Written by へっぽこ


いつの間にか追い抜いていた。
 今はもう誰の背中も見えはしない。
  けれど、僕は肩を並べたくて―――

気が付くと、向かい合っていた。
 お互いに銃を持って。

     /

目が覚める。

僕は顔に当てていた本をはずして深呼吸を。
閉じた目の、まぶたの向こう側からくる光量はずいぶんと減ったみたいだ。
ちらりと片目を開けてみる。辺りはすっかり、日は傾いていた。
放課後という単語がとてもしっくり来る様相。授業はとっくのとうに終了したようである。
やれやれ、存外長い間寝ていたようで、けれど、夢は“見なかった”なぁと感じ入る。
ああ、なんだか損をした気分だ。
寝ているからって、その間にも世界は当然進むから、太陽だってこの通り西へと下るし、僕が寝ていた裏側で何かしらのドラマがあったかもしれないわけで。

三珠の魂がゆれている。
それは世界の垣根を取り払った代償で。現在と過去の二大世界が衝突事故を起こすというのは、俺としても想定外の出来事だ。
溢れる感情が、俺を僕に塗り替える。こんなのホントは僕じゃない。ということに気付いてしまった時、崩壊は始まるのだ。ゆるやかにゆるやかに。
すがりつく弱い自分は、きっと敗れることになる。それは首輪付きとしての人生の、最初で最後の敗北だ。
さあ、けじめをつけましょう。
自分で犯した罪なんだ。
僕が罰を与えてやりましょう。
裁判の結果は出たのだ。
閉廷の木槌が鳴らされる。

かっきーん、とホームランを連想する、まるで鐘のような軽快な打撃音がグラウンドから響いた。きっと野球部だ。
続くように、実にさまざま、めくるめく声の波。ふぁいとー、おー。とか。
遠くの方から聞こえてくる、それはそれは煌びやかな青春の歓声は、とてもとても痛々しかった。
もうじき、大手を振って外でスポーツなんて、やってられない時代が来るから。
たとえば野球は九人一丸となって戦うけれど、人生は一人で戦わなくちゃダメなんだ。
誰もが一人きり。生きるために戦っている。今、現在。それから過去と、もちろん未来も。
なあ、そうだろう? と。視線を向けた隣の、彼女が寝ていた場所はもぬけの殻であった。

僕は目を擦り擦り、体を起こして辺りを見回す―――までもなく、彼女を見つけた。
寝ぼけ眼に写る、小さくか細い少女の背中。流れる黒髪はようようと、向こう側で赤々と輝く太陽の光子に弾かれて、毛先を金色に染めていた。
彼女は屋上の手すりに両手をかけて“外”を見ていた。
僕はゆっくりと立ち上がって、後ろ手に自身の背中をさっと払った。
シャツは乾いていた。あるいは、濡れてなんていなかった。
それから彼女の元へと、一歩踏み出し―――
そして。

「近づかないで」
彼女の拒絶を耳にした。
それは言葉の意に反して、とっても柔らかい声であった。
決して、叫ぶでもなく、怒鳴るでもなく、まるで子供に言い聞かせるような、静かなお願いの声色。
僕は足を止めた。声は出さなかった。声も出なかった。
僕は、かつて見慣れた誰かの背中を、今や見慣れぬ小さなその背中に投影して、眺めている。

そうして。
彼女はゆっくりと片手を挙げると、ぐっと空を掴んだのだった。
夕日に染まる橙の空にシワがよる。何の比喩でもなく、彼女はただの中空を掴んで、そして、その手を勢いよく、全身を使って引き下ろした。
まるで壁に貼られたポスターを破り捨てるかのごとく、一息で。
びりびりびりびり―――と、音を立てて、空が破れた。そしてそのほころびはみるみる広がっていく。
それは空だけでなく、大地、グラウンドも、そして学校をも、侵食し、引き裂いていく。
びりびりびりびり、と、音を立てて破れていく。ぼくの、世界の、うわっつら。

それから彼女は破れた空に隠れていた、向こう側の空を指差して、「見て」と言った。
ぴんと伸びた白い指の先。
何艘ものクレイドルと、光り輝きながらそのクレイドルの周りを飛び交う、あれは―――。
ぴか、と光るたびに煙がもくもく。
一隻、また一隻と、失墜する紺色の大鳥はなすすべなく、ぼろぼろと何か“ヒトのような”モノをこぼしていく。

