Written by ウィル


 ――以下、フリーの軍事ジャーナリスト、フリードマン・レイの手記より抜粋。

 アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》。完成当初より最強最大の兵器と称され、敵対企業やリンクスたちから大いに恐れられたこの機体について、現在判明している情報は意外と少ない。特に、この前例のない巨大兵器が建造された経緯やその運用理念に関しては、ほとんど謎に包まれていると言ってもいいだろう。
 そもそも、今存在するBFF社という企業それ自体が、一度死んで、生まれ変わったも同然であると言える。一度目の死――すなわち、リンクス戦争中期に起こった、“アナトリアの傭兵”によるBFF本社《クイーンズランス》の撃沈である。六大企業と呼ばれたメガコングロマリット(超巨大複合企業体)の一角、その本社施設と主要な経営陣が物理的に壊滅させられるという前代未聞の大事件によって、当時この機体を設計した技術者や建造を承認した責任者たちが揃って海の藻屑となり、本来保存されるべき大量の資料までもが物理的に失われてしまったのだ。
 よって、この手記はリンクス戦争以降に纏められた資料と証言のみによって作られたという事を、まず最初にご理解いただきたい。

 まず判明している事として、《スピリット・オブ・マザーウィル》の建造が開始されたのはおよそ十年前、つまりはリンクス戦争の最中だという事だ。それは取りも直さず、この機体のベースとなった計画が、リンクス戦争以前に既に存在していたという事に他ならない。
 当時、六大企業のうちのひとつであるレイレナード社を中心に、BFF社とレオーネ・メカニカ社率いるインテリオル・ユニオンを加えたアライアンス――いわゆるレイレナード陣営は、多数の巨大兵器を競うように開発していた。国家解体戦争以降、“パックス・エコノミカ”を掲げた各企業は表向きこそ協調路線を採っていたものの、実際には水面下での企業間の勢力争いは当初から熾烈を極めていた。世界最大のメガコングロマリットであるGA社を擁するオーメル陣営に対し、技術力はともかくとして軍事インフラなどの地力で劣るレイレナード陣営の焦りは強く、テロ集団への支援や有形無形の破壊工作、GAの欧州法人であるGAE(グローバル・アーマメンツ・ヨーロッパ)への懐柔、GAと敵対するマグリブ解放戦線への秘密裏での支援――これに関して言えば、レイレナード陣営のみならず、同じオーメル陣営の企業の関与も確認されている――などの策謀を積極的に行っていた。彼らはGAを始めとしたオーメル陣営を蹴落とし、自分たちこそが世界の真なる覇者となるべく動き出しており、巨大兵器の開発もその一環であったのだ。
 しかし、《スピリット・オブ・マザーウィル》は他社の巨大兵器群とは明らかに一線を画する機体であった。その理由は、桁外れなまでのサイズである。
 当時の代表的な巨大兵器である、GAEの移動要塞《クエーサー》、インテリオル・ユニオンの飛行要塞《フェルミ》、アクアビットの蹂躙型巨大兵器《ウルスラグナ》、そしてGAEとアクアビットが共同で建造した最悪の巨大兵器《ソルディオス》――これらは一般的なネクスト戦力にも匹敵、あるいは上回る戦闘力を有していたが、そのサイズはあくまでもネクストの数倍あるいは十数倍というサイズに収まっていた。それに比べると、《スピリット・オブ・マザーウィル》は全長二千四百メートル、全高六百メートルと桁違いに大きい。もはや同じ巨大兵器と呼ぶ事すら憚られるサイズである。
 この点について、軍事評論家の一部には、この巨体はBFFの威信ではなく怠慢の表れである、と評する者もいる。BFFが他の企業のように優れたコジマ粒子関連技術を保有しておらず、そのため機体のダウンサイジングに失敗したのだという説である。《スピリット・オブ・マザーウィル》という機体は、いたずらに肥大化した、重厚長大なだけの時代遅れの鉄の塊に過ぎない。現に、他の巨大兵器がプライマル・アーマーやコジマ粒子砲などの最先端コジマ技術を積極的に採用しているのに比べ、《スピリット・オブ・マザーウィル》はこの手の兵装を何も搭載していないではないか――というのが彼らの言い分である。
 だが、実際には違う。BFFは確かに軍事面においては実弾兵器に偏重した企業ではあったが、民生面ではコジマ粒子を用いた大規模エネルギー施設“スフィア”を保有するなど、決して他社に劣らぬコジマ関連技術を有していた。それは、《スピリット・オブ・マザーウィル》のメイン・ジェネレーターに“スフィア”と同系統の技術が使われている事からも明らかである。BFFの優れたコジマ粒子関連技術なくして、あれだけの巨大な機体を、そしてそれを支え、動かしていく六本の脚を動かすだけのエネルギーは賄えないのだ。
 では何故、《スピリット・オブ・マザーウィル》はここまでの巨体を有するに至ったのか。それは兵器としては異端な、荒唐無稽とも思えるこの桁外れのサイズこそ、巨大企業BFFが真に欲したものであるからだ。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》の主砲として搭載されているのは、口径にして八百ミリの滑膣砲という破格のスケールであり、それを三連装砲塔として二基搭載している。だが、この砲の真の特徴は口径などではない。かつての世界大戦の折、旧ナチス・ドイツが海峡を越えての砲撃を行うために開発したとされる、砲身に多数の薬室を備えた多薬室砲――いわゆるムカデ砲。これが《スピリット・オブ・マザーウィル》の主砲として採用されているのである。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》の主砲の発射シークエンスとしては、弾頭を射出するに際して、砲身内に二十一ある薬室を順次点火させ、段階的に弾頭を加速させる事により発射するというもので、これまでの砲の常識を超えた超高初速と超長射程を実現している。その最大射程は数百キロに達するとも言われ、垂直距離ならば大気圏外にまで到達する。搭載する弾体の破格の質量もあって、ほとんどマスドライバーと言ってもいいレベルである。
 BFFがこれほどの巨大かつ特異な砲を建造した理由としては、大海を隔てた大陸間弾道弾となるべく建造されたとも、難攻不落を謳われたGA社の巨大要塞《ビッグ・ボックス》を陥落させるためとも、あるいは衛星軌道上に存在する“なにか”を狙撃するためとも言われている。当時の首脳陣がもうこの世にいない以上、真偽の確認はできない。だが、《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体が、実際にそれらを可能にするだけのスペックを有するという事は、確たる事実である。
 そしてもうひとつ、巨大な軍事インフラを有するBFFならではの設計思想もあった。同社が保有する大量のノーマルや航空戦力を搭載し、運用するための母艦。すなわち“航空母艦”としての能力の獲得である。元来の地上兵器において実現不能とされたこの問題に、《スピリット・オブ・マザーウィル》は胴体部の周囲に六枚の飛行甲板を追加する事によって答えている。その搭載能力は、地上兵器でありながら一般的なノーマル搭載型護衛空母数隻分という桁外れのものだったとされている。
 長距離攻撃のための艦砲の搭載と、艦載機運用のための設備の両立――そのコンセプトは、かつての世界大戦の折に存在したという“航空戦艦”に似ていた。ただ、かつての航空戦艦が戦局の悪化と航空戦力の減少という必要に駆られた妥協の産物であり、実際に戦艦の火力と航空機の運用能力を兼ね備えた存在として活躍する事は叶わなかったのとは異なり、《スピリット・オブ・マザーウィル》はその有り余るキャパシティをもって、見事にそのコンセプトを両立して見せたのであった。また、大量のノーマルを搭載することによって近距離戦への対応を柔軟にするという発想は、巨大兵器ならではの欠点を克服する事にも繋がり、のちにアームズフォートと呼ばれるようになる兵器群にも、そのコンセプトを受け継いだ機体は数多い。
 こうして、奇抜ながらもある種の現実性をもったプランとして、《スピリット・オブ・マザーウィル》級巨大兵器は二機がリンクス戦争の最中に建造を開始され、全体工期の三十パーセントほどの進捗状況になった頃に、リンクス戦争での敗戦を迎える事になった。本来であれば本機は建造途中で廃棄されるはずだったのだが、ここで運命の女神が微笑んだ。首脳陣と軍事インフラの大部分を失ったBFFを、戦後処理でその傘下に収める事になったGA社が、この未完成の兵器に強い関心を示したのだ。
 元々GA社は、通常の兵器技術はともかくとしてネクスト関連技術については他社に後れを取っていたとされ、またリンクス戦争において自社の最高戦力であった“聖女”メノ・ルーや実戦部隊の隊長格だったエンリケ・エルカーノ、GAEのオリジナルであるミセス・テレジアといったネクスト戦力をも失っていた。その痛手を取り返すためのBFFであり、《スピリット・オブ・マザーウィル》であったのは想像に難くない。一説によれば、この絵をGA首脳陣の前で描いて見せたのは、BFFの重鎮にして当時最高位のネクスト戦力だった王小龍その人だったとも言われている。
 こうして、二機の巨大兵器はGAの支援の下、急ピッチで建造が再開され、一機は建造途中でGAに引き渡され、そしてもう一機――ネームシップたる《スピリット・オブ・マザーウィル》が新生BFFの手によって、長距離砲撃特化型の機体として建造される事になった。
 六枚の飛行甲板に二基の大型カタパルト、そしてその巨体を支える六本の脚。超大口径の三連装主砲二基の他にも、のちの《ランドクラブ》級の主砲に匹敵する口径の副砲が二連式連装砲塔で六基、垂直式多連装ミサイルランチャーが各所の飛行甲板に合計二十四基。さらに近接攻撃用として配備された無数の大型キャノン砲や重機関砲など。その巨体に余すところなく徹底的な重武装を施した機体として、《スピリット・オブ・マザーウィル》は誕生したのであった。

 そうして完成した二機の巨大兵器は、のちのアームズフォートの先駆けとして戦場に君臨。以後、十年近くの長きに渡って地上最大の戦力として活躍する事になった。
 もっとも、欠点が無かったというわけではない。まず、後付けのように様々な機能を付加した代償として、各武装が破壊された際のダメージコントロールに難があるという欠点があり、完成当初から数えきれないほどの実戦を重ねていった事によって、それが他企業にも広く知れ渡るようになってしまった。だが、むしろその欠点を知られながらもなお敵対企業が積極的な攻勢に出なかった点を見ても、《スピリット・オブ・マザーウィル》の脅威がどう捉えられていたかは火を見るよりも明らかだった。
 また、建造および運用にかかる壊滅的なコストという点については最後まで改善の余地はなく、《スピリット・オブ・マザーウィル》級アームズフォートはわずか二機のみで生産を終了した。以後GAは、その小型廉価版とも言うべき《ランドクラブ》級や、その後継機たる《ギガベース》級を建造。純粋な意味での主力の座を、これら量産型アームズフォートに譲る事になる。
 とはいえ、それで《スピリット・オブ・マザーウィル》の軍事的な価値が落ちたというわけではなく、同機は依然として地上最大の戦力として君臨し続けていた。当時のカラードの最高戦力だったインテリオルの霞スミカに、その後継と目されるウィン・D・ファンション。現カラードランク一位であるオーメルの“天才”オッツダルヴァに、あのラインアークの“白い閃光”に至るまで。ありとあらゆるリンクスがこの《スピリット・オブ・マザーウィル》に挑み、しかし完全に破壊する事は叶わなかったのだ。
 最古でありながら最強にして最大のアームズフォート。それが《スピリット・オブ・マザーウィル》という存在であり、その存在はBFFのみならずGAグループ全体にとって、大きな軍事的・精神的支柱でもあった。また、敵対する企業においては同機の存在は大いなる“目の上のたんこぶ”であり、それによってさらなる軍事侵攻を思い留まったという面もあっただろう。そういう意味においては《スピリット・オブ・マザーウィル》は、今日のある種の予定調和めいた軍事バランスの拮抗を、ある意味この欺瞞めいた平穏を築いた、偉大なる立役者とも言える存在でもあった。

 ――そう。この日、この時までは。

 
 

 ACfA Smiley Sunshine
 Episode4:The breakdown of the Mother Will

 
 

 六月二十七日、午後二時三十分。東アジアの旧チャイニーズ領域、ゴビ砂漠にて。

 アフリカなどのそれとは違う、大小無数の礫が入り混じった、赤茶けた砂漠。その中には主として直方体で構成された数えきれない数の建造物の残骸があり、風雨に晒され、朽ちゆくままの姿を晒している。大小無数のそれらが碁盤の目さながらに整然と立ち並び、砂に埋もれていく様は、さながら墓石の群れのようだった。
 これらはかつてこの地に巨大な国家があった名残である。資本主義に代わる新たなイデオロギーである共産主義を掲げ、その圧倒的な人的資源と生産力、そしてそこからなる高度な軍事力をもって世界に覇を唱えんとした、世界第二位の超大国。もっとも、その国は遥か昔――国家解体戦争よりも前に滅びてしまっている。今あるのは、その時の戦乱によって放棄され、そこに住む人々を失い、ただ風化していくだけの残骸に過ぎない。
 そんな、死に絶えたも同然のこの地をゆっくりと進む、巨大な影があった。
 クレーターさながらの“足跡”を残しながら、大地を踏みしめていく象のように太い六本の脚は、しかし実際には実物の象の数百倍というレベルだった。その巨大な脚は無数の段差に覆われた“胴体”を経て、堅牢な装甲に覆われたビルめいた直方体の構造物へと繋がっており、さらにその両脇には、もはや巨大という表現すら生温いスケールの巨砲が鎮座している。
 その口径は、かつての世界大戦の折に開発されたとされる世界最大の列車砲に比肩する、八百ミリという特大のもの。その砲身は通常よりも遥かにぶ厚い外皮を備えながらもそれを感じさせないほどに長大で、それに付随する巨大な弾薬庫や冷却装置、砲架や可動部なども含めれば、全体としては全長三百メートル、全高百メートルあまりの巨砲となる。それらが露天式の三連装砲塔に纏められ、計二基が直方体の構造物の両脇に配置され、圧倒的な存在感でもって周囲を睥睨している。
 また、巨体を構成しているのはそれだけではなく、中央の構造物の左右にはその巨砲と同等、あるいはそれ以上の存在感を示すものがある。まるで花弁のように、あるいは広げた翼のようにも見えるのがそれであり、それぞれが段違いに配置され、扇状に広げられている。しかしそれらは実際には花弁でも翼でもなく、ぶ厚い鋼鉄の板を積み重ねて作られた、れっきとした“飛行甲板”だった。放射状に広がる一枚一枚は、その実、全長にしておよそ八百メートルもあり――たった一枚で、かつて世界最大の艦船と呼ばれた原子力空母の、二倍以上はある計算になる。
 その巨大な飛行甲板は縦と斜めの二つの滑走路を持つアングルド・デッキとなっており、滑走路から外れた箇所には戦艦用レベルの大型の垂直式多連装ミサイルランチャーを計四基備えている。先端部裏側には、長大な二連装砲を左右に配置した、主砲には及ばずとも十分に巨大な砲塔が懸架されており、それが左右三枚ずつの、計六枚。その上部平面にずらりと並べられたノーマルや大型ヘリの数は、合わせて二百は下るまい。さらに飛行甲板があるのとは別の方向に、閉じた嘴を思わせるふたつの構造物があるが、これは機体本体内部の格納庫に直結したカタパルトであり、それのみでも艦載機運用に十分な投射能力を有している。
 全体として六本の足を有した動く城塞といった趣で、さながらそれは鋼鉄製の巨大な食虫花のようにも、あるいは三対の翼を広げた座天使のようにも見える。もしもこの廃棄されたコロニーに人がいれば、その異様なシルエットとハリネズミ然と配置された武装の数々から、牛の頭と無数の腕と足を有し、ありとあらゆる武器を開発したとされるこの地の軍神、蚩尤(しゆう)を連想したかもしれなかった。
 左右に広げた飛行甲板まで含めると、全長二千四百メートル。全高は六百メートルとなり、もはやそれに比肩する建造物はこの地には存在しない。比喩ではなく本当の意味で山のような巨体を揺らし、立ち並ぶ廃ビルの群れを文字通り蹴散らしながら、その巨体の主――BFF社の主力アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》は一路西へと進んでいく。

