Written by へっぽこ


「声が聞こえたんです。」

深刻な表情で部屋にやってきたかと思えば。若い整備士の青年は、そう唐突に切り出した。
彼は怯えきっていた。
「真夜中に。あの機体から、声が。」

まあ。
そんなこともあるだろう。
あの機体は、手を変え、足を変え。頭を変え、心臓をも変えて。
交換に次ぐ交換で、もう原型なんて残っちゃいない。名前だって異なるさ。
しかし。それでも、ずっと。我々とともにあったのだ。

引き継ぎ、受け継ぎ、やってきた。
つまりは、それなりの数、人の死を吸っているということだ。
殺し殺し、殺され殺され。
もちろん殺した数に比べたら殺された数はずっと少なく、オレ自身、そうならないようにと細心の注意を払って勤めてきたわけだが。
それでも、いくつかの命はあの機体の中で消えた。

「なんだ意外だな。霊感があったとは。それともオカルトに興味があるのか?」
オレは笑い、大いに笑い、その青年の肩を叩き、がくがくと揺さぶった。
こういうときに掛ける言葉は決まっている。
「気にするな」
そう言ってオレは、ホイル焼きしたじゃがいもにバターを添え、青年にビールと共に押しつけた。

飲んで食べて、飲んで食べて。
腹が膨れるほどに、話は弾む。とても、たわい無い。
語らい、笑い。
なお飲んで。
とめどなく注ぎ込まれるアルコールが、感受性豊かで聡明な若い脳を瞬く間にぼやかしていく。
次第に整備士の頭は揺れ始め、ろれつが回らなくなった頃に、オレは青年の尻を蹴飛ばし自室へと追い返した。
ふう、と一息。
グラスに残ったビールをあおれば、なんとぬるいことか。

まったく。
声なんてものは、そのうち、ずうっと聞こえるようになる。
気にさえしなければ、それで良い。この世界では何よりも鈍感さこそがものを言う。
かく言うオレは人一倍鈍感で、オレを包む肉はなおのこと分厚い。

だからきっと、心にも脂肪が付いているに違いないのだ。

     /

好きなように生きる、それを信条に生きてきた。―――つもりでいた。

しかしだ。
そも好き勝手生きる人間に付き従ってくれる人間などそうはいない。
そこに信念が有るわけではないから、日々の生活は明日の生活を紡ぐためだけにあって、生産性はなく自堕落だ。
はっきり言って、自室に籠もってひたすらにポルノを漁っては股間をまさぐるだけの輩と大差はない。
揃えたポルノは汚れたティッシュと共にゴミ箱行き。後には何も残らない。何も。
いや、それ以前に。
好きなように生きる。
なんて、それははっきり言って世間を知らない子供の考えだ。

大人の君なら分かるだろう。
好きなように生きる。
それが如何に不可能であるかということに。

テレビを付ける。
美女を前に、美系の色男が甘い言葉を吐いて、熱烈なキスを。
チャンネルを変える。
クォーターバックが一瞬の隙をついてスクランブル。ディフェンスを飛び越え、エンドゾーンまで一直線に駆け抜けていく。スタジアムは割れんばかりの歓声に包まれて。
チャンネルを変える。
身体は鋼、頭脳は人類の頂点。異常をきたした旅客機を不時着させ、座礁した船は陸地へといざなう。そんなスーパーヒーローは二次元世界の住人であった。

     ◇

朝、目が覚める。
一日が始まる。
さあ、何をしようか?

