小説/長編

Written by 雨晴


夕食後、ひと月ぶりの一家団欒。会話は弾む。
そこへ唐突に繰り出されたのは、ふたつの包み。え?と息子。は?と父。
娘の笑顔。

「はい。ハッピーバレンタインですよ、兄さん、お父様」

一家と呼ぶには幾らか異質ではあっても、彼らにとってのそれは確かに家族だ。
手渡された包みを父親と息子が受け取る。呆けた顔は、どこまでも似通っていた。

「・・・何だろう、これは」
「・・・さあ?父さん、誕生日か何か?」
「いいや?」

ふたりして持ち上げたり、振ってみたり、首を傾げる。
娘の苦笑い。

「ですから、ハッピーバレンタインですよ」

良いから、開けてみて下さい。伝えれば、では、と父親。息子は頷く。
かさりと鳴って、中身の黒が顔を出した。
 
 
チョコレート。
 
 
「出来れば、もっと可愛らしくしたかったのですけれど」

無骨な四角いそれに、型までは作れませんでした、そう彼女。
意味のわかっていない二人。

「ウィル、これは一体何なのだろう」

質問に、む、と娘が拗ねる。彼女から笑顔が消えて、な、何だ、と父親が焦りだす。

「失礼なお父様ですね。チョコレート以外の何に見えるのですか?」
「いや、僕も父さんもそれはわかるよ。どうして急に、って事」

兄の問いに、知らないんですか?驚いた顔。二人、コクコクと頷く。
もう、と呆れ顔。はあ、と溜め息。

「戦争ばかりではなく。兄さんもお父様も、もう少し世間に目を向けてみて下さい」
「・・・すまない」
「ごめん」

しょんぼりと俯くふたりに、しょうがないですね、笑顔を向ける。

「2月の14日と言えば、バレンタイン・デーです」
「今日は12日だが」
「それは、お父様が明日には出掛けてしまうからですよ。兄さんにお渡しして、お父様にお渡ししない訳にもいきませんので」

ふむ。父親が軽く頷いて、あ、と兄が顔を上げる。

「・・・つまり、女性が男性にチョコレートを渡す日ってところか」
「惜しいですね、兄さん。もう少しで正解なのですが」

いいですか、と人差し指を立てる。
眩しいほどの笑顔。

そのまま、口を開いた。
 
 
 
「バレンタインは、女の子が大好きな男性にチョコレートを渡す日なのです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ACfA/in the end
The Valentine War
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2月14日。朝。
彼女が少しばかり慣れない朝食の調理に戸惑った。"朝の挨拶"に幾らか遅れが出で、しかし彼らにとってそれは、特に問題とはならない。
なぜなら、世界は割と平和だからだ。

良い事である。彼が目を覚ます。

いつも通りの仲睦まじさを発揮した上で、十二分にじゃれ付いたところで、ふたりベッドから起き上がる。
彼の視線が、彼女から外れた。

「・・・ずっと気になっているのですけれどね、そのブリーフケースは何なのですか?」
「な、何でも!何でもないです!」

ぶんぶんと首を横に振り、開けちゃ駄目ですよ、絶対ですからね!そう念を押してローボードに載せる。はあ、とハイン。
暗証番号式のそれは、開けようにも開けられないのではあるが。椅子へ腰を降ろす。

「ほ、ほら、今日は和食を取り入れてみましたよ!」
「ああ、旧日本の料理ですね。存じていますよ」

美味しそうですね。
少しばかり遅めの朝食として並んだ焼鮭と白米に彼の意識が向き、彼女が安堵。

――――でも、どうせ今夜にはバレますよね。

浮かんだ思考を振り切るように前を向く。
現状、彼女には成すべきことがあるのであって、それは今考えるべきではない。
普段あまり使わない箸を手にする。

一息。

――――まあ、今から恥ずかしがっていても仕方ないですしね。

言い聞かせて、何とか落ち着いて、鮭をほぐして。
 
 
「はい、どうぞ」

彼の口許へ、箸を運んだ。
 
 
 
「・・・美味しいですか?」
「ええ、とても美味しいですよ。さすがはリリウム」

良かった。
笑顔で言って、では、と赤くなりながら小さく口を開く。
同じく笑顔で差し出された鮭を咀嚼する。
少しばかり恥ずかしくて俯きがちに、それでも嬉しいことには変わりないので、面持ちはニヤけている。
幸せそうな笑顔。

「今日は、確かウィン・Dのところでしたね」

問いに、彼女が飲み込んでから肯定する。
そうですか、と少しばかり溜め息混じりの返事。

「早めに帰ってきて下さいね。貴女が居ないと寂しいので」
「―――はい、勿論です」

お互い笑いあって、さすがに全てを食べさせ合う訳ではないので自身の皿に手をつけ合う。
他愛無い世間話も、楽しそうで。
 
 
「あ、これも自信作なんですよ?」

出汁巻きたまご。

「はい、どうぞ」

差し出されたそれを、彼が口を開けて受け止める。
彼女の赤く染まった頬が緩みっぱなしなまま、朝食の時間は過ぎていく。
 
 
 
