Written by ウィル


 六月二十七日、午前九時十分。中央アジア上空、“クレイドル空域”にて。

「――いさ! 大佐! 待ってください、グリンフィールド大佐!」
 ネクスト専用の輸送ヘリ《バラクーダⅣ》の機内に、若い男性の声が響き渡っていた。GA社の金色の社章がでかでかと印刷された作業服に身を包んだ乗務員が、無数のパイプが這い回る狭い通路を息を切らせて駆けていく。先行する相手の脇を潜り、先回りするようにして駆け抜けると、がば、と両腕を広げて立ち塞がる。
「大佐、ダメですったら! “クレイドル空域”からの無許可での機体投下は、固く禁止されていて……!」
 しかし、その必死の声は、通路を早足で進む相手には届かなかった。
「そこをどけ」
 大佐と呼ばれたパイロットスーツ姿の男性が、立ち塞がる乗務員を丸太めいた腕で押しのけようとする。
 乗務員よりも頭一つは高い、暗い赤色のパイロットスーツに身を包んだ大柄な男だった。旧来の戦闘機用のそれとは違うスマートな構造のパイロットスーツは、それゆえに着る者の体格がよく判別でき、年齢による多少のたるみこそあるものの、それ以上によく鍛え上げられた筋骨隆々の体躯をしているのが分かる。襟元にはGA社の金色の社章が縫い付けられ、HMD(ヘルメット・マウント・ディスプレイ)の防眩機能によってその顔こそ見えないものの、声の響きから壮年と呼べる年頃だという事は判別がついた。
「ダメ、です……グリンフィールド大佐……! ほ、本社からは、ネクストを使うという命令は、受けてませ……うわぁっ!?」
 必死の嘆願と抵抗も虚しく、体格差以上の力によって、乗務員の体が弾き飛ばされる。たたらを踏み、背中から壁に激突した乗務員は、それでも己の職務を全うするべく起き上がろうとして、
「――いい、行かせてやれ」
 唐突に割って入った声に、その動きを止めていた。パイロットスーツの男性が足を止める中、こつこつと靴音を響かせ、通路の向かい側から声の主が姿を現していく。
 ベージュ色のスーツに身を包んだ、中南米系の中年の男性だった。背はパイロットスーツの男性よりやや低いくらいで、こちらも細身ながらもがっしりとした体格をしており、短く刈った黒髪に濃い口髭をたくわえた褐色の顔、スーツから覗く左手は鈍い金属色をしていた。
「私が全責任を持つ。それに今は友軍の危急だ。出撃準備を急がせろ」
 パイロットスーツの男性を睨みながら言い放った言葉に、乗務員が「しかし、エンリケ作戦部長!」と叫び返す。だが、ベージュ色のスーツの男性は表情ひとつ変えずに、
「急がせろ、と言った。責任は私が持つ。通してやれ」
 そう言われては乗務員も立場がない。未だ納得できかねるといった顔で通路を開けると、その前をパイロットスーツの男性が足早に通り過ぎていく。そうして、ベージュ色のスーツの男性の脇を通り過ぎがてらに、
「――済まんな、エンリケ」
 と、低い声で呟いていた。ベージュ色のスーツの男性は苦笑し、「なに、気にするな。後輩たちの命が係っているんでな。それに、私もお前にまた怒鳴り込まれたくはないからな」と返す。そうして振り返ると、急ぎ足で歩いていく広い背中に向けて、
「行ってこい、ローガン。幸運を祈る」
 その声に、パイロットスーツの男性は振り向きもせず、ただ背中越しに右手の親指を立てて応えるのみ。そして、暗い赤色の背中が通路の角に消える頃、機内放送でわめき立てるクルーたちの声が聞こえてきた。
『これより本機はローベルト・マイヤー大橋に急行、機体を投下する!』
『格納庫担当のクルーは耐コジマ装備着用! ただちに大佐のサポートに回れ!』
『機関室、反応が遅いぞ! なにやってんの!』
 それを尻目に、ベージュ色のスーツの男性が胸の内ポケットから紙煙草を取り出し、口に咥えて火をつける。白い煙が、ふう、と立ち上る中、乗務員が恐る恐るといったふうで声をかけた。
「いいのでしょうか。こんな――、っと!」
 乗務員の声が途中で途切れる。ベージュ色のスーツの男性が、いきなり彼の肩に手を回したからだ。そうして、そのまま戸惑う乗務員の肩をぽんぽんと叩くと、ベージュ色のスーツの男性――GA社作戦本部部長エンリケ・エルカーノは、「命拾いしたな」と話しかけていた。
「……え?」
 乗務員が怪訝な顔で振り向くと、エンリケは煙草を咥えた顔に苦笑をにじませて、
「私が行かせてやらなかったら、お前さん、今頃ぶん殴られて床にのびてたところだ」
「いや、そんな。あのグリンフィールド大佐が、まさか……」
 乗務員が懐疑的な顔で否定すると、エンリケは苦笑を笑顔に変え、「いやいや、本当だとも」と続けた。どこか懐かしいものを語るかのような、優しげな口ぶりで。
「あいつはいつもそうなんだ。普段は冷静なヤツなんだが、愛娘の事になると、途端に頭の中がいっぱいになってしまってな。困ったものだよ、まったく――」

 

 

