小説/長編

Written by 雨晴


「―――マジか」

マジだった。
彼の視線の先、タブレットの画面が3,000,000cと示しているのは確かで、口座名義も確かに自分自身のものだった。
振込金額:1,500,000c ハイン・アマジーグ。
現状の全財産である1,500,000cと合わせ、きっかりその額。
なんてこった。上出来じゃないか。

ひとつ、深呼吸。

十字を切って神に感謝しつつ、その顔をカラード内の貴金属店へと向ける。15分ほど前、テクニカルノックアウトを喫した額面へと歩み寄る。
3,000,000c。
その羅列へ、無意識に唾を飲み込んだ。
正直これだけの額があれば、数十年は遊んで暮らせる。生死をさ迷う戦場へ出ることもなく、なぜか戦場よりも死が近い気のするセレン・ヘイズのとびっきりナイスなシゴキに耐えることもない。

―――だが、迷ったら負けだ。

言い聞かせる。そうだ。ここで退いて何が男か。考えたら負けである。
もう決めたのだ。思い立ったが何とやら。思いつめた顔で踏み込んで、店員に声をかけようと近寄る。給料の3倍?ばってんこちとら60倍よ!

「あの」

そりゃあもう、びっくりするくらいか細い声だった。なんて無様。なんて愚か。
だが、だが。
言ってやれ。男なら、言ってやれ。

「これ、下さい」

声が震えた。指も震えた。足も震えた。格好悪いことこの上ない。けれど。
それでも、いいのだ。これでいいのだ。ちょっとだけ涙目なのも愛嬌だ。へへっ、姐さんの驚いた顔が目に浮かぶぜ。

「こちらのリングですね、総額で3,150,000cになります」
「・・・ん?」
「ですから、3,150,000cになります」
 
消費税率、5%。
その時の彼の心境を除けば、世界は今日も割と平和である。

3月14日、ホワイトデー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ACfA/in the end
The Whiteday War
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その日、彼女のパートナーはどことなくそわそわしていて、理由を尋ねればそれとなく有耶無耶にされていた。
そんな態度に少しばかりムッとして拗ねる、これでもかと愛でられる、ご機嫌戻る、いちゃいちゃする、のサイクルを朝っぱらから3セットほど繰り返し、ここに至っている。

午後4時。
狭くも広くも無い、幾ばくか殺風景な部屋に、丸のテーブル。上等の茶器。

「特に茶請があるわけでもないが」
「あ、でしたら何かお持ちすれば良かったですね」
「誘ったのはこちらだからな。すまん、今後は気を付ける」
「いえ、お気になさらず」

何だかんだで、ハイン・アマジーグと過ごす以外の時間は彼女といることが多い。ふとそんな感想を抱きつつ、ウィン・D・ファンションの手許を見やる。

「もう少しで出来上がるから、待っていてくれ」

コーヒー豆から抽出されるそれをつらつらと眺めつつ、彼女を纏う空気が緩んでいるようにも思う。ああ、ロイ様の成せる業なのかなと、それもつらつらと思う。

「今日も、ロイ様はいらっしゃらないのですね」
「ん、ああ―――いや、いつもいつも居る訳じゃないぞ」

断じてだ、と少しばかりむきになって否定するウィン・Dへ笑顔をむければ、む、と毒気の抜かれたような表情へ代わる。

「ま、まあ、週に5,6日しかあいつには会わんしな」
「ほぼ毎日ではないですか」

言って、表情を苦笑いに切り替える。
とはいえ、彼女らも週に一度ほどこうしてどちらかの部屋へと押し掛けては他愛ない話をする間柄であって、彼女らのパートナーもその辺りは心得ているのかもしれない。
息抜きとは言わないが、女性同士で話したいこともあるだろう。そのように仕向けられているのであれば、仕向けてもらっているのであれば、なんともはや、有難いことだ。
ここに居ないパートナーに、胸中で感謝しておく。

