Written by ロストネーム=ナナシ


 人ひとり収まるのがやっとの狭さ、それでいて真っ暗なコクピットなぞ、本来なら居心地が良いものではないだろう。
 しかし自分にとって非戦闘時のコクピットは、心が特に鎮まる場所の一つだ。
 その理由は、何となく、という説明が付かないものではある。ただ、機の中で目を閉じて静かに佇み、機と共に在る間の自分が、一番自分らしい気がする。
 作戦の直前、現場まで運ばれながら自分らの出番を待つというこの時間も例外ではない。違うのは、放たれるその瞬間まで互いの波長を合わせる為の調律を怠らず、気を張っているという点のみ。
 時折その場が小さく揺れても全く気に留めず、自らの頸部に伸びているケーブルを介して機と繋がり、時が来るまで細部の微調整と試行を繰り返す。九割五分程度の調子を、どうにかして一分、一厘でも良くする為に。
 決して必須の行為ではない。むしろ戦略はおろか戦術レベルでも然程意味を成さず、戦闘レベルでようやく差が出るか出ないかの、ある種の無駄とも言えてしまう本当に微細なもの。
 無論それを理解してはいるが、それでもやらずにはいられない。大半の機会で無駄となるだろうその一寸の差異が、ある時自らの生死を分けるかもしれない。そうと思うと気になってしょうがなくなり、気が付くと弄ってしまうのだ。
 流石に平時では滅多にそう思わないあたり、ある種自分自身に染み付いた、戦に赴く前の儀式のようなものなのだろう。今更変える必要もないし、変えたいとも思わない。
 ≪間もなく作戦領域に到着する。準備はできているか、レーヴァン≫
 「…あぁ。完全ではないが、概ね問題ない。何とかなる。こいつの機嫌も良さそうだしな」
 自らの名を呼ぶ声に、現状とその最中にしっかりと感じ取った“新しい相棒”の答えを添えて応える。同時に調整を切り上げ、気持ちを整備兵としてのそれから傭兵としてのものに切り替える。
 そしてゆったりと目を開け、暗闇の中で見えない筈の先を見据える。しかしその眼には、自らが向かう戦場がしっかりと映っていた。
 旧独立計画都市グリフォン。幾多の交戦によるコジマ汚染により、リンクス戦争時代に放棄された街。
 その当時は美しかっただろう数々のビルは薄汚れ、ひび割れ、所々によっては崩れ、欠けている。
 街の象徴とされたツインタワービルの連絡橋も既に崩落しており、その真下で瓦礫の山と化していた。
 「よく見えるぞ、お前の“眼”は。流石だな」
 まだ距離が残るその景色を鮮明に映し出す相棒に感心しつつ、自身もほんの少し身を起こし、ほぼ飾りにしかならないだろう操縦桿を握り直す。
 レーダーには、自分達が間もなく作戦領域に入る事、今回の目的を示す赤点がいくつも存在する事を示していた。表示されている赤点の数は、全部でざっと30個。
 そして事前情報の通りなら、その殆どがハイエンドタイプを含めたアーマードコア・ノーマルという事になる。以前ならまず受ける事のなかった仕事だ。
 だが今の自分であれば、間違いなくこの仕事はやれる、むしろ朝飯前ものだと確信していた。
 ≪時間だ、投下するぞ≫
 その合図と共にガコンという音が鈍く響き、同時にこの機体を固定していたロックが解かれた。
 自分が“良い眼”と称した、四ツ目の頭部を持つBFF製アーマードコア・ネクスト[047AN]。
 かつて戦場となった基地の倉庫に埋まっていたのを見つけ、その後ネクスト操縦の師であり現オペレータであるセレン・ヘイズと合流し、いずれ再び戦場へと立つ時の為に保管していた機体。
 リンクス戦争時代の物であるのか、内装の殆どがオーメルの旧標準機の一つである[TYPE-HOLOFERNES]のものであり、武装も[047AN]従来の装備は右腕の[047ANSR]スナイパーライフルのみで、他は左腕に旧レイレナードのマシンガン[01-HITMAN]、そして左背部に旧アクアビットのプラズマキャノン[TRESOR]と、レイレナード陣営だった頃のBFFの形を色濃く残していた。
 そんな骨董品が何故辺境の基地に置き去りにされていたのかは未だ疑問の残る所だが、殆どの部品が軽い整備のみで十分に動く状態だったので、姿は今この瞬間もその当時のままだ。
 機体全体の状態としては、今実現できる中では最高の仕上がり。完璧にとはいかなかったものの、単にノーマル部隊を相手するのであれば十分過ぎる出来栄えには満足している。
 自分の新しい相棒という荷を離し、安全のため上昇していくサイドバイサイド・ツインローター式のAC用輸送ヘリを見やりつつ、早速各ブースターを適度に噴かし、計画通りの位置へと降下する。
 ふと、もう一度レーダーに意識を向けると、双方に分かれた20個の赤点が今まさに動き出し、一か所にまとまろうとしていた。
 それは味方同士が合流するような動きではなく、正しく雌雄を決する為の集結だった。事前情報通りだが、状況自体は想定より少し早めに動いていた。
 「セレン」
 ≪ああ。……ミッション開始。トーラスとオーメル、双方のノーマル部隊を全て排除する≫
 「了解。ストレイド、作戦行動を開始する」
 ――メインシステム、戦闘モード起動。プライマルアーマー展開。
 相棒の名と状況の開始を共に宣じ、ジェネレータが生み出すコジマ粒子によって形成される防護膜――プライマルアーマーが球状となってストレイドを包む。
 自身もまた心と体をストレイドと同じように戦場に向けたものへと変える。
 かくして、ストレイドと共に臨む初めての仕事は始まった。
 