 午前九時三十五分。中央アジア、ローベルト・マイヤー大橋付近にて。

 数万年もの時を経て抉り取られた、巨大な渓谷。風化し、剥き出しになった岩肌は途切れ途切れの段々を描き、最盛期よりも流量が減ってもなお広大な大河が、緑色に濁った水面を揺らめかせていく。地球規模の環境破壊が進行しきった今となってはそれも見る影もないが、きっと昔は草木生い茂る美しい渓谷だったのだろう。
 そんな巨大な渓谷を、これまた巨大としか形容しようがない鉄橋が渓谷の端から端までを繋いでいる。天を支えるかのような橋脚が無数にそびえ立ち、上下二本の橋脚が渓谷を横に貫き、その上では太いワイヤー群が風に靡いている。この巨大な鉄橋がローベルト・マイヤー大橋。国家解体戦争以前からの交通の要所であり、それ故に幾度となく小競り合いが続いてきた場所でもある。ここまで汚染が酷くなってしまっているのは、そのためだ。
 そんな荒れ果てた渓谷は、今回もまた戦闘の渦中にあった。
「しっかし、キリがないわね、これは……!」
 渓谷を見渡す高台、そこを通る幹線道路の脇に《メリーゲート》を立たせながら、わたしは空中を飛び回る敵機を睨みつけた。細身の人型に翼とエンジンを背負わせたかのような歪なシルエットの機体――空中戦用ノーマル、《タイプ・アージン》が二機、複雑な戦闘機動をかけながらこちらに向かってくる。高速機故に軽装ではあるが、その主兵装のレーザーライフルはなかなかの威力であり、ネクストとしてもそれなりに脅威となる。
『――もらったわ!』
 そのうちの一機、右側から突っ込んでくる方のヤツが、右腕のレーザーライフルを撃ち散らしながら接近してくる。文字通り光速で飛来するそれは、出力の関係からある程度の照射時間がなければ有効打にならないとはいえ、回避するのはほぼ不可能に近い。だが、
「遅い!」
 それも通常の兵器なら、である。ネクストの機動性と、人機一体となったリンクスの反応速度であれば、この程度のレーザーなど躱すのは容易!
 左肩から巨大な噴射炎を噴かし、一瞬で時速数百キロにまで加速した《メリーゲート》は、装甲に焦げ跡すら残さぬうちにレーザーの軌跡から離脱。そのまますれ違いざまに左腕を一閃し、転進もままならない《タイプ・アージン》の胴体部を無反動砲で撃ち抜いていた。
『サラジーン!? くそっ!』
 胴体に大穴を穿ち、錐揉みしながら墜落していく僚機を見て、もう一機の《タイプ・アージン》がこちらの直前で転進、距離を取っていく。それを見送ってひと息つきながら、わたしはサブカメラで後方を視認した。
 でこぼこした岩肌を縫うように走る幹線道路を、長大な列を作りながら無数の軍用車両が駆け抜けていく。大小無数の輸送車両やミサイル支援車両《ミサイルシャワー》、果ては旧式戦車である《エイブラムス》の姿まである。その脇の岩肌を駆けている全高十メートルの人型――まるで《メリーゲート》を大幅に簡略化したようにも見える太く角ばったシルエットの機体は、GA社の主力ノーマルである《ソーラーウィンド》。その向こうに見える、《ソーラーウィンド》の数倍の威容を誇る四つ足の恐竜めいた巨体は、旧GAEによって開発された地上用の移動要塞《クエーサー》である。
 それらはこちらの戦闘を脇目に見ながら、全速力で幹線道路を駆け抜けていく。この場を損害なく乗り切り、数十キロ先の主戦場まで辿り着く。それが彼らに課せられた任務だからだ。そしてそれを護るのが、わたしたちの任務というワケだ。
 そうして、再度正面の敵に相対した、その時。
『護衛対象、作戦領域に到達!』
 フランさんの通信とほぼ同時に、遠雷のような音が響いてくる。釣られてそちらを見やれば、曲がりくねった谷間から急速に姿を現していく、流線型のフォルムをした白い大型の車体。白い車体には無数の砲塔やミサイルランチャーが鎮座し、その後ろには物資を満載した車両がまるでムカデのように連なっている。GA社が保有する大型装甲列車《スーパーノヴァ》が、複数本が連なった極太のレールを軋ませながら、作戦領域に進出してきたのだ。
 だが、それはわたしたちと相対する敵部隊にとっても周知となった。再度こちらに向かって来ようとしていた《タイプ・アージン》の残った方の一機が、空中で急制動をかけて静止し、姿を見せた装甲列車を右腕のレーザーライフルで指し示す。
『ターゲットの輸送列車を確認! フォックストロット01、ただちに攻撃に移れ!』
 その声に応じるかのように、《タイプ・アージン》よりも上空に浮かんでいた、暗い緑色をした、全高三十メートルはあろうかという座仏像めいた奇怪なシルエットの金属塊――インテリオルの飛行要塞《フェルミ》が、その巨体をゆっくりと旋回させていった。やがて、接近する装甲列車を正面に捉えた《フェルミ》の機体側面の装甲が展開し、機体内部から大量のミサイルを放っていく。装甲列車に向けて殺到するミサイルの群れ。レールに沿ってしか動けない装甲列車にこれを回避する術はなく、
『させるかよ!』
 しかし、割って入っただみ声とともに、射線上に一機のネクストが躍り出る。
 太く角ばった武骨なシルエットの手足に、胸板めいた装甲板が目立つ胴体と、兜そのものといった頭部。それら全てを複雑なパターンの砂漠迷彩で彩り、両腕には大型の重火器、背部には垂直発射式のミサイルランチャー、両肩にはフレア・ディスペンサーを装備。左肩には妙に露出度の高い衣装に身を包んだ女性のエンブレムが描かれている。
 そのネクストの両肩から、ミサイルの群れの前方に大量のフレアが撃ち上げられていく。ミサイルに対する高い欺瞞効果がある高熱源反応が、殺到するミサイルの軌道を逸らし、目標を見失った大量のミサイルが空中でぐるぐると円を描いた後、次々と自爆していった。
 そうして、先ほどフレアを放った機体――GA製ネクスト《ニューサンシャイン》をベースにした中量二脚型ネクスト、《ワンダフルボディ》が、クイックブーストを噴かして《フェルミ》の前方に跳び込んでいく。装甲列車の盾になった砂漠迷彩の機体が、両腕の重火器を持ち上げて、
『くたばりやがれ、この火星野郎が!』
 搭乗者であるドンの怒号とともに、《ワンダフルボディ》が右腕のガトリングガンと左腕の拡散型無反動砲を斉射する。多連装砲身が回転しながら大量の弾丸をばら撒き、空中で四発に分裂した成形炸薬弾が着弾するなり重金属の噴流を吐き出す。それらを同時に叩き込まれた《フェルミ》の巨体が揺らぎ、その周囲を覆うプライマル・アーマーが、急激な拡散反応を起こしてその存在を陽炎のように揺らめきだしていた。
『行け、ダン! ヤツのプライマル・アーマーを潰した!』
『お、おうっ!』
 ドンの声に応じるようにして、《フェルミ》の後方にいたもう一機のネクストが動き出した。
 武骨な形状ながらも細身のスタイルはBFF製中量級ネクスト《047AN》のものだが、頭部と腕部をそれぞれローゼンタールとGAのものに換装し、とくにヒロイックな意匠の頭部も相まってスタイリッシュなシルエットをしている。レーザーブレード発振器にライフル、分裂式ミサイルランチャーとレーダーという比較的スタンダードな武装に、機体色は青色ベースの派手なトリコロール・カラーに塗られ、左肩には群青の装束のコミックヒーローのエンブレム。
 カラードランク二十八位のリンクス、ダン・モロの駆る中量二脚型ネクスト、《セレブリティ・アッシュ》だ。
『い、行くぜ! うぉらあああああああっ!』
 そして、ダンの雄たけびとともに《セレブリティ・アッシュ》が、メインブースターを咆哮させ、一気に跳躍。左腕のライフルを断続的に撃ち込みながら空中の《フェルミ》目掛けて突貫していき、
『せ、セレブリティ……スラァアアアアアシュッ!!』
 よく分からない技名とともに、《セレブリティ・アッシュ》の右腕に装備された盾形の発振器が展開。膨大な熱量が込められた橙色の光条が伸びて、拡散状態にあったプライマル・アーマーを貫通すると、その勢いのまま一気に振り下ろされた。慌てて振り向こうとした《フェルミ》だったが、それはかえって弱点を晒すだけの結果となり、橙色の光条によって機体上部にあるカメラアイのあたり――コックピットがある場所を深々と抉り斬られてしまっていた。
『脱出……!』
 ノイズ混じりの声とともに、内部で小爆発を起こす《フェルミ》。そのカメラアイから光が消え、コジマ粒子の斥力でもって浮遊していた巨体が、ぐらり、と傾いていく。慌てて飛び退いた《セレブリティ・アッシュ》を尻目に、制御を失った《フェルミ》は緑色の粒子をまき散らしながらゆるゆると降下していき、最終的には少し離れたところを流れていた大河に身を沈め、そのまま二度と浮かんでこなかった。
『は、はは! やった、やったぞ!』
 その姿を空中から呆然と見下ろしていた《セレブリティ・アッシュ》から、搭乗者であるダンの歓声が上がる。
『所詮は旧式の飛行兵器、俺たちの敵じゃねぇぜ!』
 強敵を倒した余韻に浸り、勝利の雄たけびめいて喝采を上げるダン。だが、
「ダン、気を抜かない! もう一機いる!」
 少し離れた崖の上から、輸送部隊に迫りくる大型ヘリ《フライングジョルト》を狙撃しながらのわたしの言葉に、ダンが『えっ!?』と反応した直後。青白い光条が大気を蒸散させながら、《セレブリティ・アッシュ》に向けて奔り――
『ひいっ!?』
 情けない悲鳴が響く。とっさに身を沈めた《セレブリティ・アッシュ》の機体上部を、離れたところにいたもう一機の《フェルミ》の大口径ハイレーザー砲が掠めたのだ。機体本体は無事だったが、左背部に装備されていたレーダーアンテナの一部に直撃。センサーブレードを熱した飴のように融解させられていた。
『ああっ!? このレーダー、こないだ交換したばっかりだったのにぃ!』
 どっすん、と尻もちをつきながら着地した《セレブリティ・アッシュ》が、自分の左背部を振り返りながら、泣き言めいた言葉をわめく。それを尻目に、
「こんのおっ!」
 わたしの怒声とともに、《メリーゲート》が左背部と両肩のミサイルランチャーを同時発射する。都合八十発分の白煙が弧を描いて眼下の《フェルミ》に殺到し、爆炎の嘴を次々と突き立てていく。そうして、まとわりついた黒煙が消えた頃に姿を現した《フェルミ》は、プライマル・アーマーが霧散し、もう浮いているのが不思議なくらいボロボロになっていて――そこに《ワンダフルボディ》が叩き込んだ拡散式無反動砲が、トドメをさしていた。爆炎とともに大量のコジマ粒子をまき散らしながら、《フェルミ》の巨体がゆっくりと四散していく。
『そ、そんなはず……!』
 その姿を呆然と見下ろしていた先ほどの《タイプ・アージン》に、わたしは右腕のライフルを向け、撃つ。数発放たれた重徹甲弾が狙いたがわず右腕と機体後部の翼を捉え、バランスを崩した《タイプ・アージン》がきりもみ状になりながら眼下の岩場に叩きつけられる。搭乗者が生きているかどうかは――まあ、半々といったところだろう。空中でバラバラになるよりはマシなはずだ。と――
「……ん?」
 唐突に鳴った甲高い音にそちらをみれば、《スーパーノヴァ》がこちらへの感謝を示す汽笛を鳴らしているところだった。コックピットから覗く小さな人影がこちらに向けて手を振り、白塗りの装甲列車が足早に通り過ぎていく。車両後部に連結された物資やノーマルを満載した貨物車両の群れが眼下を高速で流れていき、あっという間に谷間の影に隠れていった。
『《ホワイトテイル》の離脱を確認。残るは崖の上の輸送部隊だけね』
 フランさんが通信で護衛目標の離脱を伝えてくる。それに「了解」と返し、ロケット弾を撃ち散らしながらなおもこちらに向かって突っ込んでくる二機の《フライングジョルト》めがけて、両腕の火器を撃ち込む。フルオートで撃ち込んだライフルが片方のローターと翼を削ぎ落し、無反動砲がもう片方の機体後部を粉砕する。二機の大型ヘリがゆっくりと墜落していくのを崖上から見下ろしながら、わたしは脳内に広がったレーダーの三次元平面図を確認した。
 レーダーに映るのは、友軍機を表す黄色の光点の列と、同じく友軍のネクストを示す緑色の光点がふたつだけで――それに、わたしがふう、と安堵の吐息を漏らした時だった。
『敵部隊の全滅を確認……いえ、待って。新たな敵反応、急速接近! これは……!』
 任務完了を告げようとしたフランさんの声色が、突然切迫したものに切り替わる。そしてそれに呼応するかのようにぶ厚い雲を突き抜けるようにして舞い降りた巨大な影を、わたしの“眼”は捉えていた。
 幾筋もの雲の尾を引き、飛び来る白亜の機体。円盤状の巨大なリフティング・ボディに、両脇に生えた天使の翼にも見える無数の主翼。ボディ下部には長大な三連砲身式のレーザー砲が懸架され、地上を睥睨している。機体の各所に空いた無数の穴、あれは近接攻撃用のなんらかの火器を搭載しているのだろうか。
 だがなによりも異様なのは、そのサイズ。全長にして五百メートルという航空兵器としては桁外れの巨体は、先ほどの《フェルミ》をもってしてもなお、その威容の一割にも満たない。巨大な円盤状の機体でもって雲間から照りつける太陽をすっぽりと覆い隠すさまは、まさしく“日食”の名に相応しいものだった。
『敵増援、アームズフォート《イクリプス》を確認! それに、これは……ネクスト!? 二機!?』
 フランさんが驚愕の声を上げる。つられてそちらを見れば、《イクリプス》の機体下部のハッチから飛び降りる二つの影。背中から特徴的な緑色の光を放ちながらドンたちがいるほうに向かって急速接近する人型は、紛れもなくネクストのそれだった。
 一方は暗い緑色に塗られ、目を覆い隠した頭部のエンブレムが描かれた、重量二脚タイプのネクスト。兜めいた重厚な頭部に、まるで三胴船のように見える独特なフォルムの胴体部。手足は重厚ながらもGA機とは違い細身かつ曲線的で、どことなくクラシカルなロボット像めいた無骨な雰囲気。両手にはハンドグレネードランチャーと無反動砲を携え、背部には高出力・長砲身のハイレーザーキャノンと大型レーダーを装備している。
 そしてもう一方は、白と青のツートンカラーの機体に、白い鳥のエンブレムを描いた中量二脚機。空力特性に優れた曲線を描きながらもどこか女性的なシルエットはインテリオルの標準機《テルス》のものだが、その両腕は二対の翼を広げたような形になっている。両背部と腕部の先端に装備された、閉じた嘴を思わせるミサイルランチャーは、同社独自のAS(自動索敵式)ミサイルと知れた。
『敵ネクストを確認! カラードランク十三位、《ブラインドボルド》! およびランク二十位、《ヴェーロノーク》! ふたりとも手強い相手よ、気をつけて!』
 フランさんが告げてきたその名に、ぎり、と奥歯を噛みしめる。
 重量二脚タイプのネクスト、《ブラインドボルド》のリンクスのヤンは、旧国家軍出身とも噂され、リンクス戦争やその後の企業間戦闘においても高い戦果を挙げてきたとされている。戦闘経験においても実績においても、わたしたちよりもずっと優秀なベテランパイロットだ。
 そしてもう一方の機体、《ヴェーロノーク》の女性リンクス、エイ=プールもこれまたリンクス戦争の生き残り。支援機としての運用が中心のため、単機での戦闘力は高くないとされるが、絨毯爆撃さながらのミサイル攻撃は決して侮れるものではない。
『ちっ、アームズフォートにネクストだと!? 情報部め、最低限の仕事もできねぇのか!』
 フランさんの報告に、ドンが罵るような言葉を吐き捨てる。
『しかもよりにもよって相手はアルドラの“盲目ハゲ”に、インテリオルの“ボンバー・レディー”かよ! ヤバい相手だぜ、まったく!』
 前線兵の間で使われるスラングを使いながら、なおも毒づくドン。そのスラングの意味はよく分からないが、いずれにせよ通常軍にとっても二機のネクストが恐怖と憎悪の対象であるのは間違いなかった。そしてそれは、GAに属ずるリンクスであっても同様だ。
『おいおい! ネクストが二機にアームズフォートだなんて! 聞いてねぇぜ、こんなの!』
『馬鹿野郎! 今頃になって泣き言言うんじゃねぇ!』
『離脱だ、離脱する! 俺にだって任務を選ぶ権利ぐらいあるんだからな!』
『おお、やれるもんならやってみろ! あいつ見捨てていいっていうんならな!』
『……っ! ちくしょうっ! やってやる、やればいいんだろう!?』
 崖下にいるふたりが言い争いをしながらも、向かってくる敵機に回頭していく中、
『――《ブラインドボルド》より《トゥールビヨン》へ』
 通信回線を介して、巌を思わせる低い男の声が流れてくる。敵ネクストからの暗号通信を傍受し、統合制御システムが自動で解析しているのだ。
『敵ネクストはこちらが引き受けた。貴艦は引き続き、輸送部隊への攻撃を続行されたし』
 その通信に上空の《イクリプス》が転進し、こちらに向かって飛んでくる。あまりの巨大さ故にゆっくりに見えるが、実際にはとんでもない速度だ。あっという間に大河を飛び越え、こちらを射程に捉えたレーザー砲が、がくん、と鎌首をもたげる。
 三連砲身が展開し、その間を青白いプラズマが這いまわり――数秒間のチャージの後、《イクリプス》のレーザー砲が発射された。それは周囲を青白い光で染め上げながら、射線上にあるありとあらゆるものを呑み込み、焼き尽くしていく。もはや極太という表現すら生ぬるい巨大な光軸が、とっさに飛び退いた《ワンダフルボディ》と《セレブリティ・アッシュ》の間の空間を焼き、崖を抉りながら徐々に這い上がっていき、
「……っ!?」
 とっさにクイックブーストを起動し、機体を射線上から退避させる。一瞬の差で巨大な光軸が崖上まで登り、たまたま近くにいた一機の《ソーラーウィンド》と数両の輸送車両を飲み込んで消えていく。超高熱のレーザーを総身に浴びせられ、炎にくべられた蝋人形となっていく機体。それが爆散する直前、溶けかかった左の掌が、こちらに救いを求めるかのように広げられるのを、わたしは見てしまっていた。
「……よくも!」
 こみ上げかけたものを押し殺し、頭上を超高速で擦過していく《イクリプス》を睨む。これ以上輸送部隊に被害が出る前に、一刻も早く《イクリプス》をなんとかしなければ。でも、そのためには、あの二機のネクストが邪魔だ――!
『こ、これ以上近づけさせるな! 撃て、撃てー!』
 護衛の《クエーサー》や生き残った《ソーラーウィンド》が、はるか上空に過ぎ去った《イクリプス》めがけて砲弾やミサイルを撃ち散らすのを尻目に、わたしは《メリーゲート》を崖下にダイブさせた。もの凄い勢いで機体が落下していくまま、空中でオーバードブーストを起動。数秒間のチャージを経て機体が亜音速に加速し、猛烈なGに押し潰されそうになりながら、わたしは通信回線で叫んでいた。
「ダン! 輸送部隊は任せた! こっちに来て守ってあげて!」
『お、おい! ちょっと待て、こいつら相手にやる気かよ!?』
 ダンの慌てた声を認識したのも一瞬、《メリーゲート》は即座に崖下に到達し、そのままの勢いで、無数の段差を飛び越えたところでオーバードブーストを切る。風化した岩石を踏み砕き、深々と大地を抉りながら着地した《メリーゲート》は、迫りくる二機のネクストを正面に捉えていた。
『輸送部隊の護りを僚機に任せ、自らは突貫するか。若いと聞いているが、いい判断をする』
『さて、どうでしょう? あまり意味のある行動とは思えませんが』
 二機のネクストがなにか言っているが、知った事か。今のわたしは気が立ってるんだ。左背部の垂直式ミサイルランチャーと両肩のミサイルポッドを展開し、二機をマルチロック。十六個のロックオン・マーカーがそれぞれの目標を捉えていく中、
「ドン! 目標、敵ネクスト! 行くよ!」
『おうともよ!』
 こちらに急行しつつある《ワンダフルボディ》に告げて、頭の中でトリガーを引く。《メリーゲート》の左背部と両肩から大量の白煙が立ち上り、獲物を包み込む蜘蛛の巣めいて二機のネクストに殺到していき、
『――さて。行くぞ、エイ』
『了解。戦術パターンBで行きます』
 二機のネクストが散開しながら、迎撃の砲弾やミサイルを撃ち散らす。そうして噴煙と爆炎とが交錯する中、四機のネクストによる“戦争”が始まった。