顔を洗って、朝食を食べて、歯を磨いて、着替えて。
仕事に出かける。
いや、出かけると言っても、オレの自宅は職場を兼ねているから、外階段で下まで降りればそれが職場だ。

今日はブリーフィング。明日のミッションに向けて綿密な打ち合わせを。
段取りを再確認し、議事録の発行は早々。書面のチェックと押印しコピーを取ってファイリング。後は輸送機の点検だ。
燃料と油脂類は今日中に整えておく必要があるし、ローターを目視でチェック、エンジンはニュートラルでレーシング、異音や咳き込み具合を確認し――。
オレはため息をついた。

工具片手に油まみれ。夏もツナギで排ガスを吸う。
ひとたび飛び立てば最悪死。対空砲火がオレを狙う。
これが。
これがオレのやりたかったことか? 
本当に、好きで始めたことなのか?
その自問自答を、オレは一体いつまで続ければ良いのだろうか。
答えは未だに出せないでいる。

そこで、希望を求めて、街の子供たちに聞きました。
あなたの夢は何ですか?
彼らは目を輝かせて曰く。
スポーツ選手、宇宙飛行士、パイロット。
大いに結構。世の中、まだまだ捨てたものじゃないねとオレは思った。
だが、いったいどれだけの人間が、その通りの職に付けるというのか。

続いて、救いを求めて、学校へも行けない、とある廃墟の子供たちに聞きました。
あなたの夢は何ですか?
彼らは虚ろな目で真摯に答えた。
大金を得ること、お腹一杯食べること、楽に生きること、楽に死ぬこと。
オレは安堵した。

そうしてオレは思うのだ。
いったいどれだけの人間に、“好き”な夢をみる余裕があるというのだろうか。
大人になればなるほどに、可能性は消えていく。
少しづつ、出来得ることは減っていくのだ。
物理的に、体力的に、知能的に、才覚的に。
そもそも生まれた瞬間から、可能性は消えている。

それでもオレは、なるべく――“なるべく”などと前置く時点でたかが知れるが――好きなように生きる、それを信条に生きてきた。―――つもりでいた。
若い時はそれで良かった。まだ、いろんな可能性が残されている気がしたから。
毎日、ただただ生きるだけ。
無為に。精一杯、生きる。
自分のためだけに生きるだけ。
それでも、まだ大丈夫だって、そう思えた。
好きなように生きる。
その呪文は言い訳として、まだ十分機能していた。

しかし、実態は違う。
今思い返すと、どこまでが自分の“好き”の範疇であったかが分からない。
そもそもの話。
なぜ、オレは運び屋(ストーカー)になったのだったか?
それはオレの“好き”であっただろうか?
そうすることでしか生きることができなかったから、運び屋になったのではなかったか?

好きなように生きるには、まず生きねばならない。
まず生きること。
まず生きること。
前提に生がなければ、好きなようにもクソも、修飾語はつけられない。
まず生きること。
まず生きること。
そのためには銃を、兵器を、武装ヘリを、アーマードコアを、傭兵を。
手に入れ、磨き、明日のために生かすのだ。
オレがこれからも生きるために。

そのようにして。
生活の基盤をACによる傭兵稼業と置いてしまったからには、明日のためにもAC乗りには死でもらっては困るのだ。
だから、生かす。
当然である。
失ってしまうことは少なくない。
死、とまではいかなくとも、精神的、肉体的にACに乗れなくなったり、そんな切羽詰まってなくたって、待遇の如何で他所へ異動するそんな奴までいた。
一方で、幸運なことにも、オレはこれまで多くのパートナーと巡り合うことができた。
時に裏切られたこともあった。喧嘩別れすることだってあった。
が、それでも、今までのパートナー皆にオレはとても感謝している。
稼いでくれて、ありがとう。

とはいえ、次もまた別のパートナーに巡り合うことができるのかといえば、そんな保証はどこにもない。
傭兵稼業が長くなれば長くなるほどに、オレのせいで割りを食った人間だって増えるのだ。
有名になればなるほど、危険は右肩上がりで増えていく。
だから助ける。
ひとたびパートナーとなった人間を、オレは助ける。
何が何でも。
明日も明日で頑張って戦ってもらうために。