刻一刻と、夜は近づいていた。

そして、今日はバレンタイン・デーである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末さまでした」

さて、朝食を同じタイミングで食べ終えた二人が感想を交わして、ハインが出された紅茶を啜る。
それを合図に、彼女がおもむろに席を立った。ハインが目で追いかけて、向かった先は冷蔵庫。何かを取り出す。
白い皿に、小さなそれが10粒ほど。

「では、ハッピーバレンタインです、ハイン様」

見やれば、5種類のそれがふたつずつ。テーブルに乗せられて、彼の顔がパッと明るくなる。

「わ、食べるのが勿体ない出来ですね」

それぞれ一口大の、ハート形やアーモンドの載せられたもの、手の込んだものばかり。
無論、手作り。

「・・・喜んで頂けますでしょうか」

目尻を下げて、自身の無さそうに問い掛ける。"ええ、それはもう"。
間髪入れずの即答に、心底安心した風の彼女が微笑みに戻る。

「・・・良かったです」

席に着き直して、ひとつひとつ丁寧に説明。
これがピーナッツを砕いて―――、彼が熱心に聞き入る。

「・・・ここまでのものを作るのは初めてだったので、あまり自信が無かったのです」
「逆にこんな凄いものを頂けるなんて、思いもしていませんでしたよ」

有難うございます、リリウム。言われて、彼女の満面の笑み。

「貴方に贈るチョコレートに、一切の妥協は許されませんので」
「しかし先にも言いましたが、食べてしまうのが勿体ないですね」

むう、と、真剣な表情で対峙する彼の姿に苦笑い。もう、何て言いながら手を伸ばす。
アーモンドの載ったそれをつまむ。

「―――でしたらまずはおひとつ、食べさせてあげます」

苦笑いを再び笑みに戻しつつ、差し出す。少しばかり面喰ったような彼もすぐに笑顔で口を開いて、ぱくり。
指に唇が触れて、少しドキリとした。

「・・・どうですか?」

目を瞑って、幸せそうな表情で味わう彼に問う。

「―――うん、美味しい」

底抜けの笑みから嘘の成分は汲み取れなくて、もう一度安堵。
良かったです。言いながら、無意識に入っていた肩の力を抜く。
 
 
「はい、リリウムも」

今度はハインが、同じくアーモンドのそれをつまみ上げる。彼女が少しだけ驚いて、少し、バツの悪そうな笑顔。

「ばれてましたか」
「当然ですよ」

ほら、と差し出されて、目を閉じる。ふたつずつ作ったのは、彼と一緒に食べたかったからであって。

「・・・では、お言葉に甘えさせて頂きます」

あーん、と、小さく口を開く。
果たしてそれが贈り物として成立するのかは疑問としても。
 
 
「―――うん、美味しい」
 
 
彼らとしては、それで良いのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12時。ウィン・D・ファンションの部屋に来客。

12時15分、作業手順確認、及びその準備を開始。

12時30分、作業開始。

13時、第一陣壊滅。

敗因:ブラックペッパー(150g)。
 
 
 
ウィン・Dがうな垂れている。5分ほど、ずっとそうしている。

「・・・すまない、足手まといだ」

口を開いた彼女の表情は伺えず、しかしながら本気で悔いているのは確かだ。
リリウムが苦笑い。

どうしてあそこでアレンジを加えようとするのか、更に言えば、どうしてアレンジの方法が"辛さ"に向くのか、疑問ではある。

「ほら、ウィン・D様。顔を上げてください」

拗ねているのか、自身の不甲斐なさを恥じているのか、言われても顔はあげない。組んだ腕に顔を埋める。
焦るから失敗してしまうのですよ。言って、リリウムが笑顔を向けた。

「いつかのベイクド・チーズを思い返してください。慎重にやれば、成功しましたでしょう?」
「・・・ああ」

ベイクド・チーズ。数十枚の試行錯誤ののち、クリスマスイブに出来上がったそれは大変に美味であった。
リリウムが続ける。

「あのときとは多少異なりますが。それでも慎重さは大切です」
「・・・そうだな」
「それに、あまり作り過ぎてしまっては、ロイ様を何らかの病気にしてしまいますよ」
「そ、そうなのか!?」

唐突に顔を上げたウィン・Dに若干驚きつつ、糖分の過剰摂取が身体に良くないことを説明する。
途端、ウィン・Dの血の気が失せた。首を振る。

「それは、駄目だ」

彼女にとって、傍に居てほしい男性は彼なのであって、リリウムがひとつ頷く。

「ですからウィン・D様、ロイ様のためにも成功させましょう」
「・・・だが」
「大丈夫です。諦めるという選択肢は、無いのでしょう?」
「・・それも、そうだな」

リリウムに、ウィン・Dの真剣な表情が来る。ふたりで同時に頷いて、キッチンを向く。

―――本当に、ロイ様のことが大切なのですね。

そう思いはするが、伝えはしない。
きっと伝えてしまえば、また焦ってしまうだろうからだ。

「まずは、型に流し込むまでをマスターしてしまいますよ。ゆっくりやれば、簡単ですから」
「ああ、わ、わかった」

それを合図に二人、第二陣へと踊りかかる。
思い出した。

「・・・あ、そうだ。件の"はわわ"については、どうなったのですか?」
「・・・ああ、そういえば」

ウィン・Dが頭を抱える。

バレンタイン・デーの夜が近い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『ほら、もう少し踏み込みなさい、ダン・モロ。反応が鈍いですよ』
『いやッ、ちょッ、無理!』

