Written by ウィル


 六月二十六日、午後二時二十分。北米にある独立計画都市グリフォンにて。

「いっこうに収束しない民族紛争、蔓延するテロリズム、増加し続ける不法移民。世界レベルで拡がった新型の感染症に、食料やエネルギー資源の慢性的な不足や、新たなフロンティアになるはずだった宇宙開発の失敗。そして超大国同士の武力衝突と、世界有数の人口を誇った超大国の崩壊……」
 昼下がりの講義室に、朗々とした声が響く。窓から入ってくる初夏の日差しは暖かいどころの話ではなく、セミの鳴き声すら聞こえてきそうなくらいだ。じっとりと胸元が汗ばんできて、ブラが湿って少し気持ち悪い。このぶんなら早く冷房入れたほうがいいんじゃないかな、とリボンタイプのネクタイを締めたシャツの襟元を緩め、ぱたぱたと扇ぎながら、思う。
「世界は混迷の極みにあった。二十世紀初頭にできた新しい社会制度である共産主義は既に崩壊して久しく、旧来の資本的民主主義もまた限界に達しつつあるのは、誰の目にも明らかだった。政治は聡明さを失った衆愚政治となり、議会は下劣な謀略と罵詈雑言で溢れ、ありとあらゆる不正や腐敗が横行し、マスメディアは公正さを忘れ自分勝手に政治を捻じ曲げようとする有様だった。世界各地でテロや暴動が頻発し、どこの国もそれを止められなかった」
 映画館のように受講者の席が階段状になった、広い講義室。そこではわたしと同じようにベージュ色のブレザーの制服に身を包んだ十代後半の少年少女たちが、壇上にいる太った中年の男性教師――世界史担当のマーカス先生の説明に耳を傾けている。もっとも、歴史の授業の常として、説明の内容は物騒極まるものだったのだが。
「そこで、対テロ戦闘などを背景に誕生したのが、戦車や装甲車に代わる新たなる陸戦兵器であるMT(マッスル・トレーサー)と、その後継たる人型兵器AC(アーマードコア)……いわゆるノーマルだな。これらの兵器は既存の兵器を上回る高い性能と汎用性を示し、あっという間に戦場を塗り替えていった。そして、これらに関する技術やノウハウを武器に、支配者たる国家をも上回る勢力として台頭していったのが、“企業”という存在だ。さて、それら企業の中でもとくに力を持っていたのが、俗に六大企業と呼ばれた六つの企業グループなのだが……これらの社名を……出席番号十三番のガク・キリシマ、答えてみろ」
 マーカス先生の呼びかけに、名指しされた男子生徒がノート片手に立ち上がった。
「はい! ええっと、GA、BFF、ローゼンタール、インテリオル、アルゼブラ、そしてレイレナードです」
「うむ、その通りだ。より正確に言えば、アルゼブラではなくイクバール、だがな。リンクス戦争後に経営陣の大幅な人事刷新があり、その際に社名も変更した。同じくインテリオル・ユニオンも、元はレオーネ・メカニカ、メリエス、アルドラの三社を指すグループ名だったが、戦後レオーネ・メカニカがメリエスを吸収合併した際にアルドラが離脱、以後社名として使われるようになっている。さて、これら六つの企業は、レイレナードを除いて現在も存続している。君たちの中にはこれらの企業に関係する者も多いとは思うが……」
 マーカス先生が朗々とテキストを読み上げる中、広い講義室にペンを滑らせたり、タブレット端末を叩いたりする音が響く。
 教科書が教える通り、リンクス戦争によって痛手を被った六大企業は、その姿を大きく変貌させた。レイレナードはリンクス戦争の際、“彼”の手によって崩壊。同じく“彼”によって本社機能を失っていたBFFはGA傘下となったし、そのGAにしたって欧州法人であるGAEに離反されている。ローゼンタールとアルゼブラは、戦後になってコジマ関連技術で台頭してきたオーメル・サイエンスの実質傘下になり、インテリオルのほうも目立った争いこそなかったものの、マーカス先生の言う通り、まあいろいろとあったみたいだ。
 そんな時代の動きの末に、六大企業は今や三大陣営――GA、インテリオル、そしてオーメルの三つの陣営に分かれた。そうして世界統治機関である企業連が発足し、“クレイドル体制”が成立して人類の半分が空に住まう中で、三大陣営はかつての六大企業がそうであったように市場開発競争の名のもとに対立し、鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合う熾烈な企業間戦闘に邁進しているというのが、今の世界の現状だった。
 ……ついでに言えば、義務教育や国民皆保険といった制度もリンクス戦争とともに崩壊している。表向きの原因は戦後の疲弊と消耗、行方不明者の増大によるものという事になってはいるが、実際のところは企業の多大な負担となるこれらの制度を、戦後の混乱のどさくさ紛れで切り捨てたに等しく、戦後急速に拡大した貧富の差と相まって、大量の反動体制要員を生み出す原因にもなっている。
 そんなわけで、教育制度と社会保障制度自体が一部の特権階級のものとなって久しく、このGA社立グリフォン高等専門学校に在席する生徒たちも、ほぼ全てがGA社あるいは系列のいずれかの企業の、上級社員のご子息ご令嬢というワケだ。
「国家体制による世界運営に限界を感じていた各企業は、表向きは国家に協力して敵対しながらも、それぞれが示し合わせながら企業武装権を得て、戦力を蓄えていった。そうして完全に準備が整った時、世界各地で同時多発的に武装蜂起したのだ。これが世に言う“国家解体戦争”だ」
 マーカス先生の解説とともに、教壇後ろのスクリーンに映し出された世界地図の上で、赤い矢印が踊っていく。北米は東海岸や北部港湾部から、ヨーロッパは中央西部やブリテン島、イタリア半島などから。他にも中東や極東の島国などからも赤い矢印が伸びていった。
「この武装蜂起は、企業の正義と威容を見せるために、まず国家に対する宣戦布告が行われ、その後に電撃戦さながらの奇襲作戦が展開されていった。それぞれの国家の、企業の武装蜂起に対する対応はまちまちだった。この北米にあった合衆国のように政治の威信が失墜していたために小規模の損害で国軍が投降し、政権譲渡が速やかに行われた例もあれば、ユーラシア大陸の南北にあった大国のように企業側の要求に徹底的に反抗し、結果として多大な流血となった例もある。かと思えば、極東の島国のように融和的な話し合いの元、無血クーデターとなった例もあるな」
 ノートにマーカス先生の説明をメモ書きしながら、わたしは、ああ、GA軍部の教官に教わってきたところとちょっと違うな、と思い返していた。実際の内情はもう少し後ろ暗いものらしく、宣戦布告前の奇襲や、特殊部隊などを用いたピンポイントでの破壊工作や暗殺なども平然と行われてきたのだと聞いている。マーカス先生の授業で語られた内容は、国家解体戦争後に企業側に牛耳られた各国のマスメディアが流布した、企業側にとって都合の良い歴史なのだそうだ。
「ともあれ、企業側の作戦はほぼ予定通り実行された。たった一か月あまりの戦闘で数十万とも言われる国家軍を圧倒し、主要な都市部や各種インフラを占拠し、これまで国家を支配していた政治家たちを引きずり下ろす事ができたのだ。その原動力となったのが、当時最新鋭の兵器だったアーマードコア・ネクスト。通称、ネクストだ」
 そこで今まで世界地図を映していたスクリーンの映像が切り替わり、《サンシャイン》や《タイプ・オーギル》、《アリーヤ》に《047AN》、《テルス》に《サラフ》――各企業それぞれの基礎となる機体アセンブリ、俗に標準機体と呼ばれるものが、次々と表示されていく。
「ネクストの圧倒的な戦力のほどは君たちも知っての通りで、国家軍の主力だったノーマルやMT、艦船や航空機などの既存の戦力では全く歯が立たなかった。陸で、海で、空で、それぞれ圧倒的な戦闘力を見せたネクスト。それはネクストという存在がもはや陸戦兵器などというカテゴリではなく、戦略兵器と呼ぶに相応しい存在である事を示していたと言えよう」
 またスクリーンの映像が切り替わり、どこかのニュース映像を流用したのか、両手にライフルを持ち、背中にグレネードキャノンを背負った漆黒の《アリーヤ》が、国家側のノーマルやMTを次々と撃破していくシーンが荒い画像で表示され、男子たちの多くが歓声を上げていった。
(……やれやれ。やっぱり男の子って、こういうのが大好きなのよね)
 内心で呆れたような物言いをしながらも、わたし自身もちょっと心がわくわくするのを抑えられなかったりした。“彼”の機体とは異なる機体であるのは承知しているが、それでも《アリーヤ》という機体は憧憬の対象としてわたしの記憶に深く刻まれた機体だからだ。
「うわ……グロ……」
「これはちょっと……ねえ……」
 とはいえ、いくらロボットアニメみたいに見えるからといっても、実際の戦闘の映像である。人が死んでいくシーンには変わりがなく、最後のノーマルのコックピットにライフルの銃身が突き込まれ、赤い液体が飛び散るシーンなどは、女生徒の中には露骨に目を背けている者も多かったようで、ひそひそと話す声が聞こえてきたりする。
 そうして、カメラを睨むように《アリーヤ》がカメラアイを輝かせたところで映像は終わり、スクリーンの映像が再び世界地図に切り替わっていく。
「また、各国の国軍は大戦の後ということもあって弱体化が著しく、それを補うためにノーマルを駆る傭兵……レイヴンと呼ばれていたんだが、そういった連中を大量に雇い入れていた。だが、精鋭たるレイヴンたちもまたネクスト戦力の前には無力であり、そのほとんどが駆逐されていったという。……さて、このネクスト戦力だが、当時は何機存在したか答えてもらおうか。ええと……出席番号十八番のメイ・グリンフィールド」
 ……おっと、いきなり名指しされてしまった。とはいえ、その問題ならば予習済みである。わたしは空手で席から立ち上がると、
「はい。当時、企業に属していた最初期のリンクス――俗に言う“オリジナル”は、全部で二十六人です」
「正解だ、グリンフィールド。完璧な回答だな」
 わたしの回答に、マーカス先生が笑みすら浮かべて称賛の言葉を返してくる。
 えへへ、やった。褒められた。会心の笑みを浮かべつつ座るわたしを尻目に、マーカス先生の解説は続いていく。
「さて、その二十六人のリンクスたちは、文字通り国家解体戦争の趨勢を決めた英雄たちだった。五機落とせばなれる、みたいな旧来のエースパイロットなどではなく、もっと次元の違う、正しく一騎当千の猛者としてな。そんな彼らには、畏怖や羨望とともにいくつかの二つ名がついた者たちも多かった。“英雄”ベルリオーズ、“魔術師”サーダナ、“鴉殺し”アンジェ、“女帝”メアリー・シェリー、そして“聖女”メノ・ルー……これらの名前を、君たちも一度くらいは聞いたことがあるだろう」
