小説/長編

Written by 雨晴


「―――何の真似だ」

エントランス、男が二人。吹き抜けには柔らかい日光が注ぎ、未だ肌寒さの残る今日を和らげている。
彼の視線は一点を刺した。相対する男の眼ではない。手許、其処にある一点を刺す。

「わかりませんか?」
「ああ、何一つ」

身体は緊張を覚えていた。身に覚えのない恐怖だ。彼の頬に冷や汗が流れ、しかし、態度には出さない。
出すべくもない。

「貴方であれば、理解して下さると思っていたのですけれど」
「それは、俺の事を誤解している」
「そうでしょうか」

男の手許でそれが軽く揺れる。気にしないなんて不可能だ。だが気にしたところで、どうなる事でもない。どうなる訳でもない。理解が出来ていない。
何だ、何なんだ。一間の沈黙。口を開く。

「説明が欲しい」

そうだ、何よりもまずそれを望む。彼ら二人の異常と呼べる雰囲気に、周囲がざわつき始めた。

「説明など」

男が笑う。

「見ての通り、でしょうね」

見ての通り、だと?
思考と同時に、思わず歯軋りが突いて出た。ああ、どうやら本当に、そういう事なのだとすれば。

「・・・だとすれば」
「はい?」

渦巻く様々な感情を押し潰して、すり潰して、男の眼を見据える。いつも通りの、その微笑を正面に捉える。

「―――断る」

断固として、それは認められない。認めてたまるか。彼らの周りに動揺の声が広がり、相対する男が一瞬だけ表情を硬くして、それでもすぐに元へと戻る。
いや、少しばかり悲しそうに見えるのは、彼の気のせいか。

吐き気さえする。

「それは残念ですね。貴方は、良い友人だと思っていたのですが」
「俺も数分前まではそうだったが、今を経て軽く人付き合いとは何かを模索し始めた」
「おや。それは幾分切ない」

苦笑い。同時、男が突っ込んできた。空いていた左手で、柱へと押しつけられる。
どよめき。
目が細まる。

「―――おい」
「貴方が悪いのですよ?」

呼気からは笑みの成分が少なからず汲み取れる。心なしか、相手の顔が赤い。・・・嘘だろ?
それは、衝撃だ。右手のそれをちらつかせながら、さて、と続ける。

「Eat or Die」
「何だそのトチ狂った二択」
「どうせ世界は狂ってるんですから、構わないでしょう?」
「状況が飲めん以上、いっそ死を選ぶ」

振りほどく。思いのほか簡単に拘束が解かれて、疑問を抱く。"振りほどけた"?そこで、ようやく気付く。

相手は、軽くふらついていた。

「・・・ちょっと落ち着け」

胸中で謝りながら、思い切り拳を頭に振り降ろす。ばこ、と鈍い音。うあ、とか何とかハイン・アマジーグの口から漏れ、その場に倒れた。
彼の右手から、ライトブルーのラッピングと可愛らしいリボンの施された小箱が零れ落ちる。中身は恐らくチョコレート。
彼の身体からはなぜか、微かにアルコールの香りが感じ取れた。
 
 
 
 
 
ホワイトデー、である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ACfA/in the end
The Whiteday War
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
件の犬耳事変より二週間が過ぎた。ソファに腰掛けた彼の視線の先では、私服にエプロンを纏ったリリウム・ウォルコットが軽く鼻歌を歌いながらティータイムの準備をしている。
相も変わらず平穏かつ幸福の日々を過ごすハイン・アマジーグにとって、目下唯一の悩みがあるとするならば、彼の嫁(誇張表現)が可愛らし過ぎて極稀に理性のタガが外れること位であって、なんともはや、毎日がスペシャルデイである。

