Written by へっぽこ


いつの間にか追い抜かされていた。
 今はもう背中しか見えない。
  それでも、私は肩を並べたくて――

気が付くと、向かい合っていた。
 お互いに銃を持って。

     ◇

それはきっと、最初から違う道だったんだ。
ずっと、一緒の道を歩いていたつもりだったけれど、ベクトルが数ミリ、どうやらずれていたらしい。
それなのに長らくそのまま進んじゃって、気が付けばもう後戻りもできない。

鎖を断った首輪付き。

そうして、野良になって。目に付く弱者を手当たりしだいに噛み殺すアレはもはや人にあらず、――と。
私は独り諦めた。

そう、諦めたのだ。
だから私は、最後の最後でかつての自分に戻ることにしたんだ。
もはやアイツのセレンではいられなかったから。
勝てるとはこれっぽっちも思っていなかったけれど。むしろ勝てないことを、私は分かっているけれど。
きっとこれは。逃げて、それでも手に入れたチャンスをふいにしてしまったその代償で。
けれど今のままでは戦うことすらままならず、清算するには程遠い。

だから、全てが始まる前に戻ろうと思ったのです。
出会いの前に戻ろうと、そう願ったのです。

セレン・ヘイズはこうして消えた。

そして私は、今日これから、カスミ・スミカとして死んでゆく。
他でもない君の手で。

それって、ある意味とても幸せなことのような気がして。
なんだか、とってもロマンチックよね。
とても。いとおしくて。せつなくて。
きっと、この絶望こそが罰なのだろう。私の。
誰も救えなかった私の、なんにもできなかった私の。

《システム戦闘モード起動》

―――バイバイ未来のセレンちゃん。
私はこうして死にました。

/* →第??階層にセレン・ヘイズがログインしました。

それから私はベッドの上で目を覚めました。それも病院の、である。
寝たきりのアイツを助けるために飛び込んだのに。これじゃあ立場が逆ではないか、と、やれやれ首振る思いであるが。しかし、ふと見渡すこの無駄にだだっ広い病室を、私は欠片も見覚えが無く。

とはいえ病室は病室。
白を貴重とした、閑々とうらびれる個室。そこに違和感はない。無いが、思うに。
違和感が無いことこそが違和感だ。
なぜならば私は病院が嫌いで。入院を前提とした個室のベッドに横たわるなんて経験は、もう何年も前にあった限りで、今となっては忘却の彼方。
にもかかわらず、この状況。消毒薬の香り燻るベッドの上で目を覚ましてしまったことを、それでも普段どおりだと感じてしまったのはきっと―――。

ふと、考えた。
例えばの話。
コジマ粒子に侵された寝たきりの自分、とか、ね。
笑っちゃうよね。
――あ。いま、……何かが。なかに。

不意に。
「やあ。おはよう。―――起きたんだね。」

などという日常の挨拶が耳に届いた。
突然の声掛けに体が固まる。しかしそれはとても聞きなれた声だった。私にとって。
なんの変哲も無い挨拶に、懐かしさがこみ上げた。
見れば部屋の片側はほぼ全面がガラス張りで、そんな大窓にかかる柔らかなカーテンは天井から床までと殊更大きい。
そんなカーテンをさらさらと纏めながらに、“首輪付き(あいつ)”、――その青年はさわやかに挨拶をした。
いや、青年というのは語弊があった。大人の男と言った方が正しいだろう。

“もしかすると、今の私よりも年上かもしれない。”
“いいや、きっと年上だ。”
“ずいぶんと、まあ、頼もしく。”……これはマジな私の感想。

しかし。
どうしてだろう。
会いたくて会いたくて仕方がなかった“生きたあいつ”を前にしているのに。
今、私の心はこれっぽっちも動かない。
あいつが成長しているから、なんて言うのは言い訳にならない。

人間生きていれば歳をとる。否応なく。
逆に、この歳まで息災でいられたという未来を観測することは、今の私にとってはとてもありがたいことじゃないか。
そうそれは、大人になるまで、あいつが負けなかったことの証だ。

今。
私は、とある未来を夢に見ている。
私は知っている。あるいは、私“も”知っている。
大人である、あいつのことも知っているんだ。今の私はね。

そして私は「うん、おはよう」と、そんな感じでそっけなく。
少々の感傷をもって彼を見詰めた。
彼にはもう、いつか見た少年のあどけなさなど欠片も残っていなかった。
それはもちろん喜ばしいことのように思うのだけど、やはり一抹の寂しさは拭えない。
きゅうと胸を締め付ける。なんと乙女な、いまさら心悸に我がごとながらアホかと思う。
うらはら頭をよぎる罪悪感。それから、わずかばかりの焦燥感。
ダメだった、という当に出た結果を、セレンは飲み込めないでいる。

途端に沈黙が怖くなる。
そうして、なんでもいいから喋っていたいという本音はひた隠しに。
私は、この生温かくてうつろな夢に、冷たくて硬い現実を添えるのだった。
「あのさ、私をここに運んできた男の事だけど」
はた、と、彼の動きが止まる。ほんの一瞬。
のち。
彼は目は閉じて。
「何を言っているのかな? “君はもう何年も、ここにいる”じゃないか」
あたりまえのように。