 マーカス先生が名前を挙げたのは、“オリジナル”の中でも上位の、各企業における最上位リンクスたちばかりだった。中でも“聖女”メノ・ルーはかつてのGA社におけるトップ・リンクスであり、同じ女性リンクスであるわたしと、いろいろと比較される事も多い。もちろん、わたしのほうがハイ・アンド・ローのローという意味で。
 ……もっとも、今名が挙がった人たちは、もうこの世にはいない。リンクス戦争の際に、みんな“アナトリアの傭兵”によって討ち取られてしまったのだと聞いている。リンクス戦争とその前後において、“彼”が撃破したとされるネクストは十七機。この記録は、今後も破られる事はないのだろう。
「先生、質問です」
 そこで、女生徒のひとりが手を挙げた。
「出席番号二十七番のオーブリー・ヴィオンか。質問はなんだ?」
 マーカス先生が問い返すと、その女生徒は立ち上がり、はきはきとした声で質問していく。
「国家解体戦争の後、それまで支配者だった政治家たちや、国家軍の人たちはどうなったのですか? 今日の企業間戦闘では、捕虜の扱いなどがある程度規定されているはずですが、その頃はどうだったのでしょうか?」
「ううむ……難しい質問だな」
 マーカス先生は渋面を作ると、たるんだ顎をさすりながら、
「結論から言えば、国家解体戦争の際にはその種の規定は存在しなかった。それを結ぶ前に戦争が終わったからな。ただ、基本的にはその国の人間同士の戦いだったし、企業側が固く禁止していたから、一般市民や捕虜に対する虐殺や略奪、暴行などは基本的にはなかったとされているがな」
 教科書には載ってない内容だからなのか、マーカス先生は慎重に言葉を選んで答えていく。
「これまでの支配者である政治家や旧王族、彼らに対する企業側の措置は苛烈だった。旧イギリスや極東などの一部の例外を除き、旧王族や政治家、軍部の重鎮などのほとんどが、“平和に対する罪”という名目で裁判にかけられたのだ。大半は投獄の後に保釈されたが、独裁者などのあまりにもひどいケースの場合、そのまま処刑される事もあったようだ。ヨーロッパのどこかの国では、数世紀ぶりにギロチンが使用されたという噂もある」
「ひどい……」
「うむ……まあ、それも戦争の一側面という事だ」
 質問した女生徒がかすれた声を漏らし、マーカス先生もそれにやんわりと同意する。
 そういった血なまぐさい過程の末に作られたのが、今日の支配体制であるパックス・エコノミカ。経済による平和。聡明なる経済主体たる企業によって行われる、資源の独占と再分配――まさにその尖兵であるわたしが言えた義理でもないのだろうが、ひどい話である。
「旧国家軍の扱いに関しては、これもまちまちだな。旧合衆国軍のように武装解除の後、企業軍に組み込まれたケースが大半だが、少数精鋭主義だったローゼンタールのように企業側が編入を拒否し、解隊されたケースもある。逆に国家軍のほうが企業側に編入されるのを良しとせず、玉砕したケースだってある。とくにさっき話したレイヴンと呼ばれた傭兵たち、彼らの末路はその多くが悲惨なものだったと聞いている。なにしろ、それまでは戦場の花形であり、憎き国家の尖兵だったわけだからな。企業の兵士たちの恨みを買っていたというわけだ」
 マーカス先生の解説にみんながメモを取る中、わたしは、そういえば、と思い返していた。この間のリッチランドでの作戦で、鹵獲されたアームズフォートの元々の個体名が《クインシー》とかだったが、これは元々アメリカ海軍で使われていた巡洋艦の命名法則なのだと、後に聞いた。これはGA通常軍がある意味、旧合衆国軍を母体としているからなのだろう。他の企業の事はよく分からないが、たぶん同様の事例はたくさんあるのかもしれない。たしかカラードのリンクスの中には、旧国軍出身のリンクスもいたはずだし。
「ともあれ、世界最大規模のクーデター騒動、国家解体戦争は、こうして企業側の圧勝で幕を閉じたというわけだが――」
 と、マーカス先生が再びスクリーンのほうを向いたところで、
「……よっ」
「うわ、びっくりした!」
 横合いから突然かかってきた声に思わず声が出る。慌てて横を見れば、そこにはわたしの座っているデスクに半分身を隠すようにしてしゃがみ込んでいる、若い男の姿があった。
 ここにいる男子生徒と同じベージュ色のブレザー姿なのだが、ボタンを掛けてないために白いシャツがだらしなく覗いている。短く切った髪は薄茶色に染められていて、茶色の瞳に童顔めいた顔立ちという典型的な日系人の特徴を備えた、ちょうどわたしと同じくらいの年の少年。その顔を見間違えるわけがない。わたしのほぼ唯一の男友達にして、リンクス養成学校時代からの腐れ縁の――
「ダン? ……なによ、いないと思ったら、また遅刻?」
「し~っ! お前、声がデカいんだよ! デカいのは機体と胸だけにしとけ!」
「だ、誰のナニがデカい、よ! とりあえず……ほら、これに隠れて」
 わたしの横からひょっこりと顔を出すダンを、とりあえずノートでマーカス先生から覆い隠してやる。一方、ダンはそんなわたしの心遣いに気づく事すらなく一方的にこちらを黙らせた後で、自分のほうはこれまた一方的にまくし立て始めた。
「いや~、こないだ近所の古本屋で、出物のムービーディスク見つけちまってさ。機動戦士なんとかいうんだけどさ。知らない? ニッポンで作られた有名なロボットアニメ。で、夜中にぶっ通しでそれ見てたら、気がつけばもう明け方で……ふわぁぁっ」
 と、ダンはのんきに大あくびをする。
「あれ、全部で四十三話もありやがるのな。おかげでまだ全部見れてないんだけど……あ、そうだ。今度うちに来いよ。もう見た回も含めて、特別にみんな見せてやるからさ。なんなら、俺のとっておきのヒーローものコレクションも見ていいぜ? なにしろ、マーベルを始めとした映画から特撮もの、アニメまで大抵の有名どころは網羅して――」
 一方的にしゃべり倒した挙句、自分のマニアックな趣味にこちらを引きずり込もうとするダンの誘いに、ごめん、そういうのパス、とわたしが返そうとしたところで、突如として怒声が響き渡った。
「こらそこっ! 見えているぞ!」
「ひえっ!?」
 教壇のほうに振り返って見れば、肩を怒らせたマーカス先生がこちらを――正確に言えば、わたしの隣にいるダンの間抜け面を睨みつけている。
 ……なるほど、よくよく見れば、顔はともかく体のほうは全然隠れていなかった。こういうのを、ニッポンのことわざで、たしか――
「頭隠して尻隠さず、だ! 馬鹿者! グリンフィールド、お前もだ! 仲が良いのは結構だが、遅刻したやつを庇うんじゃない!」
 マーカス先生の剣幕に、ダンが慌てて立ち上がり、両手を顔の前で振りながら、
「いえあの! これは違う、違うんです!」
「なにが違うだ! この……馬鹿者がっ!」
 担当した教え子の進学および就職率百パーセントを誇る鬼教師、マーカス・ストラングの厳しさと教育に対する熱意は伊達ではなく、この時もそれは超高速のチョーク投げとなって、狙い違わずダンのおでこに炸裂していた。被弾の衝撃でチョークがまっぷたつに割れ、ダンが無様に尻もちをつく。
「いたっ! ぼ、暴力反対!」
「うるさい、黙れ! とっとと席につかんか!」
 額を押さえ、何事か喚こうとしたダンを怒声で黙らせると、マーカス先生は唯一開いていた席を指し示した。あまりの剣幕に、ダンは慌ててそこに駆け寄っていく。その情けない姿に、講義室の中からくすくすと笑い声が漏れ出ていた。
「ダン・モロ、お前は放課後に補習だ! 首を洗って待っていろ! まったく、今時の若いもんは……!」
 ひとしきり怒ったマーカス先生が、再びスクリーンに向き直ると、授業を再開するべく、手に持っていたタブレット端末を操作していく。そうして授業が再開されていく中、慌てすぎてカバンの中身を机にぶちまけてしまったダンの姿に、わたしはこっそりとため息をついたのだった。

 
 

 ACfA Smiley Sunshine
 Episode2:School days

 
 

 同日、午後六時。グリフォン高等専門学校校内にある学生食堂にて。

 二階までぶち抜いた構造になった学生食堂。壁も床も清潔感のある白で統一されて、ずらりと並んだ強化プラスチック製のテーブルや椅子も白。広い天井に無数に埋め込まれた照明は明るく、夕暮れ時になった今でも薄暗い印象は皆無で、すっかりオレンジ色に染まった外の景色と相まって絶妙なコントラストを醸し出している。
 放課後の夕暮れ時という事もあって学生食堂に人は数えるほどしかいなくて、部活帰りの生徒たちや休憩にやって来たと思しき教師たちが、離れたところで雑談したり、本を読んだりしている。そんな中で、
「――だから。仮にも人に暴力振るっておいて、もうちょっと他の言い方ってもんがあると思うのよ、わたしは」
 わたしはテーブルを挟んで向かい合っているダンに、そう言って手先で弄んでいたフォークを、びしり、と向けた。テーブルの上に置かれた皿には、紙コップに入れられたコーヒーがふたつと、何層にも重ねられたパンケーキに生クリームや色とりどりのフルーツが載せられたものが、でん、と鎮座していて、はちみつとクリームの甘い香りを放っている。
 だが一方のダンはといえば、こちらの話を聞いていたのかいないのか。顔を斜めに向けながら絆創膏を張った額をことさら大げさに押さえてみせて、
「今の俺にそういう事言う? 見ろよ、このおでこ。まだ腫れが治まんなくてさ……いたた……」
 と、今頃になってもなお、泣き言めいた事を言ってくる。
 たしかに、マーカス先生渾身のチョーク投げを被弾したダンのおでこは、衝撃で少し皮膚が破れて、ちょっとだけ血も出ていた。でも、それだけだ。元々保健室に行くような怪我でもなく、あの後にわたしが絆創膏を張ってあげた甲斐もあって、何時間も経った今では腫れもだいぶ薄くなり、わずかに絆創膏に浮いた茶褐色にその痕跡を残すだけになっていた。
「んなもん、後でつばでもつけときゃ治るわよ。……ったく、あんたのおかげでわたしまで怒られちゃったじゃない……」
「だから、そのパンケーキ奢ってやったんじゃないか。こんな時間まで待たせた詫びと合わせて、さ」
 詫びと言いながらもあからさまに恩着せがましい態度で、「高かったんだぜ」とわたしが食べているプレミアム・フルーツパンケーキを指さすダン。
 そう。今日の全ての授業が終わり、予定があるので本来ならばさっさと帰るべきところを、「話があるから、補習が終わるまで待っててくれ」と言ってきたのはダンのほうである。で、今日の授業の補習やら今までの復習やら今後の進路指導やらで、結局二時間もひとの事を待たせたのだから、なにか奢ってくれてもいいじゃない、と言ったとしても罰は当たらないはずなのだが。
 ……まったく、今時バイト三昧の苦学生というワケでもあるまいし。彼の裏の“仕事”を知っているわたしに、そんな泣き落としが通用するとでも思っているのだろうか?