食堂において、暇そうにカフェオレを飲み続けていたのはかつての弟子。声をかければ、やはり暇だという。
ならば現状の弟子の訓練に付き合えと伝えれば、一つの条件だけで肯定された。

まあ、あの程度で奴に経験を積ませられるのであれば、それに越したことは無い。
みるみると、ライール機のAPが削られていく。アリーヤ機は被弾ゼロ。

『ああそうだ、セレン』

戦闘中、落ち着いた声で話掛けられる。対照的に、あの男はぎゃあぎゃあと五月蝿い。
その不甲斐なさにイラつきかけるが、まあ仕方の無いこととも言える。経験の差だろう。

「・・・何だ?」
『先のお話ですが、宜しくお願いしますね。彼のためにも』

眉が寄るのを自覚する。

「だから構わんと言ったろうが。良くわからんが」
『モチベーションの問題かと。―――ほらほら、せっかくの追加ブースターが泣いてますよ?』
『お願いッ!手加減してッ!』
『お断りします』

ハインの奴は、手加減、というよりいくらかセーブして操っているだろう。長い間見てきたハインの動きに思う。
ヤツが本気なら、あんな簡単に視界に入る機動をしない筈であるし、それに、クイックブーストだってもっと多段で絡めてくるはずだ。

それでいて圧倒されているのだから、中々どうして、上手くいくものではない。

溜め息。

・・・しかし、モチベーション、か。

思い、意識を今の弟子へと向ける。
まあ詰まるところ、ヤツの条件としては、この男にチョコレートを贈ってやってくれと言うことだ。
当然、かの催しは知識程度として知っているが。
 
 
「しかし、本当に私で良いのか?」
『というより、貴女しか居ないのですよ。・・・こら、ダン・モロ。そんな距離でマシンガン乱射してどうなるのです』
『無理無理無理無理無理無理』
『弾切れしますよ、落ち着きなさい』

何を以って私しかいないと判断するのか。私に貰っても、別に喜ばんと思うが。

・・・喜ぶ?
 
 
そこまで考えて、それ以上の思考は不必要だと言うことにようやく気付く。
まあ、本当にそれでこの弟子のモチベーションが上がるのであれば、それで構わん。
上がらんでも、大した労力ではない。

さて。意識を戻す。

「おいダン・モロ。せめて一発くらいは当てておけよ?―――さもないと」

奴の視界に、うっすらとソブレロを描写させる。

『・・・ひッ!?』

途端、多少は動きが良くなった。
気を緩めていたストレイドの右脚部を、数発のライフル弾が掠める。

「・・・ふむ、その調子だ」
『鬼!悪魔!外道!』
『急に良い機動になりましたね。セレン、何をしたんです?』

問いに、さあな、そう答えておく。
頭の片隅でチョコレートなぞどう作ったものか考えながら、取り敢えずはシュミレーションの行く末を見守っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
待ち合わせの、16時丁度。廊下に申し訳程度に設置されている窓の外を一人で見つめる彼が居る。
扉の開く音に、意識が向いた。そこには彼女が居て、笑顔で近寄って行く。

「お待たせしました、ハイン様」
「いえ、大丈夫ですよ」

ハイン・アマジーグの自室前、少し待っていてほしいと言われた彼が彼女を迎える。

「おお、おめかしですね、リリウム。お似合いですよ」
「本当ですか?有難うございます」

整えられた髪を崩さないように優しく撫でて、嬉しそうに目を細める彼女。
3分ほど周囲から隔離された空間が生まれて、では行きましょうか、手を取り合って、ようやく歩き始める。
 
 
かさり。
 
 
「持ちましょうか?」

ハインの提案に、リリウムが首を振って否定する。紙袋がひとつ、彼女の手元に。
有難うございます、そう笑顔で答えつつ、握りしめる。

「贈り物ですから、こればっかりは、そういう訳には」

その表情は嬉しそうで、ふむ、ハインが彼女の手元を覗き込む。

「何なのです?」
「決まっていますよ。今日はバレンタイン・デーですから」

返ってきた解答に、ハインが首をかしげる。

「チョコレート?」
「ええ、チョコレートです」
「・・・私に?」

苦笑いで、いえ、先程差し上げたじゃないですか。そう否定が入って、そのまま続ける。

「日頃良くして下さっている方へのものですよ」
「・・・ああ、成る程。だからダン・モロに会いに行くのですね?」
「はい。その通りです、ハイン様。本当なら、ロイ様やジェラルド様達にもお渡ししたかったのですが」
「ふむ」
「残念ながら、本日はご多忙だそうで。また後日にお渡しします」

へえ。そう言って、前を向く。軽い微笑みのまま、20歩、無言が続く。
21歩目で、彼の顔がゆっくりと彼女へ向いた。
 
 
「………え?」
 
 
この子は一体何を言っているのだろうか、そんな表情だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
夕方からなら大丈夫、というダン・モロの予定に合わせて、午後5時に約束は取り付けられていた。
待ち合わせの場に、疲れた表情の彼が居る。