「え?」
驚いた? うん、驚いた。確かに、私は驚いた。
けれどその一方で、彼の吐き出された言葉は驚くほどに、するりと心にしみ込んで。
そして私は“ああ、そうね”と、いとも簡単に二の句を継いだ。

それと同時に流れ込んでくる。言葉と共に、流れ込んでくる。
幾年。一年二年三年四年と積み重なる年月。成長する男と横たわり死にゆく女。
おおきな齟齬を前にして、確かにあっけに取られながらも、リアクションの一つも取れず、ただ納得するばかりの。
とても、不感症な私。

たぶん。
まだ固まっていないのだと思う。“私”という存在が、固まっていないのだ。
強いていうなれば混ざりかけ。霞が頭をおおっている。
意識の河の、流れる水はわずかばかりで、そのせせらぎは無色透明。
湧き立つ霧はいまだ晴れない。
「ははあ。きっと寝ぼけているのだね」
からからと笑う。その笑顔が夏の砂漠の枯れたサボテンのように、ちくちくと心に刺さる。
「“それは夢だよ”セレン。それはただの夢だよ」

彼は言う。
そう、だろうか?
――ユメ、だろうか?
いや確かに、夢であるような。
いや、確かに、夢であるように。
いや、確かに、夢で、あるよう、ね?
………。      ぶぶー、不正解です。
まったく。と、私は小さく頭を振った。

彼は全てのカーテンをまとめあげると、私のベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「けれど嫉妬してしまうね。夢だとしても。君をここに運んだ男って、いったい誰のことだろうね?」
私の顔を覗き込むように、顔を傾げてくすりと笑う。それは、どこか懐かしさの滲む笑顔であった。とか。
そんな欠片にすらすがる。

ああ、やっぱり、腐っても、死んでも、気付かなくても、彼は彼なんだ、と、少しだけほっとしている自分がいて、ずきずきと胸が痛んだ。
「お前の知ってるやつだよ。」
そう、つっけんどんに言い放つのが精一杯。正直、涙が溢れそうだった。
喜怒哀楽の、およそ全部が詰まった雫。
それを大切に大切に、私は心の奥にしまう。冷静に、平静に。

私を連れ去ったあの男。
機械に半身をのっとられつつあるその様は異様で、驚きだ。
ここまで極まったかと思う。
滑稽だと一笑に付しながら、しかしどうあっても畏怖を禁じえないその在り様は、けれど予想の範疇だ。
見た目のことなど瑣末なこと。そも“わたし”が止めを刺したあの時から、いや、そのずっと前から、あの野郎はほとんど機械のそれだった。
身体に流された電流を思い出す。
自然、私は自身の体を抱きしめた。

“初対面”だけど。あの男。わたしはずっとあいつが嫌いだった。
□□で会ったときから嫌いだった。
△△で話してみてやっぱり嫌いだと嫌悪は増した。
○○で相対しては自身の溢れん憎悪が怖かった。
容赦のなさ。ぶれの無さ。
いとも容易く男が行う、まるで計算式のような破壊活動。
1は1だと。1+1は2だと。それ以外のナニモノでもないと。
さながら機械のように。
その行動はまるで肉でできた差分エンジン。
恐ろしいのは、そんな男が、かつては立派に人間であったという事実。

わたしにとって、その男は生きてなどいなかった。
あれは惰性だ。ネクストが本体だといっても過言ではないだろう。
人間性を失ったヒトは、軽々と超越してしまう、ということをその時知った。

なまじ力を持っているから。
リンクスは第二の、強い鉄の体を持っているから。
それはとてもこわいこと。
一握りの人間をたぶらかせば、それだけで世界を砕くことができる。

一握り?
いや、一人だ。
人類を殺しきるにはたった一人、そそのかせばそれで良い。

わたしは心配だったんだ。

夢見がちな誰かが、それに引き摺られてしまうのではないか、と心配した。
目の届かない遥か前方を行くあいつの歩みがずれてしまうのではないか、と心配した。

遥か前方。
どんなに手を伸ばしても届かない。
どんなに走っても距離は遠のくばかり。
どんなに声を張り上げても振り返りもしない。

そのように、わたしは心配することしかできなくて、掌はずっとずっと空だった。
出会い、育ての先にわたしが握っていたはずのリードが、いつの間にか消えていた。

そうして現れた男。1と0で世界を語る元人間な機械人間。
そんな前例を見せてくれるなよ。あいつに。と、ひとり愚痴った。
もちろん、そんな無様はおくびにも出さないのであるが。どのみち、もう届きはしないのだ。
まして、男の鉄仮面の内側を暴きたてようとする者など、ここにはいない。

あの男の裏側に隠れたドラマが在ることを、今日の私は知らないけれど。

“リザというのはね、人の名前なんだってさ”

と、いつか彼はわたしに男の話をしてくれた。

“今はもういない、オペレータの、恋人の、名前なんだってさ”

そう語る彼の、どこか同情的な表情にぞっとした。

覚えているのは、そんな二つの台詞だけだけれど、それでも知れてしまう浅い記憶に、っわたしも、彼と同様に、同情してしまう。
同調、してしまうのだった。それは不覚意外のなにものでもない。

―――わたしだけ、だったのだろうか。
あの男の存在を危惧していたのは、本当に、わたしだけだったのだろうか。
それがわたしの後悔だ。
あるいは誰かに相談していれば、とか。もう、後の祭りだけれどね。