 わたしことメイ・グリンフィールドも、そしてこのダン・モロも。この学校の学生というのは世を忍ぶ仮の姿。しかしてその実態は、リンクス管理機構カラードに属する、ネクストを駆る傭兵――すなわちリンクスである。当然、その稼ぎは学生のバイト代などというちんけな額ではない。いくら学食で一番高いデザートとはいえ、こんなパンケーキひとつで金欠になどなるわけがないのだ。
 嫌味ったらしいダンの物言いに軽く肩をすくめて、
「そりゃどうも。で……そのクソガキ、言うに事欠いて、“暴力女”、よ? 暴力女。これ、どう思う? ひどくない?」
 というわたしの問いかけに、しかし、何故かダンは憮然とした表情をして、
「どう思う、ってまさしくその通りじゃねぇか、この暴力女。少しはその無駄に育った胸に手を当てて考えてみろ」
 同意するどころか、逆に悪口でもって返してきた。
「な、なんですってぇ……!? なにが無駄に育った、よ!」
「うるせぇ! リンクス養成学校時代に散々ひとのコトどつき回してくれたのは、どこのどいつだと思ってやがる! この爆乳暴力牛女めが!」
 思わず立ち上がり、激昂するわたしに、ダンも負けじと立ち上がり、声を張り上げてくる。
「ちぃっ……そんな大昔のコトを……! 何度同じコト言えば気が済むのよ、このむっつりヘタレヒーローオタク!」
「お~、何度でも言ってやる! だいたいお前、最初の頃こそ引っ込み思案で泣き虫で病弱で、こいつは俺が守ってやらなきゃダメだ、って思ってたけどな。そしたらどうだ、何年も経たないうちにとんだじゃじゃ馬になりやがって! しかもホイホイと結果出していって、一足先に正規リンクスにまでなっちまって、おかげで必死に頑張ってた俺が馬鹿を見て……あ……」
「なにが「あ……」よ! 散々ひとの過去を洗いざらいにして……あ……」
 だが、その睨み合いも数秒の事。学生食堂にたむろしていた学生や教師が、何事かと視線を向けてくるのを感じ、次にばつの悪い思いをお互いに感じ合ったわたしとダンは、どちらからというでもなく再び椅子に腰を下ろしていた。
 そうして気まずい沈黙が数秒ほど場を満たした後、ダンはコーヒーをひと口すると、ちょっとだけ真面目な顔を作り、口を開いた。
「ま、まあ、悪口合戦は置いとくとして、だ……」
「う、うん、そうだね……」
 こちらも神妙な顔を作って、答える。そうして、ダンはこちらをまっすぐに見て、
「だいたいな、お前の話を聞いてる分だと、わざとじゃなかったとはいえ、お前が先に手を出した形なんだろ? そりゃそのガキだって怒るし、とっさに体が動いたりもするさ。むしろその場で撃ち殺されたりしなかっただけ、マシなほうなんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「むしろ助け起こしてくれたぶん、親切なほうだったと思うぜ、俺は。お前だって本当はそう思うから、とっさに礼を言っちまったんだろうが」
「そりゃあ……」
「だからさ、お前もちょっとは気をつけろよ。ただでさえリンクス戦争からこっち、世の中が物騒なんだからさ」
「うう……」
 くそっ、いくらダン相手とはいえ、こう真顔に正論で返されると、わたしとしても反論のしようがないというか――
「わ、分かったわよ……わたしが悪かったです……」
 渋々、そう渋々と謝罪の言葉を口にする。それにダンは、うんうん、と訳知り顔で頷くと、
「……にしても、いきなり殴られそうになったのにそれを躱して、あろう事か投げ技で返すだなんて、ただ者じゃないぜ。いったいどこのどいつだったんだろうな、そいつ?」
「さあね。知らないわよ、そんなの」
 ダンの疑問に素っ気なく返す。あの隻眼の少年と出会った繁華街のあたりは、この街――独立計画都市グリフォンの中でもあまり治安が良くない地域であり、ちょっと行った先には廃工場や倉庫が林立するスラム街まがいの場所まであるようなところである。ある意味あのクソガキにお似合いの場所のような気がしないでもないが、そういうところに住んでいる連中にしては身なりはそんなに汚くなかったような気もするし。それに、それなりの値段がするであろうワインボトルがだめになったのに、こちらに賠償を求めてこなかったのも気にかからないでもない。それなりにお金に余裕があるのか、それともわたしの事、関わっちゃいけない人種だとでも思ったんだろうか?
(あ~、思い出したらまた腹が立ってきた……!)
 あの隻眼の少年の姿を想像しているだけで、ついついボルテージが上がってくる。目つき悪いし口は悪いし態度も悪いし、なにより投げられた時すごく痛かったし。
 でもってなにが一番腹立つって、あんなクソガキ相手に一瞬でもときめきかけてたってのが、一番腹が立つ。わたしの好みは、もっとこう年上で、背が高くて、強くて優しくて、包容力があって。そう、あんなクソガキ、断じてタイプじゃないし。そう、あんなのは――
「まったく、今時の若いもんは……」
 怒り八割、照れ隠し二割といった感じで、ついつい口が出る。それに、ダンが呆れたような口調で、
「おいおい、今度はマーカス先生の物真似かよ? そんなに気に入らなかったんだな、そいつのコト」
 ……ふう。まったく、こいつもひとの気持ちを分かっているようで分かっていないというか。内心で盛大にため息をついてから、
「……で? 結局、そっちの話ってのはなんなのよ?」
 ずばり、と正面から話を切り出してみる。すると、ダンはどこか気まずげに視線を逸らすと、
「あ、ああ。それな。いや、そんな深刻な話ってわけでもないんだが」
 なにやら勿体ぶった物言いをしてくる。それに焦れたわたしが「なら、さっさと言いなさいよ」と急かすと、ダンはふう、とため息をついてくる。そうして、
「最近、調子はどうだ? その……リンクスとしての、さ」
 その言葉に、つい先日のリッチランドの時の激しい戦闘と、その後の情けない顛末、そしてあの一方的な報道が思い浮かんで、
「……もちろん、順調よ? こないだだってちょっとデカい仕事を片付けたところだしさ。なんでそんな事聞くの?」
 思わず曇りそうになる表情を、なんとか笑顔のままで持っていきながら、問い返した。
「いや、順調だって言うんならいいんだ。ただ、さ。そのデカい仕事ってやつの事、ちょっと小耳に挟んじまってさ。それで――」
「あ、それよりもさ。そっちはどうなの? ほら、ダンはわたしと違ってGAに属してる訳じゃないから、あまり動向が聞こえてこなくてさ」
 と、逆に向こうに話を振ってみる。すると、ダンはぱあっと顔を明るくさせて、
「お、おう、こっちは順調だぜ? こないだも依頼を受けて、どこかのコロニーをつけ狙う強盗団とやり合ってよ」
「へえ、そうなんだ?」
「荒れ果てた小さなコロニーに、僅かばかりの種籾を必死に持ち帰ろうとする老人たち。そして「ヒャッハー!」と叫んで襲いかかる荒くれどもの戦車やMT。まさに絶体絶命の大ピンチ! そこに颯爽と現れたのが、この俺ダン・モロと、その分身たる蒼穹のネクスト《セレブリティ・アッシュ》ってな!」
 大げさな身振り手振りを交えて説明してくる。その目は、さっきまでとは違って、まるで子供のように輝いていた。
「あとはもう俺の独壇場さ。襲いかかる雑魚どもを次々と撃ち抜いていって、最後に残った首領が乗ったモヒカン頭の戦車型ノーマルも、得意のブレード捌きで一刀両断! で、賊どもをあっという間に全滅させて、戻ってみれば住人たちの拍手喝采。町長じきじきにお礼されて、おまけにコロニーで一番の美女からお礼のキスなんかされちゃったりしてよ!」
「へえ~、それはすごいわね~」
 得意げに説明し終え、えっへんと胸を張ってくるダンに、にこにこと笑顔を浮かべて相槌を打ちながら――わたしはこっそりとため息をついていた。
 まともに聞くとなんだかとんでもない冒険譚のようにも思えるが、尾ひれはひれを除いて意訳すると、なんの事はない。ようはどこかの貧しい弱小コロニーから、通常戦力相手の簡単な依頼を受けていた、とこういう事だったりする。
 そりゃあ住人たちには喜ばれるだろう。明日の食料にも事欠くような弱小コロニーが用意できるお金などたかが知れていて、そんなはした金で動くようなネクスト戦力など、普通は存在しないのだから。貧しい弱小コロニーの懐事情と、ヘタレで腕がなくてなおかつ人の良いダンとの利害が一致した結果であり、美談と言えば辛うじて美談のような、そんな程度の話でしかない。そのキスしてきた美女とやらも、どうせおばあさんとか年端もいかない幼い女の子とか、そういうオチなのだろう。
 そうして、ダンがなおも話の続きをして、それにわたしがふんふんと適当な相槌を打とうとした、まさにその時だった。
「――あ、メイ! こんなところにいた!」
 唐突に横合いからかけられた声に、ダンともどもびくりと体を震わせる。慌ててそちらを見れば、学生食堂の入り口のほうに五人ほどの女生徒のグループがいて、そのうちのひとり――わたしのクラスメイトである赤毛の女生徒が、快活な笑顔を向けながらこっちに駆け寄ってくるところだった。彼女は近くに立つなり、わたしの目の前に置かれた食べかけのパンケーキに気づくと、
「あ~、またなんか美味しそうなもの食べてる。メイばっかりずるい、あたしも食べたい~! ダイエット中だけどっ!」
 わたしの顔をびしっ、と指さし、甲高い声で吠えてくる。それに、
「いいのよ。わたし、いくら食べても太らない性質だから」
 早鐘のように鳴る心臓を抑えこみながら、ぱたぱた、と手を振って答える。
 事実だし。こう見えてまだまだ成長期だし。それに、リンクスのたしなみとして、日々の運動や柔軟体操は欠かしていないし。ちょっと間食したぐらいで太る事などあり得ないし。
 だが、わたしの答えにダンは何故か意地の悪い笑みを浮かべると、
「い~や、そんな事はない。しっかりと脂肪になってるみたいだぜ?」
 にやにやと笑うダンの言葉に、うんうん、と女生徒が頷く。それに、思わず自分の体をまじまじと見下ろしてみる。
 ……おかしいなあ。ウエストもヒップもそんなに変わってないはずだし、体重だって増えてないはずなんだけど。知らないうちに二の腕とか太腿とかにでもついてきたのかな……?