****

 そして、その巨体の頂点にあたる位置にある、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦橋内部で、
「艦長、こちらのレーダーでも確認しました。敵機影一機、急速接近中です」
「うむ」
 索敵関係を統括する女性オペレーターの声に、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長、ウィリアム・ウォルコット中将は咥えていたパイプを離すと、鷹揚に頷いた。
 歳の頃は六十代半ば。白髪混じりの金色の髪に豊かな口髭をたくわえ、BFF社通常軍の黒の士官服をなんの違和感もなく着こなした、いかにも紳士然とした人物である。その胸元には長い軍歴と数多の戦功を示す略章が整然と輝いていた。
 ウィリアムはパイプの先端に、今は珍しい天然の煙草の葉を詰めると、火をつけて一服し、それから砲撃関係を統括するオペレーターのほうを向いて、尋ねた。
「火器管制、そちらのほうはどうなっているか?」
「はっ! たった今確認しました。時速二千……いや、三千。かなり速い……敵はVOB装備のネクストと思われます!」
 まだ若い男性オペレーターの緊張した声に、しかしウィリアムは苦笑を漏らし、
「誰が予想を述べろと言ったか。確定事項のみを伝えろ」
「し、失礼しました! 敵はVOB装備のローゼンタール機! 速度、機影ともに確認いたしました!」
 そうして、畏まったように報告したオペレーターや、こちらを不安そうに見てくるクルーの表情に、まだまだ硬いな、と感じたウィリアムは、おもむろに艦長席から立ち上がった。そうして艦橋内部をぐるりと見やる。
 アームズフォートの中でも最大級の威容を誇る《スピリット・オブ・マザーウィル》は、大量の弾薬や人員を配置する関係から設計の段階で余裕を持った内部容積を有しており、その頭脳たる艦橋も例外ではない。長期に渡る任務に耐えるために内部の生活環境にも気を使うのは、ウィリアムの古巣でもある旧英国海軍からの伝統である。同じグループであるGAのアームズフォートにも乗った事はあるが、限られたスペースを余すところなく使い切るその人員配置には、ウィリアムは正直辟易したものだった。
 そういった事情から、百人を超える規模の人員を階段状に配置しながら、しかもその個人個人に十分な作業スペースを与えた結果として、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦橋は下手なホテルのロビー並みのスペースがあり――そこにいる全ての人間が、艦長であるウィリアムの挙動を固唾を飲んで見守っている。
 その視線を悠然と受け止めながら、ウィリアムは軽く両手を広げると、にこやかに笑いながら口を開いた。
「諸君、君たちが焦るのはよく分かる。なにしろ、もうすぐティータイムだからな。だが、だからこそ来客はいつも通り優雅に、丁重に迎えなくては。そうすればきっと、三時の紅茶とスコーンには間に合うだろうさ」
 そのジョークめいた言葉に、艦橋内にいくつかの笑い声が上がる。緊張した場がほどよく解れていき、その中で先ほどの火器管制のオペレーターの強張った表情がゆっくりと平静に戻っていくのを確認したウィリアムは、満足そうに頷くと再び艦長席に深々と腰を下ろし、口元に戻したパイプから紫煙を燻らせていた。

 BFF社の主力アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長を務めるウィリアム・ウォルコット中将は、BFF軍部の古くからの重鎮であり、その名が示す通り、BFFの大株主にして旧イギリス王家に縁があるとされる名門、ウォルコット家に連なる者である。
 ウォルコット家はまた数多くのリンクスを輩出した家柄でもあり、“オリジナル”の一員として名高いフランシスカ・ウォルコットとユージン・ウォルコットの姉弟、そしてなによりもBFFの“王女”として名高い現ランク二位のリンクス、リリウム・ウォルコットの生家としても知られている。ちなみにリリウム・ウォルコットは、それまでの最年少記録保持者であったセーラ・アンジェリックの十四歳をはるかに下回る、十歳という異例の若さで正規リンクスとして登録されたという記録の持ち主でもあり、それから四年が経った現在になっても、カラード内での最年少リンクスであるという点は変わってはいない。
 そのような経歴を持つリリウムとは異なり、ウィリアム自身にはAMS適正はないものの、彼もまたBFFの軍事畑を三十年以上にわたり勤め上げた剛の者であった。まだMTやACといった兵器が存在しない頃から最前線で他企業と渡り合ってきたのみならず、リンクス戦争時はBFF本社《クイーンズランス》の護衛艦隊の長を務め、“アナトリアの傭兵”による襲撃からも生還するなどの逸話もある。また、艦艇や戦車などから最新のネクスト、アームズフォートに至るまで、様々な兵器に対する造詣が深く、現BFF軍部におけるその地位は揺るぎないものとなっている。
 そんなウィリアムが十年近く前、当時の新鋭機にして現BFFの象徴たる《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長に任ぜられたのは自明の理であったが、彼はそれに驕る事も溺れる事もなく、淡々と、優雅に、そして着実に任務を遂行し続けていた。その結果として、ウィリアムは竣工時から現在に至るまで、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長を務め続ける事になったのだ。
 そんな名物艦長に対するクルーならびに前線兵たちからの信頼は厚く、また近年は目立った襲撃もなく単調になりがちだった任務の中にあって、久方ぶりのネクスト機の襲撃という事もあり、現場の士気は旺盛といったところであった。

 数秒の間を置いて艦橋の正面モニターに表示された画像には、たしかにVOBを背負ってこちらに向けて接近している敵機影の姿があった。
 直線的ながらどこか中世の騎士を思わせるヒロイックなデザインは、たしかにローゼンタールのネクスト、それも新型機である《タイプ・ランセル》のものだったが、目の前のそれはその外観に似つかわしくない砂色と焦げ茶色というミリタリックなカラーリングをしており、騎士は騎士でも逃亡騎士などのやましい身分の者であるかのように、ウィリアムには感じられた。
「艦長。敵は《タイプ・ランセル》――近年になって次々と戦果を挙げていると噂の、ローゼンタールの《トラセンド》でしょうか? それとも、“大言吐き”の《サベージビースト》のほうでしょうか?」
 自分の副官を務める、中年に迫る年頃の女性士官の問いに、ウィリアムはしばし思案して、
「いや、そうではないな。機体の色が違うし、そいつらは保身に長けるという話だ。この《マザーウィル》に挑む愚は犯すまい。それよりも最近売り出し中の独立傭兵の中に、《ランセル》を駆る者がいると聞いた。おそらくはそっちのほうだろう」
 そう答えていくと、それを証明するかのように、先程の女性オペレーターが報告してきた。
「敵機体、照合完了しました。敵はカラードランク三十一位のネクスト、《ストレイド》。正面モニターにデータ出します」
 はたして画面に表示されたのは、先程遠景で見た砂色のネクストとほぼ同一の機体だった。
 コアのみアルゼブラの《ソーラ》に換装した、ローゼンタール製の《タイプ・ランセル》ベースの機体。内装は主に旧レイレナード製で、武装は機動戦ライフルにレーザーブレード発振器、散布型ミサイルランチャーにプラズマキャノン、フレア・ディスペンサーという構成が表示されているが、現在こちらに向かっているそれは、若干武装が異なるようだ。まあ、それくらいの違いならば、戦っていくうちに判明させればいい事なのだが――
「あれは……あのエンブレムは……?」
 データ欄の端に、その機体を表すエンブレム――月と狼を図案化したものがちらりと見え、ウィリアムはそれに一瞬だけ、奇妙な既視感を覚えた。
(……まさか、な)
 頭の端に沸いたありえない想像を、かぶりを振って追いやる。すると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、ここにいるクルーの中でも年嵩の、砲雷長を務める中年男性が聞いてくる。
「艦長。《マザーウィル》の使用弾頭ですが、どのようにいたしましょう? 無名のリンクスのようですし、通常装備でよろしいでしょうか?」
 その問いに、ウィリアムはしばし考えこむと、「いや……」と否定の言葉を呟いていた。まさか否定されるとは思わなかったのだろう。砲雷長が小さい目をぱちくりさせるのを尻目に、ウィリアムはパイプを咥えて、ひと息に煙を吐き出してから、決然と言い放っていた。
「全種類の砲弾の使用を許可する。このゴビ砂漠を、あのネクストの墓標にしてやれ」
 その指示に、言われた砲雷長はおろか、ほぼすべてのクルーがどよめきの声を上げた。ある意味当然ではあった。今までウィリアムがそのような指示を出したのは、あの“天才”や“GAの災厄”、そして“白い閃光”など、ごく一握りの最上位リンクスを相手にした時だけだったからだ。
「全種類……ですか? ……“A”弾頭、ならびに“K”弾頭も? 本社からの許可は、まだ……」
 なおも食い下がるように聞いてくる砲雷長に、
「全種類、と言った。復唱はどうした?」
 ウィリアムはこれ以上議論する余地はないとばかりに言い切っていた。それに、
「は、はっ! 砲雷長より各員へ、全種類の砲弾の使用を許可する! 繰り返す、全種類だ!」
 砲雷長は慌てて礼を返し、艦内放送でがなり立て始めていった。それを尻目に、ウィリアムは別のオペレーターに視線を向けると、
「例の“解体屋”はどうなっている?」
「はっ! 《マザーウィル》の前方五十キロにて、ビル群の排除に当たっています!」
 生真面目に答えた若いオペレーターの言葉に、ウィリアムは即座に言い重ねていた。
「急ぎ、こちらに急行させろ。敵はVOB装備だ。早く呼ばんと間に合わんぞ」
「はっ、ただちに! こちら《マザーウィル》、《キルドーザー》ただちに応答せよ! 繰り返す、ただちに――」
 若いオペレーターが通信回線に向けて話しかけるのを尻目に、ウィリアムは正面のモニターに視線を戻した。画面に表示された砂色のネクストは、相も変わらずこちらに向かって超高速で飛翔し――ふと、ウィリアムは眉根を寄せた。モニターの中の《ストレイド》の頭部が僅かに動き、ウィリアム自身を見据えたような気がしたのだ。
 こちらを正面から見据える、ピンク色に輝く複眼。それを目にしたウィリアムの心臓が、我知らずどくんと高鳴っていく。はたしてそれは、戦場を前にした高揚なのか、それとも――

****

『ミッション開始。BFFのアームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》を撃破する』
 作戦領域に入った事を告げる低い女の声に、砂色の中量二脚型ネクスト、《ストレイド》のリンクスは長時間の飛行で摩耗しかけていた意識のギアを、一段階高めた。段階的に高まっていく精神負荷に機体の操縦桿を硬く握りしめ、頭蓋に浮かび上がる思考に呼応するようにメインブースターが咆哮して、前方から迫り来る廃棄されたビルの群れの上まで機体の高度を上げていく。
 今までと比べて若干重くなった機体が、僅かに硬い反応を返してくる。《ストレイド》のリンクスにとって無視できぬ負荷ではあったが、それもある意味でいつもの事だ。彼はそれに構う事なく、自分自身と一体になった機体を強引に追従させていった。
 彼の愛機である《ストレイド》の装備は、数日前のリッチランドの時からいくらか変更されていた。右腕の機動戦用ライフルは直付け式となったローゼンタール社の新型レーザーライフルに、左背部の軽量型プラズマキャノンはこれまた同社の新型である、折り畳んだ大鎌を思わせるデザインのチェインガンに換装されている。また、オーバードブーストはこれまでの旧レイレナード製のものから、オーメル・サイエンス社製のアサルト・アーマー搭載型に換装されており、若干の推力低下と引き換えに多大な攻撃能力を得ていた。
 その対価としての重量増加であったが、消費エネルギーの大きいプラズマキャノンを下ろした事もあって機体のエネルギー効率自体は向上している。旧レイレナード製の高出力ブースター群を搭載し、機動戦主体のスタイルを取る《ストレイド》にとってはそれなりのプラス要素であり、継戦能力の向上もあってより戦いやすい機体へと変化しているはずだった。あとは、それが今回の相手にどれだけ通用するか、なのだが――
『…………』
 コジマ粒子関連技術を用いた加速度緩和装置をもってしても、なおその身を苛む凶悪なGに耐えながら、ざわざわと姿を変えていく地平線の果てを睨む。音速を遥かに超えた時速三千キロの世界の中で、赤茶けた砂漠が、立ち並ぶ廃ビルの群れが凄まじい速度で過ぎ去っていく。通常ならばせいぜい亜音速程度しか出せない《ストレイド》がここまでの速度を出せるのは、その背に背負った巨大なユニットのおかげだった。
 《ストレイド》の背部に、専用の接続ユニットを介して取り付けられた、白く巨大な塊。まず、接続ユニットを介して機体の胴体ほどはあろうかという巨大なジェネレーターユニットと、それに直結する形の大型ブースターがあり、その四隅に《ストレイド》そのものよりも長大な四本の燃料タンクとそれに直結した大型ブースター、さらにその周囲にはそれの小型版と言うべきものが十数本、細い鉄骨で束ねられている。側面には球状のコジマ粒子タンクが複数取り付けられ、それを申し訳程度の薄っぺらい装甲板が保護している。総体としては巨大かつ簡素かつ歪で、まさしくブースターの化け物としか形容しようのない物体だった。
 VOB(ヴァンガード・オーバード・ブースト)。
 GAの子会社のひとつであるクーガー社が開発した、ネクスト用の外付け式の追加ブースターで、従来ネクストに内蔵されているオーバードブーストよりも、より速く、より遠くへ、より効率的にネクストを展開させるために開発されたものだ。
 通常のオーバードブーストの三倍近い速度と絶大な航続距離を叩き出すVOBは、超長距離の移動をこれまでせいぜい音速程度でしかないオーバードブーストに頼っていたネクストにとって、より強行的な作戦行動を可能にした重要な装備だった。とはいえ、基本は使い捨ての高コスト兵装であり、周囲の環境への影響をまったく考慮しない性質や、膨大なスピードゆえのリンクスへの高い負荷も含め、その使用は極めて限定的であった。そして、その極めて限定的な使用というのが、今回のミッションというワケだ。
 東アジアの最東端にある有澤重工の直轄地、ニッポン。その最西端にある企業連所有の中立軍港であるサセボ軍港をVOBで離陸してから、はや一時間。十重二十重と展開する哨戒網や敵部隊を飛び越え、今回の作戦領域であるゴビ砂漠に到着し、もうそろそろ今回の任務の標的である《スピリット・オブ・マザーウィル》が見えてくる頃なのだが――
『《ストレイド》、調子はどうだ?』
 その時、先程の低い女の声が再び流れてきた。《ストレイド》のオペレーターを務めるセレン・ヘイズの声。彼女はサセボ軍港の施設内から、オーメルの通信衛星を介して、作戦行動中の《ストレイド》のオペレートを行っているのだ。
 縦横無数に並んだモニターに目を通し、並列して設けられたキーボードを両手で処理しながらのセレンの問いに、《ストレイド》のリンクスはいつものように答えなかった。それをどう受け取ったのか、
『……ああ、最悪か。それはなによりだ』
 くつくつ、と笑い声すら漏らし、セレンは言った。普段は無駄口を好まないセレンだったが、作戦行動中は気が昂って雄弁になるのか、よくこうやってオペレートするリンクスをからかったり、任務とは関係ないコトを言ってくるという悪い癖があった。とはいえ、今回は相手が相手だ。セレンはいつになく真剣な顔で正面のモニターに表示された、《ストレイド》の外部カメラからの映像を睨み続けていた。
『間もなく《マザーウィル》の射程距離に入る。《ギガベース》やホワイトエンドの時とは違う、本当の超高速戦闘だ。目を回すなよ』
 その頃には、《ストレイド》もとうに気がついていたのだろう。高度を落とし、ビル群の中に機体を潜り込ませるような挙動を見せる。前方から迫るビルの群れを回避するために稲妻めいた軌道を取る《ストレイド》。それは同時に、もうすぐ迫り来るであろう敵の攻撃に備えてのものでもあった。
 《ストレイド》の“眼”から送られてくる映像。そこには、超高速で流れていく地平線の向こうでゆっくりと姿を現しつつある、巨大としか形容しようのない“なにか”の姿があり、
(いよいよ本番開始、か……。こいつを見るのは何年ぶりだ……?)
 胸中に沸いた複雑な思いを押し殺しながら、セレンは数日前に受けたミッションのブリーフィングを思い出していた――