その男は、ぽっかり空いてしまった自身の。人としての心を。もう、これ以上欠けないように、ぎゅうぎゅうにネクストに押し込めたに違いないのだ。
埋めるのではなく、これ以上欠けさせないと考えた、その思想は正直なところイバラ過ぎる。
それはわたしには到底できない、敵わない行為で、理解はするが相容れない。
よく、踏み止まれたなと感心はする。
よく、耐えて待つことができたなと感心はするよ。
けれど絶対相容れない。

“選んで殺すのが、そんなに上等かね”

唐突に耳の奥に響く、かの嘲笑。
その問いに、正義の軍団は誰一人として答えることをせず。
それでも。

“殺し過ぎる”
唯一。生真面目なウィンが言葉を返した。

だけどねウィン。それはただの問題の挿げ替えじゃないか。
答えになっていないのよ。
大義が揺らいだ瞬間を見た気がする。
理念のない完全に部外者のわたしにとって、それは傍目にとても痛々しかった。
ガラガラと崩れていくのは、何もカーパルスだけではないらしい。
ずぶずぶと沈んでいくのは、何もネクストだけではないらしい。

なんて、茶番だろう。

ヤツの答えは世界を壊す大解答だ。
でもその根底にあるものは、ずっと、誰よりもピュアなものなんだ、とその時感じた。
まっすぐ芯の通った生き様。
短絡的だが、だからこそわかりやすく、よく映える。
かの旅団のような、あるいは企業のような、表層、うわべを豪奢に装うのではなく。

芯だけ。
メッキも殻も何もない、着飾ることなど毛ほどもしない小さなむき出しの芯をもって、アレは世界に喧嘩を売った。

きっとアイツはそんなところに惹かれたのだろう。
考えなしに。
本当に、考えることもなしに。
アイツは、本当に馬鹿だから。
私なら一も二も無く逃げるのに。
オールドキング。まったくふざけた名前であるが、その風格だけは認めざるを得ない。
とどのつまり。
わたしは、存在でヤツに負けたのだ。

―――こん、こん。と病室に響く、控えめな割りにやかましく感じる誰かのノック。
私と彼を隔つ、侵入者のご登場である。
「……」
黙す私に代わって、「開いているよ」と、ノックに答えたのは彼だった。

一言で許可を。
私の、病室なのに。
とても希薄な自身の存在感にめまいがする。

すーっと音も無く横滑る扉から覗く車椅子。
そこに腰掛けるは黒でべた塗りされた影絵の老人。
黒塗りの人影をして、それが老人だとわかってしまうのは、はたしてどうして?――なんて、めぐりの悪いフリをする。

ああ、また。流れ込んでくるよ。それはそれはどろどろと。
そんなどろどろを嫉妬って、言ってしまうのは簡単で正しいけれど、なんだか負けた気がしてとても悲しい。
もっと二人だけでいたいのに。
私はもう私だけじゃないけれど、あいつもあいつじゃないけれど、それでもいいから。二人でいたい。
でも言わないおくびにも出さない。それはもうどうしようもないわたしのか弱い性格の成せる業だった。
この、臆病者、とか、想ってみるのが関の山。

――パキ、と首輪が真っ二つに割れて、布団の上に落ちて消えてしまいました。

彼は立ち上がって、来訪者の影法師へと向かっていく。
手招く車椅子の影法師。
その手に私は、赤いリードを幻視した。
綱の先に何が繋がれているのかは言うまでもない。
そんな、未来にぎょっとして、頭はくらくら。目はちかちか。
二言三言言葉を交わす彼と老人の声も聞こえぬほどに、意識は汚濁にまみれてる。
どろどろに、まみれている。
すでにこのわたしは、彼の隣に立つことすら叶わない。
シーツもろとも拳を握る。
白地にぎゅぅっとシワがよっていた。

     ◇

それから。
車椅子の老人が部屋を後にした後のこと。
「ねえセレン。太陽が僕らより低い位置にあるよ」
窓に片手をつきながら、外を眺めながら、彼は言った。あるいは呟いただけかもしれない。

彼の言うセレンが、果たして誰を指しているのか。それは当の本人でしかわかりえない。
私は、そんな彼の言葉を受け取って、ただ茫然と顔をあげる。
視線を向けた先、大窓の透明なガラスのあちら側。油皮膜のような虹色に濁った空と、流れるまだらの雲の向こう。
そして気付く。そして思い出す。この病室は空の中にあって、確かに太陽は私たちよりも低かった。
その太陽は小さくて、そんな、見慣れぬ光景にぞっとする。

ここは残されたクレイドル。
どうしようもない理由で掛けられたふるいの上を、しがみつくように今も漂う人コロニー。
ああ、また。知りたくも無いセレンの記憶が溢れてくる。

わたしは。
そう、このわたしは。
きっと気付いてくれるという願望を盾にして、自傷行為を始めたのだった。

ふと。
「次が、きっと最期なんだ」
彼が言う。
「やっと、って、言っていいのかはわからないけれど。取り戻してみせる。絶対、取り戻してみせるよ。……渡してなんてやるものか」
振り向いた“大人の”彼の姿に重なる、私の“あいつ”の面影が揺らいでいく。
水彩絵具に水を垂らすかのごとく、淡く、揺らいでいく。
あるいは、それは“私”という存在が一つ、薄らいでいっているからなのかもしれない。
「だから待っていてくれないか」
とんとん拍子に話が進む。
私はただただ口を噤んでいるばかりだ。
お前は、あの車椅子の老人に何を言われたというのか、もはやわたしには相談もしてくれないのだな。

