Written by マサ


 彼女を拾ってしばらく後のこと、結局ネクストフレームは人を乗せての完成を待つことなく、コロニー・アスピナはオーメルサイエンステクノロジーに接収された。ただし優秀な技術者を多く抱え込んだアスピナは研究所そのままにオーメル社の1部署になるという、他のコロニーと比べれば破格の待遇での接収になった。
 その一因はやはり建造が終わってリンクス待ちとなったネクスト『プロトタイプ・ソブレロ』だ。それはシミュレート上、通常のネクストをはるかに上回る加速、トップスピード、プライマルアーマーを持つ、アーマードコア・ネクストという兵器のコンセプトの先鋭形だった。
 フレーム完成による沸き立ちと同時に、搭乗するランナー(運用者)の不在が新生アスピナ機関に影を落とすころ、少女を拾った男は周りの風など気にすることなく自分の研究に没頭していた。研究は主に欠損した四肢の代替医療の方法についてだ。
 元は医療用であったものの近年のアレゴリー・マニュピレート・システム(AMS)はそれに選ばれた人間がネクストという兵器を動かすためにあったという側面が大きく、いうなれば超高速で機動するネクストを機械と同時に人の脳を用いて操るためのデバイスだった。
 男の研究はその一歩手前。リンクス戦争の戦渦で忘れられた義手、義足などの医療的利用だった。それはネクスト用AMSとは違い、使う人物を選ばない技術。暴力以外による人の救いだ。

 基礎理論と実験開発品は彼女を拾った時点で用意してあっただけに、被検体を得てからの研究は順調そのものだった。
 初めこそ失くした腕の先に付けられた腕のような機械に困惑しているようだったが、それが自らの意思で動き、失くした体の代替になると気付いてからは、順応の早い年相応に慣れてくれた。その日進月歩の慣れは2日目にして僅かに動き、6週間後には拙いながらも文字が書けるほどに精密で自然な動きをしていた。危惧されたボディイメージの変化も年齢なりに上手く受け入れてくれたらしい。
 彼女の活躍もあって、男の来年度の研究の予算のほうは無事に下りた。だがアスピナがオーメルサイエンスの一部署になって後は、彼としてもあまりアスピナを出る必要性も感じなくなっていた。
 何より企業直轄の研究施設はどこよりもただ研究に生きる人種に優しい場所だ。現状に歯向かって利を失うことは研究者にとってあるまじきことだ。ただし――
「ふぁーあ……。暇だ……」
 自室で合成甘味料たっぷりのカフェオレもどきを啜りながら、誰にともなく男は呟いた。早い話実験が大成功過ぎてやることがなくなってしまったのだ。
 そう次々と新しい技術体系を創造出来るような天才でもない以上、やることといえば現行の開発物の改良だが、それについても彼女が何も症状を訴えないので改良しようもない。
 当初男が予想に入れていた頭痛、悪心、嘔吐などのAMS障害による初期兆候さえ見られず、あからさまな異物をぶら下げて行動しているというのにADLは完璧、行動の異常兆候さえない。
「それなら暇でいいじゃないですか。ただでさえあなたは仕事のし過ぎなんですから。休めるときくらいゆっくりしてください」
 デスクに掛けた男の目の前を歪な義手が横切る。その手にはマグカップ。中身は有澤のグリーンティーなるものらしいが、男もよく知らない。研究者なんて自分の興味以外何も知らないというが、男もその例に漏れなかった。
「まあアスピナ機関全体で仕事が停滞中だからな……。プロトタイプ・ソブレロの負荷はリンクと起動だけでもネクストを動かす『人形』を壊すほどらしいし……」
「あんな形状ですからね……」
 普通に話しについてこられる赤い首輪付きの少女。男直轄の被検体である彼女も最近は時間にゆとりがあるらしい。男の仕事が進んでいなければそれだけ彼女にも要求することはない。要は男の不才故に試すこともないわけだが、その分彼女はアスピナ機関の中を割と自由に歩き回っているらしい。
 最近の居場所は主に男のラボかネクストハンガーらしい。ソブレロ開発班が教えてくれた。
「オーメルサイエンス提供の『人形』を使えない以上、それこそ本当にジョシュアの再来でも待たなきゃ機体の実働テストが出来ないだろうし、何より機体の成果を見せなきゃ来年の予算が下りないだろうな。ご愁傷様だ
 なお男の研究の予算も一先ず下りたとはいえ翌年は危ない。ひと段落した後、彼女の体に何の変調も起きないのではAMS義手も改良の余地がない。新しい被検体を探そうにも今ではオーメルが『人形』開発のために戦災に見舞われた人々を全て引き上げてしまう以上それも出来ない。
「……あのネクスト、そもそも起動するんですか?」
 彼女の発言はある意味正論だった。きっと何度か『人形』を用いての起動実験に立ち会っていたのだろう。男も先輩に資料だけは見せてもらったが、起動以前のフェーズでAMSから神経に電気信号の逆流が起きて心肺停止する例が後を絶たないとか。
「起動させるだろ。あのマッドサイエンティスト共ならどんな手を使っても人機一体として完成させるだろうさ。それだけがアスピナの悲願だったからな
 実際それが完成するまでにどれだけの人が死ぬかは分からないが、今のご時勢ネクスト1機で数万の無辜の民を殺せるのだ。そのために数千の無辜のモルモットを殺すことに躊躇いは要らない。男もそう思っている。
 その無辜の民を殺す人種が選ばれたもので、世界の全ての犠牲がその1人を選ばれたもの足らしめることについても、何の抵抗もない。
「……歪んでますね。この世界は……」
 ぴったりと男の背中に張り付いてくる彼女の熱を感じる。だが生憎彼女の言う『歪んでいる』の意味は分からない。意味を知るには男は既に歪みすぎている。
 義手の冷たい感触が白衣越しに男の胸元へ伝わってくる。無機物故の歪な冷たさに戸惑う。戸惑ってしまう。――人間の手はこんなに硬く、冷たくなかったはずだ。