****

『――ミッションを説明しましょう』
 そのミッションのブリーフィングは、いつものように勿体ぶった口上から始まった。
 まったく、企業の代弁者というヤツはどいつもこいつも、とセレンは思う。このアディとかいうオーメルの仲介人――下の名前まで覚える気は、彼女にはなかった――のブリーフィングを受けるのはこれで三度目だが、このどこかリンクスというものを下に見るような、慇懃無礼そのものの口調はとにかく癪に障るものがあった。
 ……もっとも、口調こそ丁寧だが肝心の情報をろくに寄こさないようなヤツもいる。そういった意味において、この男は態度こそアレだが比較的正確な情報を出してくるぶん、まだマシなほうだというのが実情でもあったのだが。
『依頼主は、オーメル・サイエンス社。目的は、BFF社の主力アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》の排除となります』
 《マザーウィル》。その単語を聞いたセレンの眉が、ぴくりと動く。そして仲介人に聞こえていないのを承知の上で、大仰にため息を吐いた。
(よりにもよって《マザーウィル》ときたか。新人リンクスに任せる相手ではないな……)
 だが、セレンの目の前にいる男――《ストレイド》のリンクスは、その名になんの反応を示す事もなく、画面に表示された《スピリット・オブ・マザーウィル》の全体像を表したCG画像を物珍しそうに眺めていた。
 ……あるいは、こいつはその名すらも知らなかったのかもしれないな。白髪が混じったぼさぼさの後ろ頭を眺めながら、セレンはふとそんな事を思った。
『敵アームズフォートの主兵装は、大口径の長距離実弾兵器です。図体ばかり大きな、時代遅れの老兵ではありますが、その威力、その射程は、それなり以上の脅威です』
 そんな説明をいけしゃあしゃあと言ってのける仲介人に、セレンは思わず頭を抱えたい気分になった。その図体ばかり大きな時代遅れの老兵に散々てこずっていたのは、いったいどこの企業だったのか。相変わらず自分たちの恥部は徹底的に表に出さない厚顔無恥さに、セレンは呆れを通り越してある種の感動すら覚えていた。
 熟練のリンクスにとって愚鈍な鉄屑扱いされる事も多いアームズフォートだが、《スピリット・オブ・マザーウィル》ほどのスケールになれば話は違う。全高六百メートルの巨体を覆う装甲は、もはや装甲ではなく鋼鉄の塊と表現すべきぶ厚さであり、破壊しようとする行為そのものが通用しなくなる。また、全身に搭載された火器群はそれなり以上の脅威どころの話ではなく、あの《ランドクラブ》や《ギガベース》が可愛く思えてくるレベルで、とてもじゃないがネクストが正面きって戦えるような相手ではない。さらに艦載機として搭載されたノーマルの数も他の機体とは桁違いであり、それだけでもけっして侮れるものではなかった。
 ――アレはもはや軍や要塞などではなく、BFFという企業そのものだ。アレと相対する事それ自体が、企業の全てを敵に回すのと同義なのだ。
 それが、かつて《スピリット・オブ・マザーウィル》と相対した彼女の結論であった。
『そのため、依頼主からは、VOBの使用をご提案頂いています。たしかに、VOBの超スピードがあれば、容易く敵の懐に入り込む事ができるでしょう』
(容易く、な……。まったく、言うだけのヤツは気楽でいいな)
 再び、セレンが大仰なため息をつく。《スピリット・オブ・マザーウィル》の主兵装である八百ミリ多薬室砲は、登場から十年経った今でもなお世界最大級の砲だ。それと同等とされるのは《ギガベース》が装備する超大型リニア・レールカノンのみで、その砲が三連装砲塔で二基の、計六基。単純に考えても、《ギガベース》が三機並んでいるのと同じ計算になる。
 その圧倒的な弾幕を前に、ネクストの機動性ですら容易に近づけるものではない。VOBを使えば、ではなく、使わざるを得ない、というのが実情であった。主砲の老朽化による射撃精度の低下も噂されているが、それもどこまで信じていいのやら……。
『懐に入った後は、敵アームズフォートの各所に配置された砲台やVLS(垂直発射装置)を狙ってください。砲台の破壊から、損害が内部に伝播しやすいという構造上の欠陥が報告されています。随分と杜撰な設計ですが、まあ、彼らなど所詮そんなものです』
 そこが今回のブリーフィングの肝だったのか、仲介人の声のトーンが若干下がる。
 セレンにとって、その話は初耳だった。実際には少し前から企業の上層部や一部の軍関係者の間では広く知られた噂だったのだが、つい最近まで軍事から距離を置いていたセレンにとっては知る由もない話ではあったのだ。
(構造上の欠陥、か……それだけであの化け物が沈むとも思えんが……)
 深く考えこむセレンとは対照的に、《ストレイド》のリンクスは事態の深刻さを理解しているのかいないのか、無言のまま平然とブリーフィングを聞いていた。そうして、
『説明は以上です。ローゼンタール社の推薦もあり、オーメル・サイエンス社はこのミッションに注目しています。これが成功した暁には、これまでの敵対行動も不問とする、との言質も頂いています。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?』
 嫌味ったらしい口調で、最後の最後まで露骨に釘を刺す事を怠らずに、オーメルの仲介人のブリーフィングは終了した。そうしてその後には、依頼を受けるか否かのメッセージウィンドウが空しく明滅するのみであった。セレンはもう一度大仰なため息をつくと、こちらを振り返った《ストレイド》のリンクスの顔を見て、
「……どうする? これはあくまでも依頼なんだ。キャリアに傷がつく事を厭わなければ、無視する事だってできる」
 そう言いながらも、それが難しいであろう事はセレンも承知していた。なにしろ今までとは違って、《ストレイド》を名指しでの依頼である。新人の独立傭兵にとっては異例の話だ。もしもそれを断れば、今まで地道に積み重ねた戦歴や評価が丸ごと吹っ飛ぶような事態になりかねず、最悪、有形無形の嫌がらせを受けるような事もありうる。
 他の依頼を探してそれを口実に逃げる事も考えたが、企業連、ひいてはカラードに顔が利くオーメルの事だ。自分たちに向けて出された他の依頼を凍結している可能性もある。少なくともさっき見た限りでは、他に出されている依頼はゼロ件。本当に起業したばかりのリンクスならいざ知らず、順調に活動しているリンクスとしてはこれまた異例の話ではあった。
 セレンはこちらをまっすぐに見つめ返してくる《ストレイド》のリンクスの目から視線を外すと、腕組みをし、慎重に言葉を選んでいく。
「……ネクストを用意するにあたって多少の支援を受けたとはいえ、別にオーメル陣営に所属しているわけでも、連中の言いなりというわけでもないんだ。現に、オーメルやアルゼブラとは何度かやり合ったわけだしな。ふん、これまでの敵対行動も不問とする、などと偉そうに。そんなものにいちいち目くじらを立てていては、困るのはむしろ向こうだろうに。まあ、そんな事はどうでもいいんだが……」
 そこで、セレンは小さく嘆息する。
 オーメルそのものはどうでもいい。いくら三大勢力の一角だろうが、企業連やカラードに極めて強い影響力を持つ企業だろうが、所詮はねちねち陰謀をこねくり回しているだけの政治屋連中に過ぎないのだから。
 だが、問題なのはローゼンタール。かつては六大企業の一角だったが、リンクス戦争後に急成長したオーメル・サイエンス社に追い抜かれ、現在は実質支配下にある企業である。オーメルの仲介人の話ではオーメルに《ストレイド》を推薦したのは彼らだそうだが、セレンが頭を悩ませているのは、そのローゼンタールこそが、セレンたちが多少の支援を受けた相手だという事だ。
「面倒な事になったものだ。流石にローゼンタール直々の推薦となると、義理ぐらいは通す必要が……あのな、こう見えてもこの業界では信用が第一なんだ。いくら個人として強かろうが、信用を蔑ろにするようでは世の中渡ってはいけない。それくらいの事、お前にだって理解できるだろう? ……そもそも、いったい誰のせいでこんな事になったと思っている。元はと言えば、私が用意した“アレ”に、お前が素直に乗ってさえいれば良かったんだ。いくらセコハンのロートルとはいえ、高かったんだぞ。それがお前、半分以上無駄になったばかりでなく、更なる出費や余計な面倒まで……」
 こちらを咎めるような視線に、思わず責め返すような反論をしてから、はたと気づいてセレンは口を閉ざした。こいつの性格上、反論しても無駄足になるのは見えていたし、なによりも今はそんな事をしている場合ではないからだ。
「まあ、いいさ。過ぎた事だ。そんな事より、これからどうするか、だ。今回のオーメルのは、正直、ムカつくやり口だ。カラードに圧力までかけて、依頼を受けざるを得ないように仕向けるとは。依頼を選ぶ権利くらい、我々にもあるだろうに。……まあ、それだけ連中がこのミッションを重要視しているという事でもある。お前の“目的”からすれば、今回の依頼はある意味近道くらいにはなるかもしれんな」
 近道。その言葉に、《ストレイド》のリンクスの焦げ茶色の瞳がぎらりと輝く。それに、単純馬鹿が、と内心で腹を立てるセレンだったが、その単純馬鹿とある意味で運命をともにしているのが、今のセレンの実情でもあった。彼女はそれをおくびにも出さずに、
「お前の実力を疑うわけではないが、正直、今の段階で受けるにはあまりに危険すぎる。オペレーターとしては、薦めたくはない依頼だ」
 今回の依頼に対する、率直な意見を述べた。それをどう取ったのか、《ストレイド》のリンクスはしばし目を閉じて黙考していく。そうして、数十秒後、彼が再び右目を開いたところで、
「どうする? 最終的に答えを出すのは、リンクスであるお前だ。お前が決めるんだ」
 そう重ねたセレンの言葉に、《ストレイド》のリンクスはモニターに向き直った。モニター上のカーソルをマウスで動かし、明滅するメッセージウィンドウに重ねていく。
 そうして、彼が出した結論は――

****

(……まさか、真っ正直に受けるとはな……)
 その時の事を思い出し、セレンは深々と嘆息した。
(馬鹿は死なねば分からないとは言うが……まったく……)
 と、恨み言めいた事を考える。そうして、その思考は依頼を受けた本人のみならず、別の人間にまで向けられていた。
(……恨むぞ、レオハルトめ。先に頼ったのはこちらとはいえ、こんな面倒事を押し付けてくるとは……)
 おそらくはオーメル上層部に自分たちを推薦した張本人であろう、古い知人の顔を思い浮かべ、セレンは渋い顔をする。そうして、別の事を考えようと思いたったセレンは、ふと世間話めいた事を口走っていた。
『しかし、VOBを使うのもこれで三回目か。いくつかミッションもこなし、オーダーマッチも連勝中。さすがに慣れてきただろう、いろいろと』
 当然、反応を期待していたわけではなかった。少なくともネクストに乗っている間、《ストレイド》のリンクスが言葉を発した事は一度たりとてなかったからだ。だが、
『…………』
 以外と、反応らしい反応があった。相変わらず無言ではあったものの、明確に否定めいた雰囲気を出してきたのだ。そしてそれは、セレンにも心当たりがあった。
『……ん? まだ慣れていないか? ……ああ、言わなくとも分かる。この間のリッチランドの件だろう? たしかに傭兵らしからぬ、変な女だったが……』
 自分たちにとって初めての協働相手だった、あのメイ・グリンフィールドとかいうGAの女リンクスの澄んだ声を思い出し、セレンは渋い顔をした。
 セレンが「正面から行くのは愚の骨頂だ」と言った直後に、「正面から行く」と言ってのけ、挙句に自分から危険な盾役を買って出た、訳の分からない女。
 こちらが姿を隠している最中も二機の《ランドクラブ》相手に囮役に徹し、大破寸前にまで追い込まれてもなおこちらを信じ、最後まで逃げなかった馬鹿な女。
 とはいえ、向こうが勝手にやった事とはいえ、それこちらが助けられた面があるのも事実ではあり、《ストレイド》のリンクスもまた――本人は決して認めようとしなかったが――そのように考えているようだった。
 あの馬鹿女に義理を返したつもりなのか、それともなにやら感化でもされたのか。知るのは黙して語らぬ当人ばかりなりだが、結果として《ストレイド》のリンクスはあの女の言う通りに動き、その危急の際には援護すらして見せた。それは、彼の人となりを知るセレンにとってはかなり意外な事ではあり――彼女はほんのわずか、優しげに口元を緩めると、
『まあ、いい。今のうちにせいぜい点数を稼いでおくぞ。私のビジネスの成功と、お前の“目的”のためにもな』
 最早はっきりとそのシルエットを表した《スピリット・オブ・マザーウィル》を睨む。文字通り山のような巨体の上部に無数の光が瞬く。それは瞬く間にこちらに迫る巨大な砲弾と化し、
『やる以上は徹底的に、だ。見せてみろ、お前の有用性を』
 回避行動に移った《ストレイド》の後ろ姿を見つめ、セレンは言い放った。