 
 

 ACfA Smiley Sunshine
 Episode3:Global Armaments

 
 

 紅蓮の炎が広がり、視界を赤く染め上げる。信管の起爆と同時に広範囲に散布された爆薬がサーモバリック状態を引き起こし、広大な範囲を呑み込んだ爆炎。それが《メリーゲート》のプライマル・アーマーを急激に減衰させ、緑色に塗られた装甲板をじりじりと焦がしていく。こちらの足元めがけて撃ち込まれた、右腕のハンドグレネードランチャーからの攻撃だった。
「ちいっ……!」
 とっさにバックブーストを噴かし、爆炎の被害半径から機体を後退させる。そこを狙いすましたかのように無反動砲の追撃が放たれ、それをクイックブーストで辛くも回避。プライマル・アーマーに接触して起爆した成形炸薬弾が、明後日の方向に重金属の噴流をまき散らしていく。
「まだまだ……!」
 だが、これは好機だ。ハンドグレネードランチャーを撃ってきたという事は、より厄介なハイレーザーキャノンを使えないという事でもあるからだ。回避の勢いのまま、横を取るように《メリーゲート》を動かしながら、反撃をするべく両腕の火器を構え――
「……っ!?」
一瞬ですらない判断の後、攻撃を中止して全力で横にクイックブースト。そこから紙一重の差で、《メリーゲート》がいた場所を、青白い光が埋め尽くしていた。いつの間に武装を切り替えたのか、《ブラインドボルド》の右背部のハイレーザーキャノンが起き上がり、こちらを狙っていたのだ。
『ほう、今のを避けるか。なかなか、やる』
 敵の称賛めいた言葉に、「それはどうも!」と軽口を返しながらも、わたしの内心は強い焦りによって埋め尽くされていた。
 ――五分余りの戦いを経て、戦闘は膠着状態にあった。一見鈍重な《ブラインドボルド》相手に、しかしわたしとドンはずっと攻めあぐね続けていた。
 理由のひとつは、敵の強火力。両腕の武器もさる事ながら、最大の脅威が機体の背中で鎌首をもたげるハイレーザーキャノンだった。対エネルギー防御が低いGA機にとって、致命傷確実の極太の光条を放つ砲口。それが巧みにこちらの動きの先を狙い、こちらの攻撃を押し留めている。“無鉄砲”を意味する機体名とは裏腹の、緻密かつ巧妙な戦い方だった。今思えばさっきのグレネード攻撃。あれもハイレーザーキャノンを使えないと見せかけ、こっちの攻撃を誘うためのブラフだったのか。
 ……悔しいが、大した戦巧者だ。わたしひとりならば、とっくの昔に撃墜されていただろう。
『どうしました? 逃げ回るだけでは敵は倒せませんよ?』
 そして、もうひとつの理由が、上空を飛び回る《ヴェーロノーク》だった。“ボンバー・レディー”、つまり爆撃機のあだ名通りに翼のような形状の武器腕を広げた白と青の機体は、空中をふわりふわりと捉えどころのない動きを見せながら浮遊し、断続的にASミサイルの雨を降らせてくる。インテリオル機の特徴である良好なエネルギー効率を生かし、常時ブースターを噴かしてこちらの頭上を取り続ける《ヴェーロノーク》は、さながら自分以外が天を舞う事を許さない空の支配者だった。
『喰らいやがれ、このあばずれが!』
 《ヴェーロノーク》に向けて拡散式無反動砲を持ち上げた《ワンダフルボディ》は、しかし右腕の肘から先が存在しなかった。先ほど《ブラインドボルド》のハイ・レーザーキャノンを被弾し、持っていたガトリングガンごと溶解、脱落したのだ。
 射出されるなり空中で四発に分裂・拡散し、空中の敵機に殺到した成形炸薬弾の群れは、
『それも計算通り、です』
 しかし絶妙な間合いを維持していた《ヴェーロノーク》によって、横方向へのクイックブーストで危なげもなく回避。そしてその反撃として両腕から大量のASミサイルを撃ち散らしてくる。とっさにフレアを撃ち放とうとするもドンの反応速度では間に合わず、左右から無数の誘導弾を叩き込まれた《ワンダフルボディ》から、『ぐおっ……!』という苦悶の声が漏れてくる。
「ドン!?」
『……大丈夫だ。今は、だがな』
 思わず叫んだ声に、ドンが反応してくれる。だが、いつもの減らず口がない。彼も内心で焦っている証左だろう。
『《ワンダフルボディ》のAP(アーマーポイント)、五十パーセントに低下! 《メリーゲート》もダメージが蓄積しているわ。気をつけて!』
 フランさんがこちらのダメージ状況を知らせてくる。FCSが表示する敵の推定累積ダメージの量と比べても、明らかにこちらのほうがダメージが大きい状況だった。
 圧倒的な殺傷力と耐久性を併せ持つ《ブラインドボルド》に、空中からのミサイル攻撃を得手とする《ヴェーロノーク》という組み合わせは、予想以上に難敵だった。純粋な火力で劣る《メリーゲート》と《ワンダフルボディ》では、《ブラインドボルド》相手に単純な撃ち合いは不利。そしてその間にも断続的に降り続けるASミサイルは、通常のミサイルよりも威力と誘導精度に優れ、その数もあっていくら実弾防御に特化したGA製ネクストといえど看破できるものではない。かといって、もし《ヴェーロノーク》を先に狙おうものなら、《ブラインドボルド》は即座にその隙を突いてくる。
(不味いな、これ……! これじゃ、《イクリプス》を倒しに行くどころじゃない……!)
 まるで両足をもがれたかのような不自由な戦況に、内心で毒づく。
 一方、わたしたちの後ろ。わたしに代わって崖上に移動したダンはといえば、新たに投下されたノーマル部隊と《イクリプス》との上下同時攻撃に苦戦しているようだった。
『ちぃっ、ノーマルなんぞに!』
 上空から飛来してきた《タイプ・アージン》をライフルで迎撃していく《セレブリティ・アッシュ》。瞬く間に蜂の巣になった二機が火だるまになって墜落していくが、それでも残った数機が崖上に到達し、《セレブリティ・アッシュ》に襲いかかってくる。
『しまっ……うわぁっ!?』
 そのうちの一機が展開したレーザーブレードを、《セレブリティ・アッシュ》が際どいタイミングで展開した橙色の光条が受け止める。
『こな……くそぉっ!』
数瞬の鍔迫り合いの後、レーザーブレードの出力と機体パワーの差で押し切った《セレブリティ・アッシュ》が、空中でたたらを踏んだ《タイプ・アージン》を返す刀で両断する。だが、
『ちいっ! またコレかよ!?』
 仕留めた瞬間を狙って飛来した《イクリプス》のミサイル攻撃が、《セレブリティ・アッシュ》の足元に次々と着弾していく。たまらず上空に避難した《セレブリティ・アッシュ》に、今度は放物線を描いて落下するオレンジ色の光弾が襲いかかった。《イクリプス》が上空を通り過ぎがてらに、無数の爆雷を投下していったのだ。
『うおおおおおっ!? 危ねぇぇっ!』
 とっさにブーストを左右に噴かし、奇跡的といってもいいタイミングで回避していく《セレブリティ・アッシュ》の姿に、わたしは内心で胸を撫で下ろした。
 元々ダンは大口を叩くわりに臆病な気質で、だから攻撃面ではやや消極的なきらいがあるぶん、回避のスキルだけはずば抜けて高い。今のはまさにそれが功を奏した形だったが、このままではいずれやられるのは火を見るより明らかだった。
 それは輸送部隊の護衛についていたGAの部隊も同様だった。護衛の《ソーラーウィンド》が一機、また一機と膝をついていき、要だった《クエーサー》も主砲を撃つどころか、取りついた敵機を近接攻撃用の機関砲で追い払うので精いっぱいという有様。
「……っ!」
 フランさんを介して送られてくる味方の苦境に、ぎり、と奥歯を噛む。
 ……先ほどの言葉を訂正しよう。膠着状態どころではない。時間が経てば経つほど確実にこちらが不利。チェスとかで言う、両取りを仕掛けられた状態だ。
『どうする? このままじゃ不利になるだけよ。最悪、撤退も視野に入れないと……』
『どうする、ってそっちこそどうすんだよ! 今更、友軍置いて逃げられるもんかよ!』
 フランさんとドンが通信回線で言い争いをしているのを尻目に、わたしは考えを巡らせていった。
(どうする……どうすれば……!)
 ……作戦は、ないわけでもない。まずオーバードブーストで一気に肉薄しつつ攻撃を回避、そのまま敵を飛び越えて急旋回し、《ブラインドボルド》の背後を取るという作戦だ。うまくすれば《ワンダフルボディ》と挟撃する形になり、現状の不利をひっくり返せるかもしれない。
 不安要素と言えば、確実に来る《ブラインドボルド》の初撃を回避できるかどうか。そしてフリーになってしまう《ヴェーロノーク》がどう動くかだが――フレア・ディスペンサーを装備した《ワンダフルボディ》なら、多少のミサイル攻撃にも耐えてくれるはずだった。どのみち、このままじゃふたりともやられるだけだし、ならば女は度胸……!
「突貫する! ドン、合わせて!」
「お、おい! お前、なにを……!」
 一方的に宣言し、オーバードブーストを起動。戦場に甲高い音が響き、機体越しにもそれと分かる緑色の光が視界の端に膨らんでいく。
『……オーバードブーストだと!』
『正気ですか!? この局面で突撃なんて……!』
 機体の背後に灯った緑色の光を察知した《ブラインドボルド》が後退していく一方、慌ててこちらに転進した《ヴェーロノーク》が空中からミサイルの雨を降らせてくる。が、それらが着弾するよりも早く、オーバードブーストを完全起動させた《メリーゲート》が急加速。一気に亜音速にまで到達した機体を追いきれず、ASミサイルが次々と地面に着弾し、爆発していく。
「……っ、ええい……っ!」
 次いで正面から飛来した極太の光条を、オーバードブーストの推力を横方向に傾けると同時にクイックブースト。二重に掛け合わさった推進力でもって強引に回避していく。極太の光条はぎりぎりのところで狙いを外され、《メリーゲート》の右脚の装甲を深々と抉る。右脚に灼けるような痛みを感じるのも構わず、ただひたすらに機体を前進させ、
『ほう、思いきった手に出る!』
 必殺のはずだった一撃を回避された《ブラインドボルド》が、感嘆の言葉とともにクイックブーストで後退するが、今の《メリーゲート》の推進力はそれを圧倒的に上回っている。あっという間に《ブラインドボルド》を追い越すと、オーバードブーストを切りながら急速旋回。両肩から互い違いで噴出した炎が、慣性で空中を滑る機体を一気に百八十度旋回させ、背中を向けた《ブラインドボルド》を真正面に捉えていた。
『むうっ……!』
「これで……終わりよっ!」
 吠えて、両腕の火器を持ち上げる。後は頭の中でトリガーを引き、目の前の敵を叩き潰すだけ。如何な重装甲のネクストだろうとも、装甲が薄い背後からの集中攻撃は必ずや致命傷となるだろう。だが、
『だが……まだまだ若いな。周囲が見えているようで見えていない』
 次の瞬間、悠然と放たれたその言葉の意味を、否が応でも理解させられた。背中をこちらに向けた《ブラインドボルド》の向こう。そこにはいつの間に転進したのか、こちらに艦首を向ける《イクリプス》の巨体があったのだ。
『……っ!? しまった! 《イクリプス》、そっちに向かっているわ!』
 数瞬遅れて、フランさんが通信を送ってくる。そうしている間にも、《イクリプス》下部のレーザー砲が旋回し、こちらを捉えるのが見えた。
(うそ……!? 輸送部隊じゃなく、こっちを狙ってきたっていうの……!? それじゃ、ダンは……!?)
 驚愕するのも一瞬、《イクリプス》の機体下部の三連砲身が、がばり、と展開して青白いスパークをまとい、奥に見えるレンズ体に強い光が収束していく。威力よりも速射を重視したのか、チャージもそこそこに放たれた巨大な光軸が視界いっぱいに迫り――
「……ええいっ!」
 意識を回避に全集中。統合制御システムのリミッターを無理やり解除し、サイドブースターが限界を超えたダブル・アクセルとなって咆哮。神速さながらに急加速した機体が、機体の大部分を光軸の射線上から退避させていた。だが残った部分、右肩のミサイルポッドが膨大な熱量に晒されて至近距離で爆発、右腕の肩部装甲と右背部のレーダーユニットを破壊していった。
「くあああああっ!」