「行くよ」
彼は歩き出した。静かに、病室を横断して行く。
わたしはその姿を眺めて。
お願い、行かないで、と切に思いながら、次の瞬間には「そう」と一言、俯いてみせる。
聡明で、クールな、物分りのいい、大人の女性、とか。
いまさら馬鹿馬鹿しいったら無いけれど、でも、――でも! この皮を脱ぎ捨てられないんだよ。
「うん。いってきます」
彼は最期にそう言って、病室を後にした。笑顔でだ。
“いつものように”私を残して。

ふと。
分かってしまった。
ああ。そういうことか、って、気付いてしまった。

彼にとっては、わたしだって寝たきりで、やっと今日目が覚めたって状況だろうに。セレンがいくら私であろうとも、飛びつきもせず、ただ優しげに、たださびしげに、目を細めるばかりで。大人びた、……いや真に大人の対応を私にとってみせた彼を見て、理解してしまった。

この、私たちの関係は、もう、とっくに終わってしまっているのね。
ずっと過去に。

それに気付いていない振りをして、残虐ながら楽しかったあの日々を、ひたすら夢想しているんだ。
二人で。二人仲良く。うつろに。

完全に隔離されたこの白い箱の中で、すでに閉ざされた扉をじいっと見つめて。
その向こう、遠ざかる足音すら聞こえなくなってから、やっと。

「待って。行かないで」

やっと。
小さな悲鳴が零れたのだった。

カツン。
と。
撃鉄が落ちた。

そうやって――

     ◇

「そうやってまた、あなたは全てを台無しにするつもりなのね。」
どこからともなく放たれた冷たい声が、私の心を貫いた。
それは突然の幻覚。前触れなく現れた幽霊の。
聞き覚えのあるようでない、そんな声。

その主は一人の少女で。
当然のように立ちはだかる、いつか在りし日の少女の虚像は瞼を閉じたところで消えてくれるはずもなく。
私は、その小さな体と口から発せられる彼女の叱責に心が痛くて、思わず耳を塞ぐ。
それでも聞こえる少女の声。
それはまるで、私の頭の中に直接語りかけているかのような、私にとって逃れようもないものだった。

少女は実弾(ことば)をその口から次々に打ち出していく。
「ねえ、どうして“セレン”はこんなことになってしまったの?」
幽霊が言う“こんなこと”、それは“あいつの答えならそれでいい”って、そんな盲目的なルールの話だ。

そんなの決まってる。
依存とも捉えられるヒナの刷り込みは、私が彼を育てたことに由来する。
“彼を育てて導いているのは私なんだから、彼の行く道は私の選んだ道でもあるのだ”とか。
「“首輪付き”だなんて。――セレンが首輪付きのオペレータだなんて、笑っちゃうよね」
きっぱりと、少女の幽霊は私の想いを鼻で笑った。

一人前のリンクスに私が育てた。
心根優しい少年を、私がこの手で強くした。――という自負が私の目を曇らせて、またあいつの属する組織に溶け込まねばならないという状況において、舐められてはいけないという外来人としての気質が殻をこさえた。

ここに、ネクストはある。
武器も部品も道具もメカニックも。
管制室まで、小規模ながら基地(ベース)と言えるだけのワンパッケージが、そこにはしっかりとそろっていた。整っていた。

何ともうまく入り込めたものだと我ながら思う。
そこに足りないものはもはやリンクスだけで。

“だから”
私がアイツをリンクスにしたんだ。

そうして私はアイツがネクストに乗るのなら私自身がオペレータをしようと、まるでそうであることが当然であるかのような、見守ることが義務だとでもいうような想いを持って志願した。

――けど、ちょっと待って。

それって答えとしておかしくない?
とんでもなくちぐはぐだ。
だって、もともと基地にはオペレータがいるんだよ。
それもかつてのNo.1の相棒で、超一流のベテランが、ね。

それにそもそも私は。
当時の私はどう考えたって。

「セレンはリンクスだったのにね。」

足りないものはリンクスだけ。
にもかかわらず、リンクスである私がしたことと言えば、もう言うまでもない。
私は、むやみに、彼を引き込んだにすぎない。

百歩譲って、アイツがリンクスになることを望んだ、その夢に加担したっていう言い訳はまあいいとしよう。
「けど、だからと言ってセレンがオペレータになる必然がどこに?」

まさしく。全てはここに帰結するのだ。
私には私のネクストがあって、動かせないわけはなくて、ならば、少なくとも僚機として彼と共に戦うことこそが本当ではないか。
そんな当然の選択を、私は忘却したのだ。意図して。

強い私はもういない。
いや、最初からそんな私はいなかったのかもしれない。
最初から、何かにおびえてばかりの、卑怯な小娘がいただけなのかもしれない。
ぜんぜん、小娘ってガラでもないのにさ。