****

 全高百メートルはあろうかという巨大な廃ビルを平然と貫通し、《スピリット・オブ・マザーウィル》の主砲弾が迫り来る。砲弾そのものは狙いを逸れて遥か彼方へと飛んで行ったが、直撃を受けた廃ビルのほうはそうはいかなかった。数十メートルはあろうかという横幅の半ば以上を抉り取られ、巨大な建造物ががらがらと崩壊していく。圧し掛かるように迫る瓦礫の数々から逃れようと、《ストレイド》が機体を傾かせてVOBの軌道を曲げていき、
『…………!』
 そしてそこを狙ったかのように飛来した砲弾を、今度は横方向へのクイックブーストで回避する。近距離を掠めた巨大な砲弾の余波だけで、今は全長十数メートルとなった機体全体がびりびりと震えていく。
『相変わらず、馬鹿げた威力だな……!』
 機体の姿勢安定維持性能の閾値を超え、一斉にアラートを瞬かせたモニターに舌打ちしながら、セレンは吐き捨てるように言った。
 八百ミリという超大口径の砲弾がもたらす破壊力は、もはやプライマル・アーマーだの装甲の厚さだのという次元の話ではない。街の一区画ごと、地形ごと吹き飛ばすのが本来の運用法であり、それをネクストという矮小な機動兵器に向けている事自体、著しい無駄遣いであった。
『今ので分かったろう。敵の主砲の威力は馬鹿げている。ネクストなぞ一撃で木っ端微塵だ。回避を最優先、分かったな?』
 そのアドバイスに、いつもの通り返事はない。とはいえ、この凄まじい威力を文字通り肌で感じている《ストレイド》のリンクスに、そのくらいの事が分からぬわけがない。遥か彼方から偏差射撃めいて飛来してくる砲弾の群れを睨み、右に、左にクイックブーストを瞬かせながら回避していく《ストレイド》に、セレンは満足そうに頷いた。
 ――敵の射程圏内に入り込んでから、はや十分。
 《ストレイド》は苛烈としか言いようがない敵の砲火に、その十分間の間、ずっと晒され続けていた。そしてそれは《スピリット・オブ・マザーウィル》がこちらを確認してから、絶え間なく砲弾を撃ち続けているという事でもあった。
 アームズフォートという兵器の特徴のひとつとして、その膨大な積載量とほぼ制限なく使えるスペースから来る、次元違いの継戦能力があった。なにしろ、砲弾を積むスペースが他の機動兵器とは桁違いなのだ。迫り来るネクストを疲弊させるために一日中ずっと砲弾を撃ち込む事を可能にさせるのが、アームズフォートの設計者にまず求められる要求であるという噂は、決して嘘でも誇張でもなかった。
 とはいえ、それはあくまでも物理的なスペースにおいての話である。こと金銭面に関しては流石に無限とはいかず、その運用に各企業が四苦八苦しているのは、アームズフォートという兵器の超高コスト体質を見れば明らかだった。そして、それでもなおアームズフォートを運用し続けるのが、“企業”という存在でもあった。
 企業に属するコロニーの人々が破壊された環境に喘ぎ、僅かばかりの賃金を稼ぐために日々過酷な労働を強いられる傍らで、たった一発で上流階級の大家族を数年は養えるだろう高価な砲弾が、そしてそれを製造するための膨大な自然資源が、それこそ湯水のように大量に消費される。その矛盾こそが企業が支配するこの世界の姿であり、昨今から続く企業間戦争の本質だった。
 そうして、超高速で飛翔する《ストレイド》が廃棄されたビル街を抜け、少し開けた場所に出たと思った時だった。
 敵の攻撃が、やや閑散としてきた。今までは間に障害物があろうが構わず撃ってきていたのが、急に障害物を避けて撃つようになってきていたのだ。そして、障害物の間を縫うようにして撃ち込まれた一発を避けた直後の事だった。
『…………!』
 轟音とともに巨大な爆発が巻き起こり、その余波を浴びた《ストレイド》のプライマル・アーマーがざわめいていった。
 すぐ後ろにあった廃ビルに主砲弾が接触しかけたと思った刹那、その主砲弾が自爆、広範囲にわたって紅蓮の炎をまき散らしたのだ。それを察知した《ストレイド》は、爆炎の逆方向にクイックブースト。その被害半径からVOBを背負った機体を一気に離脱させていた。
 次いで飛来した砲弾も同様だった。こちらが躱したと思った瞬間に砲弾が自爆、広範囲に爆風を広げさせていった。
『……なんだ? 敵の攻撃の毛色が変わったな』
 そのセレンの呟きの通り、主砲弾の攻撃は明らかに別のものに切り替わっていた。近接信管が仕込まれているのか、ある一定以上の距離に近づくと自爆し、広範囲に爆炎をまき散らす大型の榴弾。後方で次々と爆発の華を咲かせる砲弾の数々を見るに、今飛来している主砲弾は、おそらくその全てがそれに切り替わっている。直撃時のダメージこそ今までの大口径徹甲弾より劣るものの、近接信管もあってより避け辛いものになっていた。
 とはいえ、この超高速戦闘の中にあっては、それすらごく狭いものに過ぎない。さながらそれは、迫り来る銃弾がピンポン玉になっただけに過ぎず――真正面より迫り来る主砲弾を、余裕をもって回避しようとした時だった。
『…………!?』
 《ストレイド》のリンクスが動揺の気配を漏らす。その一瞬前、主砲弾が爆ぜたように見えたからだ。先程のような自爆ではない。巨大な弾頭の外殻が剥がれ落ちたかと思った刹那、主砲弾の内部に収納されていた数百はあろうかという子弾頭が覗き、次の瞬間には一気に拡散、《ストレイド》を包みこむように殺到していたのだ。
 子弾頭それ自体にほとんど推進力がなくとも、超高速の砲弾に搭載されていた以上、その初速は凄まじいものになる。目にも止まらぬ、否、視界そのものを埋め尽くさんばかりの速度で、コーン状に拡がった散弾が広範囲に炸裂する。それでも《ストレイド》はとっさにその軌道を見切り、クイックブーストで回避していたが、予想以上に拡がったそのうちの一発がプライマル・アーマーを掠め、VOBの無数に束ねられた長大な燃料タンクのうちの一本に突き刺さり、燃え上がらせていた。
『VOBに被弾! 第四ブースター、パージする!』
 セレンが宣言とともに行った遠隔操作によって、被弾したブースターが火薬により切り離される。そうして脱落した燃料タンクが数秒後に巨大な花火と化すのを尻目に、VOBを背負った《ストレイド》はなおも超高速で進撃していく。
『近接信管式の榴弾に、榴散弾とは。面白いものを使うじゃないか、BFF』
 そうでなくては歯ごたえがない、と言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべ、セレンが呟く。十年近く前、彼女が完成したばかりのアレに挑んだ時は、こんな手は使わなかった。度重なるネクストとの交戦で、敵も学習していたという事なのだろう。もっとも、それはネクストの側も同様であり、技術革新によるジェネレーターの出力増強や各種ブースターの高効率化などが進んでおり、中でも超長距離砲撃型アームズフォートに対する決定打となったのがこのVOBだ。これが登場したのはごく近年の話であり、歴戦の《スピリット・オブ・マザーウィル》といえどその機動性を完全にトレースするには、まだまだデータの蓄積が足りていないと言ったところか。
『とはいえ、タネを明かせばつまらん手品だ。至近で回避しようと思うな。そうすれば問題なく躱せる』
 その指示に、答える声はない。が、《ストレイド》が増速した事によって了解の意を感じ取ったセレンは、『速力、八十パーセントに低下! 航行に問題なし!』と続けていた。
 無数の榴弾と榴散弾、二種類の砲弾が次々と《ストレイド》の鼻先に撃ち込まれ、巨大な紅蓮の華を咲き誇らせていく。周囲に点在する廃ビルが爆風や散弾を浴びて崩れ落ち、赤茶けた砂塵や瓦礫を吹き上がらせる中、それでもなお《ストレイド》の進撃は止まらず、まるでそこだけ真っ赤な砂嵐(シムーン)が吹き荒れているかのようだった。
 そうして、数分間もの間、同様の攻防を重ねていった頃、
『VOBの燃料、残り十パーセント。燃料ギリギリまで粘っておけ。そうすれば後が楽になる』
 そうアドバイスしてくるセレンの声を聞きながら、追い込まれているな、と《ストレイド》のリンクスは感じていた。
 セレンは気づいてないようだが、先ほどから敵の攻撃がこちらの左側に集中している。そのため、こちらの回避も右方向にならざるを得なくなり、結果として、本来予定されたルートをやや外れてしまっていた。本来であれば、この廃棄されたコロニーの街中を突っ切らねばならないのに、今は街外れのほうに向かってしまっている。
 まるで、彼がまだ幼い頃に、部族の仲間に連れられて行った狩りの時のようだ。部族一の狩人にして射手だった人物が語っていた言葉を思い出す。狩人にとって重要なのは、獲物の生態を徹底的に調べ、その動きや習性を読み、その思考や息づかいを肌で感じる事だと。そうした上で獲物を狙い、追い立て、狩るのだと。実際、そうやって彼女は自分の目前で、強く俊敏で賢い野生の獣たちを次々と仕留めてみせたものだった。
 進路上に佇む《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体を見やる。今はまるで、それをされているかのような感覚を覚える。矢継ぎ早に撃ち込まれる砲撃によってこちらを疲弊させ、広範囲に炸裂する弾頭によって行動を制限する。今までそれを避け続けているつもりだったが、結果として向こうの思うように誘導されている――?
 そう思考した《ストレイド》のリンクスは、徐々に閑散としてきたビル群の向こうにそびえ立つ《スピリット・オブ・マザーウィル》の三連装砲塔の右側、その右端の砲が、がくん、と動くのを見た。彼の記憶が正しければ、こちらから見て一番右端の砲は未だ火を噴いていない。そして今、その右端の砲が動き、こちらを捉えていて――
『…………!』
 右端の砲に光が瞬く。その瞬間、ぞわりとした殺気を肌で感じた《ストレイド》のリンクスは、とっさにコックピット内に増設された赤いボタンを押し込んでいた。
 《ストレイド》の背部に増設された接続ユニットに火花が奔り、切り離された接続ユニットごとVOBの巨体がバラバラにほぐれていく。巨大な棒状の燃料タンクが地面にぶち当たってひしゃげながら爆発し、球状のコジマ粒子タンクが緑色の燐光をばら撒きながら転がっていく。そうして、外部推力がなくなって相対的に急停止をかけた《ストレイド》が、猛烈な逆方向のGに身を軋ませながらも、砂地の表面を深々と抉りつつ着地し、
『VOB、手動パージだと!? おい、《ストレイド》! なにをやって……』
 セレンの慌てふためく声がしたのも束の間、《ストレイド》は迫り来る主砲弾とは逆方向に、地を蹴りながらクイックブーストを噴かす。そのまま空中で断続的にクイックブーストを噴射し、先程までの進路上からとにかく距離を取っていく。そうして近くにあったビルの残骸のうち、特に大きく、頑丈そうに見えるものの足元にまでたどり着くと、それを遮蔽物として地に伏せ――そうして、主砲弾がある程度の距離まで近づいたかと思った刹那、
『…………!』
 瞬間、光と熱が爆ぜた。起爆と同時に発した熱線は全ての可燃物を燃え上がらせ、音速を超える爆風は衝撃波となって砂漠を掘り起こし、周辺のビル群を粉砕する。主砲弾を中心とした周囲数十メートルは超高温の火球と化し、太陽さながらの光が昼の砂漠を夕焼けめいたオレンジ色に染め上げていく。周辺にあった砂や瓦礫は瞬時に蒸散し、巨大な廃ビルでさえも硫酸を浴びせられたチーズのように融解していき、そうして巻き上げた大量の粉塵が、天まで届く巨大なキノコ雲となって立ち上り――ノイズが大量に入り混じった《ストレイド》の外部映像から、セレンはその灼熱の地獄を見た。
『……核弾頭だと!?』
 スクール時代に歴史の授業で見せられたムービーで、そして国家解体戦争での戦いの折で、幾度となく見せられたものとまったく同じ光景がそこにあった。本能的に湧き出る忌避感と恐怖を押し殺しながら、セレンは別のモニターに表示されていた《スピリット・オブ・マザーウィル》の諸元表にざっと目を通し、呆然とした声で呻いていた。
『主砲弾に、核を? こんなもの、データにないぞ……!』
 セレンが呻くのも当然だった。《スピリット・オブ・マザーウィル》の各種スペックは、その高い戦闘力ゆえに早々に他企業の目に晒されていったが、使用される弾薬にまで関心を寄せる者はいなかった。また、この熱核ナパーム搭載弾頭――通称、“A”弾頭は、《スピリット・オブ・マザーウィル》にとって文字通りの切り札であり、その運用と秘匿には細心の注意が払われていた。BFFの関係者でもないセレンが、これの存在を知らなかったのは仕方のない事だったのだ。
『《ストレイド》、無事か!?』
『…………』
『こんな時ぐらい返事をしろ、馬鹿野郎が!』
 マイクに向かってがなり立てたセレンに、《ストレイド》はなおも無言だったが、通信越しにその荒い息遣いを感じ取ったセレンは、ほう、と安堵の息を漏らしていた。
 実際のところ、プライマル・アーマーを大幅に減衰させたくらいで、《ストレイド》はほぼ無傷だった。そもそもネクストのプライマル・アーマーは、当時の最強の兵器である核に耐える事を前提として開発されたという経緯がある。機動兵器としては過剰とも思える防御力はそのためであり、そうでなければ国家解体戦争の時に国家軍が使用した核弾頭で、何機ものネクストが落とされていたはずだった。
 いくら規格外の大口径の砲弾に積まれたものとはいえ、今回使われたものは戦術核の域を出ておらず、まして事前に距離を取り、遮蔽物越しの状態ではなおさらだった。輻射熱で装甲表面の温度は数百度に達したものの、その程度の高熱でどうにかなるほど、ネクストはヤワな代物ではないのだ。
 とはいえ、外付けの装備であるVOBユニットであれば話は別だ。もしもとっさに切り離していなければ、広範囲に広がった熱線はプライマル・アーマーから突き出た燃料タンクに引火。誘爆に誘爆を重ね、最終的には《ストレイド》本体も誘爆を免れず、プライマル・アーマーの内側から木っ端微塵になっていたはずだった。
 まさしく、間一髪。もしもあそこで《ストレイド》のリンクスが違和感に気づかなければ、あるいはVOBのパージがわずかでも遅れていたら、勝負はそこで終わっていただろう。
『……BFFめ、なりふり構わずか!』
 先程のモニターに拳を打ちつけ、激情のままに叩き割りながら、セレンは吐き捨てた。《ストレイド》を仕留める、ただそれだけのために、本来企業間戦闘において使用が禁止されているはずの核弾頭を平然と使用するとは。元は貴様らが始めた事だろうに、なんでもありが戦場の習いとはいえ、あまりにも見境がなさすぎる。これだから、企業の連中は嫌いなんだ……!
 セレンは大きく息を吐くと、粉々に割れたモニターから手を引き抜き、滲んだ血を拭う。そうしてしばし黙り込んで気を落ち着かせると、
『……まあいい。今のうちに少し休んでおけ。これだけ視界が悪ければ、敵もめくら撃ちはしてくるまい。プライマル・アーマーが回復し次第、作戦を再開するぞ』
 そう言ったセレンの言葉に、《ストレイド》のリンクスは肯定の意を返し、荒い息を整えていく。そして数十秒後、プライマル・アーマーが再展開し、コジマ粒子濃度が完全に回復するのを待ってから、《ストレイド》が立ち上がった。周囲は未だ核爆発がもたらした炎と粉塵に覆われており、視界はほぼゼロに近い。その中を、《ストレイド》は通常ブースト機動で慎重に移動していき――

****

「……信じられんな。ヤツは直前で回避していたぞ」
 立ち上る巨大なキノコ雲を睥睨する《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦橋で、ウィリアム・ウォルコットは信じられないとばかりに頭を振った。爆発に備えてこちらの防眩フィルターが働く直前の、ほんの数秒間ではあったが、VOBをパージして離れていく敵ネクストの姿を、ウィリアムの目は確かに捉えていたのだ。
 こちらが“A弾頭”――すなわち熱核ナパーム搭載弾頭を発射した直後の事である。たまたま偶然に使用限界が重なっただけという理不尽はあり得ない。恐らくは何かを察知して、自分からVOBをパージしたのだ。そうして、弾頭の到達地点から距離を取り、姿を消した。逃げたとしてもそう遠くへ逃げられたはずもないが、いずれにせよプライマル・アーマーがある状態では撃破までは至っていないだろう。
 ウィリアムは傍らに立つ彼の副官のほうを向いて、
「オールター君。私にはヤツの動きが、“A弾頭”の事を知っていたからこそのように思えたが……君はどう思う?」
 その問いに、副官はしばし逡巡する素振りを見せてから、歯切れが悪そうに口を開いていく。
「……はあ、自分にはなんとも判断がつきかねますが……我が社の情報管理は万全ですし、万が一他企業がそれを知っていたとしても、一介の独立傭兵に教えるはずも……あるいは、山猫の野生の勘、というやつでしょうか……?」
 副官の答えに、ウィリアムは「ふむ……」と相槌を打つと、再び正面モニターの中で屹立するキノコ雲に視線を戻した。口元に手をやり、考えを巡らせていく。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》の十年近くに渡る長い戦いの中で、“A弾頭”の実戦投入それ自体は、別に今回が初めてというわけでもない。基本的には内外に秘匿されているものではあるが、必要とされる局面であればあればウィリアムはそれを躊躇いもなく使用し、確実な戦果を挙げる事で周囲に認めさせてきたつもりだ。それはアームズフォートが相手であろうと、ネクストが相手であろうと変わるものではない。
 だが、これをもってしても取り逃がしたネクスト戦力は、オッツダルヴァやウィン・D・ファンション、そしてあの“白い閃光”など、ごく少数。よってオーメルやインテリオルは“A弾頭”の存在を知っているはずだが、副官の言う通り、それを社外の独立傭兵に教えるかと言われれば、否だ。
「気に入らん、な……」
 ウィリアムは誰にも聞き咎められないよう、小声で呟く。
 あの砂色の機体のリンクス。ヤツはこの《マザーウィル》が核弾頭を仕込んでいた事を前もって知っていたというのか? 否、仮にもし知っていたとしても、あの絨毯爆撃に等しい砲撃の中で、どうやってあの一発こそが核弾頭だと判ったのか?
 あれを撃つ直前までは上手くいっていた。もしも知っていればむざむざと街外れに誘い込まれるような事はあるまい。であれば、ヤツは知らなかったと見るが妥当だが、だとしたら、何故、直前で察知できた……?
 分からない。どうやってもウィリアムには合理的な説明がつかなかった。それこそ副官のように単なる動物的な直感と結論づけたくもなろうというものだが、それが意味する事はひとつ。このリンクスは、相当な難敵という事になる。
「……いずれにせよ、低ランクの独立傭兵などとは思わぬほうがよいな、この相手は」
 咥えていたパイプを傍らに置き、ウィリアムは決意を籠めた視線を正面モニターに向けた。その言葉に、副官やクルーたちが表情を引き締めていく。
 一般的には企業や特定勢力などに囲われるだけの実力がないと思われがちな独立傭兵だが、その中には確かな実力を備えている者もいないわけではない。独立傭兵として特に有名なロイ・ザーランドやハリなどは、間違いなくカラードでも指折りの実力者として知られている。
 そして、この独立傭兵。VOBでの超高速機動という限定条件ながらも、これまで見せた戦闘機動や、先程の核弾頭を回避した動きを考慮すると、敵の実力は間違いなくカラード上位クラス。この《マザーウィル》をもってしても、決して侮れる相手ではない。
 ウィリアムは艦長席から立ち上がると、よく通る声で矢継ぎ早に指示を出していく。
「敵はさらにこちらに向かってくる可能性がある。監視を密にし、警戒を怠るな。動くものあらばすぐに発砲しろ」
「は、はっ!」
「艦内に通達。全てのノーマル部隊および爆撃機部隊は発進準備。五分で完了させろ。また、発射可能状態にある“K弾頭”は、現状のまま待機。発射指示はこちらが出す」
「了解! 通信、開きます!」
「“解体屋”はこちらに到着しているか? ……よし、ならば《マザーウィル》の直掩に就かせろ。敵ネクストをある程度引きつけたところで迎撃に向かわせるんだ」
「はいっ!」
 そうして、粗方指示を出し終えたところで、ウィリアムは傍らの副官に視線を向けた。
「済まんが、BFF本社に至急連絡を取ってくれ。《マザーウィル》の機密情報が敵に漏れていた可能性あり。急ぎ、漏洩元の洗い出しと、当該リンクスの情報を徹底的に調べるように、とな」
「了解しました」
「うむ。……ああ、それから」
 そう続けたところで、ウィリアムは柔和な笑みを浮かべて言った。
「リリウム・ウォルコット嬢に伝言を頼む。来週のお茶会は予定通りに行う。上物の茶葉とクッキーを用意してあるから、楽しみに待っていなさい、と」
 副官はしばし目をぱちくりさせてから、やがてウィリアムの言葉の真意を理解したのだろう。柔らかい笑みを浮かべ、「はっ。大至急伝えるように言っておきます」と返して、通信用のコンソールへと向かっていく。
 そうして、副官が去っていったところで、ウィリアムは再びパイプを手に取り、深々と一服すると、再び正面モニターに、おそらくは未だに晴れ止まぬ噴煙に隠れているであろう《ストレイド》に視線を向けた。そして、顔も知らぬリンクスに胸の裡で語りかける。
 ――認めよう、君の力を。この《マザーウィル》の度重なる砲撃、そして“A弾頭”すらも回避した手腕は、評価しなければならない。
 だが、これでこちらの手の内を全て解いた気になってもらっては困る。《マザーウィル》の真価はこんなものではない。己の力量を過信した山猫には、圧倒的な物量の差、企業と個人の力の差というものを教授し、思い知らせてやらねばな。
 口元に不敵な笑みを浮かべる。この時、ウィリアムは自分たちの勝利を確信していた。