つまるところ、信頼できてそこそこ活躍できるAC乗りは貴重なんだ。
巷ではオレを幸運を運ぶ男など呼ぶ節があるが、それは違う。
オレ“が”幸運なのだ。
オレほど幸運な男もいない。
なんとかここまで生き残れた。
それが何よりの証拠である。
傭兵業が軌道に乗ってからこっち、食に困ったことはない。

しかし。
しかしだ。
時折想う。
生き残ったからって、それが何になるというのか。
今後も同じように働いて、それで何がどうなるというのか。
引退した先、何があるというのか。

オレが残したものは何だ?そんなものはない。
何かを作ることも、育てることも、守ることもせず。
何かに固執することもなく、追わず、拒まず、流れのまま。
好きに生きてきた。結果がコレ――脂肪の詰まった腹なのだ。
オレの夢とは何だ?
分からないんだ。

オレは。
オレはあの娘を引き止めるべきだったのかもしれない。
あの娘が留まってくれていたならば、あるいは、何かをこの世界に残すことができたかもしれない。
血や遺伝子に乗らないオレの情報を伝え残すことができたかもしれない。
託すことができたかもしれない。

オレに子はいない。別段誰かを育てたこともない。
オレの血も、思想も、結局オレの代から先へは受け継がれない。
好きに生き、好きに死ぬ。
只々生き、只々死ぬ
オレに歴史はない。古きも新しきもなく。
断絶された時の中で、今を自由に、いや、自由なふりをして生きるのみである。
だからこれから先も、オレは変わらず繰り返すのだろう。
引退をちらつかせながらも、ACを運んで、ACを運ぶ。

いつまで?
死ぬまで。

最後にひとり。
あなたの夢は何ですか?
彼女は首をかしげて、うーん、と唸りそれから答えた。
「マグノリア」

     /

夜。
件の若い整備士の相談が気になって、ふと、ガレージにやってきてしまった。

“声が聞こえたんです。真夜中に。あの機体から、声が。”

一応の確認である。
それが真にオカルト的な話であれば最良。
あるいは、彼の幻聴によるものであればまあ、まだ良いほうだ。メンタルのケアはしよう。
最悪なのは、工作員。
結局のところ、悪意ある人間が一番の脅威だ。

だが。
そこに居たのは、そのどれとも違う異質なモノだった。
扉は開いていた。
そして、中に一歩踏み出す、と―――。

音。

聞こえる。
意味不明な、音。
決して小さくない音量で。
いや。声、か?
声なのか?
この不快な何かは空気を濁らせる。

声。

聞こえてくる。
これがあの整備士の言っていた声なのか? 人の?
獣とも違う。叫び? 慟哭?
なんて気持ちの悪い。周波数。音程。音色。
色は黒。
そう、どす黒い色。
それは、ぶよぶよの腫瘍。
焼けただれた肉の皮。
粘り気があり、腐臭がする。

音の出どころは明らかにACのコックピットだ。
ハッチは開いている。
オレはタラップを上る。
かつん、かつん。
「ひ」
すると、足音に気が付いたのか、声がぴたりと止まった。
タラップを上り終えると、静寂。
当たり前だ。ここは真夜中のガレージ。本来ならば、誰もいないはずで。
機体の中をのぞく。
そこには。

女の子が縮こまっていた。

シートに座って、足を抱えて、じっと、前を見据えて動かない。
ごくりと、オレは唾を飲んだ。
「――何を、やっているんだ?」
ぐるんと首が回り、こちらを覗く彼女。
夜光灯に照らされ、青白く無表情なその顔は、まるで亡霊。
「ここが私の居場所。安心するのよ」
オレは彼女が本当に同じ生き物なのか、不安になった。
「今、声が……」
「声?」
彼女は、きょとんとしている。

不意に彼女は立ちあがると、ひょい、とコアから飛び出し、オレの脇を器用に潜り抜け、軽やかにタラップを駆け降りた。
そして、一度だけこちらを振り向くと。
何かをつぶやき、そのままスキップで行ってしまった。

―――嵐が来るよ。

オレは一人、格納庫に取り残された。


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