 とかやっているうちに、いつの間に回りこんだのか、女生徒が後ろに立っていて。掲げた両手をわきわきと動かしながら、そのまま両脇からわたしのほうに腕を回してきて――
「な~にとぼけてんのよ! ここのコトに決まってんでしょうが!」
「ひゃうっ!?」
 突然襲ってきた感触に悲鳴を上げる。あろう事か女生徒は、後ろからわたしの胸を鷲掴みにしてきたのだ。布地越しに指が食い込み、ふにふにと形を変えていくそれに、女生徒は何故か鼻息を荒くすると、
「え~い! こんな馬鹿デカいものぶら下げておいて、本人は無自覚たぁ許せないっ!」
「ちょ、ちょっと!? いきなりなにを……ていうか、放してって……ひうっ!」
 上げようとした抗議の声は、しかし電流が奔ったような感覚に遮られた。悲鳴を上げて身悶えるわたしに、しかし女生徒は口元を戦慄かせると、揉みしだく指の動きを激しくさせていく。
「この大きさなのに感度もいい、だと……!? しかもこれだけのもの持ってるクセして、つけてるのは色気もへったくれもないスポーツブラだぁ!? ええい、こんなけしからんもの、こうして、こうして、こうしてくれるわー!」
「な、なによ! そんなの、んっ、わたしの勝手でしょう!? それにこれだと、そのまま運動とかもできて便利……んああっ! ち、ちょっと……先端は……そこは、だ、だめっ……! ら、らめぇ……なのぉ……っ!」
「ここかぁっ!? ここがええのんかぁっ!? いやらしくおっ立てちゃって……うりうりっ! ウリウリッ! UREEYYYY!!」
「あぁあんっ! ち、ちょっと……ダン! 黙って見てないで、助け……んんっ!」
 揉みくちゃにされながらも助けを求めるが、ダンのほうはといえば「う、うえっ!?」とおたつくばかりで、いっこうに動こうとしてくれない。ええい、相変わらず肝心なところで役に立たない……って、あれ? 心なしかダンのやつ、顔が赤くなって姿勢が妙に前屈みになっているような……。
 とかやってるうちにも、女生徒はわたしの胸を掴んだまま、
「ギギギ……どうせあたしはペチャパイよ! ええいっ、こんな大きくて、柔らかくて、あったかふわふわしたもの……う、羨ましくなんか……! くうっ、あたしにもあと五……いや、十センチくらい寄こしなさいよ~っ!」
「だから、あげられるわけない、って……ひゃんっ!」
「くっくっくっ、いやいや言いつつも良い声で鳴きよるわ。ど~れ、こっちの口のほうはどうかな~?」
 まるでドラマに出てくるスケベおやじみたいな口調で言うと、右手をわきわきさせて、わたしのスカートのほうに伸ばしてくる。
「んんっ……! いつまでも調子に、乗るんじゃ……ないの、っと!」
 だけど、その隙が命取り! 右腕の拘束が解けるや否や、握り拳を作ってそのまま頭の後ろに叩きつけて――
「あだぁあああああああっ!?」
 ごつん、と鈍い音を立てて狙い違わず女生徒の側頭部に直撃。頭を押さえて悶絶する彼女を振りほどくと、胸のあたりを腕で隠しながら、ずざざ、と距離を取る。
 あ、危ないところだった……! もしあのままだったら、なにをされていたか分かったもんじゃない……!
 一方、女生徒はわざとらしく頭をさすりながら、こちらを恨めしそうに見やり、
「あだだ……! な、なによ~、ちょっとしたスキンシップじゃないのよ~」
「あんなスキンシップがあるかぁあああああっ!」
 その暴論にひと息に叫び返す。そうして、しわくちゃになったシャツや上着を簡単に整えてから、じろり、と女生徒を睨むと、
「で、いったいなんの用なの、レジーナ? こう見えてもわたし、忙しいんだけど」
 そう訊き返すと、赤毛の女生徒――レジーナはこぶができた頭をさすりながら意味深に笑うと、
「ふ、ふ~ん、そうよね~。どうせまた、いつもみたいにダンくんとふたりでお喋りしてたんでしょ? なに話してたの? 恋愛話? ひょっとして……もう付き合っちゃったりしてるの~?」
「あのね、そんなワケないでしょう? ただの世間話よ。ほら、前にも言ったでしょう? こいつとは昔からの付き合いだって……」
「そうそう、オサナナジミってやつよね。でも、ダンくん、注意しないとダメだよ? ほら、よく言うじゃない。オサナナジミは恋愛の世界じゃ負けフラグだって……」
「だから、わたしとこいつはそんなんじゃないって。さっきの事もあるし、それ以上言うとホントに怒るよ?」
 そう言って、じろりと睨んでやる。するとレジーナはわざとらしく舌を出して「えへへ、メンゴメンゴ」と反省の言葉らしきものを言ってくる。そうして、
「それでね。あたしたち、これからカラオケ行こうと思ってるんだ。ほら、駅前にできたあの新しいとこ。もう何人も集まってるし、じゃあついでにメイの事も誘おうと思って、さ。一緒に行こ? それとも、なんならあたしと目くるめく世界でも行っちゃう?」
 快活そのものの口調で聞いてくる。そうして、ダンのほうにちらり、と意味ありげな視線を送ると、「ダンくんもさ、ほら」と誘いを向ける。それに、
「う~ん、ごめん。身の危険を感じるから、わたしはパスしておくね」
「え? あ、ああ、俺もパスだ」
 わたしとダンはそれぞれお断りの言葉を返す。が、レジーナはなおも執拗に食い下がると、
「え~、そんなコト言わないでふたりとも行こうよぉ。ホントにこれ以上ナニもしないし、メイの“Fall”、久しぶりに聞きたいしさ。それにダンくんもアニソン得意だって聞いてるし。あ、そうそう、知ってる? そのカラオケ店、先月にオープンしたばっかりなんだけど、なんでも安価な料金でカニが食べ放題らしいよ?」
 カニ……? 何故、カラオケ屋でカニの食べ放題……? 大いに気にはなったし、カニ食べるの好きだしで実際断腸の思いなのだが、生憎今日は定時連絡とはいえ、GAグリフォン支社に顔を出さなければいけない日なのであった。
「ごめんね、レジーナ。信じないわけじゃないけど、今日はどうしても外せない用事があって」
 両の掌を顔の前で合わせ、謝罪のジェスチャーをする。
「え~、でもさ。メイってばそんなコト言ってこの間も……」
「それは本当に悪いと思ってるわ。でも、今日だけはダメなの。ゴメン! 次行くときは絶対に付き合うからさ」
 ここまでされるとさすがに向こうも無理には誘えないのか、素直に頷くと、
「え~、そうなんだ。分かった、じゃあまた今度ね! 絶対よ!」
 レジーナはそう言って手を振り、再び仲間たちのところに戻っていく。
「あんたってば、いったいナニやってんのよ……」
「え~、でもあれくらいでかいと、とりあえず揉んどけ、ってならない? ご利益とかあるかもしれないし」
「ならない、ならないって。てか、なによご利益って」
「そう? ま、いいや。じゃあ、カラオケ屋にレッツゴー! まずは“Dirty Worker”一番勝負ね!」
「え~、私は“Forgive An Angel”のほうがいいな~」
「そんなのよりもカニよ、カニ! 茹でカニにカニステーキ! あ~、早く食べたい~!」
 レジーナたちはそんな事を言い合いながら食堂のドアをくぐり、きゃっきゃっ、と甲高い歓声が遠ざかっていった。そうして、彼女たちの姿が夕闇に溶け消えた頃、
「……やれやれ、やっと行ったか」
 ダンがため息ひとつつくと、腕を頭の後ろで組み、椅子にもたれかかる。こちらも似たようなものだ。詳しい話ではないとはいえ、“仕事”の話をしている時に急に話しかけられると、思わず身構えてしまうという点ではわたしもダンも同じだった。まさかあ~んなコトされるとは思わなかったケド。
「正直、苦労するぜ。人に言えない秘密を持って日々を過ごす、ってのはさ。傭兵なんてうしろ暗い商売なんかやってると、とくに」
「ま、まあ、ね。でもいいじゃない、人に言えない秘密。まさにあんたの好きなヒーローものそのものじゃないの。闇に~紛れて~悪を討つ~、だっけ?」
「こらこら、ひとがシリアスな話をしてるのに、混ぜっ返すもんじゃない」
 笑いながら皮肉めいた同意をしたわたしに、ダンも笑って返してくる。そうして、ぎしぎしと椅子を鳴らしながら、
「あ~あ、お前が羨ましいよ。学校のみんなに溶け込んで、学校生活ってやつを満喫しててさ。知ってるか? お前、男子連中からの人気、けっこう凄いんだぜ。勉強も運動もできるし、黙ってさえいれば美人だし。誰もが狙ってるから、誰にも手を出せない。まるで“クイーン・ビー”みたいだって、みんな言ってるよ」
「誰が黙っていれば、よ。それにクイーン・ビーって、また大昔の話を……」
 クイーン・ビーとは女王蜂を表し、だいぶ昔の――それこそ国家解体戦争以前のアメリカの学校で自然発生したヒエラルキーのひとつの事だ。たしかジョックとクイーン・ビーがそれぞれ男と女の勝ち組で、ナードとかギーグとかが負け組……なんだったっけ?