 ――この時は、まだ。

****

『…………!』
 そうして数分後。爆炎の範囲外に躍り出た《ストレイド》がオーバードブーストを起動したのと、先程よりも随分と近づいた《スピリット・オブ・マザーウィル》が、その全身に砲火の光を瞬かせるのは、ほぼ同時だった。
『やはり、手ぐすね引いて待っていたな!』
 そう言ったセレンの声は聞かなかった。とっさに地を蹴り、横方向へクイックブースト。三連装が二基の主砲に全身に配置された副砲、それらから降り注ぐ砲弾の雨の範囲外に避難した《ストレイド》は、同時にオーバードブーストのチャージを完了させていた。一気に亜音速まで急加速した砂色の機体が、なおも撃ち込まれる砲弾を回避するべくジグザグに動きながら、《スピリット・オブ・マザーウィル》めがけて低空飛行していく。
『繰り返すが、敵の主砲の威力は馬鹿げている。徹甲弾はもちろん、榴弾や榴散弾でも致命傷になりかねん。急いで敵の懐に飛び込むんだ!』
 そんな事、今さらセレンに言われるまでもない。元より《ストレイド》のリンクスは、降り注ぐ全ての砲弾が、榴弾あるいは榴散弾だという想定で動いていた。とはいえ、そのせいで思うように近づけない。普段よりも大きく回避しなければならないため、どうしても横方向に行ってしまい、ただでさえ遅れている敵アームズフォートへの到達がより遅れてしまうのだ。そしてそれは、《ストレイド》のリンクスにとって精神負荷のさらなる増大を意味していた。
 そうして、蛇行に蛇行を重ねながら、それでも数十キロは移動し、あと少しで《スピリット・オブ・マザーウィル》に取りつけると思った頃だった。
『目標まで残り……いや待て! 敵ネクスト反応、急速接近!』
 突如としてセレンが警告を発してきた。そしてその声に重なるようにして、
『――どぉおおおおっ!』
 奇声じみた野太い雄叫びを上げながら、オーバードブーストで急速接近してくる、一機のネクストの姿があった。
 全身の装甲を黄色と黒で塗り分け、左肩にハンマーを振り下ろす男のエンブレムが描かれた中量二脚機。中量級にしては太めの、厳つい角ばったシルエットはGA製ネクスト《サンシャインL》のもので、背部に高速型ミサイルランチャーと軽量型グレネードランチャー、そして両腕にはぶ厚いシールド、もしくは鉈の刃先のように見えなくもない巨大な鉄塊が装備されている。
『りゃあああああああああっ!!』
 なおも続く雄たけびとともに、その鉄塊が突き出された両腕ごと伸びてくる。とっさにオーバードブーストを中断し、辛くも回避した《ストレイド》の事などお構いなしで、その黄色いネクストはなおも直進し、背後にあったビルに激突。両腕の鉄塊、すなわち超硬合金製のドーザーブレードが老朽化した鉄筋コンクリート造りの建物をバターのように抉り取り、打ち砕いていった。
 そうして自身が粉砕したビルの瓦礫を浴びながら、しかし不敵に振り向いた黄色いネクストが、赤く輝く単眼を《ストレイド》に向けた。
『《キルドーザー》……! ええい、弁えない解体屋め!』
 敵ネクストの予定外の出現に、セレンが毒づく。
 ランク三十位、《キルドーザー》。かつてカラード内での摸擬戦であるオーダーマッチで対戦した相手で、施設破壊のみを想定したとされるネクストを駆る、通称“解体屋”。通常であれば取るに足らない相手だが、よりにもよってこのタイミングで出てくるか……!
『両腕のアレは殴りかかるだけが能の鉄塊だ! 両背部の火器にだけは注意しておけ!』
『どすこいぃいいいいっ!』
 セレンの言葉を遮るかのように雄たけびを上げ、両背部の武装を撃ち散らしながら、再び黄色いネクスト――《キルドーザー》が突進してくる。高速で迫るミサイルの群れが《ストレイド》を掠め、足元で拡がった爆炎が度重なるオーバードブーストの使用で減衰状態にあったプライマル・アーマーをさざめかせ、霧散させていった。
 もちろん、そうしている間にも《スピリット・オブ・マザーウィル》からの砲弾は降り注いでくる。幸い、《キルドーザー》への誤射を恐れてか、あるいは弾切れなのかは分からないが、今はほぼ全ての砲弾が元の徹甲弾になっているようだ。とはいえ、一撃でも貰えばそれで終わりなのには変わりがなく、
『まったく! 対ネクスト戦の初体験としては、少々ヘビーすぎる内容だな!』
 セレンはキーボードを叩き割らんとする勢いでタイピングし、必死にオペレートを続けながら吐き捨てていた。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》に《キルドーザー》、そしてあまりに長い時間戦い続けた事による、リンクスの疲労。あまりにも不確定要素が多すぎる。この分では《スピリット・オブ・マザーウィル》に搭載されている大量のノーマル部隊が動き出すのも時間の問題で、現に敵の艦載機なのだろう、GA製高速爆撃機《ギャラクシー》がカタパルトから複数機発艦しているのをセレンは確認していた。
(まったく……“ワルプルギスの夜”でもあるまいに……!)
 と、不穏当な例えが脳裏に浮かんだのも一瞬、セレンはマイクを口元に押しつけ、叫んでいた。
『敵ネクストは後回しだ! 一刻も早く《マザーウィル》の懐に飛び込むんだ! でないと、死ぬぞ!』
 その叫びに、敵ネクストと交戦中だった《ストレイド》が動いた。突き出した左腕を斬り落とされ、たたらを踏む《キルドーザー》に背を向け、脱兎のように駆けるとクイックブーストを起動。廃ビルと廃ビルの間を飛び跳ねるように移動し、少しでも《スピリット・オブ・マザーウィル》に迫ろうとする。今はオーバードブーストは使えない。先程の《キルドーザー》のグレネードがダメ押しとなって、プライマル・アーマーが完全に霧散してしまったのだ。
 当然、それを見逃す《キルドーザー》ではない。悠々とオーバードブーストを起動すると、亜音速に加速した黄色い機体が数秒も経たずに《ストレイド》に追いつき、空中から殴りかかってくる。
『うらぁああああああっ!』
 猛烈な勢いで突き出された右のドーザーブレードを、《ストレイド》が身を捩りながらレーザーブレードを展開し、迎撃。圧倒的な熱量を有する太く短い光刃と、アームズフォートの外装にも使われるぶ厚く重い超硬合金製の刃がぶつかり合い――数瞬の拮抗の後、互いに弾かれるようにして吹き飛んだ二機のネクストが、それぞれ別の廃ビルに激突していった。
『…………!』
 崩れかけた瓦礫に手をかけ、身を起こす《ストレイド》。しかし、その時だった。流れ落ちる瀑布を思わせる轟音が、大気を揺るがしていった。慌ててそちらに振り向けば、そこには《スピリット・オブ・マザーウィル》の左右に展開する飛行甲板から垂直に立ち上る、数えきれないほどの白煙の数々……!
『大量の熱源を確認! ミサイル攻撃、来るぞ!』
 セレンの警告は、もはや警告にすらならなかった。《スピリット・オブ・マザーウィル》の各部に配された、全二十四基の垂直式多連装ミサイルランチャーから、それぞれ十数発が発射された小型ミサイルの群れ。ゆうに三百は下らないそれらは、ある程度上昇したところで転進、眼下にいるたった一機のネクストめがけて一斉に降下していったのだ。
 《ストレイド》の両肩に装備されたフレア・ディスペンサーから、オレンジ色の高熱源体が大量にばら撒かれていく。本来であればミサイルに対して高い欺瞞効果を有するそれらは、しかし雲霞のごときミサイルの大群を前にしては焼け石に水にしかならず、
『…………!』
 とっさに横に跳び、廃ビルを盾にする《ストレイド》。しかし、瀑布のように叩きつけられた大量のミサイルの前に、崩れかけた建造物では一秒たりと持たなかった。それでもなおチェインガンを撃ち散らしつつ回避しようとした《ストレイド》に、纏わりつくように後続のミサイルの群れが迫り――ようやく展開が間に合ったプライマル・アーマーを突き抜けるようにして、無数のミサイルが《ストレイド》に突き刺さっていた。コアの正面装甲や頭部の左側が焼かれ、両肩のフレア・ディスペンサーが脱落し、左膝のブレード状の整波装置が打ち砕かれていく。
『AP(アーマーポイント)五十パーセント減少! このままではまずいぞ!』
 セレンの悲鳴や機体のアラームが脳髄に響く。あっという間に満身創痍となった機体のフィードバック・ダメージが、全身をやすり掛けしたかのような苦痛をもたらす。そうして思わず機体の膝をついた《ストレイド》のリンクスは、しかし晴れやらぬ噴煙の向こうで、最悪の光景を見た。
 他のミサイルに比べて加速性能が遅かったのだろう、ゆっくりと、しかし着実に《ストレイド》の至近に迫る三発のミサイル。先程のものと比べると随分と大きく見えるそれは、しかし通常の白煙ではなく、緑色の燐光の帯を纏っていた。ネクストがその身に纏うのと同じ、コジマ粒子の光を。
『緑色の光……! あのミサイル、コジマ搭載型弾頭か!』
 その正体を、セレンが看破した。
 コジマミサイル。近年、旧GAEと旧アクアビットの残党が作り上げた新興企業、トーラス社。そこが開発した、核兵器にも匹敵する最悪のコジマ兵器。
 大量のコジマ粒子を限界まで加圧・濃縮した弾頭は、起爆と同時に疑似的な臨界反応を引き起こし、広範囲にわたって超高威力の大規模コジマ爆発を引き起こす。だが、真に恐ろしいのは、その圧倒的な残存コジマ粒子量にある。それは長期にわたって環境を致命的に破壊するのみならず、短期的にはネクストのプライマル・アーマー生成を阻害するほどのコジマ汚染を広範囲に引き起こすのだ。
 それはまさしく、ネクストを殺すための兵器だった。ネクストの圧倒的な戦闘力を恐れる人々の妄執と狂気が作り上げた、本末転倒の悪夢の具現――!
『バカな! 私の時には、あんなものは……!』
 信じられないとばかりに、セレンが叫ぶ。《スピリット・オブ・マザーウィル》が戦場に姿を現してから、およそ十年。その間、ネクストの側が無数の新パーツ、そしてVOBを開発して対抗していったように、《スピリット・オブ・マザーウィル》の側もまた新技術を用いたアップデートを行っていた。ただそれだけの事だったが、数年ぶりに戦場に返り咲いたセレンにとって、それは想像外の出来事だったのだ。
『…………!』
 もはや、回避している隙はなかった。三発のコジマミサイルは《ストレイド》を包みこむように殺到し、どう動いてもどれかに当たる。そしてその一発の威力だけでも、半壊した《ストレイド》を完膚なきまでに破壊しておつりがくる。今から武器を持ち上げても、全て迎撃するには到底間に合わない。それならば……!
 眼前に迫る死と穢れの化身を、真っ向から睨みつける《ストレイド》のリンクス。全てがゆっくりとなった世界の中で、その思考が激発して――

――そうして、戦場を緑色の光が埋め尽くした。

****

「……期待した私が馬鹿だった、か……」
 暗鬱たる声でそう呟いて、セレンは椅子に深く腰を下ろした。
 現在、大規模コジマ爆発の余波で、通信系はすべて断絶している。よって《ストレイド》の安否は不明だが――暗転する一瞬前にモニターを埋め尽くした緑色の光は、セレンに最悪の結末を想像させるには十分過ぎるものだったのだ。
 深く溜息をつくセレンの脳裏には、ひとりの男の姿が浮かび上がっていた。十年以上も前に会ったきりだが、今でも克明に思い出せる相手。見慣れぬ民族衣装に浅黒い肌、色の濃い黒髪に夕暮れの砂漠を思わせる焦げ茶色の瞳。あいつがもう十も歳を重ねればそっくりになっただろう、彫りが深くて精悍な、けれど知性と優しさを感じさせる顔立ち――
(すまんな……どうやら私は、お前たちが大事にしていたものを、無駄死にさせてしまったらしい……)
 その男に、セレンは心の中で詫びる。
 《ストレイド》のリンクスであるあの少年に――もうすっかり変わり果ててしまった、かつて密かに心を寄せた男の忘れ形見に、せめてその“目的”だけは果たさせてやりたいと思い、こうしてここまで一緒にやってきたつもりだったが、それもここまでか。
 ――それでも、とセレンは思う。
 すっかり根腐れした女の未練の果てとして。
 そして、曲がりなりにもあいつを導いた大人のけじめとして。
 せめてその末期の瞬間ぐらいは、この目でちゃんと見届けてやらなければ――
 そうして、十数秒ほど経った頃、ふいに目の前のモニターが像を結んだ。左側の三分の一ほどが欠けた、未だ緑色の燐光が消えない、赤茶けた砂漠の映像。そしてそれを送信しているのは、
「《ストレイド》……!?」
 セレンが椅子から立ち上がり、驚きの声を上げる。生きていたという喜びよりも、まず驚愕が上回った。
「そんな馬鹿な! あの状況でどうやって……!」
 続々と復帰し始めた他のモニターを見やる。搭乗者のバイタルサインは正常。他の各種機体データも稼働するぶんには異常なし。少なくとも、大破した機体の状態ではなかった。
 よくよく見てみれば、別のモニターに表示されたサブカメラからの映像には、肩や胸部など、機体各所ですでに展開済みだった整波装置が、ゆっくりと元の状態に戻っていくところだった。
「……そうか、アサルト・アーマーか!」
 その機能に、セレンは心当たりがあった。
 アサルト・アーマー。特殊なタイプのオーバードブーストを搭載する事で可能となる、ネクストの新たなる切り札。本来防御に用いられるプライマル・アーマーを攻撃に転用し、コジマミサイルと同じ大規模コジマ爆発を引き起こすというものだ。
 自身を中心とした広範囲に極めて高い破壊力をもたらし、相手のプライマル・アーマーをも急激に減衰させるという効果を持つが、同時に自身もプライマル・アーマーがしばらく使用不可になるという深刻なリスクをも背負っている。
 この現象は、まちがいなくそれだ。この機体周囲に浮遊している高濃度コジマ粒子も、コジマミサイルのそれではなく、《ストレイド》のアサルト・アーマーのものだったのだ。
 ……つまり、《ストレイド》は迫り来るコジマミサイルの群れを、アサルト・アーマーで迎撃したのか? ミサイルの起爆直前に、大規模コジマ爆発をぶつけて?
「そん、な……事が……」
 セレンが呆然と呻く。たしかに、この間の改装で《ストレイド》にはアサルト・アーマーが使用可能なタイプのオーバードブーストを搭載していた。だが、シミュレーションでならともかく、実戦で使うのはこれが初めてのはずだ。
 ……それなのに、あの一瞬で、そこまでの判断を? 上手くいくかどうかも分からないのに? ネクストそのものには無知なあいつが、そんな聞いた事もないような手を使ったというのか……!?
 そうして、我知らず感じた空恐ろしさに、セレンが思わず後ずさった時だった。
『――だっしゃあああああああっ!!』
 ヘッドセットごしに鼓膜をびりびりと震わせる、野太い怒声が響き渡ったのは。
 慌てて正面のモニターを見れば、そこには《ストレイド》の真正面から右腕のドーザーブレードを掲げて迫り来る、黄色いネクストの姿――!
「《キルドーザー》……! ええい、どこまでも空気を読まない!」
 セレンはひとしきり罵声を上げると、目の前のマイクにかじりついた。
「退け、《ストレイド》! 今の状態では不利だ!」
 そうして、あらんかぎりの声量でもって怒鳴り散らす。もはや返事がどうの悠長な事は言っていられない。今引かねば、今度こそ待っているのは確実な死だけだ。だが、
『…………、……す』
 その時だった。なにを言っているのか聞き取れない、うわ言めいたその声が聞こえたのは。
 そうして、《ストレイド》のカメラアイに通常のピンク色とは異なる、赤く、強く、禍々しい輝きが宿り――そうして、しゃがみ込んでいた身を起こした《ストレイド》が、ぎらり、と前方から迫り来る《キルドーザー》を睨みつけた。
 異変は一瞬にして起こった。メイン、バック、サイド、すべてのブースターのリミッターが強制的に解除され、酷使されたはずのジェネレーターが、全身のアクチュエーター複雑系が、過呼吸めいて回転数を上げていく。統合制御システムが報告していくデータのほぼすべてが、異常な数値やエラーメッセージを示し、そして極めつけとして報告されたAMSの接続レベルは――百パーセント!?
「……なに!? おい、応答しろ、《ストレイド》! お前、いったい何を言って……!?」
 瞬間、ぶつり、と音を立てて無数の画面が暗転する。機体の統合制御システムを介して強制的に行われていた通信や情報のやり取りが、AMSからの一方的な介入によって、全て遮断されてしまったのだ。
「なんだ……? 何が起こっている……?」
 ざあざあと砂嵐めいて不気味に蠢く画面を睨みながら、セレンは呆然と呟いていた。