「こうしているとき、ハイン様とロイ様、大抵一緒にいらっしゃるんですよね」
「ああ、そうらしいな」

何をしているんでしょうね。リリウムが言えば、真剣に悩むウィン・D・ファンション。
大してこれといった内容も思いつかず、まあ今日に限っては、とリリウムを向いた。

「大方、ホワイトデーはどうしようか、などと話し合っているような気はする」

その切り出しに、リリウムが首を傾げた。

「ホイットリー・ベイ?」
「それは、イングランドは北東に位置した町の名だ」
「ええ」

そうでしょうね、と呟くリリウムに、ひとつウィン・Dのため息。

「ホワイトデー、バレンタインデーの返礼の日を指す」
「・・・はぁ」

リリウム・ウォルコットがわかっていないような相槌を打ち、相対するウィン・D・ファンションは怪訝そうに目を細めた。

「・・・何だ、知らないのか」
「恥ずかしながら、初めて聞き及びました」
「ふむ」

言いながら、スティックシュガー5本分のグラニュー糖が溶解した黒い液体を飲み干していく。リリウムの小さな、うわぁ、の驚嘆。何度見ても慣れるものではなく。
こほん、と咳払い。

「ホワイトデーとは、男性が女性にチョコレートを差し上げる日、と言う解釈で宜しいのでしょうか?」

質問に、その通りだ、と肯定される。

「とはいえ、別に返礼がチョコレートとは限らんようだが」

結局飲み干したそれをテーブル脇へと追いやり、しかし、と続けた。

「せっかくあの男にチョコレートをやったんだ。何がしかの返礼が有る、とは考えなかったのか?」
「別に、お返しが欲しくて差し上げたわけではありませんから」

さも当然と言った風にそう告げて、モカのそれに口付ける。暖かいそれが、少しばかり冷えるこの部屋には心地良い。
今度は部屋の主であるウィン・Dが、首を傾げた。

「・・・苦くないか?」
「いえ、丁度良い加減ですからお気になさらずそっとその封の開いたスティックシュガーを下げて頂けますと大変嬉しく存じます」
「む、そうか?」

なぜだ?と言わんばかりの表情で、自身の2杯目へと投下していく。5本。

「それ、甘くないですか?」
「苦い」
「・・・そうですか」

ちょっと、何を言っているのかわからない。

「私としては、正直あいつが何を考えてくれるのか期待している節もある」
「ロイ様、そういったところは拘りそうですものね」
「君は、そう言った考えには至らないのか?」

投げかけられた疑問に、そうですね、と少しばかり想像してみる。

「わたしは、いつも通りにして頂ければそれで幸せですね」
「そうなのか?」
「急を以ってああして欲しい、こうして欲しいと言うのはありませんので」

思い返せば今日の朝も、いつも通りの幸せな朝だった。起き抜けの寝顔を拝見するのも、世辞無く喜んでくれる朝食を作るのも、彼が目を覚ましてからの数分間のやり取りも、その後の朝食も。

「そうか」

ウィン・Dの嘆息が響き、リリウムがもう一度カップへ口をつける。
じんわりと身体を温めてくれる感覚を覚えつつ、ふう、と一息。目を閉じて、少しばかり想いに耽る。

「願わくば、今日も明日も明後日も、これまで通りの毎日を」
「・・・ふむ、それではつまらんな」

部屋には彼女ら二人しか居らず、しかしながら、その"つまらんな"の発生源は確かに室内からのそれだった。男性の声色だった。
自動の扉の内側、無表情に眼鏡へ指を掛ける男が一人。
 
「折角のイベントなのだから、楽しまなければ勿体無かろうに」

ゆっくりと、二人の顔がそちらを向く。声の主を特定すれば、ウィン・Dの眉が真っ先に寄った。

「鍵が掛かっていたはずだが」
「踊る阿呆に、とは良く言ったものだとは思わんか?」
「鍵が掛かっていたはずなのだが」
「気にするな、ウィン・D・ファンション」

そこまで言って、視線をずらす。

「ひと月ぶりだ、リリウム・ウォルコット」
「あ、どうも、お久しぶりです、ジェラルド様」

少しばかりドン引きかましつつ、引きつった笑いで受け答える。

「チョコレート、大変に美味だった」
「ああ、いえ、お気に召していただけたのなら」

お互い部屋の主を差し置いて深々と頭を下げあう。む、と言った表情の主。
どうやって侵入したのか、そんな詮索は諦めていた。

「何だ、貰ったのか、チョコレート」
「ああ」
「・・・良く殺されなかったな」
「まあ、ハイン・アマジーグ本人からチョコレートの受け渡しを予告されていたしな」
「そうだったのですか」