 
 
 

	依頼内容を説明します。
	今回の依頼は、旧独立計画都市グリフォンにて開催される、オーメル・トーラス間の戦闘への介入です。
	目標は、両陣営のノーマル部隊。両陣営の交戦開始直後に参戦し、これを全て撃破して下さい。
	今回の依頼は撃破数による完全出来高制となっています。
	あくまで全ノーマルの排除が目標となりますので、必ずしも全機をご自分で撃破しなくても構いませんが、その分得られる報酬が減る事はご了承ください。
	また、この戦闘に複数のハイエンド・ノーマルが投入されるという情報が入っています。……あ、両陣営共に、ですね。
	今回はこのハイエンド・ノーマルにボーナスを設定し、これを撃破した場合、通常以上に報酬をお支払いする事を約束します。
	この依頼はカラードより認定を受け、リンクスとしての資質、価値を測る試験を兼ねたものとしてお送りしています。
	これを無事完遂する事で、正規なリンクスとしてカラードに認められ、以後その管理下で正式に活動できることになります。
	それで、ええっと……『この程度の作戦をこなせなければ、リンクスを名乗ることなど到底適いません。確実な依頼遂行を期待しています』
	………で、では、最適な健闘を! 頑張ってくださいね!

 
 
 
 
 ビルとビルの間を縫い、全速でホットポイントに向かいながら、今一度自身がリンクスとなる為の試練の内容を思い返す。
 セレンと共にその内容を初めて聞いた時は、その中身と不慣れそうで頼りなさそうな依頼人の声に首を傾げたものだ。
 無論、セレンも同じ思いを抱いたようで、苦笑いを浮かべていたのを覚えている。
 オーメルとトーラスの戦闘の間に立ち、その両方を叩けという依頼も中々に変わり種だ。よくもカラードがこれをリンクス試験のお題に出したな、とすら思う程に。
 「てっきり、ラインアークへの強行偵察をやると思っていたんだがな」
 ぽつぽつと、他の手によって消えていくレーダーの赤点に顔を少し歪ませつつ、情報も寄越さず無言のままのセレンに軽くぼやく。
 企業連の敵対組織であるラインアークへの強行偵察――という名目の単なる襲撃だが――は、今現在カラードに所属するリンクスの多くが通った道とされる。
 リンクスとなる者自体がそこまで多くない故に恒例、とまでは言えないかもしれないが、殆どの新人がまずラインアークで一暴れし、その一部がそこで朽ちている。
 新人リンクスがぎこちなく操るとはいえ、通常兵器の部隊程度ではどうにもならないのがネクストという戦力だ。それが落伍するような要因があるとすれば、余程のヘマをしてノーマルやハイエンドに墜とされるという例外中の例外と、何より別のネクストとの遭遇戦が思い浮かぶ。
 既に熟し切ったリンクスが操るネクストに、戦場に出たばかりで制御がおぼつかないネクストが対抗できる訳もない。そうなった場合、新人は圧倒的な実力差を見せつけられ、機体の性能を全く活かせず果てていくという。極一部のイレギュラーを除いて。
 兎に角そんな話を耳にしていた身としては、そんな最悪な状況が発生し得る仕事を初陣でやるのか、と身構えていたのだが。
 ≪あぁ、私もそう思っていたが、先客がいたようでな。今頃、そいつが向こうをやっているだろう≫
 「先客? 俺以外に、しかもこのタイミングでリンクス試験をやっている奴がいるということか」
 ≪らしいぞ。詳しくは知らんがな≫
 その応答に、なるほど、と相槌を打って一度会話を閉める。丁度ビル一つ挟んだところで、双方が戦闘を展開している場所まで辿り着いていた。
 聞く所によれば、ラインアークの戦力はMT多数にノーマルが少数らしい。時々増援でノーマル数機が呼ばれるらしいが、それでもそちらの方が随分と楽だ。
