き、なんて無敵のアイドルがいない“主役”不在の過去の出来事。
あるいは、この電話の主自身が主人公していた、ひょっとすると、未だ国境が機能していたほど昔のことだったかもしれない。
かすかにあるのは私がまだまだ子供で、そして初陣であった、という記憶がのみで、あとは一切。
場所はどこで、敵は何で、どんなミッションであったかすら、私は覚えてはいない。
だって、緊張していたから。いっぱいいっぱいだったから。
初めての戦闘。そりゃがちがちにもなろうってなもので、あさっての方向へ放つミサイルは綺麗に飛び交っては、知らず知らずに敵を撃破するのだった。
それでも、唯一。記憶に刻まれているのは僚機のこと。
僚機として戦ったことのある人間を私は決して忘れない。
それはきっと私が生来の支援機乗りだからだ。
たとえいっときの関係であろうとも、主人格となる僚機の癖や性格を細かに観察する癖が私にはあって。
だから私は忘れない。いつか共に戦った首輪付きのことも。そして、この電話の男のことも。
もしかしたらどこかでもう一度共闘ということもあるかもしれない、と、私は記憶の片隅に今日の僚機を書き留める。
ミッションの始まる前から、戦闘モードの入り前から。
それはつぶさに、見て、少しでもフォローに回ろうと思って、戦いに臨んで、――と、いうのは、まあ半分くらい嘘です。けれども半分は本当です。
建前で隠したもう半分は、以下の通りだ。
フォローではなく、足手まといにならないこと。
それが真相。びくびく震える無能な私の深層だ。
何せ性根からしてコバンザメだ。あなた様のお腰につけたきび団子が欲しいのだ。
だからせめて、邪魔と罵られないように―――。
それを支援といっていいのかは微妙であるが。それでも、私はずっと、常に誰かの僚機で有り続けた。
それはまた同時に私自身の性能が、単騎ではあまりに薄いということの証明でもある。
単騎では決して戦果をあげることは適わないと、私はレッテルを貼られている。
乗れるだけではダメだった。私は、兵士として、戦う才を欠いている。
そんなことはとっくの昔に気が付いていて、ブートキャンプの時分から。
どうあっても、どうあがいても、戦えば戦うほどに、シミュレータでは黒星が積み重なるばかり。
ああ私は決して、主人公にはなれないのだ。と、どこかニヒル気取って、かっこいいことを思ってみる。
言っとくけれど、これは自虐じゃないですよ?
私がここにいるのは、そんな、ある意味で“才能の無さ”のおかげなのだから。
だからこそなのだ。初陣にてあてがわれた、新兵の私に手っ取り早くリアルの経験値を与えるがための、対国家戦線企業リーグの最高戦力。
鋭角ピラミッドの頂点。
『君の力を貸して欲しい』
と、電話越しに彼は言った。それはきっと、いつか私たちが男に打診したに違いない言葉。
そして、今自分にとっては久々の。
ほほう、なんとも懐かしい。
それは依頼のお電話である。
もちろんその申し出を受けるのはやぶさかではない。無いが、当然。
「報酬は?」
私は聞き返す。
対価は必要なんだ。だって私はそれでもプロだし。ロハではそうそう動かねぇのである。
『君は何が欲しい?』
あらら。
私にそんなことを聞くなんて、きっとあなたはモグリなのね。
「そりゃもちろん!」
世の中にはね。
お金じゃ買えないステキなものが、たぁくさん有るんだよ。
⇔
――チン。と、お行儀良く受話器を置いてから、黒電話をごと掴んで。
「それ!」
ひょいと投げ捨てる。
がちゃこーん、と後ろでガラクタになる黒電話をよそに、私はお気に入りの髪留めを口にくわえてから、自慢の髪をかきあげて、そして束ねた。
ポニーテールを手櫛でなでながら、ふと横目でメイを見る。