****

 視界を埋め尽くした緑色の光が収まった時には、《キルドーザー》は既に叩きつけられた廃ビルから身を起こし、戦闘態勢にあった。黄色いネクストの赤く輝く単眼は、なおも蛍めいて浮かぶ緑色の燐光の中で微動だにせずにしゃがみ込む、砂色のネクストの姿をはっきりと捉えていた。
 敵はすでに限界。いったいどうやってあのコジマミサイルを防いだのかは知らないが、さっきから身じろぎひとつしない。もう指一本も動かせないのか、あるいはもうすでにリンクスが脳死状態になっているのか――どちらにせよ、もうこちらの攻撃を回避する事はできないはずだった。
 動かぬ敵を前にしたこの時、《キルドーザー》のリンクスであるチャンピオン・チャンプスの胸に去来したのは、無様を笑う嘲りでも、かつて敗れた事に対する怒りでもなかった。
(……ああ、もう十分だ。お前さんはよくやった、よくやったよ)
 それはただひとつ、ここまで孤軍奮闘した敵に対する、敬意であった。
(もう機体もなにもかもズタボロじゃねぇか。よくここまで頑張ったよ、感動モンだ)
 チャンピオン・チャンプスが《スピリット・オブ・マザーウィル》の進路確保のための露払い役を請け負うようになって、もう二年ほどが経つ。
 その間、数えきれないほどの新人リンクスが《スピリット・オブ・マザーウィル》に挑んでいったが、ここまでこのアームズフォートの手の内を明かさせたリンクスが初めてなら、ここまで激しく、勇敢に戦ったリンクスもまた、初めてだった。他の新人リンクスたちは皆、もっと臆病に戦い、もっと無様に逃げ出し、そして無様に散っていったものだった。それは、現在一定以上のランクにいる者たちだって似たようなものだが、その者たちとも明らかに違う、とチャンピオン・チャンプスは断じていた。
 さっきの数秒間の攻防で《キルドーザー》は幾度となく命中弾を浴びせられ、挙句、左腕を斬り落とされている。《スピリット・オブ・マザーウィル》の砲弾が雨あられと降り注ぐ中で、だ。いったいどのリンクスに、ここまでの事ができるというのか。今までのリンクスはどいつもこいつも勝手に逃げ回っては勝手に撤退するようなヤツばかりで、こいつのように襲いかかる《キルドーザー》に応戦してくるようなガッツのあるヤツはひとりもいなかった。正直、このまま尻尾を巻いて逃げ出したいくらいに思ったものだった。
(あんた、凄ぇよ。強かったよ、俺なんかよりずっとな……)
 だからこそ、チャンピオン・チャンプスは《ストレイド》のリンクスの戦いぶりに、素直に尊敬の念を抱いていた。それはリンクスとしてというより、ひとりの男がひとりの人間に抱く、最高の敬意であった。ゆえに、
(だから、この一撃で終わらせてやる!)
 チャンピオン・チャンプスは愛機《キルドーザー》にボクシングめいた構えを取らせた。狙いは、胴体部正面装甲の裏側にあるコックピット。そこを一撃でカチ割れば、もはや敵が生きている余地はなくなる。クライアントであるBFFも納得するだろう。どのみち死ななければならない相手だというのなら、せめて一瞬で。そうすれば、この若きリンクスがこれ以上苦しむ事はない。
 ゆえに、チャンピオン・チャンプスはどこまでも本気だった。機体のブースターを全開にし、動かぬ《ストレイド》へと一気に肉薄し、
『だっしゃあああああああっ!!』
 気合の入った雄たけびとともに、気負いも油断も慢心もない、最高の右ストレートが繰り出され――
『…………、……す』
 その最中だった。なにを言っているのか聞き取れない、うわ言めいたその声が聞こえたのは。その声に疑問を持つよりも早く、《ストレイド》がゆらりと立ち上がった。
 やはり生きていたか、《ストレイド》。しかし、もう遅い。今はお前よりも、俺のほうが速い。
 そうして、《キルドーザー》が右腕のドーザーブレードの伸縮機能を起動させた時だった。今まで光が消えていた《ストレイド》の複眼型のカメラアイに、これまでとは違う赤く激しい、禍々しい輝きが宿り――瞬間、その姿がかき消えたのだ。
『――え?』
 チャンピオン・チャンプスに認識できたのは、赤い光の光跡だけだった。それが《ストレイド》のカメラアイのものだと認識した時には、その光跡は複雑な軌跡を描きながら、右のストレートと同時に突き出されたドーザーブレードを掻い潜り、すでにこちらの懐へと潜り込んでいて――瞬間、突き上げるような衝撃が来た。
『え?』
 脳内に分泌されたアドレナリンによって鋭敏化した感覚をもってしても、気がつけば終わっていた、という認識しかなかった。チャンピオン・チャンプスが認識できたのは、眼前で左腕のレーザーブレードを振り終わった《ストレイド》と、胴体部と脚部のジョイントを両断され、火花を散らす愛機の姿だけで――
(……ああ、やっぱりだ。コイツは俺なんかが敵う相手じゃなかった。柄にもない仏心を出すんじゃなかった。最初から、尻尾を巻いて逃げ出すべきだったんだ……やっぱりだ、やっぱり――)
 そう走馬灯めいて思考した瞬間、まるで停止した時が動き出したかのように、猛烈な勢いで彼は機体の上半分ごと弾き飛ばされ、
『や、やっぱりかぁああああああああっ!?』
 野太い絶叫が尾を引いて遠のいていく。腰部を両断され、泣き別れになった《キルドーザー》。その下半身が超高熱の余波で爆発し、上半身のほうはくるくると回転しながら数十メートルは吹っ飛び、弧を描いて墜落していった。
 《ストレイド》はその結末を見る事なく、凄まじい速度で離れていったが、《キルドーザー》は最終的に頭部を下にした状態で砂漠に叩きつけられ、深々と砂の中に埋もれていった。それに搭乗していたチャンピオン・チャンプスは落下の衝撃で首の骨を折る重傷を負い、二時間後にGA社の部隊に救助されるなり入院、以後数か月に渡って休業を余儀なくされる事になる。
 だが、そんなものは直後に《スピリット・オブ・マザーウィル》を襲った凄惨な破壊に比べれば、遥かにましなものであったと言えた。
『……す、……す、……す』
 砂地を蹴り、近くにあった廃ビルを次々と蹴りながら爆発的に噴射炎を噴き出していく《ストレイド》は、まるで星々の間を駆ける彗星のようだった。あっという間に時速六百キロ代にまで増速した砂色の機体は、次の標的として、押っ取り刀で駆けつけてきた四機の《ギャラクシー》に赤く輝くカメラアイを向けていた。
『ね、ネクストがやられちまったぞ!』
『各機、降下開始! 爆撃を……ぐわぁああああっ!』
『ひ、被弾した! 被弾した!』
 飛来する《ギャラクシー》は敵機の接近に慌てて爆弾を投下しようとしたが、その鼻先には既に十数発の小型ミサイルと徹甲弾の雨が撃ち込まれていた。前方にいた二機がまずミサイルによって粉砕され、後続の二機も機体全体をくまなく蜂の巣にされ、燃え上がりながら墜落していく。瞬きする暇すらない一瞬の殺戮劇に、しかし一顧だにせずになおも加速を続ける《ストレイド》。そこに、
『…………!』
 《スピリット・オブ・マザーウィル》から再び打ち上げられた大量のミサイルが一斉に降下してくる。さっきので撃ち切ったのか、コジマミサイルこそないものの、三百近い小型ミサイルが《ストレイド》を包み込むように殺到し――しかし、それよりも前にプライマル・アーマーを再展開した砂色の機体が、オーバードブーストを起動していた。
 一気に亜音速まで加速した機体が、飛び石めいて廃ビルを蹴りながらなおも増速していく。その急激な加速と軌道を追いきれず、次々とミサイルが地面に突き刺さっていく。それでも何十発かのミサイルがなおも追い縋っていくが、《ストレイド》は飛翔しながら腕だけを後ろに向け、レーザーライフルの連射でまとめて撃ち落としていった。
 そうして迫り来るミサイルを全て片付け、一気に《スピリット・オブ・マザーウィル》に取りついた砂色の機体は、暗雲めいて濃い影に覆われた大地を、そしてこちらを踏み潰さんと迫る巨大な脚部をも両脚で蹴り下しつつ、ブースターを全開にし、凄まじい勢いで跳躍。《スピリット・オブ・マザーウィル》の各所から撃ち散らされる狙撃砲や重機関砲を尻目に、右腕のレーザーライフルを持ち上げた。
 膨大な熱量が籠められたオレンジ色の光軸が、《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨大な飛行甲板の片隅を貫き、その表側にあった垂直式多連装ミサイルランチャーを破壊する。大爆発を起こし、飛行甲板を揺るがせた破壊は、しかし始まりに過ぎなかった。別の飛行甲板に取りつき、これを蹴りながら急上昇した《ストレイド》が、先程攻撃した飛行甲板に飛び乗ると、その上に十数機はいるであろうノーマルの群れに襲いかかったのだ。
『こ、こっちに来たぞ!』
『撃て! 撃ちまくれ!』
 突進する砂色の機体を迎え撃とうと、ノーマルたちが一斉にトリガーを引こうとするが、《ストレイド》にとってそれはあまりにも遅すぎる動きだった。近距離から無反動砲を撃ち込もうとしたGA製ノーマル《ソーラーウィンド》を左腕のレーザーブレードで両断し、離れたところで背部のスナイパーキャノンを構えていた二機のBFF製ノーマル《044AC》を、右背部の散布型ミサイルランチャーから放たれた十数発もの小型ミサイルがまとめて粉砕する。そうしながらなおも進撃し、手近にいた《044AC》の頭部を右腕で掴んだ《ストレイド》は、全高十メートルの体躯を高々と持ち上げて飛び来る敵弾の盾にすると、次の瞬間にはそれを振り下ろし、前方めがけて思いっきりぶん投げていた。
『た、助け……ぐぼぉっ!?』
 数万ものアクチュエーター群からなる、人類の発明としては最も精緻な機構によって時速数百キロにまで急加速された《044AC》は、中のパイロットをその際の急激なGで即死させていたが、破壊はそれだけに留まらなかった。手足を散らしながら後ろにいた数機のノーマルをなぎ倒した《044AC》は、その勢いのまま最奥にあった《スピリット・オブ・マザーウィル》の垂直式多連装ミサイルランチャーに突き刺さり、今まさに発射段階にあった弾頭を誘爆させていたのだ。
 発射段階にあった十数発と、その下方にある次弾装填用の弾薬庫。数百発にもおよぶ弾頭の全てを巻き込んだ爆発は、もはや小型ミサイルのそれではなく――近くにいたノーマルや駐機していた大型ヘリを巻き込みながら、特殊合金製の飛行甲板を広範囲に渡ってめくれ上がらせた。その損害は飛行甲板だけでなく、飛行甲板と《スピリット・オブ・マザーウィル》本体の接続部、そして機体最奥の“竜骨”にまで深刻なダメージを伝播させていった。
『か、甲板が……! うわぁあああああああっ!』
『滑落するぞ! 急いでなにかに掴まるんだ!』
『た、助けてくれ! 助け……!』
 巨大な飛行甲板が根元からぐらりと傾き、十機はいたノーマルや、その足元にいた兵員たちが急激に傾斜していく飛行甲板を滑り落ちていく。彼らはそのまま四百メートル下方の砂漠に投げ出されて四散するか、あるいは《スピリット・オブ・マザーウィル》を支える巨大な脚部に激突し、ゆっくりと蠢く関節部に巻き込まれ、その身をひしゃげさせていくという運命を辿った。
 ――たったの一投で、巨大な飛行甲板と十数機あまりの機体が破壊され、百人近い兵員が死んだ。それはまるで投球遊戯めいた、しかし“ストライク”と呼ぶにはあまりに凄惨すぎる光景だった。
『狂戦士(バーサーカー)め……!』
 間近の構造物を掴み、辛うじて滑落を免れていた《ソーラーウィンド》のパイロットが恐怖をにじませて呻く。敵意や殺意を通り越して、いっそ憎悪とも呼べるものが、砂色のネクストの荒々しい動きにはあった。獣めいて背筋を曲げ、禍々しくカメラアイを瞬かせるその姿に、かつて北欧に実在されたとされる、獣の皮を纏った血に狂える戦士の伝承が重なり――だが、次の瞬間にはコックピットにレーザーの直撃を喰らい、彼は吹き散らされた灰と化していた。そうしてぐらりと傾いた機体めがけて、《ストレイド》はなおも跳躍する。
『……す、……す、……す』
 胴体に大穴を開けた《ソーラーウィンド》を蹴り飛ばし、その反動で機体を急加速させて別の飛行甲板に飛び乗った《ストレイド》は、独楽めいて旋回しつつ高速移動しながら、レーザーライフルとチェインガンを撃ち散らしていく。ブレードめいて照射されたレーザーが垂直式多連装ミサイルランチャーを焼き切り、猛烈な勢いで連射された徹甲弾がノーマルのコックピットを次々と撃ち抜いていく。
『か、各機、集中して攻撃を……ぐはぁっ!?』
『無理だ! やられちまう!』
 その竜巻めいた暴威の前に、近づける者はいない。近づこうとした者、あるいは移動線上にいた者はレーザーや銃弾を叩き込まれ、動かぬ鉄屑と化していった。もはや《ストレイド》に砲弾を撃ち込む者はいなかった。撃ったそばから撃ち返されるからだ。たとえ数秒後には自分の番だと分かっていても、撃てなかったのだ。包囲していたはずのノーマルが、じりじりとその輪を広げていく。後ずさったノーマルの中には、飛行甲板から足を踏み外して落ちた者すらいた。
 そうして飛行甲板に四基ある垂直式多連装ミサイルランチャーのうちの二基が破壊され、十機目のノーマルが斃された時だった。
『…………!』
 《ストレイド》と、その周囲にいた二機のノーマルが、突如として弾け飛んだ。離れたところにある飛行甲板の先端に懸架された、ネクストの図体以上はあろうかという巨大な副砲が、構造物や味方への誤射を考えずに《ストレイド》めがけて砲弾を撃ち込んだのだ。
 副砲とはいえ《ランドクラブ》級の主砲に匹敵する大口径の砲弾が、《ストレイド》の右腕の肘から先をレーザーライフルごと吹き飛ばす。被弾の余波で全高十メートルの巨体が弾かれるようにのけぞって、
『見たか! 化け物が!』
 それに副砲の砲手が喝采を上げた次の瞬間、砂色のネクストの姿が彼の視界からかき消え――気づいた時には、砲手の視界を真っ赤に輝くカメラアイが埋め尽くしていた。
『な――』
 次弾を装填するどころか、次の攻撃を意識する暇さえありはしなかった。なぜなら、その次の瞬間には副砲の砲手席に、レーザーブレードを展開した左腕が深々と突き立てられていたからだ。太く短い光の刃がぶ厚い装甲を突き破り、砲手の肉体を蒸散させ、その奥にあった弾薬庫を誘爆させる。そうして完膚なきまでに破壊された副砲が燃え上がり、爆散する頃にはすでに《ストレイド》は左腕を引き抜き、その身を宙に躍らせていた。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》を支える巨大な脚を、その両脚で踏みしだきつつクイックブーストを噴かし、打ち上げられたロケットのように急上昇した《ストレイド》は、先程落とされた飛行甲板の上空まで一気に到達すると、背部の散布型ミサイルランチャーとチェインガンを撃ち放つ。十数発のミサイルが残った片方の垂直式多連装ミサイルランチャーを粉砕し、もう片方の発射途中のミサイルごと、徹甲弾の雨がサイロを撃ち抜いていく。全てのミサイルランチャーを破壊され、自重を支えられなくなった飛行甲板が、そこに乗せたノーマルや人員もろとも砂漠に崩れ落ちていった。
『第五ブロックにて火災発生!』
『第四ブロックもダメです! 退避します!』
『ああっ! ひ、火が! 母さん……!』
 伝播したダメージが内部で火災を発生させたのか、通信に怒号や悲鳴が入り混じっていく。漏れ聞こえる阿鼻叫喚を尻目に、二枚目の飛行甲板を完全に破壊した《ストレイド》は、上空から《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体を睥睨し――こちらを捉えようと必死に旋回する左の主砲塔を、うるさいな、と思った《ストレイド》のリンクスは、それを次の狙いに定めていた。
『……す、……す、……す』
 獲物に襲いかかるハヤブサめいて急降下した《ストレイド》が、すれ違いざまにレーザーブレードを振るう。今まで幾多の敵を退けてきた、《スピリット・オブ・マザーウィル》の象徴たる八百ミリ多薬室砲のぶ厚い砲身が一気に二本両断され、下にあった構造物もろとも地に落ちていく。そうして残った最後の一本が、なんとか暴威から逃れようと旋回していくが、それを見逃す《ストレイド》ではなかった。付近の構造物を蹴り飛ばしながら戻ってきた砂色の機体が残った砲身を両断すると、残った砲身の内部に行きがけの駄賃とばかりに散布型ミサイルを叩き込んだのだ。
『しゅ、主砲が誘爆するぞ! 全科員、退避し、――』
 瞬間、全ての光と音が消し飛んだ。八百ミリもの巨大な砲弾を撃ち出す二十一の弾薬と、最奥部に収められた巨大な砲弾。それらが巻き起こす誘爆はミサイルランチャーなどの比ではない。隣接する主砲の弾薬や、砲尾の弾薬庫内の砲弾をも巻き込み、最終的に全高六百メートルの巨体の上半分を覆わんばかりに広がった爆炎は、左に残った最後の飛行甲板と、《スピリット・オブ・マザーウィル》の胴体部から生えた二本のカタパルト、そして機体各所の砲台を巻き込み、焼き尽くしていく。残った飛行甲板に展開していた数十ものノーマル部隊や、カタパルトでそれぞれ発艦途中だった《ギャラクシー》、そして艦の内外にいた千人単位の人員が消し炭に変わり、四散させられていく。そうして巨体の半分を焼き尽くした大爆発が収まった時には、《スピリット・オブ・マザーウィル》はその左上半身とも言うべき部位をごっそりと抉り取られていた。
 《スピリット・オブ・マザーウィル》の機体バランスは、その構造物群の精緻なバランスの上に保たれていた。それのほぼ半分を失ってただで済むはずがなく、その巨体がゆっくりと右に傾いていく。もはや歩行すら困難になった六本の太い脚が、それでも必死に巨体を支えようと踏ん張り、脚の基部から最頂部の艦橋までを貫く巨大な“竜骨”が、めきめきと悲鳴を上げていった。
『破損部からエネルギーパルスが逆流! 機関部が持ちません!』
『メインシャフトに被害が及んでいます! ダメだ、抑えきれません!』
『こちら第四格納庫! ミサイルが懸架から外れて、科員が押し潰されて……!』
 既に破壊と混乱の極みにあった《スピリット・オブ・マザーウィル》に、それでも砂色のネクストは苛烈に攻撃を加えていく。右腕がなくなろうと関係ない。否、むしろ軽くなってちょうどいいとでも言わんばかりに、右側に残った飛行甲板を、傾斜した構造物を蹴りながら超高速で飛翔し、さらなる破壊をもたらしていく《ストレイド》。その姿は荒野を駆け抜ける四足の肉食獣のようでもあり、あるいははるか昔の東洋に存在したとされる若武者の逸話のようでもあった。
 もはや、その進撃を止める者はいない。己が主の憎悪の導くまま、《ストレイド》は駆け続けて――