 三竦みの戦場とはいえ、未だ20機前後のノーマルとハイエンドがひしめいているこちらは、さしずめハード、いやベリーハードと言った所だろうか。
 もっともあちら側は、ホワイト・グリントが乱入してきた場合それどころの問題ではなくなるのだろうが。
 「そいつも無事に済めばいいな」
 垂直ブーストでビルに昇り、ホットポイントを一望できる位置に着く。見ればノーマルは既に殆どおらず、複数のハイエンド機同士が撃ち合う状況となっていた。
 最近敵機との距離は600。こちらに気づき、銃口を向けんとするハイエンド機も散見できる。
 細かな違いはあれど大まかな共通アセンブルとしては、オーメル側のハイエンド機は細身の銃身でありながら高威力を持つエネルギースナイパーライフルと箱型のハンドガンを装備した軽装の中量二脚で、トーラス側は大型ハイレーザーライフルに連射性の高い特殊ライフルを装備したEN防御特化型の重量二脚という形だ。
 特にトーラス側のハイエンド機は旧アクアビット社製ネクスト[LINSTANT]によく似る、やたら細長く丸っこい頭部パーツを装備している事が印象に残る。あれは確か、EN防御特化型の特殊パーツだ。
 いくらネクストとはいえ、対EN防御が薄い047ANで両陣営の装備する高威力のEN兵器を食らえばそれなりの被害が出る。無駄な手間はごめんだ、考え無しに突っ込むのはよした方が良いだろう。
 戦闘開始。プラズマキャノンを適当に放って電磁障害を発生させつつビルから離れてさらに上昇。オーメル側のハイエンドの内一機にスナイパーライフルを向け、比較的薄い上部装甲を狙って2発撃ち込む。
 1発目は装甲に大穴を開け、2発目はその中まで貫いた。爆散こそしないものの、そいつはそのまま動かなくなった。まずは一機撃破だ。
 降下しつつ続けて別のオーメル機に照準を合わせるが、敵もやられてばかりではなく、反撃を飛ばしてくる。機体を左右に振らして回避運動を取るも、何発かがPAを掠めていった。
 あのエネルギースナイパーライフルは装弾数こそ極少なく、扱い自体もかなり難しい代物だが、軽中量程度のネクストの装甲であれば有効打を与えられる程の威力とPA貫通力を持っている。
 ハイエンド機の武器としてはかなりイレギュラーなもので、当てられるのであればアレ程頼りになる腕武器は他にない。自身も一時期愛用していた故か、その強力さは身に染みていた。
 お互いに中遠距離戦に適した主兵装。各々の性能の差でこちらが圧倒的に有利ではあるが、双方が戦いやすい状況は得てして消耗戦になるものだ。
 独立傭兵として始まったこちらとして、そうなるのは面白くない。そして相手の土俵に居続ける訳も、やれる事をやらない理由もなかった。
 「本分だ、試させてもらうぞ」
 ――お前に言っているんだ。そうストレイドに語りかけ、メインブースターの推力調整に常時以上の意識を向ける。
 その意思に呼応するかの如く、ストレイドはスナイパーライフルとプラズマキャノンを構えたまま、瞬発的な加速を生み出す推進機構であるクイックブーストを吹かし、一気に突進する。
 ネクスト特有の機能であるクイックブーストによる機動を、それを持たないハイエンドが捉えるのは極めて難しい。その証拠にハイエンド側のFCSはその加速度を見極められず、しっかりロックされて撃たれた筈の高出力の粒子レーザーが、ストレイドの頭部横のプライマルアーマーを掠めていった。
 そのまま補足できる範囲内で最奥右のオーメル機に向け、再びスナイパーライフルを2発そのコクピットに叩き込み、手前左の機に対しては通り抜け際にプラズマキャノンを放つ。
 ノーマルやハイエンドのそれとは比にならない熱量の光弾が直撃したオーメル機の装甲は、威力に耐えきれず一瞬の内に溶解し、その場で爆発を起こした。