オペレータをやろう、などと、通らない理屈をあたかも正論のように語る私は、さぞ滑稽に映ったことだろう。
今はもうこの世界のどこにもいない、私のかつての仲間たちが見たらどう思うだろうか。
新しい基地のみんなが、誰も私の行いに何も言わないことが今思い返すとうすら寒い。

そんなことに気付きもしないほど、当時の私は余裕がなかった。
オペレータをかって出れば、前任者はいともたやすく席をおりて、どころかしっかりとした手ほどきまでしてくれた。
このエピソードに代表されるように、居心地のいい基地に蔓延する、人としての純なる優しさが私には恐ろしかった。
また、壊れて、失ってしまうのかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなる。

でも戦わないんだ。それは頑な。
私を受け入れてくれた彼らを、もちろん感謝しているし、彼らのためにも頑張りたいと思うけれど、それでも、徹頭徹尾、私は彼らを自身の手で守ろうなどとはしなかった。
―――それはなぜか?

「やめなさい! やめて!」

私は幽霊に向かって声を張る。
もちろん、そんなことでは少女の幽霊は消えてくれないし、またやめてもくれない。
ここにいるのはただ一人。いつもの、いっぱいいっぱいなセレンただひとりである。
がたがたと震えながら、私は幽霊と相対する。
追及は続くのだ。

少女の幽霊はベッドに膝をつき、そのまま四つん這いになって、少しずつ、にじり寄ってくる。
「ぃ、いやだ」
私は上体を起こしたままにベッドの上を何とか彼女から距離を離そうと後ずさる。が、狭いベッドの上ではたかが知れる。
一メートルも行かぬ間に私はベッドの背にせき止められて。
そうして幽霊は、私の腰元に覆いかぶさるよう跨って、両手を伸ばすと、私の両頬にやんわりと添えた。
そして、顔をぐうっと近づけて、囁く。

「“あなたは良いよね。安全なところからしゃべるだけだもの”」
私の心を突き刺した。

ふと、思い出した。
あるオペレータを、思い出した。

私の。
たった一人のオペレータ。
そう、私が、よく罵倒していたオペレータ。
よく、殴っていたオペレータだ。
ひどくゾンザイに扱ったものだが、やり返されたことは一度もなく、どころか悪態をつかれたことすらない。
そんなかつてのオペレータの気持ちが、今、なんとなくわかった気がする。

哀しみがこみ上げる。
少女の幽霊は私の頬から片手を外すと、その外した右手を大きく振り上げた。
その手はきつく拳が結ばれている。
そうして彼女は、私の頬めがけてその拳をスンと振り下ろしたのだった。
私はきゅっと目をつむる。来る衝撃に備えてだ。
けれど。
次に私を襲ったのは、思いがけなく小さい、衝撃というにはいと乏しい感触だった。

―――ぽかり、と、頬をぶたれた。

それは私にとって初めての経験。
初めて、人に、殴られた。
ネクストに乗っているときは、それこそライフルで撃たれたり、ブレードで切られたり、ミサイルの爆発にあてられたり、体当たりの特攻を受けたことだってあったけど、生身で殴られたのは初めてだった。

AMSで繋がっている以上、先のネクスト戦線での衝撃、痛みはもちろん本物で、こんなやわなものでは決してなかったけれど、私にとって、その少女の小さな拳の一撃は、いとも容易く私の思考を真っ白に塗りつぶした。
そして。
少女はそのまま右手を胸に抱いて涙を流した。

最初はしくしくとしおらしく、まるで自分が泣いているということに気が付いていないみたいに、殴った右手をぎゅっと抱いて、私を真正面に頑として睨んだままに、ぽろぽろと涙を。

それからはっとして、自分が泣いているんだ、と、たぶん自覚して、顔をいったん伏せると、両手を目元に持っていき、えーんえーんと子供らしく泣いた。
えーん、えーん。と。泣いた。
それはきっと、かつて私がオペレータの前でやってきたこと。
罵倒も。
ぶつのも
泣くのも。
かつて私がオペレータの前でやってきたこと。

えーんえーんと子供らしく泣く少女。
――それが、私には誰かの笑顔と重なった。

     ◇

はっきり言おう。全ては自分が楽をするためだったんだ。
私は“もう戦えない”と心が折れたか弱い自分を、もはやさらす必要がなくなったことに安堵して、身代わりのアイツをぐいぐいと押し出したのだ。

それなのに、作戦が終わると楽しそうに。そう、本当に楽しそうに。
ゲームをクリアしたとか、そんな気軽さで、アイツは私に笑うのだ。

屈託無く、無邪気。
自分のしていることがどんなことであるのか、彼ははたして理解しているのだろうか、と、夜毎に浮かぶ疑問をその都度握りつぶして、ただひたすらに頭をなでなで、靴を脱がせて添い寝する。

思えば、あの時「泣くな」と私が言ってから、アイツは一度も泣かなかった。
これだから男の子は。と、今更気付いて微笑する。
ひとミッション。それがどれほど人を摩耗させるのか。私は知っていたはずなのに。

――ああ、それにしても。
私の場合、一日の終わりというのは、いつも、こんな泣き顔だったのだろうか。
遺恨に塗れた私の過去は、とうの昔に名前と共に捨ててしまった。
思い出そうにも、もうずっと、戦いばかりで、似たような境遇が上塗られるばかりで、原型は形が変わるほどに歪められている。