振動。

「ハイン様、ハイン様、もうすぐ出来ますからね」
「ええ、楽しみにしていますよ」

オーブンを前にしてご機嫌な彼女を見ていると、何とも言えない感覚に陥る。素敵な事この上無い。アップルパイの甘い香りに目を細めた。
彼の反応に、彼女も微笑む。

振動、二度目。

「今日も平穏ですね」

彼女の声に反応しつつ、振動の元を断つ。

「これだけ何事も無いと、鈍ってしまいそうですけれど」
「貴方が戦場に居ない事は、きっと平和の証なのですから」

良い事ですよ。言いながら、茶器を片手に彼の許へと歩み寄る。茶器をローテーブルへと据えてから、彼の背後から覆いかぶさる。ちょうど二人羽織りのような状態になって、少しばかりの沈黙の後、目を閉じてから告げる。

「戦場になど行かず、ずっとそばに居て下さい」

静かに呟かれるそれを、彼も目を閉じて受け取る。

「私の居場所が貴方の隣であるように、貴方の居場所も私の隣なのですから」

ね?と念を押される。目を開けて伺えば、首を傾げながら問い掛けてくるその姿があまりに魅力的すぎて、つい手が伸びた。が、彼女がするりと身をかわしてしまう。む、とハイン。彼女の、少しだけ困った表情。

「駄目ですよ、ハイン様。折角のパイなのですから、焦げてしまったら私、泣いちゃいますからね」
「むう。残念ですが、パイも捨て難い」

少しだけ乱れたエプロンをなおしつつ、キッチンへと戻って行く彼女。にこにこと、嬉しそうな表情が崩れない。

「今日のアップルパイはきっと美味しいですよ」
「今日のアップルパイも、ですよ」

即答すれば、もう、と恥ずかしそうに、しかしとんでもなく嬉しそうにポットへ視線を落とす。

―――やはりリリウムは大変に愛らしいな。

彼らふたりの間に何度も何度も繰り返されたやり取りも、どれもこれも新鮮に映る。ああ、本当に幸せである。心から思う。
と、耽った途端に三度目の振動を感知し、先とは別の意味で目を細めた。
む、とひとつ。仕方なく、切り替える。

「すみません、リリウム。何やら電話のようで」
「・・・え?」

言えば、ご機嫌な表情が曇ってしまった。何てことだ。部屋を出る前にと、彼女へと近づく。
先とは逆になって、背中越しに肩を抱き、髪を撫でる。

「すぐに戻りますから。そんな寂しそうな顔はやめて下さいね」

ね、と今一度念押し。肩越しに、少しばかり冗談めかして拗ねた顔と、横に振る動作。どうやら足りないらしく、両手で抱く。
もう、なんて彼女は笑い出した。彼の腕に、彼女の手が載る。

「・・・五分だけ、許してあげます」
「御意に」

去り際に軽く頬を頂きつつ、廊下へ出る。扉が閉まったその瞬間、彼の表情が掻き消えた。
 
 
 
 
決着は、一分以内だ。それ以上は無い。振動し続けるその端末を取り、相手を確認した上で通信を開始する。

『やっと出やがったぜ』
「内容を可能な限り簡潔に述べて頂きたい」
『いや、言い辛いんだけどさ』

咳払い。

「簡潔に」
『えー・・・っと、金貸してくれ』
「お断りします」

以上、開始14秒にて決着。端末をしまいつつ、電源を落とそうかと思い直したところで再び振動し始めた。
一つ溜め息。仕方なく耳に当てる。

「命が惜しくないと見える」
『怖ぇよ!何で電話一本で生死さ迷わないといけないんだ!』
「人の幸せ邪魔してるのですから、死を以って贖うのは当然かと」
『どーせ何の変化も無くイチャイチャし続けてるだけだろうが』
「ダン・モロは何一つとして理解していませんね。良いですか?まず昨日のリリウムと今日のリリウムとの違いから説明しますけれどね」
『やめて!聞きたくない!』

相手の悲痛な叫び声を受け流しつつ、同じく軽い講義をかましつつ、ふと腕時計を見やる。1分が過ぎていた。講義を中断し、再びの溜め息。やれやれ、と首を振る。

「全く。早くリリウムの許へ戻らなければならないのに、無駄な時間を取らせないで頂きたい」
『アンタがぺらぺらと知りたくもない情報垂れ流したんでしょ!?』
「それで、もしも貸すとして、私は貴方に幾ほどのお金を貸さなければならないので?」