ああ、とひとつ首肯。

「一応、相応の構えはしていたが。ダン・モロの一件でその辺りの独占欲は解消されたらしい」

あれ、何で貴方知っているんですか、その場にいませんでしたよね。そのツッコミでさえ、この男の前には最早無駄である。リリウムの苦笑いに、ウィン・Dが首を傾げた。

「奴の手前では、中々に渡し辛かったが」

言って、そのまま小さな紙袋を差し出す。

「返礼だ。つまらないものだが」
「・・・え」

恐らく無意識で発せられたその短い返答と、無意識で向けられた二つの訝しげな視線がジェラルドを刺し、しかし動じずに先に行く。

「ただのチョコレートだ、既製品のな」
「す、すみません、無礼でした」
「謝らんでいい、リリウム・ウォルコット。その男、前科が多すぎる」
「酷い言われ様だ」
「ともあれ、ご馳走になります」

ありがとうございます、と頭を下げれば、どこと無く感慨深げにその頭に視線をやる彼がいる。

「ところで先日、ハイン・アマジーグと会ったのだが」
「はい・・・はい?」
「あの男曰く、『最高でした』と」

数瞬何を言われているのかわからず、不意に彼の視線が自身の瞳よりも幾らか上方に向けられていることに気付き、ああ、この人は件の犬耳云々のことを言っているのかと理解する。
ちょっと、その先については待って頂きたい。

「あの男曰く、『理性が吹き飛んだ』と」
「ちょっと、あの」
「曰く、『あのもふもふがたまりませんね、あれを携えながら甘えて擦り寄られては抗いようがありましょうか、否、そりゃあ押し倒しますよ、当然ですよ』と」
「・・・この男は何を言っているんだ」
「ウィン・D様、出来れば聞かないで頂けると助かります」

真っ赤になってそっぽを向きながら、か細い声でつぶやく。

「まあ、楽しんでもらえたなら何よりだ」
「・・・一連の流れに、貴方への利が無いように思うのですが」
「いや、これでも少なからず楽しませてもらっている」
「・・・そうですか」

つまり私たちは、何だかんだ言いながらこの人の掌の上、と言うことでしょうか。内心そう思い、深いため息をつく。
ほぼ、諦観である。

「あまり彼に、変なことを吹き込まないで下さい」
「それについては、安心していい」

珍しく口許の形を作り変え、ひとつ頷く。

「たった今、吹き込んできたところだ」

一片の濁りのない、晴やかな微笑であった。
リリウムは、テーブルに突っ伏した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ジェラルド・・・!」

まるで神様でも見出したかのようにハイン・アマジーグが彼に歩み寄る。沈みかけている陽は、既に後光のそれだった。

「いや、良かった。丁度、どなたかに助言を頂こうかと」
「ふむ。その様子だと、リリウム・ウォルコットにウィスキー・ボンボンでも作ろうとしたが酒気にやられ反動でロイ・ザーランドへ味見とは名ばかりの花園へと導こうとしたと見える」
「おいこら、見てたんなら止めやがれ」

げんなりとした表情のロイに一瞥くれ、すまんな、と一言。

「まあ、そういった需要もあるようだから、受け止めておけ」
「・・・供給する側、たまったもんじゃねえな」
「ああ、ロイ。私はそういった事象には全く興味ありませんので」
「おい、何で俺が迫ったみたいな顔してんだよ」

ちょっとばかり引いたようなその顔をひっぱたきそうになる。ひっぱたいたところで、こいつの奥さんに何を言われたものかわからないので、すんでの所で止めておく。

「で、こいつのホワイトデーだが」

時間も迫っているが、何か策があるのか?そうロイが問えば、ああ、と簡潔な返答が来る。

「ホワイトデーの返礼はやはりチョコレートであるべきだと、私は思う」
「ほう」

ハインの眉が吊り上った。とは言え、と続くそれを、一言一句聞き逃すまいと言う姿勢。
ジェラルドの口許も少しばかり吊り上ったのに気付いたものの、おいやめとけ、とは言い辛かったロイが一つため息をつく。