「ダン・モロ様」

途中から口数の少なくなったハインに代わって、リリウムが声を掛ける。気付いたダン・モロが、手を挙げて出迎えた。

「お会いするのはお久しぶりですね、ダン・モロ様」
「そうだっけ?」

ええ。笑顔で頷いて、考える仕草。

「前にお会いしたのは、確かクリスマス前だったかと」

リリウムの指摘にひとつ頷いて、視線がハインへ。

「おい、どうした?さっきあんなに生き生きしてたのに、何か顔に生気が無いぞ?」

問われ、一度視線を向けて、外す。

「いえ、別に」
「・・・ハイン様、本当に具合が悪いという訳ではないのですか?」

リリウムの心底心配そうな顔には、笑顔に戻って大丈夫ですよ、そう伝える。
次の瞬間には、死んだような目。

「・・・先程から、ずっとこんな調子でして」
「へぇ、珍しいな。いっつもニコニコしてるのに。・・・まあいいや」

で、何で俺呼び出されたの?

その問いに、"そうでした"、思い出したように紙袋を一つ差し出す。

「ハッピーバレンタインです、ダン・モロ様」

受け取ったダン・モロが、目をぱちくり。

「・・・え、マジ?俺に?」
「はい。いつもハイン様共々、お世話になっておりますので」

その言葉に、ダン・モロがぷるぷると震えだした。

「もしかして、もしかすると、手作り?」
「はい、勿論です」
「ィィィィィイヤッホォォォォォォォォォゥ!」

拳を握り締めて飛び上がる。
その姿にリリウムが苦笑いして、俯き加減のハインの眉が動いたことには気付かず、きゃっきゃきゃっきゃしている。

先のダン・モロと同じくぷるぷる震え始めたハインの変化に、ようやくリリウムが気付いた。

「・・・あの、ハイン様?」

その声は聞こえていないようで、そのまま一歩を踏み出す。

「・・・ダン・モロ、今、幸せですか?」

酷くひび割れたその声にダン・モロは気付かないで、ああ、そりゃそうだろ!やいのやいの言っている。

「それはそれは。・・・では」
 
 
 
――――消すか。
 
 
 
低い声に身震いして、背を向けていた発声源へと身体を向ける。
向けた途端、猛スピードで突っ込んできた人間に胸倉を掴まれた。

「ぉ、ぶっ!?」

壁に押さえつけられた。
こめかみに、嫌な感触。超至近距離に、とんでもなく無表情なヤツが居る。
その先で、リリウムがぽかんとしている。

「う、うわ、な、なになになになになにこれ!?」
「リリウムのバレンタイン・チョコを受け取ったんだ、万死に値する」
「何そのブービートラップ!?」

ハインらしき人物の口元が歪んで、引き金に指が触れる。"ヒッ!"口から漏れて、カタカタ震える。

「私の恋路を阻む者は、誰であろうと許してやるものか」
「歪んでる!歪んでるよハインさん落ち着いて!グロッグ仕舞って頼むから!義理でしょ義理!良いじゃん義理くらいなら!」

本気の懇願に、彼の口から義理?と疑問が漏れる。そう!そう!必死で頷くダン・モロ。

「何だ、それは」

低い声のまま問うた。ダン・モロの涙目。知らないのかよ。もうどうにでもして。半笑いでソラを見上げる。
 
 
「・・・って何してるんですか!?」
 
そこでようやく、状況を理解したリリウムが止めに入った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リリウムから永遠と説教をされてしょんぼりしたハインがダン・モロに謝罪して、改めてチョコレートが彼の手に渡る。
有難う、と、先とは比べ物にならないほど殊勝に受け取るものの、送られる視線に気が気ではない。

「・・・あの、また殺されそうな視線が来てるんですけど」
「もう!ですからこれは違うって言ってるじゃないですか!」

これも珍しくそこそこ本気でおしかりを受け、縮こまる。

「・・・いや、ですが」
「ですが、じゃありません!」

いいですか、と人差し指を突き出して、説教タイム。

「バレンタインには、お世話になった人にもチョコレートを差し上げて構わないのです!」
「・・・では、私に宛てて下さったのも・・・?」
「あれは大好きな方に贈るチョコレートですってば!」