メイはぽつんと、ぽかんと、やはり立ち尽くしており。
「まるで…」
「まるで?」
“別人みたいだ”と。メイはその目で訴えた。
「あ、いや。なんでもないです」と、視線を泳がせてメイは口を噤むけれど。無駄である。
「どの辺が“別人”だって思ったのですか?」
私は彼女の素直な感想をサルベージするよう、ずずいと彼女に迫ってみた。
「え? え?」
と、うろたえるメイの、その眼はちゃぁんと私の問いに答えている。
回答:“若い”
「えいっ!」
と、チョップをかませば「ひゃん」と鳴く。とても可愛げあるメイである。
その眼は“なんで?”と疑問形。
「あのねぇ、私たちの意識は今、機械通してリンクしているんですよ? 顔見りゃ、だいたい考えてることくらいはわかります」
「あ」
そうか、などとポンと手を打つメイをよそに私はんー、と伸びをして。
「“はじめまして”メイ・グリンフィールド。本日の僚機を務めます。エイ・プールと申します。どーぞエイと呼んで下さい」
ぱっと右手を差し出した。
「あ、はい、よろしくお願いしま、す? ん?」
未だに要領得ないメイであるが、かまっている暇はない。
私は“パイロットスーツ”の胸ポケットから携帯電話を取り出した。
エプロンはとうに消えている。服装もすでにこの通り。
そも“その昔”、私はエプロンなどつけたことがなかったしね。
「あの…」と、なにやら口にしかけるメイに対して、人差し指を立てて口元へ。それから「しぃ」と一言。
片手取り出した携帯をピポパといじる。
設定変更。表示時間を変えましょう。
ピポパピポパと私は時計を戻していく。
セットする。
××年○○日△△月。それは、とあるミッションの行われた日付である。
作戦時間は□□□□時きっかりで、だから私はその一時間前に携帯の時計をセット。
……ハイ、完了。
そうして。設定変更を終えたそのままの携帯で、私は電話をかけました。
それは、私が良く知るとある人。私をよく知るオペレェタ。
二度のコール音が響いて。
「はい。こちらオペレータ。ていうか、なんで携帯なんか持ってんの? あと一時間足らずで作戦始まっちゃうよ」
「うん。知ってる。」
いつもどーりの聞きなれた声に安心する。
作戦成功。想いは通じたのだ。
私は携帯を耳から離して、ちょういちょいとメイを手招き。
「メイさんメイさん。ちょっとこっちに来て下さいな」
言われるまま、ととと、と駆け寄るメイのその手を取って、そのまま強引に引き寄せる。
「ひあ」とかいう悲鳴をかき消すように、ガバッと私は彼女を胸に抱き込んだ。
ぐるりと彼女の首回りを通した手でもって電話を続行する。
私は目を閉じた。
「さあ教えて? 私は、今、どこで、何をしているの?」
怪訝そうに、私のオペレェタちゃんは答えた。
『…はあ? 決まっているでしょう。あなたは今“ガレージで、ヴェーロノークの前にいる”』
言うがごとく、解体されていく喫茶店と、組み上がるガレージと、鉄の相方。
彼女のセリフが最後の後押しになったのだ。私のオペレェタちゃんを首輪付きは知らない。
だからこそ、この電話の向こう側にいるオペレェタちゃんの一言は、足先を首輪付きの中に浸からせている私にとって、思い込むには、自惚れるには最高の代物なのである。
「ええ。その通り。だって、今から戦争しに行くんだもんね。ありがとう。おかげで思い出せました」
『へんなの』と、いうつぶやきを聞きながら、ピ、と私は携帯を切った。
そして見渡す。そこは、懐かし……くもなんともないアイアンホーム。
インテリオルのネクストベース。第二管区。通称『Aプール』。
三機まで同時収容可能なそこに、立ち尽くす青と白の、丸く緩やかな曲線たたえる鉄の巨体。