ぐぬぬ、と電話口から聞こえてくる。5秒以内にと急かせば、きっかり5秒で返事が来る。

『・・・150万コーム』
「寝言は寝て言いなさいな」
『額が額だしお前にしか頼めねえの!最近ほとんど出撃してねえんだから企業連からの手当全額貯め込んでんだろ!』
「平和で良い事ではないですか。それに、言うほどありませんよ。現行機でないネクストの維持がどれだけ大変なことか。―――それで、理由は?」

矢継ぎ早に問いを繋げる。む、と口を噤んだ相手を、今回は急かさない。
150万コームは確かに大金だが、別段払えない訳でもない。対テロ戦力としての手当のほかに企業連からの永久年金で月々300万ほど振り込まれるのだから、それを充てれば良い。仮にも友人が困っているのであれば、相応の理由の上に貸し付けるのも構わない。

『・・・姐さんへプレゼントを買おうかと思ったんだが』
「何ですか貴方セレン相手のプレゼントにネクスト機一式でも揃えるつもりですか流石の私でもそれは引きますね」
『違えよ!指輪だよ指輪!・・・自分で150万コームは工面できたんだけどさ、あと半分足りなくてな』

指輪?彼が首を傾げる。確かに、人工生成物でない天然宝石の類の相場は昨今ネクスト一機買える程の額ではあるが。

「貴方が、セレンに?」
『お、おう。この機会だし、良いかなって、さ』

照れているのか歯切れが悪い。ふむ、考える。

「どうして、また」
『ど、どうしてってお前・・・お返しと、その・・・なあ?』
「聞かれても困りますが」
『ぬ・・・』

スピーカーから唸る声が聞こえてくる。
まあ、別に嘘を吐いているという訳でも無さそうであるし。何より恩師絡みの要件だ。いくつか引っかかるが、合格とする。

「では、月5万コームの30回払いで手を打ちましょう」
『・・・へ?』

気の抜けた声に、一つ溜め息。

「何ですか、手数料ゼロの無金利で私はこれ以上何を望まれなければならないのですかね」
『い、いや、マジで?』
「手を打つと言ったでしょう」
『え、ウソ?マジか!ィィイイイヤッホオオオォォォォォォゥ!』

五月蠅い。恐らく小躍りでも披露しているのだろう。スピーカーを耳元からずらしつつ、タブレットで彼の口座へと150万程送金する。

「貸し1ですよ、ダン・モロ」
『ああ!この機会逃したらいつがあるか分からんかったからな!』

まただ。意味がわからず首が傾ぐ。セレン・ヘイズの誕生日がこの時期で無かった事は記憶しているし、彼の知る限り、今月はそのようなイベントの存在する月ではない筈だ。

『ホント助かった!こればっかりは確実に返すから待っててくれ!』
「ああ、ダン・モロ、ひとつ聞きたいんですが」
『おう、何だ!』
「なぜこの時期にプレゼントなので?」
『何言ってんだお前!そんなのホワイトデーに決まってるだろ!』
「・・・ホイットリー・ベイ?」
『ホワイトデーだ、ホワイトデー』
「・・・ホワイトデー?」

問えば、一瞬の沈黙が返ってきた。

『・・・え?何お前ホワイトデー知らねえの?』
「残念ながら、無知なもので」

リリウムご指定の5分後まではまだ時間がある事を確認し、直立の状態から壁へと寄り掛かる。

「それは、愛する女性に指輪を贈る日なので?」
『毎年そんな日がやってきたら世の男性諸君は暴徒と化すわ』
「では、具体的に何をする日なのです」
『バレンタインのお返しに、何か贈る日だよ』