****

「なんだ……!? 何が起こっている……!?」
 遠く離れたサセボ軍港の管制室で、セレンはもう何度目かも分からない呟きを発しながら、呆然とモニターの群れを眺めていた。
 《キルドーザー》との最後の交戦直前にネクストの側から一方的に情報送信をカットされ、もはや音信不通となった《ストレイド》のオペレートを諦めてから、すでに三分近くが経過していた。
 そのため、セレンは別方向から――例えばオーメルの部隊が上げたUAV(無人偵察機)や、周辺の高空を周回する “クレイドル”、そして遥か上空に位置する監視衛星などからの情報収集を必死になってやっていたのだが、数十秒ものタイムラグを経てそれらがもたらした情報は、その全てが異常のひと言に過ぎるものだった。
「は、半壊……? あの《マザーウィル》が半壊? 三分も経たずにか!?」
 正面のモニターに大写しになっているのは、オーメルの監視衛星からのノイズ混じりの映像だった。そこには文字通り巨体の半分を失い、炎と黒煙に覆われた《スピリット・オブ・マザーウィル》の姿が表示されており――その中を異常とも思える速度で飛び回る砂色の影がもたらす新たなる破壊によって、その巨体が刻一刻と姿を変えていく様が克明に見て取れた。
「そんな……馬鹿な……! あそこからどうやって突破を……!? いや、そもそも今、あいつは何を、どうやってこんな動きをしているんだ……!?」
 もはや半狂乱と言っていい状態になりながら、セレンはモニターを凝視した。凝視し続けるしかなかった。
 アームズフォートと呼ばれる兵器群が遠距離攻撃に特化しているのは、なにもそれが兵器として有用であるからだけではない。アームズフォートを城砦として見なす場合、その長距離かつ濃密な弾幕は、敵を殲滅する矛としての役割だけでなく、敵を近づけさせないという堀の役割も持つ。兵器として破格の巨体であっても、自在に動く手足や敵を引き剥がすだけの高速性を持たないアームズフォートは、こと接近戦では図体だけの木偶の坊に過ぎないからだ。
 最初期のアームズフォートである《スピリット・オブ・マザーウィル》はそれが特に顕著であり、そのためにありとあらゆる兵器を超える超長距離射撃と、近づく事すら不可能な濃密な砲撃能力を持たされていたはずだったのだ。現に、それを突破したネクストは、他ならぬ彼女自身も含めて、今まで存在しなかった。
 ただひとつ、あのラインアークの“白い閃光”。かつて複数の企業を崩壊させた伝説的な傭兵と、天才と名高いアーキテクトが構築した最新鋭かつ採算度外視のワンオフ機によって形成された、世界最高峰のネクスト戦力を除いては。
 だが、企業が誇る“最強”の前には、それすらも通用しなかった。開発されたばかりのVOBを用いた想定外の奇襲により、《スピリット・オブ・マザーウィル》は大破寸前、艦載機部隊は壊滅状態という多大な損害を被り、その構造的な弱点を広く世に晒す羽目になったとはいえ、最終的には“白い閃光”を撃退してみせたはずだったのだ。
 ――我々は勝利した。たったひとりの“個人”に運命を左右される時代は、終わりを告げたのだ。もはや我々が脅かされる事はないだろう。例え何者が相手であろうとも。
 あの時の企業の勝ち誇った、得意満面の自画自賛は今でもはっきりと覚えている。セレン自身とて、それを苦々しくは思いながらも、深い諦観とともに受け入れたものだった。それなのに――!
「陥ちる、だと……? あの《マザーウィル》が……こんなにも簡単に……?」
 如何に難攻不落であろうとも、城門が開かれてしまった城砦は、あとは陥ちるのみ。そこで起きるのは、ただただ一方的な虐殺だけ。
 それが古来からの世の常であるとはいえ、このペース、この規模は明らかに異常であると言えた。《スピリット・オブ・マザーウィル》には近接攻撃用に大量の火器群が搭載されている上、艦載している大量のノーマルや航空機などの問題もある。そもそもセレンは、敵の懐に飛び込んでからこそが本番だと思っていたくらいだ。それが、ここまで一方的に――!
 依頼主であるオーメルもまた同様の情報収集を行い、そしてこの有様を見て混乱の極みにあるのだろう。先程から複数の回線で通信呼び出しがひっきりなしに鳴っていたが、その全てをセレンは無視していた。もう依頼どころの話ではないからだ。
「全て……全て、お前がやっている事だというのか……!?」
 もはや、《スピリット・オブ・マザーウィル》は死に体同然だった。
 あの最強最古のアームズフォートが。巨大企業BFFの力と技術と狂気の結晶が。
 この十年近くもの間、誰にも達成できなかった“巨人殺し”。その偉業を、名も知られぬ一介のリンクスがやってのけようとしている――
「これでは、まるで……!」
 そう呟くセレンの脳裏には、一機のネクストの姿が浮かんでいた。
 アスピナの“白い閃光”。かつて戦場で彼女を蹴散らし、最悪の巨大兵器を次々と破壊し、その果てに企業すらも滅ぼした、最強最悪の“イレギュラー”。
 その暴威が今の《ストレイド》の姿に重なり、これは匹敵するか、と認識したセレンは――我知らず、笑い声を上げていた。
「は……はは……ははははは……!」
 もう、可笑しくてしょうがない。これが笑わずにいられるか。
 ここまでされては認めざるを得まい。このリンクスは、かつての自分の全盛期を確実に上回る。ロートルとはいえ、かつて最高戦力とまで呼ばれたこの私を!
 ざまあみろ、だ、インテリオルめ。お前たちはAMS適正などという指針のひとつでしかないものだけを見続けて、その挙句、とんでもないヤツを見逃してしまったぞ!
 そしてその結果、あいつは私の手の中にいる。お前たち“企業”を憎む、この私の手の中にだ! この運命の皮肉を、笑わずになんとする!
「最高だ! 私の最高傑作だ! お前は!」
 まるで愛しい我が子を迎え入れるかのように、両腕を広げ、哄笑する。
 この力だ。この力こそ、まさしく私が望む“答え”をもたらすに相応しい。
 もはや自分でも抑えようがない、沸き立ち続ける感情によって、セレンは笑い続けた。
 歓喜と興奮、憤怒と激情、決意と悔恨、そして、いくらかの哀しみとともに――

****

「なんだ……!? 何が起こっている……!?」
 もはや三十度近くは傾斜した《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦橋で。艦長席に必死にしがみつくウィリアム・ウォルコットは、奇しくもセレンと全く同じ言葉を漏らしていた。
 既に《スピリット・オブ・マザーウィル》はその巨体を崩壊させつつあった。ごっそりと抉られた左側に続いて、右側に三枚ある飛行甲板もすでに二枚が失われ、残るは主砲と一枚だけ残った飛行甲板、あとはヘリポートなどの細かい構造物というのみという有様だった。機体各所の砲台などにいたっては、もはやどれが無事でどれが破損しているのかも分からない状態だった。
『メインシャフト、熱量負荷限界突破! もうこれ以上は保ちません!』
 スピーカーでがなり立てる科員の声を聞くまでもなく、地鳴りめいて響いてくる異音が伝えてくる。《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体を支える“竜骨”――すなわち、直径五十メートルはあろうかというメインシャフトはすでに応力限界を超えており、幾重にも亀裂が走り、全体が大きくねじ曲がっているのだと。いつ崩れてもおかしくないどころか、今もって機体が存続できているのが奇跡と言っていいくらいの被害状況だったのだ。
 ――いよいよもって、《スピリット・オブ・マザーウィル》は最期の時を迎えようとしていた。ウィリアムが十年もの間艦長を務め上げ、苦楽をともにした、彼にとって娘にも等しい“オールド・レディー”が。
 にもかかわらず、ウィリアムの頭の中を占めていたのは、崩れゆく《スピリット・オブ・マザーウィル》の事ではなく、それを成そうとしている砂色のネクストの、あの不可解な動きについてだった。
「いったいなんなのだ! あの機体の、あの動きは!?」
 あの、地面や構造物と接触する一瞬に凄まじい勢いでそれを蹴り、その反動にクイックブーストを重ねるやり方。あれがあの凄まじい加速の一助となっているのは明らかだったが、同時にそれだけでは、あの中量級ネクストらしからぬ超スピードの説明がつかない。
 そう判断したウィリアムは、メインモニターを切り替えさせ、大写しになった砂色のネクストの各所で断続的に瞬いていく、ネクストの全高の倍ほどはあろうかという巨大な噴射炎を見上げた。一見してひとつに見えるそれは、しかし実際には二段階にわたって噴射されていた。太く短い炎と、細く長い炎。それ単体でも通常のクイックブーストに比肩するふたつの炎が、同じブースターからほぼ同時に噴射されている――
「あのネクスト……全てのクイックブーストをダブルアクセルでやっているというのか!?」
 ウィリアムには、その現象に心当たりがあった。
 クイックブースト・ダブルアクセル。ネクストの操縦テクニックのひとつで、AMSのリミッターを強制的に解除し、ブースターの燃焼時間を二段階にわたって増大させる事によって、最大で通常の倍近い推力のクイックブーストを可能にする荒業である。
 もちろんその対価も大きく、燃焼時間の延長による燃費の悪化や、超高速移動する事による致命的なG、そしてなによりもAMSのリミッターを一時的とはいえ解除する事による精神負荷の増大など、ただのリンクスがむやみに行えばそれだけで自滅しかねない、諸刃の剣でもあった。
「ありえん! そんな事……致命的な精神負荷とGに、リンクスが耐えられんはずだ!」
 戦場にあってなお優雅を身上とする――そんなはずだった彼が、我知らず怒鳴り散らしていた。
 あのリリウムですら、そのようなやり方はしない。やらない。できない。
 その事実に、ウィリアムはぞっとするものを感じていた。
 弱冠十四歳という年若さでありながらカラードのランク二位という地位が、多分に政治的磁力が働いた結果だとはいえ、リリウム・ウォルコットが当代最高峰のリンクスである事に変わりはない。彼女がかつてBFFに君臨した“女帝”メアリー・シェリーをも上回る天才だというのは紛れもない事実であり――そのリリウムですらできない事を、あのリンクスはやっているのだ。
 ――そんな事は、ありえない。あっていいはずがない。
 多少噂になっているとはいえ、所詮はただの新人リンクスのはずではなかったのか。
 どこのリンクス研究機関でも話題に上らない、クズ石同然のリンクスだったはずではなかったのか。
 あのリリウムですら上回りかねない、そんなリンクスが名も知られずに埋もれているはずがない。そのような人材、企業が放っておくはずがない。名も知られぬ傭兵というのは、つまりはそういう事だ。そのはずだというのに、いったいなんなのだ、こいつは――!
「――艦長!」
 突然、自分を呼ぶ声がした。とっさにそちらを向いてみれば、そこには傾斜した構造物になんとかしがみつき、必死の形相でこちらを向いた自身の副官の姿があった。
「艦長! もはやここは持ちません! 艦長だけでも、早急にご避難を!」
 その、ここからの脱出を必死に訴える声に、
「ええい、今さら!」
 間に合うものか――そう返そうとしたウィリアムは、艦橋全体を揺るがせるような低い震動音を聞き、吐き出しかけた言葉を止めていた。
「て、敵ネクストです! 既に艦橋外壁に接触しています!」
 索敵担当の女性オペレーターが、もはや悲鳴と言っていい声を上げる。
 とっさに艦橋の窓を見てみれば、そこには大写しになってこちらを覗き込む《ストレイド》の姿。
 窓から見える範囲だけでも、全身が傷だらけになり、両背部の武装と右腕は失われ、武装は左腕のレーザーブレード発振器のみになっているのが分かる。頭部の左半分が損傷し、正面と右側のみのカメラアイを真っ赤に輝かせるその姿は、本来騎士然とした《タイプ・ランセル》にあるまじきおぞましさだった。
『……す、……す、……す』
 外部スピーカーを通じて漏れているのであろう、なにを言っているのか分からない、うわ言めいた声が聞こえてくる。直接外壁を震わせるその声は、まるで地の底から響いてくるかのようだった。艦橋内のクルーの中には、それを聞いて恐怖のあまりへたり込む者や、失禁した者すらいた。
 だが、その声をウィリアムは聞いていなかった。耐弾・耐熱仕様の超硬強化ガラス製の窓に大写しになった《ストレイド》。その左肩に描かれたエンブレム――三日月に縁どられた黄昏の砂漠を往く、白と黒で描かれた隻眼の狼の絵に、ウィリアムの意識は釘付けになっていたのだ。
 そんなわけがない、ヤツは死んだはずだ、と喉元まで出かけた声は、しかし形にはならなかった。
 遠い昔、利用するだけ利用し、戦うだけ戦わせ、そうして勝手に滅び去ったはずの相手。それが十年以上経った今になって地獄の淵から蘇り、自分たちへの復讐のためにやって来た――それは、ウィリアムにそう錯覚させるには十分な光景だったのだ。
 《ストレイド》の機体各所の整波装置が展開し、その身にまとう緑色の燐光が急速に収束していく。アサルト・アーマーの予備動作。その光景を艦橋の窓越しにそう認識したウィリアムは、もはや自分たちが助からぬ事を自覚させられていた。
 無論、彼とて軍人である。死ぬ事への覚悟はできていたつもりだった。が、それをすら容易く上回る、砂色のネクストとそのリンクスそのものへの本能的な恐怖が、すでにウィリアムを支配していたのだ。
「あ……ああ……」
 恐怖し、絶望し、膝をつくように崩れ落ちたウィリアムの胸ポケットの中から、銀色のロケットペンダントがこぼれ落ちる。それは傾斜した床を滑り落ちて、艦橋の端のほうへと行ってしまって、そこで閉じた蓋を開かせていた。
 淡い金色の髪に白磁の肌、サファイアを思わせる深いブルーの瞳。人形のように整った顔立ちをした、十歳くらいの幼い少女の写真。それは誰にも顧みられる事なく、ひっそりと白百合のような笑顔を咲かせて――
「亡霊(ファンタズマ)……!」
 絞り出すようなウィリアムの声は、もはや誰の耳にも届く事はなく。
 そうして、全てを呑み込まんばかりに拡がった眩い緑色の閃光が、ウィリアムを、艦橋のクルーたちを、そして《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体を包み込み、焼き尽くし、粉々に打ち砕いていった。

****

『――う員、地上装備! 総員、退避!』
 赤茶けた砂漠に、スピーカーごしにがなり立てる男の声が響く。《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦橋は破壊されてしまったが、辛うじて無事だった部分にサブコントロールルームの類があったのだ。いずれにせよ、こうなってしまってはもう関係のない話だったが。
 その声は、必死になって避難を訴えている。それに応じてなのか、もはやその構造物のほとんどを失った《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体から、無数のロープを伝って黒くて小さなものがわらわらと這い出ていくのが見えた。そして、それらを抱えて巨大な脚から飛び降りていく、いくつかのノーマルも。その光景は見る者に、蟻塚を焼かれて逃げ出していくシロアリの群れを連想させた。
『退避しろ! 《マザーウィル》が崩壊するぞ!』
 惨状を訴える声に呼応するかのように、最後に一枚だけ残った飛行甲板が急速に傾き、撃破されたノーマルや大型ヘリの残骸が滑り落ちていく。六本の巨大な脚が支える力を失い、ゆっくりと傾がっていく《スピリット・オブ・マザーウィル》の巨体。そこから、黒くて小さなもの――生き残った乗員たちがわらわらと逃げ出していった。
 そうして、それから数分後。まるで乗員たちがあらかた避難するのを待ってでもいたかのようなタイミングで、《スピリット・オブ・マザーウィル》は巨体を包み込むような大爆発を起こし、その身を崩壊させていった。野放図に広がっていく爆炎が、緑色の燐光が周囲数キロにわたって拡散し、巨大な構造物の破片が火山弾めいて飛び散っていく。
 ――時刻はちょうど午後三時。それは皮肉にも、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長、ウィリアム・ウォルコット中将が予告したのと同じ時間であった。

 そして、そこから十数キロ離れたところで。その阿鼻叫喚を遠く離れた背に背負い、砂色のネクストは膝をつき、佇んでいた。
 両背部の武装はとうに撃ち尽くし、パージされている。
 全身を覆う装甲は、傷や焦げがない場所を探すほうが難しく。
 右腕はなく、左腕のレーザーブレード発振器は半ば焼き付いている。
 すべてのブースターは真っ黒に焼け焦げ、もはや用を足すかどうかも分からない。
 頭部の左半分は敵のミサイルによって破壊され、奇しくもその左肩に描かれた隻眼の狼のエンブレムそのままのよう。
 まさに満身創痍。少なくとも、誇るべき大戦果を挙げたばかりの姿には見えない。
 中にいるリンクスはすでに意識を失っているのか、それとも接続を切っているのか、砂色の機体は微動だにしない。禍々しく輝いていたカメラアイの光は消え失せ、割れたキャノピーから髑髏めいて覗いたピンク色の複眼に、その残滓を見せるのみであった。
 そんな時だった。砂色のネクストに周囲にいくつかの影が差した。《スピリット・オブ・マザーウィル》の飛散した破片がこちらにも飛んできたのだ。ネクストほどはあろうかという巨大な鉄屑が次々と近くの砂地に落ちてきて、その中のひとつ、BFF社の焼け焦げたエンブレムが描かれた装甲板の破片が、砂色のネクストの背後、ほんの少しだけ離れたところに突き刺さっていく。
 それは奈落の底に堕ちゆく巨人が、最期に道連れを求めて、その手を伸ばしているかのようでもあった。

 

 

 以下、フリードマン・レイの手記より抜粋。

 ネクストによるアームズフォートの撃破は、俗に“ジャイアント・キリング”と呼ばれていた。古くからの意味は、巨人殺しや大番狂わせ、あるいは到底人の身では成し得ない事。つまりは奇跡の類を示す言葉であり、それは空想の巨人に代わって鋼鉄の巨人が闊歩する現在においても変わっていない。
 大多数のリンクスにとって、アームズフォートの撃破は文字通り奇跡の親戚であり、到底成し得るようなものではなかった。そのアームズフォートの中でも量産型でない、俗に“ワンオフ”と呼ばれる強大な機体となればなおさらであり、《スピリット・オブ・マザーウィル》という機体はまさにその代表格であった。
 超一流とされる一握りのリンクスたちとてそれは例外ではなく、《スピリット・オブ・マザーウィル》が十年近くもの間現役であり続けた事自体が、ネクストを遥かに上回る戦力だった事を証明していたと言えよう。

 たったひとりの“個人”が、企業の象徴たる“最強”を破壊する。
 誰もが予想だにしなかった大番狂わせ。ある種の欺瞞めいた調和に満ちたこの世界において、あってはならないはずだった奇跡。
 ――にも関わらず、それは起こった。起こって、しまったのだ。