キョロキョロとあたりを見回すメイの両肩をポンと押し、体を離して。
「次はあなたです」
言いながらヘッドセットに片手を当て、トントン。私は彼女(マーシュ)を呼びだした。
「一機、頼みます。メリーゲートをAプール(ここ)へ」
注文への返答は簡潔に。≪了解≫と頭の中だけで響く。
そして無次元のノイズを伴って、二番機のスペースへと広がるデータフレーム。
それはゆっくりと、誰かの頭の中を手探るように、転送されていく。
その光景に、メイは「あ」と小さくこぼした。
足先から平面2000rpmで回転し展開するフレームが、秒速30ミリの勢いでもってメリーゲートを組み上げていく。
やがてそろう二機。
一番機にヴェーロノーク。
二番機にメリーゲート。
なんとちぐはぐな組み合わせだろうか、と思う。
なんていうか、決定打にどうあっても欠ける感じ。
それでも二機。時代を生き抜いた世界最高水準の戦力、AC類ネクスト目に属する二機である。
「ねえ。これからどうするの?」
メイが問うた。
答えて私は。
「私はかつて首輪付きの僚機を務めたことがあります。ですから今から私のその時の記憶を再現しようと思います。彼の記憶と私の記憶を重ねて。
……でも。きっと彼は現れない。彼は今自分を見失っているから。それではきっとミッションはなりたたない。半分しかないから。
私が僚機としてそこにあるには、主人格が必要です。そこにいるべき何かがないと“場”は崩れてしまうと思うのです。
そこであなただ。
強引ながら、つじつま合わせがしたいのです。
あなたも、彼と共闘したことがあるのでしょう?」
こくり頷くメイ。私は続けた。
「あなたの、その彼との共闘を、私のそれに上乗せようと思います。」
共に僚機。駆け抜けた時代のほんのひとかけを持ち寄って、一つの形にする方法。
不足分は首輪付き。未完と未完の世界を繋ぐ。
故に、出来上がった場はおのずと傾くはずなんだ。
そうそれは、先のマスター不在の喫茶店で見たブラックホールよろしく。
きっと彼に向けて穴があく。
そこをこそくぐろう。
それが本作戦の概要である。
何となくだけれど、わかってきた。この場が、どういうものであるのか。
ひどく定性的だがわかってきた。
やおら機体が組み上がる。
おん、ゆあ、まーく。
「……メイ。私の隣に並びなさい」
げっと、せっと。
「はい。」と彼女は答えた。
ミッション、開幕である。
――そうして。
期待しているところ悪いのだけれど、戦闘描写など綴るまでもなく。
すべては目論見通りに。
私とメイは構築した過去世界(ミッション)でノーマルとハリボテランドクラブのはびこる砂漠を、なんの苦もなく乗り越えていく。
別になんてことはない。
そのミッションに関して言えば、それは私とメイの世界(もの)であって、首輪付きのものではなくて、そして共に、現実世界でクリア済み。
ランクでいえばSである。
もともとそういう判子が押されているのだ。
首輪付きの手によって。
自身のマインドワールドにおいては、もはやノーマルやらランドクラブやらは、私にとっては案山子に等しい。
相方が首輪付きでなくとも、ちゃんと私は自分の勝利をイメージできるし、それはメイも同じだろう。
ここはバイパスにすぎない。瓦礫にまみれた廃路を迂回する新道に等しく。
だからここでの戦闘には意味がない。誰とも戦っていないからだ。
自分で的を置いて、打ち抜いているに過ぎない。
そう問題となるのは、このバイパスを超えた首輪付き(むこう)側の未知領域での戦闘だけだ。
それ。気ままに放ったASミサイルが、最後のノーマルをぶち抜いて、こうしてマッチポンプな作戦行動は終了である。
そして切り替わるスイッチ。私の左耳に、メイの右耳に、それぞれ入る“セレン”の通信。