「とは言え、チョコレートを渡したのみで事態を完結するのは、いささか性急過ぎるのではないだろうか」
「ええ、一理ありますね」
「そこでだ」

言って、右手にぶら下げていたブリーフケースを突き出す。受け取れ、というサインに、ハインが応じる。

「・・・これは?」
「まずは、これで作戦の概要を説明する」
「チョコ渡すだけだろうが」

ロイのツッコミがむなしく響き、ジェラルドの取り出したモバイルの画面には、ローゼンタール社のエンブレムが輝いている。
スポンサード・バイ・ローゼンタール。

「ばっかじゃねえのローゼンタール」
「必要物資の提供を受けただけだ」

多重ウィンドウが開いていき、作戦名が表示された。

「オペレーション・バトラー・・・!」
「そう、これが我々の切り札だ」
「潰れちまえ」

つうか何作りこんでんだよ、これブリーフィング画面そのままじゃねえかバカじゃねえの。そのツッコミも、むなしく響き渡る。
うるさいぞ、とジェラルドからたしなめられ、今日はため息の数が多い。

「作戦目標はチョコレートの手渡しだが、この作戦ではそれまでの過程が重要となる」
「副次目標、ですね?」

ハインの切り返しに、首を振る。違うな、と別のウィンドウを開いていく。

「本命はチョコレートにあらず、むしろそのブリーフケースの中身だ」
「ほう」
「リリウム・ウォルコットに対してイヌ耳を提示したように、君にもとっておきを用意した」

これだ。言えば、黒色の何かがモバイルに写し出される。これは、とハイン。

「元来より我々男性諸氏が、女性のメイド服姿に欲情するように」
「てめえのものさしで語るんじゃねえよ」
「待ってくださいジェラルド、メイド服とは?」

ふむ、と説明していたジェラルドの手が止まる。少しばかりモバイルをいじり、タン、とエンターキー。

「これだ」
「これだ、じゃねえよ」

フリルの付いたエプロンドレスとカチューシャである。

「おや、可愛らしい」
「これを身に着けているリリウム・ウォルコットを想像してみろ」
「言い値で買いましょう」
「おい、オペレーション・バトラーはどうしたんだ」

ああ、そうだったな。言って、画面を戻す。

「元来より我々男性諸氏が、女性のメイド服姿に欲情するように、女性が、それもリリウム・ウォルコットのような女性が好む男性のスタイルとは何か」
「はて、想像も付きませんが」
「・・・執事服だって、言いたいのか?」

ロイの回答に、満足そうな笑みが来る。

「さすがはロイ・ザーランド、理解が早いな」

その通りだ。その表情を崩さず、先に行く。

「当然、それを身に着けるだけでは何も始まらない。執事として、彼女へ献身するのだ」
「ふむ、それが執事プレイというヤツですね」
「プレイ言うな」

ロイが画面を見れば、"執事プレイ"という文字列に、ここ重要!と言わんばかりに二重線が引いてある。
どうなってんだ、あの会社。

「いつもは献身を施す女性が、逆に男性に献身されるという逆転した環境は、まず間違いなくクるものがある」
「なるほど、しかし、如何せんこの格好、私に似合うのですかね」

苦笑いを浮かべ、これ、と指を刺す先に、真黒の燕尾服。
服とハインを交互に見比べ、あー、とロイ。

「・・・間違いなく似合うな」
「だろう?」

不本意ながらジェラルドの提案に同調してしまい、またため息。
ぽん、とハインの肩を叩く。

「いつも通りへらへら笑ってこれ着たら、もうお前執事だわ」
「へらへらとは失敬な」
「良いじゃねえか、もうそれで」

正直、今日はもう疲れた。そろそろこっちも準備をしなければいけないのである。一つ伸びをし、気分を切り替える。
実際、何やっても喜んでくれるんじゃねえの。それは、思っても言わないでおく。

「んじゃ、そろそろ帰るわ」
「おや、このタイミングで?」
「ああ、いい加減良い時間だしな。先に上がるぜ」

それだけ言って、踵を返した。彼は彼で、今日は成さなければならない戦いがある。部屋に置いてある、小さな小箱。
プロポーズだ。

「ロイ」

掛けられた声に、振り返る。

「頑張ってくださいね」
「ああ、お互いにな」

最後にひとつ笑いあって、午後3時半。
戦いの夜が来る。


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