「ヒトがゴミのようだわ」
と、彼女がぽつり口にする。とても素直でストレートな感想。その切れ味は途方もなく鋭かった。
「そうだね」と、一人の俺が答える。
“そうだね。”と一人の僕は心の中で同意する。
そして、“けれど”と続ける僕が一人。
「それは決して、ゴミなんかじゃあないんだよ」
と、どこかの僕はそう言った。

銃や剣に憧れる。
平和の中にいながら、戦いに思いを馳せてしまう少年の男心。
無邪気は時としてひどく邪悪だ。そんなことは知っている。
銃を持てば打ちたくなるのは道理で、簡単に言ってしまえば魔がさした。ほんの一瞬。
それでも全てが消え失せる。

少しだけ、人差し指に力を込めよう。
トリガーを引けば後は全自動。止まらない鉄の連動。
ハンマーが落ちて、ノックピンが弾け、雷管を叩き、薬きょう内で小さな発破が、これ以上ない勢いで鋼鉄の弾丸を打ち出すと、放たれた弾丸はライフリングを潜り抜け、スパイラル回転で一直線。
あとは、止まるまでその膨大なエネルギーの全てを破壊に転じて、鉄の弾丸は跳ね回る。
何年も何年も積み重ね、培ってきたものを、それは容易く打ち壊す。無常にも。無意味にも。心無く。
それだけのことを起こすのに、必要なのは人差し指のたった数センチの動きだけなのだから。

世界がどれだけ脆いのか、俺は“経験則”から知っている。
そうだ。僕は己を知っている。
もう、子供じゃないから。いつまでも子供じゃいられないから。
人は、悪も善も、いっしょくたに持っていて、自由が利くのは子供のときだけ。
大人の僕たちには、手かせも足かせも、首にだって輪が付いている。けれどいいんだ。それで。
そのかせってのは、きっと社会とつながる代償で、僕達がれっきとした人間である証なんだよ。

“人がゴミのようだ”
どこぞの悪党を思い出す、まったく笑える台詞だけれど、こうも近しい立場にいると、決して笑ってなんていられないのである。
「うん。ゴミじゃない」
そうして僕は、そうして彼女は、無邪気な感想を打ち砕き、そこに理性を添えるのだ。

そう、零れ落ちているのは人間だ。
ヒトのような、じゃない。ゴミのような、じゃない。あれは確かにヒトで人以外のナニモノでもないんだよ。
遠くであろうと、近くであろうと。どう思えたところで、どう見えたところで、どころか、鉄のカーテンの向こう側、見ることも敵わない裏側でだって、彼らは確かに人間で、生きていて、営みがあって、肉体と魂と、心の交流があって、それらは円として、回り、縁として、また繋がっていく。輪として、リンクするのだ。

―――というのは僕の妄想、あるいは理想で、その実彼らが何者で、どうして、どうあって、どうなって、ゆくのか、僕は知らない。知りようも無い。
大体、僕みたいなちっぽけな人間が、一体全体人類の何を知れるというのか。
何も知れない。何も分からない。
答えはない、と言うのも一つの答えで、けれど、そうであっても、思考を止めてしまっていいとはならないんだ。

決して放棄してはいけない、と、僕の中の僕が言う。
自分が“人”であることを、放棄してはならない。
選ぶことが重要である。正しさではなく、確固たる意思を添えて。

懺悔します。
一つだけ、間違えた。
僕は。
僕は、どうあっても選んで××すべきでした。
ただ自分のために、選んで××して、同じように、選んで××さないべきでした。
土台が腐っていた。それは選ぶための基準。
何のために戦うのか。その問いに瞬間答えられない僕の薄ら寒い存在感。
それでも変えたいと思う想いは重く。
行動ばかりが先へ先へと、僕をブースターが押し出した。

別に××したかったわけじゃない。でも、なんとなくそうしなきゃいけないって強迫観念があったんだ。
世界を変えなければっていう思いがあった。やらなければ、という義務感が、ずっと僕を押していた。
そんなある日に革命を聞いた。
大いなる変革。
“革命”の、その言葉にときめいた。