 その様を最後まで見ることなく背部のプラズマキャノンを畳み、左側の使用兵装をマシンガンに変更。手近にいたオーメル機の背後を取り、相手の旋回に合わせるように機体を動かしながら01-HITMANの砲弾を撃ち込み続ける。
 細かな弾痕は重なる被弾の衝撃で割れて他と繋がり、大きな穴となる。やがてその穴を抜けて内部に至った弾頭が機関部を貫き、そこから火が起こった。
 ジェネレータの破損と同時にブースターの制御を失った機体は旋回時の慣性を抑えることが出来なくなり、装甲の合間から火炎を噴き出しながら転倒し、無残にも崩壊していく。
 瞬く間に4機撃破。思った以上にAMS――脳と機体を直結させ、直接各部の操作を行える機構――の具合がいい。
 苦心するだろうと想像していた動作も存外スムーズに行えていて、ストレイドも十分すぎる程についてきてくれている。お互いの調子はかなり良好だった。
 さて次の獲物は、と残るオーメル機の内一機に狙いを定めた所で、そのオーメル機がトーラス機のハイレーザーに貫かれ、火花を散らしながら吹き飛んでいった。
 「…ちっ」
 余計なことを、と心中で悪態を吐く。敵の敵がいるのは分かっていたが、ハイエンドと言えどノーマルだと思って油断していた。お陰で1機分の損失だ、もったいない。
 見ればこちらに意識を向けているトーラス機は、先にオーメル機を撃った1機と他数機で、残りは離れた場所でハイエンド同士の戦闘を依然として繰り広げていた。
 その中で光点が一つ、また一つ消えていく。うかうかしていては、どんどん稼ぎが減ってしまうだろう。
 かと言って目の前の食いぶちを見逃す訳にもいかない。ライフルの連射に交えてハイレーザーライフルを撃つトーラス機複数の弾幕をいなしつつ、正面からスナイパーライフルとマシンガンの掃射で2機を墜とす。
 そして残る敵と擦れ違った直後に機体をぐいと振り向かせ、後退しながら再びマシンガンとスナイパーライフルで敵機の背面を捉え、抵抗の間もなく残りを破壊した。
 「よし、残りは何機だ」
 ≪オーメルのが4機、トーラスのが7機と言った所か。急げよ。早くやらんと、また食われるぞ≫
 言われずとも、という当然の返答は口に出さず、無言で背部のオーバードブースターを開放し、そのまま起動。
 機体の心臓であるジェネレータから供給されるコジマ粒子をオーバードブースターが一気にプラズマ化させ、それを推進剤として吐き出す。
 膨大なエネルギーを受けたストレイドは、ネクスト用の耐Gパイロットスーツを着ていてすら苦しみを覚える程の加速度を持って、宙へと跳躍する。
 打ち上がった先は、敵味方入り乱れて銃を撃ち合っているハイエンド達の直上。
 「さっさと帰るぞ。稼げるだけ、稼いでな」
 呆気に取られているか、あるいは気づいていない眼下の獲物達に狙いを定め、ストレイドは再びスナイパーライフルを構えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――視界はゼロ。光はない。全くの闇が自らを包んでいる。この空間、状況は、これから先幾度と味わう事になるのだろう。
 ミッションを終え、再び吊り下げられたストレイドの中で過ごす時間。暗闇の中でただ拠点への到着を待つのみの間、自分に出来る事は極少ない。
 AMSを介してストレイドと繋がれば、ミッションで消耗した各部のコンディションを把握する事も、それを直に感じ取る事もできるが、それはもう数刻も前に終えてしまった。それも数度反復して、機体の奥深くまで意識を伸ばしてだ。
 結果、今傷んでいる箇所もその症状も既に記憶できており、行うべき処置も大体想像がついている。後は実際に手入れしてやるだけ。