「その点、俺なんか勉強もできないし、スポーツもからっきし。先公どもには睨まれるしでさ……正直、毎日大変なんだぜ?」
「それは、あんたの努力が足りないだけでしょ? わたしはちゃんと毎日勉強も鍛錬もしてるから。あんたのほうこそ、勉強も鍛錬もせずにいっつもヒーローものばっかり見てるからそうなるのよ、馬鹿ダン」
 笑いながら自嘲めいた事を言ってくるダンに、人差し指を立てて、叱りつけるように言ってやる。ほら、よく言うではないか。池に優雅に浮かぶ白鳥も、水面の下では必死に水を掻いている、と。それと同じ事だ。わたしも他人に見えないところで当たり前の努力をしているに過ぎない。
「うるせぇっての。それに俺、クラスでもけっこう浮いちゃってるし。“ズレ”てる、とでもいうのかな。お前以外のクラスの連中と話してても、なんか話が合わないというか、価値観が乖離してるとでもいうか。だから、親友と呼べるヤツなんてお前以外一人もいないし、放課後に友達と連れ合って遊びに行く、なんてした事もないし。運動とかなにかで二人一組の時なんか、いっつも余っちまうんだよな、俺だけ」
「ダン……」
 どこか遠いところを眺めながら、ダンはぽつりぽつりと自嘲めいて呟いていく。それに、わたしはかける言葉が見つからなかった。
 まあ、たしかに彼がクラスの男子生徒の中では浮いた存在なのは知っていた。それはある意味、仕方のない事なのかもしれなかった。リンクスなんてものが一般の人たちの中にいれば、そうなるのはごく当たり前の事だし、かく言うわたしだって昔はそうだったのだから。それでもなんとか努力して、必死に近づいていったからこそ、今のわたしがあるのだし。
 ……でも、その実、そういうどこか浮世離れしたところがクラスの女生徒たちにひそかに人気だったりするのだから、世の中は分からないものである。まあ、ルックスも甘いと言えば甘い感じもしないでもないくらいだし、世の中そんなものか。言うと絶対に図に乗るから、ダン本人には絶対に教えてやらないけど。
「いいよな。なんでも好きになれて、なんでもできるっていうのはさ」
言外に、だからお前が羨ましいよ、と言ってくるダン。それに、わたしは自嘲の笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「そんな事ないよ。正直、わたしもああいう友達同士っていう雰囲気、少し苦手でさ。仕事があるからクラブ活動もしてないし、学校の役職や行事だってそう。なんだかんだ「家庭の事情が」って言って、重要なポジションから逃げ回ってるしね。ま、リンクスなんてやってる以上はしょうがないんだけど、ね」
「へぇ、そりゃ意外だな。俺から見れば、けっこう順応してるように見えたけどな。ま、お前くらいなんでもできりゃあ、違うんだろうけどな」
 なおも皮肉めいて言ってくるダンに、わたしは頬をぽりぽりと掻きながら、「そりゃあ、買い被りが過ぎるってものだよ」と答える。
 クラスメイトたちや学校のみんなが蜜蜂の群れというのなら、わたしたちは女王蜂どころか獰猛なスズメバチ――つまり、彼女たちにとっての天敵、プレデター(捕食者)の類だ。リンクスというのは、ネクストを動かせるというのは、そういう事なのだ。ダンがさっき言っていた“ズレ”というのも、そこに起因するものであるのは明らかだった。
 わたしたちがもしもその気になれば、このグリフォンの街並みごと彼女たちを焼き尽くし、汚染し尽くせるのだという歴然たる事実。仮にこちらにその気がなくても、向こうがそれをどう思うかというのはまた別の話であり、わたしはそれを身をもって知っている。
 そんなリンクスではない人々の悪意をある意味で具現化したのが、アームズフォートと呼ばれる荒唐無稽な巨大兵器の数々であり、昨今のリンクスそのものに対する冷遇めいた扱いだった。異なる者同士の価値観の差というものは、決して埋まる事はないのだ。
「なんでも好きになれるわけでも、なんでもできるってわけでもない」
 ……でも、それでも。互いに寄り添って生きていかなければならないというのならば。少なくともわたしという存在が、そんな普通の人間たちの営みによって生かされているというのならば。
 そうして、わたしは窓の外に沈みゆく夕日を眺めながら、
「なんでもはできないよ。できる事をやっているだけ」
 ――わたしは、わたしにできる事をやっていこうと思う。知らぬからとはいえ、こんなわたしにも普通に接してくれる普通の人たち。そしてダンやドンやフランさんのような親しい人たちや、なによりもわたしを守り、慈しんでくれた義父のために。たとえあんまり好きじゃない事だとしても、わたしにできる事をひとつひとつ。
 そうして、「ま、歌うのとか食べるのとかは本当に好きだけどね」と付け加える。すると、ダンは混ぜっ返すように、
「へいへい、そりゃ大人びた発言ですなぁ。俺なんかとは大違いだ」
 なんて皮肉めいた事を言ってくる。それに、わたしもくすり、と笑みを浮かべ、皮肉めいた言葉で返したのだった。
「褒めてもなにも出ないわよ、馬鹿ダン」

****

 ――それから数十分ほど経って。夕日がとうに沈んだ後も、わたしとダンは他愛もない話をしていた。
 たしか内容は、学校であった事とか、ちょっとした世間話とか。たとえば、どこのクラスの誰と誰が付き合っているらしいとか、学食の味がちょっと変わったんじゃないかとか、マーカス先生の髪が最近薄くなったんじゃないか、とか。でも、やっぱりふたりの職業柄、多く議題に挙がったのは兵器の話だった。今回の場合は、ネクストの頭部パーツはどれが一番格好いいか、なんて話だ。
 わたしが《サンシャイン》や《ニューサンシャイン》系列のパーツが格好いいと言ったら、ダンは「いやいや、《オーギル》こそ至高だ!」と言って譲らない。
 昔からダンはネクストの中でもローゼンタールのネクスト、《タイプ・オーギル》に特にご執心だった。それはリンクスになった今になっても変わっておらず、彼の乗機《セレブリティ・アッシュ》にもその頭部パーツが使われているくらいだ。
 たしかにローゼンタール社はことさらに見た目というか意匠性を重視する傾向があった。その理念の発露とも言える《タイプ・オーギル》は騎士というかヒーロー然とした機体であり、昔から軍民問わず根強いファンが多い機体のひとつだ。で、このダンもその中のひとりというワケだ。
 一方、GA社の機体はかつての戦車の時代から綿々と受け継がれる堅牢かつ重厚な、角ばったフォルムに定評があり、その具現たる重量級ネクスト《サンシャイン》は心無い者たちから“ダンボール”などというあだ名を頂戴してもいる。高度にブロック化された装甲が、まるで段ボール箱を組み上げたように見えるからなのだとか。
 ……まったく、世の中ビジュアル重視が多すぎる。装甲の強さこそに、兵器の価値があるというのに。
 そうしてふたりの意見が無事に決裂をもって終了した後も、下らない話は続いていく。トーラスの新型機のあのデザインについてどう思うとか、かつて壊滅した旧アクアビット社の本社はどんなカタチをしていたのかとか、ローゼンタールの新型スタビライザー――あのひよこ型のスタビライザーが生まれた経緯は、どうしてよりにもよってあのローゼンタールであんなものが作られてしまったのか、とか。
 そうして、ひとしきり議論が出尽くし、わたしのパンケーキもとうになくなり、ふたりで二杯目のコーヒーを啜っていた時だった。
「……ところで、さっき話しかけた、こないだのコトなんだが……」
 不意に、ダンがなんでもなさそうな体を装った顔でそう言ってきた。それに、わたしは苦笑めいた表情を浮かべて、
「え? こないだって、なんのコト? わたしは、別に……」
「無理に隠さなくてもいいぜ。もうばれてるから。お前、思ってるコトがすぐに顔に出るんだよな」
 そう言ってやおら真剣な表情になったダンの視線が、まっすぐにこちらに向けられてくる。そうして、数秒ほど思案したかと思うと、
「……こないだニュースでやってた、北アジアのリッチランド農業プラントを襲撃したGAのリンクスってやつ。誰かまでは出てなかったが……あれ、お前の事だよな?」
 あっさりとこちらの核心を突いてきた言葉に、どくん、と心臓が高鳴る。
「ニュースじゃひと言も触れてなかったが、リッチランドには鹵獲したGAのアームズフォートが二機もいたんだってな。カニ――知り合いの独立傭兵がそんな噂話をしてたんだよ。本来投入されるはずだった通常軍が派手にやられたとも聞いてる。さっきだってごまかそうとしてたし、実際はかなり苦戦したんじゃないのか?」
 そう問い詰めるように言ったダンの言葉は耳に入らなかった。彼の出身地の事を思い出していたからだ。ダンの出身地であるコロニー・シングは、現在はアルゼブラの支配区域の只中にある。そしてダンのご両親はなにをしているのかは知らないけれど、未だに壮健でいられるのだという事も。
「俺はよくは知らないんだけどさ、アームズフォートってやつは一機動かすのに何百人単位の人手が必要なんだろ? それが二機ぶんに、護衛の機体も含めればすごい数の人間が死んだってワケだ。だからなのかは知らないけど、アルゼブラのお偉いさんはカンカンらしいぜ? ニュースじゃ企業連の会議でGAとそうとう派手にやりあってて、あの悪名高いテロ部隊“バーラット”にまで命令が出たって噂まで――」
 たとえば。たとえばダンのご両親がアルゼブラの軍人で、あの時リッチランドにいたとしたら。そして、そこで命を落としていたとしたら。ダンがそれを恨みに思って、こうやって声をかけてきたのだとしたら。
 おまえのせいだ。おまえたちのせいで、あの街は。脳裏に浮かんだ誰かの糾弾の声。
 だから、これは当然の報いだ。おまえがあんな目に遭うのも、俺たちがおまえを■■するのも、すべて――記憶の底から蘇ってくる、あざ笑うような声は、
「――い、おい! メイ、聞いてるのか?」
「……ふえっ!? な、なに?」
 しかし、こちらに向けての呼びかけに打ち消された。脳裏に浮かんだ最悪の想像を振り払い、恐る恐る前を見てみれば、こちらを心配そうに見やるダンの顔があって。