 そして、そんなあってはならないはずだった奇跡を契機に、これまではある意味で統制されていたように思われた企業間戦闘は、より一層激しさを増していく事になる。
 破壊と再生。恐怖と憎悪。秩序と野心。
 どこまでも際限なく、終わりなく続いていく正のサイクル。
 もはや筋書きを描く者にも、演じている者にも止められない喜劇(ファルス)。
 そうして拡大の一途を辿る企業間戦闘は、やがて三大勢力の間のみならず、非企業勢力の代表格である海上都市ラインアークをも巻き込み、呑み込んでいく事になる。
 そこに棲まう生きた伝説、一羽の白い鴉(レイヴン)とともに。
 青く清浄な空と、汚染され荒廃した大地の狭間で。老人たちの望むと望まざるとに関わらず、狂乱の時代(レ・ザネ・フォル)はどこまでも続いていく。

 そうして、誰もが与り知らぬところで、濁り水はゆっくりと滲み出していったのだ――

 

 

 六月二十八日、午前十一時二十七分。旧イギリス領、コロニー・ロンドンにあるリンクス管理機構カラード本部にて。

 リンクス管理機構カラードの本部で行われる、各勢力の最上位リンクスのみが参加を許されるオフライン・チャット。通称、“茶会(ティーパーティー)”。
 カラード内部での力の均衡の維持、そして特定の企業内のみのものにするべきでない事柄などを話し合うため、本来ならば定期的にのみ行われるそれは、しかし緊急の議題の元、臨時招集をかけられていた。議題は言うまでもなく、昨日の夜に公になった一大ニュース――BFFの主力アームズフォート、《スピリット・オブ・マザーウィル》が撃破された件についてだった。
『新参の傭兵が、あの《マザーウィル》を……? にわかには信じがたい話だな』
 カラードランク四位、GAの最上位リンクスであるローディーは、モニターごしに受けたその報告に、さも意外そうな声を上げた。BFFと同じGAグループに属する彼は、《スピリット・オブ・マザーウィル》の戦闘力がどれほどのものであるのか、よく知っていたからだ。
『間違いありません、ローディー様。カラードは情報の精度を確認しています』
 そしてその言葉に、鈴のような、しかしどこか人形然とした硬さがある十代前半の少女の声が答え、ローディーは眉根を寄せた。彼女が言うカラードの情報の精度うんぬんはともかくとして、当のBFFに属するこの年若い少女が言うのであれば、少なくともその情報に間違いがあるはずはなかった。
『むう……よもや、あの新米リンクスが、な……』
 と、ローディーがなにげなく呟いた時だった。
『ローディー様は、このリンクスについてなにかご存じなのでしょうか?』
 先ほどローディーの問いに答えた少女が、逆に彼に問い返してきたのだ。
 その事に、ローディーは多少なりとも驚きを覚えた。日頃は一番奥に座る老人の秘書かなにかのように佇み、余計な事に口を挟まないこの少女にしては、珍しい反応だったからだ。とはいえ、問い返されて無下にするほど、この少女に悪感情があるわけでもない。後見人である老人は別として、だが。
 彼は当事者である自分の義娘の事、そしてそれとは別にその新米リンクスに対する個人的な懸念もあり、慎重に口を開いていった。
『ん……うちのリンクスが一回だけ協働した事があってな。優秀なリンクスだったとは聞いている。俺が知っているのは、それだけだ』
 あまりにも中身のないローディーの答えに、少女はしかし失望の気配を浮かべるでもなく、『そうですか』と返すのみだった。と、そこに、
『――ああ、そいつならば私も知っているぞ、リリウム・ウォルコット。もっとも、私のは協働ではなく、単なる監視だったが』
 別のモニターに映った、三十過ぎくらいにはなっているだろう、まだ若く、艶めいた声色の、けれどどこか鼻持ちならない雰囲気の男が口を挟んできた。その男は相手である少女の反応を待たずに、一方的に言葉を続けていく。
『王小龍(ワン・シャオロン)、貴様のところの最新型ノーマルとやらを次々と瞬殺した後で、ローディー、貴様のところの《ギガベース》と艦隊を手玉に取っていたぞ。もっとも、あんな鉄屑、いくら沈めようが実力の証になどならんがな』
『むう……』
 若い男のどこまでも嘲り倒すような物言いに、ローディーが不満げな気配を漏らした。だが、それとは対照的に、王小龍と呼ばれた老人は『そうか』と淡々と応じただけだった。自分が属する企業の戦力を罵倒されたにも関わらず、だ。リリウム・ウォルコットと呼ばれた少女も同様であり、
『貴重な情報、ありがとうございます。オッツダルヴァ様』
 と儀礼的な言葉を返すのみだった。
 その反応が面白くなかったのか、オッツダルヴァと呼ばれた若い男は、ふん、と鼻を鳴らし、
『とはいえ、だ。新米とはいえ仮にもリンクス。本来、そういうものだろう、私たちは?』
 その言葉に、一同が黙り込む。たしかにオッツダルヴァの言う通りではあった。ネクストといえばかつては企業にとっての最高戦力であり、それ以外の全ての兵器は過去の遺物に成り下がった。ネクストにとって敵となりうるのはただひとつ、同じネクストのみだったはずだ。
 ……あの《スピリット・オブ・マザーウィル》が現れ、アームズフォートと呼ばれる兵器群が開発されるまでは。そしてそれから、リンクスという存在そのものの凋落が始まったのだ。今やリンクスは企業の最精鋭などではなく、半ば外様の雇われ傭兵――皮肉にもかつてリンクスたちが駆逐した旧世代の傭兵、“レイヴン”たちと同じような地位にまで落ちこぼれてしまっているというのが現状だった。
 そういう意味において、今回の件はリンクスという人種にとってはある種、痛快めいた話ではあり、しかしそれを企業の側に深く属する彼らが大っぴらに言えるわけもなく――そうして、そこにいる全員がしばし黙り込む。その“停滞”めいた雰囲気に、
『だといいがな……』
 しかし、今までずっと喋っていなかった、リリウムとは別の女性の声が割り込んでいた。低めの声から察するに歳の頃は二十代前半。どこか人形然としたリリウムの声とは対照的に、抜身の剣を思わせる鋭さと張り、そしてなによりも強烈なまでの自我を感じさせる声だった。
『ほう? なにか言いたい事があるのか、ウィン・D・ファンション?』
 割り込まれた事に気分を害するでもなく、むしろどこか面白げにオッツダルヴァが訊ねると、ウィン・D・ファンションと呼ばれた女性は軽く肩をすくめ、
『いや、別に。貴様も存外前向きだったのだなと思ってな、オッツダルヴァ』
 反撃とも称賛とも取れるその言葉に、オッツダルヴァが愉快げに鼻を鳴らす。そして、そんな彼を無視するかのように、ウィン・D・ファンションは続けていた。
『それよりも、“アルテリア”施設襲撃犯の件はどうなっている? 堂々と“クレイドル”の要諦を狙われ、襲撃者の正体から目的まで全て不明、こちらに打つ手なしとあっては、管理者の存在意義が問われるだろう』
 今回の事がなければ、次の定例会議で上がるはずだった議題。近年になって頻発している、“クレイドル”の関連施設への正体不明の戦力による襲撃事件。そしてそれには、ネクスト戦力までもが関わっているという話だった。
 本来であれば“クレイドル体制”の根幹に関わる、世界の管理者たる企業連にとって最重要課題とも言える問題だったが、実際にはどの企業も自身の権益増大のための企業間戦闘にのみ邁進しており、その問題は実質的に棚晒しと言ってもいい状態だった。それを、ウィン・D・ファンションは指摘しているのだ。
『あいかわらず生真面目な事だな、ウィン・D』
 ローディーはそんな彼女に、不俱戴天の敵――なにしろ、ウィン・D・ファンションはGAと犬猿の仲であるインテリオルのリンクスである――にも関わらず、むしろある種の好感すら籠めて言った。
『混ぜ返さないでくれ、ローガン』
 それに、ウィン・D・ファンションのほうも通り名でなくあえて本名で呼び、返してくる。オッツダルヴァが下らないとばかりに鼻を鳴らし、リリウムは相変わらず沈黙を保ったまま。そうして、再び場が停滞するかと思った矢先、最後に残った王小龍が口を開いていた。年相応にしわがれた、しかしはっきりとした声で、
『その通りだ、諸君。“アルテリア”施設襲撃事件こそ、我々カラードが総力を挙げて取り組むべき課題だと、私も思う』
 普段はあまり表に出たがらない老人が総括めいた事を言ったという事に驚いたのか、他の全員が彼の言葉を待った。そうして、
『いずれにせよ、今回の件、我々カラードとしては、その独立傭兵の行動に問題はないものとする。結局のところ、正規の依頼を受け、遂行しただけなのだからな。今ごろ企業連の上層部――特にオーメルあたりは大騒ぎだろうが、我々までその尻馬に乗る事はない』
 断定的な王小龍の言葉に、まさにそのオーメルの代弁者であるはずのオッツダルヴァが口を挟んだ。
『老人たちがいくら騒ごうが、知った事ではないがな。で、結局、あの狂犬はそのまま野放しか? 首輪も嵌めずに? まあ、たかが独立傭兵一匹、何ができるとも思えんが』
 心底どうでもよさげなその言葉に、王小龍は鷹揚に頷くと、
『今はな。だが……』
 そこで意味深に言葉を切る。そうして、口元を覆い隠すように手を組むと、
『もしもルールを守れないのであれば、その時は誰であろうと静かに退場してもらうより他はない。それがラインアークであれ、レイレナードあたりの亡霊であれ……あるいは、まったく別のところの亡霊であろうともな……』

****

 ――それから一時間後、カラード本部内にあるVIP専用の控室で。
「リリウム、あまり余計な口を挟むものではないな」
 ゆったりとした黒い支那服に身を包んだ、七十代ほどの中華系の男性――王小龍は、豪奢な内装の控室に入るなりそう言い放っていた。
 朽ちかけた老木を思わせる容貌で、後ろになでつけた髪はすっかりと白くなり、立派な髭を生やしている。どちらといえば小柄な体格で、痩せぎすなのもあって貧相に見えかねないところだったが、不思議とそのような印象はなかった。老齢ながらも張り詰めた体躯としっかりとした足腰、そして猛禽のように鋭い目のせいだ。老いてなお精気に満ちた目が、見る者を萎縮させて止まない――そのような老人であった。
「はい。申し訳ありませんでした、王大人(ワン・ターレン)」
 部屋の入口に後ろ手を組んで立っていた、年若い少女が答える。
 歳の頃は十代前半――王小龍の記憶が正しければ、今年で十四歳。腰まで伸ばした淡い金色の髪に、白磁めいた肌。あまりにも整った顔立ちは、サファイアを思わせる深いブルーの瞳もあってどこか人形めいて見え、徹底した無表情もあって余計にその印象が強い。
 未成熟な薄い胸に細く華奢な体つきを、特注の白色にしつらえたBFFの軍服で覆った姿は、ぴんとした姿勢もあって、一輪の白百合の花のようだった。
 この少女こそ、リリウム・ウォルコット。若くして、否、幼くしてカラードランク二位の地位にある当代随一のリンクスであり、故メアリー・シェリーに代わり新BFF軍部に君臨する、新たなるシンボル――“王女”でもあった。
「ローディーのヤツめ、お前が問い返したものだから驚いておったわ。オッツダルヴァの小僧も同様だ。だから、あのようにじゃれついてきたのだろう」
「はい。申し訳ありませんでした。以後、自重します」
 にこりともせずに返事をしたリリウムに、王小龍は「そうしろ」とだけ返す。そうして、慣れた手つきで淹れた紅茶に、ゆっくりと口をつけてから、
「とはいえ、お前の気持ちは分からんでもない。……ウィリアムの事は、残念だった」
「……はい」
 その一言を聞いた途端、リリウムの表情が揺らいだ。
 それはまるで、透明な水面に墨の一滴を垂らしたように。
「ウィリアム・ウォルコット中将――大叔父様は、優しい方でした……」
 今までのような感情の籠らぬ声ではなく。なにかを必死に堪えるような声で。
 それは人形めいた仮面(ペルソナ)が、ゆっくりとひび割れていくかのようだった。
「分家筋の、凋落した家柄の出であるリリウムにもよくしていただいて……リンクス戦争でフランシスカ叔母様とユージン叔父様がご落命した後は、私をお屋敷に招いていただいて……それからはよく庭園で大叔父様とふたりで、お茶会を開いていただいたものでした……」
 絞り出すように言いながら、リリウムがずっと閉じていた右手を開く。その中には、耐コジマ汚染用のビニール袋に入れられた、半ば焼け焦げた銀色のロケットペンダント。それはあの末期の時、《スピリット・オブ・マザーウィル》の艦長、ウィリアム・ウォルコットが落としたものだった。物陰にあったのもあって辛うじて焼失を免れたそれは、BFF軍部によって回収され、親族であるリリウムのもとに送られていたのだ。
「ウォルコット家にとって、新しいリンクスが必要だったのは承知しておりますが……それを含めたとしても、まるで実の娘のように、可愛がって、いただいて……! 正式にリンクスとして登録されて……この写真を、撮った時は……それこそ、我が事の……よう、に……っ!」
 後半はもう、途切れ途切れになっていた。大きな眼からぼろぼろと涙が零れていき、その一筋が開かれたロケットの中の写真に落ちた。いくらか焼け焦げ、変色した写真は、紛れもなく、今このロケットペンダントを持つ少女――すなわちリリウム・ウォルコット自身の姿。四年前、まだ十歳だった彼女がリンクスになったばかりの頃のものだ。
 ――それを、戦場にまで後生大事に持って行ったその意味。そしてその心情は如何ばかりのものか。
「昨日も……最後の通信まで……リリウムと約束した……お茶会の事、ばかりを……っ!」
 膨れ上がった感情ごと吐き出すようにして、リリウムはそこで言葉を切った。ぐい、と目尻に溜まった涙を拭い、そうして、ひと息に言い切った。
「そんな大叔父様の命を奪った、あのリンクスを……リリウムは許せません……!」
 白百合を思わせる、汚れなき少女。そのサファイアを思わせる深いブルーの瞳に、今は赤黒い炎が宿っている。大事な身内を奪われた怒りと、それを為した砂色のネクストに対する憎悪が。
 その様を、王小龍は黙って見ていた。そうして数十秒ほど経って、彼は手にしていた紅茶をテーブルに置くと、おもむろに口を開いた。
「……であるならば、どうする? リリウム?」
「え……?」
 その言葉に、リリウムがわずかに後ずさった。そこに畳みかけるように、
「私怨か。それも結構。復讐を果たすか。それも大いに結構。……だが? 仮にそうしたとして、その後はどうなる? それでウィリアムが喜ぶと思うのか?」
 王小龍の辛辣な問いに、リリウムは「……いいえ、大叔父様は、聡明な方でしたから」と首を横に振った。そうして次の言葉を発しながら、王小龍は一歩、また一歩と近づいていく。
「任務であるならいざ知らず、勝手な私闘を認めるわけにはいかん。カラードの実務を預かる身として、BFF軍部の要職にある者として、なによりお前の後見をウィリアムから託された身としてな。聡いお前であれば、それくらい分かるだろう?」
「それ……は……」
 リリウムが気がついた時には、王小龍はもう目の前まで来ていた。しわだらけの骨ばった掌が白い肌をなぞるように添えられて、
「知っての通り、BFF直属のリンクスは我らふたりだけだ。最上位がふたりとはいえ、決して戦力は潤沢とは言えん。ゆえにBFFはGAと手を結んだのだ。過去の遺恨を捨てて、今度こそ生き残るためにな。本当にあの《マザーウィル》を沈めるほどのリンクスであれば、むしろ懐柔をこそ考えるのが筋ではないのか?」
「はい……。ですが……っ!」
 なおも言い募ろうとしたリリウムに、王小龍は冷たい目を向け、言い放った。
「自身の感情を処理できん人間は、ゴミだと教えたはずだがな……。それは分かっているのだろうな、リリウム?」
 その言葉に、リリウムの小さな体が、びくり、と震える。まるで目の前の老人そのものを恐れるかのように目を閉じ、恐る恐るそれを開いた時には、もう瞳の中の赤黒い炎は消え失せ――しかし、それが少女の瞳の中に澱のように残っているであろう事は、老人には分かっていた。
 これが若さか。王小龍はそう胸のうちで呟く。とはいえ、それも詮無き事か。親しい身内の死を受け止め、割り切るにはこの少女はまだ若すぎる。いくら聡かろうが、道理を弁えていようが、戦場でその手を血で染めていようが関係ない。ただひたすらに、まだ小さく、幼すぎたのだ。そうして、老人はかすかな溜め息を漏らすと、
「……まあいい。今晩はもう休め、リリウム」
 一転して、リリウムの頬を優しげな動きでなぞっていく。その目尻に溜まった涙を拭い取り、それから淡い栗色の髪に触れていく。「王大人……?」と困惑の気配を漏らすリリウムを尻目に、老人は自身の胸元に彼女の頭を抱き寄せると、
「お前の気持ちは、よく分かった。そのリンクスの動きは注視しておく。向こうの出方次第では、お前に動いてもらう事もあるだろう」
「……はい。ありがとう、ございます……」
 華美な刺繍が施された黒い布地を見つめ、リリウムが答える。その細い背中を、淡い栗色の髪を老人の掌が優しく抱きしめて、
「後の事は私に任せ、ゆっくりと眠るがいい。せめて今晩くらいは、故人を偲び、泣く事も許されるだろう。それがウィリアムの供養にもなる」
「はい……王大人……たーれん……」
 王小龍の胸元に顔を埋めながら、リリウムはいつまでも嗚咽の声を漏らし続けた。
 華奢な肩が小刻みに上下し、その頬を、老人の支那服を透明な雫が濡らしていく。
 そんな少女の姿を、王小龍はじっと見つめていた。
 一切の感情が籠らぬ、剃刀の刃を思わせる鋭く冷たい眼差しで――


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