そうして。
やるからには本気だ。一点の抜かりなく、妥協無く、力を尽くすよ。文字通り、世界に僕は全力を注いだんだ。
徹底的に垣根なく、差別なく、平らに平らにならす日々。
“俺にしかできないことをしよう”、と、そう決めた。
何をどうすればいいのか、なんて、てんでわからないのに。
全てを等価にしたためて、一億に続けとばかりにまず五人。プラス一人で、人類はどうでもよくなった。
ホントは××たくなんてなかったけれど。頭は馬鹿になっていた。

相変わらず、紺色の大鳥が空を飛んでいた。
―――変えなければ!
相変わらず、基地には兵隊さん(ノーマル)が佇んでいた。
―――変えなければ!
相変わらず、工場は武器を次々作っていた。
―――変えなければ!
そうしてふと気が付くと、世界は一変してました。
そうしてふと気が付くと、世界はぐちゃぐちゃでありました。
でもちょっと立ち止まって考えてみると、ぐちゃぐちゃ世界は、見た目ばかりで。
とどのつまり何の変化ももたらすことなく、昔々のままなのでした。
住む人の名前が違う。働く人の髪の色が違う、戦う人の兵器の形が違う、とか、そんな程度で。
ただ、空は確かに広くなったと思うんだ。

「亡くしてから、気が付いているようではダメだよ」
と、彼女は言った。
「うん。その通りだ」
僕は目を閉じる。まぶたの裏に思い浮かべる全ての人に、顔はやはり無かった。
顔の無い生徒たち。それは僕が繋がりを断ち切ったその代償に他ならない。
彼らに顔の無い理由は、きっとそういうことなんだ。選択を放棄したから。
皆平等。差の無い、生きたマネキンたち。徹頭徹尾違うのに、区別はどうあってもできない。
画面の向こう側と、傍らの君を混同してしまってはいけないというのに。
もう、僕にはサルの顔はサルにしか見えず、ヒトの顔はヒトにしか見えない。
それはどこか、ひどく哀しいことのように思えた。

学び舎が、瓦礫と化していく。ゆっくりと。
灰色にこびりつくどす黒の校舎壁面にヒビが走って、所々欠けて、一部は無残にも崩落した。
割れたガラスが刺さるグラウンドはぼこぼこで。鉄巨人のライフルの弾痕がまざまざとして。
燻る炎はきらめかしく、いたるところで黒煙を上げている。
いったい、何が燃えているのだろう、と、疑問に思うことすら野暮だった。
そのようにして、ここにイキモノはいなくなったのだった。僕らを除いて。
空想の皮一枚、剥いでしまえばこの通り。

ゴミのように死んでいった人間がいる。ゴミのように彼らを殺して回った人間がいる。その事実。
「ねぇ。あなたは耐えられる?」
一人じゃきっと、耐えられない。いや、耐えられなかったんだ、俺。
鉄や火薬の向こうで爆ぜる人の波を知らずに、飛び散る歯車が全てだと思いこむ。
そして、次の瞬間にはさようならだった。
気付いて、耐えられなかった俺は、だからこそ今ここにいる。
耐えられずに押しつぶされた自分がしたことは、はたして何であっただろうか。

“苦しめ”と自分(誰か)が言う。
物を食べれば糞が出て、女を抱けば汁が飛び、歩けば誰かにぶつかって、くしゃみ一つで雑菌は半径数メートルへと巻き散らされる。
生きることはこんなにも醜い。
だが麗しくもある。輝きが確かにあるんだ。生命の。
いつか握った手の柔らかなぬくもり。重ねたからだの温かみ。
そういったものに気付けなかったから、僕は―――、簡単に手放してしまった。
何かしよう、そう思うのはいい。でも、安易に自分の得意技にだけ飛びついているようでは、世界はとんと変わらない。
“俺の世界は変わらない。”ただ、沈んだだけ。欠けただけ。
それを“変化”というのはおこがましい。

だってそうだろう?
その昔、ランク一位にまで上り詰めたあの人が求めた世界の変化っていうのは、そんなものではないのだから。
変えたい?そうか、わかった。じゃあ、なんで変えたいの? そしてどう変えたいの?
――って。そんな、当たり前の根源を、当たり前の主軸を、俺は、受け継ぎ損ねたのかもしれない。
手をすり抜けて地面に落ちて砕けて弾けたその瞬間になって、初めてそれが自分にとって何より尊い宝物であったことに気が付いた。