「俺もたまたまそのニュース見てたんだけどよ、まあ酷い内容だったぜ。欲の皮が突っ張った企業同士の小競り合いにどっちが悪いもないだろうに、ずっとアルゼブラやオーメル寄りの内容垂れ流しやがってよ。あれじゃプロバガンダもいいところだぜ。あのなんとかいう教授も、正論ぶってるくせして小憎たらしい面してたしな。だから、その……なんだ、あまり気にするもんじゃないと、俺は思うぜ?」
 最後にはそう気遣うように言ってくるダンに、それにわたしはかすかな安堵の息を漏らす。
 ――よかった、いつものダンだ。そうよね、たまたま受けた任務が、たまたまわたしの知り合いに関係しているなんてコト、そうそうあるもんじゃないよね。もし本当に彼がそうなら、GAに近い立ち位置でいる事も、この学校にいる事も、そもそもわたしと出会うような事もないわけで。
 そんなわたしの様子に気づいているのかいないのか、ダンは申し訳なさそうに目を伏せると、
「その……済まなかったな。別の依頼で出払ってて、そんな依頼があったなんて知らなかった。そんな危険な任務に、お前が出ていたなんて知らなかったんだ。本当だぜ?」
 そう、懺悔するように呟いていく。そうして、
「だから、その……もし知っていれば、もしお前が出るって知っていたら、俺も一緒に出て……ちょっとはおまえのコト、守ってやれたかもしれないのに……」
「あはは、大丈夫大丈夫。気にしない気にしない。そういうすれ違いは、この仕事ではいつものコトだから、さ」
 なんだか思いつめたような顔をして頭を下げてくるダンに、わたしはぱたぱたと手を振りながら、努めて気楽な口調で言ってやる。
 わたしがGA直属のリンクスである一方、ダンのほうはGAに近いとはいえ、基本的にはどこの企業にも属さない独立傭兵である。当然ながら企業から与えられる情報には違いがあるし、企業に対する貢献度というものにも差が出てくる。それ如何では企業の側が依頼自体を出さないという事だってある。だから、ダンがあの作戦に参加できなかったのも仕方のない事ではあったのだ。
 ……それにあの作戦は、ある意味で身内の恥さらしみたいな作戦でもあったわけだし。
「まあ、ちょっとハードなミッションだったのは確かだけどね。へへん、このわたしにかかればお茶の子さいさい、ってね」
「へん、よく言うぜ。どうせまた派手に機体壊して、サカキのおやっさんに怒鳴られでもしたんだろ? でなきゃ、さっきみたいな誤魔化しなんかするもんか」
「む……いいじゃない、それくらい……」
 ダンの反論に、思わず口ごもる。すると彼は、仕方ないやつだ、とばかりに肩をすくめて、
「まあ、いいさ。で、どんな感じだったんだ? まさか単機って事はないだろうしな、お前の場合」
「なによ、ひとをコバンザメみたいに……まあ、確かに単機じゃなかったけどさ。あの、“Unknown”さん……だっけ。最近噂の新人さん。その人と協働する事になってね」
 と、わたしがあの時の事をかいつまんで説明すると、
「ああ、例の《ストレイド》とかっていう新人か。オーダーマッチで俺をこてんぱんにしてくれた。自分で言うのもなんだが、俺を倒すだけあってまあまあの腕だったろ、あいつ?」
 当然のように自信満々にのたまってくれたダンに、思わず頭を抱える。
 ……ああ、そうだ。こいつはそういうヤツだった。馬鹿でヘタレで弱いくせして、やたらと自信満々な言動をするやつなのだ、こいつは。昔から、こいつのおかげでわたしがどれだけ大変な目にあってきた事か。
「あんたに言われてもなんの参考にもならないけどね……」
「なんだよそれ、ひでぇ言い草だな」
 わたしのごくごく当たり前の評価に、ダンが憮然とした口調で返してくる。それに、
「まあ、その《ストレイド》さん。それがけっこう凄かったのよ。こっちが囮役やってたのもあるけど、あっという間にアームズフォートに近づいて、片方の機体をこう、ばっさりと叩き切って、そこから大火力を叩き込んでさ。それでものの見事に片付けちゃって、最後の機体の時だって、こっちを狙ってた敵の主砲を、こう、ズバッっと両断して……」
 リッチランドでの戦闘の様子を、身振り手振りをまじえて教えてやる。だが、それに何故かダンは眉根を寄せて食いついてきた。
「……囮役!? おいおい、お前、まだその癖治ってなかったのかよ!」
「癖ってなによ、癖って。ひとのコトをまるで変なヤツみたいにさ」
 ダンの物言いに、思わずむっとする。が、ダンはそれに真正面から、
「ああ、変なヤツだよ。人としてはともかく、傭兵としちゃあな!」
 と、こっちの言葉をばっさりと切って捨てていた。
「見ず知らずのヤツなんかのために、盾役なんてやってやる事ないって、いつも言ってるだろ! 協働相手や友軍って言ったって、所詮は他人なんだ。そんな連中のコトを心配したって俺たちにはなんの関係もないだろう。そんな事よりも、お前は自分の心配だけしていればいいんだよ……!」
 気がつけばダンは椅子から立ち上がって、こちらに詰め寄ってきていた。ぎり、と掴まれた両肩が痛くて、お互いの顔が近い。それに頭の中が真っ白になりながらも、
「ひ、彼我の装甲の差を考えて、実行しただけだよ。あの状況で、敵の主砲に耐えられたのはわたしの《メリーゲート》だけだったんだから。ま、まあ……何発か、手痛いの貰っちゃったけどさ……」
「そういう問題じゃないだろう……! しかも手痛いの何発か貰ったって、それでなにかあったらどうする気だったんだよ! まず最初に自分の心配をしろよ! おかしいだろ!」
 なんとか絞り出した反論に、ダンが真剣そのものの口調で返してくる。
 傭兵のくせに他人の心配をするのはおかしい、とダンは言う。おかしい? わたしが、おかしい? そんなはずはない、そんなはずは。だって、お義父さんはそうしてくれた。“彼”はそうしてくれたのだ。こんな薄汚れたわたしのために。きっと見ず知らずの子供だった、ちっぽけなわたしのために。
 だからきっと、今度はわたしの番なのだ。彼らのようになりたいって、彼らのように誰かを守りたいってわたしが思ったのだ。そうすれば、みんなが褒めてくれる。みんなが笑っていてくれる。そうすれば、わたしも嬉しいし、笑っていられるし――こんなひどい世界で、傷だらけのこころで生きる事にも、きっと耐えられるから。
 ……だいたい、おかしいのはダンのほうだ。他人の事を心配したって俺たちにはなんの関係もない、お前は自分の心配だけしていればいい、って――それじゃあ、そんな事を言って、まさに他人であるはずのわたしの心配をしてくれるダンは、いったいなんだというのか。なにかあればビビッて我先に逃げ出すような、ヘタレで弱っちい軟弱者のくせして。
 そんなわたしの考えが顔に出ていたのだろう。ダンは苛立たしげに、
「さっき、お前のコト大人だって言ったな。あれは訂正する。やっぱりお前は、まだガキの頃のまんまだ」
「なにそれ、どういう意味よ?」
 むっと口を尖らせながらのわたしの問いかけに、ダンははあ、とため息をつくだけで答えてくれなかった。
 ……むう。なんだかダンのやつ、さっきと違って、本気で怒っているようだ。でも、いったい何に? ダンは一見わたしに怒っているように見えて、実はまるで自分自身に怒っているようにも見える。かと思えば、あるいはもっと別のなにかに怒ってでもいるかのようだった。
 それに彼が言っていた、わたしが「ガキの頃のまんま」って、いったいどういう意味なのか。ガキの頃、つまりリンクス養成学校でダンと出会った頃のわたしは、たしかお義父さんに引き取られたばかりで。数十分前の会話でダンが言っていたとおり、引っ込み思案で泣き虫で病弱で、まだまだ入院していた頃の事を引きずっていて、今とは全然違っていて――
 そうやって解の出ない問答を続けていたわたしを見て、ダンはさも忌々しげに舌打ちをすると、
「ちいっ……覚えてやがれ、《ストレイド》の野郎……。あとで必ず一発ぶん殴ってやるからな……」
 なんて、物騒なコトを言ってきた。
「ち、ちょっと待ってよ! 《ストレイド》のリンクスはなんにも悪い事なんてしてないって! 囮役の件は、向こうじゃなくてわたしのほうから言い出したんだから……」
「だから、そういう問題じゃないって言ってるだろ!」
 慌てて弁解するわたしに、再びダンが大声を上げる。気が付けば食堂中の視線がこちらに集まっていて、座っていた教師の中にはこっちに向かって来ようとする人だっているくらいだ。「ちょっと……人が見てるって……!」とこっちが注意の言葉を向けても、ダンはこちらの言う事など聞かず、ただまっすぐにわたしの目を見据えてくる。静かな怒りとこちらを慮る色、そしてわたしにとって正体不明の、でも真摯とも思えるなにかが込められた茶色の瞳――
 そうして、たっぷり数秒ほどこちらの目を見つめた後、「……すまん」と言って、ダンは息を吐いた。そうして、
「ただ、俺はさ。お前の事が、その……心配でさ……」
 途切れ途切れに、文字通り吐き出すようにして呟いてくる。その言葉に、わたしのほうもなにも言えず、「あ、う……」などと言葉にもならない声を漏らすだけで――
「――おーおー。相も変わらず人前でストロベリってんなぁ、少年少女たちよぉ」
 その時、明確にこちらを指して、横合いからかけられた声があった。
「「……いっ!?」」
 わたしとダンの声がハモる。慌ててそちらを見やれば、そこにはわたしにとって見慣れた二人の男女の姿があり――慌てて肩を掴んでいたダンの手を引きはがす。
 一方は、こちらに声をかけてきた三十がらみの黒人男性。もじゃもじゃの髪に無精髭、厳つい顔立ちで目にはレイバンのサングラスといういで立ち。中肉中背のダンよりもずっと背が高く、やや肥満気味ながらもがっしりと筋肉が付いた体躯を、GA社の社章入りのサンドカラーのアーミージャケットにズボン、そして軍用の編み上げブーツで包んでいる。
 もう一方は、さも驚いたと言いたげに口元に手を当てる、妙齢の白人女性。二十代後半くらいにしか見えない顔立ちは秀麗眉目。淡い金色の髪は首の辺りで切り揃えたショートヘアで、青い瞳を黒縁眼鏡が覆っている。びしっとした紺色のスーツに身を包み、GA社の社章が輝くスーツの胸元を押し上げる、その胸は豊満であった。
「ド……じゃなかった、カーネルさん。それに、フランさんも」