無論それは、現実の彼女ではおよそなく、いわばレコーダーに等しい。
かつて我々が耳にした、セレンが彼に宛てた勝利宣言の木漏れ日だった。
だからきっと、私とメイとではそのセリフには差異があって、けれどどちらも宛名は共に首輪付きであって、変哲ない労いの言葉は真に宛てられた聞き手を探して、ついには私とメイとの世界を逸脱する。
――トンネルが開く。大きく。
潜るのだ。深く。
とたん世界が暗転し。そして構築される。
アブ・マーシュでもなく、
メイ・グリンフィールドでもなく、
私でもない、
それは十全、彼の世界。
喫茶店(エントランス)より、回り道してたどり着いた。
第二幕。
ふと眼を開けると、私たちは長い長いハイウエイにいた。
隣を見れば、メリーゲートが同じく立ち、そして彼女の緑の機体後方には延々と海が続いていた。
ぽつぽつとビルが群生する海だ。
ああ、ここって、と、私はもう一度正面を向く。
遠方に昂然と立ち並ぶ、二つのメインタワー。
まるで門のようだ、と私は思った。
“一線は越えるな”
思い出す。マーシュの忠告。
おそらく。この場が境界線だ。
まさしく私の狙い通り。潜りぬけたトンネルの先、彼を閉じ込める彼が世界がここにある。
――その。
≪アナタ達は、ライ■アー■の主 領域ヲ侵犯し――マす≫
――ただなかで。
≪スミ――ニ退……し ■だサイ≫
――しかし。
≪サモ …■バ、実力で排除■■ス≫
私たちは。
言ってしまえば最も遭いたくない、最強の敵と邂逅したのだった。
やはり門番はいた。
それは一機。
白い鴉がかぁと鳴く。
やれやれ。
さ、君ならどうする?
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エイからの通信は、どこか私の知らぬガレージからのものだった。
いつの間にそんな場所へと移ったのか知らないが、私は彼女の呼び出しをなるべく早く切り上げる。
言われるがままメイの頭からメリーゲートの設計図を抜き取って、ほぼ自動的に私の脳から部品を横流していく。
そんなメイ&エイの戯れる“モニター”をタッチパネルよろしく空中でピンと振り払って。
私は正面、一等でかいモニターを注視する。
宙を漂う、厚さの無い無数の画像のその一つ。
もっとも大きいメインモニターに映されているのは砂地を駆けるアッシュである。
モニターはセレブリティ・アッシュを背面から、俯瞰視点で追ってる。
その隣、サブには三次元マップと上に連なるは各種情報のリストツリー。
さらに上いった先、振り払ったメイエイコンビのモニター等が郡を成して浮遊しており、そのうち二つはメインが今や砂嵐状態だ。
アッシュが駆け出してから、彼の世界でもうじき三秒が経過する。私は声を飛ばす。遠い遠いダンへ向けて。
「――前方にクイック! このまま地上を突き進め」
ドン、とセレブリティアッシュはクイックブーストを吹かして、ターゲット間を少しだけ縮めた。およそ0.31415926535秒。
もちろん、ターゲットまで早く辿り着きたいだけならば、空を行く方が断然早い。が、しかしそれではダメなのだ。
現状において、省エネはスピードと同じくらい、最高位の肝になる。
辿り着けないのはもってのほかだが、辿り着けても、倒せなければ意味がない。
勝つためには、ある一定のタイムラインを越えて、ある一定量のエネルギーで持って、蟹の甲羅を砕く必要がある。
それは逆説的に、あるタイムラインと、ある量のエネルギーが確保できていればそれでいいということ。
それ以上に縮める必要はなく、それ以上に集める必要もない。
ただ両方ともクリアすること、その一点に尽きるのだ。