 そのフィードバックダメージと、限界を超えた機体負荷が、猛烈な頭痛となって襲いかかってきて、一瞬意識が飛ぶ。爆発の衝撃もあって態勢を崩していた《メリーゲート》が、それでも右脚を踏ん張ろうするものの、
「うあっ!?」
 瞬間、鋭い痛みが奔り、機体のバランスが崩れる。とっさにアラートサインに意識をやれば、そこにはメインフレーム損傷の文字。さっきのハイレーザーキャノンの一撃は右脚の装甲板を抉るのみならず、その下の骨格たるメインフレームにまで深刻なダメージを及ぼしていた。そしてそれが激しい着地の衝撃によって限界に達したのだ。
 右足首の関節をあらぬ方向に捻じ曲げた《メリーゲート》は、着地に失敗して無様に転倒して、
『メイ、前よ!』
 そして、その一瞬が命取りだった。割って入ったフランさんの声に、はっ、と前を向けば、そこにはいつの間に急速旋回したのか、こちらを正面に据えた《ブラインドボルド》の姿があったのだ。こちらを冷徹に見据える青白いカメラアイ同様、ハイレーザーキャノンの砲口に青白いプラズマ光が奔り――
「メイ――!!」
 ダンの絶叫が、通信回線を介して聞こえる。そちらをちらりと見れば、やっとノーマル部隊を撃破したのか、輸送部隊の護衛を放り投げてこちらに向かってくる《セレブリティ・アッシュ》の姿。
(……ああ、だから、輸送部隊のほうに居てあげてって言ったでしょう、この馬鹿ダン……でも、無事でよかった……ごめんね……学校で依頼を受けたあの時、もっと強く反対していれば、こんなコトにダンを巻き込まずに済んだのにな……)
 ……なんてコトを思いながら、わたしはもうろうとした意識のまま機体の手綱を握ろうとした。だが、酷い頭痛と右脚の痛みのせいで思うように意識が働かず、結果として身を起こす事すらできなかった《メリーゲート》は、ただ敵の攻撃を待つだけとなって、
『捉まえたぞ』
 そうして、明確な殺気となってこちらに向けられた声は、
『――こちらもな』
 しかし、まったく別の方向から向けられた声によって中断させられていた。
『ぬ……、む……っ!』
 とっさに《ブラインドボルド》が攻撃を中断し、上を向いたのも束の間、上空から飛来した大口径の成形炸薬弾が二発、狙いすましたように《ブラインドボルド》のハイレーザーキャノンに突き刺さり、チャージされていた大量のエネルギーともども爆発。その重装甲に深々とした傷跡を刻んでいた。
『ヤン!? ……っ!』
 はるか後方にいた《ヴェーロノーク》が反応し、《ブラインドボルド》のところに向かおうとする。だが、そんな彼女の元にはすでに、八発の高機動型ミサイルが差し向けられていた。比較的低速の、しかし通常のミサイルとは比べ物にならない誘導性能を誇るそれらを、《ヴェーロノーク》は回避できなかった。コアに、左腕と左足、そして右背部のミサイルランチャーに次々と直撃を喰らった機体がよろめき、白と青で彩られた装甲を黒く汚していく。
『なんとか、間に合ったようだな』
 そうして、二機のネクストが膝をつく中で。彼らと《メリーゲート》の間に割って入るように、その機体は着地した。
 傾斜装甲が正面に大きく張り出したコアに角ばった頭部、膝の部分にぶ厚い装甲板が取り付けられた中量級脚部は、GAの標準機のひとつ《サンシャインL》のものだが、その両腕は通常の人間を模したものではなく、腕部そのものと一体になった大口径の無反動砲に置き換わっている。背部には高速型ミサイルランチャーとハイアクトミサイルランチャーを装備。全身の装甲を暗い赤色で塗装し、左肩にはギターをかき鳴らす男のエンブレムが描かれた、その機体は――
「こ……これ、は……」
 呆然とした声が出る。目からはらはらと涙がこぼれてきて、ぽかんと空いた口の端が、次第に笑みのカタチになっていくのが、自分でも分かった。
『メイ、無事か?』
 目の前の機体から、低い声が発せられる。わたしよりもずっと齢を重ねた、渋い壮年の男性の声。荒々しい巌を連想させる、けれどもひどく暖かい優しさが籠められたその声の主は――
「……お義父、さん……?」
 そうして、わたしの言葉にわずかに頷くそぶりを見せると、目の前の機体がくるりと旋回し、身を起こしつつあった二機のネクストに相対すると、自分から名乗りを上げた。
『こちらグローバル・アーマメンツ社所属。ネクスト《フィードバック》だ』
 カラードランク四位、《フィードバック》。リンクス名、ローディー。
 GAの人間で、その名と機体を知らない者はいない。リンクス管理機構カラードでも指折りの実力者であり、言わずと知れたGA社最高位のネクスト戦力。その低いAMS適正によりかつて“粗製”と呼ばれながらも、リンクス戦争においてそれを覆すだけの圧倒的な戦果を挙げた、GAが誇る立志伝中の英雄。それが、わたしの義理の父にあたる人だった。
「ローガン……!? どうしてここに? グリフォン支社に到着するはずじゃ……」
『なんだぁ!? 娘可愛さでこっち来ちまったのかよ、大佐殿!』
 フランさんとドンが口々に驚きの声を上げる。だが、それには答えず、
『よくも俺の娘を痛めつけてくれたな。その代償、高くつくと思え!』
 そんな言葉を吐き捨て。《フィードバック》は今や完全に身を起こしていた二機のネクストめがけて、高速で突貫していた。
『まさか、ここでランク四位のお出ましとはな……!』
 搭乗者の声とともに《ブラインドボルド》から放たれた大口径の榴弾と成形炸薬弾が、煙の尾を引いて《フィードバック》に殺到。次いで《ヴェーロノーク》から放たれた十数発ものASミサイルが、包みこむような軌道を描いて向かっていく。だが、
『……っ! 当たらない!?』
 《ヴェーロノーク》が驚愕の声を上げる。二機のネクストに向かって突進する《フィードバック》の勢いは止まらない。二機のネクストから放たれる怒涛のごとき攻撃は、しかし《フィードバック》にかすりもしなかったのだ。まるで風にそよぐ柳の枝のようだ。機体としては重量級に近い重厚な機体がそれに反して俊敏に動き、敵の攻撃をある時は紙一重で、またある時は余裕をもって回避していく。
 反応が早いのではない。彼の反応速度は、むしろリンクスとしては致命的に遅いほうだ。だが、彼はこれまで培った経験から、敵の攻撃のタイミングや軌道をあらかじめ読み、それに最適の動きを選択し続けているのだ。無論、誰にでもできる事ではなかった。自身が弱兵である事を自覚しながら、それでもなお血の滲むような鍛錬を続け、そうしてリンクス戦争から今日の企業間戦闘において、常に最前線に立ち続けてきた彼だからこそできる芸当だ。そして、それは回避の面だけではなかった。
『むうっ……!』
 《フィードバック》の両腕から放たれた二発の成形炸薬弾が、《ブラインドボルド》の胴体部に突き刺さる。大して弾速の速くないそれらを、《ブラインドボルド》は回避できなかった。回避する方向を正確に予想されていたからだ。曲面で覆われた重装甲に深々としたへこみを残し、たたらを踏んだ《ブラインドボルド》に、次いで放たれていた八発の高機動型ミサイルが叩き込まれ、その巨躯が爆炎で覆い隠される。
『ヤン!』
 悲痛な叫びとともに、《ヴェーロノーク》が機体を割り込ませる。自爆覚悟で発射されたASミサイルが《フィードバック》に向けて殺到し――しかし、それよりも早く《フィードバック》は動いていた。機体を急速後退させながら、いつの間に武装を切り替えたのか、右背部の高速ミサイルを展開。通常のそれを上回る初速と加速を有する八発のミサイルが、軌道上のASミサイルを薙ぎ散らしながら《ヴェーロノーク》を襲う。
『きゃあああっ!』
 甲高い悲鳴が響く。直撃を受けた右腕が、頭部が、左背部のミサイルランチャーが脱落し、弾き飛ばされた《ヴェーロノーク》が後ろにいた半壊状態の《ブラインドボルド》に激突。搭乗者が気を失ったのか、白と青の機体がぐったりとその身を横たえていく。
『す、凄ぇ……! あの二機が、あっという間に……!』
 目の前で行われた、数に劣るはずでながらの圧倒的な猛攻に、ドンが息を呑む。そしてそれは、わたしも同様だった。義父の戦いを見るのはもっぱらシミュレーターか摸擬戦、あとは通常戦力を相手にしたものが中心で、目の前でネクスト戦力を相手にする様を見るのは、ずいぶんと久しぶりだったのだ。
(……これがカラードランク四位。最高クラスのネクスト戦力の実力……!)
 と、わたしが驚愕と感動に打ち震えている時だった。
『スゲェ!? い、いや、確かにスゲェけども、そんなコトよりもっ!』
 横合いから無神経な声が入ってくる。言わずと知れた、ダンのものだ。彼は機体の右腕で《フィードバック》を指さしながら、
『お、お義父さん!? このひとが、お前のお、お義父さんだって!?』
『はっはっはっ。ダン・モロくん、君に“お義父さん”などと呼ばれる筋合いはないな』
 ダンの言葉に、飛び退るようにしてわたしの前方に着地した《フィードバック》が、両腕の無反動砲を擱座する《ブラインドボルド》と《ヴェーロノーク》の向こう――崖を飛び降り、こっちに向かってくるところだった《セレブリティ・アッシュ》に向ける。
『うえっ!?』
 搭乗者の動揺そのままに、《セレブリティ・アッシュ》が急停止し、後ずさる。友軍信号が出ている以上、FCSのロックオンの対象にはならないが、それは弾が撃てないという意味ではない。黄色く輝く単眼が、次に言えば容赦なく撃つ、と告げているかのようだった。
『わっ、分かりました! もうお義父さんって呼びません!』
 ……おいおい。呼んでる。言ってるそばから呼んでるって。
 とはいえ、その動揺も仕方ないのかもしれない。お義父さんのコトを知った人はだいたいこういう反応をするし。そもそも戦闘中に、あの圧倒的な実力を見せつけられた後でコレでは、こんなふうに慌てるのも無理はないか。
 ――そうして、場の空気がやや弛緩したところで、
『……潮時だな。《ブラインドボルド》、撤退する』
 それを隙だと感じ取ったのか、半壊状態で擱座していた《ブラインドボルド》が起き上がった。右腕のハンドグレネードランチャーをためらいもなく投げ捨てると、行動不能になった《ヴェーロノーク》を抱え上げ、オーバードブーストを起動。《ブラインドボルド》の背部に無数に灯った緑色の光が数秒間のチャージの後に拡大し、一気に亜音速まで加速した二機のネクストが、大河を越え、戦場から離脱していく。
『ちっ、逃がすか……!』
 とっさに《ワンダフルボディ》がオーバードブーストを起動しようとして、
『止めておけ。逃げる敵は、追うものではない』
 それを《フィードバック》が押し留める。その言葉に発動途中でオーバードブーストを緊急停止させた《ワンダフルボディ》を横目に、前方の空を見上げ、
『それに、まずはこいつを何とかするほうが先だ』
 《フィードバック》がカメラアイを向ける先を見れば、そこにはこちらにまっすぐに向かってくる《イクリプス》の姿があった。護衛となるはずだったネクスト二機を失ったアームズフォートは、その焦りを示すかのようにレーザー砲をチャージしながら、次々とミサイルを、近接攻撃用のレーザーガンを撃ち放っていく。それらが高速で飛来する中、《フィードバック》はこちらにカメラアイを向けると、
『メイ、立てるな? では、やるぞ』
 黄色く光る単眼の輝きが、ある種の優しさをもって見つめてくるように感じられて、
「は、はいっ……!」
 返事とともに、倒れ込んだままだった《メリーゲート》をなんとか起き上がらせる。起き上がって最初に見えたのは、広大な谷間を埋め尽くすかのように広がる、《イクリプス》の巨体。その機体下部のレーザー砲が、チャージを完了したのか、一際強い輝きを放ち、
『各機、散開! 敵アームズフォートを迎え撃つ! ふたりとも死ぬなよ!』
『「了解!」』
 その言葉に、わたしとドンが同時に答える。
 ……依然、危機的な状況は続いている。相手はGA機が苦手とするエネルギー兵器を主兵装としたアームズフォートであり、副兵装を総動員した今や、まるで火線のハリネズミだった。うかつに動けば即死亡の厳しい相手。こちらもダメージが蓄積しているし、それに輸送部隊がどうなったのかも気になる。
 ――それでも、負けるつもりはもはや、微塵もなかった。