しょんぼりと伏せられた顔から、ちらと目が覗く。

「・・・本当に?」
「本っ当です!」

果たして、それは説教なのか、ノロケなのか。
一拍置いて、彼女の口調が弱まる。今度はリリウムが顔を伏せて、悲しそうに。

「・・・だからどうか、間違えないで下さい。貴方への贈り物だけは、特別なのですから」

変化に対して逆に顔を上げたハインが、オロオロし始めた。大変に珍しい。

「す、すみません、リリウム」

一転して、ともすれば泣き出してしまいそうな彼女の前で弁解する。
"こういった事にはどうも疎くて"、"私が無知でした"。

「・・・わかって下さいましたか?」
「え、ええ、どうか許して下さい。本当に、私が愚かでした」

どうしたものか、どうしたものか、視線も忙しなく行き来する。その狼狽っぷりは、彼に似つかわしくない。
彼女の肩がクツクツと揺れる。

「・・・リリウム?」

彼女が顔を上げれば、笑み。悲しげな表情なんて無かったような。
呆然とするハインに、ごめんなさい、騙すようなことをしてしまいました。そう告げる。

彼が安心して、溜め息。

「―――ああ、本当に良かった。貴女を泣かせてしまったとしたら、どうしようかと」
「けれど、怒っていたのは本当ですからね」

わかっていますか?ずい、と彼に迫ってたしなめる。すみませんでした、苦笑いで一言。
ああ、と切り替えて、向き直す。
 
 
「ダン・モロ、本当に失礼しました」
「・・・あ、気付いてたんスか」

ダン・モロの呆れ顔。完全に蚊帳の外で、ぼんやりと遠い目をしていた彼が戻ってくる。

「"義理"というシステムについては理解しました。リリウムからのチョコレート、受け取って頂いて結構ですよ」
「いやちょっと待てよアンタ何様だよ!」

いえ、と視線をリリウムへ。

「この子の婿ですが」
「そうでした、すみません」
「もう、ハイン様。また怒ってしまいますよ?」

またたしなめられ、失礼。そう発して、また向き直す。
 
 
「お詫びと言っては何ですが、今晩を楽しみにしておいて下さい」

そう伝えてながら、笑み。

「・・・はぁ?急に何だよ」
 
問いに、ひとつ頷いた。

「お節介とは思ったんですけれどね、まあ、私なりの感謝の気持ちですよ。あと、いつもイジめ過ぎてしまいますし」
「イジめてる自覚はあんのかよ!」
「ありますよ?」

ぎゃあぎゃあと、或いは淡々とじゃれ合う二人を、リリウムが苦笑いで見守る。まあ、やっぱり何だかんだで仲の良い二人なのだろう。

そんなことを思いながらふと時計を見た途端、目を見開いた。
 
まずい。
 
 
彼に気付かれないように、コッソリとその場を後にする。存在感を消すことは慣れていて、成功。駆け足で、部屋へと向かった。
 
 
 
 
戦いの夜が来る。それは、もうひとつのバレンタイン・プレゼントだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
さて、彼がリリウム・ウォルコットが居なくなった事に気付いたのは、彼女が居なくなってすぐの事。
ダン・モロに別れを告げ、ふらふらと探すものの発見できず、そろそろ自室に戻ろうかとしたところで端末が音を立てた。メールの受信音。
リリウム・ウォルコットからのそれに首を傾げ、中身を確認し、更に首を傾げた。

"お部屋に戻るのは、あと30分ほど待って下さい"。

全く意味がわからない。廊下に立ち尽くす。理由を探して、唸る。
数秒悩んで、やはり理解が出来なかった。

「・・・はて、何かしましたかね、私」
「何がだ?」

誰に言うでもなく呟いたそれが拾われる。後ろを振り返れば、白のスーツ姿の男が居る。
笑顔を向けた。

「ああ、ジェラルド。ひと月ぶりですね」

頷きが来て、隣に並ぶ。

「そうだな。リリウム・ウォルコットには昨日会ったが」
「・・・何ですって?」

ハインの目が細まる。何だ、聞いてないのか。そうジェラルド。

「・・どうしてです?」
「ウィン・D・ファンションの付き添いがどうだと言っていたな」

無言で、数秒。

「ふむ」

疑うような目線。恐らく無意識のそれを、ジェラルドが受け止める。

「昨日ウィン・D・ファンションが、ロイ・ザーランドの求めるバレンタインとはどのようなものかと私に問いにきたのだ」

ああ、そうでしたか。ハインに笑みが戻る。
ジェラルドの、軽い呆れ顔。

「・・・凄まじい独占欲だな、ハイン・アマジーグ」
「当然でしょう。誰が何と言おうと私の嫁ですからね―――っと、近日中にリリウムからチョコレートが行きますよ」
「ふむ、君に殺されないように注意しておくとしよう」

それで、どうかしたのか。
尋ねられ、ああ、それがですね。端末の画面を見せる。

「・・・ふむ」
「何でしょうね、何かの準備なのか、或いは怒っているのか」
「昨日、リリウム・ウォルコットはブリーフケースを持っていたか?」

これくらいの。身振りで伝えれば、ええ、と肯定が来る。
そうか、そう一言。

「ならば、恐らくは前者だろうな」
「準備?」
「ああ」
「・・・何のですか?」

問われ、ジェラルドが笑みを浮かべる。
肩を叩き、一つ頷いた。

「是非、感想を聞かせてくれ」
「可能であれば説明を要求したいのですが」
「ロイ・ザーランドの着眼点には感謝しておくように」
「・・・私が言うのも何ですが、人の話をお聞きなさいな」

目を閉じて、もう一つ頷く。

「なに」

無論、彼に説明するつもりなど更々無く。

「数十分後にわかるさ」

踵を返して去って行った。

ハイン・アマジーグが、キョトンとして取り残されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30分後。

"部屋の前に居ますが、入室して構いませんか?"。その問いに数分置いても、返信は来ない。
ひとつ、溜め息。

まあ、待たなければならないのだろうな。

思い、壁に寄りかかる。目を閉じる。
先のジェラルドとの会話にいくらかの疑問を抱いて、ハインが想像する。何の準備か。
普通に考えれば、時間からして夕飯の支度かと思う。だが、わざわざ隠す理由がわからない。
掃除が終わっていない?そんな馬鹿な、今日の朝、ふたりでいちゃつきながら一時間も掛けて掃除したではないか。
では、入浴中というのはどうか。しかし部屋に入ってはならないという理由としては弱いし、それよりも何の準備か。