瞬間、彼の眼つきが鋭くなった。割とどうでも良かった質問内容が、最優先確認事項となった瞬間である。

「成る程、確かに私もバレンタイン・デーという制度には疑問を持っていました。男性側が受け取るのみと言うのは、公平性に欠ける」
『そうそう。っつーかお前、バレンタインは知ってたのにな』
「そのホワイトデーとやらを以って、バレンタインというシステムは完結するという事ですか」
『ん?ああ、そうだな』

その肯定に、ひとつ、ふたつ、頷く。

「そうですか、そうですか。つまりこのホワイトデーを成功させない限りは、先日のリリウムの行為は報われないという事ですね!ああ何て事だ!いやまあ私はとんでもない勢いで報われたというより理性か鼻血かの二択を迫られていたと言っても過言ではないですが!」
『ねえハインさん、急に壊れるのやめて怖い』
「いやはやしかしコレは僥倖!つまりココが転換点と言う訳だ!なぜリリウムはそんな大事な事を伝えてくれなかったんですかね!またアレですか!私に負担を掛けたくないといういじらしさですか堪りませんね!ではそろそろ約束の5分なんで失礼しますねダン・モロ」
『・・・あ、ハイ、ご随意に』

ダン・モロの諦観めいたその切り返しも意に介さず、一方的に通信を切断する。諸々考えるべきはあるが、兎にも角にもまずは部屋へと突撃せしめる彼だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
で、その数日後。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
「――――とまあ、数日前にそんなことがありましてね?」
「今までの話と先の奇行との関連性は見えてこないな」

エントランス、男が二人。吹き抜けには柔らかい日光が注ぎ、未だ肌寒さの残る今日を和らげている。
3月は14日、午後4時ごろ。伸びていたハインに意識が戻り、先の説明を求められている。

「・・・で、何で酔っぱらってたんだ」
「さあ?ウィスキーボンボンとやらの作成途中からの記憶が曖昧でして」
「それじゃねえか」

成る程、気化したアルコールの妙である。

「お前、酒弱いならボンボンなんて作るなよ」

言えば、ハインが首を傾げる。

「酒?あれはチョコレートではないのですか?」
「ウィスキーっつってんだろ」

呆れ顔で指摘すれば、ふむ、と思案の表情。

「まあ恐らく、酔っ払いの私が味見でもしてもらおうと思ったのでしょうね」
「いずれにしても、あんな臀部に緊張を覚えるような事由は今後断固拒否する」
「それについては謝罪しますよ」

例によって本気で謝罪しているのかわからない謝罪。ロイの、"まあいいや"を含んだ溜め息。
 
 
 
 
 
 
「で、お前どうすんだ」

腕時計を指し、日付を伝える。確かに、まずいですね。苦笑いが返ってくる。

「あまり考えてる時間は無いぜ」
「迂闊でしたね。貰いものには返礼が付き物だと、どうしてそんな単純な事に気が付かないでいたのか」

露骨に肩を落とす。

「焦らず考えればいいじゃねえか。夜まではまだ、数時間ある」
「・・・ロイは、もう考えているので?」
「そりゃ、当日だからな」
「・・・指輪を?」

ハインの問いに、一息。やっぱバレてっか。困った笑みを作る。

「ダン・モロとモロ被りなのは気に喰わんが」
「私はもうリリウムに渡してしまっていますからね、どうしましょうね」
「変に気負うでもないだろう。あの子なら、何でも喜ぶに決まってる」

うーむ、と悩む表情。腕を組んで考え、しかし、まとまらないようで。

「とはいえ、やはりリリウムには―――」

と、ハインの反論が途中で途切れる。開きかけた口が中途半端な位置で止まり、何かを見出した表情。ロイが首を傾げた。
ふと、背後から何かが聞こえてくる。カツ、カツ、と。それは、靴音。

「では」

第三者の声が、二人の間に響き渡る。振りかえったロイの先には、純白のスーツ。恭しく眼鏡に指を掛ける男。
掛けていた手を広げ、ニヤリと、男の口元が歪む。

「―――私が、助言をしてやろう」

声の主は、件のイヌミミ事変の首謀者のひとりであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
―――リリウム・ウォルコットの理性が崩壊するまで、あと数時間。


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