 

 

 十三時三十分、太平洋上空の“クレイドル空域”にて。

「え~……では、我々の任務達成と、大佐殿のご帰還を祝って……乾杯っ!」
 ドンの挨拶とともに、部屋中の人間が右手に持ったコップを掲げる。そうして、
「「「乾杯っ!」」」
 全員がその言葉を唱和するとともに、近くにいた相手とコップを打ち鳴らし、それから思い思いにコップの中身を、ぐい、と呷っていく。ちょっと甘みと苦みが強いオレンジジュースが喉を灼き、胃を通してなにかを全身に拡げさせていった。
「……ぷは~っ」
 オレンジジュースを飲み干し、息を吐く。うん、やっぱり任務の後の一杯は格別だ。ただでさえ喉が渇いているし、それにこんな機会めったにないのだから、もっと飲んでおこう。そうしておかわりをするべく、何故かペットボトルではなく缶入りになっているオレンジジュースを開けたところで、
「よう、お疲れさん」
「あ、ダン。そっちもお疲れさま」
 青いパイロットスーツ姿にアップルジュースを片手に持ったダンが、いつもの調子で声をかけてきて、とりあえず缶と缶とを打ち合わせる。そうして、互いにジュースを一口して、
「……しっかし、お前のおと……じゃなかった、ローディーさんには参ったよ。出会い頭に『お義父さんと呼ぶな!』っていきなり銃口向けてくるんだもんな」
 いきなりぶっちゃけてくるダンの言葉に、頬をぽりぽりとかいて、
「あはは……まあ、お義父さんは、男の人にはいつもあんな感じだから」
「……へ~、そうなんだ……ちょっとそれ、ヤバくね?」
「え、そうなの? 世の父親って、みんなそんなものだと思ってたけど」
 というわたしの言葉に、ダンは何故かおし黙って視線を明後日のほうに向ける。そうして、その視線がぐるりと室内をめぐって、暗い赤色のパイロットスーツを着た、黒髪を後ろに撫でつけ、口髭を生やした壮年の男性――わたしのお義父さんのほうを向いたところで、
「……っ! ……あ~、じゃあ俺、そろそろ行くわ。じゃ、また後でな!」
 と、そそくさと部屋の隅のほうに移動していった。その後ろ姿を見つめ、
「……ヘンなの」
 と呟いて、コップの中身をあおる。強い酸味と甘みが口内を刺激し、ふんわりとした後味が頭中に染みわたるかのようだった。

****

 ……あの後、わたしとお義父さん、あとついでにドンの三機による連携攻撃で《イクリプス》を迎撃、これを撃退した。とはいえ、ネクスト二機が撤退した時点で敵もこれ以上の戦闘は危険と判断していたのだろう。数回の交差の後に《イクリプス》はあっさりと転進し、展開中の戦力を回収しつつ離脱していった。さすがにそれ以上の敵の増援はなく、ダンの護衛もあって輸送車両部隊も無事に作戦領域を離脱したため、めでたく作戦完了と相成ったというわけだ。
 飛行型ノーマルが二個中隊に大型戦闘ヘリ十数機、飛行要塞二機に加え、増援のアームズフォートに飛行型ノーマル多数、そしてネクスト二機。これだけの敵戦力が出てきたわりに、輸送部隊に被害はほとんどなく、護衛のノーマル部隊に多少の損害が出たのみ。結果としてみれば、作戦は大成功の部類であったと言えるだろう。
 ……ホントは、その多少の損害がなければもっと良かったのだが。そんなコトを思い、あの時見た溶けかかった機械の掌を、記憶の片隅に追いやる。
 で、その後なのだが、わたしたちはお義父さんが乗ってきた輸送ヘリ《バラクーダⅣ》の、客賓用の部屋を借り切って、そこでこうして即席の飲み会などをやる事になっていた。
 本来なら、それぞれ別の機に乗って帰らなければならないし、実際行きはそうだったのだが、任務の内容がけっこう過酷だったために、エンリケ部長とお義父さんがみんなをねぎらう意味でそのような発案をしてくれたのである。
 ちなみに、その時の流れはというと――

『――本日午後零時をもって、予定通り輸送作戦の終了が確認された。今回の諸君の働きは、作戦部長の私としてもまことに感に堪えない。今回はささやかながら諸君の労をねぎらいたい』
『エンリケ部長は……ビール、つまみ、その他もろもろ、ポケットマネーから出してくださるそうだ!』
『な!?』
『おおーっ、すご~い! エンリケ部長ってば太っ腹!』
『え、マジ!? てか、俺もいいの!?』
『さっすが~、エンリケ部長は話が分かるッ!』
『ローガン! わ……私はお前が自分の財布から、予備費にいくらか足すと言うから……!』
『いやいやいや、部長! これで明日からまた、全員気持ちよく仕事ができる。いやまったく、人心掌握術とはこうありたいもんだなあ』
『ええい、ああ言えばこう言う……! まったく、ユナイトといいお前といい、調子のいい後輩を持つと苦労させられるよ……!』

 ……というワケで、この輸送機にある備蓄の食糧――のわりに、ビールとかジュースとかお菓子とかが多かったりするのだが――は好きに飲み食いしていいコトになって、その費用はエンリケ部長がもってくれるというコトになったのだ。
 とはいえ、当のエンリケ部長はといえば、ここにはいない。同じくここにいないフランさんと一緒に、別室で今回の作戦の事とかを話し合っているらしい。予測されていなかった敵増援――それもアームズフォートにネクスト二機という戦力が来たというのは、彼らのような事務方にとっていろいろと大問題らしく、けっこう深刻な話をしているらしかった。なので、ここにいるのは今日の戦場を戦ったリンクスたちだけという事になる。
 ……もったいないなぁ。ふたりもこっちに来て、みんなでやれば、もっと楽しいのに。

****

「いや~、今回も助かりましたよ、大佐殿。大佐殿があのタイミングで来てくださらなかったら、俺たち、どうなっていた事か」
 一方、部屋の真ん中あたりでは、わたしの義父と、ドンがなにやら談笑をしていた。
「はは、気にするな、カーネル大尉。まあ、できれば、俺の力がなくともその場を潜り抜けられるようになってほしいものだがな」
「ははは! いや、おっしゃる通りで」
 お義父さんの皮肉めいた言葉に、ドンがぴしゃり、と自分の額を叩く。そうして、少しだけ真面目な顔をして、
「でも、大佐殿がいない間は実際大変だったんですぜ? アルゼブラの連中は鹵獲したアームズフォートを使ってきやがるし、インテリオルは味方を捨て石に見え見えの罠を張ってくるし、オーメルはなにやら不穏な動きを見せているしで……その挙句に、今回の作戦でこの始末ですからねぇ」
 ドンの言葉に、お義父さんが「ふむ……」と立派な口髭を撫でていく。
「例の“アルテリア”襲撃犯だってまだ見つかってないんでしょう? その一件といい、年々激化する企業間戦闘といい、最近はちとキナ臭すぎる。昔はもっと大らかにドンパチやってましたが、今はもっと過激に、狡猾になってきてやがる。まるで、ありとあらゆる者たちがなにかこう、生き急いでいるかのような……」
「なるほど。……たしかに、リンクス戦争の前夜に通じるものがないではないな」
 そうして話を打ち切ったところで、両者の間をしばし沈黙が流れ、
「だもんで、正直、今の情勢は俺たちだけではちと荷が重……うおっ!?」
 そこで唐突に、ドンが悲鳴めいた声を上げる。後ろから近寄っていったわたしが、「そうよ!」と声を上げていたからだ。
「お義父さんのバカ! お義父さんがいなくてわたし寂しかったし、それにお義父さんがいない間は、ホントに大変だったんだから!」
「う、うむ……それは済まなかったな」
 がーっ、とまくし立てたわたしの剣幕に、お義父さんの大きな体がたじろぐ。「お、おい、メイ……!」と横合いからドンが口を挟んでくるが、そんなのは知った事か。
「GAってば人使いが荒いし、任務は相変わらずキツいし、オニールさんはいつも適当だし、そのせいで何度か死にかけるし! おまけにヘンなクソガキにはぶん投げられるわで~! も~!」
 そこまで一気に吐き出したところで、目からぽろぽろと涙がこぼれてくる。
 ……なんか、今日のわたし、ちょっとおかしいような気がする。なんか感情の振れ幅が大きいというか、涙もろくなってるっていうか、ちょっとハイになってるっていうか。心なしか、顔がぽうとなって、足腰もふらふらするし。……最近任務がキツかったし、よっぽど疲れてたのかな?
「そ、そうか……それは大変だったな。ほらほら、あまり泣くもんじゃない。せっかくの美人が台無しだからな」
 パイロットスーツの何処から取り出したのか、お義父さんが白いハンカチを差し出してくる。それを受け取り、目尻に溜まった涙を拭きとっていき、
「うん……ありがと……。あ、でも、ちょっと良い事もあったかな……。ほら、例の噂の新人リンクスさん。わたし一回だけ協働したんだけど、その時に逆に助けられちゃったりしてさ……えへへ……」
 それでもぽろぽろと涙をこぼしながらのわたしの説明に、お義父さんは「そうか、そうか」と頷き返し、
「……それはそうと、その新人リンクスとやらについて、もっと詳しく教えなさい」
 そう聞いてくるお義父さんの表情は柔和そのものだが、よく見ると目が笑っていない。まるで狩るべき獲物を見つけた鷹のような、そんな目をしている。視界の端でドンが肩をすくめるのが見えたが、頭がふわふわしてそれをなんにも疑問に思わなかったわたしは、素直にうなずくと、あの時の事を説明し始めたのだった。
「うん。その新人さんとはね、この間のリッチランドでの任務で協働したんだけど……」