準備、ですか。

呟いて、壁を隔てて数メートル先に居るパートナーを想像する。ああ、リリウム分が足りない。取り敢えず、まずは軽くちゅーだな。
割と真顔でそんな事を考えつつ、時間が過ぎる。数分後、着信音。
飛びつくように確認すれば、"どうぞ"の文字列。
表情が安堵に変わる。自動の扉を、指紋認識で開いて入室。
 
 
「ただいま、リリウム。何だった、の・・・で」
 
 
歩みを止めた。言葉も止まって、静止。
何だ、あれは。

数メートル先、もじもじしている女性に目が行く。自然と彼の目が細まり、視線を受けた女性が恥ずかしそうに顔を伏せる。

さて、一体誰だろうか。考える。
いや、決まっている。リリウムだ。最愛のリリウムだ。

だが、何かいつもと違わないか。
では、何が違うというか。

何か生えてないか。
・・・何が?
生える?

・・・生える?

頭?

「・・・わ」

俯いたまま、顔を真っ赤にしたまま、消え入りそうな声で。

「わん」

鳴いた。
 
 
 
 
 
ハイン・アマジーグの意識は、そこで一旦途切れている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
数十分前。走って帰ってきた彼女が一人、部屋に佇んでいる。
 
 
―――さて。

まあ、何よりもまず落ち着きましょう。カーペットに正座し、その数十センチ先には件のブリーフケース。
鍵は開けられていて、中身は見えている。白色の、もふもふ。

その造形に、無意識に息を呑んだ。
 
 
「・・・ぁ」

良く考えてみたら、彼ももうすぐ帰ってくるのではないだろうか。いけない、待って貰わないと。
思い、メールを打ち込む。

送信、完了。

「よし」

何が、良いのだろうか。端末を閉じて、仕舞う。
一瞬考える。
時間。

「・・・え!?30分!?短いですよ!何しているんですか私は!」

立ち上がって数秒前の自分に駄目出しを敢行するものの、反応がある筈もない。
再び正座。一息。
落ち着け、落ち着け、そう反芻する。

改めて、鎮座するイヌミミと相対してみることとする。
10分ほど、凝視。どこからどう見ても、犬の耳のレプリカである。
5分ほど、想像。これを付けて鳴く自分を想像して、気が遠くなる。

―――いつまで迷っているのですか!

唐突に顔をあげて、カチューシャタイプのそれに、ついに手を掛けた。
手をぷるぷる震えさせながら、思いっきり目を瞑りながら、頭部へ。

「―――ッ!」

ふわりと載せた。

目を閉じたまま、全身がぷるぷる震えだす。何してるんでしょう私は。
しかしながら、時間はもう数分ほどしかない訳で、いつまでもそうしている訳にもいかない訳で。
ちらりと鏡に目をやる。
生えていた。

耳が。

犬の。

「!?」

途端、崩れ落ちた。カーペットの上、丸まってぷるぷる震える。顔は真っ赤である。

本当に何してるんですか、私は。

彼女の冷静な部分がツッコミを入れるものの、思考力の大部分は混乱しているのであって、もう何が何だか。
ぷるぷる震える。
時間は無い。ここまでで約30分を浪費している。メールの着信音。
うひゃう!とか何とか奇声が上がって、恐る恐る確認する。

"部屋の前に居ますが、入室して構いませんか?"

無意識に鏡へと向こうとしていた自身の首を思い切り捻り、扉へと向く。
そこに居るらしく、戦慄。

―――まずいですね、これは。

他人事のようにそう思い、数分固まる。冷や汗。滴ったそれに、意識が戻る。メールを入力、"どうぞ"。
もう、なるようになれ。半ば涙目でそう思考して、それは一種の自棄で、俗に"女の子座り"と呼ばれる姿で彼を待つ。
笑顔の彼が入室する。

「ただいま、リリウム。何だった、の・・・で」

目が合った途端、彼が固まった。当然である。
彼から見て数メートル先、もじもじしている女性。自然と彼の目が細まり、視線を受けた女性が恥ずかしそうに顔を伏せる。
もうここまできて、悩む必要があるだろうか。もうやってしまえ、一言発するだけだ。
息を吸い込む。

「・・・わ」

俯いたまま、顔を真っ赤にしたまま、消え入りそうな声で。

「わん――――ってうわ、ハイン様!?」

鳴いた途端、彼がゆっくりとうつ伏せに倒れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・で、それは一体何なのです?」

10分ほど幸せそうな表情で気を失っていたハイン・アマジーグが唐突に起き上がり、お互い座ったままの姿勢で相対する。
まじまじとリリウム・ウォルコットの頭部を見つめたのちにそう尋ねた。リリウムが顔を背ける。頭の上の、それが揺れる。
ハインの視線が追いかける。