 これ以上自分が知りたい情報は特になく、ストレイドも特に伝えたい事はないらしい。なら、態々余計な負荷を受けてまでお互いが繋がる理由はなかった。
 AMSケーブルはまだ頸部に付いたままではあるが、有事に備えるという以外に意味はない。集中力の欠けを感じる中、眠らずに意識を保っているのもその為だ。
 ――だがしかし、やはり足りないな。
 そう思ってシート右下部のドロアを引き開け、中にあるチョコレートバーを一つ取り出す。ビニルの包みを飛び散らないように破ると、お馴染みの茶色い棒菓子が姿を現した。
 もちろんすぐに齧り付き、頬張る。
 ≪ん、三本目か。大分参っているようだな≫
 温い甘ったるさを口の中一杯に広げていたその時に、セレンがヘリから通信を飛ばしてきた。てっきり見ていないと思っていたが、しっかりとモニターしていたようだ。
 「……ああ。シミュレートで散々味わっていたが、やはりネクストのAMS制御というのは頭に来る」
 一口目を十分に咀嚼し、味わってから飲み込んで、軽い一息の後にそう答える。
 機体の統合制御体から発せられる膨大なデータを情報として脳内に送り込み、直接処理と制御を行うAMSは、その前提として脳髄に多大な負荷を強いる。
 特にネクストはAMSを前提としなければ戦闘機動を行う事がままならない程の情報操作が必要であり、当然その負荷は他の機体を動かす時のものとは比にならない。
 実際AMSの使用やネクストへの接続・起動が原因で脳がやられ、廃人となってしまった例も珍しくなく、この技術は今日まで、そして今現在も、生死問わぬ屍の山を築いている。
 そのAMSを頻繁に使い、さらにシミュレータ込みで何度もネクストと繋がって無事に済んでいる事だけでも、とんでもなく幸運な事なのだ。
 そして、そんな人が処理出来る範囲ギリギリ、もしくは超えている程の量の情報処理を行った後の脳は、例え無事に済んでいたとしても、凄まじく疲労するのは当然と言えるだろう。
 AMS適性が高ければ、それ程不快感無くネクストを操る事が出来、脳自体への負担も然程大きくはならないらしいのだが、生憎と自分は疲労が気にならなくなる程の適性を持ち合わせていない。
 故に実戦でもシミュレータでも、とにかくAMSを使った後はこうして積極的に糖分を補給し、脳を休息させる事に努めなければならないのだ。
 ≪別に眠っていても良かったんだぞ。いざという時は落っことしてでも起こしてやるからな≫
 「やめろ、死ぬ。……そんな事を言うから、俺はいつも眠れないんだ」
 そうでなくとも眠らないが、笑えない冗談を言うセレンに負担の理由をこじつける。流石のネクストでも、不意に切り離されて無制御のまま墜落したらどうなるか分かったものではない。
 もしかしたら機体は何とか無事に済むかもしれないが、最低でも中身である自分自身がどうにかなってしまうだろう。
 ≪冗談だ、冗談≫などと既に分かり切っている事をのたまうセレンを尻目に、再びチョコレートバーを口に運ぶ。
 糖分の摂取を主目的として作られたこれは、あまりに甘過ぎてとても美味しいとは言えない。あくまで味を楽しむものではないので贅沢は言えないのだが。
 満足できない間食を手早く食べ終え、空の包みに付いている両面テープを剥がす。それを先程開いたドロアの内壁に接着し、未開封のチョコレートバーと見分けが付くようにして仕舞った。
「“ハイヴ”まで後どれぐらい掛かりそうなんだ、ティーチァ」
 輸送ヘリのパイロットであり、自分がリンクスとなる以前――ハイエンド・ノーマル乗りだった頃ではオペレータも担当していたティーチァに、拠点――自分達がハイヴと呼んでいる場所までの所要時間を問う。
 長年連れ添っているパートナーであり、貴重な友人とも、頼れる恩師とも言える存在だが、お互いが言葉を交わす回数は少ない。