****

 ――そんなふたりの様子を、ダン・モロは部屋の隅にあるシートに座り、じっと見ていた。なにしろ、他にこの部屋にGAのリンクスしかいないのである。ある意味、部外者である自分がこうなるのは自明の理であったし、唯一親しい間柄であるメイにしたって、彼女にしてみれば他に優先して話しかけるべき相手がいたというだけなのだろう。暇つぶし用の携帯端末を持ってこなかった不明を後悔しもしたが、それも後の祭り。ダンは周囲に聞こえぬよう、こっそりとため息をつく。と、
「よっ、ダン。こんな片隅でなにやさぐれてるんだ?」
 そこへ、サンドカラーのパイロットスーツを着た男がなれなれしく話しかけてくる。言わずと知れたドン・カーネルである。さっきまでローディーとなにやら深刻そうな話をしていた彼が、蓋を開けた瓶ビールと、同じくビールらしき金属缶を両手に持ち、あぶれ者の自分に話しかけてくる――どうせからかわれるに違いないと思った矢先、
「ほれ」
「うわっ……っと!」
 掛け声とともに缶ビールのほうを放り投げてくる。それを慌てふためきながらもダンが受け取ると、ドンはダンに許可を求める事なく、隣にどっかりと腰を下ろし、
「あの親子はなにやらふたりだけの世界に入ってるしな。ああなると長ぇんだ」
 と、聞いてもいないのに自分から説明してくる。どうやら、ドンのほうも自分と同じようにあぶれた口であるらしい。それにほっとするやら、悲しいやらで「は、はぁ……」と返すと、その煮え切らない返事になにかを感じ取ったのか、
「がはは! さすがに大佐殿がいる前で、あいつに話しかける勇気はないか! そりゃそうだ! マジでぶん殴られかねねぇもんな!」
 と、爆笑しながらダンの肩をばんばん、と叩いてくる。図星を突かれた形になったダンは、無言のまま自分自身に悪態をついた。この機会に、少しでもメイと親交を深められればいい。あのにぶちんめ。普段こそのらりくらり、馬耳東風といった感じだが、命に係わる時ならば“吊り橋効果”なんてものも望めるかもしれない。美味しいところこそ持っていかれてしまったが、あいつのために体を張ったのは事実なのだ。いっその事、父親公認にでもなってしまえば――安易にそう考えていた数十分前の自分を蹴っ飛ばしてやりたい。とてもじゃないがあの鉄壁のガードと、殺気すら感じさせる鋭い視線を潜り抜けて話しかける気になれず、「高いなぁ……」と越えるべき壁の高さを悲観していると、
「ん? なにが高いな、だって?」
 と能天気に聞いてきたドンに、
「いや、なんでも……。それはそうと、あのふたり、義理の親子だって言ってましたけど、いったいどういう馴れ初めなんです? それにあのひとの事、フランさんがローガンって呼んでましたよね。てっきりローディーっていうのが名前だと思ってましたけど……」
 話題をごまかしがてら、さっきからの疑問をぶつけてみる。すると、ドンはなにやら得心がいったような顔をして、
「ああ、それか。ローガン・D・グリンフィールドってのがあのひとの本名なんだよ。で、ローガンの“ロー”とミドルネームの“ディー”を繋げて、“ローディー”と……まあ、そういうコトさ。ま、あだ名がそのまま定着したみたいなもんだよ」
「あだ名みたいなもん、って……そんな簡単に。仮にもリンクスネームでしょう?」
「そこはほら、いろいろと家庭の事情とかあったらしいぜ。実家や親類とはそりが合わなかったとか、音楽の道じゃ食っていけずに仕方なく企業の軍隊に入ったとか、まあ詳しい話までは知らねぇけどさ。ああ見えてあのひと、若い頃は反骨精神の塊だったみたいだからな。あのイカれたエンブレムで分かるだろ? あれでもずいぶんと丸くなったほうさ」
「そりゃ、まあ……」
 と、ダンは口を濁し、手に持っていたアップルジュースに口をつけた。ふぬけた酸味が口内に広がっていく中、ドンも酔いが回っているのか、饒舌に言葉を続けていく。
「で、ふたりの馴れ初めなんだが、リンクス戦争の後、故郷の街が焼かれて身寄りのなかったメイのやつを、大佐殿が迎えに行ったのが縁なんだとよ。で、本社で本格的に検査してみたら思ってた以上にAMS適正が高かったもんで、本社としては取締役会の直轄リンクスにしたかったらしいんだが、それにあいつの面倒を見てた大佐殿が強硬に反対してな。エンリケ部長とかも巻き込んで上とだいぶもめた末に、紆余曲折あって、結局大佐殿の養女って形に収まったというワケだ」
 そこまで言ったところで、ひとつ酒臭い息を吐くと、
「で、後はお前も知っての通りだ。リンクス養成学校でお前と一緒にリンクスの基礎を叩き込まれながら、GAで《ニューサンシャイン》や各種兵装のテストパイロットをして、そうして若干十三歳でカラードに正式デビュー。そうして今は学生なんぞやりながら傭兵稼業と……ま、そのへんは、テストパイロットのとこを除けば、お前も似たようなもんなんだがな」
 そうして、「たしか、十五の時だったっけ? お前の場合?」と続けたドンの言葉を、ダンは聞いていなかった。ある意味、人生でもっとも多感な時期を、彼女は軍事漬けで過ごさざるを得なかったという事実――それに、ダンはうすら寒いものを感じ、
「でも、だからといってああいうふうに甘やかす理由にはなりませんよ」
 と、我知らず反発めいた言葉を口にしていた。すると、ドンは至極真面目な顔をして、
「親が子を大事にするのに、なにか理由がいるのかよ?」
 正論めいたその言葉に、自分はどうだっただろうか、とダンは考える。リンクス戦争の最中、生まれ故郷だったコロニー・シングの避難キャンプでAMS適正を見出されて以降、自分ひとりの力で生きてきたつもりになっていた。企業が全てを支配するこのご時世にあえて企業の囲い込みを受けず、独立傭兵という道を選んだのもそのためであり、それは同時に、故郷で細々と下請け会社を営む両親への反発でもあったのだ。
 とはいえ、両親は依然として健在であり、たまに電話や手紙でのやり取りもするし、仕送りだってしてくれている。近年になってめっきり老け込んだ両親の顔を思い出し、訳もなく恥辱に震えたダンは、「でも……!」と言いつのっていた。だが、
「あいつ見てりゃ分かるだろうが。たしかに甘やかされちゃいるが、決してそれにただ乗りしてきただけというわけじゃない。あいつがどれだけシミュレーターやら訓練やらやってきたと思ってる。あいつはたしかにぴーぴーうるさいひな鳥だが、ひな鳥はひな鳥なりに、自分の翼で飛ぼうとしてやがるのさ」
 言い含めるようなドンの言葉に、ダンは内心で反発を覚えた。努力なら俺だって――
(……本当に? 本当にそう言えるのか?)
 昨日の学校での、メイとの会話を思い出す。俺はあいつほど鍛錬をしてきたか? 勉強をしてきたか? 自分の実力不足を言い訳にして、楽な任務ばかりこなしてきたのではなかったのか? その諸々全てが、今の俺とあいつのランクの差なんじゃないのか? あいつがひな鳥だというなら、この俺はいったい何なのか――
 そんな思いが顔に出ていたのだろう。ドンはなおも言葉を続けていく。
「あいつがお前や俺よりも一足早くリンクスになれたのは、あいつがこれくらいのガキの頃から努力して、結果を出してきたからだ。この俺だって戦闘経験やら戦術眼やらセンスやら、そういった分野で負けてるつもりはないがね。それでもリンクスとしての腕前や実績は、あいつのほうが上さ。俺の《ワンダフルボディ》やお前の機体に使われてるパーツだって、あいつが基礎調整頑張ってくれてたから、今の性能があるんだぜ?」
 その言葉に、ダンは、はっ、と顔を上げた。GAのテストパイロットをしていたのは知っていても、ネクスト用パーツの調整までやっていたというのは初耳だった。あいつが、そんな事まで――これじゃ、どっちが守られていたのか分かったもんじゃないな、そう自嘲した時だった。
「……まあ、あいつはあいつで“爆弾”抱えちゃいるし、だから支援主体の機体なんか乗ってるんだが……」
「……爆弾?」
 不意に聞こえてきたその言葉が、ひどく引っかかった。思わずオウム返しに呟くと、ドンはいかにも、しまった、という表情をして、
「ああっと……そうだな。例えば、だ。ほら、あいつ、黙っていればけっこう可愛い顔してるだろ。おまけに歳のわりに胸はデカいわ、人当たりもそう悪くないわで、通常軍やリンクス研究所の連中にはけっこうな人気があってな。その中にはマジで言い寄るような不届き者もいたわけだ。ま、実際に手出されるまでは行かなかったようだがな」
「それは……まあ……」
 あからさまにはぐらかされたとは思いながらも、あり得る話だと、ダンは思った。リンクスという存在が、その希少性と圧倒的な戦闘力ゆえに半ば特別視されたり、恐れられていたのも今は昔。現在では老若男女問わず全ての人間にAMS適正の検査が義務付けられており、質さえ問わなければAMS適正者の数は増加の一途を辿っている。カラードに正式採用されているリンクスこそ数十人程度に過ぎないが、企業や研究機関に属するパイロットや被験者はおそらく数百は下るまい。加えて、昨今のアームズフォートの台頭であり、企業の中には大真面目にリンクス不要論を訴える者まで出る始末である。
 その結果として、軍民問わずリンクスというものに対する特別感はだいぶ薄まってしまっている。現にカラード内の一部のリンクスは、所属企業などではアイドルも同然の人気なのだという。となれば、きっとそういう事だってあるのだろう。
「で、大佐殿はそれに怒り狂った。ま、当然だよな。いくら発育がいいっていっても、あいつは正式にリンクスになる前だったし、なによりもまだまだガキだったんだから。で、それからというものあいつに近寄る男という男は大佐殿に追い払われたって話だし、実際に手ぇ出そうとしてぶん殴られたやつはこれまた数知れず。噂じゃあ重役連中の中にまで、大佐殿にやられたやつがいるって話だ。ま、その徹底した純粋培養のせいで、あいつ、あの歳であんな初心な反応してるんだろうけどな。ひょっとしたらマジでコウノトリとか信じてるんじゃないのか?」
 と、ビール瓶片手に、がはは、と笑うドン。そうして、瓶の中身をぐびりと呷ると、
「ま、そんなもんさ、親ってのは。子供というものを守るのはいつだって親だけの役目だと思ってる。たとえ、いつかは巣立つものだと分かっていても、子供自身に我が身を守る力があったとしてもな。大佐殿だって同じさ。ちょ~っと度を越えているけどな」
 と、知ったような口を聞いてくる。ダンの記憶が正しければ、彼はまだ独身だというのにだ。
「……でも、正直びっくりっすよ。だってローディーさんといえば、GAが誇る英雄でしょ? 俺はたしかにGAから独立した独立傭兵だけど、それでもその噂はよく耳にしてましたし、正直、憧れのひとつでもあったんです。噂ではすごい渋くて、紳士的な人物だって聞いてましたしね」
 とはいえ、ドンの説明で全てを納得できたわけではない。腹立ちまぎれに、ダンは自分が思っていた事を全て吐き出す事にしていた。
「それなのに、今日実際に会ってみたら、いきなり銃口突きつけられるわ、すごい目で睨まれるわ、メイのひと言でおたおたしてるわで、噂と全然違ってて……正直、わけ分かんないっすよ」
 と、正直に自分が思っていた事――ローディーという人物に対する期待と衝撃、そして若干の失望を吐露すると、ドンは「正直に言いすぎだ、馬鹿野郎」とこちらを小突いた後に、
「いや、お前の言いたい事も分かるけどよ。あれでも普段は紳士的で温厚な、立派な人物なんだぜ? 常に最前線に立ち続け、戦い続けたGAの英雄――その評価は、なんら間違っちゃいないさ。ただ、義理の娘が絡むと、ちょっとアレだってだけで」
 と、フォローになっているようでフォローになっていない言葉を口にする。
「でも、あんなの親馬鹿で済むようなレベルじゃありませんよ」
 とはいえ、親馬鹿で銃口を突き付けられた身としてはたまったものではない。むっとして言いつのったダンに、ドンは苦笑を浮かべて、
「まあ、確かにな。あれじゃ親馬鹿っていうよりは馬鹿親の類だ。俺も軍人として、リンクスとして大佐殿を尊敬しちゃいるが、あれはさすがに、ちょっと、な」
 そうして、どこか微笑ましげに目の前の“親子”を見やり――そして、思わず眉根を寄せた。ローディーのほうはなにも問題はない。強い度数の酒を飲んでいるのも、一見鷹揚なようでいて実は娘のひと言ひと言にいちいち過度な反応をしているのも、やたらしつこく近況やら男の事やらを聞いてまわるのもいつも通りだ。
 だがもう一方、メイのほうはどこかただ事ではない。顔も赤いし、言葉もどこかたどたどしいし、なによりも一向に泣き止む気配がない。よく見てみれば、もうコップからではなく、缶から直接飲んでいるようだったが、オレンジの果実が描かれたそれは、一見ただのオレンジジュースのようでいて、その実、どう見てもジュースのそれではなく――
「……って、あ~あ。なんかさっきから様子がおかしいと思ったら、あの馬鹿娘、うっかりアルコールなんぞ飲んでやがる。顔なんかもう真っ赤じゃねぇか。大丈夫なのかね、ホントに?」
 そう言って、ドンは頭を抱えた。それから、隣で推移を見守っていたダンを見やると、
「大佐殿は気づいてねぇみたいだし、ちょっくら面倒見てやってくるわ。ああ、ホント面倒くせぇ」
 大仰にそう言いながら、部屋の中央に向かっていく。そうして、野太い罵声と取っ組み合いの音、そして甲高い泣き声が部屋中に響き渡る中、ダンは意を決してドンが残していった缶ビールのタブを開け、一気に呷った。始めて飲んだビールの味は、味とか爽快さとか以前にともかくほろ苦く――もう二度とこんなもの飲むまい、と固く心に誓う。
 そうして、部屋の中央――もはや殴り合いとなったドンとローディー、そしてそれを指さしぴいぴい泣いているメイの姿を眺めて、
「……ヘンな親子だこと」
 と、ため息混じりに呟いたダンの声が、ある意味で全てを物語っていたのだった。

 

 

 ――昔の夢を見た。

 わたしはひとり、病室の中にいた。
 比較的広めの病室には、しかしベッドはひとつだけしか置かれてなくて。ひどくがらんとした何もない部屋を、まるで今の自分のようだ、と思った。
 わたしはベッドの上で身を起こし、ぼんやりと手元だけを見つめている。
 その手の中にあるのは、緑色のスマイリーマークの髪飾り。さすがにべっとりと血がついているのはまずいのか、いつの間にかきれいに洗われてはいたが、それでも裏のゴム紐のほうには赤黒い染みが今でもこびりついている。
 ……ここに来てから、ずっと体調が思わしくない。
 何をするにも億劫で、食事も思うようにのどを通らない。その前までは、出されたものは全部食べてしまって、おかあさんを呆れさせていたというのに。夜もろくに寝ていなくて、でも昼間寝ているわけでもない。今のようにこうやって、ただスマイリーマークの髪飾りをぼうっと眺めて、一日を過ごしている。
 ……やっぱり、あの時。おかあさんがわたしをかばって目の前で死んだ時に、わたしの中のなにかが壊れてしまったのだろうか。
「………………」
 ここしばらく、病室からろくに出ていない。せいぜい、診察を受けたりトイレに行ったりするくらいだ。だからどんどん手足が細くなっていって、思うように体が動かなくなってきた。一日中だって駆け回れたあの頃が嘘のようだ。
 ぼんやりと、窓の外に視線を移す。わたしの故郷から遠く離れた、コロニー・イスタンブールの空。中東特有の砂塵でくすんだ青空を背景にして、子供たちが遊びまわる声が聞こえてくる。それをたしなめているのであろう、大人の声も。
 故郷にいた頃、よく見た光景だった。あの頃は、わたしだってその輪の中にいたのに。
 あの日を境にして、何もかもが変わった。
 あの日を境にして、わたしという人間を見る目は、百八十度変わったと言っていい。