「い、いぬ、みみ・・・」
「触ってみても?」

言うが早いか、頭上に手が伸びる。
別に神経接続などと言うわけではないが、何となく、身体がぴくりと震えた。

「ふむ、ふわふわですね」

そのまま撫でられても、いつものように身を委ねることが出来ないでいる。
例によって例のごとく恥ずかしいのと、緊張が半々。

「もう一度、あれを言ってみてもらえますか?」

リクエストされ、躊躇ったのちに小声で一つ。"わん"。

彼女を撫で続けていた手が止まり、数秒。何だろうかと横目で伺えば、また気を遠くしそうな彼が居る。
慌てて揺さぶって、目に光が戻る。危ない危ない、笑顔で繰り返して、再び撫で始める。

「ロイとジェラルドが言っていたのは、コレのことだったのですね」
「ぁ、御存じだったんですか・・・」
「内容までは知りませんでしたから、かなり驚きましたけれどね」

よいしょ、と彼が立ち上がる。手を差し出して、座り込む彼女を引き上げる。

「折角です、良く見せて下さい」
「そ、それは駄目です!恥ずかしいですから!」

ぶんぶんと首と手を振って拒否する。
 
 
「そ、それよりも・・・」

言って、俯いた。

"・・・どうですか?"

そう、上目で尋ねる。
似合っているか、喜んでくれたか、変じゃないか、何でも良いから感想が欲しい。

その問いに、うーん、とハインが悩む。腕を組んで考え込む。
恥じらい続けるリリウムを一度凝視して、頷いた。
 
 
「一つだけ、間違えないでいてほしいんですけれどね」

場にそぐわない真剣な声色に、せわしなかったリリウムの視点が定まる。
はい、おどおどと返す。
 
 
「私は貴女をペットのようにしたい訳ではないのですよ。大切な女性なのですからね」

あ、と小さな声が漏れた。言われてみれば、そう勘違いされてもおかしくない。
気が回らなかったことに反省。落ち込みかける。

「ですが、そこさえ理解して頂ければ」

再び彼の手が、彼女の頭上に。

「大変似合っていますよと、解答しましょうか」
「・・・え?」

彼の笑顔混じりの解答に、彼女の口から漏れた。
数秒目をぱちくりさせて、疑問。
 
 
「・・・本当に?変じゃないですか?」
「何が変ですか、反則的なほどに可愛らしいというのに」

ほら、と鏡を指差される。

「わ、わ、鏡は駄目です!」
「自身で確認してみれば良いのですよ、今の貴女がどれ程までに愛らしいか」
「ハ、ハイン様だけ!貴方にだけ見せられれば良いんですから!」
「おや、それは嬉しい事を」

言って、ソファへ手を引く。ふたり分の体重を受け止めて、きしりと鳴る。
並んで座って、まだ恥ずかしそうにしているリリウムの髪を梳かす。彼女の肩肘張ったその姿に、軽く苦笑い。
梳かし続ける。
耳が揺れる。

「・・・有難うございます、リリウム」
「え?」

突然の感謝の言葉に、リリウムの目がハインを捉えた。
苦笑いは消えて、嬉しそうな彼。

「また、私を喜ばせようとしてくれたのでしょう?」
「・・・ぁ」

繰り出された問いに、リリウムが少し迷ったのちにコクリと頷く。
"そうですか"、静かになった部屋に響く。
もうひとつ頷く。

「全くもって、私は幸せ者ですね」

その声も響いて、噛み締めるよう。
その声色に、嬉しい、そう思う。
まだ顔は赤いけれど、彼女にようやく小さな笑みが戻る。

「では私は、貴女に喜んで頂くために何をしましょうか」

今度の問いには、彼女が動いた。肩に彼女の頭が載って、小さな声。
もう数センチ離れていたら、聞き逃してしまいそうな。

「・・・でしたら」
「はい」

交錯して、ゼロ距離。
 
 
 
「―――でしたら、一杯褒めてください」
 
 
恥ずかしそうに、それでも笑顔のまま、そう呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼女が気持ち良さそうに目を細める。少し強めに撫でられても、目を細めて嬉しそうに。
ロイ・ザーランドとジェラルド・ジェンドリンが彼女に対して"犬っぽい"と評する理由がそこにあって、尻尾があれば振っていることだろう。

「いや何というか、言葉にし難い感動を覚えますね」
「えへへ。まだ恥ずかしいですけれど、気に入って下さったなら嬉しいです―――あむ」

差し出されたハートの形のチョコレートを、一口。彼女の口内に甘さが広がって、噛み砕く。飲み込む。
彼にもう一つのハート型をリクエストして、手に取る。はい、あーん。彼女のお返しに、彼が口をあける。食す。

美味しいですね、有難うございます。二人してニコニコして、あとは明日にしましょうか。提案して、白の皿をテーブルへ引っ込めた。

改めて、よしよしと撫でる。

先からずっと笑顔の彼も、飽きることなく、しかし色々抑えつけながら彼女の頭部を撫で続ける。
身体を丸めて、彼の膝を枕にして、寝転んでいる彼女。

「しかし、実際に意識が飛んだのは初めてですからね。ああ、是非もう一度」
「もう、何度目ですか。・・・本当に恥ずかしいんですよ?」

抗議するような視線が真下から来て、そこを何とか、懇願する。
最後ですよ?わかりました。そのやりとりも、数回目だ。
 
 
「――――わん」

顔を赤くしながらも笑顔で繰り出されるそれを、ハインが目を瞑って受け止める。
また、何かを噛み締めるような。

或いは、抑えつけるような。

「わ、やっぱり恥ずかしいです・・・」

言って、苦笑いで彼に擦り寄る。
その仕草と、件の耳と、かすかに見える彼女の恥ずかしそうな笑みに、色々崩れ去る音がした。

というか、崩れた。

リリウムの肩に、手が添えられる。
 
 
 