私の中にスミカという少女はもういない。
残っているのはそう、ただセレンとしてあった日々である。

なんて卑しい、セレンだけの癒しの日々。すがる子供に幻想でもって、かつての自分を重ねたり。
今、初めて、“真に”頼られる側に立った事に満足し、考えることを止め、ひたすら居心地のいい場所を探して居座る。

頼られると嬉しい。
帰ってきた彼の笑顔はなおのこと。
ほら、セレンは上手くやれてるって、うぬぼれるには十分すぎるほど、日々は輝かしかった。
その全てはただただあいつの実力に過ぎなかった。

それなのに、そんなことにも気付かないで、モニターの前、ヘッドセットをつけまして、昨日も今日も明日まで、あーだこーだと。
アイツは子供で馬鹿だから。私はあいつの言わば教師で元リンクスだから。彼を簡単に掌握できるんだ、とか。
そう、そして、彼には私が必要なんだって。心の底から。
――あの時までは本当にそう思っていた。

ある日のこと。
極上のタイミングと、最高のシチュエーションで贈る、境界線(ラインアーク)。
気付かせてくれたのは、件の白い鴉である。
あれよあれよという間に海の藻屑となるNo.1(パートナー)。
それでも傷ついたであろう白い鴉との一騎打ちは、ただただめまぐるしく。
ぐるぐるぐるぐる。

どちらともなく仕掛けたアサルトアーマーで、はじけた両機のプライマルアーマーをよそに、正面切っての打ち合いはモニター越しでも迫力満点で。

共にダブルトリガー。
ばらばらばらら、と飛び交い、撒き散らされる弾丸の雨あられ。
機体の損害情報をリアルタイムに反映するゴーストモニタは、見る見るうちに異常を示す赤に塗りつぶされていく。
瞬間私はダメだと思った。

AP、残り20%
勝てない、と、そう感じた。
だが同時にやられることもないだろうとも思った。
この状況を打開するのは簡単だ。逃げればいい。
相手は手負いであるのだし、巣(ホーム)を空にしてまで追撃してくるとは思えない。
全力で逃げれば。回避に集中して武器を捨てて踵を返せば、アイツなら余裕で離脱が可能だろう。
だから、私は彼に命令した。
“退避しろ”って、私は命令した。
……その、はずだったのに。

――AP、残り10%

結局、私が退避命令を下したきっかり十と七秒後にホワイトグリントは海中へ消え、すなわち彼は勝利したのであるが。
それは、初めて彼が私に背を向けた瞬間だった。明確に。イエスともノーとも言わず。アイツは私を無視した。
今まで、一度たりともそんなことはしなかったのに、だ。
でも勝った。逃げなかったおかげで。機体はかなりやられたけれど、得られた利がよほど大きい。
そんな結果に安堵して、褒めれば彼はふうと一息、既に戦闘モードを排して回収地点へ巡航する彼はいつも通りで。

だからもう聞けない。
なぜ、私の命令に背いたのか。

別に否定したっていいんだよ。
勝てると思ったからもう少し戦いたいとか、それでもいいんだよ。
一言、反応さえしてくれればそれでよかったんだ。

でもさ。
この仕打ちはないだろう。
頼られてるって、思っていたのに。
役に立ててるって、思っていたのに。
彼には私が必要だって、思っていたのに。

二人で一緒に戦っているつもりだったのに。

磐石だったはずの、私の、セレンの居場所は揺らいでしまった。
以来、わだかまりは消えてくれず。
もしかしたらとうに私の手元からいなくなっているかもしれない彼にすがって、私はずっと戦っている振りを続けたのだった。
パートナーとして。
“首輪付き”の、パートナーとして。

それから、まあ、いろいろとあって。
それは例えばアルテリア・ウルナの破壊だったり。
例えばORCA旅団への入団だったり。
例えばエーレンベルクの防衛だったり。
頭のいかれたクズ野郎の後始末であったり。とか。
そんなこんなで。
ついには歴史も一区切り。
かくして世界は、クレイドルの九割を生贄に、宇宙への切符を手にしたのでした。

ORCA事変の終結。
そんな宇宙規模の歴史的大転換の折、わたしたちはというと、もっぱらいつもどおりで。
ちょっぴり拍子抜けだった。
それはとある老人の根回しによるもの。
ORCAはアンサラーとの相打ちによってついに根絶。という流れをもって、唯一残った“ORCAの残党”たる首輪付きとその一派の我々に、熱心にアプローチをかけてきた件の老人。
失った小娘の代わりとばかりに。彼を引き取ると、再び彼を戦場へ。
わたしたちはそんな老人の手厚い保護下で、なんら変わることなく、世界を駆けずりまわるのだ。
後始末というやつだ。

もちろん。
駆けずり回るのは彼だけで、わたしはただただモニターを眺めて、いつものように戦っているふりをする。
戦場からは遠く遠く、銃声すら届かない安全な基地(ベース)から、くるしまぎれに口を出す。
今まで通りだった。
変わったのは、雇い主が一択になったことぐらいで、あとは生活が少しだけ裕福になったとか。その程度。
それでもわたしたちは認められていた。
当然のことながら、ORCAは全滅ということになっているし、我々の勝利はそれこそアンダーグラウンドなもので、周知は零。
とてもむなしいとわたしは思った。
わたしたちが何者であるか、世界は知らない。