「おまえらのせいだ! おまえら親子のせいで!」
 見覚えのない大人が、そう言ってわたしのほうを指さしてきた。
「ちかよるな! おまえに近づいたらコジマがうつるって、かあちゃんが……!」
 いつも一緒に遊んでた子供たちが、そう言って逃げていった。
「なんであの子が死んで、あんたが生きてるんだい!? マリーを……あたしの孫娘を返しとくれ!」
 親しげに声をかけてくれていたおばあさんが、そう言ってわたしに掴みかかってきた。
「……全部聞いたよ。あれ、お前の親父さんのせいなんだってな。あ~あ……まったく、あの時、お前のコトなんて助けるんじゃなかったよ」
 あの日、わたしの手を引いて逃がしてくれたひとが、そう毒づいて去っていった。

 ――みんなそう。
 あれから街の住人だった人たちに会うと、みんなそんな事を言ってくる。言ってくるだけならまだよくて、掴みかかってきたり叩かれたり、ひどい時は石を投げてきた事もあった。そして、挙句の果てには何人もの男たちが寄ってたかって、わたしを――
 なにを言っても、許してくれなかった。どれだけ身に覚えがない事だと訴えても、泣き叫んで謝ったとしても、彼らは許してくれなかったのだ。
 おかげで、ここに来てからのわたしは生傷が絶えなかった。左目のあたりは石を投げられた時に切って包帯を巻いてあるし、首元のそれはあざや爪痕を隠すためのものだ。手足や服の下だって包帯やあざだらけなのに、それなのにこの病院の医師や看護婦たちは見て見ぬふりをするだけだった。
 そんな事が続けば、さすがに子供のわたしだって学習する。部屋から出なくなったのは、そのためだ。幸い、わたしが入院しているのは本来であれば面会謝絶の患者が入るような個室があるところだ。この階までは、さすがに街の人たちは入ってこれないのだから――
「――入るぞ」
 そんな時だった。この病室をその男性が訪れたのは。まだかろうじて青年と呼べるくらいの、短く切った金髪にわたしにそっくりな緑色の瞳をした、どこか神経質そうに見える細面の男性。グレイのスーツにネクタイという姿だったが、洗濯はしてもアイロンをかけたりはしていないらしく、スーツもネクタイもどこかよれよれという有様だった。
 スーツ姿の男性――わたしのおとうさんは、ベッドに座っているわたしを一瞥すると、無言で部屋の中に入ってくる。そして、ベッドの脇にあるサイドテーブルの傍らに立つと、ため息ひとつ吐いて、その上にあるものを片付け始めた。サイドテーブルには、彼が持ってきた果物やお菓子、本などが置かれている。それを片付けたり、交換したりしようというのだ。
 ……もっとも、散らかっているわけも、減っているわけもないが。なにしろ、それらにわたしは指一本触れてはいないのだから。
「…………」
「…………」
 お互いに、一言も発しなかった。ちらちらと相手を見る事はあっても、けっして視線を合わせたりはしない。まして、言葉を交し合う事など。それはここ数か月ぐらいの間、毎日のように繰り返してきた光景だった。
 それに思う事なんて、なにもない。正直、これ以上話す事もないし、その姿を見る事すら億劫なくらいだった。せいぜいが、白いものが混じった金髪や絆創膏だらけのこけた頬に、この数か月でずいぶんと老けこんだのだな、と思うだけだ。そのくたびれた格好といい、覇気のない雰囲気といい、いかにもやり手の営業マンめいて見えたあの頃が、嘘のようだった。
 そうして、サイドテーブルの片付けを終えたおとうさんは、わたしのほうを向いて、なにか語り掛けようとして――しかし、結局、出てきたのはいつも通りの言葉だった。
「……済まない」
 ただひと言だけそう言って、頭を下げてくる。
「…………っ!」
 その簡潔なだけの言葉に、ぎり、と奥歯がなる。かといって、今更怒鳴り返すだけの気力もなく、「……出てって」と絞り出すように言うと、おとうさんは無言で踵を返し、そうしてそのまま病室を後にしていった。

 ――おとうさんは、わたしを守ってはくれなかった。
 街のみんなに必死に頭を下げるだけで、罵詈雑言を浴びせられたり、石を投げられたり、掴みかかられたりしても、反撃も反論もしないで、ただただ黙っていて。わたしがこんな格好になっても守ってくれなくて、その裏でどんな目にあっているのかも知ろうとしないで。
 わたしがなにを言っても、「情けないひと」って責め立てても、今みたいにただ「済まない」というだけで、目を合わせようともしてくれなかった。
 そうして、何かが決定的に壊れた関係のまま、それでもあのひとは毎日のようにやって来る。そうして、そのたびにああやって「済まない」とだけ言ってくるのだ。
 わたしは、そんな言葉を聞きたかったんじゃないのに。
 ――ただひと言でいい、「生きていてくれてよかった」と。そう言ってくれさえすれば、わたしはそれだけでよかったのに。

「――あの人、また来てたみたいね」
「そうね。いくら父親とはいえ、あんな暗い子のところに毎日、よくもまあ」
 そうして、おとうさんが出ていってすぐ後だった。病室の外で、かつかつという靴音とともに、話し声が聞こえてきたのは。年配の女性と若い女性の話し声。この病院の看護婦さんだろうか。
「ちょっと! 中に聞こえるかもしれないでしょう!」
「ふん、いいじゃない、別に。……そんな事より、あの子、リンクスなんですって? この間の検査で判明したとか……」
 年配のほうの声が注意するも、若いほうの声はそれを聞き流し、さらにそんな事を言ってきた。
 そういえば、そんな事を言われた事もあった。この病院に来た、初日の事だ。それが判明するや否や、医師や看護婦たちのわたしを見る目が変わって、上へ下への大騒ぎになって、挙句、それは街の人たちにまで伝わってしまったのだが――
「そうなのよ。なんでもネクストに襲われかけて、血だらけになって運ばれてきて。怪我とかはなかったらしいけど、一応脳検査をしてみたら、一発で適性反応が出たんですって」
「一発で? 普通はそんな簡単にAMS適正の反応なんて出ないでしょう?」
「そうね。つまりは、相当の適性の持ち主、って事らしいわ。特別に個室に入ってるのも、そういう事情からなんですって」
「ふぅん。……まあ、あんなコトしてお金稼いでたコロニーの住人だもの。そんな事もあるわよね」
 そう、吐き捨てるようにして言った若いほうの声には、あからさまな毒があった。
 街の人たちに聞かされた話だ。わたしが住んでいた街――アナトリアは、最強の兵器“ネクスト”を駆る傭兵を使って、外貨を獲得していたのだという。多くの人たちを殺して、たくさんのネクストを壊して、いくつもの“企業”を滅ぼして。そうやってたくさんのお金を稼いで、その果てに恨みを買って、ああなったのだという。
 そして、それにはおとうさんも関わっていて、だから街の人たちはあんなふうに怒っているのだそうだ。
 ……でも、ヘンなの。そのお金で、あれだけ街が豊かになったのに。必要な物資が買えるようになって、食事だって三食きちんと食べられるようになったのに。みんな、その事を感謝していたはずなのに、今はそれを忘れてしまったかのように怒っている――
 そんなわたしの内心などお構いなしで、病室の外の会話は続いていった。
「……一日中、髪飾り眺めてぼうっとしてて……気味が悪いったらありゃしない」
「ちょっと、その物言いはさすがにないんじゃない? なんでもあの子、目の前で母親を殺されたって……」
 年配のほうの声が相手をたしなめる。すると、もう片方の若いほうの声が吐き捨てるように、
「でも、リンクスなんでしょ? この前の戦争で、あれだけ世界を滅茶苦茶にした連中と同じ! 目の前で母親が死んだからどうだっていうの! 私の父と母と幼い弟たちは、あいつらに焼かれて死んだのよ!」
 その声色には、明確な憎しみの色があった。そしてそれは、このわたしにも向けられていた。わたしはたぶん、彼女の顔すら知らないのに。彼女になにをしたでもないのに。それこそいっそ殺したいとまで思える強い感情を、見ず知らずのひとにまで向けられてしまう――
「……あんな連中と同じ空気を吸ってると思うだけで、虫唾が走る。とっととこの病院から、いえ、この街から出ていってほしいわね」
 心の底から忌々しげな、まるで毒虫を見つけた時のような声で言い捨てた若いほうの声に、
「でも、まあ、それももう少しの辛抱よ。なんでも今日、“企業”の迎えが来るらしいから」
 年配のほうの声が、そんな言葉を返していた。
 ……迎え? わたしに? そんな事、聞いてない。おとうさんはそんな事、わたしにはひと言だって言わなかったのに――
「へえ、どこの? オーメル? それともイクバール?」
「GAよ。……なんでも、そこの唯一のリンクスが来るらしいわ」
「へえ。あの“時代遅れの巨人”サマね。なら、さぞかし高値をつけたんでしょうね。あの子の父親も、随分とうまくやったもんだわ」
「だから、あんまりそんな事、廊下で話すものじゃないって……」
 そうして、話し声がゆっくりと遠のいていき――後にはただ、染みるような静寂だけが残された。
 ――そうか。
 苦笑し、ぺたん、と枕に頭をつける。
 おとうさんは、わたしの事がいらなくなったんだ。
 そうだよね。おとうさんがおかあさんのコト大好きだったのは、知らないひとでも一目見れば分かるくらいだったし。
 ならば、そのおかあさんが死んだ原因であるわたしは、それこそもう顔も見たくない相手。だからろくにわたしの事を見ようともしなかったし、話しかけもしなかったのだろう。それならばいっそ、お金でも貰って手放してしまえと、こういうワケだ。
「……あ、は」
 もう涙が流れる事はない。そんなものは、この一か月でとっくに枯れてしまっていた。
 罵詈雑言を浴びせられても、叩かれても、首をしめられても、もっとひどいコトをされても、もうなにも感じなくなった。そうと感じるこころが、すり減ってしまったのだ。それならば、いっそ体のほうも痛みもなにもかもなくなってしまえばいいのに、あいにくとそうなってはくれなかった。辛いのも、痛いのも、苦しいのも、本当はイヤなのに。
 いっそ、死んでしまえたらいいのに、と思う事もある。果物ナイフを胸元に突き付けて、一晩中震えていた事だってあった。けれど、それだけはどうしてもできなかった。怖かった、というのももちろんある。結局、わたしにそれだけの勇気がなかったというだけなのかもしれない。
 でも、なによりも。あのふたりの行動を無意味にしてしまうのだけは耐えられなかった。わたしをかばって、人間のものとは思えない死に方をしたおかあさん。自分の機体を敵機の前に晒してまで守ってくれた “彼”。わたしがここで命を絶ってしまったら、ふたりが命をかけて守ってくれたものが、全部無駄になってしまうから。
 ……でも。それならば。わたしはいつまでこうやっていればいいんだろう?
 こうやって一日中ぼうっとして。なにもしない、なにも成せないまま。この壊れたこころで、一生生きていかなければいけないんだろうか?
 いっそ、恨む相手が生きていれば、まだやりようがあったのかもしれない。
 けれど、あの漆黒の異形――“プロトタイプ・ネクスト”というらしい――は、“彼”と数十分にわたる激戦を繰り広げた末、最後は自爆同然に大爆発を起こして、果てた。もう一機の、黒幕だったと思しき企業のネクストも同様だ。両腕を破壊され、コックピットにライフルの砲身を突き立てた無残な姿で見つかっている。どちらの機体も、搭乗者は原型を留めない有様だったそうだ。だから、もうこのふたりを恨む事はできなかった。
 それとも、もっと後ろの黒幕――企業を恨めばいいのだろうか。でも、そんな巨大な相手、人の身には余る存在だ。そんなものを相手に、ただの子供がどうやって戦えばいいというのだろう? それこそその企業の全員が悪いわけではないというのに、どうやって恨み続ければいいのだろう?
 ――聖書にある神様は言う。汝、隣人を愛せよ。右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ、と。
 愛? 愛ってなに? ここまでされてもなお、相手を愛さなければいけないの? 右の頬も左の頬も、何度も何度も叩かれているのに、それでもまだ差し出せと? 今度はなにを? どこまで? いつまで差し出せば許してくれるの?
「……あはは、は……」
 うつろに乾いた笑いが出てくる。
 それまで信じていたきれいなもの、大事にしていたものは根こそぎ汚されて、ドロドロの汚水同然となったなにかが、わたしという皮袋に詰まっている。そうしてそれはゆっくりと皮袋を溶かし、ぐずぐずにふやけた、真っ黒なものにわたしを変えていくのだ。虚ろで、荒涼とした、なにかとてもおそろしいものに――
「――す、けて……」
 無意識のうちに、声が出る。
 そうなるのが、どうしようもなく怖い。
 まるで自分が、自分でなくなってしまうようで――
「……たすけてよ……だれ、か……」
 でも、その声に答える者はいない。
 当然だ。わたしには、味方なんていないのだから。
 今のわたしに、大事なものなんて、もうありはしないのだから。
 だから、あとはそのまま腐って、落ちて、どこまでも堕ちていくだけで――