 わたしが二人に声をかけると、スーツ姿の女性――フランさんが片手を上げて挨拶してくる。その一方で、軍装の黒人男性――ドンは、わたしたちに背を向けて両腕を広げ、学生食堂にいる他の人たちに向けて、大きな声で話しかけていた。
「いや~、すいませんね、皆さん。俺の連れがとんだ騒ぎを起こしちまって。見ての通り、大した事じゃないんで、どうぞお気になさらず」
 大音声のドンの言葉に、ざわざわと騒いでいた聴衆が押し黙る。そんな中で、こっちに来ようとしていた男性教師がなおも声を上げていた。
「しかし、さっきの剣幕はただ事じゃ……そもそも、あんたらいったい誰なんだ?」
 だが、ドンはその教師に向けてにこやかな、しかし迫力のある笑みを浮かべると、
「ちゃんと学校の許可はもらってありますんで、ご心配なく。それに大声出した件については、まあ、いたいけな少年少女たちのやる事だと思いますんで。ご迷惑だったとは思いますが、どうか大目に見て……ね? お願いしますよ、ねえ先生がた?」
 あのガタイにあの風貌、そしてあのいかにも軍人然とした雰囲気である。おまけに学校のスポンサーであるGA社の社章まで身に着けているとなれば、ただの教師に対抗するだけの気概などあるはずもなく、「う、うむ……」と当たり障りのない返事をして、すごすごと自分の席に戻っていった。他の教師たちも、遠巻きに見ていた生徒たちもドンの言葉に納得したのか、あるいはなにかヤバい雰囲気を感じたのか、次々とわたしたちから視線を外していく。そうして、
「ふう……」
 ようやくダンと衆人環視の視線から解放され、大きく息を吐く。そうこうしているうちに、フランさんがこちらに寄ってきて声をかけてきた。
「こんばんわ、メイ。なんだか大変なコトになっていたみたいね」
「大変って……まあ、大変だったかな。来てくれて助かったわ、フランさん。あと、ドン……じゃなかった、カーネルさんも」
 わたしのお礼の言葉に、ドンはこちらに振り返ると、
「おう、まあいいって事よ、メイ。んなコトよりも、だ……しばらく見ないうちにまたちょっとデカくなったんじゃないのか、ソレ」
 挨拶も早々に、いやらしい笑みを浮かべつつ、わたしの胸のあたりを指さしてくる。それにわたしは思わず赤面し、がば、と両腕で胸を覆い隠す。だが、ドンはその反応をこそ気に入ったのか、にひひ、と面白がるように笑うだけだった。と、
「あ、カーネルさんにフランさん。うっす」
 わたしの向かいで立ち上がったままの姿勢だったダンが、さっきわたしに詰め寄った剣幕はどこへやら、まるで部活動の後輩みたいな気軽な挨拶をする。
「よう、ダン。相変わらずみてぇだな」
「あら、ダンくん。お久しぶりね」
 二人は口々に挨拶を返すと、ドンはダンの隣の席に、フランさんはわたしの隣に腰掛けていく。
 ……さて、今のうちにこの二人について、ちょっと説明しておこう。
 このいかにもスケベそうな黒人男性の名は、ドン・カーネル。わたしと同じGA直属のリンクスであり、カラードランクは二十四位。GAがリンクス戦争後に立ち上げたリンクス育成計画、“ニューサンシャイン・プロジェクト”における代表的なリンクスである。リンクスとしての経歴こそわたしに劣るものの、元々はリンクス戦争の頃から通常軍で名を馳せていた叩き上げのノーマル乗りであり、軍人や戦闘者としての経歴はわたしよりもずっと長い。
 ……こうして喋っていると、ホントにただのスケベなおっさんだけど。なにしろこの男、自分の機体のエンブレムに煽情的な服装の女性の絵を選ぶほどの筋金入りのスケベである。いくら旧合衆国軍時代からの伝統あるノーズアートの延長とはいえ、あれはちょっとやりすぎではないだろうか。
 もう一方の白人女性のほうは、フランさん。わたしのオペレーター兼補佐役を務めている女性である。かつてはわたしの教育係だった事もあり、各種ネクスト関連技術やネクストのアセンブリ、またリンクスに関する知識が豊富で、その他の教養も人並み以上、あとついでに美人さんという、まさに才媛という言葉を絵に描いたような人だった。
 でも、昔から――それこそわたしがGAに来た頃から、わたしにはいつも優しく接してくれていて、ある意味わたしにとっては頼りになる姉のような、そういう存在でもあった。
 さて、わたしとダンが見ている中、二人は席に座るなり、こっちに話しかけるよりも先にメニューを手に取る。そうして数秒ほどメニューを眺めた後に手を上げて、
「あ、お嬢ちゃん! 俺ビールね! キンッキンに冷えたやつ!」
「そうね。もう勤務時間も終わりだし、私はエールを……あら? 結構マニアックな品も置いてあるのねぇ。じゃあ、このフランツィスカーナという銘柄を下さる?」
 仮にも未青年の前だというのに、堂々とビールなんぞ頼んでいらっしゃる。
 ……どうでもいいけど、この学生食堂、なんで学校の中なのにアルコールなんて置いてあるんだろう?
「はーい、かしこまりましたー!」
 そうして、注文を受けた学生アルバイトの給仕が奥の厨房に引っ込んでいく頃、耐えかねたわたしのほうから口火を開いていた。
「なんでふたりしてこんなところに……なにか緊急の事態でも? いや、それよりも! ストロベリってる、ってどういう意味!? わたしたちはただ、世間話をしていただけで……」
 わたしの問いかけに、しかしドンのほうがからからと笑うと、
「いやいや、嘘だね。どうせまたダンのやつとイチャコラしてたんだろ?」
「イチャコラって……わたしとコイツはそんなんじゃないですよ」
「またまた~。そんな事言ってお前ら、リンクス養成学校時代からずっと一緒だったじゃないか。もう、とっくの昔にデキてるんだろう? もうヤッちまったのか、ん?」
「デキ……! ヤッ……!」
 あまりの物言いに、唇がわなわなと震える。顔がかあ、と茹でダコみたいになってるのが自分でも分かった。
「そ、そんなワケないでしょう! わたしとダンは、友達で、リンクス仲間で、ただの幼馴染! それ以上でも以下でもないんだからっ!」
 ただの、にアクセントをつけてきっぱりと否定する。そして、ダンのほうを見て、
「ねえ、そうよね、ダン!?」
 わたしの圧を籠めた視線に、何を感じ取ったのか。ダンはひどく狼狽しながらも、
「え、ええっ!? ……う、うん、まあ、な。確かにその通りだな……今は、まだ……」
 しどろもどろに、関係を否定してくれた。それを聞いてわたしが、ほれ見なさい、と勝ち誇った顔をすると、ドンはなんだかひどく残念なものを見るような目をして、
「あ、そうなんだ……。おいダン、お前もかわいそうなヤツだなぁ……」
 そうして、何故かダンの肩をぽんぽん、と優しげに叩いていく。それに「うう……まあ、そっすね……」と言って何故かしょげこむダン。そんな二人を見て、くすくすと笑った後、フランさんが先ほどの質問に答えてくる。
「定時連絡のついでに、ちょっと連絡事項があってね。メイには早く知らせたほうがいいと思って。そうしたら、カーネル大尉もここに行きたいって言いだして、ね」
 だから、今日はグリフォン支社に行かなくても大丈夫よ、と続けたフランさんの説明に、ふう、と安堵の息が漏れる。
 ……なんだ。なにか緊急事態でもあったんじゃないかって心配して損した。しかも定時連絡は行かなくたっていいって? じゃあもう少し早くフランさんが来ていたら、あんな目にあう事もなく、しかもカラオケだって行けたんじゃないか。あ~あ、カニ……食べたかったなあ。……いやいや、いっそこれが終わってからでも……。
 安堵するやら落ち込むやら考えを巡らせるやらでわたしが忙しい中、ドンが話に割り込んできた。
「まあいいじゃねえか、ミス・コードウェル。俺も久しぶりに学校ってやつを見たくなったのさ。なにしろ十数年ぶりだからな」
「あら、だったら昼間のうちに来ていたら、もっとよく見られたんじゃないかしら?」
「お生憎様。俺にだって仕事ってもんがあらぁな」
 と、自分のアーミージャケットの胸元に輝くGAの社章を親指でさし示し、からからと笑う。GA通常軍の出身であるドンは、リンクスとしての業務の傍ら、通常軍の後継たちに軍事指導や教導などを行う任も担っていた。一見粗雑な性格に見えて、けっこう面倒見がいい男なのだ、彼は。
「お待たせしましたー! 生ビールでーす!」
 そこへさっきの学生アルバイトが、ビールがなみなみと注がれたジョッキ二杯を、お盆に乗せてやってきた。ドンとフランさんはそれぞれの手にそれを受け取ると、片方は豪快に、もう片方はあくまでも優雅に口をつけた。
「かぁ~! 染みるぅ~っ!」
 ドンがジョッキに注がれたビールを一気に飲み下すと、奇妙な声を上げてジョッキをテーブルに叩きつける。それを見ていたと思しき教師たちが、「ぐっ……」とか「くぅ……」とか声を漏らし、なんだか何かを我慢するかのような表情をしているが、当のドンはといえばどこ吹く風のようだ。
 その一方、フランさんは無言でジョッキから口を離すと、ジョッキを音を立てずに置き、ハンカチで口を拭う。いつ見ても絵になる所作であり、行儀作法的な意味においても参考になるものだったが……でもよく見ると、一息で二人が飲んだ量はほぼ同等……いや、フランさんのほうはもう飲み干しているのか。相変わらず底知れない人である。
 そうして、ビールを飲んでひと心地したのか、酒臭い息を吐いた後、ドンがおもむろにこちらに身を乗り出して、
「さて、良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」
 なんてコトを聞いてきた。
「……なに、そのアメリカ人みたいな聞き方?」
 わたしが思わずそんなコトを口にすると、
「なに言ってやがる。俺は生粋のアメリカ人だよ」
 ドンのほうも軽口で返してくる。う~ん、ならば……
「じゃあ、悪いほうのニュースから」
 そう答えると、ドンは「よし来た」と言って、アーミージャケットの胸元からよれよれのメモ用紙を取り出した。
「我らが親愛なるGA社から、お仕事の依頼だ。メイ・グリンフィールド“少尉殿”」
 依頼。その一言を聞いてわたしも、そして向かいで聞いているダンも表情が変わる。何故ならそれはリンクスとしての依頼――すなわち、戦場に出る事を意味するからだ。