これまでとはまるで逆。外側から徐々に固められていく我々一派の処遇と状況とあり方、世界への関わり方。
けれどわたしはこの期に及んで、未だ自分の居場所が分からないままで。
ぽつねんとわたしは立ち尽くす。
ブラックスクリーンを前にして、立ち尽くすのだ。
実のところ、わたしはずっと疑っていたんだ。あの日から。
そしてそのことに、もう、どうしようもなく、つかれてしまったんだよ。

だから賭けをすることにしたんだ。最初で最後、一世一代。
全てが終わったその後で。地に落ちるものと、宇宙へと飛び上がろうとする者とに、完全に区別化がなされた新時代において、わたしを一人の人間として、唯一無二のわたしとして、ちゃんと見てくれているのか。
わたしの居場所の所在をはっきりさせたくて。
それは彼が気付いてくれるか、くれないか、って言う単純な賭けだった。

さて、心を試すのだから、やはり掛け物も相応でなければならない。
そうしてわたしは掛け金として、自身の体を差し出したのだ。
オペレータとして、コジマ粒子にさらされ続けの毎日なのに、当然義務付けられる除染処置の一切を拒んで、蓄積値は徐々にリミットへと近づいて、ついには大きく振り切った。
汚染されたわたしの体は順当にぼろぼろになっていく。

感覚が薄らいでいく。
立っているのが億劫になって、座っていることが多くなって。
もしかしたら、もう、走ることもできないかもしれない。
彼は気付かない。

神経が死んでいく。
指先が思うように動かせなくなって、紙資料のような薄い物を落とすことが増した。
無造作に、床に落ちた紙をぶっきらぼうにクシャッと握りながら拾う。いらだたしげに。
そうでもしなきゃ、必要以上に力を入れなきゃ、もう拾うこともできない。
食器からは箸が消え、ナイフとフォークに頼る日々。
彼はまだ気付かない。

血流にのってめぐる毒素で呼吸器系も順当に蝕まれた。
咳が少しずつ増えていく。
それでもタバコは止めなかった。お酒も止めなかった。検査にも行かないし、薬も飲まない。
彼が、気付いて、病院にわたしを連れて行くなり、してくれない限り、わたしは、自分から、この体を生かすことしないと決めた。
緩やかな死をイメージする。
クレイドル失墜の時代だ。珍しくも無い死に方である。
わたしは、いったい何を期待していたのだろうね。

「それで?」
それからどうしたって。はたして彼は。
「気付いてくれたよ。ちゃんとね」
でも遅すぎた。
彼が気付いたのは、わたしが耐え切れずに50mlほど口から零してしまった血を見てからだ。
医療の発達した昨今、一時間もあれば全身の疾患が探れる今時、職場で吐血するなどもはやフィクションに近しい現象だ。
そうなるまで、わたしは堪えて隠して、振り返らない彼に絶望しながら、けれど、何か言うほどの勇気も無く。
弱虫なわたしは、虚ろに、寒々しいどことも知れぬ施設の廊下で、ついに倒れたのだった。
吐き出したそれはなかなか鮮やかな色をしていたとか。

後はまあ、三日月みたいに口を歪めた車椅子の老人が、すがる涙目の彼に手を差し伸べて、待ってましたと言わんばかりに“リード”を掴んだのだった。
そうしてわたしは、彼の“ただの首輪”として。死ぬまで、存在することとなった。
クレイドルの特別区画。お役人御用達のそこ。病院の片隅一室がセレンの居場所になった。
ずっとずっとベッドの上。クレイドルに移されてから、わたしの意識はほとんど戻ることも無く、ただただ、生かされ続けた。
それもいつか限界。
世界からアームズフォートが消えた頃。
力を持つものと持たざる者とに区分けがなされ、支配と管理で満たされた世界。
およそ戦争行為が必要ではなくなったその頃に、わたしは静かに退場した。

かつてネクストが国家を相手に起こした戦争の終結と、それは似ていた。
疲弊した企業の手元に残った数少ない戦力と、そして膨大な技術力は、しかし運用するには人の手が絶対的に足りなくて。
既にクレイドルは数えるほどにまで落ち込み、だから企業はおのおの独自路線を捨て協調の道を模索して、某企業の顔役たる老人は彼らを手玉にレールを敷いた。
再び、名実共に最高戦力としてピラミッドの頂点に君臨したネクストは世界で七機。
かつてのオリジナルを塗りつぶす、新しいオリジナル7の彼、ないし彼女たちの後押しによる停戦協定と宇宙時代の始まり。
テレビのスピーカーからは高らかに、代表による演説が流されて、それをBGMにわたしは最後の彼の声を聴いたのだ。

残念ながら、それはわたしに向けられたものではなかった。
彼はその時、老人と会話をしていたんだ。
「扉は開いた。宇宙への扉だ。まあ、私が思い描いたものとはだいぶ違ってしまったがね。ありがとう。この平和は君のおかげだ」
と、老人。
「君?」
彼はわたしの枕もとで、座ったまま、不愉快そうに聞き返すばかりで、顔も上げない。
「君たちのおかげだ。」
それから老人はキラキラした勲章を彼に差し出して、受け取ろうとしない彼をよそに、それをサイドボードに置いた。