 ――そんな時だった。
 病室のドアから、これまでの誰とも違うノックの音が響いたのは。
 そうして、わたしの返事を待つ事なく、がらりと大きな音を立ててドアが開いて。
 太陽の光をその背に浴びて、大柄で厳つい、見た事もない男性が、ゆっくりと病室に入ってきて。
「――おじさん、だれ……?」
 そうして、そんな無遠慮なわたしのひと言から、その出会いは始まったのだ。

 ――今でも時々、思う。
 その出会いは、わたしにとって奇跡だったと。
 その出会いがあったから。
 わたしはこうやって、お日様の下で笑っていられるんだから――

 

 

 同日、午後九時。北米の独立計画都市グリフォンにて。

 ――遠くで、電話の音がする。
 りんりん、りんりん。甲高いベルの音が鳴り響き、睡眠状態にあった意識を強引に叩き起こしていく。
「……うにゅう~……」
 奇妙なうめき声を上げながら、わたしは枕元に手を伸ばした。これが自宅のマンションであれば、枕元に電話の子機が置いてあるので簡単に黙らせられるのだが、あいにくといくら探しても枕元にはそれらしきものがなく――
「んん~、ん……、ふわあ……あっ……」
 大あくびなどし、猫のように四肢を伸ばしながら、ベッドから身を起こす。それと、電話の音が鳴り止むのとはほぼ同時だった。
「――もしもし。ああ、俺だ……なんだ、貴様か」
 思っていたよりもわりと近く――おそらくはこの部屋の隣なのだろう。ドアの向こうで話し声が聞こえてくる。この声は……お義父さん?
「……ああ、ああ……なんだと? あの《マザーウィル》が……? うむ……分かった、すぐそちらに向かう」
 電話相手の声は聞こえないが、それでもなにやら深刻そうな会話をしている事くらいは察しがつく。わたしが慌てて目をこすり、強引に意識を覚醒させていくと、
「……ああ、こんな時間にわざわざ知らせてくれて、感謝するよ、王小龍」
 どこか刺々しい声で結んで、お義父さんの声が途切れた。電話が終わったらしい。そうして部屋を静寂が包んだ頃になって、ようやく周囲に注意を回すだけの余裕が出てきていた。
「ここ……は……?」
 周囲をぐるりと見渡してみれば、狭い室内に置いてあるのは小さなテーブルに冷蔵庫、壁掛け式のテレビ、それにシングルサイズのベッドがふたつ。どこかホテルめいた、落ち着いた雰囲気の内装。テーブルの上にはシンプルなデザインの花瓶が置かれ、今時珍しい一輪の白い百合の花が、そこだけ生の息吹を主張している。
「あれ……わたし……たしか……?」
 任務を終えて、みんなで飲み会をやって、お義父さんに絡んでたところにドンがやってきて、そこで意識が途切れて――そこまで思い出し、がんがんと痛む頭を振りながら、自分の体を見下ろしてみる。
 すると、意識を失う前に着ていた緑色のパイロットスーツではなく、クリーム色に白い花と梨の実をあしらった、可愛らしいデザインのパジャマに着替えさせられていた。うん、背丈はちょうどいいのだが、なんか胸のあたりが少し窮屈になっていて、だからなのか寝苦しくないように胸元のボタンが外してあって、よく見ると胸元に名前らしきものが刺繍されていて――ていうかこれ、フランさんのか? よく見ると袖口とかにフリルなんてあしらってあって、意外と可愛らしい趣味なのだな、と微笑を浮かべた刹那、
「……あら? こんばんは、メイ。目が覚めたのね」
 当の本人が入ってきて、思わず、がば、と胸元を覆い隠す。……いや、女同士なんだし、気にする必要はないんだけど。なんとなく盗み見がばれたような気分になって、なんとなく小恥ずかしいというか。……ていうか、「こんばんは」? 今はもう夜なのか?
 そんなわたしを見て、フランさんは口元を押さえ、くすくすと笑うと、
「ヘンな子ね。今更、恥ずかしがるような事もないでしょう?」
 と、なにやら勘違いをしてくれたようだった。それに内心で安堵しつつ、「ここは……?」と聞いてみると、
「ああ、ここはグリフォンのGA支社にある仮眠室よ。全くもう、驚いたわよ。カーネル大尉に呼ばれて飲み会の会場に顔を出してみたら、貴女がぐでんぐでんに酔っぱらって、くだ巻いてるし。ジュースと間違って、お酒、飲んじゃったのね」
「あは……あははは……」
 フランさんの物言いに、乾いた笑いが出る。……ああ、なるほど。あれ、お酒だったんだ。どうりで飲み会の時ヘンな感じで、今も頭がヘンに痛いわけだ。
「それで、グリフォン支社に到着するなり、ローガンがここに運び込んだの。で、夜になるまでぐっすりと寝ていた、と。着替えさせたのは私だから、その点は安心していいわ」
「そう。よかった……」
 いや、本当に。別に義父を疑うわけではないが、寝ている間に裸を見られるというのはさすがに恥ずかしいものがあるし。……そういや、まだ確認してないけど下着とかどうなったんだろう?
 そんなわたしの反応が可笑しかったのだろう。フランさんは再び口元を押さえて笑うと、
「ちょっと待ってね。今、ローガンを呼んでくるから」
 そう言って隣の部屋に引っ込むなり、大柄な影がどかどかと早足で部屋に入ってきた。起きていた時の赤いパイロットスーツではなく、臙脂色のスーツに身を包んだお義父さんは、こちらの姿を認めるなり、安堵の息を漏らした。
「ああ、目が覚めたか、メイ」
「うん、心配かけてごめんね、お義父さん」
 いかにも心配そうに言うお義父さんが微笑ましくて、唇の端が持ち上がる。
 お義父さんはそのままベッドの横に歩み寄ると、こちらが差し出した手を取り、
「済まんな。今晩は一緒に買い物がてら、食事に行く予定だったが――急な用事でキャンセルになってしまった」
 ……ああ、そういえば輸送ヘリの機内で、そんな話もしていたっけ。以前から行きたいと思っていたお店に行って、ついでに服とかバッグとかも選んでもらったりしよう、って。その後、わたしがあんなコトになってしまったので、半分忘れていたんだけれど。
 ああ、いや、そんな事より。さっき盗み聞いた通話の内容を思い出し、おそるおそる訊ねてみる。
「……さっきの電話だけど、ひょっとして、出撃? なんか電話で、王小龍がどうのこうの言ってたし……もしかして、BFF絡み? わたしも出たほうがいい?」
 すると、お義父さんは「なんだ、聞いていたのか」と破顔して、
「いや、そうではない。ただ、火急の用でな。カラード本部に行かねばならなくなってしまったんだ」
 その言葉に、こっそりと安堵する。そうか、お義父さんが出撃する必要はないか。それはよかった。もう若くないんだし、無理はさせられないもんね。
「うん、それじゃしょうがないよ。じゃあ、買い物はまた今度ね」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
 そう言って、わたしの肩をぽんぽん、と叩く。そうして身を寄せたお義父さんは、わたしの背中に両腕を回し、その大柄な身を寄せてきた。のしかかる体に、びくり、と無意識のうちに体を震えさせたのも束の間、それを意志の力で抑え込んだわたしは、同じようにお義父さんの背中に両腕を回し、
「愛しているよ、メイ」
「うん、わたしも。お義父さん」
 スーツ越しにぶ厚い胸板が胸元に押し付けられ、武骨で大きな掌が、わたしの背中をぽんぽん、と叩く。不安、悲しみ、恐れ。そういったものをどこかに飛んでいかせてくれるような、力強い温もりがわたしを包んでくれる。
 ……うん。大丈夫。この温もりがある限り、わたしは笑顔のままでいられる。なんだってやれる。どこまでだって、戦ってやれるんだから――
「……じゃあ、行ってくるよ。お前も今日は無理せずに帰りなさい」
 そうして数秒ほど経ってから、お義父さんは名残惜しそうにその身をわたしから引きはがす。そうして最後までこちらの身を案じるような言葉を言ってくると、それから部屋のドアを潜っていく。なにか大きなものを背負っていると思しき広い背中が視界から消え、
「……うん。いってらっしゃい、お義父さん」
 その去り行く後ろ姿を、わたしはいつまでも見送っていたのだった。

****

「お待たせ」
 そして、それから数分後、ティーポットとカップを持ったフランさんが入ってきた。
「ちょっと待っていてね。今、紅茶を淹れてあげるから。起き掛けだし、ストレートでいいわよね?」
「うん」
 フランさんの言葉に、頷く。……本当はわたし自身、目覚めた後にはコーヒーのほうがいいのだが。フランさんのほうがコーヒーを“泥水”と言ってはばからないほどの紅茶党なので、あまり口を出さないほうがお互いのためなのだ。
 そうして、フランさんが慣れた手つきで紅茶を淹れていく。ポットとカップをお湯で温め、茶葉を入れ、お湯を注ぎ、すぐに蓋をして蒸らす。そうして二、三分待って、ポットの中を軽くひと混ぜし、茶漉しで茶ガラを茶漉しながらカップに回し注いで、そうして最後の一滴まで注いで、
「はい、どうぞ、お姫様?」
 どこか時代がかった仕草とセリフで、淹れたての紅茶を差し出してくる。
 それを受け取り、軽く唇をつけ、カップを傾ける。花の香りめいた、ふんわりとした芳香が鼻腔をくすぐり、鮮烈な茶葉の味が口の中に広がっていく。
 ……うわ、すごい。これ、たぶん本物の紅茶だ。前に飲んだ合成のヤツとは全然違う。
 そんなわたしの反応が気に入ったのだろう。フランさんはしてやったりというふうに微笑むと、
「セイロンのヴィンテージ。私のとっておきよ。みんなには内緒ね?」
「ふ~ん。なんかすごそうだね」
 わたしには紅茶の銘柄とかはよく分からないが、とにかく良いものだっていうのだけは分かった。これならば砂糖やミルクを入れなくても十分飲める。よりカップを傾け、ごくごくと紅茶を飲み干していくわたしに、満足そうにうなずくと、
「今晩はもう遅いから、自宅まで送りの車を出させるわ。三十分くらいかかるだろうから、それまでここで待っていてちょうだいね。今、着替えを持ってきてあげるから」
 そう言ってティーポットを片付け、踵を返すフランさんに、「は~い」と返す。そうして部屋を出ていったフランさんを見送ると、とりあえずする事もないので、リモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
『は~い! みんな元気~!? 今日はこのアタシ、みんなのアイドル神威瑞穂ちゃんの出番よ~!』
『「四!」「参!」「弐!」「壱!」「零!」「「「「「四脚戦隊! モールニヤ!!」」」」」』
『はっはっはっ、残念だったなディティクティブくん! アリーナのお宝はこの私、怪盗ファントムがいただいた!』
 リモコンのチャンネルを次々と切り替えていく。……この時間のテレビにはろくなものがない。途中からドラマなんか見ても面白くともなんともないし、ならばニュースでも見るかと思って、再度チャンネルを切り替えた時だった。
『――では、次のニュースです』
 女性アナウンサーの声とともに、見覚えのある、城砦に脚を生やしたかのようなシルエットがテレビ画面に映り、
『本日正午過ぎ、ユーラシア大陸中央部、ゴビ砂漠に展開していたBFF社の主力アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》がオーメル・サイエンス社のネクスト戦力によって撃破されたという未確認情報が入りました。同機は十年前に開発された最も古いアームズフォートで、長らくGAグループの主力アームズフォートとして――』
 女性アナウンサーが読み上げる内容に、「……え?」と声が出る。手からリモコンが落ちて、床に激突して乾いた音を立てる。
 その内容を理解するのに、数秒を要した。
 それくらい、その知らせはわたしにとって衝撃的だったのだ。
 撃破された……? あの、《スピリット・オブ・マザーウィル》が……?
「……嘘……でしょう……?」
 呆然とした呟きは、ひどくかすれて聞こえた。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》――それはアームズフォートの中で最も古く、そして最も強いとされるアームズフォート。
 他の機体などとは桁が違う、スケール的にも配備人数的にもひとつの街、ひとつの城と言っていい、本当の意味での移動要塞。
 十年もの長きに渡り、ありとあらゆるリンクスが挑み、しかし討ち果たせなかった、BFFの、そしてGAにとっての難攻不落の守護女神。
 それを、撃破した……? いったい、誰が……?
 その疑問に答えられる人間は、しかしこの場にはおらず。
 どこか現実味を失っていくうすら寒い室内で。なにか巨大な歯車のようなものが動き出す音を、確かに聞いたような気がした。


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