桜は散ってしまったのだ。
あたりを舞うのは灰ばかり。
花も葉も蕾まで。焼けて、煤けて、それでも。
「―――桜は」
僕はつぶやく。
半ば嘆願するように、昔語ってくれた彼女の深層。原風景になぞらえて。
「うん?」
彼女が振り返る。夕日の逆行が影となって、その顔は見えない。
太陽はじきに沈むだろう。彼女の顔にかかる夕日のまぶしさと、影の織り成す光のベールはその時にこそ外れる。
「また、咲いてくれるだろうか」
ねえ、セレンさん。
「さあ。どうかしらね」

止まり木が欲しいよ。そして理由をくれないか。じゃないと、
「耐えられない」
ここがどこで、誰の世界であろうとも、僕には彼女が必要だ。必要だった。
「一人きりじゃ、もう耐えられないんだ」
そして彼女がいればそれだけで、僕はきっと生きていける。
「君が傍に居てくれれば、僕はきっと頑張れる」
頑張って、耐えようって気力が湧くよ。
ねえ、君は、セレンじゃあないのかい?
「まるでプロポーズだわ」
「これはプロポーズだよ」
指輪はなくしてしまったけれど。
そうして、会話は途切れ、僕たちは見つめあった。

破れかけの、まだらの太陽が沈む。
おかげで辺りは一層暗く、きっと宇宙に自立兵器を敷き詰めた空は、赤紫の映える群青のグラデーションを呈し、そして眩しさから開放された僕の目の、絞られた瞳孔が開く。逆光に霞んでいた視界は元通り。くっきりと正面の彼女を捉えている。
彼女の顔は、
「ごめんなさい。私はもう“セレン”じゃない」
彼女の顔は、もう塗り潰されてはいなかった。
けれど。
それは知らない少女であった。見知らぬ、若くて可愛らしい、乙女であった。
そうだよ。そもそも年齢が違うじゃないか。
僕は、何を期待していたのだろうか。
面影がのみ、名残を残して、僕の後ろ髪を幽かに引いた。

見知らぬ少女は言う。
「もっと早くに聞きたかったよ。その台詞。私が、私に戻ってしまう前にね」
とてもさびしげに、口を尖らせて。
「ああ、―――」
そうだね、と、僕はゆっくり首を振る。
「ねえ、ここは誰の夢なのかしらね?」
くっく、という意地悪そうな笑い方。けれど、愛嬌があった。似合っていたし、ステキだった。
そんな顔もあったのか。かつての君には。
「じゃあ、もう行くね」

“世界が違うから”
彼女は小さく呟いた。
「こうでもしなきゃ、コンタクトを取れなかったんだ。ごめんね。あなたは“私”を知らないわ。」
それはまるで、いつか言えなかったさよならを言うために。

「トキメキをありがとう。あなたのおかげで、私の人生は輝いた。」

伝えられなかった誰かに向けて、さよならと言うように。
「それじゃあ」
そうして彼女はにこやかに手を振って、
「バイバイ」
翻って、彼女は手すりに足を掛けると、ふっと軽やかに空中へ向かって跳躍し、瞬間重力に引かれて姿を消した。
――ああ。
ああ!
僕は、
「僕は、探すから。ずっとずっと探すから。絶対に、“君”にたどり着くから、だから」
その時は、一から、また。

     ◇

焦燥を抱え込み、俺は両の膝を瓦礫と化した硬いコンクリートについて、鉄のように冷たい掌で顔を覆う。
はたして、自分の顔はそこにあるだろうか、と。
あのヒトには“見えて”いたのだろうか、と。想う。
どこか得たいの知れない胸の高鳴りにせきたてられ、膿んで淀んでどろどろになった意識が急速に乾いていく。
そして反比例するように双眸はじんわり熱く。
事ここに至ってようやく、俺は俺で人でなく、鉄人の脳と心臓を兼ねる何か“だった”、と、初めて自分を理解した。

血が巡る。心臓の音を聞く。胸を膨らませて息をする。
俺は、今、人間だ。

そして、どっと、涙が溢れ出した。

     ◇

長らく回転を止めていた歯車が動き出す。
ぎしぎしぎしぎし。

――生きる理由ができました。

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