そうして。
「共に宇宙へ行かないか」
と、老人は彼を勧誘し。
「行かない。」
彼は即答した。

それが顛末。
失敗したセレン(わたし)と、大人になった彼の結末だった。

     ◇

とある未来を夢に見た。
それは。
決してハッピーなものではない。ありふれた人生の打ち止め(デッドエンド)。
「は。なんだ。結局。首輪がついていたのは私の方だ」
首輪を付けて、リードを握る? バカな。首輪を付けられて、リードを握られていたのは私の方だった。
そして同時に、私という存在が、アイツにとっての枷だったんだ。
似た者同士。ともに寄り添ったまま。その場にとどまり続け、いつか時代を変えた今や時代遅れな二人組。

やっと。
やっと私は、気付くことができました。

私は今、確かな岐路に立たされている。
胸に抱いた少女が、くしくしと顔を涙を拭って顔を上げた。
凛と。
今の今まで泣いていたのがウソのような。
半ば充血した眼は、それでも鋭く。

――語る。

「私は。セレンに、未来を生きてほしいんだ。私や、私のオペレータや、基地の仲間とか。
 死んでいった私の大切なみんなのためにも。生きてほしいんだ。
 あなたは私だけれど、私はあなたになれないのよ。
 お願い。あなたはちゃんと、強い人。
 愛する彼と決別して、殺しあえるぐらい、強い人なのよ。
 まだ、間に合うわ。
 だって二人とも、まだ生きているのだもの。
 お願い。
 掴み取った最後の糸を切ってしまわないで」

ふと。
「ねえ、もしかして。あなたは彼と?」
「うん。戦った」
そっか。知ってたけれど、聞いちゃった。
もう一度、私は少女を抱きしめた。ぎゅうっと。とうに捨ててしまった私の幼年時代を取り戻すように。
郷愁と後悔。楽しくなんて全然無かったけれど、それでも捨ててはいけないもの。
私はずっと、昔から、私以外のナニモノでもないもの。
「くやしいけれど、運も実力のうちなのね」

この幽霊は、私の過去にありえたルートのその一つ。
手探りの人生で、不運にも選択肢をたがえて、幸せになんてとうとうなれなくて、無残に殺された私のなれの果て。
そうか。そうだね。スミカ。
君がどうしてそういうふうに“戻って”しまったのか、分かったよ。
また一つ。
私は私の死を拾った。
これでふたつ。
可能性が消えていく。
おかげで知れたのは、私はその気になれば彼と相見えるだけの勇気を持っていたということと……ま、なんでもいいや。
ずいぶんと、なまってしまったなあ、と感慨にふける。

少しは、頑張ってみようかな、と、ちょっと思った。
もう一度、わがまましてみようかな、と、ちょっと思った。
……そうだ、そうだよ。セレンはわがままな人間じゃないか。
聡明でクールな大人の女性。そしてSっ気があって辛辣で。とか。
ああ、これ、“アイツの私に対するイメージ”が含まれているのか。と、今になって気が付く。
ここは誰かの夢のなか。そしてそれは私の夢の欠片でもあるのだ。
と。
私はベッドでひとりと笑う。

うん。決めた。
行こう。
もちろん、彼に追いついたところで、何がどうなるかは知れないけれど、それでも、ただ待つのはもうやめよう。
誰かの背にすがって、隠れているのはもう終わり。
いつまでも、いつまでも、逃げたまま。立ち止まったまま無責任に他人任せはよくないよ。
私は、私の道を進まなければならない。
私だけの道だ。私だけの。

そうして一念発起。
私は立ち上がろうとして、ベッドから転げ落ちた。
なぜか、当然、足は動かない。
ああ、くそ。動かないどころか、感触が異様だ。
まるでモノみたいに無機質。不健康な青白い色をするふくらはぎを触っても何も感じなかった。
私の中に溶け込んだ、翠色の光子に蝕まれたセレンの体は、もはや下半身の一切が麻痺している。

そんな体ではたして追いつけるのだろうか?
と、一瞬不安がよぎったけれど。
床の上、私は右手を伸ばすのだ。
追いつけるかどうかはもう関係ない。
進もうとそう決めた。追いかけようと決めたのだ。
私は彼を追いかける。ううん、追い詰めてやるんだ。

少女の幻影はもういない。
「行かなきゃ」
足は動かないけれど、ずるずると惨めたらしく床を這いつくばりながらでも。それでも私は。

“バイバイいつかのスミカちゃん。”
一歩、確かに踏み出して―――。

ハッピーエンドが近づいた。

     /* →???

えぐえぐ。と泣き泣き。
気が付くと、これ以上ないくらい。心はからりと晴れ渡り。
ふう、と一息付けば驚くほどすんなりと涙は止まった。
泣くことがこんなに気持ちのよいものであったとは、と、感傷に浸る。
こんなことならもっと泣いておけばよかった、と、感傷に浸る。

別離を遂げたひとでなし。
とろけた世界に重なる三者三様が立場は、この瞬間に分かたれた。
目覚めた今こそ、役割を遂げよう。
“首輪付き”のために。自身の首輪を引きちぎる。

あかい首輪はもういらない。
さあ。この世界を壊しに行こう。


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