 ……ていうか、わたしに依頼が出るくらいなら、十分に緊急事態と言えるんじゃないのかな? それとも、それくらいはこのふたりにとって緊急でもなんでもないってコトなのだろうか。
「中央アジア、ローベルト・マイヤー大橋の輸送ルートを移動中の部隊を、インテリオル・ユニオンの大部隊が狙ってるってのが情報部の報告だ。会敵予想時刻は、明日の午前九時頃。俺とお前でもって夜のうちに現地に移動、協働でこれを迎撃しろ、というのが本社からの依頼だ。俺からはこんなもんで、あとの細かい話はミス・コードウェルから聞いてくれや」
 そう言って、ドンが向かいに座っていたフランさんを顎で指す。それに応じるようにして、フランさんがスーツの内側からタブレット端末を取り出し、説明し始めた。
「今回の任務の目的は、極東戦線の最前線に向けて輸送ルートを通過する、輸送車両部隊ならびに大型装甲列車の護衛よ。このルートは急峻な山岳地帯にあって、唯一開けている地形がこのローベルト・マイヤー大橋のあたりなの。だから、敵の襲撃を受けるとしたら間違いなくここね」
 テーブルの上に置かれたタブレット端末に、ローベルト・マイヤー大橋周辺の地図が表示される。中央を流れる河を中心に巨大な浸食渓谷となっていて、そこに長大な高架橋が架かっているという、かなり開けた地形だ。たしかにこれだけでかい谷間なら、大軍を動かす事もできるだろう。
 次いでフランさんが指を動かすとタブレット端末の画像が切り替わり、東洋の座仏像のように見えなくもない奇妙な緑色の物体と、背中に飛行機のような翼を生やした細身の人型の機体が映し出されていた。
「敵は、旧式の飛行要塞《フェルミ》が二機と飛行型ノーマル《タイプ・アージン》が二個中隊規模、それに多数の戦闘ヘリを中核とした空中戦力主体の大部隊と予想されているわ。輸送部隊にも護衛として大型兵器《クエーサー》や陸戦型ノーマル《ソーラーウィンド》が少数配備されているのだけど、正直言って、この規模の敵を相手にするのは難しいわね」
 フランさんの説明に、こくこくと頷く。飛行要塞《フェルミ》は大出力のレーザー砲と多連装ミサイル、そして通常戦力としては珍しくプライマル・アーマーを搭載した強力な機体で、リンクス戦争においてはオーメル陣営を幾度となく苦戦させたという話だし、一方の《タイプ・アージン》も飛行型と称されるだけあって、機動性ならばノーマルでも随一の機体だ。あくまでも陸戦主体のGAの通常戦力で、しかも数に劣るとあっては、対処は不可能だろう。
「また、輸送車両部隊が崖上の橋を、装甲列車が崖下の線路を通る関係上、護衛はどうしても二手に分かれて行わざるを得ない。協働で作戦を行う理由はそれね。敵中を進行する味方を守りながらの防衛戦――それなりに厳しい状況になると思うわ」
 マップに二本の矢印が表示され、それぞれ崖の上の橋を通るルート、崖下の線路を示していく。ふたつのルートは距離こそ近いが、実際は断崖絶壁によって隔てられている。ネクストの機動性ならば往来も可能だが、それも妨害がなければの話だった。
 ……なるほど。こいつはたしかに厳しい任務だ。GAがドンひとりに任せなかったのも納得がいくというものだ。
「敵の増援の可能性は? たとえばネクストとか、アームズフォートとか」
 わたしの質問に、フランさんは口ごもると、
「ない……とは言い切れないわね。現時点では。ただ、当初からそれらが投入されているというのならば、さすがに情報部も感づくはずだとは思うけれど……」
 どこか歯切れの悪い口調になるのは、この間のリッチランドの件があるからか。わたしとフランさんがタブレット画面の敵戦力とにらめっこをしていたところで、不意にダンが口を挟んできた。
「……でも、大丈夫なんですかね? こいつ、こないだの任務の時だってだいぶ無茶したんでしょう? そんなにヤバそうな任務なら、いっそ……」
 任務から降ろして、もっと上のヤツに変えたほうがいい。そんな事を言おうとしたのだろうダンの言葉は、しかし、
「ん~? 心配なら、お前も来るか、ダン?」
 と、あっけらかんと言ったドンの言葉に遮られていた
「「……えっ!?」」
 再び、わたしとダンの声がハモる。しかし、爆弾発言をした当のドンはといえば、平然とした顔のままダンのほうを向くと、わたしの顔を親指で指さして、
「こいつの事が心配なんだろ? だったらお前さんがその手で護ってやりゃあいい。男なら、な。違うか?」
「う……そ、それは……」
 ドンの言葉に、ダンが口ごもる。そこに覆いかぶせるようにして、
「それに、どっちみち使えそうなのはお前しかいないのさ。大佐殿と有澤の旦那は空の上だし、他の方面隊のネクストは容易には動かせねぇ。BFFの連中はイマイチ信用ならないし、カラードの独立傭兵どもを雇い入れるには急すぎるタイミングだ。インテリオルの連中だって、きっとそいつを計算に入れて動いてやがるんだろうよ。まったく、きな臭いったらありゃしないぜ」
「お、俺だけ……」
「ああ、そうとも。ある意味、ピンチとも言える状況だ。そんな時にお前の機体がさっそうと現れて、活躍してみろ。こいつのお前を見る目だって、少しは変わるかもしれねぇぜ?」
「さっそうと……活躍……見る目……変わる……」
 ……なんだかふたりの間で、洗脳まがいの事が行われているような気がする。若者が大人に利用される縮図というか、なかなかに悪どい光景だ。
 とはいえ、ドンの提言は決して的外れというわけでもない。わたしの《メリーゲート》は重量級だし、ドンの《ワンダフルボディ》は重めの中量級といったところ。どちらも空中戦は苦手のため、比較的良好な機動性を持つ《セレブリティ・アッシュ》を戦力に組み入れるというのは、ある意味理に適ってはいる。それに、身動きの取れない防衛線において、それに捕らわれない遊兵の存在価値は大きいものになる……はずなんだけど。
「ちょっと。いいの? そんな事勝手に決めちゃって? まだカラードに正式に依頼を出したわけでもないんでしょう?」
 はす向かいにいるドンに顔を近づけ、こそこそと囁く。
 半ば形骸化しているとはいえ、カラードを通さない形でのリンクスへの依頼はご法度だ。最悪、企業連での外交問題やリンクスの除名処分にもなりかねない。それにそもそも、ネクスト戦力の投入なんて大事を、現場の一存だけで決めていいのかどうか。
 しかし、ドンはといえば、半分以下にまで減ったビールジョッキを手に取ると、
「ん~? いいに決まってるだろ。それぐらいの裁量権くらい、俺にもあるさ。仲介人のオニールには後で話を通しときゃいい。それに、金を払うのはどうせGAだしな」
 と、わたしの問いに、がははと無責任に笑って、残りのビールを一気に飲み干す。
 ……いいのかな、そんな気楽に言ってて。疑問に思い、ドンの隣に座るフランさんを見れば、やはりいろいろとマズいのか、なんだか気難しげにこめかみの辺りを押さえていた。
 だが、ダンのほうはドンの煽りでいろいろと火が付いたのか、がば、と椅子から立ち上がると、
「あ、ああ、いいとも! その依頼、受けてやるさ!」
 大きな声で、そう宣言してしまっていた。
「お! そうか、やってくれるか!」
「お、おう! やってやる、やればいいんだろう!」
「おう、それじゃ話はついたな!」
 ひとり気勢を上げるダンに、にんまりと笑うドン。ついでに、はあ、と盛大にため息をつくフランさん。……いいのかなぁ、本当に。
 そうして、ダンの後を追うようにして、フランさんが立ち上がると、
「まあ、いいわ。カーネル大尉の《ワンダフルボディ》と貴女の《メリーゲート》のぶんの輸送ヘリは手配済みだし、別の支社に予備の輸送ヘリが一機あったはずだから、ダンくんが来てもなんとかなるはずよ。事後報告になるけど、渉外部とカラードには話を通しておきます。カーネル大尉、出撃準備のほうとカラードへの口添え、よろしくお願いしますね」
「おう、任せときな!」
 ドンも両手をバシン、と鳴らして立ち上がる。
「だから、メイは今晩は任務に備えてゆっくりと休んでおきなさい。学校には休みの連絡を入れておいてあげるから」
 フランさんの言葉に、ようやく得心がいった。ああ、なるほど。だから定時連絡はいらないって言ったのか。まったく、世の中そうそう美味い話はないというが、まさしくそのとおりだったというワケだ。ああ……さらば、愛しきカニよ……。
「ダンくんは機体の積み込みがあるから、そうはいかないけどね。今からガレージに連絡して、機体を持ってこさせて、輸送ヘリに積み込んで、諸々の手続きをして……たぶん、今夜は徹夜同然になるはずよ」
「うえぇ……徹夜ですかぁ? 実は俺、昨日ちょっと徹夜してて……」
「こらこら、今さら泣き言言うんじゃねぇよ。やる、って言ったのはお前だろうが」
 わたしの時とは対照的な容赦のない宣告に、ダンがヘタレ全開の弱音を漏らし、そんな彼の肩に腕を回したドンが窘めるような事を言っていく。
 こういう時に、企業の支援がない独立傭兵というのは不便なものだ。ネクスト用パーツの購入に制限がかかるだけでなく、こういった出撃にまつわる雑事も自分でこなさなければいけないのだから。もっとも、企業専属には専属の苦労というものもあるのだが。たとえば使用パーツに制限を受けるとか、依頼への選択権や拒否権がない、とか。
 そうして三人に遅れながらも、わたしも立ち上がって――そこで、ふと思い出していた。
「……そういえば、良いほうのニュースって?」
 それにドンは、やっと思い出したのか、みたいな呆れ顔をして、
「そりゃあ、良いニュースだよ。少なくともお前にとっては、な」
 なんて勿体ぶったコトを言ってくる。それに頬を膨らませて、「じゃあ、早く教えてよ」と言うと、
「ああ、それも私のほうから言うわ」
 と、横合いからフランさんが口を挟んでくる。そうして、いかにもほほ笑ましそうな表情で、
「エンリケ作戦部長から連絡があってね。ローガンが――貴女のお義父上が、《クレイドル01》から帰ってくるそうよ。ちょうど明日の午前中、ミッション当日の便でね」
 その言葉から、数秒の沈黙を経て。
 わたしの大音量の歓声が、食堂中に響き渡ったのだった。


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