だからこそ無用に空を進む必要は皆無である。
使うブースト(もの)はノーマルとクイック。PAも最低限、風を切る前方にのみ展開する。
それでもタイムラインは超えられるはず。
だから後はとにかく温存。エネルギーの容量確保に尽力する。
撹拌する粒子に圧かけて、チャンバー内いっぱいに整えておかなければならないのだ。数秒後に待ち受けるその瞬間まで。
ブレードを残して武装は全てパージした。
ライフルなどお呼びじゃない。少しでも軽く、少しでも低負荷に。
また必要とあらば、私がその場で転送して見せよう。
―――あと七秒。
「へい背中と右腕に違和感が―――「かまうな。まっすぐ走り続けろ」
さえぎる。余計な会話に割く時間も手間も思考も無い。イエスsirと答えるダン。
わかっている。ダンの感じた違和感の原因はもっぱら私にあるが、けれど計2テラバイトのデータフレームなんて重みにはならないわけで。
そんなわけで今はCADだけ。
バラバラな十六面ルービックキューブを整えるがごとく、データを組み上げていく。だが実体化はまださせない。
まさにそれを実体化させる瞬間こそが私にとっては勝負なのだ。
愚直に、砂を巻き上げながらアッシュは全速力で前進していく。
「左にクイック二つ」と、指示を飛ばす。
ドン、ドン、と二発。進行方向をそのままに平行移動するセレブリティアッシュ、――の正面。
半身を砂に埋もれさせながら、滑り台のように、向こう側へほとんど横倒しに傾いている廃ビル。角度にして三十。
そこへ向けてアッシュは駆けていく。
―――あと六秒。
「前方に倒れたビルが」
「いいから!」
そして私はこの一時、意識からアッシュを手放して、そのビルに集中する。
ビルの両脇にレールを延ばし。ビルと砂のつなぎ目をステンレスで詰めならして。表面には時間の許す限りDLCコーティングを施して。
想像するままに、アッシュの駆ける世界をがつがつと見てくれを改造していく。
私は願ったのだ。アッシュ正面、横倒しのビルを巨大なスロープとすることを。
その意図は。
「仮説発射台だ。そのままターゲットまで飛べ!」
伝える。真意を。万全でないコーティングを未だ進めながらに件のCADに意識を戻す。
―――あと五秒。
「合図に合わせてオーバードブースト!」
「了解!」と、ダン。
私は頭の中に、赤いボタンを創造し――。
「二、
一
今」
押す!
―――あと二秒!
きゅんと凝縮するオーバードブーストの輝き。
CAD展開済みのデータフレームは瞬間実体化し、噴出したオーバードブーストのエネルギーを吸い上げ、取り込んで。
「う、お」
スピードと重さにあえぐダン。
それは。白い大翼の。
大きな羽ばたきめいた、たった0.5秒間のVOB。
一瞬の展開と推力をのみ残して実体化したばかりのVOBは爆散する。
破片(はね)は宙を舞いながらに風を切るアッシュの背面に発生する渦にからめとられるように追従し、おのずと左手へと添う。
一度弾けたVOBは欠片となって、アッシュの左腕に取り付き、唯一残した武装ブレードに沿ってその形を変えていく。
一秒。
ついに目前にまで迫った愚鈍な鉄の黒い蟹。
ブースターは全線カット。もはや推進力は慣性のみ。凝縮させたエネルギーの残りすべてを、今こそ爆発させるのだ。
炉心から血液のごとくマッハで駆ける翠色光子、その全てを、砕けたVOBを纏った我ながら不細工すぎる歪な左腕へと叩き込め。
ビルを発射台に飛び出し、宙を行くパチンコ玉のようなセレブリティアッシュは、きれいなアーチを描きながら、蟹の背をかすめるように飛び、
「なぎ払え!」
と、私が言うまでも無く。
アッシュはその大刀を振りぬいた。