 彼自身が結構な無口であり、自らから何かを語る事は殆どないからだ。
 こうして自分が何れを問い、彼が最低限の言葉で返すのが常で、彼から言葉を発するのは出撃準備のごたごたの時やオペレートをしている際の指示出しくらい。
 逆を言えば、余計な事を言ってくることもない。セレンのようなキツい皮肉や面白みのないからかいもない。セレンには悪いが、自分にとってはティーチァの方が理想的なオペレータだ。
 そんな彼は今回もいつも通り、自分が出した問いに対して実直な答えを返してきた。
 ≪間もなくだ。もう見えている≫
 その言葉を受け、ストレイドを再び起こしてAMSによる接続を始める。ジェネレータは起動せず、コンデンサに残っているエネルギーだけで一部機能のみ稼働開始。
 操作する部位を限定して情報量も幾分カットしている所為か、負荷はそこまで降りかかって来ない。
 気を楽にしつつ頭部のカメラ機能にアクセスし、網膜ではなくコクピット前方のモニタにストレイドが見ている風景を表示させる。
 夕焼け色に染まる空の下。遥か前方、しかし十分目に見える距離。だだっ広い大海原の上に、海面から少し離れてそびえ立つ小さな三つの六角形。
 その人工的な鋼鉄の地平から伸びる太身で橙色の管制塔と、それに連なる施設群がよく映えていた。
 かつて誰かが使い、誰かが放棄したのだろう、使い古された大型の海上プラットフォーム。過去要塞化され、軍事拠点として扱われた痕跡があるその場所は今、自分達の巣箱(ハイヴ)となっている。
 タイプを問わないアーマードコアを収容できる巨大な格納庫複数と十全な居住用施設を備え、陸地へも然程遠い訳ではなく、御上に接収されるような心配もない位置。
 発見当時はかなり傷んでいた為に大掛かりなリフォームを施した事、それでもまだ少し汚らしい箇所が目立つ点を除けば、これ以上はないくらいの好物件だ。
 そんな流れの傭兵にとっては最適過ぎる隠れ家の上で、僅かに動くものが見えた。映像を拡大処理して確認すると、そこには。
 「……ったく、あいつらめ」
 思わず顔が綻ぶ。まだこんなにも離れているのに、出迎えがあった。
 ヘリポートのある甲板の上でこちらへ向けて大きく手を振り、またはしゃいでいる5人の少年少女。縁あって共に暮らしており、傭兵稼業を一緒になってやっている奴らだ。
 女が二人で男が三人。年齢はバラバラで、身長の差もなかなかに目立つ。その内でも一番幼く小さい少年は【今日の晩メシ何!?】と書かれた画用紙を掲げてこれでもかとアピールしてきている。
 ジャックめ、見ていると分かっててやっているな。そう思った時には、コローネが画用紙を取り上げて当のジャックを叱り始めていた。
 隣のヴァローナがそれをたしなめ、その様子にクロウとフルゥが笑う。そんな相も変わらず騒がしい子らの姿を見て、自身の顔からも小さな笑みがこぼれた。
 段々と近づいている我が家。ネクストを使った初めての任務だったが、まずは無事に帰ってこれたか、という安堵感が心に広がり、浅い眠気に誘われる。
 だが、帰ってもまだやるべき事は沢山ある。身体と頭は早めの休息を求めているが、そうは行かないだろう。まだまだ一日は終わらない。
 通信の周波数をヘリ宛てのものから、管制塔に向けたものに合わせる。電波の行き先は、あの中では3番目の年長であり、今日の管制を担当しているコローネが着けるヘッドセット。
 即座に応答するコローネの声を確認し、まずはやるべき事の内一つを何とかしてもらうべく、彼女に指示を告げた。
 
 
 
 「その場の全員に通達してくれ。『今日の夕食は合挽肉のハンバーグとする。各自準備に掛かれ』…とな」
 
 
 


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