「――――ああ、ロイとジェラルドは全くもってけしからんな。最大級の感謝の意を贈らざるを得ない」

急に切り替わった空気に、リリウムが顔を上げた。見上げる形になる、

「・・・え、あの、急にどうしたんですか?」
「リリウムが可愛すぎるからいけないんですよ?」

爽やかな笑みを浮かべながら、寝転ぶリリウムを器用に持ち上げる。
行先は、決まっている。

「うわ、わ、ハイン様、落ち着いて――――んっ」

ベッドへ押し倒して、さて、先の"リリウム分補給"である。
また騒ぎ始めたリリウムの、けれど本気で嫌がっている風ではないリリウムの口を塞ぎつつ、行動開始。微かに感じるチョコレ―トの甘さに、更に理性は崩壊する。
頭上の耳が揺れる。
 
 
 
今日の彼らの夜は、きっと長い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・美味え」

午前二時、適当なインスタントで夕食を終えたダン・モロが、リリウムからのチョコレートを口にする。
シンプルでありながらも丁寧に形の揃えられた小粒を、あっという間に消費する。美味。
ふぅ、と一息。
 
 
「―――あーぁ、お幸せに!」

本人たちは居ないものの、ヤケクソの大声。畜生、半分くらいその幸せ寄こせってんだ。ベッドへ寝転がる。

しかしまあ色々あったとはいえ、あのリリウムからチョコを頂いたのだ。昨年収穫ゼロであった彼にとっては、それだけでも幸せである。
そうでも思わない限り、やっていられない。

溜め息が響く。

いいや、もう寝ちまおう。目を閉じた途端、戸を叩く音。来客。
誰だ、こんな時間に。
不審に思いながらも、取り敢えず起き上がる。何度も叩かれる扉。

「あー、はいはい」

全くこんな夜中に、躾のなっていないヤツだ。一言くらい文句言ってやらにゃ気が済まん。
思い、戸を開けた。
言ってやろうとして、固まった。

「すまんな、夜中に」

少し手間取った。そう口にする女性は、まぎれなくセレン・ヘイズだ。
軽い恐怖。

「ど、どうしたんスか?こ、これから訓練っスか?」

オドオド問い掛けるダン・モロに、いや、と否定。

「ハインから頼まれてな」

コレだ。左手をポケットに突っこんだまま、右手で手渡す。彼が受け取ったのは、四方10センチ程度の小さな箱。
首を傾げる。

「・・・何すか?」
「今日、と言うより昨日か。そういう風習があるのだろう?」

バレンタイン・デー。目をぱちくり。

「は、はあ、有難うございます」

とりあえずは感謝の意を伝えて、先の"手間取った"と言う一言を思い返す。

「・・・まさか、手作り?」
「そうだが」

即答に、目を細める。

「姐さん、料理出来たの?」
「さっぱりだ。だから、大して美味くはないと思うが」

そう言う彼女の表情は、どことなく悔しげだ。"やるならとことん"、彼女の性格からして、そういう事だろう。

―――いや、今はそれよりも。

「・・・寒いんスか?」

尋ねれば、どうしてだと返ってきた。それ、と指差し。ポケットに突っこまれたままの左手。
彼女が視線を逸らす。
珍しい。

「・・・別に、何でもない」
「・・・ちょっと見せて、姐さん」

言うが早いか、ダン・モロの右手がセレンの左手を引き上げた。あ、こら!抗議の声に、耳は貸さない。

「―――やっぱり」

傷だらけの左手が現れて、バツの悪そうにセレンがそっぽを向く。
その姿に、ダン・モロの苦笑。

「あんまり無理したら駄目っすよ、姐さん」
「・・・そんなつもりはなかったんだが、気付いたらな」

だが、彼女がそうまでして彼にチョコレートを作ってくれたのは事実で、嬉しくない筈もない。

「・・・有難う、姐さん」

改めて素直に感謝を伝えれば、フン、と彼女が鼻を鳴らす。

「礼ならハインに言え。ヤツに言われなければ、私はこの場には居ない」

返事は素直なのかそうでないのかよくわからないものだったが、ダン・モロが一つ頷く。
年齢差どうこうも、消え失せた。

「とにかく上がって下さいよ、手当てしますから」

日ごろの彼なら絶対にしないであろう、手首を握って彼女を引く。セレンの驚いた表情。

「お、おい」
「消毒しないと、後から大変っすよ?」

ほらほら、遠慮しないで。言いながら、笑顔で連れ込む。戸が閉まる。
 
 
何だかんだで、この人と上手くやっていけそうな気がする。彼女の下に就いてから約二カ月、ようやくそう思えた、夜中の出来事だった。


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