ブレードというには余りに荒々しい鋸めいた巨大な光の一刀で持って、蟹の側面から背まで、そのことごとくを―――凪いだ。
瞬間。
爆音と共に、黒い塊は真にただの黒い塊へと変貌する。
ぱっくりと大きく開いた傷口から覗く蟹の中身は、まるで蟹自身がペーパークラフトであるかのようにからっぽで。
外からテクスチャ張られただけのデータブロックのごとくペラペラである。
それでも、それはこの場においては確かにランドクラブそのものであり、外見ごつごつと硬い外骨格は何も無いはずの内部から爆発を引き起こしていく。
爆轟は背にしょった卵、起動すらしていない球形の謎兵器まで伝播して、一つ、また一つとポップコーンよろしく爆ぜていき―――。
「……馬鹿な」
0.02秒。
ボーダーとしたタイムライン内にきっかり留めた。だのに。アレは起動しやがった。
なんと悔しい負けの感覚。
「畜生!」
アレを飛ばさないことが唯一の勝利条件であったのだ。
それは残り刹那と迫った起動を前に、回路を駆ける電流がアッシュの大薙ぎを上回った結果だが、そんな馬鹿な話があるか。
目を凝らす。
唯一機。
翠色の目玉が、確かに浮かび上がっている。
アッシュの武装は今やオーバーヒートで光波を整える制波ソケットが溶けた鈍器めいたガラクタ纏うブレードのみ。
ジェネレータも負荷限界をゆうに突破し、チャンバーを溢れた火炎はたやすくバックファイアし、逆流、インマニ内は第三層まで緊急シャッターを降ろして強制停止中。
単純に熱を取るだけでもまだ数秒はかかる。
それまでアッシュは動けもしない。
「どーなってるッ?」
ダンが叫ぶ。炉心が止まっているんだ、カメラすら今は起動していない。
セルを回す最低限のエネルギーを残して、もはやアッシュは張り子のトラだ。
ライフルを転送したところで撃てやしないし、もう間に合わない。
ずぼらな首輪付きは、まるで私たちをあざ笑うかのように、いともたやすく自身の過去を捻じ曲げた。
起動までの時間を、それもマイナスで振るとは。
こうなってはもうお手上げ。
首輪付きのいい加減さを甘く見た。
読み込む部品の性能数値があまりに精確であるから、きっと過去ミッションすら100%の精度で持って再現するだろうと踏んだのは買いかぶりだった。
でもそれにすがらずにはいられない。もとよりこれが唯一勝てる方法だったのだから。
「残念だ」
呟く。それは私の敗北宣言。
計算式が一つある。変数はダン。しかし、値は今や最悪の値。
導かれる答えは一つ。敗北以外にはあり得なかった。
「ダメだ! どうにかしろ!」
それでもダンは諦めない。ある意味、敵が見えていないからこその諦めの悪さなのかもしれないが。
無茶な注文だった。私は口をつぐんだ。
これは彼のトラウマを振り払うチャンスだった。
首輪付きに間接的に追いつくチャンスだったんだ。
まだ、届かないのか。
私は。
ダンは。
足りないのか。
「じゃあ、何が足りないって言うんだよ!」
意味もなく張り上げた。空しく響く負け犬の遠吠え。
モニターの向こうでは、緑の濃さが増していく。砲撃までのカウントダウンが続き、動けないダンの勝率は0.00000 とそこまで考えて、有効数字を一桁に、0%でQED。
私の答えは出た。だがダンはもがくのだ。哀れにも。
「まだだ、まだ。くそ。見えないぞ。頼む、頼むよアッシュ!」
依然、アッシュのメインカメラは復調せず。
空には、地上で固まる鉄人形を憐れむ鉄の目玉。
光を吸い込むように、目に見えて毒々しく、塊を形成する翠色の瞳。
もはや砲撃まで二秒もない。アッシュは空の目玉とは対照的に未だ目すら開けられず、行動不能のままである。
くわんくわんと独特の起動を見せていた目玉が、ぎょろりと光り輝き、めいっぱい開ききった瞳孔をアッシュへと固定、し、今、まさに光槌の一撃を放たんとした、