 その後もしばらくプロトタイプ・ソブレロが起動することはなかった。
 そもそもAMS負荷があの悪魔のネクスト、アレサと大差ないとされる診断が出た今、それを『人形』如きが動かせるなら、ジョシュアは死ぬ必要がなかったということになってしまうのだから。
「ま、俺には関係のない話だがな……」
 AMS義手の改善点は見つからない。せいぜいボディイメージを悪化させないために、見た目をもっと良くするとか、駆動系に使っている素材を軽くするとかだが、そんなことだが、それはマテリアルや設計職の話であって研究職の仕事ではない。
 ついには男もラボから出て彼女同様に研究所の中を徘徊するようになっていた。

 彼女がラボの外に出てしばらくした頃、男は廊下で所長に声を掛けられた。
「所長、何か用ですか? 次の方針が決まらないとはいえ、一応僕も仕事中なんですが」
「まあいいじゃないか。一献付き合いなさい」
 そう言って招かれたのは安っぽいバーだった。隅の方の人目に付かなさそうな席に掛けるなり、所長の方から話が始まる。
 わざわざ勤務時間内に、それも研究所から出てこんな粗雑なバーの隅で額をつき合わす距離で研究者同士が話し始める時点で、全くいい予感はしない。そしてそれは的中したらしい。
「君のラボにAMS義手の被検体の女の子がいると聞いているが、本当かね?」
「ええ、データが必要でしたらあとで送ります」
「いやいや、データは受け取っているよ。月ごとのデータをオーメルに送る以前に全て目を通すのも所長の仕事だからな」
「そう言えばそうでしたね。自分の仕事のことしか興味がないんで忘れてました」
 無色透明、味も良くない安酒を煽りながら適当な返事をする。
「単刀直入に言おう。あの子が欲しい」
「……」
 思わず絶句した。初老の男が一体何を言っているのかさっぱり分からない。
 おそらく間抜け面で口が開きっぱなしの男を見て、所長が頭を掻く。
「いやいや、変な意味ではない。ただネクスト部門が新しい被検体を必要としていてね。君の考案したAMS義手。アレは本来多量の服薬を前提に強引に運用するものだろう? あの少女が『少々変わっている』から投薬の必要はないがな」
「……」
 所長の言葉は半分以上事実だった。初期段階の時点では男の研究論文にもAMS酔いやボディイメージの変遷に伴う症例への対策として、鎮痛剤や眩暈止め、不眠時に睡眠薬などの使用を仄めかす文章があった。
 それを現時点まで何も使っていなかったのは単に彼女がAMS酔いの諸症状を訴えなかったからだ。つまりそれは一般人よりは、AMSへの適性があったということを逆説的に証明しているようなものだ。
「僕の研究はまだ終っていませんが」
「そんなもの別の被検体を探せばいい。オーメルに言って宛がってやる。至急彼女をAMS適性検査に掛けるよう手配する。君のほうから彼女への説明を頼むぞ」
 所長の高圧的な物言いに、何故か妙に苛立った。
 歯向かうことは得策でないと知りながらも、その先を抑圧することは出来なかった。
「僕の研究は終ってないです」
 涼しげな言葉の中に隠せない憤りが溶ける。その僅かな逆心に反応したかのように所長の皺の堀が深くなる。
「黙れ」
 重い言葉。たったそれだけで、男の始めての反骨心は折れた。
「ここでの研究はネクストが最優先事項だ。君の研究も重大だが、組織として重大事項を優先しろ」
 重苦しく伝えられる、おそらくは彼女の死刑宣告。それに対して男は何も言えなかった。
「あなたの立場がそれでよくなるなら、私は全然構わないですよ。それにあなたも一緒について来てくれるわけですし」
 事情を説明したときにも、彼女はそう言ってくれたが、一緒についていくことは実現されなかった。

 彼女がテストパイロットをするようになって、プロジェクト・ソブレロの管理レベルが上がった。今までは全研究員共有だったというのに、セキュリティが特別なものになった。
 さらには普通そんなことを言われないオーメルからの有給の消化要求と、突然の新規被検体探しの人員としての派遣など、男をアスピナから遠ざける――より正確にはフラジールから離れさせるようなことが立て続いた。
 3度も4度も露骨にフラジール起動実験と外回りの日程がかち合えば、人の心に疎い男にだった想像はつく。大方非人道的な実験を妨げる要因になりかねない男の厄介払いだろう。
「くだらない……」
 今日の仕事のために飛ばされた僻地――かつてアジア圏最大であったコロニー・シングは今や見る影もない廃墟だった。リンクス戦争末期のソルディオス迎撃戦で戦力の90パーセント以上を失い、その後のオーメルの接収に抵抗した結果今や砂しか残らない街と成り果てていた。ついでに地下施設の天井を崩落させて、穴にハマったランドクラブの残骸が無常さを際立たせている。
「ホントにくだらねえ……」
 呟く男の目には何も映りこんでは来ない。砂しかない街なのだから仕方ない。所長は「被検体探し」と言っていたが、いまやコロニー・シングに生きるものなど何も無い。猫一匹としてだ。
「つか人が死に絶えてネコがいるわけねえだろ」
 実際のところヒトやネコどころか生物と名のつくものが微生物レベルでいないわけだが。彼らが男と彼女を分かつために行ったことはそれくらいあからさまなことばかりだった。


+  ただのあとがき

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