――その、
瞬間。
≪爪が甘いんだよ、雑魚が≫
聞こえてきたのは、たいそう不遜な声だった。
聞いたこともない声だ。少なくとも、私は。
≪あんまり不甲斐ねーから助けてやるよ、弱小ヒーロー≫
それは影だ。
まるでその場に元からいたかのように、サブモニター三次元マップに突如現れたネクスト反応。
不確かな周波数帯から無線を飛ばして、いや、飛ばしているのは電波ではなく思念だ。
憎まれ口を叩きながら、アッシュの頭上にて輝くソルディオスオービットへと、それは背にそびえる二対の砲身を倒して。撃つ。
重なる銃声が響く中、放たれた弾丸は瞼を最大限に開けた目玉の弱点たる緑の瞳を軽々と打ち抜いた。
タイミングが完ぺきだった。あるいは当たりどころも。
きっと、まぐれなのだろう、それを実力と断ずるには余りに証拠不足だ。
それでも、切り捨てたはずの0.000001%は翻った。
ひねりのないスナイパーキャノンの砲撃で、目玉はぼかんと火を噴いた。
弾着の瞬間、蓄えた緑光が破裂して、それはまるで自爆でもしたかのように。
目玉はひび割れた外殻をばらばらと散らしながらに、炎を撒き撒き浮くのをやめた。
ごすんと砂の上に落ちてごろり転がり爆発炎上。
二発の弾丸と、ものの数秒。
ダンの恐怖の象徴はこうして、ただただ彼の与り知らない、手も出せないような外部からの横やりで砕かれたのだった。
ある意味それはかつての現実(ミッション)の再現のようでもあった。ダンは勝てぬが、傍らの誰かが打ち壊す。
結果として、歪にゆがんだ目玉の、無残なジャンク品の出来上がりである。
≪死に腐れ≫
誰にともなく放たれたつぶやきを聞く。
ペッと唾でも吐いていそうな、そんな捨て台詞を放つunknownを、新設したモニターにて確認する。
その外観から記憶インデックスを探る。
私が今までに目を通してきた一切のネクストリストを、空中でばらばらと撒き散らして、
「見付けた」
私はそれを“思い出した。”
機体名:レッドキャップ
パイロットネーム:アンシール
それは。
かつて世界を変えようと人知れず動いて、本当に誰にも知られることもなく、あっというまに砕かれた、とあるチームの一員だった。
≪オラ、さっさと次行くぞ、次≫
いらだたしげにアンシールは叫ぶ。突如に重力は消え、砂が浮かび上がって世界を覆い隠していく。
≪ああ、くそ痛い。頭が痛い! 夢(ここ)でもか!クソッ!≫
チッとこれ見よがしに舌打ちするアンシール。
おそらく、彼の適性は低いのだろう。慢性的な精神付加が、すさんだ心を練り上げた。
痛みがイライラを生み、口悪く、ガラ悪く、頭も悪く。
しかしアンシールはそれでも、自身の目的を失わない。崇高だと信じてやまない理念を秘め続けている。
まったく、誰かさんのようだ、と思った。
まあ、その誰かさんの場合、足りないのはAMS適正ではなく直接的な戦闘力であるのだが。
モニター上の、彼らの世界が塗り変わっていく。
我々はこのある種暗闇めいた悪ガキによるイタズラ空間において、ついに光を得たのだ。
前向きな心が呼び起こされようとしている。
私は。
かつて私は、“画面”の向こう側で二つ見てきた。
ジョシュアの敗北と、アナトリアの二人の敗北を、見てきた。
けれど。
今度こそ。
勝てるのかもしれない。そう感じていた。
≪勝つ! 勝つんだ! そうだろ?≫
ダンが言う。
繋がっているからなのか、まさかダンがこの場で“勝つ”と口にするとは思わなかった。
私は答えた。
「もちろん。初めから負ける気なんてさらさらないわよ」
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